茨木街道支線

2013年10月27日

摂津富田の桑原橋で妙見街道と分岐~阪急茨木市駅の西
摂津富田駅から妙見街道(1日目)を歩き、長ヶ橋の先桑原橋バス停まで歩く。この先交通の便を考えて、茨木街道支線を阪急茨木市駅まで歩く。
今日は大阪マラソン開催日。
資料等と反対コースとなるがこの街道は、茨木街道と高槻街道が並行しながら茨木市本町で東へ右折れする。そのT字路を起点として北へ向かう。途中、三咲町で道祖本街道と交差、十日市で西国街道と交差、安威で妙見街道に合流して終点となる。
阪急茨木市駅近くにて  完歩
       10時40分  スタート
       13時50分  完歩
         13.795歩  8.27㎞

少し早いが阪急で梅田まで
、5時自宅に着く

茨木街道支線の起点
安威の交差点、サークルKの看板の正面のマンションの下の坂を下ってきたのが妙見街道。茨木街道起点をこの交差点とし、看板の所の右への広い道が街道

正面のサークルKの左を妙見街道が更に進んでいく

正面右の46号線を200mほど進む。左が 妙見街道 で下ってきたところ、ここで分岐する。

新長ヶ橋が架けられたため旧橋が通行止め、それによりこの近辺の旧道は廃道となっている

安威川に架かる旧府道の「長ヶ橋」

この辺りの安威川は岩がせり出しなかなかの渓谷である
新長ヶ橋から旧長ヶ橋を下に見る。かつては新道ができるまでは、妙見街道から旧橋を渡り茨木街道支線に繋がっていた

200mほど46号線の新道を進み、右の緩やかな坂道に入る

右に入るとすぐに鋭角にUターンする道で、妙顕山本龍寺への参道(見学済みなので通過)

右に進んだ街道

振り返って山の山頂を見ると真っ赤な 武山稲荷神社の鳥居 が見える

街道はT字路を左に曲がる右に曲がったすぐのところに、大念寺と阿為神社
浄土宗大念寺 656年藤原鎌足の長男が開祖

大念寺の正面左に 阿為神社への参道鳥居

阿為神社参道の右脇にある地下倉庫跡

左に曲がり安威の街並みを真っ直ぐ南に進む

安威の街並み

左に 祠と燈籠

素晴らしい街道の面影が彷彿させる街並み

右に 祠と燈籠 がある

旧家の角にも敷地を削って 祠と燈籠

すぐ南側左に 安威城跡の碑と説明 安威2丁目12

安威城
城は土豪安威氏によって築かれた城(居館跡)で、北の花園山頂にある砦と一対のものと考えられている。鎌倉時代の終わりごろに在地領主として築かれたと言われる。城の規模は東西百間・南北百五十間とされる。現在の安威小学校を中心に構成されていた。外郭は、今もその多くが竹林となって旧地形を残す。(茨木市教育委員会)

振り返る

その先の辻で左に曲がる

左に曲がる所からの街道

 角に 道標 「右 鎌足公古廟」

左後方を見ると 城跡の一部、竹藪

そのすぐ先で府道46号線の信号交差点に出るので右に折れる

暫く46号線を進む*

右前コーナンの見える交差点で、左斜めの細い道に入る

 左に入る道

すぐ左の民家の塀の下に分かりにくい 道標 「右 大坂・・・」

進んできたところでは振り返る

燈籠と道標の有る所を左に入ると 善永寺

右側に 妙見宮燈籠

 左、お寺には入口に 道標 

 燈籠と道標 を振り返る「左 さうちしみちすく」(総持寺)

東西に通る 西国街道 との交差する辻

西国街道左(西)方向の道筋

西国街道右(東)方向の道筋

歩いてきた街道を振り返る

交差点より先の道筋、前方に名神高速の高架が見える

左角に 道標
西面「右 茨木停車場 大阪, 左 石川 見山 茨木(道)」 南面「右 芥川 高槻 山崎 京都, 左 福井 豊川 箕面 池田 神戸 國(道)」 北面「此処 安威村大字十日市」

名神高速道路の高架を潜る  茨木市十日市町2

高架を潜り一筋西側の道を入る所を振り返る

一筋西側の道を南に進む

新しい住宅地を進む

突当りだが少し左から真っ直ぐの街道が通じている

細い街道の町並を南へ進んでいく 南耳原2丁目5

両側の工場が建ち並ぶ小川沿いに

やがて工場が切れる所で、右からの46号線に合流し、すぐの交差点で国道171号線の西河原西交差点を横断する。横断した後46号線が15号線に変わり向かって右側の側道を進み、右の平坦な道を歩く

すぐ先で民家の軒の辻に道標がある向かって左(東)の15号線の側壁で迂回が必要だが、右(西)へ進む道が 
道祖本街道

道標
正面「すぐそうちし、みぎ大坂、左 丹波」 東面「すぐかちをてら、右 丹波、左大坂」
北面「右にとひ 右の道には 亀やまというふ」

道祖本街道の東側(左)は15号線の側壁で迂回して反対側へ

道祖本街道の西側(右)の細い街道

街道を側道に沿って真っ直ぐ来たところで振り返る

提の手前を右に折れたところに お地蔵さん が並ぶ

右に折れて、堤に出て鋭角に左に曲がり15号線に出る

堤から今来た側道を振り返る

茨木川に架かる田中大橋
田中大橋を渡り堤防沿いに右折れ

田中大橋より西の遠望

右に折れる

堤防の道を100m余り進み、左公園の樹木の有る手前を鋭角に左に下る

鋭角にUターンするところ

安威川茨木川合流の碑

 田中町の街筋

天満宮

街道右に 真宗西島山光得寺

その先で信号交差点を渡りすぐ右の大木の下に 稲荷大明神

直にJR東海道線を潜る明治9年東海道線開通時に完成したもので「田中の丸また」と呼ばれ、基礎の石垣は明治初年に取り壊された高槻城の石垣が使われている

少し進んだところで小泉町の町筋を振り返る

右に 茨木街道支線の石碑 

右に日用品問屋の重厚な建物

その先T字路を右に折れる
T字路から小泉町を振り返る

T字路を右に折れた先の町筋

左に 夫婦地蔵

 祠から50mほどで左に曲がる

少し先で信号交差点を越えて進む
左に後で写真を見て分かったのだが 道標 

片桐町筋を真っ直ぐ南に進む

左に茨木小学校

200mほど進んだところ右に 小詞、扉を開けると、白い顔したお地蔵さんが並ぶ、ほほえましい

祠の少し手前の左への道を入っていくと 梅林寺

中川清秀・渕之介の墓
信長・秀吉に仕え天王山の戦で討死した秀吉がたの武将

 元の街道に戻り、そのすぐ先左に 小詞

祠の向かい右に 茨木神社 この前を幾つかに街道が重なっているので何度か来た

茨木神社の拝殿の北側、同じ境内地に 天右衛門別神社

東口の門は、茨木城搦手門を移築

茨木城は、1334~1336年に楠木正成が築いたと伝えられる。城主はしばしば変わったが特に著名な人物は、中川清秀と片桐且元である、城郭は、現在の茨木小学校付近に本丸があり跡は残っていない。わずかに茨木神社の東門が搦手門を移築したものとされる。その他地名やT字路が城下をあらわしていたことが残る。

東門の前を南に進むと、茨木街道 東に進むと茨木市駅へ 茨木街道支線の終点(起点)

広い道に出た交差点(終点・起点)

左から出てきたところ正面茨木市駅

交差点から西側を見る右の先に茨木神社正面
茨木街道 が真っ直ぐ進む 高槻街道 が交差点を起点に真っ直ぐ進む

(注)ただ資料によっては茨木街道支線の起点が少し違うので歩いてみる。茨木神社の東門を南に進まず、東門から東に真っ直ぐ進む、正面に阪急東通りのアーケードが見える

アーケードの商店街を通り、突当りにさわらぎや家具店の重厚な建物があるので左に折れるここで、神社前を東に進み北に折れた茨木街道と合流する道
合流した辻を左に50mほど進むと、何度か来た辻に出ると
北東角にある 道標 南面「右 京 八幡 三島江 唐崎 富田 高槻」 西面「左 妙見山亀山中山勝尾寺」

辻より正面の道を来たところ(南)

辻から茨木街道の町筋(東)

 辻から(北)の町筋

この辻を茨木街道支線の起点(終点)としている資料が多い。ここから左に茨木街道と茨木街道支線が重複して茨木神社まで歩くことになるので、どちらも正しいと思う。

茨木街道支線 完歩

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA