2011年9月15日
JR和歌山線北宇智駅~JR吉野口駅まで
今日は私の67歳の誕生日、今年に入って30街道完歩、月30街道の目標をクリアしている。いつものように自宅5時30分にでてJR高野口駅5時48分発で北宇智駅へ。
6時35分 北宇智駅前をスタート 吉野口駅へ、12時吉野口駅に着く
28.776歩 17.26km 732kl
引き続き、上ッ道が残っているのでここからスタートする。
1日のトータル 38.588歩 23.14km 984kl
巨勢の古道
万葉集にも数多くの歌が詠まれ、古くから知られている巨勢の道。大和の西南部を本拠地として活躍していた蘇我氏一族の大豪族・巨勢氏がこの地の由来で、かつて飛鳥と紀州を結ぶ要衝として栄えた。
JR北宇智駅
JR北宇智駅の北側の道を西に進む
京奈和自動車道の高架下を潜り西に真っ直ぐ進む
北宇智の集落を進む
集落の中程で右の細い道を斜めに進みます
直ぐ右に小さい川が右に並んだところで、川に架かる橋を右に折れて渡る
居傳町の集落に入ります
そこで少し左に入り(寄り道)をして西林寺へ行く途中に左手にある 地蔵祠
少し山手に上がると 西林寺がある
古道に戻り居傳町集会所前を通り集落を抜ける
集落を抜けた先で前方に自動車道が見える。真っ直ぐな旧道らしき道と右に折れる道に分かれる。真っ直ぐの道は旧道であったと想像するが行き止まりと表示しているが歩いてならいけるだろうと進む。
300mほど進んでいくが行き止まりの金網でフェンスがされていた、仕方なく元の分かれ道に戻る。おおそらく旧道はこのまま真っ直ぐ有ったのだろうが自動車道で消失したと思われる。
元に戻り三叉路を右に折れて高架をくぐり左に進み更に高架下を潜ると
左手に居傳瓜山瓦窯の案内板が立っている。左り山手方向を見たが何処か分からなかった。
真っ直ぐ進んでいくと突き当たるので左に進む
直ぐに坂を上ると、右からの国道24号線に合流する
車の多い国道を2つ目信号まで200mほどで横断歩道のない東佐味信号を渡り北西に坂を上っていきます。
正面に葛城・金剛山系が見える
200mほど進んだところで左斜めの田園の中の細い旧道を入る。左に白いポールが立っているところ。
正面に葛城山系と集落色づいてきた穂の中を進む古道。まさしくいにしえのの古道風景だ
やがて道は突き当たるので右に折れる
直ぐ先で先ほど右に分かれた道に突き当たるので左に折れる。直ぐに右に折れる信号の交差点があるのでその交差点を右に折れます。
右に折れて200mほど進んだ左手に大きな自然石の石碑がある。今井増一翁顕彰愛郷の碑1996年建立佐味郷二百余戸有志と刻まれている
その先正面の森に見える赤い鳥居は葛城の古道で寄った、高鴨神社
其の200m程手前左に 風の森の道標が立っている。
夕雲の所絶えをいづる月を見む
風の森こそ近づきにけり
道標のところを振り返る。道標を左に見て、その前の道を右に下っていきます
下っていき少し右に折れて直ぐまた左に曲がりながら進みます
閑静な山里の道を進みます
古道は突き当たるので右に折れ左に坂を下る。突き当たったところに風の森神社が少し左の高台にある
神社~北に見える、金剛山・葛城山が美しい
坂を下っていくと、風の森峠へ進む
風の森峠 と国道24号線の交差点交差点を横断して向こう側の道に出ます
交差点を横断して10m程先で左の道に折れると24号線の東側の道となり、30m程で24号線に接近し合流しないで右に下っていく。
右斜めに下っていく山際の古道。以前下街道の時は反対に上ってきた同じ道です
下る道沿いに山里で時々見かける人形が戯れている。何か心が和む風景であった
どんどんと下っていくと、右手に 船宿寺参道の道標、下街道の時見学しているので今日は寄りません。
船宿寺からの風景
金剛山
これからの古道には左右に暫く札所の祠が所々に有ります。右手に新四国八十六番
続いて右手に 萬霊供養仏
船路地区の集落を進みます
葛城川を渡る手前左手に 常夜燈
常夜燈前から船路集落
右手に新四国八十五番
葛城川の田口橋を渡る
田口橋を渡った橋の袂右手にある 焼け地蔵
道を挟んだ向かい側には、石造り地蔵
少し進んだ右手竹藪の中にある石造り 新四国何番か
山里の古道が続く
右手に石造り 新四国何番か
更に右手に石造り 新四国何番か それぞれの祠は皆顔が違います
その先で右手に上る石段があり、入り口に新八十八所霊場と刻まれている。船岡山の新四国八十八所霊場
その直ぐ先古道から左手の高台には 妙相寺が見える下街道で見ているので遠望だけとする
その先右に道はカーブしたところで、下街道と重なっていた古道を左に分けて右の坂を上る畦道を標示に従って進む
畦道を東に歩いていくと道案内の表示があります
畦道を少し左に折れると 御歳神社の鳥居があります
鳥居から100mほど参道を進むと正面に神社の森が見えます
葛木坐御歳神社 は代々鴨一族が祭りごとを行ってきた神社の一つで、地元では高鴨神社に対して中鴨さんと呼ばれている。
神社から北への古道を進みます
山積みされたタイヤのある突き当たりを右折れする。神社へはそこを左折れ。
直ぐ先の十字路を右に折れる。右角に東元酒店。
四辻の左高台にある 教学寺
教学寺を左高台に新しい住宅地を左に見ながら旧道を進む。その先で旧道は左にカーブしながら坂を上る
坂を上っていくと左からの道と合流する、住宅が終わり山道に入っていく合流するところを振り返る。上ってきた坂道は向かって左の道
左から合流してくる道をみる。正面右に葛城山、左に金剛山が美しい。山間は以前歩いた富田林街道の水越峠だ
その先少し坂を上っていくと栗坂峠ここからの金剛山、葛城山の山並みの景色は美しい
栗坂峠を下っていくとT字路に突き当たるので右に折れて下っていく
坂を下りながら栗坂集落に入ると左手にお地蔵さんが祀られている
朝町集落にはいりどんどん下る
朝町集落の中程右手に 常夜燈
巨勢の道の案内板
朝町公民館朝町バス停辺りの集落
やがて小さな小川を渡ると左手に 浄土真宗 正覚寺がある
その少し先左手に 祠が
その先下って行った先に古道から寄り道する細い道があ、入るところに案内板が立っているところを右に折れ先ほどの新道を横断して山裾に行く
右に入ると前方に 八絋寺があり、正面の山の頂上を越えた山に 大穴持神社がある
橋を渡って左に細い畦道を行けば八絋寺で正面を山に上っていけば神社へいける
畦道を左に行った直ぐのところ右手にある 祠
八絋寺 の入り口
山深いところのお寺だがなかなか立派
八絋寺の正面参道
大穴持神社 迷ったがつづら折れの急な山道を喘ぎながらかなり登った。300mほど山道を上る。
全くの人けのない山の中の神社、静けさそのもので何か少し薄気味悪い大きめの 祠が祀られている
つづら折れの山道
古道に戻り右後方に八絋寺を後にして再び山間の静かな道をのんびりと進む。
直ぐ左手に 祠があるその先で朝町川の谷山橋を渡り少し歩いていくと、右手に大きな木が見えてくる
大木の根元に 祠が祀られている 石碑もあるがチョット読めない
根張りも凄い老木だ。少し古道より右に入っていくと
水泥古墳 7世紀に築造された巨勢一族の墓とされている横穴式円憤。
100m北の民家の奥に、水泥塚古墳があるというが確認できない
古道に戻り南東に下りてきて突き当たりを右に入っていけば水泥古墳があるが、突き当たりを左に折れて小川を渡った直ぐ左に 川合八幡神社
神社の先のところで右のJR和歌山線を右に沿って古瀬の地区を暫く進む
その先で線路を渡り新道の高架を潜る
線路を渡る左り交差点の手前に 祠がある
線路と高架の下を潜る古道
その先直ぐ左に折れる左に線路に沿って吉野口駅方向に進んでいく
左にJR・近鉄吉野口駅
吉野口駅を抜け少し進んだ左手にある、大倉姫神社への道
社の直ぐ先の十字路を左に入りJR・近鉄の線路を渡り先ほどの新道を横断する
向かいの高台に 阿吽寺巨勢寺の一坊で古刹で椿の名所でも知られる
吉野口駅前から延びてきている道に戻り少し右左と鍵の手に曲がり進む
鍵の手の角に立つ道案内
道案内を見て進むと右に折れる左の石垣のところにある お地蔵さん
お地蔵さんの先が再び突き当たるので左に折れる。その右手角に立つ道案内
左手に曲がった先の古瀬の古い街並み
直ぐ左手にある、正福寺
正福寺の門前の古瀬の街並み
暫く進んだ先で近鉄吉野線の高架を潜る
高架を潜ったところで左に折れて少し右に曲がる道の手前で左の畦道を入る
その先に 巨勢寺塔跡大和朝廷時代の大豪族で氏寺。巨勢寺は鎌倉時代まで法隆寺形式の大伽藍が存在していたが今はその面影はない。
塔跡に立つ 祠
塔跡に立つ 祠
巨勢寺跡から元に戻り川を渡る。橋からの古い民家
橋を渡り少し川沿いに吉野口駅方向に進み左の坂を上る道を左に折れて上った左手に 重心院
お地蔵さん
お寺の横の急な坂を上っていくと変わった門が建っている。天ノ安川神社
神社の境内にある 権現堂古墳
天ノ安川神社と権現堂古墳・重心院の全景
坂を下って古道を進む、突き当たると左へ
左に折れて少し進んだ右手に柿の葉寿司の老舗の柳屋がある。その角を右に折れると吉野口駅
右に折れて川の橋から見た旧家
この先直ぐに吉野口駅
古背の古道完歩
コメント