上神谷街道

2013年5月7日
堺市堺区フェニックス通りと一条通りの交差点~堺市南区緑ケ丘の西で天野街道と合流起

庚申街道に引き続き堺東まで移動して、堺東駅をスタート。川辺バス停より移動時間約2時間。
        12時30分    スタート
        17時15分    完歩
           25.972歩  15.58km

ついたところが河内長野市駅より離れているため交通の便がなく、またもバス停まで約40分歩く。目的のない歩きが非常にきついバス停から河内長野駅までバスに乗り帰宅
      本日1日のトータル
        6時25分 スタート  17時15分着 2街道完歩  移動時間含む
           49.586歩   29.74km

堺東駅前のフェニックス通りを南に歩く

境東駅前南口の交差点の歩道橋の下に 道標「左 反正天皇御陵」

右に堺市役所の高層庁舎をみて、一条通りを進む

フェニックス通りの高架と一条通りの交差点 
上神谷街道起点

起点を振り返る

一直線に伸びた一条通りで全く昔の面影は残らないが、何か風情がある

やがて御陵通り交差点で、左にファミリーマートがありそこを左に曲がる

御陵通りの197号線で東に300mほど進む 大仙中町

3つ目の信号交差点、信号前方右一帯は大仙公園で、信号を右に折れる

すぐ左に、自転車博物館・市立中央図書館の前を通り、左一帯は広大な大仙公園

この先の街道は、大仙公園で消失しているので公園内を通る

図書館の先で左の公園内に入る

日本庭園の建物前

大仙公園に本庭園
堺は古来より大陸文化の上陸地のひとつとして大陸と日本を結ぶ重要な位置をせめ、中世には遣明船の基地として大陸から渡来した、先進技術や文化を日本文化へ昇華させることに貴重な役割を持つと同時に、当時自由都市として栄えた。この日本庭園は、これらの歴史を背景ににして作庭されたもので、庭園様式は「築山林泉廻遊式」を用いている。対岸には遥か中国大陸を望む名勝を模して造られている。
全国各地で見られる、藩主が造った名庭園とは趣が異なる造りになっている。桃源台に発する水流は、諸処に景勝をおりまぜながらやがて大海にそそぐ景観を、伝統的技術を駆使しながら、2万6千平方米の中に盛り込んでいます。

日本庭園の前に、身代わり地蔵尊と道標

庭園に沿った綺麗に手入れされた道この辺りを街道が通っていたのだろう

公園内を進んでいくと 七観音古墳 がある。
円墳で大きさは直径25m、高さ3.5m、1950年ごろまで、この西側に七観山という直径50mの円墳があり、いろいろなものが発掘された。七観音古墳と七観山古墳はどちらもすぐ南にある履中陵の近くにある所から、履中陵と関係の強い古墳と考えられている

公園内の快適な道を通り、やがて南端で公園を出ます。公園を出たところ左に「寺山赤山古墳」反対西側に「履中陵」がある。 右の写真の府道を真っ直ぐ進む

府道の左に寺山赤山古墳を見て進む

府道右には巨大な 履中陵

府道を更に歩いていく

阪和線の上を渡ります

阪和線を渡った先で分岐、旧道は左に、その先右の上野芝陽だまり保育園の前を通る

すぐ先で百舌鳥川の上百済橋を渡とすぐまた、百済川に突当り道がなくなるので、左の橋に迂回する。川を渡り広い信号の新道を横断すると、更にすぐ百済川の西大道橋を渡る、その手前に西大道地蔵尊が建っている

広い信号の交差点を渡り、西大道橋手前に地蔵 西大道地蔵尊

百済川に架かる西大道橋を渡る

少し歩いたところで右からの61号線と合流

府道61号線との北条町北交差点を越える

右に 浄土真宗極楽寺

すぐ先の信号交差点を右に曲がり左にカーブして南に進む

右に入って左にカーブする

住宅の中の道を進む、新しく民家は建て替えられていて旧家みあたらない

右には堺市の公共住宅・緑地

道は突き当たるので道なりに左にカーブしながら再び府道に合流する

府道に合流するところの交差点左角に 延命地蔵尊 

地蔵尊のところを少し東に入ると 浄土真宗称讃寺

中深井交差点に戻り、地蔵を左後方に見て府道に沿って真っ直ぐの単調な道を南に進む

200mほど先でいせし橋の 橋柱が残る

左ライフの越えたところに 

交番前の広い交差点を越える

左に万代の交差点で分岐しているが左の真っ直ぐの道を進む

更に進んでいくと、右に 地蔵尊 小阪226

100mほど進んだところの小阪信号交差点で東西に交差するのが和泉街道で交差点を越えた右角に、大峰修行碑が立つ
和泉街道 との交差点 和泉街道は左右(東西)の道、上神谷街道は真っ直ぐ進む

交差点を渡った右角に 大峰修行碑

碑の隣に 

碑より小阪交差点の方向で今来た道

少し進んだ右にも 

阪和自動車道の小阪公園前を潜る

高速道の先左は原池公園と原池公園体育館

公園の切れたところで右にカーブする

その先で鋭角の信号交差点となり、右の道を進み直の天野橋を渡る。渡ったところ右角にも地蔵尊がある

右にある 地蔵尊の祠

左に小さな池を見て、更に左に大きな旧家

右に 延命千代地蔵尊

伏尾交差点にでる、信号で三つの道に分かれているので真中の道を進む

交差点から直の左塀に組み込まれた 地蔵の祠と横に道標 「左 あまの乃」 「右・・・・」

和田北交差点、右側の真っ直ぐな道を進む

長屋門の立派な建物

その先信号交差点の道は中央線の有る道を進む

208号線に交差する泉北和田交差点を越える

左に広大な荒山公園、街道から少し離れて公園内の道を東に進むと、多治速比売神社 がある。石段の下まで来たが時間的に上まで上るのが無理なので、下で参拝する

長い石段の参道

鳥居の所の公園沿いの道に戻り南に進む

でも大きな公園だ

公園の切れる所左に 

その先で右からの道が鋭角に合流する信号

信号より200mほど進んだ左に 小谷殿古城跡の石柱 堺で最も古い古城(13世紀)

址に小谷城郷士館があるが本日休館日

小谷城郷士館

泉北高速鉄道線の豊田北交差点で高架を潜る

高速を潜った先の交差点

その先で右側にGSがあるところで道が分かれるが、左の道を進む

左の市立青少年の家の前を通り、市立上神谷保育所の通り過ぎたところの、片蔵交差点を左に折れる

交差点を左(東)に折れたところからの道を真っ直ぐ進む

100mほどで妙見川に架かる宮橋を渡る

桜井古跡
桜井井戸と呼ばれ、悠久の昔より桜井神社御祭神に深い縁故を有し、古来夏祭りに御神幸あり、和泉名所図絵にも登載されている。常に清水湧き出して枯渇することがなかったが、明治18年の大洪水により河川氾濫して埋没、大正4年御大典記念に30年ぶりに復旧、さらに平成元年妙見川拡幅、宮橋架替工事の竣工により、整備保存されたが、井戸は現存しない。

宮橋を渡った左に 地蔵

川沿いに少し左に進むと 桜井神社

国宝桜井神社拝殿
建立は鎌倉時代前期とされている、中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重紅 梁かえる股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。装飾的な要素をひかえた明快な建物で、各部に鎌倉時代の特色をよく示している。大正6年国の特別保護建造物に指定され、昭和3年解体修理が行われ、28年国宝に指定された。その後53年屋根葺替等保存修理を行う。毎年10月の秋祭りには「上神谷のこおどり」が奉納される。

その先妙見川に架かる高橋を渡る

気持ち良い街道風景、先の分岐は右に道なりに進む

分岐している少し先の左側の 

高架の下を潜っていく

暫く歩いたところで道が分岐している、どちらが旧道か迷ったが、とりあえず右の道を進む

右の道途中で間違いに気が付く

左の道が旧道であったので戻り左を進みました

左の道が旧道のようだ、100mほど先で左からの新道と合流するところで右斜めに下って行く

下ったところで、前述の右の道と合流する釜室交差点に出る

釜室の集落を暫く歩く

交差点を右に歩いていけば、妙見山感応寺への道

山上に見えるが寄らないで進みます

暫く車道を進んでいくと、右に堺CCの看板のある信号の2股道を右の旧道を進む

右に入ったところの道

坂を暫く下っていく、歩道はないが車が比較的少ないので楽に歩ける

丘陵の快適な道が続くと疲れを感じさせない

一番高いところの峠に来たようだ

丘陵の景色

道なりにどんどん進む、なかなかここがどのあたりと説明がしにくい

右への柵内立ち入り禁止の看板の向こう側の広い方の道を左のグランドに沿って進む

左の柵内の看板

ここの左の道は、浪速ふくろうスタジアム入り口なので右の道を進む

更に雑木林の中の丘陵地の道を歩く

左には堺CC・右下一帯は堺酪農団地の広大な敷地と建物

右の道が酪農団地への道だが家畜伝染病予防のため関係車両以外立ち入り禁止の看板

更に同じような景色の中の道が続く

左の下りはゴルフ場内への道で、右へ進む

左のCC・右の酪農団地も終わりで、尾根道を歩いてきた丘陵道も終わりのようだ

さかを下り始める

下ったところで、左から 天野街道 が合流

合流地点 向かって 右が天野街道、左が上神谷街道
このまま重複して街道は、天野山金剛寺に3㎞ほど歩くと着きます。天野街道で歩いているので、詳細は天野街道をご覧ください

上神谷街道 完歩

ここからは交通の便がないので金剛寺を抜けて、バス停まで行って河内長野駅へ行きます

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