牛滝嶺道

2012年8月19日 1日目
岸和田駅近くの北町、紀州街道分岐点~包近の集落で府中からの牛滝道と合流

今日は暑くなりそうで熱中症に十分注意しなくてはいけない。昨日は雷雨で沢山の人達が死傷しているので注意が必要。牛滝嶺道は葛城山越えで紀州大和街道に通じるが、粉河越道を歩く時に葛城山から先の下りを歩くとして、葛城山の山頂までとするが、今日は牛滝道との合流点の包近までとして牛滝道を歩く。
        岸和田駅スタート  7時35分   
        包近着     11時34分
           20.257歩 12.15km 839kl

2012年10月13日 2日目
包近~葛城山頂

自宅4時20分車で出発、南海岸和田駅近くの駐車場に車を預け、岸和田駅前発のバスで包近バス停まで行く、バス停傍の街道を前回に引き続きスタート 
          包近スタート    6時40分
          和泉葛城山山頂  11時40分完歩
             25.255歩 15.15km 1.070kl

この街道は国道に重ならなくて、街道面影が随所に残る素晴らしい道であった。至る所に旧家の家も残っており歩くに飽くことのない道であった。
山頂から引き続き、水間道を戻る(水間道参照)

2012年8月19日
包近~和泉府中駅

牛滝嶺道に引き続き牛滝道を歩く。
        包近スタート   11時40分          
        和泉府中駅着   14時      
           11.183歩  6.7km  467kl

2012年8月19日のトータル
       31.257歩  18.85㎞  1.306kl

南海岸和田駅

牛滝嶺道は岸和田~牛滝~紀州への道。額原から久米田を通り包近にて府中からきた牛滝道と合流して牛滝山への道。

岸和田駅前の商店街を進む

朝早くから法被姿の人が沢山出ている、岸和田だんじり祭りの今日は朝の6~8時まで各所で神輿の入魂式の日だそうだ

岸和田駅の北側を通る紀州街道に出て西南に街道を進み、北町の39号線の広い道路の交差点にでる。紀州街道は分岐まっすぐ39号線を横断して西南に進む。牛滝嶺道は広い道路の交差点を左に

祭りの提灯が所狭しと各箇所に立てられている

この交差点を起点に紀州街道から分岐して東南に進むが道が拡張され新しい商店が並ぶ。この交差点に欄干橋があり、39号線の左側に商店に沿った道を100mほど進む

欄干橋
この橋は水清き古城川にかかる上手の橋を茜屋橋、下手の橋を船津橋と呼ぶ。
かつては紀州街道の重要路の一つ。いつの頃よりこの橋を欄干橋と呼ばれこの辺りが城下の中心街であった。
この橋は往時この地方の「道路元標」ともされていて、他町村より欄干橋まで何里何町と表示されていた。
大橋の少ないこの街に固いものの代名詞であった石でしかも欄干まで附いた立派な石橋で出来ている。当時としては大変珍しく、次のような俗謡が今も伝わっている。
      石の欄干橋ドンと踏めば
          にくや雪駄の一緒が切れた
江戸時代には岸和田藩の参勤交代の行列初め紀州藩、熊野詣での道として時代を見つめてきたことだろう(説明文より)
起点の欄干橋を39号線に沿っての道

100mほど先で左の道に入る

曲がる右角に新しく建て替えられた高野山真言宗 薬師院

隣には真言宗 高見観音

左に折れた道筋。80mほど先で右に折れるこの辺りは五軒屋町

右に折れる更に80mほど進み左に折れる

  左に折れる右に 道標 道標と古民家がよくマッチしている

道標の辻を左に折れて150mほど進む

途中右五軒屋町の交差点の一筋北側の交差点を真っ直ぐ進む

150mほど先で道なりに右にカーブ

204号線の筋海町交差点を横断

60mほどで右角、西出薬局の交差点を左へ

左へ曲り200mほど進むが途中、右に井上医院の前を通り230号線の交差点に出て信号を右へ

230号線を真っ直ぐ南東へ歩く、前方に南海本線の高架が見える

岸和田天神宮前交差点で南海本線の高架を潜る、この辺りまでが旧沼集落であった

南海本線の高架を潜る手前右に浄土宗 浄光寺

お寺の前に 六体地蔵尊兼道標お堂の中に道標も含まれている

踏切を越えると別所町に入る左に人が集まり、山車引きの練習をしているようだ

道路右手には 岸和田天満宮の参道が続く

かつては菅原神社と呼ばれていたがつい最近名前が変わった。本殿も建て替えられている

高架より200m余り進んだところ、別所町交差点に出るので左に折れる

100m余り進んだ左角に旧牛滝道の道標とここは一本松跡

一本松跡を振り返る左の道を進んできた

信号交差点を横断して進む

 信号交差点から60mほど先で道が分岐するので左の道を進む

分岐する突当り角に 地蔵道標 「右 牛滝近みち 左 まきお山四り」 左に進み大きく右に緩やかにカーブする

左に岸和田市立産業高等学校

その先100mほどで、第二阪和国道の八阪町交差点の下松地下道で横断する

地下道を潜り横断したらすぐ左に、国道と少しだけ左に見て進みすぐ国道を左に分け右に離れていく

左に関西マツダの販売店を見て進む道200mほど先で道は大きく右にカーブする

少し⦅寄り道⦆で左に曲がらず真っ直ぐ200mほど先に、三輪明神・照友神社

元に戻り進むと右に大きくカーブする、左にはダイキ、オオクワ店が並ぶ
その先で右にカーブして五差路の信号交差点に出ると、右に岸和田下松郵便局、街道はほぼ真っ直ぐの東への道を進む

すぐ先の交差点を真っ直ぐ進みその先100mほどで広い道路の交差点に出るので旧道は真っ直ぐ。交差点を右に行けばJR下松駅

その先で、春木川に架かる下轟橋を渡る

すぐ先でJR阪和線の踏切を越える

踏切のすぐ先間違いやすい辻、額原の集落の細い道を右に入る

右に入る狭い街道

短い期間だが街道の雰囲気が残る集落内少し先から路地を振り返る

路地に入り100mほど先で、熊野街道の十字路に出る

熊野街道の右(南西)への道筋

熊野街道の左(北東)への道筋

交差点左向かいの旧家の塀際の  

交差点右角に三基の 道標

道標を右にみて狭い道を進み左にカーブすると、T字路となり左からの道に合流して右へ

⦅寄り道⦆街道は右に折れるが、少し左に折れてすぐ右に入る道を進むと
浄土真宗碁石山 浄行寺

元に戻り東に真っ直ぐな道を100mほど進んだ左に大きながある読めない

街道情緒が残る額原町を進む

池尻町の住宅地が建ち並ぶ間の道を進むとやがて緩やかな坂を登りきると、大小⒑数基の古墳で構成される
久米田古墳群の中を通る

久米田古墳群

なお、群中最大の貝吹山古墳は全長135mの前方後円墳で国の史跡に指定されており、墳頂には一基の宝篋印塔が建っている。橘諸兄の墓ともいわれている。

貝吹山古墳

古墳の傍のお地蔵さん

綺麗に整備された古墳群

古墳群を左に見て緩やかな坂を下る

坂を下る先に久米田池が見えてくる

右に 延命地蔵尊

やがて久米田池に突当り左に曲がる

左に曲がる辻の左角に久米田寺石造五輪塔鎌倉時代の三基光明皇后・聖武天皇・亀山天皇の追福塔といわれている

街道は門前の信号交差点を右の久米田池に沿って進む。左の道は 久米田道でここが起点(久米田道参照)

多宝塔 平成15年に再建された

靖霊殿 昭和32年法隆寺夢殿を参考に建立された

大門  江戸時代中期の宝永三年(1706)に再建された

高野山真言宗隆池院 久米田寺  
久米田寺は行基四十九院の一つに数えられている、天平10年(738)に久米田池の維持管理のため建立した隆池院に始まる。その後一時荒廃したじきもあったが、南北朝時代には両朝から保護を受け繁栄した。江戸時代より真言宗寺院となり現在に至る。

金堂  江戸時代の明和7年(1770)に再建された本尊は薬師如来、脇侍は、普望・文殊の菩薩立像

大師堂  文政7年(1824)に建立

開山堂(行基堂)  毎年、久米田池の恩恵を受ける地区の「だんじり」13台がお礼参りのため境内の行基前に集合する祭りが圧巻だそうだ 

塔頭の一つ龍臥山 多門院

塔頭の一つ 妙王院

塔頭の一つ 華厳院

久米田寺の西側に 光明塚古墳 光明皇后の遺髪が埋葬されたとの伝承されているが、久米田古墳群の一角であり伝承にすぎないだろう

再び境内に戻り一番北側の塔頭の一つ 五大院

境内の西にある 行基墓 行基が喜光寺(菅原寺)で没し分骨されここに埋葬されたと伝わる

久米田道への街道

見学もようやく終わり、池に沿って暫く進むと左に 火消地蔵尊

久米田池  
周囲約4㎞の溜池で府の史跡名勝に指定されている。神亀二年(725)に行基によって開かれたという。14年の歳月をかけて完成し1200年以上の歴史を持つ。この池の北西に久米田寺が建つ。
周辺の田畑に水を導く取水施設「樋」は、一番樋、二番樋、三番樋の3ヶ所にありここが一番樋に当たる。

綺麗に整備された堤道雲が池に移り美しい

池の東端で池と離れ東に進みます

池と離れて東に入った道

右に栄川が沿う、岡山町(旧新在家村)集落の南の丘に岡山御坊跡がある。現在は跡のみ

栄川に沿って左にカーブする

すぐまた、栄川に架かる橋を右に渡り進む

暫く進んだ右に 水沼大明神

街道より200mほど東に⦅寄り道⦆入ると 岡山戎神社

街道に戻り岡山の集落を抜けて暫く進むと、牛滝川に架かる念仏橋を渡る

右の牛滝川に離れず南東に進む

150mほど進むと右に宮前橋

右斜め牛滝川の対岸に、 楠神社の森が見え

川の東側の道を進む、この辺りは新しい住宅地で最近まではミカン畑の中を進んでいた

その先で左からの新道と合流して右へ

包近集落に入り、左に包近公園をみて包近北交差点に差し掛かる

すぐのところに包近バス停

100mほどの先の信号で左から 牛滝道が合流してくる。(牛滝道参照)

合流地点角に 祠と道標

道標  「右 さかひ 左 きしわだ」

合流辻を振り返る、右から牛滝道

この先の 牛滝嶺道

この先進むと時間的に無理なので今日はここ包近の合流点で終了し、牛滝道を歩き和泉府中まで戻る。牛滝嶺道の第一日終了しましたが。
資料整理上、この先の牛滝嶺道を引き続き説明させていただきます。

左に溜池を見て進む

池が過ぎ少し歩くと、左に村上薬房がある所の交差点を左斜めに入る

左斜めに進んだ旧道山直中の集落に入る

その先で変則五差路に出るがほぼ真っ直ぐ、やや右斜めの道を進むと右から二つ目の道

その集落内の交差点地蔵六体の収めた 辻堂その中の一体が 
道標 で 「右 うしたき道 左 松尾槇尾道」

左に小さな小川沿いに進む

先ほど分岐した新道が右から交差するが、新道を横断する

横断してすぐ先で右からの集落内の道と合流して左に進む

山直中の集落を抜け、旧道は短い坂を下ると左に田園地帯に入る

右手に文化二年(1805)銘の市の重要文化財に指定されている、 宝篋印塔

稲葉町に入り、川沿いの細い坂道を進む、

字路で右に稲葉橋を見て渡らず川岸を進む

稲葉町の旧道が残る

川沿いの細い道を進んでいくと右の市立山直南小学校の前で、先に分岐した道が左から合流する

小学校の校門の傍に猿三体と碑なんだろう創立100年記念碑だった

200mほど先で稲葉町の交差点に出るので真っ直ぐ交差点から100mほど先の交差点で新道を分け右に折れる

右に折れたすぐ右に、菅原神社の参道石

細い道を進む

左の狭い旧道を進む、左に道なりにカーブ

旧集落内に稲葉町の 薬師堂跡と宝篋印塔宝篋印塔は南北朝時代の石造り物
薬師堂と呼ばれる小堂多くの石仏類が祀られておりその中に各柱と地蔵の道標がある

立派な門構えの民家

積川町に入り素晴らしい旧道の面影の残る道

旧道の雰囲気を楽しみながら少し歩いた先で、左からの道と合流して右へ

合流する道の両側に 

稲葉と積川の町境で、両側の祠は永禄の年号の古い地蔵や石祠・阿弥陀如来石仏

正面の祠の間の旧道を出てきたところを振り返る

右に煉瓦の煙突が見える、酒造業かな大きな建物

小川の流れる大きな古い建物に沿って進むが往時にタイムスリップしたようだ

何をされていた家だろう、とにかく大きく年代を感じる何時までも残していてほしい建物

長屋門の中には萱葺の主屋か

隙間から覗かしてもらった、現役に住まわれている

塀に沿って緩やかに坂を下る、まだ塀が続いている驚きゆうに100m以上ある

蔵も大きいただ驚くのみ

旧道はその先で右の低いところを積川が流れる、川を渡らず左に川に沿ってカーブする

街道は橋を渡らないが橋の向こうに があるので行ってみる祠の後ろの高台に大慈山 朝光寺

境内の 石仏

お寺の高台からもう一度大きな家を見るが、敷地内の竹藪が邪魔をして少ししか望めない

街道に戻り集落内を進む、その先で左に折れているがかつては真っ直ぐ道は進み、積川の支流深山川を渡っていたようだが今は消失

左の新道に出て右に折れる

右に折れた新道だが、新道といっても年季が入っているようで、道の両側には先ほどの大きな家に劣らないような家がある。でも年代は新しい

すぐ先で深山川に架かる高橋を渡る

写真の右手に前述の消失した旧道が出てきていた

橋を渡り左前方を見ると積川神社の杜

積川神社 和泉国五社の一つ

本殿 は三間社流れ造り(国重文)

神社の先で左に少しカーブするが新しい道に変っている。左に宮川橋南交差点を左に見て真っ直ぐ進み。100mほど先の外環状線の積川神社南の交差点を横断して南に進む。交差点を越えた左道沿いに溜池がある

 外環状線の積川神社南交差点を横断

100mほど進んだ先で内畑町に入り右の旧道に入る

右に入る左角に 石祠

右の旧道を進みます

左に山直中学のある交差点を真っ直ぐ進む

右に牛滝川が迫り、右遠望に山直神社が有るが見えない

その先で左からの新道40号線と合流して右へ

左からの旧道を出てきたところ

合流して100mほど先の信号を真っ直ぐ両側に旧家が並ぶ

更にその先の信号、右に山滝小学校

更に150mほど先で内畑町信号交差点。右から水間方面からの 槇尾道が交差する右に長屋門のある大きな旧家

交差点左角に数基の 地蔵と祠、道標 「若樫不動・・ 是ヨリ・・・・」

交差点より槇尾道を見る

内畑町交差点を振り返る

牛滝川の支流の橋を渡る立派な旧家が残る、この辺り旧家が沢山残っているので歩いていても飽きない旧内畑の集落の中心

左前方にまた大きな家の白塀が見えてきた

立派な長屋門の旧家、町では見ることのできない情景

すぐ先で旧集落内の右の道に入る

内畑集落内の旧道を進む素晴らしい

右に牛滝川が迫ってくるところで左から40号線が合流する

前方に阪和自動車道の高架が見える。左に分岐して坂を上る道があるが真っ直ぐ自動車道を進む
高架の手前で、牛滝川に架かる牛滝橋を渡る

内畑を過ぎて道は牛滝川に沿って狭隘の谷の道を登っていく、内畑から大沢への区間は「切貫き」と呼ばれた難所であった、今は舗装もされ牛滝川沿いの自動車道となっているが、かつては厳しい峠越えの道であったことだろう。
橋を渡ったすぐ右に、地蔵堂

堂内には多数の地蔵や近世の六字名号碑が安置されている。堂前には享保銘の灯籠・宝篋印塔が建っている

歩道のない山間の道だが幸い車があまり通らないので楽に歩ける

下大沢集落に入り、この辺りは林業で製材所がある

バラバラと建った集落を暫く進んだ右に 道標 「右 ・・・みち 右 みつま・・」

その先で右への道があるが、この道が旧道かわからないので40号線を進む。前方から歩いてきて道が分岐しているところを振り返る

すぐ先で牛滝川の支流を渡った先右手に 手越井地蔵尊

地蔵堂より100m余り先、十字路があり左岸和田GC入り口

100m余り先で堂脇バス停

先ほど右への分岐する道がここに出てくるが、果たして旧道か辻を振り返る

山間の細長い下大沢の集落のはずれ右にある 大澤神社 

神社の先で少し左にカーブする神社のすぐ先小さな小川を渡った右に
的場地蔵菩薩 堂内に石仏や六名名号碑があり、そのうち二体が他地区より移された、

下大沢から上大沢集落に入る

集落に入る手前右に浄土宗 転法輪寺かつては真言宗の寺で役小角の開創と伝えられる葛城修験の霊場であった

牛滝川を渡る橋の手前袂に 

橋の南側(祠の背後)にかつての旧道の跡が残る

祠を右に橋を渡り先に進む

少し先右に阪和用土センターがあり道は分岐するが右の真っ直ぐの道を進む

更にその先左から道が合流する、上大沢のバス停

合流する左角に 

上大沢の集落を暫く進むと左に赤井山 勝福寺

暫く進んだところで、少しの間左に回る旧道が残る新道に合流したところが、本田口バス停

暫くは山間の道を歩く、前方に峠が近くなってきた

右に大藤工業所の建物がある所で、紅葉橋を渡り牛滝川の西側を進む紅葉橋から大威徳寺まで約1㎞、かつては紅葉橋を渡り川沿いに旧道があったようだが今は廃道となっている

紅葉橋から対岸の牛滝川を見る、川の対岸に道らしき跡が残るが旧道であったのか分からない
右に道が分岐する角に 地蔵道標 寛延二年(1749)銘の角柱の石碑と 「これより八丁 法界」

左への旧道跡で歩けるか進んでみる

旧道はとにかく川沿いにあったようで整備されているので正しいかどうかわからない。

川沿いの道を進むと正面に月の輪橋が架かる

その向こうに牛滝温泉いよやかの郷の建物が見える

牛滝温泉の手前で川が右(西)からと正面(南)からが合流していてその境に牛滝温泉の建物がある。西の川に沿って(牛滝温泉を左に見て)進むと新道の自動車道に出る。

新道に出る左角に 

左に折れて道を進む

 があります

傍に牛滝山バス停終点

バス道はここで終わりそのまま少し進むと、大威徳寺に入る
天台宗牛滝山 大威徳寺 古くから葛城修験の霊場として知られ、大威徳明王・不動明王・阿弥陀如来の三尊を本尊とする古刹。最近では紅葉の名所として賑わう。

多宝塔(重文) 永正年間の建立とされた三間二層の多宝塔

境内には 道標と町石各一帯の地蔵があるまたを見学してみる

滝への道

二の滝へ

二の滝

三の滝と二の滝

錦流橋からの滝見

滝は一の滝 落差10m  二の滝 落差5m  三の滝 落差10m  錦流の滝 落差7.8m

錦流の滝

大威徳寺の見学も終わり、手前の登山道を登る

木組みの急な登りから再スタート

道沿いに地蔵町名が残っている、像の右側に紀州側から大威徳寺に至る距離を刻み、江戸中期のものと推定されている。

説明が難しいので写真を参考にしてください

登山口の階段

ここから山頂まで3.5㎞

この辺りは快適な登り道

九丁地蔵

十丁地蔵

珍しい前方に登山者が歩いている

十一丁地蔵

十二丁地蔵

思っていた以上に素晴らしい、良く伐採整備された樹林で足下まで陽が入り明るい

何丁地地蔵か分からない

素晴らしい旧道(登山道)

十七丁地蔵

葛城山頂まで2.7㎞

それぞれ皆お地蔵さんの顔が違う

二十一丁地蔵 この先林道と重なり登る

林道に出ました、今までの旧道の雰囲気が一気に無くなる

山上まで1.3㎞

丁石地蔵も無くなり、風景が一変

山頂の十字路に着く右の道を進む。真っ直ぐ下るのが紀州側の粉河嶺道

山頂は舗装までされて車でここまで来れるようだ。余り車が走っていらない

十字路の左は縦走路

右の折れて少し上っていくと

葛城山頂上 やはり車が数台止まっている

頂上の 葛城神社、山頂は標高857m、葛城一言主神を祀る八大竜王社がある。大阪側はブナ林で視界がないが、和歌山側は眼下に紀ノ川が望める。

牛滝嶺道 はここで終わり、水間道と粉河越道 に引き継ぐ

                  牛滝嶺道 完歩

  

 

 

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