高野山への道・黒河道

2017年3月11日

橋本市の大和街道との交差~紀ノ川の三軒茶屋の渡し・河南大和街道を横断~賢堂集落・定福寺~明神田和~市平橋~久保集落・久保小学校~子継峠~高野山森林公園~黒河口女人堂~高野山奥の院

黒河道は高野三山のうちの二つ、楊柳山と摩尼山の間の黒河峠を抜けて、奥の院の大師廟の裏から鶯谷の黒河口女人堂への道です。
この道は高野七口の一つの登山口です。高野町石道や高野街道不動坂口に比べると、距離も長く起伏も激しかった、利用する人も少なかったようですが、地元の人々の生活道路でもあったようです。
この道に関して豊臣秀吉の逸話が残っている旧道です。

【1回目】2010年
2010年に歩いた黒河道は、何処の主催か忘れましたが、25人程の黒河道ウオーキング、私は近くに住んでいたので名前は知っているだけであった、道もわからないし興味もあったので参加させてもらった。世界遺産となるのはもう少し先で、道も案内板も整備された今と違っていた。はっきり憶えていないのですが、確か今の主流道である定福寺から登りませんでした。
橋本駅から橋本橋を渡り三軒茶屋を経て学文路駅まで歩き、そこから高野街道を登り刈萱堂迄行かずに途中で左に分かれ弁天宗の上を抜け、国城山(標高552m)の国木神社に参拝した記憶です。
明神ヶ田和から、現在主流のわらん谷コース(今でもかなり厳しい道で、当時はもっと危険であったのだろうか)を辿らず、明神ヶ田和から青渕をへて丹生川に下る(青渕コース)を歩き、丹生川に架かる市平橋でわらん谷コースと合流し市平の数軒の民家に出ました。市平で林道と合流した辻で現在主流の太閤坂コースでなく戦場山コースを歩き、久保小学校に出ました。久保小学校の先も右の粉撞峠コースでなく、左の黒河谷コースを辿った記憶です。北又川のほとりに出て、今は廃村となった黒河集落跡を進み尾根道を歩きました。上りきると桜峠、摩尼山と揚柳山の間の路で黒河峠を越えて谷沿いの道を下り、三本杉に出て(この辺り記憶が定かでない)1本杉に出て、粉撞峠コースと合流して高野山森林公園を通り黒河口女人堂跡から高野山役場が終点だった。

最初はそろって歩いていましたが、久保小学校を過ぎたあたりから、皆さん健脚そろいの方が多くバラバラになってきました。もちろん道は分からないから要所要所にかかりの方が案内していただいていた。それで私も、一番早い方につかず離れずで結果、二番手に完歩することが出来ました。15年前で私も65歳と今と違って若かった思い出です。
今では歩けるだろうが、あれだけの速さではとても無理です。

当日は歩くだけでカメラも持っていきませんでした

【2回目】2014年10月26
今回は二回目、和歌山県文化遺産活性化委員会主催の参加です
今回もグループ歩きに参加しました。この時点ではまだ世界遺産には入っていませんが、2016年11月より世界遺産に組み込まれました。
橋本駅8時10分集合で高野町役場前16時30分着。前回と違って黒河道もよく知られ道も整備されています。参加人数も40名ほどと多いです。
南海橋本駅~応其寺~定福寺~どばい坂~五軒畑~鉢伏~明神ヶ田和~わらん谷コース~市平橋~太閤坂~久保小学校跡~粉撞峠コース~一本杉~高野山森林公園~黒河口女人堂跡~高野町役場
           33.701歩  20.22㎞

【3回目】2017年3月11日

前回2回グループで歩いたときうまく写真が撮れていないのでなく撮るまがなかった、今回改めて3回目、世界遺産にもなったことなので一人歩きで挑戦。
この時期なら熊も蛇もいないだろうから安心。三軒茶屋跡近くに車を置き歩きます。
      三軒茶屋   8時30分 スタート
   黒河口女人堂跡  15時20分 着
           32.504歩  19.5㎞

途中国木山山頂の国木神社にも寄りました。また一部ですが前回歩いた写真も混じっています。

平成26年1回目の写真、JR・南海橋本駅前

橋本駅から狭い街中の道を縫いながら南へ、途中、 応其寺 による

国道24号線に出た近くにある  この辺り開発が進み新しく移転したようです

国道24号線を横断、紀ノ川に架かる橋本橋を渡り、賢堂の集落にはいります
橋本橋の手前左、紀ノ川沿いに、かつて 紀州徳川家の橋本御殿 がありました(詳細は大和街道)

紀ノ川の対岸の黒河道へ行くのも現在はこの橋本橋を渡りますが、かつては、高野街道・大和街道からも少し西側の東家から対岸の三軒茶屋へ渡し船で渡っていました。
三軒茶屋で高野街道は西へ学文路まで進み、高野街道で女人堂に上っていました。また、紀ノ川の南岸を平行した、
河南大和街道も三軒茶屋で東西に交差しています。(詳細は河南大和街道を)
黒河道は三軒茶屋で南に入り南海高野線を渡ると、定福寺があるので、そこを登山口としています。1回目の時は経路が一部違ってようですが資料が少なく何ルートかあるようですが、
このルートが世界遺産に向けて整備されつつあるようです。

橋本橋を渡り(右)西を見たところです正面分岐してる白い建物の向こう側に、三軒茶屋渡し跡

紀ノ川対岸の 東家の渡し跡 付近

三軒茶屋大常夜灯籠

ここ三軒茶屋跡は紀ノ川対岸から渡し舟場跡で、高野街道が京都・大坂・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道であった。古くはこれより下流の九度山の慈尊院から町石道を登った。その後室町後期に入り、学文路から高野山に登る大坂道が開かれこの道が主流となりました。今から歩く黒河道は高野七口の一つであるが、厳しい道であり地元の人々が主に利用した、高野街道の脇道的存在であった。
この前の道は、高野街道でもあり、岩出の渡し(現岩出橋の少し東)で大和街道と分岐し、紀ノ川の左岸(南)に沿って、上流は吉野山に通じる、河南大和街道が一部重複している。河南大和街道は、ここから現、橋本橋の南詰を東へ進みます。また九度山・慈尊院を通り岩出へ、途中、天野の里への三谷坂や高野七口の脇道、麻生津道が分岐します。(いずれの道も歩いているので参照してください)。三谷坂や麻生津道も素晴らしい旧道が残っていますのでお薦めします。

三軒茶屋前の旧道

三谷坂・京大坂道不動坂(高野街道)・黒河道の幟

三軒茶屋より北に進み、南海高野線の橋本5号踏切を渡ります

踏切を渡りすぐ分岐する道を右に折れます

道なりに左にカーブしながら坂を上ります

カーブのところで振りかえると長い塀の続く旧家

旧家の大きな家の間の道を出たところT字路となり右に折れます。正面に定福寺が見えます

坂の右側に橋本市賢堂の定福寺 真言宗紫雲山 定福寺

九重塔1基
鎌倉時代弘安8年(1285)の建立銘、古い極めて貴重な遺物 本尊 木造阿弥陀如来坐像10~11世紀の作

お寺の前を上り分岐を左にカーブしてすぐ右の地道を上ります

どばい坂、登口左に 

すぐ先で雑木林に入り少し上ると、舗装された道に出ます。

舗装された道の左に 

どばい坂を登っていきます、正面の高台に民家が見えてきます

数軒の五軒畑集落です

その先で右への細い道に入ります

土蔵のある民家の軒の細い道を左に巻いて進みます

案内表示がそれぞれの箇所にあるので迷うことはありません。正面の突当りを右にカーブします

五軒畑岩掛観音

岩掛観音からの景色も良い、写真は橋本市街地で、橋本橋から山の間は紀見峠、写真は東方向で金剛山がよく見える。

気持ちよい山道を進んでいきます

やがて林を抜けると上の道に出ます

鉢伏付近

明神ヶ田和まで1.2㎞の標示

この辻、左斜めの坂を入ります

案内標示に従って進む

やがて雑木の中の道を進むと、目の前が広がり冬場なので草も茂っていないので、段々畑を思わせる地点に出ます

中の道を蛇行しながら登っていきます

4の標示地点に出ます

上に出たところで右に進みます、その左に 小さな 灯篭と祠

この辺りに 鉢伏井弘法大師 が杖をつくと湧き出たという井戸

さらに左に 

左にカーブする右に一軒家がある

長い年月が感じられるV路を登っていきます

やがて右から舗装道が合流します

道に合流したところを振り返る向かって右から下ってきた

綺麗な杉林の中の道を進みます

明神ヶ田和につきました

明神ヶ田和

この辻は五差路となっています右の道は南海紀伊清水駅へ、正面左の道は国木山への道、左の道が今回歩く
わらん谷道、一番左が1回目に歩いた青渕コース道です1回目は学文路からこの右から登ってきて合流しました

左を写しました、3つに分岐していますが、一番右が国木山への道、真ん中の急な下りがわらん谷道、左が青渕道。

【寄り道】して右の国木山への道を歩きます。
すこし進むと国木神社への道案内板が立てられ左に入ります。あまり時間がかかりません

山頂です(標高552m) 山頂の 国城神社 まで車で登れるようです

国城神社の由来は神代の頃に源を発するという伝説がある。社を創建したのは大和時代(一千数百年前)の古社

正面真っ直ぐの参道、はるか先には紀ノ川が見える

明神ヶ田和の辻に戻り、右のわらん谷への道を下ります

右の下る道わらん谷へ、左は青渕コース

気持ち良い坂を下っていきます

綺麗に整備されています、ややはり世界遺産だけあります

倉庫のような小屋を左に巻きます

その下に給水施設の小屋がありますので、小屋を右に巻きます

右に巻いたところで谷川に架かる橋を渡り、左に下ります

何度もこのような木橋を渡ります

実際歩いてみると、写真よりは厳しい道です。人一人歩くのがやっとという道

左に滑り落ちないよう注意しながら進みます、でも歩いている人と未だあっていない

このような景色に出会うとほっとする

橋本市清水 藁谷の赤石 旧道を塞ぐような大きな石、かつて旅人が目印とした 赤色の巨石

よく上の石が落下しなかったんだ

振り返ると、左側でほとんど旧道を覆っている

片側が斜面になっていて、雨の跡や雪の時は滑って危険だろう

蛇行しながらほぼ南へ下っていて、結構谷川沿いの道で長い。少し一人であるくには寂しい。この道は一人で歩くより複数で歩くことをお薦めします。

かなり下ってきました

やっと右下に道が見えてきました、市平地区に入ったようです

わらん谷の谷川沿いの下り道を写真で見ているが、もっと厳しい道であった。世界遺産になるため大変苦労されて整備されたようです有難うございます

舗装道に出て、鋭角に右に下ります。左から下ってくる道は、青渕コースの旧道です

右に下っていきます、正面に丹生川に架かる市平橋が見えます

この表示を見ると明神ヶ田和からここまで1.9㎞となっています。
青渕コースの道を見たところです

左の丹生川に沿って少し下ります

丹生川に架かる市平橋を渡ります

上流を見る

下流を見る

市平橋を渡り左へ坂を上っていきます市平の民家。

舗装道は真っ直ぐ行きますが、
黒河道はこの民家の青いシートの所の細い道を右に折れます。標示はありますが、民家の手前の柿畑で作業していたおじさんに話をしながら聞きました

右に折れるところの標示、ここから久保小学校まで3.7㎞の上りの山道

民家の横の道を登ります、獣除けの柵を開け右に折れます。左に石垣が残っています。おそらくかつては一つの集落を形成していたものと思われる跡でしょう

上からみたさきほどの民家、大きな屋敷ですおばあさんもいたから老夫婦二人でお暮しなんだろうか他には民家も見当たらず集落が無くなりつつありますでも上から見ても大きな民家です

市平春日社の石段があります

桂の巨木 3月末に咲く花は素晴らしいとのこと、一度来年でも来よう

桂の木の根元の 春日社

春日社を後に急な登りの山道に入ります

斜面に沿った道で足を滑らさないように進みます

道というより斜面を歩いている感じです

右の道を進みます

標示のところで右に上ります、急な登りを蛇行しながら進みます

杉木の手入れが行き届き綺麗です

左に大きな岩と小さな石仏があります

左にカーブするところに隠れたように右に

市平山の社

ここは右が急斜面で滑りやすいので注意しながら進みます落ちたら上がれません

市平山の社から暫く登っていくと、林道に交差します

いやな看板があがっています、時期が来れば決していつ出ても不思議でない。市平の民家のおじさんが話されていたが、秋に多く柿の実を食べられるそうです

ここは林道との交差で少し広場になっています。ただ看板が少しおかしいような気がしました。林道に沿って矢印方向の右に進むと戦場山コース(1回目の時に歩きました)で、黒河道としてどの資料でも推薦している道は、左正面の道を下る太閤坂コースですので、はっきりとコース案内は掲げるべきと思いました。(勝手なことを言ってすみません)

左正面の下り坂に入ります
太閤坂と呼ばれている坂道です

下った行きます

右に小さな池のあるところで左にカーブします

左の金網にそって狭い道を登ります。左は開けています。姉子谷付近です

左の開けた真ん中の小山に盛られた上に  が祀られています

金網の切れたところ丸太で組まれた階段を少し上ります

右にカーブしながら進んでいきます

左斜面に注意しながら蛇行しながら上ります

なかなか冒険心がそそられる道です。この辺り左急斜面で滑らないよう注意が必要です
正直なところ無我夢中で歩いています。一人では少し心細いです

左に小さな池

視界が開け前方に民家が見えてきました

立派な蔵付きの建物ですが、一軒家で心細いだろうと思う

民家を右から左に回り込むように道は進んでいきます。どうも今は空き家になっているようです

久保に入ったようです、この辺りにも最近まで集落を形成していたようです。
先を進みます

右下に別コースの戦場山コースの林道が見えてきました。合流します

久保小学校に出ました。今は休校で廃校ではありませんでした。現在集会所として利用されているそうです。
学校があったぐらいだから、かつては結構な民家があったと想像できます。ここで男女の方と会いました。本日初めて歩いている人に会ったこととなります。でも現在の状況では学校が復活することはないでしょう。第一民家も少ないし子供さんがいない
それはそれで少し整備して、都会の子供たちの林間学校に使用が出来ないのだろうか

すこしの時間、コンビニで買ってきた食事休憩しました。左角に 久保田和の石仏 祠 の向こう側から出てきました

九度山町立久保小学校 2006年に廃校でなく休校となっています1991年度は7名の児童が在校していたそうです。休校ということは開校を期待してのことでしょうが現実は厳しいと思います。 

この写真は、2回目の参加したときのもので、

申し込んでおくと特別に、ソプラノ歌手の尾上利香さんが「和みの歌が山に響くー光と風と水ー」生の声で歌ってくださった。素晴らしい声で山いっぱいに学校の校庭いぱいに響く、疲れがいっぺんにふっとんだ。ステージで聞くのと全く雰囲気が違いました大自然への感謝が込められて、そよ風や清い水の流れ、陽の光りに乗り、ほのぼのとした昼のひとときを過ごさせていただいたのが思い出しました。有難うございました

学校の全景、点前は運動場

グランドの上には神社があります4月には桜が綺麗なようです

この辻で、左を進む黒河谷コースと右に進む粉撞(子継)峠コースに分かれます
1回目の時は黒河谷コースでした。2回と今回は粉撞(子継)峠コースの右へ進みます
左の道は黒河谷コースです、このコース沿いにはかつての黒河村ですがすでに廃村になっている、かつては両方の道を利用されていたと思います
休憩も終わり、学校の角の分岐を右に進みます。
今回は右の粉撞(子継)峠コースを進みます。案内板では子継峠となっています

学校のグランドの上に出て、右に入ります

子継峠の案内標示

暫く進むと 茶堂跡 があります

茶堂跡から進むと綺麗な杉林の中の道

かなり厳しい坂道です

左の斜面がきついです

途中、弘法大師の足跡と伝わる、大黒岩 を見逃したようです

高野豆腐の製造所跡
二回目の時の写真です

東郷の分岐につきました

左への道を進みます奥の院の名前が出てきました、まだまだありますが名前が出るだけでも登ってきた実感がわきます

左に、雪池山(988m)への登り口の標示ががあります

左に登り口を見て真っ直ぐ進みます

やがて25地点へ

左斜め後ろに上る道があります、ここからも雪池山へ登れるようです。持っている資料では黒河谷コースの黒河にでる、ひうら坂となっています(今は通行不能)

粉撞峠(子継峠)につきました見通しは良くないです

ここはもう高野町です 峠の子継地蔵

高野三山巡りの案内板のようです

高野三山の一つ 揚柳山への上口の階段ここへ来ると三山歩きをしている人と出会いました

峠からは下り坂になります

途中右に 祠検校重任の銘が残る石仏を祀る祠

笹と杉の間の優しい道を下っていきます

やがて平坦となります

小さな木橋を渡り左の小川に沿って進みます

暫く歩くと少し広くなっています。三山登山の人たちが数人あいました

三山登山巡りの看板のようです

下の二枚の写真 10月と3月の景色が違います

10月と3月の景色が違います

やがて右上に 一本杉 が見えてきます本来は少し上で右に入り一本杉の左に出る道があるのですが分からなかった。

一本杉の袂に建つ 道標二基
「右 てんじく山 左 おくのゐん」 指差道標「左 おくのゐん」

広場にいた三山登山のグループの方達

一本杉を後にします、まだ雪が残っていました。左から黒河谷コースの道が弘法大師廟の北がわを通り合流します。

左に三山の一つ転軸山の山が控えています

暫く進むと道が分岐しますので左の道に進みます。左は高野山森林公園です

真っ直ぐ進んでいきます

この先で左が広くなっています、真っ直ぐの右の道を進みます

右の緩やかな坂を上っていきます

やがて頂上に着くと坂を下りはじめます

右の案内板のところで、左にカーブして下ります。右はグランドです

下る辺りから民家が建ち並んできました

下ると道は突き当たり左に曲がります。
その道の少し向こう側に、森林公園で先ほど分岐した新道が通っています

側溝の上に雪が被さっています、かなり先日の雪で積もったようです

左に折れて緩やかな坂を進むと左に 鶯谷御子大明神社

その先200m程進みます右からの新道が合流してきます

合流してすぐ左の土手の上に 黒河口女人堂跡 の案内板が立っています

その先少し坂を上ったところから振り返える

坂の頂上右斜面にも 黒河口女人堂跡の案内板 が立っています

先から振り返ったところ

まもなく高野山役場が右に見えてきます
この先すぐ高野山の街並みに入る。黒河道は女人堂で完歩とします 
16時23分
32.504歩  19.5㎞

黒河道 完歩



 



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