亀岡街道 1日目

2013年1月4日

大阪高麗橋~天神橋筋商店街~淀川の長柄橋~神崎川の高浜橋~吹田駅朝日ビール工場の北側を東北へ~宇野辺~中河原~佐保川に沿って北へ~豊野町の多留見峠~余野~余野川に沿って野間口~曽我部町/曽我部川東側沿いを北東へ~亀岡城跡の西で篠山街道/山陰道に合流

自宅4時40分にでての大阪北区高麗橋がスタート地点
正月気分で今日は本年度最初の街道歩き。
高麗橋6時15分スタートするも辺りはまだまだ暗いが少しでも歩こうとスタートする。30分程してようやく明るくなってきた。
長い天神橋商店街を抜けた先、新庄辺りから旧道が分からなく散々迷った挙句、新道にでて広い道路を少し進む、かなりの時間を浪費した。
亀岡街道一日では歩けないので、今日は交通の便の都合もあり、福井の辻までとする。午前中は快晴であったが午後になって曇り寒くなってきた。
         高麗橋  6時15分 スタート
         福井の辻 15時35分 に着く
           47.659歩  28.59km  2.160kl

当初予定通り、福井の辻から折り返し、福井街道 を歩く、距離が短いので歩けると思うが少し早足で進む
(福井街道参照)
     1日トータル
         52.740歩  31.64km  2.381kl

大坂高麗橋スタートするも、6時15分まだ真っ暗闇

高麗橋東詰袂に立つ 里程元標跡
明治時代に、高麗橋東詰に里程元標がおかれ、西日本主要道路の距離計算はここを起点として行われた

亀岡街道の起点、高麗橋東詰を東へ進み松屋町筋に出て交差点を左(北)へ折れる。  
旧淀川に架かる浪花三大橋の一つ、天神橋を渡る

土佐堀川/堂島川に架かる天神橋から天満辺りのビル

天神橋から東の中之島を見ても何もわからない、天神橋北詰に出て松屋町筋から天神橋筋に変わり北に進むが。
天神橋北詰交差点の次の信号交差点で、天神橋筋は左にカーブして右にカーブして北に進み、南森町交差点へ。
残念ながら写真では暗くて確認できないが、亀岡街道は真っ直ぐの道へ、天神橋を起点として1丁目から7丁目までの全長約2.6㎞の日本一長いアーケードのある商店街ににはいる。1丁目の入り口は門のような飾りがありすぐ先でアーケードとなる。
天神橋筋と分岐して東西4筋目辺りで右に折れるとすぐ、天満天神さんで親しまれている、大阪天満宮がある。

全く分からないが、すこし明るくなってきたようです。また正月で、結構人も出てきたようだ
天神橋商店街のアーケドを進んでいくと 大阪天満宮

天満宮を少し南に 真宗大谷派浄教寺

その南、滝川公園を背にした 浄土真宗浄蓮寺

そうこうしてるうちに明るくなってきたので、もう一度、天神さんの前に戻る

大阪天満宮
正月らしい風景、焚火をたいて炊き出しを始めた

ちらほらと初詣で参りの人が見えてきた1月4日だからピークは済んでいるが

明るくなったので商店街に戻り、スタート

国道1号線との交差点、天神橋筋より一筋東側の南森町、横断して真っ直ぐ商店街に入る

横断して、1号線の南側の商店街を振り返る

 商店街を進むが、中の筋はまだ暗い

神橋3丁目辺りで少し左に入ると、お寺が集まっているが、戦災で焼けたため昔の面影はない 日蓮宗妙福寺

北となりに 日蓮宗成正寺

ここは 大塩平八郎の墓所

大塩の乱に殉じた人々の碑

二寺の東側、天神橋筋に沿って 日蓮本宗蓮興寺

大塩家墓所の碑 が立つ

天神橋筋の東側には 浄土宗智源寺

門前の小さな 

再び商店街の街道に戻り北に進む長い天神橋商店街でまだまだ続きます

夫婦橋跡、上は阪神高速の高架

その先で大阪環状線の高架を潜る右に少し入っていくと環状線の天満駅
初めてきたが確かに長い商店街、その上店もびっしり詰まっている

 アーケードも綺麗だ商店街も間もなく終わる

天神橋筋6丁目交差点

天神橋筋6丁目交差点の商店街を振り返る

アーケードは無くなるが、天七北商店街が続くその先で右に、加納総合病院の西側を通り天神橋8丁目交差点に出る。交差点を横断、長い商店街も終わる

すぐ先左にビルのお寺 正蓮寺聖堂

その先の交差点、左角にホテルSTAYのすぐ先で、左からの並行して来た天神橋筋の車道が合流して、新淀川の長柄橋を渡る

新淀川の堤から振り返る

長柄小橋を渡る

南詰橋の袂の 戦没者慰霊観音
第二次大戦の時に、機銃掃射によって多数の方が亡くなった、橋に残痕が残っている

長柄小橋を渡り続いて新淀川に架かる長柄橋を渡る

長柄橋に平行して右(東)に阪急千里線

長柄橋を渡る手前右の堤防沿いに400m程、旧毛馬洗堰 を見に⦅寄り道⦆

見えているのは新しい堰門

沖野忠雄の胸像
1854年但馬国豊岡藩の藩士の家に生まれるフランス留学により、土木工学を学び、土木技術者として功績を残す、勲一等を叙されている

毛馬洗堰
かつての淀川は、その下流部で大川・中津川・神崎川の三川に分派し、たびたび洪水で被害が甚大であった。明治29年(1896)に淀川改良工事が着工され、その際に毛馬洗堰は大川(旧淀川)への分流施設として計画され、明治43年(1910)に完成した。その後長きにわたり大川への水量調整を行ってきた、昭和49年(1974)の新毛馬水門完成によりその役割を終えた。
10門の水通しがあった洗堰は、現在では大部分が撤去されましたが、3門はそのまま残され今も当時の姿を見ることが出来る。
旧毛馬水門のうちの3門

小さな船なら通れた

毛馬の残念石
ここに点在する石は、元和六年(1,620)以降江戸幕府が大坂城再築のとき、廃城になった伏見城の城石を再利用するため運んだもので、途中、運搬船の転覆により落ちた石が、明治以降の淀川改修工事のときに引き上げられ、ここにおかれたと推測されている。石には刻印等が残っている

淀川改修工事碑

毛馬北向地蔵
三体あり、一体は明治の終わり頃旧毛馬洗堰新設工事のとき大川から発見され、また一体は大正九年頃十三付近の整地で掘り出され、もう一体は昭和六年頃土佐堀の敷地にあったものをここに移設された。この地蔵さんは、聖徳太子が佛教を広めるため大阪市天王寺区に今も残る「六万体町」で六万体のお地蔵さんを作り、全国に安置されたうちの三体と言われている。歴史的に古いお地蔵さん

長柄橋を見ながら寄り道を終え、長柄橋南詰の街道に戻る

長柄橋の、西側はJR京都線の鉄橋、東側は阪急千里線の鉄橋

長柄橋の側道を進みます

橋を渡った北詰右角に 大阪府の石碑

北詰から長柄橋を振り返る

北詰で堤防に沿った14号線を右に進むとすぐ並行して走っていた、阪急千里線の陸橋を潜る

陸橋の潜る手前左に 赤い鳥居と現龍大神 

右の対岸からの 淀川大堰

堤防左下の14号線

暫く柴島地区の堤防上を歩く

新淀川と右斜め後方の川向の大阪市街地

長柄橋から堤防をかなり進んできた、右河川敷にゴルフ場

振り返る

柴島バス停で、堤防より14号線を渡り少し左(西)に(寄り道

末社 住吉神社(柴島神社) 創建年代不明

 摂社 仲哀天皇社
創建年代不明、柴島神社創建以前この地は、仲哀天皇の森と呼ばれ、仲哀天皇の御休息地と伝わる

14号線の工事中の側道を進む

やがて東淡路1丁目交差点で14号線は左へ街道は真っ直ぐ堤防に沿った道を進む

堤防を少し進んでいくと 城東貨物線も赤川鉄橋

鉄橋を右に見る

鉄橋を横断、鉄橋には歩道はついており、対岸に渡れるようだ

この先暫く歩いたところで、淀川堤防から左り東淀川区菅原へ下りていく。堤防を下りると、旧道は分岐している左の道を進む

亀岡街道の説明文とマップが立っている

菅原の町筋

少し進んだ交差点の左手前角に 道標「右大坂 左ずいかうじ(瑞光寺)吹田 江口」

少し進んだ交差点の左手前角に 道標「右大坂 左ずいかうじ(瑞光寺)吹田 江口」

交差点越えた左角の 道標 「右大坂みち 左すいた 江口わたし 左大さかみち」

菅原一丁目2

左に 光台寺と前に大峯山灯籠

その先で道は分岐する、正面の角は 一柳家の土塀と道標 「厄除安産正観音 瑞光寺道 同江口道」 「左吹田富田茨木道 すぐ大坂道」

街道はこの分岐を左に進む、何度かこの分岐辻に来た、右への道も街道です、街道名が思い出せない分岐辻を少し右に行って(寄り道)をする

まもなむ 菅原天満宮

門前石段の傍らにある 石碑 「菅公ゆかりの地 牛は・・・」

元の辻に戻り左に進む

道標 「吹田 富田 茨木 道」

辻の右の街道筋を見る

辻を左に折れて進んだ道筋、辻の正面の屋敷は大きい。その先で中央分離帯のある広い16号線に出る

16号線の先、どの道を進むか、ここで道を迷って時間とった

最終的には16号線の信号を横断して、行友医院の東側の筋を北西に進み

少し歩いた先で、左からの14号線の広い道に出て、北に進んだ。菅原4丁目の交差点を横断して進む

阪急京都線のガードを潜る。この14号線より東(右)に街道道があるのだろうが分からなかった。どちらにしても市街地だから折角早く出発したのに、ここで時間をとることは出来ない

右にイズミヤが見える、続いて新幹線の高架を潜る

暫く進んだところで、上新庄の広い交差点に出るので歩道橋で渡る。街道は、左(北西)の広い車道と右(北東)への広い車道の間の道を進むこととなる

間の道、真っ直ぐ北に延びている

以前、この上新庄交差点を起点とした、北から歩いてきたのが 吹田街道 
交差点の右角に 常徳地蔵

東御旅町筋を進んでいく、この辺りは全く旧道の面影は残っていない

やがて前方に、神崎川に架かる高浜橋が見えて来た高浜橋を渡る

高浜橋からみた上流、左の安威川と右は神崎川合流して大阪湾へ吹田の渡し は二つの川が合流する辺り

高浜橋に続いて高浜小橋を渡る。吹田市に入る

暫く進んだ右奥に 観音寺

少し進んだ右に新しい浜屋敷の 道標

南高浜町の 吹田歴史文化まちづくりセンター 大きな屋敷を改装して作られている

大雄院

すぐ先左に 浄土宗徳善寺

その先、道は分岐するが正面に 高浜神社

分岐点右角に 祠

 祠の北側の細い道を入っていくと突当りに 蓮光寺

分岐点に戻り正面の 高浜神社 へ

神社の前の街道に戻り、左に進むがすぐの交差点で、道が五叉路に分岐している右の広い車道の次の左側の細い道を入る。写真では正面の白い建物の左側の道

細い道を進む

先を進むと、14号線と交差する信号を横断真っ直ぐ

交差点野先左に、見るからに豪華な大きな古民家、何をされていたのだろう

かなりの敷地面積でほぼ正方形の屋敷

正面、とにかく凄い屋敷

その先の信号交差点を少し左に入った右に 光徳寺

門前に 四基の石碑

拝殿 御本尊聖観世音菩薩

拝殿横に大きな 宝篋印塔

街道に戻りその先すぐ右に  高野山真言宗常光円満寺

その少し先東海道本線の高架手前右に 天照皇大神宮

高架を潜る

高架を潜った少し先で道は分岐するので、右の道を進む

分岐する道の角に 泉殿宮の常夜灯 左の道がその参道のようだ

右へ進むのだが、左の道(寄り道)を真っ直ぐ入ると正面に 泉殿宮・右に浄光寺 左(西)には阪急千里線吹田駅

浄土真宗浄光寺

泉殿宮

境内にある地車庫

神社を出て、元の灯籠のある分岐点に戻る 

右手に長い塀の続く大きな屋敷、その暫く先で479号線の広い車道の交差点に出て右に

右に折れ西の庄町交差点を越えると、右にはアサヒビールの大きな吹田工場が

左に 帝釋天玉林寺

右のアサヒビールの工場

左に片山神社、別の街道歩きで二度ほどこの道を通っている

片山神社

片山町2丁目交差点、右この辺りでようやくアサヒビールの工場が切れる。交差点の正面か黄色のビルの右側へ入る道も、別の街道で歩いています

右に入る道の先、右側はアサヒビール工場 その先はJR吹田駅

真っ直ぐ進むと、片山商店街のアーケードを進む

左奥に 浄土真宗本願寺派開流山浄念寺 

 その北側には 瀧祠山照儀坊

街道に戻り先を進むと、天道町交番前交差点に出るので左に折れる

左に折れた道、左に千里第一小学校が左に

 右にカーブして進むと右に 

更にその先右に 如意地蔵尊の祠 片山町四丁目34

その先天道町で右からの14号線(大阪高槻京都線)に再び合流する

合流して信号で右側に渡り、14号線に平行して進む、右側の細い旧道に入る

天道町19

暫く歩くと、左の14号線に合流するが、そのまま右の細い旧道を進む

旧道を進むと右に 名次神社 かつてはこの先の、吉志部神社の御旅で神輿の渡御があった

右に市立ことぶき保育園をみて左の14号線に沿って進む

左前方にライフ、右にホームセンターのある手前で、旧道は左からの14号線と合流

更にすぐ先で、今度は左の旧道に入る

左に進んだところで、道が分岐しているので右の道を進む左に市立岸部保育園

その先、岸部中2丁目交差点で、14号線に接するが、14号線に入らず、すぐ左に旧道を進む

左の道筋

暫く進むと左に 小路の道標 一石五輪塔道標・・・・・読めない 

案内板立てているが字が消えて全く読めない、できれば新しく書き換えて欲しい

更に真っ直ぐ進む

左に吉志部神社の参道 鳥居と常夜灯

吉志部神社常夜灯前の道標
「お産の神吉志部神社 名所鴨池 みや山 つつじ」「亀岡へ九里 京都へ九里 高槻へ三里茨木へ五十丁 吹田へ二十五丁 大阪へ三里」「郊外別荘地 (大正十五年一月)」 

岸部北三丁目4の町筋

少し路地を入ったところの 

祠のある路地

左に上島医院を見て、岸部七尾集会所前の道

すぐ先左の 

左に 浄土真宗本願寺派松雲山西教寺

その先、豊中摂津線の135号線と交差して横断する

交差点を渡りすぐ先で小さな川を渡るとその袂左に 

川の先を少し進む

左前方に大きな市場池公園、市民の憩いの場となっている

その公園の角、左から 小野原街道 が合流してくる

左からの小野原街道の方向を見る

合流してくる左角に 道標 刻字が読めない

歩いてきた亀岡街道を振り返る

市場池公園を左に沿って進む

市場池跡の碑

市場池公園の東北で信号交差点に出る

公園の東北の角、交差点の手前左角にある 祠が二つと石造り物 が多数並ぶ

交差点の手前右にも 

この交差点で先ほど合流した 小野原街道が終点(起点)
交差点を起点にして右に 市場街道が分岐 の道

亀岡街道は交差点を真っ直ぐ
右に折れる街道と真っ直ぐの街道の景色が違う

少し進んだ右に 浄土真宗安楽寺

すぐ先で山田川に架かる市場橋を渡る 

川を渡った少し先、右の奥に 

須佐之男命神社 千里丘3丁目

神社の先、千里丘小学校を右に見ながら真っ直ぐ東北に進む

この先の街道両側は千里の住宅やマンションが建ち並ぶ

右に墓

がて右からの14号線と合流する、暫く14号線と重複して進む

千里丘上交差点の手前左にガスト、右すぐにJR京都線が走っている右手後方は東海道本線千里丘駅千里は大阪万博の時に開発されているので、旧道は殆ど消失していますので、街道を歩いている風情は全くなく面白くもない

毎日放送入り口交差点、右にジョーシン

暫く坦々と進む、右に茨木典礼会館があるすぐ先の交差点

左斜めに入る旧道に進む 宇野辺2丁目

街道より左に少し入ると 光福寺

左に宇野辺公民館を見てその先で小さな川の橋を渡る

橋の袂に 祠が二つ

高麗橋から吹田を経てきた亀岡街道はここ茨木市宇野辺で、 高槻街道の起点

亀岡街道はこの辻を左へ、高槻街道は右へ 

右の高槻街道起点の道筋

亀岡街道の道筋

道が分岐する正面、新しい住宅の角に立つ
亀岡街道の道標

辻から少し歩いた小屋がある所で分岐しているので右に進む
その正面角に 道標 「右 たんば 妙見 左 山田」

左への道は ・・・街道

その先の交差点を真っ直ぐ進む

交差点のすぐ左には池が広がる、池の東側に沿って進む

その先、左右に吉野工業所の大阪工場に挟まれた道を進む

その前方に大阪モノレール・中央環状線の高架が見える。すぐ左に宇野辺駅が見える

モノレールの高架を潜り、その下を流れている川橋を渡り

高架で越えられないので、右(東)側の下穂積1丁目信号交差点で左に高架を潜り、反対側に出る

反対側に出て、すぐの橋を渡り北に進む

北側の旧道から振り返る

左に穂積小学校、右にイオンセンターを見ながら進む

下穂積の町筋を北に真っ直ぐ進んでいく

129号線の広い道路と交差横断する、右角ぬデイリー

その先左に、亀岡街道の道標

少し先から左に側溝が少し沿う

側溝が終わると信号交差点に出る

信号を越えると、右にグルメシティ、左に茨木病院が見える

上穂積の町筋、全く旧道の面影は留めていなく、旧家も見当たらない
左、上穂積3、上穂積公民館・上穂積公園・コーポ上穂積がかたまっている

上穂積のT字路の辻で右から、道祖本街道 が合流して郡まで重複します

上穂積4丁目で道が分岐しているので、左側の道を進む

更にそのすぐ先、右に岡田建具店の所で、道が分岐、左の道を進む。
右の道を進んでも名神高速の向こう側で合流するが

名神高速道路の高架を潜る

高架を潜ると、郡3丁目の住宅地、十字路を右に折れて少し右に高速の側道を歩く

信号の所で、右から先ほど分岐した道が、高速を潜り合流する。その交差点で高速沿いより分かれ、左側の道を進む

余り車の通らない郡の町筋となる

左に 献灯道標「右 妙けん たんば 左 大坂」

道標のすぐ先の十字路左に、郡神社の看板と 灯籠 左に 道祖本街道が分岐

郡神社の参道と鳥居 が奥に見える以前別の街道歩きで見学しているので寄らない

亀岡街道を振り返る  

 郡四丁目14で左から 茨木街道 が合流してくる

茨木街道の道筋

そしてすぐ先の交差点で再び 茨木街道 は右に分かれていく

茨木街道が分かれていく道

街道は北に進んでいく

郡五丁目2に入る、交差点を少しS字に曲がり進む

その先で171号線が右から合流して左にカーブしていく中河原の交差点を横断する

横断した道は余野茨木線の110号線の歩道を進む。少し先右に、アルプラザを見て真っ直ぐ車道を進む

やがて、中河原の交差点 西国街道 との交差する交差点でもある

 交差点左(西)西国街道の道

交差点の右(東)西国街道の道

交差点の西北角に 中河原の大きな道標

「東 大津十一里 京都七里 八幡五里 山崎三里二十町 芥川一里二十町」
「南 堺九里 住吉七里 大坂五里 吹田三里茨木驛三十町」
「西 姫路二十三里 神戸十一里 池田三里 岡三里 箕面山二里」
「北 明治三十年十月建之」

珍しいほど刻字されている

この地は、茨木市内を東西に走る西国街道と、南北に走る亀岡街道が交差するところで、町名を「中河原町」といい、茨木城の城主として名を連ねている「中川清秀」が生まれたところと言われている。
生まれた場所は分からないが、清秀の菩提寺である梅林寺の蔵書に、摂州島下郡中河原とあるところから、この辺りであると思われている。
ここから西国街道を西へ約1㎞行くと、江戸時代の参勤交代などの時に、西国大名が宿泊する宿として有名な「郡山宿本陣(椿の本陣)」があり、東へ約1.5㎞行くと、「太田茶臼山古墳(26代継体天皇陵)などがある。
また亀岡街道を北に約0.8㎞行くと、中川清秀の氏神である福井の「新屋坐天照御魂神社」や古墳時代後期(六世紀後半)の「新屋古墳群」、また天正二十年(784)行基の開基といわれる「麒麟山真龍寺」などがあります。更に北へ進むと、風光明媚な山地部を通り、京都府の亀岡市へと続く。(説明文より)

交差点より北に進むと、すぐ先で勝尾寺川に架かる中河原橋を渡る  

橋を渡って一つ目のすぐの信号交差点で、右に入る旧道に進む

旧道に入るところから、中河原橋を振り返る

旧道を進んでいくと、東福井1丁目で広い道と交差するので横断

東福井の集落を進むと、やがて佐保川に架かる新屋橋を渡る

橋から東福井の集落の街道を振り返る

佐保川を渡る新屋橋の手前右にある 道標「右 妙見 たんば 左 郡山大坂」文政十年(1827)

 新屋橋の南袂に 新屋橋の石柱

橋から左斜め前に 遍照寺

橋を渡ると左に遍照寺があり、その正面の右に折れる道が 福井街道の点 で亀岡街道から分岐する

街道沿い左遍照寺の正面

亀岡街道はお寺の前を過ぎ、落ち着いた東福井の旧道の町並みを進む

1日目はここで終了、時間があるので予定通り引き続き、短い距離の 
福井街道を歩く

 

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