道祖本街道

2012年7月21日

高槻市堤町の次郎四郎橋~箕面市栗生間谷西の西田橋
摂津富田駅へ、そこから街道起点の次郎四郎橋まで歩くが、これが結構遠く富田駅6時45分~四郎次郎橋まで、4.67kmで65分かかり8時スタートとなった。
本日は後半ずっと雨が降り、一時強く降ったので30分程は余りに強いので雨宿りをする。
西田橋到着は15時、雨が降り続いている。幸い30分ほどでタイミングよくバスが来たので千里中央駅まで乗って帰宅、千里中央駅で今日は何も食べていなかったので居酒屋のようなレストランに入り食事をしようと思ったらお客が皆ビールを飲んでいた。私も余りにも喉が渇いていたのでつい何気なく小ジョッキのビールを頼んでしまった。元々弱くて飲めないのにでも一杯は美味しかった。ところが食事を終わって大失敗に気づく、林間駅前に車を預けているのを、もう後の祭りいい気持になってしまった。車も乗れない仕方ないので車を置いて、翌日取りに行く

           31.892歩  19.13km 

JR摂津富田駅 道祖本街道の起点まで移動する

駅前の角にある 常見寺の道標 かなりの距離を歩いて移動

4.67㎞、66分かけて、道祖本街道の起点 芥川に架かる次郎四郎橋に着く。ここの橋を右(東)に進む道は
茨木街道支線

橋より南側を見ると東淀川区菅原で亀岡街道から分岐して淀川右岸堤上をきた高槻街道支線は芥川に入り次郎四郎橋を渡り高槻市街に進む。川の向かいの堤防から先に見えている高架すぎで堤防より左に折れて進む。

橋より芥川の北側を眺める

橋より西に 光永寺 の屋根が見える

橋のすぐ先で、堤防の道を右に分け左に下る道を進むところを振り返る

堤防の道、地道で散歩道、手前を左に下る

神社手前から振り返る

100mほどで左におれる

左に折れた先の道、100mほどで突当りとなり右に折れる

突当りを右に折れて更に100mほど進むと神社の前に出て左にカーブする

八幡大神宮

神社境内にある 兎石
石段の左の石垣にある、風化が進み全体像は判りにくいが、兎が彫っている、いつ、なんのために彫られたのか不明。兎は神々からも愛された動物で、白兎は瑞兆とされたことに由来するものか。
兎の左に円形の模様のような線彫りが施されている。当神社の不思議な石造物である

神社から西への道を進むと、16号線の芝生交差点に出て横断する

府営高槻芝生住宅の前の道を西へ

更に左にセブンイレブンの前を通る

真っ直ぐ西に進んでいくと、右におれんじ歯医者、ゲオが続き交差点となるので、その交差点を右に折れる。折れた左角に高槻寿局がある

右(北)に折れて少し進んだ先に、寿町の6差路の交差点に出る。左斜めから右斜めに走る道路が132号線、90度左からの交差点に入ってくる道が高槻街道で右斜めに通っている 道祖本街道 はその左からくる高槻街道の道を左に折れて進む

寿町の交差点 寿町1丁目7

交差点から右斜めに進む、高槻街道 の旧道

交差点を左に入り交差点方向を振り返る右側に溝がある

すぐ先で少し広い道を横断して細い道を真っ直ぐ進む(この道は高槻街道と重複)

四辻を左に折れる

四辻の右手前角に 延命地蔵尊と道標

延命地蔵との隣なり北側に 地蔵尊

北側より四辻を見る、街道は向かって左から来て左に折れる

正面に酒蔵を見ながら突当りを右に折れ

右に折れた西への真っ直ぐな街道

少し進んだ四辻で右へ⦅寄り道⦆のため入る
左に見えるお寺の塀は眞楽寺

浄土宗眞楽寺

そのすぐ先左に 本照寺
寺を中心に酒造業などで栄えた町

本照寺の門前、道を挟んだ向かいに 蓮如上人御遺跡碑

更に進んだ左に 浄土宗清蓮寺

すぐ右に 

その先西への道
右に三輪神社の森が見える 

 三輪神社

三輪神社のすぐ先の四辻を右に折れる右角に 道標

右に折れた先、正面に普門寺が見える

 右角の 道標「右 京 山崎・・・・」 「左 北・・妙見・・・道」 

正面 禅宗普門寺 
釈迦如来と十一面千手観音を本尊とす
1390年に開かれ、1561年室町幕府の管領・細川晴元が入山。1566年、足利義栄が当寺で14代将軍の宣下式を行い、普門寺城と呼ばれた。境内を取り囲む土塁遺構にその名残りがみられる。江戸期に入り広大な寺域に方丈・庫裡や庭園を造営し、隆盛を極めた。
明治の廃仏毀釈により寺地、諸堂の多くが失われ荒廃した。戦後、復興され方丈が国重文に、枯山水の庭園が名勝に指定された。また平成に入り表門、毘沙門堂等も含めた境内のほぼ全域が名勝に指定された。
境内の一角には、細川晴元の墓 と伝えられる宝篋印塔がある。(高槻市教委)

中には入れないので山門から

普門寺の門前を左に折れ、市営の団地の北側を抜ける。133号線に出るがその先、富田小学校で旧道が消失しているので左に折れて迂回し、小学校の西側の旧道に出る

左に折れて200mほど先の信号を右に迂回小学校の西側の門、門から左斜めに旧道が通っていたようだ

西門から西へ真っ直ぐ伸びている旧道

真っ直ぐ進んで左にゆるくカーブした先で阪急総持寺駅北側の踏切を右に渡る

踏切を越えてコンビニの前を左に折れ

コンビニを越えた辻を右に折れて西に進む

西への道を150mほど進む

150mほど先で突き当たるので右に折れる

更に150mほど先で突当り左(西)へ進む

ここで⦅寄り道⦆のため、突当りを右に折れすぐの左(北)への道を入る

100mほど北に入ると 浄土真宗光明寺

北側にある 浄土宗薬王寺と薬師堂

更に隣に 八幡太神宮

夏祭りの子供神輿が町を練り歩いている

総持寺の古い街並み

元の辻に戻り西へ、総持寺の古い街並を進む

 総持寺の門前に出る

西国三十三所札所第二十二番 真言宗総持寺

毎年4月18日包丁式が行われる。開山中納言山蔭卿は本尊像立に際し、千日間に亘り料理を御供えした縁により包丁道の祖として、祀られています

ぼけ封じ普悲観音

弘法堂

山陰中納言御廟
お寺の北側の細い道を入ってJRの線路を越えたところ奥の院に

総持寺を後に西に進む

その先、右に茨木病院、左に大阪行岡医療大を見て進む

茨木病院を過ぎたところでJR東海道線に突き当たるので、左に折れて高架下を右に潜り、潜って右に折れて、線路の向こう側の旧道に出る

線路の対岸の細い道を逆に歩いて、茨木病院方向を見る。線路で完全に旧道は消失

細い道を、右にあいの三島保育園の前を西に進む。信号交差点に出る

西河原1丁目の信号、126号線を渡る。旧道はやや広くなる

左に三島中学校の越えたところの交差点

風情の残る西河原の集落に入るところ右に疣(ゆう)水磯良神社への参道入口であったと思われる 常夜灯二基

参道入口 茨木市西河原丁目6

常夜灯(左)の足元に 道標 「いぼ水」

集落の中ほどに お堂

その少し先で右にカーブする左角に 道標 「右 かちを寺 左 そうじ寺」

カーブしたすぐ先、昭和16年茨木川付け替え工事に伴ない西河原付近の安威川は直線化されたので、旧流域は西河原公園として残され街道に架かる西河原大橋も残されている

旧街道に架かる 西河原大橋

向って左に西河原大橋

すぐ先で、直線化された安威川にかかる西河原橋を渡る

橋からの安威川の右(北)と左(南)を見る

橋の先の旧道

三咲町で15号線に突当り旧道は消失するので左の高架下トンネルを潜り反対側に出る

15号線の反対側に出ると、お地蔵さん が並んでいる

反対側に出たところで、右に坂を下りすぐのところで左に折れる、左側にお地蔵さんが並んでいる
お地蔵さんの先で左に折れるが、右角に 道標
「右 丹波 すぐかちを寺 左 大坂」 「石によひ 右の道には 亀やまといふ」 「右 大坂 すぐそうちし 左 丹波」

 左に折れる先の旧道

辻の右側は15号線の擁壁

その先で道は細くなり小川沿いに171号線に出る

171号線に出たところ、その手前左に立つ 道標 「右 いはらき 左 そうち寺 道」

正面の細い旧道を出て171号線を左に20mほど進み、橋の手前で右に折れ堤防を進む。
ここで 福井街道 と合流する、福井街道は堤防を右から来て左に川沿(手前に)いに進む

 200m余り茨木川沿いに福井街道と重複しながら歩く

写真に撮れていないが、福井街道は右の配送センターの所で、右に堤防を下り分岐する(福井街道参照)

茨木川沿いに進み五日市で茨木川に架かる巡礼橋を左に渡るがその手前で、右の道を下り階段を上り巡礼橋を渡る

橋を渡る手前左の祠にお地蔵さんが並んでいる

巡礼橋を渡りすぐ右に折れて、名神高速道路の下を潜る

名神高速を潜った先で、直ぐ堤から分かれて左の小さな橋を左に渡り郡に入る

171号線の手前の四辻を左に曲がり、171号線の郡交番前交差点で横断して西に進む茨木市上郡山1丁目3

郡交番前交差点

 西への道

200mほど進んだところの交差点を左に折れる

左に折れて50mほどで右に折れる郡丁目7

ここを右に折れる右に折れた細い道を進む

100mほど先で交差点があり、この辻で 亀岡街道 と交差する辻

交差した亀岡街道、右(北)への道と左(南)への道

交差点の南西角に 道標 郡4丁目 

 更に100m余り進んだところ正面に、乗雲寺があるので、門前を右に折れる

乗雲寺

すぐ先に鳥居がある、郡神社への参道⦅寄り道⦆参道を左に進む

郡神社

元の鳥居まで戻り北へ住宅地の中を進む

鳥居から100mほど住宅地を進んでいくと、自動車道に出るので左に折れる。右から自動車道を茨木街道が合流してくる 茨木街道 と重複しながら進む

左から出てきてすぐ先を右に折れる

右に折れて街道を北西に進む 郡3丁目28

緩やかな坂を上り乍ら、左に池の堤が見えたところで右に折れる

右に郡小学校が見える、この辺りで急に強い雨が降り出し、歩くのを中止し暫く雨の止むのを待つ

郡小学校の前で道が分かれているので左の道を進んだところで一時雨宿り

何時までも雨宿りしておれないので小降りになったところで歩き出す右に池があり振り返る

西に方向を変え閑静な集落を進む

交差点を横断して少し坂を下りながら右にカーブする

道祖本で右から左への 西国街道 に合流宿河原で西国街道の 郡山宿 として賑わった宿場 茨木街道 はここが起点

向って西国街道が東北(正面)からくる、道祖本街道は右(東)から

歩いてきた道祖本街道

辻にある 三基の道標
大きい 道標(茨木街道起点)「茨木街道→茨木 三島江 枚方道」「国道第三号路線←池田伊丹神戸茶川高槻京都 道」 真中の 道標「左 かちをう寺 西国道」 右の 道標「右 茨木停車場 そうちじ 道」

宿の中を暫く西国街道と重複する

郡山宿本陣(椿の本陣)
京都と西宮を結ぶ西国街道沿いには、かつて山崎・茶川・郡山・瀬川・昆陽の五つ宿駅があり、郡山宿本陣は、その中央にあって重要な役割を果たしてた。この本陣は、1718年に類焼にあって、建物とともにほとんどの古記録が焼けてしまった。現在の建物は、1721年に、西国諸大名などの寄付によって再建された。
建物は、母屋二棟・土蔵三棟・納屋一棟・茶席一棟で、居間数は、茶席を含め二十五あります。また焼失前の1696年の宿帳をはじめ、和時計・関札・駅鈴・古文書・火縄銃・鏡丸製造具などが数多く残っている。
残された宿帳から、摂津・備前・備中・美作・四国の讃岐などの大名や、赤穂城主浅野内匠頭が宿泊し、また1865年7月15日に、明治天皇が立ち寄っている。
この本陣の正門の脇に大樹があり、見事な五色の花を咲かせたことから、いつしか「椿の本陣」と呼ばれるようになった。昭和23年12月18日に国の史跡に指定された。 (茨木市教委)

 暫く趣きある宿内の街並みを西へ進む

左に宿河原西会場に着いたところで、道祖本街道は右へ、西国街道は真っ直ぐと分岐する

宿河原西会場の前に 四基の道標
「すぐかちをうじ道」 「右かつをうじ」「儀誉大徳」「これ与右ハかつをじみち」現在折れているが元は「右そうじ寺 京 大坂道」

 宿河原西会場前から右に折れた先の道祖本街道

西国街道は真っ直ぐの街筋、道祖本街道は右に折れる

西国街道・道祖本街道東の宿場街並みを振り返る

右に折れた所から振り返る、西国街道と分岐点、正面宿河原西会場 宿川原町16

この辻で迷った、
 西河原集会所の前を曲がり西国街道と分かれ北に進み、すぐの勝尾寺川に架かる巡礼橋を渡り、見山製紙工業の西  側を通り171号線に出る道か。
 辻を曲がらずもう少し郡山宿の西国街道を150mほど進んだところで右の勝尾寺川を二つ並んでいる橋の手前の橋を斜めに渡り、信号交差点を横断して更に200mほど西に進んだところで、右に折れて171号線の豊川1丁目の交差点を横断する道が正しいのか分からない。

 の道を入り勝尾寺川に架かる巡礼橋
  この先、正面の見山製紙工業の左側を通り171号線にでるのでここから見ておく

巡礼橋からの勝尾寺川の眺め

橋の対岸から振り返る、細い道の正面突当りが西国街道を右に折れてきた辻

巡礼橋で橋の手前の川沿いの道が風情があったのでこの道を進んだ

橋の手前左に進んだ左に お地蔵さん が沢山集められ並んでいる

巡礼橋を渡った北側の堤道

先に説明した、橋が二つ並んでいるところに出て西国街道に合流し信号を横断する。
それなら何も川沿い歩かなくて西国街道を進めばいいのだから間違っている。
やはり巡礼橋を渡り北へ進む道が正しいのか分からない

手前の橋を斜めに渡り信号を横断し更に西へ西国街道を進む

交差点の横断した右に 

少し先で左に、 神社参道と燈籠二基

青い橋の向こうに鳥居があり石段が続く

神社参道燈籠のすぐ先で、西国街道は真っ直ぐ西へ分かれ、道祖本街道は工場建物の手前を右に折れる

右に折れたところの街道筋

のどちらが正しいか分からないが、多分どちらも間違っていないとする
相変わらず雨が小雨乍ら振っている

右に折れるところから歩いてきた郡山宿の街並みを振り返る

 の一筋東側の細い道を北に進んだ、この道の方が街道らしい

道祖神社 に出る

道祖神社の東側の道を進み171号線に出る
171号線に出ると、この道のつづきが正面に細い道で残っているので、左の交差点②からを横断して向かいに出る

左に迂回する交差点

正面の細い道を進む

171号線に出てきた道を振り返る

その先の道 突き当たるので左に曲がる

 の西国街道の辻からの道に出る。西国街道を分かれる所からここまでの道筋は結果どの道かわからない
右に折れて自動車道を進む

暫く真っ直ぐの西北に進む

右に須久久神社の参道と鳥居⦅寄り道⦆で右に入ってみる

北に参道を入っていくと 燈籠が二基 燈籠の傍に 天王山往生寺の道標

須久久神社

天王山往生寺

元の街道に戻り小さな小川を渡り進む

左に 

交差点を右斜めの自動車道を進むが、少し⦅寄り道⦆で左に曲がり、勝尾寺川を渡ると、豊川小学校の北側に,新屋坐天照御魂神社がある

新屋坐天照御魂神社

元の交差点に戻り、左の勝尾寺川に沿って進む

右の先に 知定寺 が望める

 その先、右に 道標「従是 右畑豊公御座松旧跡 すぐ勝尾寺 道」

ごてんば橋を渡る

すぐ先右に、春日神社

栗生間谷東2丁目でモノレールの下を潜る

モノレールの高架下を潜りその先の栗生谷東信号交差点

すぐ先、ふじむら動物病院のすぎたところを右に折れる

右に折れた道筋、大きな民家と雰囲気のある街道

北西への道を進む 

ここが通り越しやすい、左へ曲がる
左に曲がるとすぐ浦川に架かる浦川二号橋を渡る

橋を渡った角に 供養碑「大峯山上三十五度」

道を渡った右に 道標・地蔵と庚申塚(青面金剛)が並んでいる

振り返る

その先で府道に出るがその手前右に 地蔵と竹本直太夫の墓

府道を横断して左(南)への道を進む、100mほどの先右に、五宇神社があり、栗生間谷南交差点で、右に9号線を進まず、神社の南側の細い道を西に進む。

五宇神社

栗生間谷南交差点を右に折れる、右に折れた道筋で、すぐ右の細い道を入ると、右に五宇神社

右の細い道を入ったところで、左に道なりに進む

分岐を右の道を進む、すぐ先左に折れすぐ分岐を右に進む

そのすぐ先で四辻に出るが真っ直ぐ

四辻の南西角に 題目石碑 栗生間谷西3丁目

すぐ先で府道4号に出て左に折れる

左に折れた4号の道

ここにきて、街道が今少ししっくりこないので、元の題目石碑があった四辻に戻り、そこから西に向かって歩く。要は題目石碑の所で左に折れたことになる

正面から来てこの四辻を右に進む、右手前角に 題目石碑 が立つ 谷西3丁目18

西への集落内の細い道

左に下ると川にでるので、右への道を進む 栗生間谷西3丁目22

右に 天満神社 

天満宮の前で左に折れてすぐ右に折れると府道4号線に出る。結果的にこの道が正しいようだ

府道に出る手前左に お地蔵さん

府道を横断して左斜めの細い道を入る

右からの道と合流して左に曲がり進む

交差点を横断します

左に 楠木神社 が見えてきます 大きなムクノキ

奥地区の集落を通ります

左の奥自治会館の先で府道に合流します

府道を少し先で再び右の道に入ります

左に緩やかに曲がりながら再び府道に出る

府道に合流する手前右のいしがき内に お地蔵

西田橋交差点に出る、道祖本街道起点ここで 勝尾寺街道 に合流

府道4号 勝尾寺街道の道(北西へ)

勝尾寺街道は西国街道の栗生新家から北へ向かい山に入る町石道と勝尾寺川の谷沿いの道があるがここからは谷沿いの道を登り、勝尾寺に至るが、谷沿いの道は車が多く危険な道であった。町石道は快適な道

西田橋に立つ勝尾寺への 道標
勝尾寺と総持寺を示しているが、道標の支柱に黄色の看板がくくりつけられ見えない。少し心無いと思いますが如何でしょうか

道祖本街道、府道に合流したところ

道祖本街道 完歩

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