2013年5月12日
紀州街道春木元町~久米田池北の久米田寺
紀州街道春木元町を起点に南東へ~南海本線春木駅南の踏切~荒木町で府中道と交差~下池田町~阪和線久米田駅の北側の踏切のすぐ先で熊野街道を交差~久米田池の北側久米田寺
貝塚街道に引き続き、短い距離の久米田街道(久米田道ともいう)に挑戦。春木駅に降り、駅のすぐ南側を街道は東西に走っている。春木駅より町筋を600m程海岸より西に向かって歩き紀州街道の分岐点の起点に行きスタートする。
久米田寺への参詣道でもある
春木駅 11時35分にスタートしてほぼ一直線に近い久米田寺(池)まで歩き。そこからまた2km程暫く歩きJR久米田駅にて完歩。
春木駅 11時35分スタート
JR久米田駅 13時15分の完歩
10.281歩 6.16km
時間も13時15分で快晴の歩き日よりであるし、一応準備してきた、津戸ノ中道を歩こうかどうか迷ったが疲れもすくないし思い切って歩くことにする。ただ移動時間にどれだけかかるか分からないので不安もある。
久米田街道起点 街道は南東に真っ直ぐ進む
この交差点で、紀州街道が南北に通っている交差点より紀州街道の東北方向
紀州街道の南西方向
街道に入り一つ目の信号、暫くサンサン通りの商店街を進む
春木信号交差点を横断して進む
やがて南海本線の踏切を渡る、左に春木駅
旭町商店街を抜ける
荒木町西交差点
更に進んでいくと荒木町1で府中道と交差する
府中道の北東方向の筋
南西方向の筋
そのすぐ先で国道26号線の荒木町交差点を越える
交差点の先の道を進んでいく
暫く進むと下池田町で道が分岐しており右の細い道に入る
新しい住宅地の中を通る
暫く道なりに歩くと、先ほど分岐した231号線に合流する
合流したところですぐJRの踏切を渡る、右に久米田駅
踏切より100mほど先の大町交差点で熊野街道が交差する
交差点を渡った左角に 子安地蔵尊
熊野街道左(東)側の方向の道筋
右(西)側方向の道筋
交差点から街道への道
交差点からすぐの右に 日限地蔵尊
その先変則五又路交差点で、右斜めに入る
細い道を進む、右に用水が沿う
用水路を右に進進みます
やがてまた左の分岐した新道に合流する
左にレックスガーデン岸和田をみて、右角に藤本酒店がある信号交差点を越え右に(南)進む
右に用水路がある道に沿って進む
池尻町に入ると右に池尻町会館・山車庫がある
間もなく久米田寺が見えてくる
右に 白龍弁財天
久米田寺
久米田寺は、行基四十九院の一つに数えられる名刹寺院で、738年に僧行基が久米田池の維持管理のために建立した隆池院に始まる。平安時代後期から鎌倉時代にかけて五摂家の一つ九条家の保護下に入ったものの一時荒廃したと伝えられる。鎌倉幕府の有力者安東蓮聖が東大寺僧より別当職を買得して復興に乗り出しました。1282年、西大寺叡尊を導師に招いて落成供養が営まれ、以後、真言宗・律宗・華厳宗兼学の寺院として、各地から多くの学僧がここに学び、高僧を輩出した。南北朝時代には足利尊氏・直義兄弟が利生塔を全国で最初に久米田寺に建立し、仏舎利を奉 納するなど、手厚く保護したが、一方、南朝も寺領をあんどするなど、久米田寺は両朝から保護を受けて繁栄した。
江戸時代以後は真言宗寺院となり現在に至る。寺宝の「星曼荼羅図」「仁王経曼荼羅図」「安東蓮聖像」「楠家文書」「大塔宮令旨」「久米田寺文書」「北畠覚空書状」は国の重要文化財に指定されてい
大門
金堂
開山堂(行基堂)
大師堂
妙王院(塔頭)
華厳院(塔頭)
阿弥陀院
光明塚古墳
靖霊殿
多宝塔
久米田寺門前からの久米田池
久米田寺 石造五輪塔 寺の南に隣接している、聖武天皇・光明皇后・亀山天皇の五輪塔
街道は久米田寺で終了するが、駅まで移動するため近くの史跡を見る
久米田古墳群(無名塚古墳)5世紀前半につくられた権力者の墓、直径約26mの円墳
久米田古墳群2(風吹山古墳)
久米田には多数の古墳が点在している、その多くは5世紀後半のものと推定されている。
久米田寺の北側の道沿いの 地蔵
商店街を進む
JR久米田駅
久米田街道完歩
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