大津街道

2013年6月16日

南海河内長野駅前~泉大津駅西の田中町で・紀紀州街道分岐

河内長野駅前西側で高野街道と分岐起点~南西に野作町で滝畑街道と交差~天野山金剛寺東側・天野街道起点~西へ和泉市に入り~国分町・国分峠で父鬼街道と合流北西へ~和田町で父鬼街道分岐~室堂町で泉北鉄道・阪和自動車道を渡り~阪本町~府中町で熊野街道・牛滝道交差~JR和泉府中駅北側の踏切~泉大津市田中町で紀州街道に合流

自宅4時40分に出て林間駅へ~河内長野駅まで。河内長野駅前の高野街道の分岐点を起点として5時30分スタート。
河内長野と泉大津を結ぶ街道。河内長野から国分町までは国道170号線、国分町から泉大津までは国道480号線に沿っている。
      河内長野駅起点      5時30分  スタート
      泉大津駅・紀州街道   14時23分  完歩
           43.104歩 25.86km 1.918kl

南海河内長野駅
河内長野駅の辻からは、西・下・中・東高野街道が合流し、高野街道として高野山へ通じている。また大沢峠越え道も分岐している交通の要衝であ

駅前の交差点北西より南交差点を見る、正面左が河内長野駅、正面の道が高野街道への道左、道標手前の道左へが、大津街道・東、西、中、下高野街道・大沢越道への道に繋がる

この 道標は新しく立てられた
「高野街道」 「京都・八幡へ 北東約57㎞ 堺 大小路へ 北西約18㎞」「高野山 女人堂へ 南約35㎞」 

木屋堂
京の都と仏教の聖地高野山を結ぶ高野街道は、平安時代の皇族、公家や、中世から盛んになる武士、庶民の高野山参詣に利用されました。
河内長野駅の西南にある長野神社は、明治時代の神社合祀によって成立した名称で、それ以前は、「木屋堂の宮」あるいは「牛頭天王宮」などと呼ばれていました。この長野神社を核とする長野町一帯は、かつて「河内国木屋堂」と呼ばれ、鎌倉時代には、高野参詣の宿泊や休憩の大規模な施設があり、また軍勢の結集拠点でもあったと考えられます。
この「木屋堂」の領域は、石川と天見川の合流地点から諸越橋にかけて、石川の段丘面に沿って南北約250mに及ぶ大きなもので、その西側に木屋堂宮(現在の長野神社)と高野街道が近接していました。
木屋堂は、その名称からそもそもは木材の集積場と考えられます。上流の天見・岩瀬や滝畑などで伐採された材木が、筏に組まれて集積されたものと想定できます。高野山や紀伊・大和・和泉との間を往来する旅人や行商人にくわえて、さまざまな商品が集散して市が立つなど、活気があったものと推測されます。(河内長野市)

道標の前の商店街のアーケードを入る商店街の右はノバがありません

アーケードの切れたところの四辻を真っ直ぐ進む

四辻左へは本町七つ辻交差点への商店街の道

四辻右への道は 大沢越え街道奈良五条への街道で南海の踏切を越えていきます

四辻を真っ直ぐ進むとすぐ道が分岐する辻、右が東・西高野街道で左のみちを進む

東・西高野街道の道

左、大津街道の街並み

左にやや大ぶりの 

すぐ先の四辻を真っ直ぐ

数十m先の分岐を左へ

左に折れた西への街道

消防署前の道車の多い幹線道路の交差点に出る、左に曲がると七つ辻交差点

真っ直ぐ横断する

その先で広い道路に出る、交差点を横断した右に市立文化会館が建つ左から170号線が交差点にはいり、左に折れて街道に沿う

交差点左を見るとかつての河内長野中心の本町七つ辻交差点

交差点を越えて進むと右に西代神社がありその北側に長野小学校がある。そのは入口の、現在の長野小学校の敷地一帯には、かつて江戸幕府の譜代大名であった近江膳所藩から分かれた本多忠統が支配体制の強化のため、この地に河内西代藩陣屋を正徳元年(1711)から享保十七年(1732)まで置いたことが、古文書や付近の発掘調査等でわかっています。また、平成元年に国の「ふるさと創生事業」の創設を契機に本市においても、地域の歴史や環境を生かした「ふるさとづくり事業」に取り組み、特に小中学校のふるさとづくり事業としてこの地に刻まれた歴史を知るために、陣屋門を模して本校正門を整備したものです。

陣屋門を模した小学校の建物

右に、西代神社
創建年代は不明であるが南北朝時代にはすでに崇敬が篤く、楠木正成時代にはすでに伝記に記述されている

その先信号交差点で 瀧畑街道と交差する

錦町の交差点左手前角に 西代観音堂と地蔵堂お堂の中に、地蔵型道標がある地蔵堂の横の道が南西に進む滝畑街道

北に進む滝畑街道の道

地蔵の中の地蔵型道標 「享保四年 右さい所道 左ふしい寺道」

その少し先で右に入ったところにある 野作薬師寺 本尊薬師如来の脇侍である白磁観音は聖母マリアを仮託したものといわれている

傍の 祠の地蔵

少し先左右にも お地蔵さん

分岐する道を右に進み信号交差点を越える

野作町の風情のある街並み

 野作向井公園 この公園は、野作の為に使って欲しいと故向井氏なるみ氏によって寄付されたもの

左に、野作町上集会所の傍の お堂

そのすぐ先、街道が外環状線(170号線)に交差横断する手前右
石造り祠と道標  祠の横に法界塔が立つ「人皇十四代仲哀天皇御陵 是より二丁・・・」「すくふしいてら道 是ヨリ一日・・五

外環状線の170号線の工業団地北交差点を横断し、少し170号線を歩き、工業団地南交差点を右斜めに入る

ここを横断正面先の道を右に入る

ケンタッキーの隣に 稲荷大明神

右に入った街道

上原地区の右ボンズの前に 塚穴古墳

石室は江戸時代に組み直された内部を墓地として使用していたようで。伝承では大阪城築城の時古墳の石材を運ぼうとしたところ、何らかの事情により元の場所に戻したとあります。

近くの 地蔵尊

北東に街道は進んでいきますその先、信号交差点を越えたところで、水落バス停の所で街道は左の細い道の集落に入ります

左への街道、高向集落170号線は段丘上を進み旧道は段丘下を進む

旧道らしい道の水落集落

集落の途中T字路の左角に 二基の道標 「すぐ・・・・・・ 左ふじい寺」

段丘下の集落の道を進んでいく

やや左に緩やかにカーブしながら老人ホームを左に見て進み老人ホームの前を右斜めへ

左に170号線が接するが西側の道を平行に南に進む

その先分岐する道を右に坂を上る

そのすぐ先で90度に右に折れる、左に池を見ながら細い坂を上っていく

旧道らしい雑木林の道に入る

金網に挟まれた細い道を進みます

何だろうこの道は

坂を上り細い道の先で、民家がみえてきた

段丘の上を通ってきた170号線に出る。左角に 灯籠

170号線を左に折れる

小山田交差点で右斜めの道を進む

右への道

広野バス停近くの交差点交差点右鋭角に 東天野街道が合流してくる

合流辻の右角に 

左が、東天野街道、右が大津街道

右にカーブしながら坂を下る

更に左に大きくカーブした先で、170号線を左に分け、右の道に入る

右に折れて少し入る、左に西端米穀店、右に天野山保育園の前の坂道を左に折れて上る

今度は左を走っている170号線は段丘下で、旧道は段丘上を進む

鉄塔を見ながら南に進む

暫く気持ち良い山道を歩いたところで、左に下り170号線に合流し右に進む

合流した辻を見る

合流して右にカーブします

その左に大きな記念碑

門前バス停の所で街道は真っ直ぐ進むが右に下る道が有る、天野山金剛寺の北側の山門へ進む、そして寺境内を南に進み南の山門へ行くことにする角に天野山金剛寺の石碑

下り分岐した道を総門に沿って左へ 

惣門から境内に入る前に、元の街道に戻り170号線に沿って少し進む

左にカーブして、その左山裾に、小さな が祀られている

石仏も沢山並んでいる

カーブした先で天野山金剛寺前に出て途中で振り返る、右が大津街道、左の道を下ると天野街道

再び先ほどの分岐点に戻り総門を潜る

170号線から細い道を下ってくるとこの道に出て総門の西側前にでて天野街道が北に通る

天野川より天野街道の道筋を見る

天野川の橋の袂の 
 道標 「右 葛井寺道 是ヨリ四里」 「左 槇尾山道 是ヨリ七十二丁」

道標の西側に、金剛寺塔頭吉祥院

天野山金剛寺本坊、観蔵院門 北朝御在所

観蔵院客殿

1352年2月足利氏の内紛から勢力を盛り返した南朝軍の京都奪回のときに、光厳・光明・崇光上皇は、大和賀名生を経て、1354年3月この天野山金剛寺に南朝方に軟禁され、1357年2月の帰京されるまでの4年間、本坊観蔵院殿が三上皇の御在所になった。
中に入らなかったが庭園は室町時代の作で、桃山時代に蜂須賀政公、江戸時代に庭師雪舟流家元・谷千柳によって改装されたという見事な庭園と御座所等が残っている。残念ながら見学しなかったのが心残りだが、何時かまた再訪しよう。

天野川沿いに境内を進む

奥尼院

南朝後村上天皇行在所、 南朝の後村上天皇は1354年ここを行在所され、奥尼院はその後、長慶・後亀山天皇と約30年間、南朝の行在所となった。

天野川の対岸には 無量寿院

楼門(重文)  鎌倉時代後期の建造物とされている。

楼門を入ると正面に金堂があるのだが現在改装中で見れない

天野山金剛寺
奈良時代に行基が開創し、弘法大師が密教の修行をした地と伝えられる名刹のこの寺は、‘’女人高野・天野行宮‘’の名で知られている。南北朝時代には後村上天皇の行在所となり、以後南朝三代にわたる行宮であったことから、歴史上「天野宮」と呼ばれている。また建築物や寺宝には多くの国宝・重要文化財があり、特に室町時代に造られた庭園は一見の価値がある。境内は昭和9年国の史跡に指定されている

楼門の前の道

天野山金剛寺前の交差点に出る向って右からの道が大津街道

少し大津街道を戻り大津街道を見る、左側一帯が金剛寺 Uターンして金剛寺門前の交差点へ  

交差点の天野川に架かる朱色の橋の左山裾に 道標 「左 ふち井てら道」

左街道よりすこし石段を上ると 高野大明神

西に緩やかな天野町の坂道を上る

途中、峠で和泉市に入る

新170号線・環状線が左のトンネルを抜け高架となった旧170号線の上の街道を進む

高架からの新170号線

高架の先に、南面利町の遠望

左に 祠があり

南面利町の町並みで、170号線に近づくところで左にカーブ

左の少し高いところに お堂

小さな川を渡る

南面利バス停の傍に 祠と道標 道標の所を左に入っていけば、槇野尾山へ

道標 「東 じちゐ寺 大峯山いせ 道」 「南 まきのをみち」 「西 きしわだ 牛滝山さかひ 道」

 道標を少し左に上ると、高野山真言宗 泉福寺

その先で善正町の交差点を越える

真っ直ぐの上り道が続く

氏之橋を渡る、左に花の国華園が見える

外環状線(新170号線)の福瀬町東交差点で横断する

交差点を渡り直ぐ右に、お堂

和泉市福瀬町の町並み

左に大きな領徳碑

辻井歯科医院の手前を左に少し入ると右に 福瀬戎神社

高野山真言宗 小堂寺が同居

170号線を真っ直ぐ西に進んでいくと東槇尾川に上川橋を渡り東槇尾川を右に沿って進む

横山小学校前の信号交差点を左に入ると 高野山真言宗 本泉寺

境内の南無阿弥陀仏石と沢山の石仏

横山小学校交差点に戻り少し進むと、右に沿ってきた東槇尾川が左からの父鬼川と橋の右側(北)で合流して槇尾川ととなって北から大きく円を描きながら西へ流れる。
かがやけ横山橋を渡る、左角GS

橋から右(北)、すぐ手前右で合流している

橋を渡り直の交差点を旧道は右に折れる

交差点を左の坂を少し上ると突当りに 神宮寺

神宮寺手前右に 八坂神社旧蹟

旧道は右に入った古い建物の残る細い道を進み、やがて槇尾川に達し槇尾川沿いに進む

右、槇尾川

国分町で槇尾川と旧道を振り返る

国分峠バス停の辻で、左から広い道が合流

合流点を振り返り見る、向かって左からの旧道

合流後すぐ左に記念石碑が立つ

街道は北西に真っ直ぐ伸びている

左に「子安地蔵」の 道標

その先で左斜め後方から 父鬼街道 合流後暫く重複する

辻を振り返る、向かって右の道が、父鬼街道

国分町の町並みを進む

左の奥まったところに、和泉国分寺

45代聖武天皇発願の諸国国分寺の一つ

境内の水子地蔵尊

右の槇尾川は険しさが一段とまし崖となっている

緩やかな坂を下る

坂を下ると左り藤原米穀店手前で街道は分岐する。真っ直ぐ進む旧道は父鬼街道でここの辻で分かれる

大津街道は右の道を

少し先で槇尾川の豊橋を渡る

橋から槇尾川を見る、かなり切り立った深い谷となっている

黒石町に入る

右に 正福寺

境内の地蔵・宝筐院・板碑が並ぶ

古い民家の並ぶ街並みを進む

広い道に交差する信号交差点を横断する三林町に入る

少し先、少し道を右に入っていくと、春日神社

境内の 塞ノ神

街道に戻り少し歩くと、春日神社の参道と鳥居が古そうな燈籠と狛犬

街道を進み右に池を見る

暫く進んだところで右奥に、高野山真言宗正生山 観音寺境内のお堂と大きな宝筐院塔

田園の広がる先には、大きな民家が並ぶ

和田町に入る

左に業務スーパーその前の和田町交差点を横断するが、交差する道が再び、父鬼街道である。

交差点手前左に業務スーパーがあって、交差点に出ると左鋭角に父鬼街道が交差点に入ってきて、一番右の道に真っ直ぐ進む。 大津街道は、正面の二階建ての黒い看板のある左側の細い道を入る。右側の道は480号線

480号線に並行して、西側を進む街道 

左に少しカーブ右手に 子安地蔵尊

和田町の町並みを進む

集落の中右に お地蔵さん

車一台通るのがやっとという旧道を進む

左に高野山真言宗 森光寺

境内の 沢山の石仏

安養寺観音  光仁天皇の宝亀弐年(771)法海上人の開基にて本尊十一面千手観音は上人の御作即ち槇尾山観音と同じ作で、和泉西国に於いても第四番札所に当てられ往古より信仰を集めてきた。その後維持管理を森光寺に移り秘仏として安置している。

その先集落の中を、緩やかに左にカーブして、すぐに右にカーブする

そして道なりに左に折れる

その先右斜めに折れて、右鋭角に480号線が合流してくる

合流地点右角に 

室堂町に入ると室堂町北交差点で、泉北高速鉄道線・阪和自動車道を潜

阪和自動車道を越して真っ直ぐ進まず、右に折れ、右のサンマルクの北側に回り込み西に進む

サンマルクの北側の道で細い道を進むと池田下町に入る

左に照苑で交差点を越えるとすぐ先で、左鋭角に480号線が合流するが、街道は右の北への旧道を進む

右の旧道の道筋

右に折れた右奥に真言宗 池田寺

街道に戻りその先右に北池田小学校を見ながら進む

池田下町の大きな民家の建ち並ぶ街道を進む、町並みを振り返ったところ

右に高野山真言宗 妙法寺

お寺のすぐ先左に、お堂

お堂の先、側溝のある所の辻を溝に沿って右に折れる

更に左にカーブする右に 廃寺のよう

真っ直ぐ進みます

その先で左(東)からの道と合流して右にカーブする

左にカーブして左からの480号線に合流して右に進む

480号線を進みます

更に少し先バス停の手前で右斜めの旧道に入る。

右に折れる左角に 

旧道に入った阪本町の町並

480号線に接するが、右の旧道に入る

旧道を北に進んでいくと信号交差点のTに突き当たり左に曲がる

左に折れて真っ直ぐ先は480号線の阪本町交差点に出るが、一筋手前の旧道を右に折れる

右に折れた旧道を進む、一筋左に480号線が並行して走る。芦部町の町並み

やがて左後方から新道が合流してくる

右に芦部小学校を見て信号交差点を横断する。横断した左に業務スーパーがある

業務スーパーを過ぎ、小さな川を二つ越える

桑原町の町並みを通る

右の国府第二保育園を過ぎ真っ直ぐな道を暫く進み、府中町に入る

分岐道を真っ直ぐ左の道を進むと、右に御舘山公園がある

公園内の西南角に、和泉国府庁址碑

公園の西南角に、南から牛滝道が北上してきて、大津街道と角の四辻で合流して公園の西北角で左におれる。左に折れて大津街道と暫く重複して進む。

左に折れたらすぐ泉井上神社鳥居前の辻の東南角に「牛滝道」を示す道標がある、熊野街道(小栗街道)に交差する。

「牛滝道」をしめす道標

鳥居前の辻、熊野街道南西の道筋

熊野街道北東の道筋

ここでもう一度和泉国国府庁址碑のある、御舘山公園の辻に戻る

左から大津街道が進んできて手前右に折れる辻。正面の道は牛滝道でこの辻で合流する

大津街道が右に御舘山公園を進み、右に折れる所を見る

その辻の西側、牛滝道と熊野街道の挟まった角に日蓮宗 妙源寺

右の公園の角を街道は牛滝道と合流して、右に折れるその先で左に

公園の址碑を右に見て左に折れた道筋で、すぐ先に鳥居とすぐ前の熊野街道と交差するところ

鳥居から熊野街道の道と、大津街道が出てきて交差するところ

街道を西に進みます 

その先すぐ右に、泉井上神社

泉井上神社境内社和泉五社総社本殿(国指定重要文化財)
「和泉」の地名の発祥となったと伝えられる「和泉清水」を祀っている神社。
五社総社は、奈良時代に河内国から分離し和泉国が設置された際、国府の所在地府中に、国内の五社大である大鳥・穴師・聖・積川・日根を総合して勧請し参詣の便を図ったといわれている。現在の本殿は慶長十年(1605)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したと伝えられるもので、国の重要文化財に指定されている。 

境内の 石造板状塔婆一般には板碑と呼ばれる、南北朝時代のものでもと神社南方の和泉寺跡にあったのを移した

和泉清水
古くから「国府清水」または「和泉清水」とよばれ、霊泉として祭られるとともに、農業用水として周辺の農地を潤おしてきた泉である。豊臣秀吉もその味が甘露であるとして広く親しまれていたので、大阪城に運ばせて、茶の湯に用いたという。ここは古来より、和泉国和泉郡和泉郷と呼ばれた地であるが、「和泉」という地名も、また「和泉井上神社」の社名もこの泉に由来すると伝えられている。境内に石柱があるだけで泉が何処にあるかは不明。

泉井上神社を後にして、牛滝道と重複しながら街道を北西、和泉市府中町を進む

府中町交差点で中央商店街に入る

ロードインいずみの商店街を抜けるが一通りがなくシャッター通りとなっている

アーケードを抜け更に商店街を進む

商店街を抜けるとJR阪和線の踏切、左がJR和泉府中駅。ここが 牛滝道の起点

踏切手前左の駅方向

交差点の中心街

踏切の先の街道

要池団地東交差点で、第二阪和国道(26号線)の高架道を越える

歩道橋の降りたすぐ右に、石造りの祠と宝筐院塔

その先の道

道は広い道と分岐するので、右の道を進む

右に進みその先で街道より離れ少し右に入ると浄土宗 浄福寺

浄福寺前の お地蔵さん

浄福寺の北側に 聖徳寺

街道に戻り北西へ

街道は変則な辻に出るので右に折れる、左を見ると信号

右に折れて直の所で、左の細い道を入る

左の細い道の先に、泉穴師神社の森が見える

泉穴師神社 天武白鳳元年(672)の創建

太鼓橋と狛犬

本殿は文永10年(1273)建立で大阪府内最古の神社本殿(重要文化財)

ここで神社前の道を真っ直ぐ北西に進む道か、前の道を南西に進む道か迷ったが、後者を歩くこととした。

神社前の道(前者)

神社前の道(後者)を進む

真っ直ぐ南西に進むと、右に穴師小学校、左に 穴師山薬師寺
薬師堂

涌井戸地蔵尊

その先で泉穴師神社参道入り口の鳥居が建つ鳥居を潜り右に折れる

右に折れた先の池浦町の街道

すぐ右に、辻地蔵尊

辻地蔵尊の前の街道を進む信号交差点を越えて進む

大津市池浦町を進む

旭町に入る大津市旭町

右に、安産地蔵尊

所々に旧道の風情が残る街並みを進み信号交差点を越える

市街地に入る、右への広い道を見て進む。

すぐ右に 

街道は南海本線の高架下を潜る右手に泉大津駅まもなく街道も終わりに近い

高架を潜った先で田中町交差点に出る

田中町交差点の向かいの少し細い道を入ります

その先で、神明通り商店街に入るが、この辻が紀州街道との合流地点で大津街道の起点

合流地点から大津街道を見る

紀州街道東北の街道筋

紀州街道南西の街道筋

田中町8で 和泉街道 完歩

すぐ東の南海泉大津駅へ移動

   

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