2011年6月6日
交野市私市~奈良市の富雄川と第二阪奈道路の北側暗峠越街道との交差点
6月6日京阪枚方市駅近くの宗左の辻を起点とした、磐船街道を完歩したあと、引き続き私市の分岐点から9時25分スタート。
ここから生駒山系を越えて奈良北部にでる古い旧道で「かいがけ道」とも呼ばれていた。
旧道の面影の残る街道でハイキングの人たちも多かった。後半は富雄川に沿って南へ下る。
楽しい道のりであった。
傍示街道
9時30分 スタート 16時00分完歩
32.680歩 19.60㎞
磐船街道と傍示街道の一日トータル
46.305歩 27.77㎞
傍示街道と磐船街道の分岐交差点と道標を後にして、天野川支流の堤道を東に進む。この川 は天井川で、堤防は周辺より4~5mも高い間の川である。すぐ左に
愛宕燈籠と道標 「此付近亀山・・・・・」



提から少し右に下りて寄道する。私市3丁目でこの辺りを院田(いで)といって、亀山上皇(1249~1305)が病気となり獅子窟寺の薬師如来に平癒の祈願のためこの地に行宮を作られた。その後、病気はよくなりお礼に観音寺(千手寺)を創建された。その寺の維持のため、田を与えたことから、院田(上皇の田)という地名が残った。その後大坂夏の陣で焼けてしまったが、昭和48年地元の人たちの手で、千手寺・蓮華寺の残っていた仏像を一同におまつりができる収蔵庫を完成して今も親しまれている。
院田の収蔵庫

収蔵庫の前の 燈籠

院田の南側にある 西念寺


西念寺境内の仏像

院田付近の旧家の残る風情のある路地

元の街道交差点に戻る

左に 道標と燈籠

提の上の道を進む

京阪交野線の踏切を渡るすぐ右に河内森駅


踏切のすぐ先で道が分かれている、街道は左の道で森集落に入る

少し先左に 地蔵の祠

続いて 役場跡碑 が左に

集落の中の静かな街道を進む、交差点を真っ直ぐ

突当りの辻に出るので左に折れる

左に曲がる左角に大きな 燈籠が2基

森集落内の右に、向かいの古民家の石垣の窪んだ部分に 燈籠が4基 並ぶ

大きな民家の建物 大門酒造



森南3で左からの道に合流

合流した街道

右に 浄土宗須弥寺 お寺の入口に 古代人陽石崇拝遺跡の碑

お寺入口の 燈籠

街道に戻り寺集落を進む、暫く先で四辻、北東の角のメゾン嘉平を右に折れる

更に暫く進むと、道が分かれる左角に 燈籠が5基 ならんでいる燈籠が非常に多い

右の道を進む 五基の燈籠

街道が分かれる正面に 浄土真宗正行寺


素晴らしい集落の中の街道が続く

右への道


左に 住吉神社

神社境内に古い 燈籠 が立つ

神社脇に 道標二基 かいがけ道の石標指差し道標 「左 やまと道」

かいがけ道
この道は大和と河内と結ぶ重要な交通路として、古代には集験の道、奈良・平安時代には紀州熊野神社へ詣でる「熊野街道」として、また天正年間(1573~92)織田軍と戦った武将たちの馬駆け道として多くの者が往来した道。
住吉神社の脇からは完全な山道となる。うっそうと茂る木々の中、山道はつづら折れで続き勾配も強い。

神社横の登り口 道標「左 やまと道」


神社から150m上まで登り、花崗岩の露頭に出会うと、そこで谷水田のひろがりが目に入る。傍示である

峡崖道の入口



一人歩きの方がいます

伏拝の辻に残る石標
伏拝、社寺参詣にその地までいけない諸般の理由から、それに代わるものとして身近に設けた、遥拝所を指し、通常、社寺、社寺名を刻した石塔・石柱など立てられた。
(伏拝の辻)
街道の左側に、「愛宕大権現」を中心に、左に「柳谷伏拝」、右の大きな木の下に「石清水八幡宮」の石柱、いずれも南を正面にして立っている。石清水八幡宮石柱の右下に双体仏を彫りこんだ石碑


私は、石碑については残念ながら余り分からないが、資料に沿って抜けたところを追っていくと、
(二月堂伏拝)
伏拝の辻の先右に、大岩の頂上近くに立つ石柱、二月堂伏拝の磐座・石碑・岩上の石碑。
更にその先に、
(能勢妙見大菩薩の伏拝)
道の曲がり角の崖際に立つ石柱で、遠く能勢妙見を遥拝する伏拝の聖地。碑の傍らに大きな
枯れ木の幹が残る。
(かいがけ地蔵)別名、歯痛地蔵
その先で左に曲がってすぐ、道から左へ10段ほどの石段を登った上の平場に、地蔵像はじめ
幾つかの石像が点在する。
山道を登り標高200m強に達すると、左手に平坦地がある。そこに2基の小基壇があり、元地蔵堂があったという。いまも基壇上に「かいがけ地蔵」と呼ばれている地蔵立像(戦国時代)が残されている。ほかに行者堂・不動明王像なども残されている。付近にかつて茶店があったという。
二基の基壇とかいがけ地蔵 堂内には地蔵尊と無数の木箸が供えられており、別名「歯痛地蔵」といわれる。
傍に 行者堂

広場の中央の基壇跡に立つかいがけ地蔵像とまわりに鬼瓦・平瓦・石製構造物が残り、ここに地蔵堂があったことを示している

平地のなかに、不動明王石像、平地の左端に立つ石像不明の石物、地蔵堂跡の左に立つ石仏
三界萬霊の石碑、石段を上ってすぐ左に立つ自然石の碑、小地蔵像、石段を上って左に立つ大きな木の根元
参禅所の石碑、地蔵堂跡の後ろにある石碑

かいかけ地蔵を過ぎて進むと左山側に、竜王山への分岐点があり、石の鳥居が立っている。傍らの 石標に「従是嬰児山竜王社三丁」とある。竜王山への登山口
竜王山登山口の鳥居と竜王社道標
竜王山は古来より信仰の山である。頂上には巨岩が座し、小詞がある。今は殆ど人は途絶えている。

(ごみの木地蔵(ぐみの木地蔵))
傍示に近くなった道の左手、崖の下の草に埋もれた石段の上に、三角形の大石に、深く彫られた舟形光背を背にして、弥陀の定印を結んだ阿弥陀仏が蓮華座の上に坐している。室町時代の作。往時はこの辺りから谷筋に下りて傍示にでていたとのこと。ごみの木を過ぎた傍示の里近くの左に
(金比羅大権現の伏拝)の石碑 が立つ
傍示集落に入る手前の里道を進む


傍示集落内に入ると左少し奥に 八葉蓮華寺 かつては広大な寺院であったと思われる。お堂内には
阿弥陀如来立像・快慶作(国重文)
仏像は足柄(あしほぞ)に「巧匠アン阿弥陀仏」と記されている。鎌倉時代の仏師快慶の署名。この署名と作風より1192~1203年ごろ、快慶前期の作品と推定されている。穏やかな表情をたたえ、衣線も流れるように美しく整っている。また、体内には鎌倉時代の著名な僧明遍などが写した数多くのお経や願文などが納められている。


観音立像と地蔵尊を祀る小詞

道に戻り進むとすぐ左に鳥居が立つ 菅原神社 神社といっても今は古びた 鳥居と燈籠 があるのみで、社殿といっても、山腹の花崗岩の露頭の前に 小詞 が置かれ、古い巨岩信仰の観を呈している

分かりにくいが少し参道を登ると竹藪に囲まれた 小詞(社殿) がある

下って行きます



菅原神社を過ぎて暫く進むと左の草むらの中に 中世熊野街道傍示八王子社跡の石標 が立つ

この辺りが河内と大和の国境の峠となるが今は特に峠を感じさせない

前方に集落が見えてきた

振り返った田園の広がる風景

傍示の県道8号線に突当り右へ


右手の田園の向こうに今歩いてきた集落


傍示南バス停近くの交差点

交差点で真っ直ぐの道か、右への道が正しいか分からない。高山溜池の西側を進むのが右折れで。東側を進むのが真っ直ぐの道。とりあえず仕方がないので右への道を歩く。
東山溜池

左の池に沿って大きな溜池の東側の7号線の道を進む、かなりの距離を進むと道が分かれるが左の道を進む。その先で左に東山溜池・右にくろんど池がありその間の数十m幅の道を進み、抜けたところで左から交差点で前述の迷った分岐の道と合流する。どちらの道も変化のない坦々とした道のようだ。
左側の道を進む

右にくろんど池、左に東山溜池をみる


道が合流する右にある、 小詞 後ろがくろんど池

合流地点で新道は右へ、旧街道は左の雑木林の山道に入る

旧街道と高山城址の案内が建つ

雑木の中の旧道

山間の雑木林の道を抜ける

この雑木林の山道を抜けた先で高山城址の案内板がある。城址を左に見て進む細い道と、鉄塔に向かって進む道と、どちらが旧道なのかここでも迷ったがここでは真っ直ぐ進んだ。
高山城址への道を進んでいくと、高山城址を左に見て右からくる7号線と合流して南に進み、右の向露寺を見て歩く道で富雄川に出る。


真っ直ぐの道を200mほど進んだ先で東山溜池から流れてくる小川に出るので、小川を渡り右に坂を下る

坂を下って来るところを振り返る右手に高山城址らしき山が遠望できる

ここで右に橋を渡り進むと街道なのか解らないので川沿いに進む

橋より川沿いの道を振り返る

右に折れて100mほど行ったさきで、左の中田たばこ店の前で右に折れ更に100mほどで突当りのT字路になり右から先ほど橋を渡った道が合流。突当りを左に曲がりくねりながら進むと、右に 本願寺 がある

沢山の 石造り物 が並ぶ

本願寺の前を東に進むと100mほどで広い道に突当り左に折れる。少し先で広い交差点に出る。左からは中田たばこ店の前を真っ直ぐきたみちと、真っ直ぐの富雄川を左に見て沿う道が交差する。旧道は右斜めの道バス停の前を進む
交差点の右斜めの道を入る、バス停が立っている


右に大きな民家

左に大北公民館・大北集落を進む

左から先ほどの交差点を真っ直ぐ富雄川に来た道と合流する交差点に出る

交差点へ出てきた道

交差点を渡ったところで富雄川の川崎橋を渡る、左斜めに65号線の広い道だが、街道は富雄川の西岸の道を南に進む
(注)この辺りまでは旧道は今一つわからなかったので私が歩いた道
川崎橋を渡り右折れした、右に富雄川に沿って真っ直ぐの道を歩く。富雄川の対岸東側には新道が通っているので、歩く道は車が少なく安心して歩ける

少し進んだ左に 高山八幡宮


本殿は三間社流造(重文)



神社より富雄川対岸の民家

富雄川の北の望む

富雄川の南を望む

一つ目の橋が信号交差点の出口橋で、その先に見える次の橋で、橋を渡り富雄川の西側を進む
出口橋の先で道は左にカーブしていく、川沿いの細い道を進み、橋を渡ることとなる。

生駒北中学の前で橋を渡り今度は東側の7号線を富雄川に沿って、変化のない単調な道を暫く歩く。やがて高山大橋交差点を横断する。交差点を越えて100mほど行った先で右の辻井衣料店の交差点で再び左に折れて富雄川に架かる橋を渡りそして右に折れ川沿いに南へ。

生駒市北部には、緑豊かな自然環境にかこまれて歴史の古い寺院などがある。北部の大半を せめる高山町は、中世から近世にかけて活躍した鷹山氏の根拠地となり、近世以降茶道具の一つである茶釜の特産地となった。今日でも高山茶釜の制作は多くの竹製品とともに高山町内で受け継がれている。高山町庄田には、鷹山氏の居城高山城址、鷹山氏の氏神で地元の信仰を集めている高山八幡宮、東大寺別院法楽寺などがある。また、清滝峠から高山町前田を通る清滝街道、枚方と生駒結ぶ磐船街道、河内と大和を結ぶかいがけ道などは、大阪と大和、伊勢を結ぶ交通路として人々が往来していた。現在も道標や石仏などが残り、当時の面影を留めている。(生駒市北部史跡案内より)
高山大橋交差点右手に 大佛寺

富雄川の西筋を歩くこと300mほどでまたもや、西向橋で川を渡り東側に出る
橋を渡り大きく左にカーブする

その先蛇行しながら、右に池の傍を南へ進むと、右から鋭角に新道が交差する。交差する新道を左へ進めば富雄川を渡り上村大橋から、近鉄けいはんな線の学研北生駒駅へ通じる
広い新道を横断して正面の細い旧道を進む

この先新道を横断して少し左斜めに進んだ後すぐに右に折れて100mほど真っ直ぐ南に歩くと、十字路にでるので左に折れて、またすぐ右に折れて、近鉄けいはんな線を越える


下って行ってけいはんな線の高架を潜り真っ直ぐ進む

この先の集落の道筋は、高架を潜り少し道幅の狭いのを真っ直ぐ南へ、突当りを右へ、すぐ道が分かれるので左に折れて南へ200mほど進む、途中右に小さな池がある。やがて右側に、福満寺があり西側を通る、過ぎたところで道に突当り左に折れる、右側に庄垣内集会所がある。その先で右に大きくカーブしながら南に進む。西側100mほど先に富雄川とそった新道が走る。
南に進む途中富雄川向かいに安養寺が遠望。その先を進むと、広い道の信号交差点にでるので横断する。左に行けば富雄川の上町交差点。広い道を真っ直ぐ横断して小さな川を渡り、右の出垣内公民館の前を通り、100mほどの所で突当り左に折れる。150mほど進むと富雄川のみねのみや橋に出る。
(説明文に沿った道順の写真)


右に 融通念仏宗福萬寺

石造り地蔵菩薩立像 1298年の銘



お寺の下の細い道


左(西)遠望の 安養寺 観光寺でないが綺麗なお寺らしいが寄れない


右に竹田畳敷物店のある交差点を左斜めに進むと信号交差点

交差点を越えたところで左へまがり右に道なりに

小さな川の橋から

突当りを左へ

富雄川に架かるみねのみや橋に出るので渡り、川沿いにきた7号線と合流し右へ進む

(前述の文章の道筋はここまで)
富雄川の上流と下流の風景


橋を渡って振り返ったところ

富雄川の西岸に沿って南へ、湯屋谷橋東詰交差点

次の信号の左に 杵築神社の標柱と参道


杵築神社

暫く進み左に少し入っていくと 法融寺

お寺の門前、日限地蔵尊



また暫く川に沿って進むと、左につじた動物病院の所に、三松橋の信号で右に橋を渡り、今度は左に川に沿って進む

正面に近鉄奈良線の高架が見える高架の向かって左が富雄駅

高架を潜り振り返ったところ

右に 小詞と橋柱(長澤橋)


「とみおかは・・・」

その先、対岸に富雄中学への歩道橋から南北を見る


暫く進むと、阪奈道路の高架下を潜る


右にパチンコ店、左富雄川の間の道を進み交差点を横断する

左、黒谷橋を見て真っ直ぐ

左、近大橋を左に渡り、すぐ右に折れ、富雄川を右に沿って進む

100m弱ほどで広い新道の7号線を左に分け川沿いの右の道を進む

右に川を見て暫く進む

左にならけん富雄JAの所で右へ入り(寄り道)富雄川を渡り真っ直ぐ先に葛上神社が見える

葛上神社

元の道に戻り100mほど進むと、富雄川に架かる橋が2つ並んでいる朱色の橋を右に渡る


橋の正面に立派なお寺が見えてくる 真言宗霊山寺


入口の大きな 燈籠

十六所神社(重文)本堂背後の三腹にあり、南北朝時代の建立。霊山寺の鎮守社

創建年736年、開基は行基、本尊:薬師如来(重文)、本堂(国宝)、三重塔・木造薬師三尊像・鐘楼(重文)、戦乱に巻き込まれずに残り古い面影が残る寺。バラ園があり、世界のバラの花を集めていることでも有名。
霊山寺を出て富雄川を渡らず南側を川に沿って東へ進む


分岐を右斜めに進む


富雄小学校の手前で、左の川に架かる橋を渡りすぐ右へ

橋から富雄川

少し歩いたところで、北より合流する支流の橋を渡ると道が分かれるので川沿いに右に進む



交差点の左手前角に 砂茶屋の間男地蔵と燈籠


砂茶屋の交差点で 暗峠越街道と合流

合流の辻から 川沿いの南側で 阪奈道路

今歩いてきた傍示街道川(北)

暗峠越街道の西側

暗峠越街道の東側


傍示街道 完歩


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