2026年6月12日
撫養岡崎湊~立道駅北~徳島城鷲の門
6月10日上板街道、中央街道、11日撫養街道1日目、そしてきょう淡路街道を歩きます。
淡路街道は徳島城下から淡路を結ぶ街道で、阿波五街道の一つ。
徳島藩蜂須賀家が淡路の国を加増されてから特に重要な街道となった。撫養街道、讃岐街道、土佐街道、伊予街道を5街道と呼ぶ。
撫養の岡崎湊から昨日撫養街道で池谷駅まで歩いているので、淡路街道は本日は立道駅の北側から徳島城鷲の門まで歩きます。
ホテル 6時0分 出発
JRで立道駅へ 6時45分 スタート
徳島城鷲の門 12時35分 着
27.753歩 16.65㎞
立道駅の北側の撫養街道との分岐、撫養街道は真直ぐで、淡路街道は二階の民家の手前を左に折れます

左、淡路街道の南への道

すぐJR鳴門線の踏切を越える、立道駅は左に

大津町大幸地区の街道両側は一面レンコン畑が広がる

分岐から600m程先の分岐、39号線から右の旧道に真直ぐ入ります

左の墓地の中に大きな 石碑 が

分岐の辻から振り返る、レンコン畑が広がる

右手に 祠に入った 地蔵尊とその向かいに 地蔵尊

静かな街並みを南に進んでいきます

分岐から300m程先で大谷川に架かるめいち橋を渡ります
その手前左に 延命地蔵尊 の祀られています

橋から200m程先の十字路を右に折れます

300m程進んで左に折れますその間に 牛屋島一里松跡 確定場所が分からないが

左に折れた道

左に折れた少し先で、旧吉野川に架かる馬詰橋を渡ります

橋をふり返ってみるかつての 馬詰の渡し跡

すこし先で五差路に出ます、右から2つ目の斜めの道に入ります

大麻町東馬詰地区

左手に諏訪神社の杜があります

諏訪神社


小振りですが、本来の神社らしい姿が留め、私は好きだ古い 常夜灯 も並んでいます

大きな 石碑 が並んでいます

直ぐ先左に入ると正福寺があります、その入り口の所の 地蔵尊と常夜灯

高野山真言宗長江山正福寺 境内の 塔

境内の 六地蔵

十三佛御尊像


東馬詰を進みます

太郎八須バス停のある交差点に出ます

街道は真直ぐ進みますが、信号を左に折れたすぐ左に 三木宋珪の地蔵尊 この地の庄屋で藩主の蜂須賀忠英に直訴したが受け入れられず処刑された。刑場に向かう時何度も振り向きながら行ったという。
別名見返り地蔵ともいわれた。悪いが珍しく説明があったので驚いた


街道を少し進むと左に 高野山真言宗無量山来迎院光福寺

光福寺の大イチョウ


弘法大師坐像の説明



すぐ南隣、北島北小学校との間に 北村天満神社

北村天満神社の毎年秋と元旦に獅子舞が奉納される

拝殿の中天井に絵が描かれている

神社の正面

街道を少し進むと右手に 石仏

更に右手に 末広萬治墓 北島町出身の蜂須賀家お抱えの力士


北島町を暫く真直ぐの町並みを進みます

暫く歩いた先右手に 大将軍神社

地蔵尊、灯篭、大クスの木



淡路街道は交叉点を横断して真直ぐ、左への道は 下板街道と淡路街道の繋ぎの昨日歩いた旧道 中央街道 です

地蔵尊

右手に 錦山嘉吉の墓


暫く江尻の町を進みます左に東亜合成徳島工場の大きな工場

分岐を右に進む

右に道なりにカーブする

車道に出ますので、車に注意して正面の道に入る

川久保の道を真直ぐ南に

石碑 この付近に 鯛の浜一里松跡 だが表示がないので分からない

川久保の町並

交叉点を越えます

交叉点より100m余り進むと今切川の堤に突き当たります

鯛の浜の渡し跡

堤防より今来た旧道を振り返る

鯛の浜渡し跡の碑 河口からの距離8.5㎞

100m程東側の河口堰を渡り対岸に行きます

車が走れないのでゆっくり歩けます

橋より西の眺め

両岸の渡し跡辺りを見る


橋を渡り堤防を右に折れたところからの対岸との渡し跡

そして左に折れて右手に 高吉大明神石碑

石碑を右に見てその先真直ぐ進みます

徳島自動車道の高架を抜けます

応神町古川の町並み

吉野川の堤防に突き当たります 古川の渡し跡、旧古川駅

道標(遍路石)があったようですが逸した

左へ500m程行って吉野川に架かる吉野橋を渡ります端に出る手前左は四国大学、四国短大

橋の所から振り返ります、右は短大、大学

長い吉野川橋1071m 渡り終えるのに14分、1584歩

私は高度恐怖症でこのような長くて高い橋を渡るのが苦手です

吉野川の幅の広い景色

橋から対岸のかつての 古川の渡し跡

吉野川橋を渡り少し右に折れる

右に折れたところから対岸を振り返る、さすがに1㎞余りの川幅だ

100m程先で堤防から左に下ります


堤防を下り振り返る

上助任町を南に進みます



左からの12号線吉野川橋からの車道が左から合流します。合流して300m程進むと、広い交差点に出て横断、右手に新町川に架かる橋を見ます
橋の東袂からの新町川

合流して暫く進むと右手に 真言宗大覚寺派宝珠山瑠璃院万福寺 境内では明治3年(1870の)庚午事変のとき、首謀者10人のうち4人が切腹、日本刑法史上最後の切腹と言われている。


直ぐ右に 八幡神社

稲荷大明神

八幡神社の前で左折れします、振り返った先に八幡神社

左に折れたすぐ先左に 春日神社

隣奥に 弘誓寺


一石一字書写 大きな石碑


興源寺は大雄山といわれ 臨済宗妙心寺派大雄山興源寺 阿波藩蜂須賀家墓所(国史跡)のある名刹準用河川大岡川(興源寺川ともよばれる)に架かる橋を渡り山門に行きます


良くわからないが 二基の石碑

山門の赤、青の仁王像


地蔵さんと六地蔵



徳島藩主蜂須賀家墓所の石碑


蜂須賀家藩祖 蜂須賀家正の墓

二代藩主蜂須賀忠英の墓 忠英の無縫塔(卵塔型墓碑)は高さ4.2mでこの型式の墓としては日本一と言われている。

墓石群の奥まったところにある、庭園には東屋と鯉の泳ぐ池が造られています。春には桜、初夏には菖蒲の花が咲き、墓ではあるが、整備も綺麗に行き届いており憩いの場所と利用されている。
山門を入り左に折れて右に曲がると、広大な敷地に大型の花崗岩製で作られた墓石群が一区画ごとに1m余りの高さで整然と藩主の墓石が建てられそれは見事です。街道歩きの中で沢山の墓所を見てきたが暗いところが全くなく素晴らしい

一区画ごとにこのように墓があります

整然と並んだ墓所

また、江戸初期の殉死が禁止されるまでの殉死者の墓もよく整備されています、何基かある一例です
藩祖蜂須賀家正の殉死者 渋谷丹波氏紀


それにしても広大です

蜂須賀家墓所を後にして街道歩き続けます
興源寺の前の街道を東に進みます。右に学校

やがて交差点に出ます、この辻は2日前の6月10日に歩いた、下板街道との分岐地点です。下板街道は左へ、淡路街道は、右に折れます

左の下板街道の旧道、木の所に大岡川(興源寺川)に架かる助任小橋があります


交叉点右に折れて進みます助任本町の通りで、十字路を左に折れる真直ぐ100m余り行くと助任川に突き当たるので

そして次の十字路を右に折れて助任川を渡りますが、現在工事中で通行止めになっていましたもう一筋東側の広い車道に架かる助任橋を渡り迂回します

車道を右に折れて助任川を渡り右に折れて前述の工事中の橋の対岸に出ます

助任川の西側の景色

対岸に出て工事中の端にところで左に折れますやがて右に徳島城の濠に出ます

右手徳島城公園の中を歩きました


右手に 城山の海蝕痕 前面の岩肌に残る大小の円形のくぼみは、海の波に浸食されたあとで、海水が内陸まで入り込んだ「海進」によるものです。縄文時代にはこの辺りが海であった。


城山の貝塚跡


数寄屋橋跡を渡り車道にでる


数寄屋橋からの徳島城の堀


やがて 鷲の門(復元)にでます

12時35分 着27.753歩 16.65㎞ 午前中に終わりました
徳島港からのフェリー16時25分なので時間があるの城内を少し見学していきます




鷲の門を入ると右にある 下乗橋


そして、徳島城表御殿 に入ります


回遊式庭園でまわってみます



建物は徳島市立博物館




博物館の軒に置いている遺跡

織部型灯篭

淡路街道 完歩
時間がないので駅前からバスで徳島港に向かいます

