2015年9月13日
阪急淡路駅~亀岡街道との分岐点の菅原~高槻城跡南の土橋まで
高槻街道の脇街道、街道の半分以上は淀川の堤防沿いを進む。
淡路駅 6時20分 スタート
阪急高槻駅 14時20分 着
39.285歩 23.57㎞ 1708kl
阪急淡路駅スタートし、少し線路に沿って南へ進む、50mほど先で左に折れる。左の折れた左側に東淀川区役所があり、さらに東への道を100mほど進むと左に、光宝寺がある

淡路駅から起点への道

すぐのところで東西に通る広い道路が右から合流します。合流して広い道を300mほど東に進んでいくと

JR城東貨物線の高架を潜る

すぐ先で菅原1の広い交差点に出るので交差点の向こう側、コーナンの看板のある向かって左側の狭くなる道に入る

この道を入る、右に大きなクスノキと光台寺がある。その先すぐの十字路を左に折れる

右から 亀岡街道 が合流してきます

左に折れた20mほどで道は分岐する、その正面の角に
道標 「厄除安産 正観世音瑞光寺道 是余リ十六町 同江口道」「吹田 富田 茨木道」「すぐ大阪道」

この菅原の辻の分岐点を左に行くのが 亀岡街道(正面) 高槻街道支線 は右の道を起点として進む
正面は一柳家の立派な建物

起点から右の道を見ると、すぐ分岐しているが、高槻街道支線は左の真っ直ぐの道

100mほど進んだ先で左からの中央分離帯のある広い車道に出るので、斜め右に進むが渡れないので、信号交差点で横断、点前左はセブンイレブン。横断して右に折れ一筋目の信号交差点を左に折れる

ここの交差点を入ります

すぐ先十字路の手前の左T字路を右に入ります

右に折れてすぐに、十字路の道が左に合流して、真っ直ぐの東北への道を真っ直ぐ進みます

合流した辻を振り返ったところ

中央分離帯のある広い交差点を横断します横断した左に東淀川区役所を見ます

豊新3で信号交差点を横断、左手前にローソン

さらに150mほど先右に セブンイレブンがあります


すぐの分岐は左の道を進み、すぐの信号交差点を右に折れて東に進む

信号交差点右(東)に曲がった筋

広い車道の大阪高槻線の交差点に出ますので、左に折れ100mほど先で479号線と交差する広い大桐交差点に出ます

左手前にはデイリーカナートイズミヤがあり、交差点を渡ります

100m先で右の細い道に入ります。左一角は大阪経済大70周年記念館ギャラリーが建ちます


100m余り進むとT字路で突き当たるので左に折れる道ですが、この辺り旧道は残っていません

さらに100mほど先でT字路を右斜めに進みます

すぐ右は再びT字路となり左に折れます

左に折れる道ですが、すぐ右鋭角に合流してくる道でなく、北側の斜め右に分岐して進む道を入ります

100mほど進むと再びT字路となり右に折れます

そして120mほど先で、右T字路の左に折れる道がありますので曲がります

曲がるところの道筋の右角に 道標 「右 大どう村 大沢寺 左 江口 右 大坂」

道標はよく注意しなければ見落とします、入ったところ右に 祠 がありますこの辺り 大桐三丁目9

すこし進んだ左奥に 浄土真宗寶永山等正寺

街道沿い左に 浄土真宗三縁山西宝寺

すぐ左に林米穀店がありT字路となるので右に折れる

右に折れて20mでT字路を左に折れます。塀に大桐三丁目20の表示あります10m程で左T字路を右に折れます、50m程先で変則交差点に出ます

東頭地蔵尊とさいの神


大桐三丁目5

変則交差点で左に緩やかにカーブし、右(南)から道路が合流してきます。左にカーブする間は遊歩道になっています、ここに用水路がありましたが埋め立てられ現在「せせらぎの遊歩道」となっています。また「角頭橋の親柱」が残っています。そのそばには「乳牛牧跡」の碑も立つ。

角頭橋の親柱

左にカーブした右には大桐中学校

中学校の過ぎたあたりで緩やかに右にカーブします、左に公園があり、続いて大隅神社が見えてきます

大隅神社

大隅島に応神天皇の離宮、大隅宮があり天皇崩御後、里人が祠うぃ建てて帝を奉祀したのは始まりと伝わる

神社の前に頭だけの石は 道標

神社の先、T字路で左に折れる

右に 延命地蔵尊

左、みのり園の手前に立派な門のある家

少し先左に 真宗瑞雲山西福寺

その先で淀川の堤防下に出て左に折れる、右からの道と合流

淀川の堤防に上り対岸を見る守口市の八雲北町辺りになる

堤防から淀川に沿った北を見る。

堤防より下の道を進むと左に

子安地蔵尊

堤防下の道

地蔵尊から250mほど進んだ先の信号で、堤防下の道を右に分け左に進む。堤防上から見る

堤防上からの淀川の河川

左に進むとすぐ先左に 江口の里碑


普賢院寂光院 江口の君堂として知られている

謡曲「江口」と贈答歌
謡曲「江口」は、「浮世は仮の宿」とする大乗的な暗示を主題とした香り高い曲である。西国行脚の旅僧が摂津国江口の里に着くと里女と会い、昔西行法師が宿を借りた時の歌問答を聞かせて自分は遊女江口の君の化身であると告げて消え去った。旅僧が跡を弔っていると舟に乗った江口の君が侍女と共に現れ、舟遊びの様や歌舞を奏して楽しむうちに遊女江口の君は普賢菩薩と化して白雲に乗り西の空に消えるという筋を持ち、深遠な仏教の哲理を説く夢幻境の世界を見せている。
贈答歌(新古今和歌集巻十)
世の中を厭うまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな 西行
世をいとう人とし聞けば仮の宿に 心を止むなと思うばかりぞ 江口妙
(謡曲史跡保存会の説明)
題目塔 その左面に 遊女妙の歌
写っていなくて残念だが傍に 君塚と西行塚の塔二基

その先100m余り進み左にカーブします


カーブする右第二江口町会館内に 灯籠二基

すぐ左に 浄土真宗旅栖山光照寺

その東側奥に 真宗是久山光明寺

左の光照寺の前の道を過ぎたところ、左T字路の道がある

この道を200m程はいると神崎川にでる、かつての 江口の渡し跡。橋がなく渡れないので迂回します

でもチョット入って確かめてみます、南江口三丁目15

神崎川の江口の渡し跡 迂回して対岸へ行きます

先ほどの辻に戻り進みます

しばらく歩いた先右に 浄土真宗清涼山教徳寺

南江口3の町筋を進みます、この辺りは新しい建物ばかりです

神崎川の堤防道に出ます

少し左に堤防を進み神崎川に架かる江口橋を渡る

江口橋から神崎川の東側で、川沿いに歩き江口の渡し場跡の対岸に出ます

江口橋を渡り北詰の交差点を右に折れる

左側に 道標 刻字が読めない

神崎川の堤防の車道を進みます、右の大きな建物は大阪市環境事業局東淀工場です

江口の渡しの対岸に出ました旧道は工場に向かって左の横を通っていました

この先暫く神崎川に沿って車道を歩きます一つ目の信号

二つ目の信号交差点

信号交差点の手前角に
道標 正面「右一つや とりかへ 左へふました いはらき道」 右・左面とも「左 なから 大坂道」

交差点を振り返る、右手には大きなダイキン工場 この辺り一津屋2丁目

街道は真っ直ぐの147号線だが車が多いので右の神崎川緑地に入ることとする

交差点の右(南)は淀川と神崎川が合流するところで、神崎川の「一津屋樋門」がある

神崎川緑地の中を進む

一津屋2丁目で車道に出る

車道を少し進みます、100m程先で左に折れました。この先、車の多い車道に沿って歩くより、また単調な道なので、さらに一筋北側の側溝に沿った道を進みます

左に折れて50m程行ったところで右に折れた筋

右に 浄土真宗松龍山阿弥陀寺

お寺を過ぎた先は、側溝に沿った蛇行道を暫く東に進みます。この道の左(北)側は新しい住宅地で、右(南の淀川)側は一津屋の東西に細長い集落が続きます

一津屋2に入りますと右に 味生神社 味生神社の鳥居横に、旧一津屋公会堂で大正2年芝居小屋として建てられた


宮ノ下渡し跡(神社鳥居の横に「宮ノ下渡し跡」の説明板)
河内大庭大切と摂津嶋下郡一津屋村宮ノ下を結ぶ渡しで、戦国時代末の永禄年間(1558~69)から存在したと伝えられる、川幅も約300間(約550m)あったとされている。昭和二十九年の鳥飼大橋完成により姿を消した。鳥飼の渡しと共に、摂河を結ぶ重要な役割を果たした
宮ノ下渡し跡

若一王子宮

堤防の下の道より東を見る

側溝沿いの旧道

一津屋1右奥に 浄土真宗本願寺派清泰山誓源寺

鐘楼と恵照院殿 釋壽榮大童女の墓碑
元禄十三年(1700)六月、松平縫殿頭乗成が大阪城へ赴く途中に息女の急逝にあい役地であった一津屋の誓源寺にほうむり、墓碑を建て菩提寺として。宝暦二年(1752)菩提供養のため、松平家より梵鐘と鐘楼が寄進された。梵鐘は第二次大戦で供出されたが、鐘楼は当時のもので、格式が高く貴重な文化財

門前の 地蔵尊


やがて側溝は左に曲がるが旧道もそれに沿う

50m程で側溝が再び右に折れるので旧道も右に折れる。200m程先で大阪中央環状線・近畿自動車道により旧道は行きどまりとなるので、すぐ先の十字路を右に折れて淀川堤防下の道路に出る

堤防下の道路に出てT字路を左に折れて堤防に上る

鳥飼西地区に入る 鳥飼大橋北詰の道路下のトンネルを抜ける

トンネル手前から振り返る

高架下を潜った先

高架下を潜り振り返ると、大坂モノレールが並行している

堤防に上る途中に 二基の灯籠 が金網で囲って保存されています

堤防に上りこれからの進む道、幸い堤防上は車止めがされているので安心して歩ける。暫く単調だから左右の景色を見ながら進む

高架下より400m程先左下に 赤い鳥居の稲荷神社

鳥飼西4丁目あたり

鳥飼西1丁目左下に 浄土真宗鳥養山願正寺

願正寺の横の道は 市場街道の起点

ここはまた 願正寺の渡しがあった跡


願正寺の方に下りてみると願正寺の東側となりに 大堂 がある

少し北に市場街道を進むと側溝の橋がありそこから市場街道の北筋を見る

側溝の橋より淀川の堤防へ戻る。右に願正寺、突当りが市場街道と高槻街道支線の合流点

さらに堤防上を400mほど進むと鳥飼下地区に入る。堤防より左下に 藤森神社の石の鳥居 遠望に森が見えるのが、藤森神社 また、市場街道は藤森神社を経由してここを起点ともした。

またこの辺りに、鳥飼の渡し場跡 で昭和50年まで存続していた、対岸は寝屋川市仁和寺付近この起点は市場街道を歩いたときに詳細があります。

堤防より左150m程先に 安楽寺

左下には 間柳山善勝寺

堤防上には、千本つきの歌の石碑
千本つきには調子がござる足と手と口三拍子
淀川はたびたび氾濫して付近は洪水にみまわれた、明治に入り本格的に堤防工事が開始され、そのとき千本つきといって地固めの作業で単調であったが、村ぐるみの参加で、いつかこの歌が歌われた


前方右に鳥飼仁和寺大橋が見えてきた、昭和62年(1987)2月開通

堤防左下に 妙楽寺 この辺りは鳥飼下地区

右はズーと河川公園が続く、橋の手前で車両通行止めが無くなる

堤防の左下には淀川河川公園鳥飼サービスセンターの建物があり、進んできた道を振りかえる

鳥飼仁和寺大橋の手前の右T字路の辻は、枝切(小坂)街道 が左から合流して、かつては淀川の渡しを渡り対岸の仁和寺本町へ渡っていた。淀川は沢山の渡しがついていた

仁和寺の渡し跡 橋の西側を平行して仁和寺の渡しがあった

小阪街道の堤防の突当りから渡し跡をすぎて、鳥飼仁和寺大橋有料道路の高架下を潜り振り返る

高架を潜った先の堤防上

すぐ先左下に 長音寺

右後方の河川公園と鳥飼仁和寺大橋

すぐ右の堤防上に新しい 淀川距離標 道標 「河口から20㎞」

鳥飼中1丁目あたり、綺麗な堤防道が続く

150m程左に 勝安寺 が見える

暫く堤防を進む、鳥飼上1丁目を過ぎると左150m程先に 浄土真宗法身山誓覚寺
この街道筋大半は浄土真宗のお寺がせめている


続いて堤防下には 浄土真宗宝耀山西誓寺

その先暫く進んだところで、高槻市桂本に入る

桂本に入りすぐ左に、府立とりがい高等支援学校が見える

なおも延々と街道は淀川堤防上を歩く、長い距離です

前方に淀川新橋が見えたところで、堤防より左に下る

やがて淀川新橋の高架下を潜ります

高架を潜り再び堤防に上ります

幸いここも車通行止めの柵があり安心して歩ける。近くであれば毎日の運動場所にいいです

右側には桂本の京阪GCが広がる


堤防を真っ直ぐ行ってもいいが、左に下り京阪ゴルフクラブハウスの前を通る

また堤防の左下側の道を暫らく進みます

堤防より左150m程の所に 顕本法華宗圓妙山長栄寺 豊臣秀頼家臣の大野主馬開基の寺


街道に戻って少し進んだ左奥に 浄土真宗中牧山法光寺


法光寺の西には 浄土宗抜苦山興楽寺

境内の 慈母観音像

境内の 道祖神

法光寺の東側の堤防上には くらわんか舟発祥地の石碑


昔から、淀川は大阪と京都を結ぶ交通の大動脈として、多くの舟が上下していた、大坂夏の陣(1615)のときに徳川方に協力した功によって、淀川を上下する舟に、食物を売る特権を与えられたのがくらわんか舟で、後に地の利によって、枚方の方が繁栄したが、発祥の地は、ここ高槻桂本といわれ、桂本茶船記録に書き残されている(説明文より)
その先堤防下の道を数十mの先で左に折れ、10m程で再び右に折れる道を進む。桂本集落内に入る

右に折れた北への道

100m余り先の十字路を右に折れます

その先、緩やかに左にカーブして堤防下の道を進みます。この辺り、桂本1丁目36

左に桂本グリーンハイツ、さらに堤防下の道が続きます

三島江4に入ると、側溝のある十字路で道は20m程堤寄りにまがり並行してきた最も堤下の道に合流します

左100mほどに見える 碧流寺

堤防上の道を暫く進みます

堤防下左に見える 真光寺

200m程先で三島江でかつては 三島江浜 と呼ばれた河港がありました。
またここは 馬街道の起点 でもあります。正面の道が馬街道終点です

馬街道との合流地点の堤防から、かつての三島江河港方向を見る。対岸は枚方市出口

堤防下の馬街道起点には
道標「台座に右 神峰山寺毘沙門天道 此所三島江村ふねあがり場 是より二里半」「左 妙見・・・」


妙見灯籠

案内標示が多く立っている



歌枕の里 三島江
三島江の玉江の薦を標めしより
己がとぞ思ふいまだ刈らねど (万葉集巻七)
三島江は、まず万葉集に芦や菰の生い繁る淀川の光景としてあらわれる。そしてこれ以後淀川の三島江(玉江)は、玉川の里の生活感あるたたずまいに対し、清麗な自然を表現する歌枕として、大宮人に意識され定着した。
かつて三島江には河港があった、対岸枚方市出口との渡し口として、また江戸時代~昭和初期には富田・茨木と大坂・伏見を結ぶ舟運で栄え、三島江浜と呼ばれた。また出口から三島江浜へ渡り神峰山寺や能勢妙見山へ参詣した。毘沙門天道標・妙見灯籠はその名残りである。
時代の変化に伴い昭和27年淀川の改修も加えその役割は終え、今はその面影ははるか遠い郷愁となった。
(高槻市教委説明より)
歌枕となっている一例
夏刈の芦のかりねも哀れなり 玉江の月の明がたの空 新古今集 藤原俊成
みしま江の波に棹さすたをやめの 春のころもの色ぞうつろふ 拾遺愚集 藤原定家
三島江や玉江のま菰みがくれて めにし見えねば刈る人もなし 金槐和歌集 源実朝


三島江を後にして唐崎に進む

左に三箇牧小学校・市立三箇牧幼稚園を見て進むと唐崎地区に入る

堤防上左に 築堤碑
慶応四年(1868)明治元年5月堤防が決壊し、付近165ヶ村に被害がでた、改修工事が10月に完成したのを記念した碑。その隣には、
修堤碑
明治18年6~7月にかけ大雨で淀川左岸が決壊。これにより左岸も右岸も改修工事を行い翌19年3月に完了した記念碑

唐崎中に入ると堤防道から左に下りますがどの道が旧道なのかチョット判りません

堤防上より左に下ります


下ったところで道が分岐しますが、左に案内柱があるのでその前の道左に進みます

右に唐崎の集落が一段低く続きます分岐から100mほど進むと右に説明板があります。その右下にも集落内を進む道があり先で右にカーブしながら、唐崎浜に進む道があります

唐崎過書浜跡
唐崎は、淀川中流右岸に位置する。地名の由来は、古代に唐船が停泊した河岬、あるいは、大陸からの渡来人がこの辺りに住んだことによるといわれている。戦国時代には、「辛崎」とも記されている。唐崎の芥川河口にあった入江は、江戸時代には「唐崎浜」と呼ばれ、南に「三島江浜」とともに淀川の主要な河港であった。浜には荷受け問屋の蔵が建ち並び、時には百石積みの帆前船が発着するなど、大いに栄えたという。
しかし明治41~42年の築堤工事によって入江はなくなり、一帯の地形は一変し、旧堤防(現在地)は廃堤となり削り取られた。(高槻市教委説明より)
右下の道が正しいか、真っ直ぐが正しいかわからないので、とりあえず真っ直ぐ進みます。でも唐崎浜に向かう人は右の道を進んだことだろう。また茨木街道や高槻街道支線で高槻に向かう人は真っ直ぐ行ったのではないだろうかと想像します
この交差点は真っ直ぐ進みます

次の二筋目の唐崎中2丁目の十字路では、向こう(北)側からくる 茨木街道 と会い、茨木街道は向かって左に曲がります。高槻街道支線は真っ直ぐ進みます

茨木街道が西に進む道(正面)、高槻街道支線は左から進んできた

茨木街道との合流点から一旦元の説明板のあったところに戻り、右下の道を進み、唐崎浜の堤防に出る
堤防から東南方向

堤防から北東方向でかつての唐崎浜

淀川とかつての唐崎浜

淀川の堤防と鷲打橋、かつては橋の手前唐崎浜に 茨木街道 が渡っていたが、現在は橋を渡り対岸へ

堤防を下りたところの変則四差路の辻の西角に唐崎浜・三島江浜の新しい 道標
茨木街道は堤防に沿って100mほど進むと、鷲打橋西信号交差点に出るので西に折れて高槻街道支線に合流し、さらに分岐して西へ進んでいきます

堤防下の標柱の道標がある辻、正面が堤防でかつての唐崎浜への道付近

再び標柱から100m余り西に移動して、高槻街道支線の道に戻る。茨木街道が西に分岐する辻に出て、30mほど進むと右からの茨木街道が合流してくる、左T字路に出る。真っ直ぐが高槻街道支線、右からの道が茨木街道

右の茨木街道の道筋、少し入っていくと

先で、道が民家の間の狭い道に変わる

その先で、先ほどの鷲打橋西の信号交差点に出る唐崎浜の探索は終わり元の街道に戻り進む

100mほど進み、唐崎北3で交差点に出ます。丁度交差点のうえを東海道新幹線の高架です。街道は真っ直ぐ北に進みます

高架を越えたところから振り返ると、正面向かって右から街道は来ました。車道を進むと鷲打橋に出ます

唐崎北地区を暫く進みます唐崎でやっと淀川に分かれ、芥川に沿うことになります

右にカーブして芥川の堤防に近づきます

やがて右からの堤防上の道が合流してきます

堤防に上り振り返ったところ、正面右を上ってきた、前方に鷲打橋が見えます

合流してすぐ先で、14号線の高架道路を潜る、右の芥川の堤防を進む

堤町付近で、左堤防下の芝生集落を見て進む

左100m余りに 浄土真宗瑞龍山光永寺

右に芥川に架かる次郎四郎橋を見て堤防を進む。または、次郎四郎橋を渡り対岸の堤防でもよい。私は橋を渡らず進みます四郎次郎橋は道祖本街道の起点でもある

すぐ先で堤防より左の緩やかな坂を下ります

下ったところで道は左に折れるが、再度右の地道を上り堤防に出る。道祖本街道 は左に分かれていく

すぐ先の堤防左下に 八幡大神宮

堤防の斜面を上っていきます

再び芥川の堤防を進みます。舗装がされてなく地道です

やがて16号線の車道に合流、街道は右に折れて、芥川に架かる芥川大橋を渡る

茶川大橋を渡る

橋より北側(左)の眺め。橋を渡り16号線を100mほど進むと、右にローソンが見えるので、その手前の道を右に折れます


右に折れて100m程先で、小さな川を渡り川に沿って左に進みます。右は味の素パッケージング関西工場の道を振り返る

工場の傍の細い道を進む


細い道を抜けると東西の車道の十字路に出るので、右角に立つ黄色い建物の横を進む


十字路から150m程先の十字路を右に折れます(青い屋根の民家の手前)

右に折れて住宅地の道を東に真っ直ぐ進みます

やがて小さな川を渡った左角に、立派な塀を要した大きな建物があります

川から50m程先の十字路右角に 下田部の高札場
江戸時代後期頃に建てられたとみられ、当時のものとして市内に現存する唯一の貴重な文化財

高札場の袂に 道しるべ石
高札場左下の 標石は、高槻城下六口の一つである大坂口に設置されたもので、右側の面に「左 高川き京ミち」左側の面は、「右 大坂」と刻まれている。石材は花崗岩で、裏面に矢穴痕がみられるところから、高槻城の石垣石を転用したものと言われている

街道は高札場の十字路を左(北)の細い道を入りますが、その東側に 浄土真宗金剛山一心寺 があります

左に入る道

すぐ先右に 上宮天満宮 下田部町1丁目22


さらに下田部の旧家が並ぶ集落内の道を進みます

左に 大将軍神社 村の鎮守としての産土神

側溝にそって北に進んでいく

側溝が左に離れていく辻で北への道を進む

右(東)は城南町、左は高西町を進むと、車道の交差点に出ます。左角がサンディ真っ直ぐ進みます 城南町1丁目2

土橋町6 この辻で 高槻街道支線が終点(起点) 東西の道が 高槻街道
近くの高槻城址まで歩きます

高槻街道の西の道筋

高槻街道東の道筋

東に200mほどいった十字路

少し先で左T字路を左に曲がります

00mほどで十字路に出ますので真っ直ぐ 土橋町2

やがて高槻城公園に突き当たります

高槻城跡 建物の遺構は残っていません

キリシタン大名 高山右近の像


高山右近天主教会堂跡


永井神社


教会前の高山右近像


高槻街道支線 完歩



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