長崎街道 【7日目】

2011年11月7日

牛津~嬉野温泉

朝早くシティホテル嬉野を5時45分出発、6時9分発JRで牛津駅まで戻りました。
今日は多分30km程の距離を歩くと思うが。牛津宿の昨日の街道起点を6時40分スタート。まず昨日泊まった武雄温泉まで昼までに着きたい。
何とか17時30分に嬉野に着く、辺りは暗くなってきたところで丁度良かった。疲れているがよく歩きました38km。
シティ―ホテル嬉野は街道沿いにあり移動時間も無く助かりました。
今日天気は良いようですが、11月の朝6時はまだ街灯がついています

昨日のレンガ館を見る。レンガ館はかつての豪商、田中丸商店の倉庫で「旧玉屋赤レンガ倉庫」(国登録文化財)
牛津のシンボル。田中丸商店は、文化三年(1806)田中丸善吉が荒物呉服の小売店が始まりで、その後、問屋に切り替え一大豪商となった。明治二十八年の鉄道開設により佐賀市等へ商人が移り田中丸商店も牛津を離れ、佐賀や博多、小倉に玉屋デパートを設立進出した。

レンガ館の敷地に豪壮な建物が残っています

すぐ先で、JR長崎本線の踏切を渡ります踏切を渡るとT字路で広い道に出ますので左(西)に折れます

左に折れて200m程進むと、広い交差点に出ます、左正面にJR牛津駅があります

交差点の先で牛津川に架かる六間橋を渡ります

六間橋を渡った袂に 石仏 佐賀県内の街道筋等には多くの石仏や石祠の石像物がありますが、これは優秀な技術を持った石工さんが多くいたからだそうです

牛津宿の西端、新町の街並み

六間橋を振り返る

六間橋渡り真っ直ぐの街道を西に進みます、右街道沿いに小さな 石仏像

大きな屋敷や旧家の民家が点在します

400m程歩いた左、岡本金物建材店の先で少しですが左にカーブするのと、やや細い道が真っ直ぐ50m程進み左に折れて数十m先でまた合流する道があります、こちらが旧道なのか後者を進みました。
かつてこの辺り右に、豪商野田家跡

すぐ先で牛津川に合流する砥川に架かる砥川大橋(旧牛津の大橋跡)を渡ります。この辺りがかつての牛津宿の舟運の荷着場で 牛津港跡です

橋から右手に国道34号線の牛津大橋が架かっています

砥川大橋から振り返

砥川大橋から先の街道

牛津町上砥川の町を進みます

街道奥に 石仏物 が並んでいます

砥川大橋から500m程進むと右に今泉米穀店、すぐ左に和光治療院がありその前を過ぎたところで小川に架かる、なまず橋を渡ります。更に200m程進むと左に最勝寺があり、そのすぐ先で右からの広い国道34号線に合流。牛津町砥川新宿東交差点に出て国道南西に進みます

浄土真宗本願寺派最勝寺

暫くは国道34号線をひたすら歩く

途中の お堂

やがて国道右に砥川小学校、左にローソンがある信号交差点があります、国道の左に側道が現れその道を170m程進みます

170m程進んだ先で、右の国道より左に分岐する、旧道を進んだすぐ右に 石造りの祠

続いて右に 臨済宗南禅寺派永福寺

永福寺山門前の石造り物 仏像 が並びます

永福寺の門前よりの南東への旧道250m程進みます

途中に お堂

お堂の中の 石仏

250m進むとT字路となり正面は小川、また右に沿ってきた小川はT字路の手前右に折れます。街道もT字路を右に折れます

T字路で右に折れたところから、永福寺方向を振り返る

右に折れた先の街道

右の石積みの上に 石仏像

右手奥に 日蓮宗妙蓮寺

すぐ先に蒲原のバス停

右に お地蔵さんが三体

少し先で右からの34号線に合流します。そこ辻から振り返ったところです

合流して34号線の信号交差点を越えていきますが

すぐ右手山の斜面に 観音堂 その下に案内板がありますので寄ってみます

カンカン石
江戸時代よりあったようで、この石を小石で打てば、カンカンと音が響いたのでこの名がついた。珍石は磁鉄鉱を含む讃岐石(サヌカイト)

現在は国道の改修等で数は少なくなったそうですが昔日の面影が残る。(別名 鳴石)

カンカン石を過ぎて少し歩くと信号交差点に出ます国道は高架になっているのでその右の旧道を進みます

左の高架道路の側道

右手の山裾には大きな屋根瓦で葺いた民家が建ち並ぶ集落が見えます

高砂宿に入った街道沿いにレンガ造りの 祠

右手の山麓に 堤尾神社があるので多分その参道入り口の 山門と思われます

長崎街道宿区ふれあい公園

街道沿いに読めないが 道標

高砂宿から新宿地区に入る辺りと思いますが街道を振り返ったところ

山裾の 観音像

お寺を右に見て進むと間もなく左にJR佐世保線の肥前山口駅

駅のすぐ先で道は分岐していますので、右の旧道 長崎街道彼杵通りに入ります
新宿から朝鍋宿地区
【朝鍋宿】に入ります

朝鍋の街並み

町通りの右手に 若林稲荷大明神

町通りの 恵比須像

その先で右T字路の辻に出ます。左に入る旧道は 長崎街道多良通(浜通)の追分

その右T字路の袂に 追分恵比須像

追分の恵比須像から長崎街道多良通(浜通)を見る。この旧道は長崎街道の往還で南に進み、鹿島城下方向に進む旧道です

追分を真っ直ぐ進み50m程先で分岐しています。左(西)への旧道を進み、すぐ先左に国道34号線に面した江北町役場の裏(北)側の細い道を進むと、イイダ靴下佐賀工場に突当り旧道は消失しているので、止む無く左の道に入り、一旦国道34号線に出て右に進み、正面のイイダ工場の西側に出ます

国道からイイダ靴下の西南の端に出て、消失した旧道の反対側に出ます。この辺り朝鍋宿であったようですが、何もその遺跡の物はありません。国道を左(西)に、旧道は西北に北町を真っ直ぐ進みます

西に進みます

イイダ靴下の先の旧道を振り返る

朝鍋宿の中で、左からの国道34号線に一旦合流するが、くの字型に西北に進む地点です長崎街道の案内標示が立っています

西北への真っ直ぐな600m程の街道を暫く歩きます
朝鍋宿のかつての中心辺りと思いますが、宿の遺構は全くありません

途中土地改良の記念石碑が建っています

途中から左に小川が並行して進みます

やがてこの先で
【小田宿】に入ります
小田は、長崎街道ができる以前から水陸交通の要衝として栄えていた。
少なくとも弥生時代には大集落が形成されていたそうです。小田が歴史上現れるのは、戦国後期頃で、大友氏・龍造寺氏等々の戦国大名の領地争いによる。
やがて江戸時代に入ると、肥前国は鍋島氏の領地となり小田の地も安定し、長崎街道の宿場町として発展します

小田宿に入ると、街道は辻の中島商店の角で直角に左に曲がりますが。その手前50m程右に大庄屋中島長右衛門家がありました。代々世襲して庄屋を取りまとめ郡代、代官に従っていた

続いて曲がり角右に 中島商店 この建物も風格のある重厚な構えです

中島商店を右に見て十字路になっています。その辻を左に折れます。その角に 追分の道標 があったようですが見落としたのか分かりませんでした 道標「ながさき美ち 古くらみち」

街道は正面から手前に来て、営業中の旗のほう左に曲がる
辻を四方から写したもの

街道は左に折れて手前に歩いてきます、そこから振り返り十字路を写したところです

左に折れた少し先右手には 伝馬屋敷跡

石仏 かチョットわからない

恵比須像

左に小さな 石仏 振り返ったところ

宿内の街並み

すぐ右手奥に 浄土真宗本願寺派一行寺

近くに 浄土真宗本願寺派正栄寺

少し街道より右に入ると 天子社

南西に進む宿場内街道 

天子社に入る街道芝に 旅籠岩見屋跡 があった、石見屋の鶴亀式の池園は江戸初期に造られたもので一部石橋が残っています

十字路を真っ直ぐ進みます

小田宿の街並みと風格ある屋敷

脇街道・浜道の道標 前述の長崎街道多良通(浜道)と、ここからの東南に進む追分で、前述の往還と先で合流する

左に折れる道が 長崎街道多良通(浜道)で長崎街道彼杵通(長崎街道)は真っ直ぐ進みます

左に折れた長崎街道多良通(浜道)筋

右手少し入ると 若宮八幡宮跡があります

小田宿の街並みを振り返る

すぐそば右に 馬頭観音堂

佐賀の名木 大楠樹(天然記念物)
奈良時代の天平九年(737)僧行基が、楠馬頭観音像を彫り祈願した。それ以来、楠樹の観音様として信仰厚く毎年三月三日盛大な祭りが行われていた。しかし、江戸時代の嘉永四年(1851)八月火災にあい楠樹に延焼し観音様は類焼を免れたが、焼け跡からの風化が進み、今では空洞化してみることができない。しかし千数百年を経た楠樹は二代、三代と続き往時を偲ばせている。

街道を南西に進みます

晩春の素晴らしい閑静な集落の風景、振り返る

小田宿を抜け街道を進みます左手に 

暫く進むと右手に 浄土真宗本願寺派正善寺

100m程進んだ右に 横辺田代官所跡標柱
享和元年(1801)に佐賀藩の直轄地として設置、明治九年(1876)に廃止されるまで172年間近郷十五の郷を管轄した

今も敷地内に名木 ムクノキが聳える 推定樹齢300年・樹高14m

代官所跡の少し先右奥に 曹洞宗長徳寺 が見えます

すぐ先左街道沿いに、土井家住宅で国の重文江戸末期の建築で大型町家があったが、どうしたのか見落としてしまって残念でした
大町を進みます

街道沿い左の 石仏

続いて右にも 石仏

大町の町並みを振り返る

十字路に出ます、その手前に 灯籠と大町八幡神社への案内板。ここを右に200m程入ると 大町八幡神社があります。途中左に大町小学校・中学校・大町ひじり学園が集まっています

郷社 大町八幡神社の石柱

この辺りから 【大町宿】
左に 造り酒屋

右奥学校の通学正門前を背に 恵比須像

左にJAさがみどり大町の先右奥に 浄土真宗本願寺派正安寺

大町宿に入った街並みで道路綺麗です

右に坂本内科医院をみて、信号交差点を越えて90m程先で、分岐がありますが道なりにへの字カーブして宿内の街並みを進みます

日の出商店街・恵比須商店街の町並みを進む

左奥にJR佐世保線の大町駅があります

街道右手に神社の背後には宮浦溜池があります 福母八幡宮 神社の北側には宮浦の池があります

二の鳥居まで進むと、高い石段が正面に、チョット急な上で遠慮しました重厚な肥前鳥居

その先左にヤスマキ 恵比須像と大黒像 が並ぶ

ヤマスキの街道を挟んだ向かいに お地蔵さんが二体

その前から大町宿を振り返る

街道左に接近してきた国道34号線、手前右手高台への参道奥に山門を入り上ると
曹洞宗慈雲山西福禅寺
開創は元禄期参道入口左に如意輪観音を祀るお堂

山門からの眺め

山門と本堂

すぐ先で左に国道34号線が接近しますが合流せず右にカーブしていきます

少し進むと左にカーブします大黒町から福母集落に入ります

カーブした右手の杜の傍に

福母地蔵板碑
応安六年三月八日(1373)南北朝時代の中頃

福母古八幡宮遺蹟の説明板があり、古代から集落があったようです

福母地蔵の先、右に千場団地、左国道34号線と佐世保線にほぼ沿って進みます。250m程先で、左からの国道に合流します

合流地点から振り返る、向かって左高台が千場団地・浦田自然公園が広がっています

合流したところで、佐賀県武雄市に入ります、いよいよ北の青森県から奥州街道を上り、江戸日本橋から東海道・中山道を下り、京都から西国街道・京街道を経由して神戸へ、さらに山陽道を下り下関へ、関門海峡を渡り九州へ、門司から長崎街道に入り佐賀を抜けて、間もなく長崎県に入ります。

長崎県武雄市へ

合流点の先、右手にかつての 石場跡の千年山を見て赤坂バス停を過ぎます。赤坂は江戸時代の白石平野干拓の用水建設のために切り出される石切り場跡です。焼米津から南側を流れる六角川の水運を利用して、石材を積み出された。右奥に焼米溜池(龍王堤)が広がります

少し歩くと国道から右に分岐する旧道がありますので入ります

すぐ右手に 赤坂観音像 この後の小高い台地附近に、竹内宿祢が館を構えていたという伝説が残る 赤坂砦

街道より右に細い道を上っていくと台地となり、遺跡が整備されています。赤坂についての伝説が残る遺跡です

街道右手に 焼米溜池の龍王堤 が延びています

堤下から振り返ったところ

龍王堤に大きな 記念碑

左からの国道に合流します。焼米橋バス停があります。そして赤坂入江川に架かる赤坂橋を渡ります。焼米橋バス停

合流するところを振り返る

バス停のところで焼米入江川に架かる焼米橋を渡ります

橋を渡った右手(北)奥に 焼米海童神社 が見えます、池の西側にあり旅人と池を守った

焼米橋から【焼米宿】に入ります
焼米宿は、船運にも恵まれた船津で本陣は無かったが、旅籠・船宿があって、酒屋・茶屋・味噌・醤油などの日用雑貨店が十数軒ある庶民の宿場として賑わった。寛政十二年(1800)藩主鍋島治茂は白石地方の新田を開発、合わせて灌漑用水、干害防止を兼ねた焼米溜池を築造した。その折は、海童神社は龍王社に連座された。

街道沿いの 海童神社の一の鳥居

焼米宿は現在国道34号線に改修され面影はありません

北方駅前信号交差点に出ます、交差点を左に行けばJR佐世保線の北方駅にいけます

JR佐世保線の北方駅

駅前の信号から国道を350m程進むと、追分信号交差点に出ますが、その手前150mの左にGSがあります。そこがかつての 焼米宿の追分

国道34号線の焼米宿の追分分岐点で、追分観音下より、現在一部旧道はJR踏切で消失して迂回が必要ですが、左斜め(南西)に進む 長崎街道塩田道の往還があります。六角川を渡り鳴瀬~塩田~西に向きを変えて嬉野で長崎街道本道に合流します。国道は真っ直ぐ進み北方町追分信号交差点に出ます。また追分交差点で国道を左に分け、右の旧道に入るのが長崎街道の本道で

右への旧道に入る右手に 追分観音堂への石段 追分観音堂(志久庵堂)があります境内に、永禄十二年(1569)の銘がある 石造六地蔵塔や十三仏があります

永禄追分の六地蔵 追分観音の石段を上ったお堂の傍に

十三仏

薬師如来堂

街道を進みます 地蔵 祠

分岐点から400m程進むと右に追分公民分館がある手前に 一里松跡地蔵堂
大町村寺口から一里の所

その先左、左にーブして小川を渡り50m程で、道は分岐していますので左の真っ直ぐの道を進みます

分岐の先、右に 十三塚があったようですが見逃しました

その先で左にカーブして、左からの国道34号線の信号交差点を横断します

国道を横断した先は、木ノ元の町並み

木ノ元の街並みを大きく蛇行しながら道なりに進み、450m程先の突当りの左にある木ノ元公民館のところで、右に折れて50m程で国道34号線の北方支所前信号交差点を横断して数十mで左(西)に折れて、国道を左に見ながら平行して進みます

木の元の街並みの途中、十字路を越え右にカーブして国道34号線に接近したところで左にカーブします、そのカーブする右側に 石造り物の祠 木ノ元神社

二体の神像を一つに合せて祀っています。祠の後ろに「木元社」と彫られた稲生神社との伝説にまつわる場所で板碑があります

板碑

やがて突当りの辻を右に折れます。左手に木ノ元公民館があります。右に折れて北方支所前信号交差点の34号線を横断します

国道34号線の北方支所前信号交差点を横断すると、すぐ正面に稲生神社が見えます。街道はその前の道を左に折れます

稲生神社
江戸時代この地を代表する古社でこの場所は、推古十五年(607)頃の役所跡、神社は農業の神としてあがめられてきた。境内には、稲生大明神や山の神が祀られ、狛犬等石造りの像が多くある。
また今来た国道の南側には、志久城址 でもあります。拝殿は高台にてここで拝ましていただきます

神社の前の街道を西に進みます。すぐ左手に国道34号線が走っています。暫くは西に真っ直ぐ北方の町を進みます

途中広場に建つ 記念碑

右手に大きな公園が広がり西側には、北方スポーツセンターの建物があります。

西隣には北方文化ホールも建っています

すぐ先で信号交差点を横断します。横断した先左に慈慶会八木産婦人科医院が見えます

交差点を越えた辺りから
【北方宿】に入ります
北方宿は長崎街道25宿の内の一つです。長崎街道は前述の塩田道で嬉野に抜けていましたが、塩田川の度重なる増水で足止めが多く旅人が不便であったため、宝永二年(1705)頃に、武雄温泉として賑わっていた塚崎を経由して嬉野へ至る塚崎道が本道となりました。
本陣・脇本陣・御蔵・問屋場・継場・高札場・旅籠・旅宿・旅人宿・百姓宿など置かれていました。

街道沿いの 

信号交差点から300m程進むと川添川に架かる橋に出ます。更に60m程で十字路交差点があります。川の手前辺りが東構口跡で、川添川を渡ると、多久領郷蔵跡で右手には本陣糀屋(現:稗田朴三宅)、街道向かいに脇本陣・大庄屋跡がありました

北方宿東端の街並み

右に 北方宿本陣:糀屋跡 天保十年(1839)の重厚な建物

北方宿は、古代には橘氏の居館があった交通の要衝向かいには、脇本陣・多久領の米蔵がありました

本陣前の塀の脇に 石碑と石仏

本陣の前から北方宿の街並みを振り返る静かな情緒ある街並みです
向かって右に 脇本陣・米蔵・大庄屋跡

十字路交差点を右に入ると 浄土真宗本願寺派泰林寺 があります少し先街道左に北方大崎郵便局があります

宿内を進んでいきます、この先で宿の西端で左に折れています

左に折れる付近に右手一帯には
館跡・籠立場跡・問屋場跡・高札場跡・大崎八幡神社・曹洞宗南禅寺派:聖恩寺 がありました

左九十度に折れる右奥に 大崎八幡社

左に折れる辻は、右T字路になっています真っ直ぐの道は、唐津(平戸・伊万里)街道

北方追分 です右角辺りに 問屋場・高札場があった。左角に 追分石の道標 「さか たけお いまり」左に折れた街道、右角によみにくいが 石碑が建っています

左に折れた辺りが 西構口跡 です左に折れて北方宿を抜けると、50m程先で川を渡り真っ直ぐ200m程進みますと

左に焼肉レストランふちがみがあります。すぐ先で北方工業団地入口信号交差点に出ます

北方工業団地入口信号交差点にでると、右からの車道、左からの34号線が合流します。交差点を越すと右に小川が並行してやや南よりに国道を進みます。交差点より500m程進むと右のセブンイレブンのところで、写真に撮れていないが、長崎自動車道高架を潜り、武雄北方IC信号交差点を抜け南西に進みます。高速道を潜った先右にファミリーマートがあります

左にドラッグストアー・コマツレンタル武雄店のところで、左の車道と、右の旧道に分岐します。その正面角はエネオスGSがありますので右の道を進みます

武雄市朝日町を進む、左の中山鉄工所を過ぎると

少し先左に 浄土真宗本願寺派妙輪寺

妙輪寺から100m程先で、左から街道に高橋川が接近して左に平行して少し進みます。左の一つ目の高橋を見て進み、

その先50m程でT字路となり街道は右に折れます。左の高橋川はそのまま真っ直ぐ、左の高橋川に架かる大正橋の袂に燈籠のような 日除け地蔵 が祀られています

これより【高橋宿】に入ります
北方から塚崎に通じる長崎街道彼杵通は、享保四年以降で、高橋宿もそれ以後の宿場町であります。

高橋宿の街並み

高橋宿は大正橋の辻から真っすぐ北西に延びています

宿内街道右に鳥居があり参道を進むと 天満宮

趣のある建物が並びます

大正橋から300m程進むと十字路があり右に 曹洞宗光明寺入り口の看板があり250m程右に入ると光明寺あります街道は十字路を真っ直ぐ北西に進みます

 ブロック塀の際に 中橋之跡碑

十字路より200m程先に進むと、右にいざき接骨院があり、十字路正面左手にあさひ保育園・朝日小学校があります。そこを左に折れます

真っ直ぐ歩いてきた高橋宿の500m程の街並みを振り返る

左に折れて、右にあさひ保育園・朝日小学校を見て南西に延びる真っ直ぐな街道右に佐賀の名木 
センダンの老木

左に折れたすぐ先の高橋川に架かる享保橋から振り返ったところで、高橋宿は終わります

高橋川に架かる享保橋を渡ります

享保橋から700m程真っ直ぐ朝日町を南西に進む。途中右手に武雄東部地区ライスセンターがあり、そのすぐ先で小川を渡っていきますと、更に小川を渡り緩やかな えんま坂道を蛇行しながら上る街道です。正面には御船山(207m)か遠望できます

えんま坂から振り返ったところ

すぐ道は分岐していますが右の広い方の道を進みます、分岐したすぐ左の広い場に 閻魔大王の石像

閻魔大王の前から振り返ったところです

暫く坂を蛇行しながら上っていくと大きく右にカーブする右に 阿弥陀仏六地蔵

道路改修された朝日町廿久地区を進みます下りに差し掛かったところで

初めての三階建て建物の手前で左の旧道に入ります

栗原住宅の中を抜けていきます。
250m程進むと、右からの270号線の道路に合流して南に進みます

270号線を300m程南下すると

英彦山権現社の鳥居

ブロックで造られた祠に お地蔵さん

廿久川に架かる僧庵橋を渡ります

僧庵橋の袂から分岐している道を左に進みます。分岐した右に富岡薬局があります

250m程進んだ先で十字路を横断します

横断して数十mで右にカーブして、分岐した車道が右から合流するとともに、50m程で53号線の八並水源地信号交差点を横断して南西に進みます

交差点の正面の旧道に入ります

西南への街道を進みます左のひまわり書房の先で信号交差点を横断します

この辺りから【塚崎宿】に入ります  
塚崎は宿場成立以前より温泉場としてあった。歴史は古く730年頃にはすでに知られていた。明治二十八年に入り九州鉄道が敷かれた時、駅名を武雄となり。十八世紀の中ごろに長崎街道の変更により、正式に宿として形成されました

左に 八並の石塔・夜泣き地蔵 があります
八並の石塔は、建久四年(1193)曽我兄弟の敵討で知られている、兄弟の兄の十郎の許嫁であった大磯の虎御前は、兄弟の冥福を祈るため尼となる。西国の小城の里、岩蔵寺に下ってきた。その途中、中国と四国にそれぞれ石塔を建て冥福を祈ったと伝わる。三番目に建てたのが、八並の石塔であると伝わる。
虎御前は、小城の岩蔵寺で写経と読経の毎日を過ごし生涯を閉じたといわれてます。

 信号交差点を横断するところの町筋

信号交差点を左に200m程行くと、丸山公園の南東の山裾に 真言宗大覚寺派岩泉寺・天満宮・真言宗善通寺派聖龍院があります。この辺りに真言宗のお寺が出てきました

左、天満宮への鳥居、背後の小山は丸山公園

信号交差点を越えると街道沿いに、大きな旧家

右手に 真言宗醍醐派円寿院

円寿院の北側には十三世紀後半の創建と伝わる古社 諏訪神社 境内には、伊勢講碑

拝殿前高台からの武雄市

街道に戻り進むと 

右手に武雄小学校、左手に丸山公園を見ながら進む街道

やがて左角の山崎鮮魚店のT字路を左に折れると、数十mで右に折れる、鍵型の辻に出ます

鍵形道路
宿場や城下町にある鍵型道路です。西の、本町入り口「八百屋」の前にも一ヵ所残っています。ここは、通称「出口」と呼ばれ、ここを起点にした「伊万里まで三里」の道標 が建てられていた

鍵型を左に折れて、右に折れるところから振り返ったところです道路にも鍵型が張られて面白いです
かなりの街道を歩きましたが、このような趣向をした鍵の辻は初めてでうれしくなります

右に折れる角です

西南の宿場内の街道を進むとかつての宿場の中心街になります。左(南東)の道を進んでいくとJR佐世保線武雄温泉駅へ出ます

鍵の辻より100m程進んだ左に 浄土真宗本願寺派明宗寺

街道挟んだ向かいに副島整形外科病院がありその西側隣に 浄土真宗本願寺派法輪寺

さらにその西側には 浄土真宗本願寺派正覚寺

すぐ左には 宮野町夢本陣 武雄鍋島家の復元門や火の見櫓を模した塔があります

前から宿場内の街並みを振り返る

街道はその先、左に太田医院のある十字路を横断して50m程進むと温泉通りのT字路に出ます、ここがかつての札ノ辻です。左に折れます

街道は右のごはんののぼりのところに出てきました。 高札場跡(札の辻

 ここで【寄り道】T字路を右へ
T字路を右に温泉通りを50m程行くと、左の扇屋の前右から広い道路が合流します。合流した右手に旅館なかますがあります。さらに東洋館と続き武雄温泉蓬莱門の前に出ます。
温泉通りは車の左手側から広い道路に合流、写真は広い道路側から写しています

右の湯元荘東洋館 脇本陣・武蔵の井戸
現在の東洋館は 元脇本陣跡 があった。その向かい現在は旅館が並んでいるが、間口十二間の 代官所跡 です。今の春慶屋・若松屋辺りです。
宮本武蔵は、寛永年間(約350年程前)平戸屋(現東洋館)に宿泊した。今も武蔵が使ったという井戸が残っているそうです

温泉通りを進むと正面に武雄温泉の象徴、武雄温泉蓬莱門が見えます

蓬莱門(国重文)
蓬莱門は朱塗りの楼門で、東京駅を設計した辰野金吾氏の設計で大正四年(1915)に完成。背景の山は蓬莱山(329.9m)武雄温泉は1300年の昔から名湯として親しまれてきた
江戸時代には現蓬莱のところに、本陣正門 があり門を入ると本陣建物と温泉場があった。江戸時代は佐賀鍋島藩の家臣となった後藤家が武雄を領して鍋島と名乗ることとなった名門家で龍造寺氏の血を引く。

武雄温泉 新館(国重文)

蓬莱門から温泉通りを戻り、前述の札ノ辻に戻ります

札ノ辻から100m程南東に進んだ十字路を右に折れます

十字路を右(南西)に折れて更に100m、右に諸隅歯科医院のすぐ先のT字路を左(南東)に折れます。数十mでさらに右(南西)に折れる。鍵形道路

鍵形の辻を振り返る

南西の街並みを進みます

すぐ先右に 浄土真宗本願寺派牛鼻山善念寺

善念寺の前の新町筋は昔 「牛の鼻町」 と呼ばれました
中村涼庵旧宅
幕末の医師で、長崎でシーボルトに医学を習い、天保二年(1831)武雄で開業。時の鍋島藩主茂義の侍医となった。天保十年(1839)自分の妹の子と茂義の子、茂昌に日本最初の種痘を行い成功した。その後佐賀藩全般に領民を含め普及する。武雄では西洋医学の開祖として尊敬を集めています

100m程先の十字路を右に入っていくと 浄土宗厭欣山西福寺 文禄三年(1594)建立

門前より新町の街並みを振り返る

下西山地区に入り町並みは真っ直ぐ暫く続く

昔懐かしい佇まいの老舗店「東長」

東長店の前より振り返る

その先左に下西山公民館、すぐ先左に撮れていないが 日蓮宗圓満寺 があり境内に 下馬地蔵 があったようです

すこし進みS字型にカーブした右手高台石段の高台に 山王社の肥前鳥居 があります

 道なりに南西に進む

左にJR佐世保線が街道を斜めに線路が横切っています。踏切がないので申し訳ないが、渡るのに十分気を付けて反対側に出ました済みません。大きく迂回を擁するようです

鉄塔の横を渡りましたごめんなさい

渡った先、溝沿いの細い旧道を進みます

小川を渡り、十字路を越えます

右手に 石造り物 が数体あります

上西山地区にある 地蔵祠

上西山集落内右に珍しい形の 五輪塔

その先、道は右(西北)にカーブしていますが、旧道は左(南西)の民家の横の畦道に入ります

何とか旧道が畦道として残っています。60m程進んだところで、国道35号線を横断することになります

国道35号線にでて、車に注意しながら南側に残る旧道に出ます。寄らなかったですが、国道を横断した左方向に
薬師神社があり、また国道沿いの春畑公民館の北側に 算木の地蔵があります

35号線の横断した先の左への旧街道に入ります

反対に横断した先から畦道を振り返る

小さな川を渡り200m程先で道なりに左に折れます

折れて70m程で新道を横断します

新道を横断して直ぐ先で、小川に架かる湯の谷石橋を渡ります

湯の谷石橋を渡り右に折れて、川に沿って130m程進むと左にカーブしながら新道に突き当ります。そこから振り返ったところです。かつての旧道はそのまま右の川に沿って南下していましが、その跡は完全に消失しています。現在、川の先で 渕の尾水源地 ができていて旧道は水没しています

止むえないので突当りの新道を左に折れて、蛇行しながら新道を南下します

南下していくと、渕の尾水源地の北東の角に出ます。東西のダム堰です

ダム堰から南を眺めたところで、よくある光景ですが、かつては湖底を街道は通っていましたが、ダム湖の底に沈んでしまいました。今はダム湖の東側を蛇行しながら車道を、湖の真南に迂回します

暫く、渕の尾水源地の東側の新道に沿う、水源地完成以降の新しい長崎街道の表示に沿って600m程進み、水源地の真南側の湖底より旧道が現れ合流している所まで歩きます

合流した地点で、旧道は新道を進まず、すぐ左の長崎街道の表示に従って、雑木の藪道に入ります

このところで入りました

新道を右下ほぼ並行に180m程南に地道の旧道を進みます、あまり急坂でない快適な旧道

この付近が 渕ノ尾峠 長崎街道にはあまり厳しい峠道はありませんでしたが、久し振りに峠と聞きました

180m程先で旧道は渕ノ尾峠の表示をみて、左(東)にカーブして、すぐ左側(北)に小さな池を見て150m程進みます。舗装道のT字路に出ますそこを右(南)に折れて150m程、左に南下したところで、前述の分岐した旧道を入ったところの新道と合流します。
合流してすぐ新道より左に分岐して、舗装された細い道を弓なりに120m程進んだところで、再び右からの新道に出ます。新道を道なりに250m程南下して、左の松尾建具店手前の旧道を左に分岐しますと川に突当り旧道は消失していますので、右に折れて左の川に架かる中修寺橋を渡りますます。
渕ノ尾水源地の南側から、中修寺橋までの間は、ほぼ新道の左(東)側、または重複して南下しますが、写真の場所をうまく確認できないので想像してください。旧道沿いには表示板が立っています。  
前述の水源地の北側の堰より、無理せず舗装された新道を進めば難なく中修寺橋まで出ます

旧道を進みたい方は、雑木林のトンネルに入ります、写真に沿って想像してください

雑木に覆われて暗いですが、比較的しっかり旧道跡が残っています

ここは多分カーブの表示

長崎街道の標識

道なりですから迷うことはないです

この辺りは若干荒れていますが大丈夫です

快適な旧道ですこのようなところ一人で歩くのもまた格別です

舗装道の旧道に出たところ

舗装道に出てきたところを振り返ったところ案内表示が立っています

一旦新道に出て、左に弓なりに回った道だろう

再び新道に出て左に南下して集落に入っていきます。正面の道でなく左の新道に進みます

新道に出た少し先に 石橋

右手方向に 老松社の鳥居

小川が過ぎたところで左に分岐する旧道があります、その先でさらに川に突当り、旧道は消失していますので、川沿いに右に折れて再び新道に出て中修寺橋を渡ります

大山路地区です

中修寺橋を渡り新道にでます 

この先の街道は新道の改修工事で、国道34号線と交差する亀水信号交差点までの900m程はかつての旧道は工場等で消失していますので新道を南下します。
旧道の軌跡を少し追ってみると、新道の両側に不二コンクリート工業があります、左(東)側の敷地内を通り、永野地区に入ると新道を横断して右(西)側を進み、そして内田地区に入り内田公民館の手前、小川のところで再び新道の左側に出て進み、小川を渡り緩やかに右にカーブしながら再度新道を横断して西側に出て50m程で国道34号線のバス停の傍に出ていました。すぐ国道左手には国道34号線の亀水信号交差点が新道と交差しています。
旧道は新道を挟んで左右に蛇行して進んでいたようです

止む無く旧道が消失しているので、不二コンクリート工業北側の中修寺橋から、新道の歩道を直線で南下して歩きます

やがて国道34号線の亀水信号交差点に出ました。国道を50m程右に折れて、バス停のところの右T字路を左に

この先も写真とうまく説明ができないので文章で追います。
国道34号線の右T字路を左に折れて60m程先の一つ目の十字路を右に折れます。70m程細い畦道を左に弓を描きながら進むとT字路に突当り左に折れます。消失していますが旧道は真っ直ぐ進んでいました。左に折れて40m程で再びT字路に突当り分岐しているので右に折れます。200m程緩やかにS字型に西に進むと、途中、石仏があり、左に東川登公民館がある辺りの右に焼失した旧道が出てきていまし。やがて国道34号線の東川登小前信号交差点に出ます。

上述の文章の一部残っている旧道跡

国道34号線の亀水信号交差点の少しにしによったT字路、ここを左に入る

左に折れたところからT字路を振り返ったとこです

十字路を右に折れた畦道を70m程進むところやがて突当りますが、旧道は真っ直ぐ進んでいたが今は消失しています。左に40m程折れ、再び突当りを右に折れます

畦道の西端、旧道が消失している右手に 石仏

左に東川登公民館を見て進む、この辺り右に消失した旧道がでてきていた、街道沿いに 石造り物

国道34号線東川登小前信号交差点に出ます。信号を横断して左斜めに進むと、左に大谷公民館、街道を挟んだ右に東川登小学校があります

東川登小学校前を過ぎて振り返ったところです

その先、左に緩やかな円を描き、左に東雲会小野医院を見て進むと国道34号線が左から合流します。合流地点右にダイハツ、100m程国道を進みます

国道には亀屋バス停があり、国道右手に仕出しセンター山勝があります。
そのあたりで国道より左(東)斜めに旧道はあったが、今は消失しています。消失している区間は120m程です。国道をそのまま100m程進むと山勝の先で左への道があるので迂回します。左に折れて50m程入ると左T字路があり旧道が復活するので右に折れます。
右に折れて90m程で六角川に架かる橋を渡る所まで旧道を歩きます、ここは 越川橋跡でかつてはここから右斜めに国道34号線へ旧道が通っていたが(50m程)、今は消失しているので、川沿いを右に折れて国道に出ます。右手は六角川に架かる越川橋です。旧越川橋跡の左手(東)に 蓮和の地蔵があります。

文章の中の道です

畑の中にある 蓮和の地蔵
この辺りの写真との一致が今一つ確定できません、近くなら再度見に行くのですがそれが遠くてできなく残念ですが文章の中の一コマです

国道を暫く真っ直ぐ進みますやがて国道の右に田なか屋、左に巧工房が見えます

右手に 貴船神社

旧道は貴船神社の前を右斜めに六角川と国道34号線の間を進んでいたが、今は消失しています。国道を150m程進んでIC手前の細い右への道を入っていくと、畦道のような道が西九州自動車道にぶつかっています、果たして旧道の跡なのか分かりませんが

国道に戻り武雄南ICの信号交差点で、西九州自動車道の高架を潜ります

高架を潜った先も国道34号線を歩きますが、街道は国道の右手を平行して、上土手地区の国道左にあるデイリーコンビニの先で、国道に合流していました。境石材店の辺りです

デイリー店の十字路右手、石材店の手前の十字路右に 鳥居と燈籠二基 が建っています

正一位神社への参道があります。六角川の対岸山裾にあります

国道を暫く南下していくと、川登中学校前信号交差点に出ます。左手奥に川登中学校があります。さらに進むと武雄市字土手信号交差点に出ます。交差点より200m程進んだ先で、旧道は左斜めにカラオケアロマ武雄店の裏(東)側を抜け、少し右に方向を変え190m程進んだ先で右からの国道に合流していましたが、現在は消失していますので、国道をそのまま進みました。途中国道には日の出城信号交差点があります。また暫く国道を進みます。
嬉野市に入る表示。

すぐ先で、長崎自動車道の高架を潜ります高架を潜ると、旧道は国道のすぐ左側を平行して進んでいたようですが、国道改修工事で無くなっています

500m程国道を進みます、小田志バス停のところまで進むと、消失した旧道が左から国道を横断して右側に変わっていました

その手前国道右ブロック塀の際に 小田志追分道標「こたしやま道 たけおありた道」国道より右に通っていた旧道は、桃山塩田工場の敷地内を進んでいました

小田志バス停のところで、国道の左側を並行して進んできた旧道は、国道を右に横断し国道右側の桃山塩田工場の敷地内を通っていました。工場に沿って畦道がありますが旧道跡かどうか

少し畦道をいくと小田志川が工場の裏側を流れています。雑草が茂り先は歩けないので国道に戻りますが、旧道は小田志川に沿って工場の裏、陶彩館の裏、観光秘宝館の裏を進み、やがて小田志川を渡り東西の道路の十字路に出ていました

国道に戻り進むと、右に陶彩館の大きな看板が立っています。旧道跡はこの陶彩館の裏側を通っていました
消失しているので、小田志バス停から国道を南東に進みます

小田志川沿いの旧道が消失しているので、国道に戻り300m程進むと、塩田町長谷信号交差点に出ます、その先100m程で小田志川に架かる長谷橋を渡ると、国道から右へ入る道があります、150mほど西に入り、右(北)から消失した旧道が出て来るあたり、左(南)への旧道が復活しているのでその道を南に進みます。

国道より右(西)に入っていく道

消失している北側の旧道跡を見る、この辺りに出てきていた

長崎街道の表示がありますので、南に折れて進んでいきます

50m程入ると正面の角に民家がある分岐を左に進みます。右側の道は先で行き止まり

分岐より250m程道なりに進んだ先で、左からの道と合流しますので、右斜めへの旧道を進みます

暫く静かな街道を進んでいくと右手一帯は武雄嬉野ゴルフクラブです

右のGCの東側をそって嬉野町大字下野地区を進む。人と会うことは全くありませんでした。嬉野町下野~西川登町小田志~嬉野町下宿へ抜けていきますが、右のGC場も南の端となります。また街道も、ここで舗装がなくなり地道の山道に入っていきます

小田志地区に入りすぐ地道の峠道を南にすすんでいきます

茶畑が広がっています

薄暗い雑木に囲まれた山道ですが、旧道はしっかり残っているし、道幅も十分あり、急勾配でもなく快適ですが暗いです

暫く薄暗い登り坂が続き、やがて頂上が近くになるにつれ先に明りがみえます

頂上に着き振り返ったところです

このような状況に置かれると、反対に気持ちがすわって恐怖心が薄れ無我夢中の心境にいつもなります

下り道に入っていきます小田志から嬉野町下宿に入ったあたりです

下宿に入るとすぐのところで、新道の街道に繋がるのですが、この写真がよくわかりませんが、多分左に折れたようです、右手に見える建物は、下宿の「このめ会このめの里」と思われます。下宿に入り道なりに下っていきます

このめの里を右に見ながら緩やかな蛇行の下り坂を進んでいきます。振り返ったところ

道は広くなります

左手に、三坂堤の池があります、その手前右に老人ホームうれしのがあります

右の老人ホームうれしの

三坂堤を過ぎて150m程先でT字路に出ます 
下宿の追分 突当り左からは、前述の北方町で分岐した 長崎街道塩田道 がここに出てきて長崎街道彼杵(塚崎)道と合流します。前述の通りこの道が元々本道でした。

追分で右に折れます追分に新しい 旧長崎街道と刻まれた 道標 追分には一里松がありました

追分の一里松 あたり

越えてきた峠方向を振り返る

街道は右に折れて左に大きくカーブしながら嬉野の市街地に入っていきます

下宿の町に入り 大宝寺坂と呼ばれ古くはこの辺りが街並みとして栄えた

下宿川に架かる下宿大橋を渡り50m程先の分岐を右に進みます

分岐してすぐ右に 浄土真宗本願寺派賢楽寺

少し進むと左に 浄土真宗本願寺派美城山明元寺
山門は嬉野宿 本陣の門 を移築しています

更に少し先で街道は分岐しています、右は広い道で、左の道を進みます。左に折れたすぐ左に下宿保育園があります

左に折れて東南の街道を300m程進むと国道34号線に突き当ります一気に暗くなってきました

途中に 

日も落ちて辺りが暗くなってきました

国道34号線に突き当ったところです丁度、右手方向に今晩の宿泊地のホテルがあります

17時30分着38㎞の道のりでよく歩きました。
辺りが暗くなって、このすぐそばに今晩の宿泊先、街道沿いのシティーホテル嬉野に着きました。峠の山の中で暗くならなくてよかった。ホテルまでの移動時間もなく楽です。今晩はゆっくり休みます。

次の日はコチラ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA