尊延寺街道/田辺街道

2012年7月8日 1日目
2013年6月8日 2日目

1日目】
牧野駅 京街道分岐~京田辺駅(尊延寺越道として)
前回、前島街道を少し残したのでその後を歩き、引き続き牧野駅近くの京街道分岐点よりスタート。
     
 7時35分 スタート
         14時 京田辺駅にて  完歩
        27.354歩  16.4km  
  
2日目
枚方市駅~JR山城青谷駅 奈良街道(田辺街道として) 
京阪で枚方市駅まで梅雨時であるにかかわらず雨が降らないくてよい天気であった。前半は旧道らしい快適な道であったが、河内峠へ入る辺りから車の多い歩道のない危険な道が続いた。
     
 7時05分  枚方市駅スタート
       14時35分  完歩
         38.391歩  23.03km  
 

以前歩いた尊延寺越道と同じであるのが途中で分かったが止む無く完歩した。修正追加を加えながら、合算して完成枚方と京田辺を結ぶ街道で、国道307号線に沿って進む
枚方市禁野で岩船街道と分岐し、池之宮の四辻で東高野街道と交差。野村を経て、津田で山根街道に合流し重複しながら暫く歩き、惣喜池手前で分岐。穂谷川沿いに、杉・尊延寺に至り河内峠を越え甘南備山の麓を進み田辺へ

京街道の 宗佐の辻 京阪枚方市駅の南西100mほどの所の辻をスタート地点とした
尊延寺街道の起点

京街道がイオンの南筋からの道

宗佐の辻から北に進み、暫く京街道と重複して歩く

枚方市駅の前からの広い道路を横断する

交差点右、京阪枚方市駅

横断した先の、京街道の旧家が残る枚方宿の街並み

枚方宿東見附跡、京街道は天野川の堤で切れるので、左に迂回して対岸に出る京街道は左の坂を上り、鵲(かささぎ)橋へ迂回して対岸へ

東見附で田辺街道(尊延寺街道)は突当りを右へ進み、京街道は左に進み分岐する

突当り正面に 道標 「旧 鵲橋西詰跡」

突当りの東見附から枚方宿の京街道を振り返る

右に折れて堤防の下を進み、すぐの京阪本線の高架を潜る

その先で新道を横断、左は新しい天津橋

堤防下を更に進み、京阪交野線の高架下を潜る

交野線を潜り左の堤防に上がる

堤防から禁野橋が見えてくる

禁野(きんや)橋の交差点、資料では一般的にこの橋が田辺(尊延寺)街道の起点となっているが。私はあっているかどうか分からないが、枚方宿の東見附を起点とした。この起点に来るには枚方宿を抜けているからです。
この交差点、右からの新しい道を右に進むと枚方市駅の東口へいきつく。市駅の北口近くの宗佐の辻に出るので、かつては宗佐の辻で京街道と分岐して、この禁野橋に出ていたのかも分からない。いずれも確定が出来ないので想像するのが楽しい。
禁野橋の西詰を天野川沿いに真っ直ぐの新しい堤防道が 磐船街道、ここで分岐する
田辺(尊延寺)街道は左に折れて天野川の禁野橋を渡る。

禁野橋西詰交差点

天野川に架かる禁野橋を渡り東へ

【別ルート追加】  前述に説明した、宗佐の辻を南に進み京阪本線を越えて、枚方市駅の東口からの道。完全に市街化により広い新しい道で、旧道らしくない道です
宗佐の辻からでは、距離的には近いです。追加補充しておきます

京阪枚方市駅東口宗佐の辻から線路を越えて東側に出ます

正面の広いメーン道路を南東に進む右に枚方市役所前交差点で右からの20号線と交差し、左にカーブしながら20号線を進む

左の枚方警察署を見て交差点を進む

間もなく禁野橋西詰交差点に出る。
前述の交差点、右へは磐船街道、真っ直ぐは尊延寺街道

禁野橋で合流

これは、田辺街道と尊延寺街道とを別々に違う街道と思って歩いた結果で、最終的には先で合流していた

天野川の景観右(南)

 左(北)歩いてきた道

 橋を渡り200mほど歩く

再び京阪交野線の高架を潜り、宮之阪駅北交差点を横断
この辺りの道は完全に旧道は消滅して、宅地造成されて新道となっている。かつては谷間の道の坂を上っていたようだが、偲ぶべきもない

宮之阪3の交差点を過ぎ百済坂を上る、その途中左の石段を上るところ入口に 百済寺址の碑

石段を上っていくと広くなった百済寺跡公園その一角に 
百済王神社
百済国王の禅広は、新羅・唐連合軍によって祖国が滅亡した際、日本に亡命し朝廷に仕える。百済王氏という姓を賜り難波の地に居住した。陸奥守百済王敬福は聖武天皇の東大寺大仏の建立に貢献し河内守に任ぜられ、氏寺として百済寺、氏神として百済王神社を造営し、一族がこの地に住み着いたといわれている。
その後、壮大な伽藍は度々の火災により衰退したが。今ある本殿は奈良春日大社の本殿を移築したもの。
神社は1250年近い歴史を持つ。
社宝の山車も長年荒れ果てたまま、山車庫に放置したままで消滅しかけていたのを、地元の有志により平成の大修理でよみがえった。

山車庫

隣接する広い敷地の 百済寺址

百済寺址を見て鳥居を出て、街道の百済坂に出る。振り返ったところ

百済寺を出て坂を上ったところ荒振り返る

中宮病院東交差点を越えて、歩道橋の交差点に出たところで、道が三本に分岐しているので、真中の道を進む

更に暫く進んだ先で右の旧道に入る

すぐ先で国道1号線に出るが、中央分離帯もあり車が多く左の信号交差点に迂回して、向こう側の旧道に出る

1号線の南側の道に出て、旧道を振り返る

左の大西畳店の過ぎたところで、左に大きくカーブする

1号線の前に分岐した道が左から合流してくるので右に折れる

左からの合流してくる道

合流して右に進む道

右にセブンイレブンのある西池之宮交差点を過ぎ、東池之宮交差点をすぎる

四辻の交差点に出る。この交差点は南北に通る 東高野街道 と交差する

 今歩いてきた道を振り返る

東高野街道の交差点の南の筋

東高野街道の北の筋

四辻交差点の少し先で、津田の北にある惣喜池東までは南北に分かれた2つのルートがある。
北ルートの方が古くからの道で、野村・津田集落を通らず、真っ直ぐ穂谷川に取りつき、南岸に沿って杉集落にはいる。南ルートと分かれる道は、現在ガラス工場造成時に消滅しているが、府営住宅北側付近に道筋が残っているという。また大峰東町では地道が残っているという。津田北町では高低差2mほどの古い堤道が残っている。しかし、JR片町線より東側は消失しているとのこと。
今回は南ルートを進む。

四辻交差点から暫く真っ直ぐ自動車道を進む

右に、エムケイ産業、アピカノート便箋の大きな看板を目印に、その少し先辺りから北ルートの道が左斜めに進んでいたが、今は全く想像もできない現状

南ルートはその先の信号を越えて進む

信号を越えた先、春日野二丁目で右の旧道に入る、少し解りにくいが枚方東部企業団地の看板がビルの壁に立つ

右に折れると100mほどで突当りになり左に折れる

突当りを左に折れて、工場の間の狭い道を進む春日野二丁目2の表示

アーバンキープと書かれた工場の前で左に曲がる

すぐ先で左からの道が合流して右に進む

 小川を渡り、右にモトヤマ産業機器事業部の前を通り

 【迷った道】
その先で道が狭くなり、小さな小川を渡る所で道が分岐するどちらが旧道かわからないので、
とりあえず真っ直ぐの道(北側)を進む。

狭い道を進む、左に東亜高級継手バルブ製造工場

小川を渡った辻から、250mほど進むと、やがて南皮膚科医院が右手角にあり道は突当る。10mほど右に折れてすぐまた左(東)に折れて150mほど進むと、左からバス道路が合流してくるので、バス道を左に分け右に入る、左角に飯田書店があり20mほどで、、小川の所で分岐した道と合流する。

右角、南皮膚科医院

医院を右に折れすぐまた左に折れた辻

この先で、左からの道に合流する手前で右に折れる

  先ほどの小川の分岐する辻に戻り右に進むと
すぐにまた道が分岐するので左に進む、小川が右の道に沿って離れる。その先道なりに100mほど進むと、小川を渡るその前に鉄塔が建ち突き当たるので左に折れる。左に折れて150mほど東に進むと突き当たるので左に折れる。20mほど右に緩やかにカーブすると、道が分岐して、左の道は先ほどの南皮膚科医院の前に出る道。右の道を進む、30mほど先の十字路は真っ直ぐ、更に50mほどで右に90度曲がる、真っ直ぐは道は無くなる。左に折れて10mほどで突き当たるので道なりに右に折れる、60mほどで右に極楽寺があり、その前で先ほどの飯田書店の辻で右に折れた道と合流することとなる。どの道が旧道かまたほかに道があるのか分からないが私は両道を歩いてみた。

小川の交差点を右に進むと、鉄塔が先にみえるこの辺りは野村元町

突き当たるので左へ

東に進む道、新しい住宅地

突当りを左へ進む辻、左に行けば南皮膚医院の角に出るが、少し右にカーブして分岐を右に行くこととなる

その前にこの突当りで⦅寄り道⦆のため、右に50mほど入ると右に、法楽寺があり、そこからさらに100mほど小川を渡り進むと、春日神社が有るので寄ってみる

右の 浄土宗法楽寺

境内の 石仏多数と横の板碑

塀際の 三尊仏

南に進むと小さな川を渡る

春日神社

元の突当りの辻に戻り左へ20mほど右に緩やかにカーブすると道が分岐する、その正面に消防車の車庫がある

車庫を左に進むと、先に歩いた南医院の角に出る

そこから分岐する車庫前を振り返る

車庫前の分岐を右(東)に集落を進む、道順は説明難しく、写真に沿ってみてください

やがて右に 浄土真宗極楽寺

極楽寺の東の角で、左から先に歩いた飯田書店の前からの道がここで合流してくる 津田西町二丁目1

合流した角を、少し右にカーブして30mほど先で道が分岐するので、左の東への道を進む

少し先で、左から斜めにくる道を横断して、真っ直ぐの狭い道を進む

細い道で、少し広めの自動車が走る道に突当り右へ

津田西町のバス停がある
右に折れすぐ先で津田信号交差点を越えてその先のJR学研都市線の高架を潜る

学研都市線の高架を潜る手前左に 自然石の大きな道標

高架を潜り津田元町の町並みを進む

右に 地蔵

地蔵の先で右から 山根街道 が合流してくる少しの間、左に重複しながら北に進む

合流する正面に 道標 「右 ひらかた 左 のざき大坂 道」

山根街道の南からの道を見る

田辺街道の今歩いてきた道筋

左に折れて、山根街道と平行した道

少し先右に 道標

 左に 春日神社 

境内の 若宮八幡宮本殿

振り返ったところ右に春日神社

神社を過ぎた左に 祠

祠すぐ先の細い左右の道が、津田街道(山根の道)とある

津田街道の左の道

津田街道の右の道

 街道を少し進むと左に 燈籠と道標 「八幡宮従・・・・」

津田街道との交差するところで⦅寄り道⦆のため、山根の道を進み街道より東側のお寺を見る。山根の道を進むとまず左側に圓通寺(写真に撮れていな)

更に南に進む 浄土真宗善應寺

坂道を上っていく、写真の写し方がまずくどれが何寺かわからない。更に南の左には、浄土真宗光源寺。その西側には真宗正應寺がある

 浄土真宗光源寺

真宗正應寺

街道に近い一番東側、山根街道と田辺街道が合流した辻の東の奥には 浄土真宗本願寺派仲陽山尊光寺 
阿弥陀如来を本尊 長禄年間(1457~1460)以前に始まる。山崎の合戦で明智光秀についたため、津田城と共に焼き払われた。その後文禄4年(1595)再興し現在に続く

坂を下って元の街道に戻る

津田街道の辻から暫く進んだところで、道は分岐する。左は山根街道右は田辺街道 ここで重複してきた山根街道と分かれる

その手前右に 二月堂石灯籠 が立つ

山根街道の道

田辺街道の道

右に進んだ先で。国道307号線の津田本通交差点を右斜めに横断する

横断した先の道

真っ直ぐ進んでいく 

やがて惣喜池の西南の端に出る

惣喜池 北ルートはこの池の北側を通っている

 暫く左の惣喜池沿いに、津田北町を進む

池の途中右に 

池の右には津田病院

 小さな川を渡り川に沿って右へ

青々とした田園が綺麗

左には右の川よりもやや大きめの穂谷川その間の道

自動車道の高架下を進む

その先で第二京阪道路が高架で横切る

その手前左、穂谷川に架かる下渡場橋を左に見て堤を進む

下渡場橋から振り返る

その先で、第二京阪の高架下を潜る所で遮断されており、道は消失している網の反対側には道があるが

高架下をよく見ると歩けそうだが、その先穂谷川で無くなっている

仕方ないので、少し下渡場橋まで戻り、橋を渡り川向の道(北ルート)を高架下へ進む

交差点へ左後方から 藤阪街道 が合流してくる

下渡場橋から左(東)を見るこの道が最初に分岐した北ルート

またその北側の左からの道が藤阪街道

三本の道がここで合流している

藤阪街道と合流して高架下の新道を潜る

高架を潜った先、前に田畑が広がる

田畑の畦道が真っ直ぐ伸びている、 この道が旧道跡なのかわからないが

高架を潜り右の川へ近づく道へ曲がる、川に突当り左に折れる

左に折れる前に、右へ地道の道が残りそのすぐ先で柵により通行止めになっている。この道がかつて高速道が出来る前にあった旧道でないか。対岸の柵とこの柵が真っ直ぐであるところから推察できる。一応旧道跡を見つけたと思って大満足ということは畦道が旧道でないかも

少し離れたところから、旧道跡を見る

川に付き当たった道を左に折れて進む

暫く進むと、左から畦道が合流してくる、いかにも旧道らしい雰囲気だが

近くの高台に上り振り返り全体を見ると、歩いてきた道と、畦道の道とよくわかる、さてどちらが正しいか?

先を進むと、穂谷川に架かる橋が右に見えてくるので、その橋を右に渡り、杉1丁目の交差点を横断して左斜めに進む

道は合っているようだ、表示

交差点を渡りGSの左側の道を斜めに進む

左に307号線の広い道路を見て、右側の道を少し入る

交差点のすぐ先一つ目の右への筋をほぼ90度に右に入る。左の自動車道に平行して進む道もあるが、私は右の坂道を上った

 坂道を上っていく

坂を上り切、左にカーブする右角に 神之宮 と書かれた碑

神之宮の高台からの交差点方向の景色左に曲がると住宅地に入り旧道でないようでまた坂を下った

元に戻り二筋目を右に坂を上る

 左にカーブしながら杉の集落にはいる

この先の集落内の道が少しややこしいので、説明をしながら進む。
坂を上り乍ら左にカーブする。150mほど先で右の小さな溜池の所で右に入る道があるが、真っ直ぐ。更に10mほどで道が分岐するので(杉1丁目)左の道を進む、その分岐点から100mほどで十字路があるが通り過ぎ、更に数mで突当りとなるので右に折れて、左の空き地をみて左にカーブ、その間50mほどで再び突当りとなる。左へ曲がる20mほどで、右の西方寺への道を見て真っ直ぐ進むこと70mほど、更にまた突当りに出るので左に曲がり、20mほど下ったところで、右に折れて坂を下り、杉1丁目の信号交差点で分岐した左の自動車道と合流し信号交差点を渡る。

ハッキリ道順写真で説明できないので、写真に基づいて進む

左にカーブして杉集落へ

急斜面の高台に杉集落がある

杉1丁目34で突き当たるので右へ

突当り右の細い道を左にカーブしながら進む、進む右に西方寺への石段がある 西方寺

境内にある 石仏の道標と祠  「右 八王た(やわた京)左 枚方大坂 道」 街道沿いにあったのが移されたもの

祠の中の お地蔵さん

西方寺の本堂

西方寺の横の道を下る

西方寺に隣接したところに

神社が有るが名前が書かれていないし、地図にも載っていない

本堂

灯籠か草でおおわれています

石碑が並んでいます

正面西法寺 道順はまちまちで果たして街道であったかわからない。でも集落内には大きな家も目立つ

 西方寺の北側の急斜面をくだる、左下には自動車道が見える 

下ったところで自動車道に合流する。

結果、杉1丁目交差点から右の高台の杉集落に入り道は集落、お寺を屈曲しながら大きく迂回し、真っ直ぐの自動車道にして300mほどの間だが、やはり以前は集落内を進んでいた旧道と思われる。

自動車道から下って来た旧道と大きな旧家を振り返る

合流してすぐの信号交差点をこえて自動車道を右に分け、左の道に入る

左の旧道に入ったところ、歩いている街道名の尊延寺集落にはいる

 左に茅葺の屋根が見える

穂谷川に架かる橋を渡る、そのすぐ先で道が分岐するので右に進む急な坂道となるすぐ左道なりにカー 「氷室路」 と名付けられている

坂の上から振り返る、かなり急な坂道 大峠

坂を登りきると集落にはいる

左、地蔵尊の前で、ここを右に折れて下る、

集落内左に 災害・交通安全地蔵尊

 下り道

やがて坂を下っていく少し左にカーブして自動車道に合流

氷室台バス停にでて左に進み氷室台交差点を横断

左に進む自動車道

右川向に光生会大阪の建物の所で、道が分岐するので、左の細い道に入る

そのすぐ先で道は分岐するので右に進む

尊延寺2丁目18

道を離れた左の奥にすごく大きな旧家が

その先で分岐を右に折れてすぐの307号線の信号交差点を横断する

307号線と橋がすぐ先渡る

細い道を少し進むと正面に尊延寺老人クラブ集会所がありそこで左斜めに進む

集会所の向かいに今も水を使っている井戸

この付近は大きな旧家が残り旧道の面影が残る素晴らしい氷室路 煙出しもある

 黒塀がひと際目立つ今も現役の田中医院 しかし大きい

長屋門も立派医院の看板が立っている

医院の辻を少し奥に入ると

浄土宗来雲寺

境内の 十三仏板碑 左は慶長16年(1612) 右は永禄元年(1558)

 二月堂灯籠

隣に 島神社末社春日神社本殿(重文)

春日神社の灯籠 古い街並みに良くマッチした灯籠

 この辻で街道から離れ⦅寄り道⦆のため左に進む

暫く進んだところで川を渡り、街道の名前のついている、尊延寺へ

 真言宗尊延寺 は保育所となり大きくない本堂があるが寺そのものは小さくなっている

室町時代の奈良興福寺の記録によれば、宣教大師が勅願により、奈良時代(天平三年・731)に創建したと伝わる。創建当時は大伽藍を持つ荘厳なものであった。その後、鎌倉時代の承久の乱にあい焼失。近世に入り衰退し、
現在は不動堂と旧池之坊の開山堂・地蔵堂・大師堂が残っている。

街道に戻り、その先の上茶屋橋を渡る

その先、307号線の交差点を右斜めに横断する

 307号線の北側に出て、右角にセブンイレブンを見て小川を渡る

小川沿いに緩やかな坂を上る

整備された竹林の中を進む

真っ直ぐ坂を上っていく、この辺りもまだ尊延寺地区、左に建設会社

 道なりに右にカーブする

307号線に突当り、左へ角にやすらぎの霊苑入り口の看板

左に折れて307号線の坂を上る

往時はであったのだろう、今は車で何のことはない

峠を越えて振り返る

尊延寺の東の端

やがて新道の自動車道交差点に突当り右に曲がる

すぐ右に入る道があり、新道と平行するがすぐ先でまた合流する

左にこんもりとした山がある甘南備山(221m)甘南備とは「神が隠れる場所」

新道に合流するここが大阪府と京都府の府境

河内峠 バス停(121.6m)

峠といっても今はあまり感じない、自動車がビュンビュン飛ばす
峠を境に暫くの区間、車が多く、歩道もなく非常に危険な道に変わる

峠を振り返る、右に京田辺市環境衛生センターが見えてくる

交差点があり、右、田辺西IC入り口

信号の手前で国道307号線の右下に細い道に降りてみる、暫く歩いてみるが間もなく廃道となる

新道が出来るまでの峠越えの旧道であったのだろう

高架を潜って左に折れて307号線に戻り、右に折れる。次の信号で307号線を右に分け、左の道に入る

竹林の道を進む

 右に府立こども発達支援センターの建物

開発された一休ヶ丘の住宅地を進む

山手幹線の広い道路の信号交差点に出る

交差点の右前方角に尼ヶ池

この交差点で⦅寄り道⦆のため山手幹線を左に暫く進み一つ目の信号で左に入ると杜の中に

臨済宗大徳寺派禅寺で山号は霊瑞山 酬恩庵一休寺

薪の一休寺ともいわれ、枯山水の石庭や一休宗純の木像のほか、納豆の一種であっる「一休寺納豆」でも有名。
正応年間(1288~1334)に開かれた妙勝寺が前身であるが、元弘年間(1331~1334)に兵火にあった衰退したのを、康正2年(1456)に一休宗純が草庵を結んで中興し宗祖南浦紹明も遺風を慕い報いる意味で酬恩庵と号した。
その後、一休は文明13年11月21日(1481年12月12日)、88歳で亡くなるまでをここで過ごし臨終の際には「死にとうない」と述べたと伝わる。金春禅竹が総門の前で一休のために能を演じたという。
永禄3年(1650)、前田利常が伽藍を再興し狩野探幽によって描かれた障壁画43面を納め江戸幕府から朱印状が与えられた。

本堂への参道、秋の紅葉が綺麗だろう

一休禅師墓所

慈揚塔(現在は法華堂と改称)

一休禅師は文明13年、88歳で当寺で示寂されたがこれに先立って文明7年ここに寿塔を建立し、宋の慈明・揚岐両禅師の名をとって慈揚塔と名付けた。堂内の卵塔は室町時代の古風を残している。一休禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるのでこの一角は宮内庁の陵墓として管理され門扉には菊花の紋がある。

庫裡(重文)
慶安3年(1650)前田家が当寺再建時に創建された他

国の名勝 酬恩庵庭園

本堂(重文) への門

一休禅師の像

開山堂

一休禅師像

茶人 寸松庵之墓

能楽観世流
三代音阿弥、 十五代元章、 十九代清興の墓、初代 観阿弥・二代 世阿弥能は足利時代に発展した

隣に 近江源氏 佐々木六角承禎の墓
戦国時代の武将南近江の守護で観音寺城主であった。永禄十一年(1568)織田信長の侵攻を受け落城。慶長三年(1598)宇治田原で病死、息子の義治など一族の墓もある

立派な名刹、ゆっくり見学しました

元の街道交差点に戻り右に尼ヶ池に沿って歩き、池の切れたところで左斜めに進むが、左斜めに進む左(北)川向の道を少し入ると

黄檗宗医王山甘南備寺

池の切れる所に戻る

尼ヶ池の東側の堤に、尼ヶ池樋門改修竣工記念碑

真っ直ぐの新道か左の細い道に入るか迷ったが、1日目は左に入り京田辺駅に進む

左の道に入る入口

すぐ入口左に 石の祠

その先右にカーブするところ左側に 松代稲荷社

稲荷社のすぐ左に 

そのすぐ先で道は分岐するが右の道を進む

自動車道の交差点に出る、左角に一休寺の 道標

交差点を少し右に歩いて信号を越えた右奥にある 浄土宗西念寺

先ほどの交差点に戻り、今度は左へ暫く進み一つ目の信号の先で川を渡った左に
棚倉孫神社

本殿 は桃山時代の再建、脇に天正二年(1574)の銘をもつ 石灯籠

瑞饉神輿
例祭十月十五日、ずいき・とうがらし・きんかん・千日紅・白米・豆類等を使用してずいきみこしを制作する。大人用は隔年制作、子供用は毎年巡行

境内の 松寿院跡 神社の神宮寺として建てられた

交差点に戻り少し右にかぎかたに進む

交差点野先の道

右に 

左に市立中央図書館がありその前に 旧田辺町役場跡の碑

役場跡を振り返る

JR京田辺駅

駅前の 一休さんの像

駅より歩いてきた街道を見る

京田辺駅より帰宅

1日目の尊延寺(田辺)街道 京田辺駅で  完歩

1年後の2日目
2013年6月8日

2日目歩き終わるまで、田辺街道と尊延寺街道が同じとは思わないで歩いてしまった。
京阪枚方市駅~
1日目と同じ道で津田元町~惣喜池~尊延寺~河内峠越~京奈和自動車道の田辺西IC北側~山手幹線の交差点(左に歩いていくと寄り道した一休寺)交差点を越えた右手に尼ケ池。前回はここまで歩いています。
1日目と同じ道をここまで歩いてしまった。この先を歩きます
~JR奈良線の山城青谷駅へ進む、奈良街道と合流

2回目は尼ヶ池の先で左に入らず、真っ直ぐ進む

前回はここで左の細い道に入った

左に入らず真直ぐ進みます

信号交差点を横断、左角に竹村商店

 交差点手前右に入っていくと 浄土宗西念寺

左に 

歴史がありそうな茶舗

 JR線の踏切を越える

左に京田辺駅が見える

踏切を越えると田辺中央交差点を横断

近鉄京都線の踏切を越える

 左には新田辺駅

 更に真っ直ぐ東に進む

右手に旧家が残る振り返る

馬坂川に架かる加渡羅橋

橋手前左袂に 

橋を越えたすぐの田辺高校前の信号交差点で分岐するので、右の道を入る

 右の道を入ったところ

防賀川に架かる水谷橋を渡る。川の右を見る

防賀川を越えた右に 浄土宗念仏寺

入口に 地蔵さん

街道に戻って直右に 

隣に 水分神社

 おりや呉服店の過ぎた辻を左に(寄り道

旧道より左の新道に出た右に 正光寺

石仏 が沢山並んでいる

新道を渡った左に 真言宗東福山大徳寺

境内の 銀杏の大木

元の旧道に戻る

暫く進んだところで左から新道と合流する、草内口交差点に出て合流して進む

左に市立中央図書館分室があります。その先で307号線の広い交差点に出て左に折れて307号線を進む

この先で木津川の山城大橋を渡る

橋を渡ると山城大橋東詰交差点

道なりにすすみ、すぐ左の細い道を下る

城陽市に入り茶畑や畑が広がる

堤防の下の道が分岐するので左の道を進む

その先の交差点左角に 道標
「是 東従宇治田原道」「北 京都街道 長池廿五丁 南 奈良街道 主水廿丁」

交差点に出て真っ直ぐ進む

交差点を少し左に入っていくと左に 松本神社

元の交差点に戻り真っ直ぐ進む

JR奈良線の踏切を渡る

踏切の先150m程の細い道

奈良街道 に合流する交差点に出る

奈良街道の左、(京都方向)

奈良街道の右への(奈良方向)

今きた道を振り返る

田辺街道・尊延寺街道 完歩

合流した交差点を左に奈良街道を進むと、道が分岐するので左にカーブするその分岐する角に

奈良街道沿いの旧家の大きな家

JR奈良線の山城青谷駅

山城青谷駅から奈良に出て帰ります

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