2011年7月9日
例により、AM4時10分車にて自宅を出発、近鉄橿原神宮駅へ近鉄京都線で寺田駅まで、そこから1km余り歩いてJR城陽駅までいって駅前からスタート。
寺田駅6時20分~約10分余り歩いて城陽駅まで。JR上狛駅へ着いたのが15時。
とにかく暑い一日であった、熱中症にかからないよう十分注意を払った。殆ど歩いている人はみかけなかったが、帰りの電車の中ではリュックを背負った人はチラホラいた、今日は殆ど古道というだけあって車の多い国道は歩かなかった、以前歩いた山の辺のような感じであった。
帰りは、JR上狛駅から奈良駅に出て、桜井線に乗り換え桜井へ、桜井駅で近鉄大阪線で八木駅へ、八木駅から近鉄京都線で橿原神宮駅へ戻り車で帰宅。
49.565歩 29.73km 1268kl
山背古道は、京都と奈良を結ぶ、京都府南部の城陽市、井手町、山城町、木津町の4市町にまたがる全長約25km古道である
古代、山城の国は「山代の国」・「山背の国」と古事記・日本書紀に書かれている。山道でなく長閑な田園の中の道で、ハッキリこの道が古道という確証はないが、木津川の南側の静かな集落を縫って歩く道です。
近鉄寺田駅より駅の北側の街筋を東に真っ直ぐJR城陽駅方向へ進む。正面近鉄寺田駅の北側6時20分

町筋左側にある 三緑寺・大門室町時代中期1497年の創建、大門は明治18年京都建仁寺のご護国院の表門を移築、安土桃山時代ののものと推定


その先左にある 地蔵

更にその先左手に 浄土宗 弘願寺

更に暫く東に進むと府道69号線に交差するその右手に城陽市役所

その少し先JR線路の手前の道を左に進むとJR城陽駅に着く
6時30分 山背古道スタート

城陽駅から線路の東側を南に200mほど進むと、交差点があり、そこを左に折れ直ぐ右に折れる

直ぐ右に折れたところからの町並み200m程進む

交差点に出るのでその道を左に折れるのが山背古道

少し左に折れる前に右に折れて踏切を越え、先ほどの城陽市役所の交差点に出る。ここから古道の起点とするという調子です

古道の左と右に 祠 がある


左側に 水度神社参道の鳥居

水度神社参道が古道と重なる

夜叉ばあさんのムクノ木
樹幹にできているコブが老女の顔に似ていることから、地域の伝説にちなみ「夜叉ばあさんの木」として親しまれている

古道のスタート時点と左、夜叉ばあさんの木

JRの踏切を渡る

渡ったところ左手にある 祠

綺麗に整備された緩やかな上り坂の古道を進む

参道を進んでいきます

正面に水度神社が見えてくる鴻ノ巣山の麓にある

水度神社
長い石段を上上ります


本殿 は今改修中

水度神社のシイノ木 推定樹齢300年以上の風格のある古木で、神社のシンボルの木

神社の境内から山背古道・鴻ノ巣山散策道が通っている

整備されて綺麗な気持ち良い道なので、散策者や参拝者が結構沢山の人が散策やウオーキングを楽しんでいる


暫く散策路を歩いていくと、鴻ノ巣展望台に着く

鴻ノ巣山山頂展望台より城陽市外を望む

展望台より右に下る古道がある


短いが結構きつい坂を下る

案内板が立っている

下っていくと広い公園や施設がある城陽市の人々の散歩や憩いの広場になっている

この公園の中では古道がどの道が古道かは整備されているので分からない

公園を抜けて南側を走る府道256号線に出る、公園駐車場出入り口のゲート近くで府道を右に折れて進む

256号線を進んでいくと右手に 浄土宗来迎山常光庵 の塀が続く


その先直ぐに左に入り、青少年野外活動センター(友愛の丘)への古道があるはずだが見当たらい

止む無く暫く歩き南中芝の信号交差点の広い道を左に折れて進む

暫く進んだところで、左からの自動車道と古道らしき道があるので、時間ロスではあるが気が済まないので、古道らしき道を逆に歩くことにした。

その道をどんどん進んでいくと、友愛の丘に出た、更にその正面左の道らしきところを入っていくと、正面林の中の下の方に車の音がするので、この辺りに上っている旧道があるのだろうと想像して満足したのでここから再び戻る。
府道から上ってきたであろうヤブ道

竹藪のトンネルを進む

やがて友愛の丘の広場にでる

青少年野外活動総合センター友愛の丘に出る

古道の矢印があるので考え方は有っていたようだ

野外センターの正面を右に下っていく

下っていく古道

左は造成中

下りきると、造成中のところに通じている新道と正面への古道がある



直ぐの信号を右に折れる、左に城南病院

右に折れ100m程のところの旧道を左に折れる森山遺跡の表示がある

住宅の道を突き当たり左にカーブすると

森山遺跡 につきあたる

森山遺跡の突き当たりを右に折れ、直ぐ遺蹟を左に巻いてカーブする

左、森山遺跡遺蹟の前、向こう側の白い車の先で、右の階段を下っていく。この辺り住宅地に変わっているので旧道はなくなっているようだ

高台から下り正面のJR長池駅の線路を渡り、駅前の南側に出たところ、ここを真っ直ぐ進む

進むとT字路に突き当たるので左に曲がり古道を進む

左に折れたところからの古道

長池の町並みを進む


落ち着いた街並みである、

右手続いて左手に 祠


その先右手に 木戸孝充公御中飯処 と書かれた石碑その石碑の家は旧家で元庄屋とのこと、納得する大きな建物である。通常は子孫の方は住んでいないが週に一度帰ってきているそうだ


元庄屋の先直ぐに大和路線の線路でそこを渡る

100m程進んだ信号のところの細い道を左に入る

左に入った細い古道が分岐になっている、観音堂地区

分岐を右に折れる左の角に 道標が2基 立っている

右に折れた先の古道その先で川を渡る

橋を渡って旧道を進み、その先民家の角で右の道を進むが

左の道を100m程入ると 天満神社


神社の正面左側に黒土一号墳の案内板

元の道に戻り中ノ郷集落のなかを進んでいく、いかにも街道らしい雰囲気のある古道

集落の中で右から広い道が合流します、真直ぐ

この先で右に折れる


右に折れた先を西に進むと307号線に出るので、左に折れて南に進む

右にトンガリ屋根の青谷保育園、その先左に青谷小学校

左手に青谷小学校のクスノキ、青谷地区のシンボルの木クスノキを越えたところを左に折れる

左に折れた道の先

左にゲートボール場がありこの暑いのに多くの老人が競技に熱している、そういう私もそうだが

そのすぐ先で右に折れて集落を外れた田園の間の道を進む

旧道から少し左に入ったところに 市辺天満宮 がある


その先の三叉路を右に折れる

そして70m程で左に折れて南に進む、その先で右からの70号線に合流

70号が広い道となって暫く歩くと、信号交差点で307号線と交差。そのまま青谷川に架かる青谷橋を渡る

橋の先真直ぐ御南への広い道

青谷橋からの西(右)方向の川筋

その先右手に 祠

70号に沿って進む、この辺り右に入っていくと山城多賀駅

この先の交差点で直角に左に折れる特に目印がなく注意

長閑な集落と田園の中の旧道を進む

暫く歩いた先で南谷川に突き当たるT字路となるので少し右に進み、南谷川に架かる宮の前橋を渡る

山背の古道は、古道と言っても殆ど新しい道であり、また一般の街道と違って、目的地まで最短で歩くのでなく、集集落の中を抜けながら複雑に道を進んでいる。だから街道歩きでなく、気ままに思っている目的地に歩くのがベストかも。要するに線で結ぶのでなく、点で結ぶ散策をゆっくり歩くのがいいかもしれません。
道を説明していてもおそらくよくわからないと思います。
宮の前橋を渡り、川沿いをUターンするように歩くことになります
すぐ左、高神社の参道

100m余り参道を進むと 高神社本堂

参道を戻り宮の前橋に戻り、南谷川の堤防上の旧道を進む

400m余り堤防を進み、自動車道に出る手前の橋を左に曲がり道なりに右にカーブして自動車道に出るので。
左に折れて自動車道を100m程進み直角の分岐を左に折れて進む

左に折れて進むと二股になっているので右の方の道を進む

緩やかな坂を上っていく

川を渡り左の方にカーブする。少し道は迷いそうです

山背古道にはこの様な 道標 が道路に表示しているので助かる

南部地区から峠越えの道、暫く写真だけになります









峠越えの結構長い道を進んできた。上井出地区

建物が見えたところで手前を左に曲がる

左に曲がり突き当たりの倉庫のような建物のところで左に曲がりすぐ右にカーブしていく。山背古道の表示がありますります

右側に新しい建物が見えてきます

右手の池の向こう側に立派な井手町図書館が、民家がないのに利用するのに不便と思うが、建物の向こう側に民家があるかも

その先で道が分かれている、どの道が旧道なのか迷ったが、幸い道路標示が正面の地道の畦道を指していたので真っ直ぐ林の中に進む


竹林の中の小道を進んでいく


暫く進むと竹林を抜ける

竹林の先上井出集落に下っていく

坂の途中に四辻があり旧道は真っ直ぐ行くが、左に寄り道、その左角に 祠

玉津岡神社・地蔵禅院への道を行く

玉津岡神社

境内に初代神馬の像は山川房吉氏より昭和5年奉納され、神域の守護として敬慕されていたが昭和19年に戦時物資統制令により徴用された

神社の急な石段

神社の隣にある 地蔵禅院

鐘楼の傍の地蔵院のシダレザクラ

地蔵院からの景色

玉津岡神社・地蔵禅院から下る参道

参道の下ったところの左手にある
小野小町塚

平安時代前期の歌人で、六歌仙・三十六歌仙の1人、仁明天皇の時代に宮廷に仕えた歌人は確かであるが、その生涯は謎に包まれ、終焉の地は、ここ井出町以外に京都市、秋田県、山口県など全国各地に伝承があるがここでの終焉が信憑性が高い。
参道を下ったところから振り返る右手が小野小町塚

この辺りの旧道は複雑で正確でないかもしれない下ったところで321号線に突き当たるので少し右に寄ったところで真っ直ぐ降りていく


下っていくと右側に休憩所がありお茶を頂いた美味しかった。その傍に 大安寺旧境内附石橋瓦窯跡 の説明板がある。そして右からの道に合流

少し進んだところで玉川に架かる橋本橋を渡る

橋から道は細くなります

橋本橋の先左手に小さな お地蔵さん が沢山並んでいる

更に左手に お地蔵さん

その先で道が少し広くなる、井出の浄水場の交差点。このあたりからも絶景である

その先200m程行くと左に竹林がありその手前左に入る小路があり(寄り道)として入っていくところの角に

井出左大臣橘諸兄公旧跡の石碑 がある

少し入っていくと竹林の中へ参道は整備されている



石段を上ったところの広くなった台地に 橘諸兄公供養塔 が立っている

橘諸兄旧住居跡の碑

元の竹林の入り口までもどる。
もうひとつ(寄り道)をしなければいけないが、少し離れているようだ。少し道を戻り先ほどの橋本橋まで引き返す橋本橋から玉川に沿って西へ下っていく

玉川を暫く下り玉水駅の少し西側の高台の住宅地のなかにある 井堤寺跡 橘諸兄が母、三千代の1周忌に創建したと伝えられる寺

井堤寺跡より西へ進みT字路を左に高台より下って更に下ったところで右鋭角に北に数百m行ったところに
蛙塚

井出の里は万葉の昔より数々の和歌に詠まれてきた。なかでも美しい歌声を聞かせる蛙は井出の枕詞として用いられるほど数多く詠まれている。
この辺りは玉の井と呼ばれるように、湧水がこんこんと湧き出ていた。旅人はここで喉をうるおし蛙の美しい鳴き声に旅の疲れを癒したことだろう。

井堤寺跡の碑

蛙塚より南に進み玉川を渡り細い道を少し進んだ住宅地のなかにある
六角井戸


寄り道を終わり、そこから東に暫く緩やかな坂をのぼり先ほどの橘諸兄の旧跡の所に戻る

暫く進み、少し広い道を横切りその先直ぐで左からの川に沿って堤防を進むのが旧道か、私はその広い道を右に折れてしまったがどちらが正しいか分からない

広い道といっても大したことはない

渋川地区に入り暫く進んでいくと右手に 八頭龍王 の小さな神社がある

そのまま町筋を進んでいくと、JR奈良線の踏切を越える、直ぐ左に折れて川を渡ると左手に
阿弥陀寺

阿弥陀寺の過ぎたところの交差点を左に曲がるが、その右手角に以仁王の説明案内板が立っている

左に折れると奈良線の踏切を渡ると、左手に森が見える
高倉神社と以仁王の御陵

高倉神社

神社の境内に 神馬の像

神社の境内にある 以仁王の御陵



以仁王御陵の直ぐ先で左からの出てくる旧道らしき道があったので左に道を進むと、どちらが正しいか分からなかった堤防の道がここに出てきている

そして橋を左に渡り10m程先で御陵の手前に降りている。

堤防からすると降りて直ぐ左に曲がる。御陵からの道は右手からここで合流する

そのさきで右に折れる

渋川の集落を進み突き当たりのところで右に折れる

左に折れて少し進んだところミラ―のところを右に折れる

右に折れてから山城町を400m程南に真っ直ぐ進む

その先で天神橋を渡り渡ったところで左に折れて、左に川を見て右にカーブしていく100m程進み右に折れます


左手に 大日如来堂


右に折れた直ぐ先左に 綺原神社


その先右手に 蟹満寺 本尊は釈迦如来(国宝)白鳳時代の名作
本堂は建て替えられたようで新しい

旧道は山城町の集落のなかを暫く進む


古道らしい雰囲気の素晴らしい家並み

右手に山口会館がありその裏側には奈良線が通っている

その少し先で右に折れ民家の間の小道に入る線路に沿って少し進み、その先でみぎにおれ線路を渡る。直ぐのみちを左に折れて少し線路に沿って進み、右に大きくカーブする


線路を右に渡る手前左正面に 地蔵さん

右にカーブしたところで左に不動川が迫ってくる。そこで不動橋を左に渡る

不動橋を渡り左斜め道を進んでいく

その先道が三つに分かれているので正面のまん中の道を進む

旧道は細くなっておりお店の裏側に突き当たり左に折れる、そして直ぐ右にカーブする

右にカーブするとすぐ広い道路に出るので左に折れる

その先で奈良線の踏切を横断してすぐ右に折れ線路を右にみて南に進む

その先右側奥に 和岐座天乃岐売神社


その少し先左に 涌出宮

直ぐ斜め前には棚倉駅

暫く右の奈良線に沿って歩く

暫く歩くと十字路になるところで、右に折れてJR線の高架を潜り左に折れて少し線路を左に歩く

その先200m程進み右にカーブする

その少し先の交差点で左に折れる。右から京都観月橋からの 奈良街道 と合流する

暫く左の奈良線に沿って真っ直ぐ進むと、新鳴子橋を渡る。車の少ない快適な旧道

更に70号線を進んでいくと、山城町椿井地区にある橋の手前を左の旧道に入る

旧道に入るところ

少し進んだところに、左の奥に椿井大塚山古墳の案内があるが線路の向こう側であるし眺めるだけとする

椿井の街並みを進む

左手奥に見える 光明寺

椿井公民館近くの街道

古道左にある 阿弥陀寺

その先右手にある 延命寺 延命寺のところの二股道を左にとりすぐまた右に入る


その先緩やかに蛇行しながら南に進んでいく

途中に お堂 がある

左に小さな池みて左に回っていく

坂を下りながら城ノ内集落に入る

集落のところで右から少し広い道路が合流してくる

合流するとこ

合流した先から古道を振りかえる

合流地点からの先の古道

古道が左にカーブする左角に 廻照寺

お寺のすぐ先の細い道を左入ると 小林家住宅 見学はできないが昔からの由緒ある旧家だと伺える

大きな重厚な建物である


大きすぎてカメラに収まらない。我々旅の者にとっては大変貴重で有り難いが、住居している人にとっては維持していくのに大変だろうと思う。

塀の中の大木、中が分からないだけに余計興味が注がれる

表の長屋門新しく建て替えられている

茅葺の母屋だろう

街道に戻り、古道沿いの旧家の屋根 この地区には結構旧家が残っています

椿井地区を過ぎて、いよいよ到達地点の上狛地区に入っていく

左に 西福寺

正福寺の先、山城町郵便局を右にみて直ぐ左の広い道を南に進む


その先左に折れて進む道がある、JR京都線上狛駅へ。古道はこの先の信号交差点で終わる

駅に進む交差点の左手前角に小さな 祠 が

交差点手前の右手一帯が 上狛環濠集落 で集落回りの堀が残っている


国道24号線の交差点。橋の右手前一帯が環濠集落

京都観月橋方面からの、奈良街道 はここまで合流した後、この交差点を直進して奈良市に向かう。
また 伊賀街道 の起点でもあります。いずれも詳細は追ってHPで詳細を公開します
手前の広場がコンビニの駐車場、古道はこの交差点の右の道から北

ここで山背古は終了、JR上狛駅帰る。
山背古道 完歩
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