2,013年12月8日
自宅6時15分に出てJRで名手駅まで、名手駅と粉河駅と間で名手よりで大和街道との分岐点、高野の辻まで歩く。
高野の辻を、7時35分スタート。紀ノ川を渡り、暫くすると山道への急な集落の坂道を登っていく。麻生津峠・日高峠・市峠・梨の木峠と何度も峠を越える。そして花坂~高野町石道の矢立で合流。
この先大門までは何度も歩いている、コンビニで買ってきた簡単な昼食をとる。この道は素晴らしい旧道であった、一部荒れているところがあるが整備すれば一級の旧街道になると確信した。
距離的には中級向きでもっとたくさんの人に知ってもらいたい。行政が少し力を入れていただけたら、熊野古道にひけは取らないだろう。ここにも高野山参詣道が残っている。途中日高峠近く(四ノ辻地蔵)で道を迷っているとそれを見た男性の方が家より出てきていただき道を丁寧に教えていただいた。その方も言っておられたが素晴らしい道なのだがほっておくと歩けなくなるので県に陳情しようと思っていると言っていなした。
殆ど登りばかりの道を進み花坂に着く、ここで名物のやきもちを買う、昔からの名物で三軒ほど店を出している。そこから20分ほど坂をのぼり町石道の旧道矢立に合流する。
矢立13時05分完歩ここでコンビニにて買ってきた昼食を簡単にとる。矢立から町石道を1時間30分戻り、二つ鳥居まで移動する。二つ鳥居まで 41.655歩 24.99㎞ 二つ鳥居から天野の里へ下る。
この麻生津道は、和歌山方面からの主要道であった。西国三十三ヵ所の粉河寺から西国巡礼者や紀ノ川を遡ってくる貴族や、高野山上へ墓石を運ぶ人々等が登って行った。道沿いには史跡もおおく、展望も素晴らしく。紀ノ川を渡り麻生津峠への道沿いも旧家が連なり、昔の街道の雰囲気が色よく残す参詣道で、いくつかの高野山上への登る道の中でも素晴らしい。
また町石道程一般には知られていないので、歩く人も少なく、一部道が消失しかけている山道も地元の人で伐採がなされかろうじて残っている部分もある。もっと宣伝をしてハイキング道として歩いてほしい旧道と感じた
高野の辻、7時35分スタート
矢立13時05分完歩
41.655歩 24.99㎞
JR名手駅、起点は駅の西約1.5km の大和街道との分岐点まで移動する

起点の大和街道との 高野の辻 大和街道を辻方向に西に見る

辻にむかって東に見る

西南の角に 道標と常夜灯 「右 かうやみち、 左 いせまきのを道」

起点スタート 7時35分

起点を南に進みます

100mほど先右手に、 お大師さんの井戸

すぐ先の二股道を左に

左道沿いに 石仏の祠

地蔵のすぐ先左に、吉田段ボール工場があり、国道24号線に合流するので、左斜めの向こう側の道に渡る。信号がないので注意

国道24号線を越えて、藤崎地区の集落

名手川に架かるしれな橋を渡る

しれな橋から名手川の東方向西方向を遠望


橋の先で二股に分かれているので、左の道を入る

左の道を入ると、土蔵が残る大きな建物が、後田地区を進む

道は突当り左にカーブしているところの正面に 長徳寺

正面右手に石の立派な

今は歩けないが、旧道は正面右を真っ直ぐあったようだが、今は左に曲がりまたすぐ右に折れ、更に右に曲がって、お寺の裏手の道に出る。

お寺の裏側から見る、住宅で旧道は消失

150mほど進むと交差点となる、右からは先程二股で別れた右の道がここで合流する。

右から合流した道方向

交差点を左に折れ、2m幅ぐらいの道を進む名手西野地区

左に小さな 地蔵と宝筐院塔

右手に紀ノ川、果樹園の道を進むと、交差点に出る。ここを左に100mほど行くと

名手西野八幡神社 と美和幼稚園舎跡の碑がある



先ほどの交差点に戻り真っ直ぐ進むと交差点にでるので、右に曲がる

右に曲がるとすぐ紀ノ川に架かる麻生津橋。左に曲がると国道24号、その先JR名手駅

麻生津橋

麻生津橋より紀ノ川の上流、東の遠望

下流の西和歌山市方向の遠望

橋を渡ったところから振り返る、今歩いてきた方向。
今は何もないがこの橋の辺りに 麻生津の渡し があった。
和歌山市方面、大坂泉南辺りから高野山へ上る旅人は、この渡しを利用して麻生津道を進み花坂にでて町石道に合流するのが近道であった

橋を渡って30mほど先の道を左に入る、左に郵便局があります。

左に折れないで真直ぐの所の信号交差点の右向い角に 燈籠

先ほどの辻に戻り左の道に入る。左に郵便局を見て道なりに右に緩やかにカーブ、先ほどの信号交差点の少し東側に出る。県道13号で 河南大和街道が交差します 横断する

新道の13号渡る手前右に 池浦の地蔵堂6地蔵の第1の地蔵 で、横谷・麻生津峠・日高峠・梨ノ木峠・花坂にあり、6地蔵といわれている

地蔵堂のところに出てきたところ、前の新道は県道13号線

50mほど先、右に風格のある建物、村上商店の過ぎたところを左の道に入る。角の電柱にこの辺りの茶屋町の標示が見える

街道情緒の残す、商家が並んでいます。左に曲がり真っ直ぐ茶屋町の路地を150mほど進むと

突当りとなるので直角に右に折れる。その角に 道標 がある

突当りの 道標・小さいのが元標 「右高野山・・・」


右に折れて50mほど先で茶屋谷橋を渡る

橋の袂に 地蔵の祠

茶屋谷橋を渡り、いよいよ本格的な急坂の登りとなり、中村・横谷の集落へ入っていく。

街道は昔の面影が存分に残り、車にも悩まされないし、立派な重厚な建物が続く。登坂であるが苦しさも忘れる。

中村集落にはその形から 将棋石 と呼ばれる 土岐頼信の墓 が街道右にある
土岐家は清和源氏の流れを組む一族ですが、頼信という名前が系図にもないのでよくわからないが、大きな墓石です


坂を登り切ったところで3つに道が分かれるが、右と左は新しい道で、街道は真中の細い道を進む

三叉路の過ぎたところから振り返るとかなり登ってきています

横谷の集落に入り坂を登っていくと左に 6地蔵のうちの第2地蔵 が祀られている。


その先で変則四辻になり、真っ直ぐの細い道を登っていく。結構急な坂道に民家が建っています。やはり高野参りの道として人通りが多かったと思える

少し上ったところで、右の道を進む

右へ下る道との二股では真っ直ぐの道を登る。そこの左手にはしだれ桜の標示がある

でもやはり時代の流れだろう廃屋が多い

この分岐は右の道

山の上にまだ新しい家が立っているが、やはり先祖が残した土地を離れがたいのだろう

更に登って、横谷集落のはずれにある 堂前地蔵、休み地蔵 とも言われている。かつての高野参りにおいてここで茶の接待があったという。




かつらぎ町、左の紀ノ川市、向かいの山、和泉山系、手前の紀ノ川の絶景、冬とはいいながら最高の天気で気分爽快


集落の快適な旧道を登っていきます

柴茶屋地区の標示、結構標示がしてくれているので迷うことはない

左に小さな地蔵が祀られている ハイタ地蔵


突当りを右に進む

その先で新しい道に出るので右へ、

そのすぐ先で左にカーブしてすぐ右に坂を登っていくと赤沼田集落に入る
坂の途中から登ってきた道を振り返る。あまり左右に蛇行しないで真直ぐ登ってきてます。その分急斜面になっています

坂の途中左に 燈籠

更に登るがすぐ左に


大師の井戸と祠
弘法大師が水を所望した際に老婆が遠くまで汲みに行ったことに同情し、大師が加持によって掘ったという大師井戸

その先更に細い道を登っていく。ふもとの一の地蔵からほぼ登りが続くが、気持ちの良い道で苦しさを感じない

麻生津峠からの紀ノ川の展望は最高

【麻生津峠】
麻生津峠・観音茶屋跡 峠はやや広くなっている。ここで標高520m、下の紀ノ川の名手が30mなので一気に490m登ってきました。でも快適な古道なので不思議と疲れを知らない
右に麻生津峠の 観音堂 が建つ十一面観世音菩薩が祀られている

道を挟んだ観音堂の向かいの 地蔵祠

祠の裏手に民家があり、おばあさんが草取りをしていたが、ちょっと買い物というわけにいかなく大変だろうな、
峠には 茶屋 があったようです


観音堂から左の杉木、桧木の綺麗に伐採された山道を進む、紀ノ川の景色も峠まで

綺麗に枝打ちも行われた中を進むのは気持ち良い

左側の道を進みます

少し歩いたところで、右へ入る道がありますが、飯盛城跡 3.8㎞の標示が出ている

右正面から来て、飯盛山(標高746m)への登山口は右に折れる道

やや広い新道に出ます
新道を少し左に曲がり、すぐ右の山に入っていく

この新道を曲がり、20mほど先で右の山道に入っていきます

新道の反対側から見ると、左の新道に沿った細い登り道を山に入っていきます

右に曲った所、そのまま倉庫のような建物に沿って道があるようになっているが、すぐ先が荒れておりそれ以上いけないが、旧道はそのまま真っ直ぐ登って行ったのではないだろうか?。

これから暫く山道を進むが、少し荒れたところもあるが、比較的伐採もされているので道は解りやすい。また枝打ちも行き届いているので明るい道になっている





ようやく林を抜けた

右からの舗装道と合流して、左に50mほど進む

左手に 四の地蔵

四の地蔵と今通ってきた道、地蔵のすぐ左にみちがあるが、その上に一軒家がある
ここのところで旧道がどこかわからず迷っていると、男性の方が家から出てきて、道を教えていただいた。暫く話をした、素晴らしい旧道が残っていて、町石道に劣らないほど素晴らしいと話し合った。その方ももう少し整備と宣伝をするよう行政に話そうかと言っていた。

日高峠
立派な石の碑の説明文も自費で建立したと言っていた。素晴らしい。

1軒家の・四の地蔵の所で、左が舗装、右が地道に分かれているので教えていただいた通りに右の細い地道を進む。
タイミングよく住人の方がいたので助かった。迷う所であった。
でもすごいな、山深い一軒家で済んでおられるのは。
今人気の、「ぽつんと一軒家」だ
よく見れば、其の左角に小さな 道標とお地蔵さん がある、よく見なければ道標は見落とす
かろうじて、「右 こうや・・」と刻んでいるのがわかる


右の細い道を進む

少し先右にも 石標 「弘法大師・・・」


その先で旧道は分岐している、左の下りを進む。何か穴に入っていくようで少し心細い。よく先ほど道を教えてもらった、とても解らず迷っただろう。有難うございました

かなり厳しい道だ、季節は今だからいいが、雑草が茂る頃はチョット一人では心細い

でもそうこう思っている間に明るい山道になった

でも道はあまり歩かないのかかなり荒れている

快適な道に変わった、木も低く日がよく当たるので明るい

正直今どこを歩いているのかよくわからない

分岐があるがどちらを歩いたのかよく分からない



やっと視界が開けました


民家が見えてきた坂を下ると、480号線のT字路に出るこの辺りが、
市峠

480号線より旧道の坂を下りてきたところを見る

480号線を右に折れ坂を下る。下る所から振り返り市峠を見る

暫く480号線を志賀まで南に進む

坂を下る途中、右の山間から道が下ってくるが、途中で別れた舗装道だろうか

少しさきで、左に入る旧道がある

旧道を入りすぐにまた480号に合流

480号に出た左に 地蔵さん

480号より左の集落に入る旧道らしき道がここにもあるので左に入る

480号が右下に、でも480号は新しいし、山は切通しになっているので、この左の山道が480号が出来る前の旧道であったかも。今は行き止まりとなり消失しているが?

市峠から真っ直ぐ国道を下ってくると、前から新しい道が合流して三叉路になるので左、90度に曲がる

左に曲がり、480号線の新しい道を更に進んでいく、この辺りは旧道がどこか解らない。この辺りの道路開発が進んでいる。志賀地区を暫く歩くのみ

左から川を右に迂回してくる道が旧道かもわからない。すぐその先で、480号線を左に分かれ右に入る

右に入り少し進んでいくと、右手に神社を見て、更に左に学校の建物を見て進んでいく


神社全景


480号線に出て突当り祠を左にみて、右に折れ新道を進む 地蔵尊


中志賀バス停の所で左の旧道を進む。右の道は新しく最近できた道で、この先で志賀トンネルている


左手に地元の県会議員坊秀男の銅像

右の川に沿って進むと、右川の対岸にふれあい会館がある。公共の宿・ホタルの里

更に右に川を見ながら進む

やがて、志賀トンネルを抜けてきた新しい道に合流して左に進む

里山の道にしては非常に立派な道である

上志賀バス停

右に上志賀集会所をみて、志賀梨ノ木峠口バス停に着く新しい道は正面の志賀高野山トンネルを抜けるが、旧道はここで左に曲がりトンネルを迂回し、梨ノ木峠を越える


左に曲がると、小さな出店の「たあちゃんの店」がある

100mほど進むと分岐があり左は天野の里へ。右は梨ノ木峠への旧道

右に曲がった登り坂

志賀高野山トンネルの出来るまでの自動車道だからまずまずの広さの道。でも今は殆ど車は通らない。

何度か蛇行をしながら緩やかな坂を登る

左に曲がる所、左手に 燈籠 と隣に作業所胡麻稔雄工房と書かれている

常緑樹の中の1本の紅葉、紅葉時には綺麗だっただろう

梨ノ木峠
峠の由来は、弘法大師が梨の木を植えたことによるといわれている。弘法大師の地元であり、それにまつわる伝承が多い。左に入ります

峠は切通になっているので、旧道はもともと左の道であったのかな? 先に進めないから戻ります

峠を境にここから高野町に入る

高野町からの峠を見る

舗装道路を花坂集落に下っていきます

途中右に旧道のような道がある、このような道があったら気になって仕方がない

坂の途中、左への道に、自然者本宮の標識が立っているがどれだけ入るかわからないからパス。真っ直ぐ下っていく

ようやく花坂の集落が見えてきた。花坂は名物「やきもち」で知られる宿場町。3軒ほど営業しているのでお腹もすいたことだし昼飯代わりに、やきもちを買って食べる。

正面から下ってきて、右手のやきもちやで買う。

花坂から新しい道を左に高野町石道の合流点まで、矢立への坂を登っていく。途中右手に、高野町花坂区公共諸施設完成記念碑が建てられている

矢立への道は工事中でした

高野町石道の矢立合流点
正面の白い車の所を登ってきた、広い交差点になっている

麻生津道は高野町石道に合流して、ここから更に大門に向かって登っていく。まだまだ距離は長い。正面の茶店の横の登坂を進むのが大門への道。
町石道は何度も歩いているので、この先は終わりとする。

店の道を挟んだ向かい側登り口にある案内表示

麻生津道完歩
この後引き続き、天野の里から三谷坂道へ移動のため、町石道を二つ鳥居まで慈尊院へ下る
矢立の茶店から新道を50mほど北に進むと、左側に 60町石 が立っているのでそこを左に山道を入るのが、町石道。

矢立砂捏地蔵(やたてすなこねじぞう)
町石道に入る左に、この地蔵さんはお大師さんが高野山開設の頃此の地を行き来され、その時にこの地の平和と村人の健康を祈願しつくられたという霊験あらたかなお地蔵さん。(解説板より)

道の入り口の手前を左に石段を登る

お地蔵さんより矢立を見る

町石道の登口

町石道の参詣道を進んでいきます

途中の 神田地蔵像 町石道の天野側に休憩所として建つお堂で、高野山の僧が天野に下向するときの出迎えの場所

左にゴルフ場、天野の里が見えてきた

白蛇の岩と鳥居
この鳥居の奥にある大きな岩は、白蛇岩といい、この岩の隙間に入り込もうとしていた蛇を、杖でつついて驚かせた僧が、丹生都比売神社からの帰途、この岩の前を通ると白い大蛇が岩の上の木に巻き付いて待ち構えていたという伝説。この岩には白蛇が棲みついており、この岩にお参りして、白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられている。
(解説板より)

坂を登っていくと、二つ鳥居 が見えてくる



天野の里の遠望 鳥居を左に見て町石道を下って行くと九度山の慈尊院へ

矢立から二つ鳥居の町石道補足終わり。慈尊院でなく左の 八町坂を下り天野の里へ下り、丹生都比売神社から三谷坂を下ります
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