薩摩街道 【第 2回目 ⑪】

2024年2月29日

もう一日熊本城下を回ります。まずJR熊本駅から上熊本駅へ、そこから歩きました
     9時ホテル出発  ホテル17時50分着
       31.336歩  18.8㎞

スタートは絶対行きたかった

【加藤清正ゆかりの本妙寺と清正が眠る浄池廟】
上熊本駅から西に井芹川を渡り、一直線にのびる参道を西に進んでいくと
正面に大正時代建立の 仁王門 が聳える

仁王門正面に見て左に 牧崎神社

仁王門下から振り返ると、上熊本駅方向に向かって参道が一直線に伸びてきています

東方向には 熊本城 が見えますこの廟所からずーと清正は熊本城を眺めてきたことだろう

仁王門を潜ると、参道両側に12の支院が並んでいます。かつてこの辺りは桜馬場と呼ばれたところで、今も桜並木が続いています中央に自然石を敷いた石畳道。清正が開設した豊後街道と同じ造だそうです。
石灯籠が約500基並ぶ胸突雁木(むなつきがんき)石段となる。石段が終わると再び石畳となり、浄池廟中門が目の前に聳える。

わかる範囲で支院を撮りましたすぐ左に 日蓮宗発生山常住院

左に 日蓮宗本是山静明院

右手 智運院 の隣に 日蓮宗龍渕院

右手に 吉祥山仙乗院

左に 発星山妙心院

続いて左に 発星山延壽院

右手の 東光院

続いて右手に 本行寺 隣りにこども園

左手に 水子地蔵尊安置 本地院

両側に支院の建つ長い参道から10段ほどの石段を上る、まだ参道が続く

左手に 雲晴院 右手本妙寺の奥に 堯心院 があります。 以上12支院

本妙寺大本堂前あたりの参道は、中央に自然石を置いた石畳道。大分県の鶴崎からの豊後街道と同じ造り。清正のお国入りの道がこの山裾まで続いているように思える

 日蓮宗六条門流肥後発星山本妙寺 

本妙寺の本院大玄関

星寿林 全て綺麗に整備されています

大本堂

 法皇閣

更に石段を上る、石段の中央には灯籠 が立ち並んでいる。石段の真ん中の石畳に石灯籠約500基が並ぶ 胸突雁木(石段) となる

途中左に、六喜廟の門があります。その門の傍に名選手 巨人軍吉原選手(捕手)之墓の標柱 が建っています。昭和13年熊本県立工業学校卒業と同時に、野球界の王者巨人軍に川上哲治氏と共に入団活躍した。途中戦争に召集され昭和19年10月10日ビルマ戦線にて戦死。墓は左奥の方にあるようですが見つけられなかった。

六喜廟 加藤忠広公一族の墓所 長い石段の途中左に

肥後藩主加藤清正公の嫡子2代目藩主忠広公は、寛永9(1632)年徳川幕府に領地没収され、出羽国(山形県)庄内に配流された。さらに、14歳になる長男光正を飛騨国(岐阜県)の高山へ、次男の3歳で正良を生母と共に上州(群馬県)の沼田へ、元豊臣方の重臣加藤家を断絶させた。忠広公は配所で22年間過ごし不遇の生涯を閉じた。忠広公没後およそ300年を経て、本妙寺の住職塩出日等上人や県民有志で昭和11年8月23日、忠広、光正、正良、忠広の生母正応院、正良の生母法乗院など五霊位を清正公のお傍に迎えました。これが六喜廟です。
六喜廟

六喜廟碑

長い石段を上ると、 浄池廟中門

本妙寺拝殿

浄池廟 加藤清正公御廟
廟内には清正の木像が安置され、その下に清正公が葬られている大きな 常夜灯

振り返って参道を見る。古くから浄池廟と熊本城天守閣の高さと同じと言い伝えがあった、実測したところ伝承が正しかったそうです
清正は死んだのちも熊本城を見守っていたのだろう

浄池廟に向かって左の道に入ると

更に長い石段が続いています

石段を上りつめた広場の正面に
加藤清正公銅像
中尾山(本妙寺山)の八合目、清正を祀る浄池廟の背後の上手に屹立する。昭和10年(1935)は清正没後325年に当ったので、本妙寺ではその記念事業として清正の銅像を制作、安置することとし、その制作を長崎出身の彫刻家北村西望に依嘱した。
同年四月、高さ約8.2mに及ぶ銅像は上熊野駅に到着し、現地まで僧達の読経に合わせて信者達が紅白の綱を曳いて登り、台座に据付けられた。浄池廟裏手から銅像までの石段も25段区切りで300段につくられた。19年4月戦争末期の金属供出で撤去されたが、35年4月に再建され今日に至っている。

背後よりの像

銅像前の広場よりの景色熊本市街地 熊本城 あいにく天候が悪く残念

銅像より浄池廟に戻る。廟の傍に建つ 栗毛堂
清正公の栗毛の愛馬「往来で江戸のならずものにぶつかったとそても帝釈栗毛は避けて歩け」というほど荒々しい馬であったとつたえられています

立派なお堂、清正公の人柄が偲ばれる

清正の殉死者 金宦之墓 捕虜であったが日本に来て清正のもとで使えた、余程清正を慕っていたのだろう

清正の重臣で殉死者 大木土佐守兼能の殉死墓

見学も終わり元の参道を戻ります。雨も強くなくよかった。石畳が多いので滑りやすいので注意。でも晴れていたら景色もいいだろうに残念。

石段の両側が石段で中央には 石灯籠 が並ぶ見事です

真直ぐ伸びている見事な参道

小雨であったが行きたかった、加藤清正の浄池廟にも参れたので大満足。

浄池廟を後にして、長い参道を真直ぐ下り、鹿児島本線の手前を右に折れて熊本駅方向に進む進みます

JR線を背にして 段山八幡宮 がありました

更に進んだ横手一丁目に 瑞光寺片岡米陵先生墓の標柱 が建つがよくわかりません

 瑞光寺の西側道を挟んで、日蓮宗安位山長国寺

瑞光寺の南に 日蓮宗正立寺

横手1丁目地区の寺町で沢山のお寺がありますが回り切れません
更に南に少し進むと 曹洞宗玉龍山禅定寺

境内の1137基の墓の内、489基の江戸時代に建立された、加藤家や細川家の家臣の墓が建立のまま現在も残る貴重なもの

禅定寺の南東の側に 日蓮宗妙立寺

妙立寺の西側、小さな小川を挟んで建つ 日蓮宗寿福山妙永寺

慶長7年(1602)熊本藩主加藤清正が慶長5年に亡くなった 母・伊都(聖林院殿天室日光大尊尼)の三回忌に廟所として建立

本殿は熊本大震災で倒壊、現在建設中

母・伊都(聖林院殿天室日光大尊尼)の廟所
朝鮮出兵のとき自ら彫刻した母の坐像をお守りとして陣中において拝んでいたと伝えられている

妙永寺の南側に、実成寺・覚園寺が並ぶ。その西側にある、本覚寺

六角堂観世音 日蓮宗東光山本覚寺
加藤清正公奥方本覚院殿(菊池武宗の娘)、忠正公・古屋姫の御母の菩提寺として創建

本覚院殿(菊池武宗の娘)廟所

妙永寺の南西に 曹洞宗安国禅寺


隣には禅定寺や妙永寺など肥後藩の重臣等の墓所が残りますが、ここ安国寺も武家の墓所がおおく残る。
内、蒲生秀行の供養塔、蒲生氏郷の嫡男で会津藩主であった、熊本と結びつかないが、忠広の正室は蒲生秀行の3女(崇法院)、父を弔うために建てた。
朽木家の墓、細川幽斎の兄三渕藤英の次男である弥次郎が朽木種綱の養子となり朽木家の始まりで、重役も勤めた家柄。
長束家の墓、長束正家の息子の一人の妻が幽斎の孫娘という関係で細川家に仕えた
荒木村重の供養塔、細川家に仕えた村重の子孫が建てたもの。村重は謀反により信長に滅ぼされるが、一子善兵衛を細川忠興に託したと伝わる。
沼田家墓所、細川幽斎の正室霨香の実家で細川家の重臣一門。
津田三十郎家墓所、織田信包の嫡男信重の三男長相の子孫の墓所。

寺町地区から南、花岡山(標高132m)の東山麓に
 【熊本藩主細川家墓所】
北岡自然公園の正門ここが熊本藩主細川家墓所の妙解寺跡
細川忠利が1641(寛永18)年に死去すると、嗣子の光尚は、翌年、花岡山東麓に父の菩提を弔うため妙解寺を創建した

正門を潜り料金所から正面を入っていく広大な墓所敷地(実際は旧妙解寺で熊本市所有)

墓所へは左、塀に沿って進む、足元が湿っていて滑るので注意。よく手入れされていて綺麗手入れが大変です

先を進んだところで右に折れます

経蔵の跡
右に折れる左一帯経蔵はこの塀のすぐ先で広い池の石垣も中央蔵跡の石垣・石橋等、そのまま残ってありし昔を語っているよう

 妙解寺経蔵跡

右に折れて奥に進むと石段があります

細川家霊廟と門
この霊廟には細川三代藩主忠利と夫人および四代光尚の廟

門手前右、塀に沿った 灯篭

今廟に来た道を振り返る

3つの廟の真中が 細川忠利の廟 1641(寛永18)年没55歳

向かって右が 忠利の正室(保寿院)の廟
細川家三代(肥後細川家初代)の妻で、保寿院殿三英紹春大姉は、慶長2年(1597)小笠原秀政の娘に生まれ、徳川秀忠の養女として忠利の正妻となる。慶安2年(1649)江戸白金邸でなくなる。熊本のこの墓は分骨廟

左が忠利の嫡子 第4代光尚の廟
元和元年(1619)忠利の長子と生まれ、慶安2年(1649)31歳の若さで亡くなる

廟は向拝とよばれる礼拝所の奥に方形造の霊廟建築です。霊廟を取り囲むようにして忠利・光尚の殉死者の墓30基
が並ぶ。その中に、森鴎外の小説「阿部一族」で知られる阿部弥一右衛門の墓 も残る。
広い墓域には宝暦の藩政改革の名君、細川重賢を始め歴代の細川藩主、その子女らの墓が立ち並び、静寂そのものである。
また園内には、枯山水式庭園や経蔵跡、石橋が残り往時をしのばせている。

忠利公廟の後方に 忠利公ゆかりの鶴の碑

細川忠利の殉死者の墓 が並ぶ

その中に「阿部一族」で有名な 阿部弥市右衛門の墓

阿部弥市右衛門は忠利の直臣で、忠利が亡くなる前に殉死を願ったが許されなかった。しかし、周囲の冷たい目に耐え切れず後を追って切腹した。藩では殉死と認たものの、阿部家の知行地を分割して相続させたため、嫡子権兵衛が忠利の法事のときに髪を切って供えるという事件に発展し、結果阿部一族は追討されてしまった。この事件を小説にしたのが、森鴎外の「阿部一族」であった。

慶安2年(1649)31歳の若さで亡くなり、遺骸が江戸芝高輪泉岳寺で火葬されたとき、その近臣、村上彦兵衛ほか十人が殉死した。殉死者は、主君の傍に葬られ、このことが家臣にとって無上の光栄とされていた。

第4代細川光尚交公の廟と殉死者の墓

門外に出て、第五代以降の廟は石段を下ったところに並ぶ

第五代綱利の墓
寛永20年(1643)生まれ、4代光尚の長子。慶安2年光尚の死により8歳で相続。その後、正徳2年(1712)に隠居するまで60余年の長きにわたり藩主の地位にあった。その間、江戸城修築・水前寺成趣園整備・赤穂義士の預かり等の出来事があった。奥の生活も派手で財政は悪化した。正徳4年江戸白金邸で没、72歳。
綱利愛用の力石
幕府の殉死廃止令が出ているので、殉死者はいない寛文3年(1663)

第六代宣紀の墓 享保17年(1732)57歳没

第七代 宗孝の墓
享保3年(1718)宣紀の四男、享保12年藩主となる。延享4年(1747)に江戸城内で旗本の板倉勝該に家紋の見間違いによる人違いのため襲われ、非業の死を遂げた。享年32歳

第八代 重賢の墓
享保5年(1720)うまれ。宣紀の五男、兄宗孝が非業の死を遂げたため急遽藩主となる。藩の財政が極度に窮迫破綻寸前であった。重賢は藩政改革を実行し、30数年後ようやく改革を成し遂げた。天明5年(1785)66歳で没。
紀州藩9代徳川治貞と「紀州の麒麟・肥後の鳳凰」と並び賞された。熊本藩54万石は幕末には実質100万石の収入があると伝えられた。この改革のお陰であった。

細川家墓所を後にして南へ左のJR線を潜ると
右手に 清原神社 が見える。986(寛和2)年、肥後守として赴任した清原元輔を祀る。歌人で知られる清原元輔の娘が清少納言である

南側には 北岡神社
花岡山の麓に位置する、承平4(934)年創建。樹齢1000年の大楠が参道に聳え、その楠の間を潜り参拝すると、夫婦円満の御利益があると古来より伝わる。

再びJR線を潜り西に進むと 春日神社

暫く東に歩き井芹川に架かる祗園橋横のポケットパークに おてもやんと永田いねの像

白川に沿って進むと 殿下石 がありました

その横に 放牛地蔵堂と石造り祠
歩いたお陰で思いかけない史跡に出会えた、熊本に沢山放牛地蔵が沢山あるが、何故と思っていたのが、ここが原点だったのか

前回に阿部一族の屋敷跡を捜したが見つけるこが出来なかったので再度来ました

RKK熊本放送の社屋南側に 阿部一族屋敷跡の案内板 がありました。この地阿部一族が自邸に立てこもり全滅する物語が、史実をもとに1913(大正13)年森鴎外の小説「阿部一族」で発表されました。やっと見つけることができ感激です
代継橋と長六橋の間辺りの北側に入ると何とか見つけることができた

横に

まだ時間が少しあるので小雨降る中、熊本城の北東までタクシーで行きました。 この地区も熊本城下の北で寺町だろう沢山のお寺があります

熊本市坪井町にある 臨済宗妙心寺派雲祥山見性禅寺 熊本藩の家老をつとめた米田家の菩提寺

北西約150mに市立必由館(ひつゆうかん)高校が建つ。米田家下屋敷跡で、上屋敷は熊本城二の丸にあった。高校敷地内には、庭園採釣園(さいちょうえん)が整備されている。また明治時代初期の数寄屋造り風の米田家別邸が残るという。構内に入るのを遠慮した

校門前に米田家の家塾であった、必由堂跡碑

井上毅誕生地碑
米田家に仕える藩士の子で、明治政府に出仕、大日本帝国憲法・教育勅語の起草者

国道3号線沿いを北に 日蓮宗明亀山本光寺

本光寺の笠塔婆の塔身

国道3号線沿いの近くにある 浄土真宗本願寺派養徳寺

養徳寺の北側には、 曹洞宗即庵山宗心寺
本堂に閻魔堂が残り、地元の人には「立町のえんま様」と呼ばれ親しまれてきた。またお堂の中には放牛地蔵が祀られている

西に歩いていくと 立田口大神宮

浄土真宗本願寺派長流山浄行寺

浄行寺の隣に 曹洞宗徳輝山報恩禅寺

近くに 浄土宗聖霊山安養院

浄土真宗本願寺派青龍山明専寺

坪井町の寺町には多くの寺があるがその一部国道沿いのお寺を撮る。最後に、藤崎八幡宮に行きます。
国道3号線沿いの参道入り口の 大鳥居

約300mの松並木の参道を進み境内に入る

藤崎八幡宮

楼門

熊本市域の総鎮守で信仰を集める。応神天皇を主祭神とする

本日の熊本城下の史跡巡りは終わる。
まだ肝心な、熊本城内の本丸等々の史跡残しているが、豊後街道を歩くとき二の丸の薬師坂コースと一緒に一日かけたいと思っている。
           31.336歩   18.98㎞  

バスで昨夜と同じホテルに泊まります。
明日よりいよいよ街道歩きとなります

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