2019年9月28日
津の塔世橋~JR徳和駅前
自宅4時前に出て車を橿原神宮駅近くに預け、近鉄で津駅まで駅から移動して前回歩いた塔世橋まで行って、スタートします。
津の塔世橋 8時 スタート
徳和駅前 17時15分 着
49.474歩 29.6㎞
徳和駅からJRで松阪駅へ戻り駅近くのエースイン松阪にて宿泊
津駅の東口、前回の起点安濃川に架かる塔世橋まで移動します

塔世橋を渡り国道23号線を南へ、
塔世橋 8時スタート

万町信号交差点をすぐの歩道橋の袂で左に折れます

数十mの左T字路を右に折れます

右に折れた南への旧道

すぐ先右に 真言宗醍醐派恵日山観音寺大宝院
「津の観音」さんと親しまれている。浅草・大須と日本三観音の一つ、真言宗の名刹で和同二年(709)開創。昭和20年の空襲で多数の国宝や塔頭7ヶ寺を含む41棟の大伽藍が一夜にして全焼したのち現在地に再建。現在も多数の文化財が残ります。
如意輪観音堂

撫で石

仁王門

左に大宝院を過ぎた十字路を左に折れます(車の手前)

左に折れた筋で80m程進みます

80m程先の十字路左角に 道標「右 さんぐう道 左 こうのあみだ」明治25年道標のある十字路を右(南)に折れます

十字路を左見ると、大宝院の仁王門のある正面

この通りはかつて大変賑わい、商店や旅籠、問屋・本陣・脇本陣があったといいますが、その遺跡は今では偲ぶすべもありません、でも美しい街並みです(大門商店街)

少し先で広い信号交差点に出ますので、ここで街道を中断して左へ【寄り道】旧伊勢街道より東に少し入ると寺町があります

天台真盛宗龍宝山西来寺

西来寺の北側には 塔頭か慈眼院・常照院・観樹院 が並んでいます



広い道路沿いには 真宗高田派本徳寺


時宗真光寺

広い道路南側には並んでいます 浄土宗南尚院

浄土宗屋松院

浄土宗春養院

浄土宗宝樹院

真宗大谷派光徳寺

浄土宗天然寺 他にも、真宗高田派大楽寺・寒松院・清津院寺・上宮寺・妙雲寺 等々があります。時間がないのでこの辺で終わります

少し寄り道しましたが、元の伊勢街道に戻ります。伊勢街道の交差点南東角に建つ旧町名 宿屋町石標 しゅくやと読むが、中世の呼び名が残っている。旅籠が多くあった地域

旧伊勢街道を振り返る

南への宿場の中心伊勢街道を進みます

旧町名 地頭領町石標 中世鎌倉幕府時からの呼び名で、旅籠が建ち並んだ

右のビルの手前の道を右に折れます、鍵の辻

右に折れるところから伊勢街道を振り返る

右に折れた筋、(現)東丸之内地区

80m程先の十字路を左に折れた筋。真直ぐ進んでいくと 津城跡 があります。何度か行っているので今日は寄りません

左に折れて150m程南に進むと、右に津松菱があるところのT字路を右に折れます。かつて旧道は真っ直ぐ進んで岩田川を渡河していたのではないか

右に折れて100m程進み、岩田橋北信号交差点に出ます。その手前辺りから左斜めに土橋で岩田川を渡っていたようです。後に板橋になった

T字路から右斜めに岩田川を渡っていましたが、少し左に折れたところに、岩田川に架かる朱の観音橋が架かっていますので渡り対岸に出ます

観音橋

観音橋から左の眺め(海側)

観音橋から右の眺め(市街地)

観音橋を渡り、南詰右に折れて岩田橋南詰に出たところです

南詰信号交差点の23号線を南に進む右手に百五銀行があります。東側(左)の歩道が旧街道跡

銀行の南隣に 日蓮宗妙国寺派佛眼寺

少し進んだ左に 浄土宗岩田山浄安寺

旧町名 岩田町石標

津球場入口信号交差点を右に入ると 曹洞宗臨江山庭岩禅寺

南隣には 大市神社 岩田の産土神

球場入口交差点から200m程進んだ広い信号交差点を左斜め(津信金が右にあるのが目印)に入る旧道を進みます。広い道路の向かって左から来ました

旧道に入り80m程先左に旧町名 立合町の石標 昔、米相場の立合所があったところから呼ばれた


そのすぐ先で十字路を横断します

その先250m程で114号線の車道を横断します

そのすぐ手前に右に折れる道があります1632年(江戸初期)以前の古道だそうです

114号線を横断した少し先左に 眞教寺地蔵堂(延命子安地蔵尊)

隣に 眞教寺閻魔堂 藤堂高次(二代藩主)が建立で本尊は閻魔大王坐像で町の守護神

続いてすぐ隣に 市杵島姫神社
境内には 杉山稲荷 が祀られています

神社前の十字路を右(南)に折れた左に 真宗高田派一乗山教圓寺 閻魔堂周辺は、かつてそば屋・茶店で賑わったという

格子や軒の低い二階建ての民家が並ぶ

少し先左に 薬師寺(庵)

門を入った左の お堂

薬師庵を振り返る

その先右T字路の左に 天台眞盛宗松原寺 門の横の 地蔵堂、弘法大師の作と伝わる地蔵を祀る。

松原寺の前の街道

お寺の手前右T字路を左に200m程入っていくと 結城神社
南朝の武将 結城宗広を祀る、しだれ梅が有名

結城神社拝殿

結城神社の南側の杜に 津八幡宮

津八幡宮拝殿 足利尊氏が勧請、寛永九年(1632)藤堂家が現在地に移す


縣社八幡神社石標
明治36年建立。津八幡神社への裏参道の街道入口

街道に戻り藤枝町を南に進みます、右斜めにカーブします

右にカーブしたすぐ先に小さな 思案橋が架かっています。その手前左に折れる道がある辻は、香良洲道との追分
で 香良洲神社への参道。神社に参らない人はここで遥拝をして街道を進んだといわれてます

伊勢街道と分岐する香良洲道と思案橋
藤枝と垂水の境界。見逃しましたが欄干下側面部に、松・扇・梅が浮き彫りされている「山半」文政六年(1823)と刻まれ、山半は近くにあった遊郭の名だそうです

すぐ先で広い車道の信号交差点を横断します

続いて紀勢本線の踏切を渡ります

踏切の先200m程で信号があり、右から前述の1632年以前の古道が右から合流して来ます

合流地点を振り返る。向かって右が歩いてきた伊勢街道、左が古道

200m程進んだ信号交差点

交差点手前右に 真言宗垂水山成就寺 本尊は大日如来坐像

祠の横入口の左に 道標
安永二年(17733)「大日如来出現所香水道是従四丁」と刻む。半分埋もれています。西行法師ゆかりの木「さる稚児桜」西行が伊勢参り時に成就寺に立ち寄った時の逸話の案内板


信号を横断して進みます

右手に 真宗高田派金剛寺

続いて隣に 真宗高田派旭松山南宗寺

更に200m程進んだ右手に垂水村の産生神 須賀神社

急峻な石段で危険なので上るのやめました

さらに南への街道を進みます

右手に 道標と常夜燈
道標は明治二年建立、加良比之神社の参道入口に,常夜燈は明和元年(1764)建立、銅製

加良比之神社への参道を【寄り道】
式内加良比之神社
境内には「片樋宮」と刻む寛保二年(1742)の石標があります。倭姫命の伝えがある古社


その先で相川に架かる相川橋を渡ります。左(東)500m程離れた下相川橋は 香良洲道 が通っています

相川橋を渡った先の集落の街並み

右手に 真宗高田派浄誓寺

西北に 天台真盛宗真光寺

右手の公園の奥に鳥居が見えますので寄ってみます

常夜燈や石碑 がありますがよくわかりません。常夜燈は文政八年(1825)と刻まれ、大正初期まで燈明をあげていたそうです

緩やかな坂道になります、この高台一帯は、桜茶屋と呼ばれ、昭和20年ごろまで数件の茶屋が営業していたそうです

やがて信号交差点を横断します

交差点から100m程先で天神橋を渡ります、江戸時代は板橋であったそうです

橋を渡った袂右高台に 浄土宗宝福山称念寺

称念寺の前に 小型の常夜燈

本堂

称念寺の前、街道沿いに 六阿弥堂

少し先右に 高茶屋神社と常夜燈
常夜燈は文久三年(1863)建立で「十三社常夜燈」と刻まれている。春日型常夜燈
十社の森と呼ばれ、勅使休憩所に使われた


高茶屋の街並みを進む

左150m程先には紀勢本線の高茶屋駅が見えます

165号線の高架を潜り南へ進みます

続いてすぐJR紀勢本線の踏切を渡ります

踏切を越えた先から振り返ったところです

池田地区の田園の景色を見ながら南へ

右に 高野山真言宗玉造院

集落に入るところで小さな川を渡る

橋の右手奥に 社祠 の横に 山神が四基 あります

200m程進むとまた小さな橋を渡ります

更にまた200m程で小さな橋を渡ります

更に400m程進むと、左に石碑と小さな橋があります

暫く進んだ先で信号交差点を横断します 島貫地区

その先左に 史蹟明治天皇島貫御小休所址碑
この辺りに 旅籠「柏屋」があった 本陣跡

石碑の左の狭い道奥には 槙の老木

槙の袂には 山神二基

すぐ先街道左手に 真宗高田派寿光山円福寺

左円福寺に入る街道からの参道右角に 道標 「神明道」と刻まれ、雲出長常村の神明社への道

左手に円福寺が見えています

100m程先で雲出川の堤防に突き当りますので右に折れます

堤防に上って右に折れたところから右手には 石作りの祠か沢山 ならんでいます

右に折れた右にかつて、島貫の松、根回り2.6mのの松があったが、伊勢湾台風で倒れたそうです
堤防を西に進みます、200m程先でかつての 雲出の渡し跡

雲出橋の東100m程のところが雲出の渡し跡で、その方向を見る

雲出川に架かる雲出橋を渡ります

雲出橋の北詰めに建つ 常夜燈 天保五年(1835)昭和30年ごろに現在地に 移された。宮立型






雲出島貫の常夜燈
伊勢街道の雲出島貫の宿は雲出川の渡しをひかえ、参宮客で賑わう宿であった。当時の絵図では、街道の両側に民家や宿屋が建ち並び、水路があちこちで道を横切っており、中心部には、本陣、高札場があった。堤防下の毘沙門堂の境内には「島貫の松」があり、(伊勢湾台風で枯れた)旅人を和ませていた。
藩政期には、柏屋、魚屋、紀の国屋、太和屋などの旅籠があり、昭和の初めごろまでは、津屋、京屋、大阪屋などが残っていたが、参宮鉄道が敷設されたことにより、宿の灯りが徐々に消え、今は、本陣跡に「史蹟 明治天皇島貫御小休所址」の碑と常夜燈が残るのみであります。
この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さ4.6m、竿石には「奉献 天保五年甲午三月建」と刻まれています。明和八年(1771)、天保元年(1830)などに、おかげ参りが全国的に流行し、旅人の安全や神宮への祈願のために多くの常夜燈が建てられました。
常夜燈は、一般には、夜道の安全を確保するために、一晩中、火をともしておく燈火のことで、とくに参宮道者のために建てられたものを「参宮常夜燈」といいます。この島貫の常夜燈もその一つで、当時の風情を偲ばせています。(説明板より)
歩道を広くとった綺麗な雲出橋を渡ります

橋より右(西)側の景色

橋より左、雲出渡し跡とその先は雲出大橋

雲出橋を渡ると堤防沿いに左に折れます

常夜燈
この常夜燈は、寛政十二年(1800)に、雲出川の川端に建てられ、元はここより200m程下流にあった渡し場に建っていた。宮立型で高さ4.7mの花崗岩製です。

堤防200m程進んだ左の 雲出渡し跡の対岸 を見る

堤防より右に折れる東には 真宗高田派本楽寺 慶長八年創建、本尊は来迎阿弥陀如来立像

堤防したから南に真っ直ぐ伊勢街道が伸びています。小野江地区に入りますこの街道筋には、渡海屋、柿屋、樽屋等の旅籠があった

左奥に 本楽寺

少し進んだ集落内左には 松浦武四郎生家
北海道の名づけ親




生家の前の街道を振り返る

街道を挟んだ西側には 小野江神社

拝殿

神社の西側413号線との角には 弁天稲荷大明神

413号線を南に200m程進むと左に立派な 松浦武四郎記念館 が建っていますので見学しました


元の街道に戻り南に進むと左に 真宗高田派金剛寺 本尊は来迎阿弥陀如来立像

傍の右に 常夜燈 文政七年(1824)建立

常夜燈の傍の小川に沿って少し「寄り道」に西に入ると杜が見えます

宇気比神社

参道入り口に 山神四基

庚申塔と行者像

参道と拝殿

元の街道に戻り南に進み200m程で小さな川橋を渡ります

橋の先で左にカーブして200m程進んで右にカーブし左に川が合流します。すぐ先で十字路を横断

十字路を横断した先の街道

この辺り左に 道標 が昭和橋近くの民家の垣根にあったようが見落としました残念です。文政四年(1821)の銘。「旅神社 小舟江村是より三丁 右からすみち」と刻まれている 香良洲道の合流起点

左手に 真宗高田派光輪寺

100m程先、月本の集落を進む、左の川に橋が架かっています

橋から50m程で 月本の追分 に出ます追分の十字路右から 奈良街道 が合流してきますその角に大きな道標

道標と変形宮立形燈籠の道標
天保十三年(1842)建立。伊勢街道と奈良街道の分岐点に立っています。伊勢街道で最大の道標。「月本おいわけ」と刻む。横には、変形宮立形燈籠の道標、明治十六年再建。「右大和七在所道ならはせかうや道いがごゑ本道」と刻む

奈良街道の旧道

街道を挟んだ向かいに建つ 常夜燈 明治三年建立、花崗岩製の宮立型で「両宮常夜燈」と刻まれている

月本追分
伊勢街道と奈良街道の分岐点で、江戸時代、伊勢参りが盛んになるに伴って、立場や茶屋、煮売屋などが軒を連ねていた。この追分には道標・常夜燈が建てられ、中でも伊勢街道最大の道標(高さ310センチ)があります
また 勅使塚 があったようですが見落としました


月本追分の先の街道

月本の追分から400m程先の信号交差点この付近の右手辺りに 曽原茶屋 があり「こわめし、でんがく、さざい(サザエの壺焼き)」を売っていました

信号を越えた左川沿いに 道標 「右 からす道」横面「一志驛跡」

道標の前の街道を振り返る

右手に旧家

その先300m程で道が分岐していますので左の道を進む

分岐した右角に 常夜燈、道標、山の神 があります道標「左 さんぐう道」

前の街道

その先100m程で十字路に出ますので右に折れます

十字路を右に折れると左角に中道公民館があります。街道は真っ直ぐ進みます。
左角に 道標、常夜燈、金比羅大権現、山の神二基 があります

中道公民館の横の旧道はもう一つの 香良洲道

十字路を左に折れたところから公民館の前の辻とこの先の伊勢街道を見る 標柱二基 が建っています

公民館の角に建つ上部に穴があいている 道標 「右 さんぐう道」 隣にも 道標 「左 からす道」 更に
金比羅大権現と山の神二基 以前常夜燈があったようだが見つからない。十字路右に折れたところから十字路を見る

十字路右に折れたところから十字路を見る

中道の集落を進む、かつて街道沿いにからくり的、射的、文楽などあり土産も売られていたようです

中勢バイパス(23号線)を潜ります

バイパス高架を潜った先

高架のすぐ先左の草むらに囲まれた 小津一里塚址碑

一里塚址前の街道よく注意してみていなければ見過ごします

道標は、大正三年建立。「右 松阪及山田□□」「左 津及香良洲□□」と刻まれているが、下部が埋まって読めなくなっています

その先で小津西信号交差点を横断します

少し進むと左に市立三雲南幼稚園が見えるところで、左に並行して三渡川を渡る新しい道と橋が建設中です

三渡川に架かる三渡橋を渡ると六軒町に入ります。別名「涙川(泪川)」と呼ばれた。中世には渡し場が三か所あったため三渡しの名がついたといいます

三渡橋を渡って振り返ると、向かって左が三渡橋、右が新しい架設中の橋

新橋が架設されるため少し移動したようです。常夜燈

以前、初瀬街道を歩いた時には、道標があったのですが見当たりません「いがごへ追分」「右 いせみち」「やまとめぐ りかうや道」刻まれた大きな道標でした


橋の袂で川に沿って上流に進む道が 初瀬街道 で、伊勢街道との分岐点です

この先の六軒茶屋の街並みには、旧街道の旧家並が沢山残り、それぞれの屋号が掲げられています。


「明日はお立ちか、お名残り惜しゅや、六軒茶屋まで送りましょう。六軒茶屋の曲がりとで・・・・」と、道中伊勢音頭に歌われています


六軒茶屋から市場庄への街並み

歴史を刻む用水

ゆっくりと街並みを見ながら歩いています


暫く進んだ十字路左角に道標

道標 「忘井之道」と刻まれている宝暦元年(1751)建立。米之庄神社への分岐点、東に入ったところある

【寄り道】で少し東に入っていく道で

忘れ井
道標から東に100m程の所で、井戸は埋まっているが、「標石」には千載集の歌が刻まれている




忘れ井の傍に 山の神

切妻連子格子の家

市場庄公会堂


街道に戻り左に 曹洞宗護法山神楽寺
本尊は釈迦如来坐像、境内には沢山の石造り物が並ぶ。庚申塔・青面金剛像他

本堂

暫く南に進んでいくと近鉄山田線の高架を潜ります、高架の先は久米集落入口 左に集落の案内板が建っています








久米町の集落を進んでいきます


高架より250m程先でT字路となり左に折れますが、正面に 行者堂・庚申堂・山の神二基・道標・いおちかんのん道標・常夜燈 が並ぶ

行者堂 石造りの役行者を祀る、
庚申堂 自然石の文字庚申を祀る、
道標 「左 さんぐう道」
いおちかんのん道標 瑞龍寺の南辻、松阪市岩内へえの近道を示す、
常夜燈 嘉永五年(1853)建立、
山ノ神二基

左に折れて数十mで右にカーブします

右の小川沿いに咲く、見事に綺麗な彼岸花

久米集落の街道

左に杜のような大きな旧家

表は、なまこ壁の見事な長屋門


すぐ左には 浄土宗慈眼山寿栄院柳福寺

分岐は左の道 のぼりを立てた石柱が左に

左にカーブする右角に 庚申堂 街道が 鍵形の辻 になっています

庚申堂の向かいに 山の神二基

祠、山の神の間の鍵形の辻の街道、少し先で右に折れています

少し右奥には 白川稲荷大明神 通称;失せ物稲荷 と呼ばれる。

鍵形を右に折れて100m程進むと十字路に出ますので横断。左に250m程行くと松ヶ崎駅

十字路を横断して200m程先左に 古川水神常夜 燈万延二年(1861)建立

古川水神境内に 山の神二基

高架道路を潜ります

高架道路の先すぐT字路になりますので右に折れる

右に折れて数十mで再び左に折れる鍵の辻

右手にのぼりの建てた石柱、塚本地区内に「塚本氏子中」と刻まれた石柱がところどころに立っています

百々川に架かる塚本橋を渡ります、橋の手前右に 自然石の富士大権現

橋を渡った袂左に 常夜燈 嘉永五年(1852)建立。

塚本橋から180m先でJR紀勢本線の踏切を渡ります

右手に立派な 仁王門
薬師寺の門前、唐様と和様を組み合わせた門、修復中かかなり痛みが来ているようです

薬師寺 承応二年(1653)建築、本尊は平安後期の薬師如来坐像

暫く歩くと、右の宇佐美豆腐店の前で分岐しますので右の旧道を進みます

100m程先で船江町東信号交差点を横断

更にその先で左にカーブしています。右手に重厚な 連子格子の家

連子格子の前を左に折れて、更に130m程先で分岐を右に折れ、200m程先で再び左に折れる 鍵形曲がり になっています。そして川井町に入ります。この分岐を左に折れます

川井町に入り街道は真っ直ぐ約1㎞東南に進みます

途中、広い道路と交差する川井町3信号交差点を横断します

交差点の先右手に、かつて 春木屋 といって三階建てで松阪一と謂われた妓楼があったそうです

西町に入り右手に 真宗高田派花山寺

阪内川の手前左に、昔の面影を色濃く残す建物のお店 須川屋

須川屋のすぐ先に阪内川に架かる大橋を渡り、松阪城下に入ります

橋より左(東北)を見る

橋より右を見る

橋より歩いてきた街道を振り返る、右手に須川屋

大橋よりこの先の街道、すぐ左に小津家の建物

小津家
江戸時代の紙問屋、松坂の御三家の一つといわれ、かつては大橋の東側一角は小津家でせめられていた。現在松坂商人の館として公開されてます

並んだ南隣には 三井家発祥の地 松阪商人の代表格の三井家発祥の地

すぐ先の本町信号交差点の右角に新しい道標

道標 「右 さんぐう道 右 大手筋」

右角にモニュメント 来遠像 平成二十七年九月二十八日、三越伊勢丹より寄贈されたもの。



本町交差点より中町を南へ伊勢街道を進みます中町にかつて 本陣 がありました

やがて日野町信号交差点に出ます、交差点の右から以前歩いた、和歌山城下からここまでの 和歌山街道 が合流してきます

日野町信号交差点左の町筋

右の南西角に 道標 参宮街道と和歌山街道の分岐点。「右 わかやま道」「左 さんぐう道 八雲神社」と刻まれています

和歌山街道を見る

道標を左に 和歌山街道の起点

交差点を横断して日野町を進みます

42号線と交差する愛宕町西信号交差点を横断します

右手奥に 梅松山天神菅相寺 江戸時代に医学校があった跡

街道沿い右に、小津安二郎青春館

すぐ先垣花町で右にカーブします、ここはかつての宿の出入口で南端の歓楽街であった

暫く南に街道を進んでいきます

大きな 石標 が建っています

名古須川に架かる橋を渡ります

橋の左に 荒神山稲荷


すぐ街道右に天台宗の名刹 天台宗真盛宗普照山信楽寺 隣に建つのは 閻魔堂 正面門前に 仏足石 天明五年(1785)のもの

本堂

境内にある旧本堂の 鬼瓦

すぐ先左に 神戸神社

神戸神社拝殿 垣花村の氏神

金剛川に架かる金剛橋を渡ります

金剛橋からこの先、極門橋までを徳和畷と呼ばれ、白酒を名物とする店が数軒並んでいたそうです

右に 常夜燈 文政十二年(1829)建立。極門橋南袂に立っています


下村町区

やがてJR紀勢本線の踏切です。右に徳和駅があります

JR徳和駅 3日目終わり、JRで松阪駅にもどり宿泊します。明日ここに戻り伊勢神宮まで歩いて完歩します
補足として 【2015年4月11日】 初瀬街道 を歩きましたが、5日目の最終日に松阪市内を歩きましたので、その時の記録を伊勢街道の途中に入れました。
松阪市街地の史跡
伊勢街道、津市方向より西町から阪内川に架かる大橋から伊勢街道を松阪市街地に入ります


大橋より阪内川を見る

大橋を渡った処からの、伊勢街道本町通り

川沿いに左(南)進んだところに、御厨神社 天正末年、蒲生氏郷により飯高郡平尾より遷社された。松阪城の鬼門除けとして信仰された

御厨神社拝殿

大橋に戻る一筋西側の筋、本町矢下小路に面した、浄土真宗高田派正円寺 蒲生氏郷が松ヶ島より移転。この付近は氏郷が町割りした「隅違いの家並み」が戦国時代の街の名残

大橋の戻り進んだすぐ左に 松阪商人の館紙商を営んだ豪商、小津清左衛門邸 創業1653年(承応2年)数少ない江戸にも店を構えていた

正面道路を挟んだ一筋北側に、本居宣長宅址 があります

すぐ先左に 三井家発祥地 のち越後屋・三越と発展の基礎を築いた三井高利ゆかりの場所

三井家址のすぐの交差点を右に折れた一筋目を右に折れた左に、
松阪木綿商旧長谷川邸
長谷川家は江戸時代、三井家・小津家・長井家等とともに松阪を代表する江戸店持ちの豪商。創業1645年、

通りを進むと右に、本居宣長旧宅跡
宣長が12歳~72歳(1730~1801)生涯を閉じるまで過ごした場所。


蒲生氏郷の城下形成の跡が残る魚町通り界隈


大手通りを北に松阪城跡へ進みます

松阪城跡




松阪市立歴史民俗資料館(旧飯南郡図書館)

城跡の石垣から城下を望む






西側には 御城番屋敷 が見えます


鈴屋(本居宣長旧宅) 宣長が暮らしていた住宅を移転した建物



城跡の北東に 本居宣長ノ宮 宣長を祭った学問の神様。


拝殿

その西側にある 松阪神社と楠
延喜年間(901)以前と言われ、天正16年氏郷が松阪城を築いて以来、城の鎮守神として保護されてきた

拝殿

西側の石垣に沿って南に少し進みます

やがて右手に 御城番屋敷 があります

御城番屋敷が生垣に囲まれ綺麗に並んでいます。 この長屋建物は、松坂御城番、四十石取りの紀州藩士二十人の組屋敷として、文久三年(1863)に建築された。

御城番屋敷土蔵(米蔵)明治初期に城内より移転された

御城番屋敷の一部


綺麗な生垣

旧三重県立工業高校の製図室として明治41年に建設、周囲を赤壁で覆われている



赤壁校舎の前を西に進んだ左に 真宗高田派真台寺

さらに右(北側)に入ると 浄土真宗高田派常教寺 寛文十一年(1671)にこの地に移転された木造阿弥陀如来立像(室町時代の作)

本堂

さらに川沿いに進んだところに 一願成就川之地蔵尊
浅間川・石川の氾濫被害から救われた地蔵様として崇敬されてきた


天台真盛宗来迎寺
永正年間の創建と伝わる。1588年蒲生氏郷により松ヶ島より現在地に移転

境内

門内のすぐ右に 芭蕉句碑


本堂 江戸時代の創建

来迎寺の南東の新町に建つ 浄土宗法幢山樹敬寺

本居一族の墓所
宣長夫妻の墓、視力を失いながら父の後を継承し、生涯研究に捧げた息子春庭夫妻の墓が背中合わせに立っています。先祖・子孫の墓26基があります


東側の和歌山街道に出て、右に折れた少し先、伊勢街道との信号交差点の北西角に建つ 道標 「左 さんぐう道 右 わかやま道」

道標は正面左角に建っています。正面の道は、以前歩いている和歌山城下からの 和歌山街道 。交差点左右の道は伊勢街道

信号交差点を横断して少し進んだ左側に 真宗高田派龍谿山願證寺

さらに南、松坂駅方向に進んだ左に 真宗高田派本覚寺

本覚寺の東にある 浄土宗知恩院派清光寺 木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代作国重文)



清光寺の北にある 真宗高田派常念寺

清光寺の南隣にある 曹洞宗龍松山泉禅寺


道を挟んだ東側には改修中の 日蓮宗恵日山法久寺

さらに東側には 高野山真言宗岡寺山継松寺

さらに西隣にある 曹洞宗弥勒山龍華寺 天正十六年(1588)松ヶ島より移転

西へ進んでいくと 八雲神社

以上で、城下の寺町を中心に一部見学しましたが、まだまだ沢山の見所がありますが、時間がないので終了します。
JR・近鉄松坂駅



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