2013年1月27日
2012年12月31日有有馬道を歩きました、その続きとして支線を歩きます。
前回と同じJR尼崎駅へ、神崎川の堤防渡し跡まで歩き、同じ起点をスタートする
6時50分 スタート 16時 完歩
48.487歩 29.09km 2.199kl
この距離・歩数は有馬道の小浜宿まで歩き。時間が早いので引き続き京伏見街道をあるきました、阪急石橋駅近くの西国街道瀬川まで歩いたのを含む。
渡し跡の堤防から西に進み、ダイセル化学工場地点までは前回と同じ道。ダイセルの前の 有馬道 と分岐する。有馬道の本道

有馬道本道より右に曲がる、右角に 道標 がある辻を有馬道支線スタート地点となる

分岐点右角の 道標 明治11年(1878)の銘 「右 伊丹中山池田能勢 左 昆陽小浜有馬三田」

京都・大坂方面から有馬温泉への湯治に行く道筋を多くの旅人は、古くから「有馬街道」と呼び親しんできた。今日、市内には有馬道は2コースあったことが知られている。一つは、神崎~藻川沿いに~猪名寺~伊丹にいたる本道と。神崎~次屋~下坂部~久々知~上坂部~塚口~昆陽に至り宝塚市内で本道と合流する間道とがあった。
江戸時代には、近松門左衛門をはじめ多くの人がこの間道を通って久々知の妙見宮(広済寺)を訪れた、この街道は人々の往来が絶えなかったといわれている。(尼崎市教委)
北への道を真っ直ぐ進んでいく、建物は新しく変わり街道の面影はない。左にコストコを見て進む

山幹通り(338号線)の交差点を越えて、名神高速道路の高架を引き続き潜る

続いて山陽新幹線の高架を潜る

その先交差点を左に曲がる

左に曲がった道筋を交差点から見ると再びその先で山陽新幹線の高架を潜る

ここで⦅寄り道⦆をする
交差点を少し東へ川近くまで進むと 円融寺

隣に 白井神社 がある


境内に 石造り五輪塔と祠

街道に戻り高架を潜り更にまた広い道路の一筋手前の交差点を右に折れる

再び山陽新幹線の高架を潜ることとなる

高架の左手前奥に入ると 浄土真宗 明徳寺

高架を潜った先すぐ、左斜めの道を進む

その先の車道の擁壁に出るので右に 小中島1丁目6

右に進み園田橋の交差点手前に出て、左の藻川の堤防に上る


園田橋交差点で左川沿い堤防に沿って北西に歩く

暫く歩くと堤防の左、山陽新幹線の向こう側に 素戔嗚神社


藻川に沿って更に堤防を進んでいく

やがて阪急神戸線を越えてすぐの道を左に曲がる、ここで右の藻川と離れる。

すぐまた山陽新幹線を潜る

新幹線の高架を潜り、左の阪急線に沿って西に瓦宮1を進んでいく

この辻で右に折れる。右手前に光書店

交差点を右に折れる前に、少し真っ直ぐ進んだ左に 皇産霊神社 祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かみむすびのかみ)


街道に戻り、右に折れてすぐ先、寿司店の所で左にカーブ

またすぐ先、右角に南台公園の角を右に折れる

更に暫く進んだ先で、右にポストがある所を左に折れる

老人福祉施設カラー尼崎を左にみて側溝沿いを北西に歩く、この辺り口田中地区

左に立派な石碑、大井組四百年祭記念碑、古い歴史を持つ会社なのか

右にセブンイレブンがある所で、広い道路が右から斜めに交差してくる、少し左に折れてすぐ右道路向かいに交番がある手前を右に折れる

右に入ったすぐ先右に、園田中学・園田小学と続く

園田小学校前交差点で左からの広い道路に合流して暫く歩く

左にセブンイレブンがある、そこの左への道を西へ進み⦅寄り道⦆ 浄土真宗 専正寺 開基は奈良時代と伝わる


更に、お寺の西北に 素戔嗚神社

神社は古墳時代中期の前方後円墳の上に祀られている 南清水古墳

豆葉地蔵
明治三十五年七月十四日お告げにより、神社の東南の川底より堀上て祀った地蔵

街道に戻り少し進むと、猪名寺南交差点でまたも山陽新幹線の高架を斜めに潜る

高架を潜ると猪名寺地区で、右に神崎高級工機(製)の大きなが工場

その先の信号交差点を横断、左の郵便局の東側の道を進む

横断した先の道は細くなる

右に 真言宗御室派猪名野山 法園寺


隣に 猪名野神社

この辺りは、摂津国 猪名寺廃寺址


また街道を挟んで左奥には 有明山 法光寺

その先街道はフェンスに沿って左に曲がると右に広い東リ工場があり、道なりに右に折れ西北に進む

猪名の笹原旧蹟
有馬山 ゐなの笹原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする 小倉百人一首
しなが鳥 猪名野を来れば有間山
夕霧たちぬ 宿りはなくて 万葉集

万葉の時代からこの地一帯は猪名野と呼ばれ、笹の原野が広がっていた、旅人の詩情をかもし数多くの歌が残されている。今は開拓は進みその風情を偲ことは出来ないが、東リの庭に何種類かの笹が残されていると案内板に説明されている。
東リの西側の街道を進んでいくと左に墓地がある

杜若寺墓地の 道標 寛政五年(1793)の銘、碑の表には 「南無阿弥陀仏 右 尼崎 左 大坂道」

JR福知山線を渡り右へ進む、右に大坂道の案内板が立つ


伊丹市有岡の町に入る

有岡の町並みを進みます

右に重厚な古民家


右に碑があり背後は有岡公園

街並みの建物は建て替えられているが、落ち着いた雰囲気、振り返る

街並みを進んでいきます

街道左に 浄土真宗 福円寺


右に大きな商家

その先の信号交差点を左に

左に折れたところの左手に 正覚寺

素朴だが何か趣趣がある 山門


少し先の伊丹4丁目交差点の広い13号線を右に曲がり13号線を進む

次の信号の左に入ると 曹洞宗華厳山 墨染寺 門前に鬼貫碑の石柱



伊丹郵便局前交差点の次の交差点の左手前は小西酒造本社、西北角には 酒蔵の長寿蔵 が建つ

交差点を右に行くと、JR伊丹駅。左に少し⦅寄り道⦆左に入ると 法専寺

浄土宗 法厳寺


法厳寺の大クス

浄土宗 正善寺

浄土宗 大連寺
このようにお寺が集まっている一角、この西側は阪急伊丹線の伊丹駅

街道に戻り、交差点の小西酒造側の角に 伊丹町道路元標 大正期に道路に起点を示すため設置。
ここには江戸時代には 高札場 があったところ。近代には 川辺郡役所 が置かれていた。


交差点の歩道橋より南の13号線を見る

右の小西酒造本社、手前交差点角の道路元標

歩道橋より北側を見る、右ニトリニトリの過ぎたすぐの交差点を左に折れる


旧石橋家住宅(県指定文化財)江戸時代後期の商家、

旧岡田家住宅(重文)
江戸時代の延宝二年(1674)に建てられた町屋で酒造業を営む。兵庫県内の現存する最古の町屋また最古の酒蔵

一つ目の信号交差点で右に折れた筋

伊丹みやのまちの建物

広い道路の交差点を横断真っ直ぐ進む

少し先右に 真言宗御室派 金剛院


その先すぐに、左に折れる右に折れたところで、右に猪名野神社の鳥居と参道

猪名野神社

猪名野神社の境内に 新宮神社


天保11年3月の 灯籠

参道

神社の正面

有岡城跡はJR伊丹駅の西前にあるが別途街道で寄っているので寄らなかった。
有岡城は、伊丹台地の東緑の高台を巧みに利用した平城であった。町ぐるみを城塞化した惣構構造で、周囲を土塁と堀で囲んでいる。南北千七百m、東西八百mの範囲に及ぶ。要所には、岸の砦、上臈塚砦、鵯塚砦が築かれていた。有岡城の北端に設けられていたのが、岸の砦で、現在の猪名野神社境内にあたる。境内には土塁跡・堀跡が残る。天正七年(1579)織田信長の荒木村重への有岡城攻めがよく知られている。(国指定史跡)
神社先で交差点を渡る

その右交差点手前に 祠

暫く西北に真っ直ぐ旧道を進む右に 祠が


その先進むと大鹿会館の前で、西国街道 と交差します

西国街道と交差した右角会館前の 道標 真っ直ぐ行けば中山・有馬、右に行けば京、左に行けば西宮


江戸時代の摂津国川辺郡大鹿村は、西国街道に沿う農村で東方と西方にわかれ、村の中ほどに一里塚があり、村の西には伊丹から中山・有馬へ通じる街道が通り、大鹿村では酒造業が盛んであった。
西国街道の左(南西)西宮方向

西国街道右(北東の道筋)京方向

今歩いてきた有馬街道

地名の由来
平安時代に坂上田村麻呂がこのあたりで大鹿を射止めたところから大鹿の地名があるといわれている。「猿ヶ山」「城ノ中」には昔の城があった。江戸時代、伊能忠敬もこの地を測量し村は戸数約100軒、人口450人ほどで、瑞ヶ池など多くの用水池が広大な田畑を潤していました。
昭和に入り宅地開発が進み、かつての農村地帯が今はすっかり住宅地に変ってしまった。
大鹿七丁目の街筋


その先で171号線により車が多く渡れなく、左の大鹿交差点へ迂回して北側に出る

国道171号線の北側は、区画整理が行われたので道は真っ直ぐあるが旧道でない

交差点を真っ直ぐ越える


区画整理の道をほぼ西に変え、左を走る331号線に沿って進む。全く新しい民家ばかりで、祠や道標等何もない

左には瑞ヶ丘公園、右には広大な瑞ヶ池公園を見て進む

池沿いの堤道と南側を通る331号線の間の区画整理の中を旧道は通っていたが今は消失

区画整理によってできた新道、この道のほぼ左に沿って旧道はあった

331号線の瑞ヶ丘交差点の本少し北に出る左に折れて瑞ヶ丘交差点に出て右に折れて進む


やがて天神川に架かるそくせん橋を渡る

さらにすぐまた中野橋を渡る両橋の左(南)少し先で天神川と支川が合流している

橋を渡ったところから振り返る

暫く車道を進む


その先で335号線の広い鴻池交差点にでるので横断。右前角にコンビニ

少し先で交差点に出るので左の道を進む

鴻池3丁目9

左奥に天王寺川中学校をみて緩やかに右にカーブする。この辺りから旧道のようだ

左に 祠

大福地蔵

旧道らしい集落の中を進む

中央分離帯のある道路に出るので、左の信号に迂回して向かい側も旧道に出る

向かい側に出て分岐道を左に曲がる

その先、天王寺川に架かるむこうばやし橋を渡る

天王寺川の右方向

橋を渡り暫く安倉南の町並みを進む

安倉南四丁目3ー3

間もなく、有馬街道の本道と合流地点

有馬道の本道と合流 安倉姥ヶ茶屋前の辻

ここで 有馬街道の支線が 終わり、本道と合流して有馬へ進む
辻に建つ 道標





辻を合流して進むところ

有馬街道支線を完歩
ここで終わりですが、引き続き歩く京伏見街道の辻まで、有馬道本道を進みます
この先で142号線の安倉南1丁目交差点に出て北に進む。途中安倉小学校前交差点の歩道橋で142号線を横断します
余談ですが、142号線の北の筋を少し北に歩くと右にラーメン屋さんがあったので、昼食はいつも食べないが今日は時間に少し余裕があり入ってみたところ非常に美味しかった。近くであればまた来たい店であった

有馬道(左)と京伏見街道(右)との分岐点

左に折れて、正面に見えている高速道を潜れば小浜宿に入る。
引き続き 右に折れて京伏見街道 を歩きます。京方面より有馬温泉へ歩いた道だろう(京伏見街道参照してください)
ラーメン屋の先で142号線を右に分け左の旧道に入る。右に緩やかにカーブして、176号線の中央分離帯のある道路を左の歩道橋で渡り、北側に出ると、右角に松林寺がありその角右に安倉第一会館前の道標がある。左奥の地蔵寺をみて街道を進むと、中国自動車道に突き当たるので高架下を潜り、高速道に沿って左に曲がる。道はインターの道に突き当たるので右から左に回り込み進む。旧道は真っ直ぐであったよう。その先すぐに十字路に出る、前回の有馬街道はここで左に折れて高速道の高架を潜り小浜宿に入った。
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