2011年8月23
京都清水五條大橋~伏見区京町通り南詰
伏見街道は京都~大和を結ぶ最短ルートの旧道
1594年豊臣秀吉が築城した伏見城により街道の重要度が増した
京阪五条駅へ、五条大橋 6時45分 スタート
伏見区京町通り南詰 11時20分 完歩
23.685歩 14.21㎞ 631kl
五条大橋の西詰の袂にある 義経・弁慶の像

扇塚の記
扇は平安時代の初期この地に初めて作られたもので、ここ五條大橋の畔は時宗御影堂の遺蹟であり、平敦盛没後その室本寺祐寛上人によって得度し蓮華院尼と称し寺僧と共に扇を作ったと言い伝えられている。この由緒から扇職人がこの地に集まり永く扇の名産地として広く海外にまで暄伝されるにいたった

扇塚よりの五條大橋

五條大橋より北と南を見る


京阪電車清水五條駅

一筋目 問屋町通りを見る

2筋目 鞘街通りを見る

広い五條通りの3筋目本間と通りを右に折れる

3筋目 本町通りを右に折れたところ 伏見街道の起点 とします。南へ進む

直ぐ左手に 浄土宗浄雲寺


その先左手、本町公園の一角にある沢山の お地蔵さんと地蔵の祠


本町新五丁目の交差点に来ると左手の広い緩やかな坂を進むと右手に
大きな 五輪塔の耳塚・鼻塚
豊臣秀吉の文禄・慶長の役での朝鮮人の耳や鼻を削ぎ日本へ持ち帰った。そしてこの地に埋められ供養された。塚の上に建つ五輪塔は1643年の絵図に認められるところから当初のものと思われる

耳塚の道を挟んだ向かいに 浄土宗専定寺(鳥寺)

耳塚の前を少し西に進むと正面に 大きな鳥居の豊国神社 が建つ

豊臣秀吉を祀る神社、1598年63歳で亡くなった秀吉の遺体は、背後の東山阿弥陀が峰の中腹に葬られた。その麓(現在の豊国廟太閤垣)には、広壮豪華な廟が造営された。後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、1604年8月秀吉の7回忌には特に盛大な祭礼がおこなわれた。豊臣氏の滅亡後その廟社は徳川幕府により廃祀されたが、明治13年には、旧方広寺大仏殿跡地に社殿が再建された。また、明治31年荒廃していた廟墓も阿弥陀が峰の頂上に再建された。
正面の唐門(国宝)は伏見城の遺構といわれる。また両脇の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が寄進したものである。
唐門(国宝)


鐘楼

正面通りを見る 突き当たりが伏見街道

街道に戻る突き当たりのところ、左右 伏見街道

伏見街道から豊国神社を見る、この通りの右側に耳塚

直ぐ先左手にある お地蔵さん

その先本町新6丁目左手にある 養泉寺

その先で七條通り交差点に出る。(寄り道)で、左に折れて東山方向に進んでいくと、右手に 三十三間堂の塀 が見える

まだ開門時間でないので入れない

七條通りを行くと前方に秀吉の廟所がある 阿弥陀が峰 の山が見えている

街道に戻り七條通りを越すと左手にある お地蔵さん

続いて お地蔵さん

更に進んでいくと南棟梁町の右手に 延命地蔵尊

塩小路通りを越して進んでいくと、東海道本線、新幹線、近鉄電車の踏切で旧道は途切れている、止む無く高架橋で向こう側にでる

伏見街道を振りかえる

歩道橋より東山方面を見る前方の山が阿弥陀が峰

西の京都駅方面を見る

丁度新幹線が走る

旧道は線路で消失っている

その先の伏見街道

下池田町の左手にある 浄心寺

直ぐその先、泉涌寺通りの交差点を越える

直ぐ左手にある お地蔵さん

直ぐ先右手に 寶樹寺 門前に こどもそだて常盤薬師 と刻んだ石碑


道を挟んだ左手に 瀧尾神社


その先右手が京阪電車東福寺駅

その入口の左手にある 天皇陵の道標の石碑
足元がゴミ置き場になっている哀しい

直ぐ先九條通りの高架下を潜る

高架を潜った先の伏見街道。五条の伏見街道入口から真直ぐ南に進んできた

先に進んでいくと左手に 東福寺の北大門 が見えるので(寄り道)北大門を抜けると、門を入った左に 仁王門が立っている。

その先の道を少し入っていくと右手に退耕庵がある。門前に 戊辰役殉難士菩提所の石碑 がたっている

退耕庵

東福寺の塔頭寺院で、応仁の乱の災火によって一時荒廃したが1599年安国寺恵瓊によって再建された。客殿は再建時のもので、その中にある茶室で恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが関が原の戦いの謀議を行ったと伝えられている。
また庭園は枯山水庭園で美しい。1868年の戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いには東福寺に長州藩の陣が置かれ、当庵はその戦いの菩提所となっている。
北大門を見る、左が退耕庵

退耕庵の前にある 法性寺と門前の石碑 洛中一番湯やくよけ観世音菩薩


一旦北大門をでて街道を進むと、少し歩いた左手にちょっとわからないのだが、宮内庁のたてふだがあって東山本町陵墓参考地と書かれている

月輪小学校を左にみて進むと、伏水街道第三橋を渡る


東福寺中門
(寄り道)橋を渡り直ぐ左に東福寺の中門が見えるので入ってみる

中門を進んで振り返る

中門の先右手には 芬陀院雪舟寺 雪舟の作といわれる 鶴亀の庭 がある


朝が早いので何処も中に入って見学はできない
雪舟寺の道を挟んだ向かい側にある 天徳院

東福寺の塔頭の一つ、南北朝時代の開創。その後荒廃したが秀吉・秀頼の学僧として寵遇された大機慧雄禅師により再興され、1614年文英清韓長老が住持となった、秀頼の請により方広寺の鐘名が「国家安康、君臣豊楽」の文字が家康の怒りを買って寺は取り壊された。現在の寺は1789年に再建された

臨済宗東福寺
東山区本町にある臨済宗の大本山、京都五山の一つ。応仁の乱や戦国期の兵火で荒廃するが、権門勢家の援助で復興された。明治の廃仏毀釈と大火でも大打撃を受けたが現在の法堂が竣工したのは昭和九年であった。現在塔頭は25、末寺子院370か寺を統括する。国宝の三門は日本で最大かつ最古の三門である。また、通天橋の紅葉は今も訪れる人を魅了する
国宝の三門と手前法堂

龍吟庵への橋と龍吟庵(重文)

隣にある 即宗院の門前の鹿児島藩碑


紅葉の名所 通天橋 鎌倉~南北 入れない

法堂

臥雲橋から眺める通天橋
通天橋は、渓谷「洗玉澗」を上り下りする僧の労を減らすため、普明国師が架設したという。橋の高さは谷底から20m

臥雲橋

六波羅門

国宝の三門
足利義持が再建、五間三戸で重層入母屋造り、両脇に階段を設け、軒の組物は挿肘木で、中国・宋の建築様式を採用している。ようやく明るくなりはっきり見えました

境内の一部分で広大な敷地だ

東福寺の六波羅門を出て南門へ下っていく

下っていく途中右手にある 桂昌院
後宇多天皇菩提所の碑 が門前に


その隣に 荘厳院 吉釜東洞先生の墓所


南大門をでてすぐ前の伏見街道に戻る。かなり時間をとってしまった
南大門を出て伏見街道の街並み左 浄土宗念佛寺

左 来迎院 門前に 西山国師御終焉の地の石碑


続いて直ぐ左に 大日如来の祠

少し進んだ右手に色も鮮やかな 田中神社

田中神社の直ぐ先を右に折れると京阪鳥羽街道駅
その近くの 地蔵の祠

本町22丁目の左 極楽寺


本町22丁目の街道街並み

その先、稲荷小学校を左に過ぎると右手川向かいに伏見稲荷駅
左、京都銀行の傍の お地蔵さん

伏見稲荷への参道交差点(寄り道)で左に折れる伏見街道短いのに寄り道が多い

伏見稲荷大社
東山三十六峰の最南端に位置する稲荷山。その山麓に建つ伏見稲荷大社は全国にある「お稲荷さん」の総本宮。境内には朱一色の鮮やかな社殿や鳥居が建ち並んでいる。平安遷都以前に創建された古社
左に折れると参道入りの 鳥居

参道

あぜやかな伏見稲荷の楼門
秀吉の寄進もよる桃山様式の重厚華麗な楼門は、入母屋造りで二層の大門。朱塗りが鮮やかである

さすがたくさんの人出

千本鳥居
願い事が通るようにとの思いから鳥居を奉納、明治時代に始まった

鳥居の道


おもかる石 石灯籠の擬宝珠を持ち上げた時の重さで、神意を測るというもの


本殿 は現在改装中

正面参道 整備中

街道に戻り進む、直ぐ先右手にJR稲荷駅
その一角街道沿いに稲荷駅構内にある 赤レンガのランプ小屋 旧東海道本線が通っていた。ランプ小屋は旧東海道線の建物として唯一残ったもの

その先で街道はJR京都線の踏切を越える
踏切の手前にある左手 摂取院地蔵尊像の堂宇

JR稲荷駅方向、右側の街道を歩いてきた


踏切を渡り進んでいくと、右手川向かいに、京阪竜谷大前深草駅がある
その直ぐ先の交差点手前左にある 道標

南へ進んでいきます

深草の街並み

その先右の交差点の左角に 道標石碑 が多数



その少し先右手に深草直違橋町内の 交通安全地蔵

その先直ぐ右手に 道澄寺 寺といってもお堂のよう

左手には 赤レンガ造りの聖母学院本館建物

道を挟んだ正門前にある お地蔵さん

その先で高架道路の下を潜る架の手前右川向かいに京阪藤森駅

そのさき左にある 祠

その先右手に 西岸寺 寺の創建は平安時代の末藤原忠通が建てたとされる古いお寺

直違橋1丁目の交差点を横断して進む
その先右手に 誠心寺


直ぐその先、七瀬川手前右手に 祠 がある

七瀬川に架かる伏水街道第四橋

橋を渡り左奥にある 曹洞宗了峰寺


七瀬川に架かる伏水街道第四橋を振り返る

橋を渡って暫く進み左の京都藤森郵便局を過ぎた先を左に少し入ると藤森神社の森がある

藤森神社
住宅街の一画に建つ神社、この界隈の産土神として、また勝運、学問の神として親しまれてきたこの社は、馬にまつわる神事でも有名で、今日では、勝利を願う騎手や競馬ファンも多く参る
参道両脇には巨木が茂り寂然としている


本殿
入母屋造り、桧皮葺の本殿、1,712年中御門天皇より宮中内侍所を下賜されたといわれている



境内の一角にある 重要文化財八幡宮本殿

神鎧像

御旗塚
いちのきさんとしてしたしまれており、ここに御参りすると腰痛が治るといわれ、近藤勇も直したと伝えられている

また境内に御神水の不二の水がでていて何時も近隣の人がペットポトルに入れている

広い境内の藤森神社の杜を後にします
藤森神社の道に面して、菖蒲の節句発祥の地

その先右手に 浄土真宗栄真寺

その直ぐ先道を挟んで左右にある 祠


更に直ぐ先右手に 深草北新町の地蔵

その先、墨染の交差点。伏見街道は右に折れ 宇治街道 は左に折れる

右に折れると直ぐに右手に京阪電車の墨染駅、街道は踏切を渡り真っ直ぐ進む

踏切の先の、琵琶湖疎水に架かる墨染橋を渡る

直ぐ先左手に 墨染寺


墨染寺の直ぐ先の信号交差点を左に折れる

左に折れた先の西枡屋町の街並み

左に 欣浄寺


暫く真っ直ぐ進む、国道24号線に出る手前右手に細い道がある、入口に 石柱がある元撞木町遊郭跡


すこし中に入っていくと右に、全く昔の面影はなく新しい住宅が密集している通りには、
大石良雄が撞木町のよろつやで遊んだ場所跡に石碑 が住宅の軒に立っている


道の突き当たりに、熊吉天神と刻まれた 自然石と祠 がある

その傍に、撞木町遊郭跡の石碑 が民家の傍に建っている


街道に戻り国道24号線を横断する

横断した先の街道

暫く進むと小さな交差点で、伏見街道から京町通りとなる右に折れて行くと近鉄伏見駅

伏見街道と京町通りの交差点を振りかえる

京町通りとなり近鉄京都線の高架を潜る

高架の先すぐ左に 本浄寺

暫く京町通りを真っ直ぐ南に進むと交差点の左奥に京阪丹波橋駅、更にその西に近鉄丹波橋駅街道を振りかえったところから

その先左に窮屈そうな 祠

更に真っ直ぐ進んでいく

やがて京阪の踏切を渡る

その先の交差点で大手筋通りに出る。交差点左を見ると近鉄桃山御陵前駅、その先に御香宮神社の鳥居が見える

交差点右は京阪の踏切があって伏見桃山駅がある。大手筋の商店街が続いている

交差点を左に折れて(寄り道)御香宮の鳥居

御香宮神社 広い境内です




街道に戻り大手筋通りの交差点を南へ

右手 老舗京料理の魚三楼

左手 老舗の老舗駿河屋

駿河屋の横にある 祠

改めて 魚三楼

更にその先左に 祠

京町通り突き当たりで 完歩

到着地点より街道を振りかえる

伏見街道 完歩
伏見街道を歩き終え、京阪伏見桃山駅に戻り、墨染駅まで京阪で戻り、引き続き宇治街道を歩歩きます


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