2013年4月27日
能勢電鉄鼓ヶ滝駅~一の鳥居~北東の北風台へ~妙見口駅~黒川~大槌峠~野間~倉垣~ひいらぎ峠~湯の花~亀岡城跡西側北町
自宅4時45分に出て林間駅~梅田阪急~能勢電鉄鼓ヶ滝駅へ行く。ここから前回2013年1月20日に続き今日は亀岡城下まで歩く。
7時15分駅前の能勢街道をスタートする。今日の前半は見るところも多かった、国道に歩道がなく車も多く危険な所もあったが、快適な街道の趣のある山間部分が多くすこぶる快適であった。
今晩は亀岡駅近くのビジネスホテルポニーに宿泊、泊まりがけの街道歩きは長崎街道歩き以来久し振りである。
明日は折り返し、清阪街道で茨木市の中河原の西国街道の合流点まで歩く予定。
鼓ヶ滝駅 7時15分 スタート
55.451歩 33.27km 2.470km槌
18時09分 亀岡城下の山陰道に合流。よく歩いた1日
能勢電鉄妙見線鼓滝駅前の西側をスタート

線路を右に少し進み振り返り駅方向を見る

駅の先の交差点を越える

右に 碑が立つ

左にイズミヤを見て先を進む


次の多田駅を右に見て進む

多田駅の前の道を1.5㎞ほど左に進むと、多田神社 があり源氏発祥の地。多田街道で歩いているので寄り道をしない
辻の角に多田神社道の 道標

碑を左に見て北に進み小さな川を渡り左からの173号線に合流する

173号線を斜めに渡りたいが、止む得ず左の信号で横断する。左斜めに見える4階建ビル、清和不動産を右にして旧道を進む


左に入っていくとすぐに川に突当り、川に沿って右に折れて進む

川に突き当たったところに 祠

その先少し民家の間を進むと右直角に曲がる



再び173号線に出る、右にファミリーマート173号線を左に曲がり、とりいさか橋を渡る

橋を渡ると、道は分岐しているので左の道を進み、すぐまた右に折れる

道が分岐する前角に、多太神社社号標石一基

右に折れて進んでいくと、道はくの字に屈曲するその先左奥に 多太神社と鳥居
創立年代は不明、本殿は元禄六年(1693)の創建


多太神社のすぐ東の街道沿いの 地蔵祠 真中の地蔵が 道標 を兼ねている「右ゆもと道 左のせ道」


地蔵の先、平野地区を進む

173号線に合流左へ

173号線の右(東側)は平野駅

次のすぐの信号で173号線を横断して右の道に入る、すぐまた173号線に合流することになるが

出来る限り車の多い単調な173号線を歩かず、旧道らしき道を捜しながら歩くのが楽しみ

173号線に合流した先、右手に平野鉱泉日本初のサイダー「平野水」発祥の地で後に三ツ矢サイダーとなる
確かこのような話が、有馬温泉の近くでも見たような気がする

能勢電と交差、左は塩川トンネル

陸橋の下から振り返る

前方に分岐点の一の鳥居交差点が見えてきた

右はライフネット川西店

一の鳥居交差点の分岐で 丹州街道 は左に進む国道173号線から分かれ、能勢街道 は国道477号線沿いに右に進む。左への道は丹州街道で知明湖の西側を湖岸に沿って進み、能勢町に入り、能勢の里公園の西側を進み、はらがたは峠を越えて、篠山と亀岡を繋ぐ篠山街道の福住宿に抜ける山間道。
この分岐点にかつて能勢妙見山一の鳥居が建っていた、地名・駅名が今も残る。交差点の西側に能勢電の一の鳥居駅がある。交差点正面に新しいお城の天守閣のような建物が建つが、文献には何もなく関係なく紛らわいいだけ。

交差点で右に折れて、国道477号線の右の側道を進む

交差点を曲がって進んだところ左に何だろう老人福祉センター

川西市長尾町から東蛙野に入る

能勢カントリークラブの入り口が右に

一の鳥居 ここに一の鳥居が移築されて

鳥居の傍に 南無妙法蓮華経の石碑 その先暫く能勢GCを両側にしながら進む

川が右に分かれていく、右に川西大霊園が広がる

その先、鼓が滝で大阪府から兵庫県に変ったが、ここでまた街道は大阪府豊野町になる

車が多く歩道がないので注意しながら歩く

緩やかな上り坂が続いている

光風台に入り、久しぶりに信号交差点、国道の両側に光風台の新興住宅地が広がる


左に お稲荷さん

光風台に変わり、ときわ台となる。非常に広い開発地で「変化もなく、旧道も失われており坦々と歩く

吉川交番前交差点を越えるときわ台が続く

緩やかだが峠に至り、かつての街道はおそらく能勢GCの中を通り、右の川西霊苑・東側の光風台・東側ときわ台を通りこの峠に出ていたのだろうと推測する

ときわ台も終わり、下る途中、吉川に入るところで、国道を右に分け左に入る道があるのでそちらを進む。前述の失われた旧道は、峠を斜めに進みここに出てきていたのだろう

ここの分岐で左の旧道に入る

気持ち良い樹林の中の旧道に変わる

左に、吉川の集落

坂を下っていくと、増見橋を渡る

その先、右からの広い道が合流してくる旧道右に西方寺

西方寺

やがて左に能勢電鉄妙見線の妙見口駅の終点

能勢駅前の街道風景 妙見山に上る人はここから何通りかの道があるので、それぞれ上るが私も、何通りかこの道筋は以前歩いた 妙見道 と重なる

吉川の集落内を進んで山清橋を渡る

右、吉川公民館の手前でひらい川橋を渡る
旧の吉川中学校の校舎は現在、オイスカ関西研修センター(国際ボランテア団体)に変わっている


その先右に 白龍大神 前のグループは能勢妙見山への登山者

左に吉川小学校を見て右に緩やかにカーブ

左に 祠


左に 吉川八幡神社参道の道標 妙見山へ上った時に見学しているので寄らない

道標の所から振り返る

その先で、右からの国道477号線が交差します。交差点を横断して真っ直ぐ進む旧道は、妙見山への
上杉尾根道

合流する手前左の土手に 道標 妙見山への丁石 「是ヨリ御山二十二丁」

左に折れた477号線の右上の池の堤に 灯籠

土手の傍に上杉尾根道への道が出来ているが、往時はこの灯篭の堤辺りから上っていたようだ

堤の旧道跡に灯籠が壊れて残っている 写真に写っていないが
堤の上の写真

この道は旧妙見山上杉尾根道の参道であったが、この先消失しているようで登山道は右から迂回している。鳥居がひっそりと残っている

鳥居から堤(旧道跡)、右は上杉池、灯籠を写す

灯籠の堤下、角の 標識板

今の上杉尾根道の入り口の旧道、この先で左にカーブして鳥居の上に出る

右、上杉池、左下、国道477号線の間の道を進む、池が切れたらすぐ右に入る道がある

その上り口にも鳥居が立っている。後日、別の道を歩いた時に分かったのだが、この鳥居から登り、左に大きくカーブしながら暫く雑木の中を国道の右上を進み、妙見ケーブルの黒川駅の近くに出る道があった。消失していないと思うが、この妙見山登山道が 新滝道 の表参道だが、新しい道の登り口から入ってしまい、後で後悔、改めてこの間、何時か少しだが歩いて調べてみたい
池が切れたところから上る表参道(新滝道)の鳥居、この時歩けばよかったのだが、何故か先のケーブルの横から登ってしまった(鳥居の先登り道が残っているかどうかわからないが)

鳥居の袂にある山上まで 二十一丁石の道標

旧道は左にカーブしている、多分歩けそうだ

国道を進んだすぐ先右に、妙見ケーブルへの入り口があります

妙見ケーブル黒川駅 駅の右側に沿って 新滝道 を上った

妙見川に架かる妙見橋に出るが、このまま真っ直ぐ国道を進むのがいいのか迷ったが、橋の手前を右に折れ、少し迂回してきて妙見川沿いに進むこととする

右に折れて少し水口の集落を通り、小さな集落内の妙見川に架かる橋を渡り、川の対岸に出て、再び妙見川沿いに狭い道を戻る


川沿いを進むと、先ほどの国道の高架下を潜る

暫く川沿いに沿って狭い道を進む

川沿いを進んできた道を振り返る

新道沿いの移された新しい 祠


更に川沿いに進む


やがてT字路の605号線に出るが、そのすぐ手前の旧道を右に折れる

右に折れたすぐ左に大きな 灯籠

燈籠の先で旧道は分岐する。左の道を進むのだが、真っ直ぐ行ってしまった。その先は国道に出て、黒川バス停に出てしまった


黒川バス停、国道の北側に 曹洞宗福寿山徳林寺

宝篋印塔(市指定文化財)
文和四年(1355)南北朝前期時代の石造りで、直家という息子が父母の菩提のため造立した供養塔


境内の いやしの観音様

間違えた元の分岐点に戻り、左の道を進む


暫く静かな田畑と集落内の旧道を進む

大きな豪壮な水口住宅

案内板が立つ



暫く進んだここで道は分岐する、右への坂を上るが、少し⦅寄り道⦆で左へ

少し左に下ると右に川西市黒川公民館、明治6年創立 黒川小学校の校舎 を使用、昔懐かしい学校校舎址


元の分岐に戻る途中に 台場クヌギ
台場クヌギは、炭焼きの中で生まれ、炭をつくる材料として地上1~2mのところで幹をきり、その切口から生える新しい幹の伐採を繰り返すことにより、ずんぐりした形になる。1~2mのところで切るのは、鹿などの動物に芽を食べられにくくするためで、全国的に珍しく、天然記念物に値するといわれている黒川の貴重な文化財。

分岐点より進んでいくと右に 鶴沢喜太郎墓と地蔵


右、左とカーブしながら山間を進んでいく


やがて坂道を上る、その手前に分岐がある、左への道がおそらくかつての旧道であったと思われる。左に金網で柵をこしらえた獣道になっている。冒険だ行ける所まで行ってみる

左下は田畑で今では農家の人以外は通らないようです

とにかく行けるだけいってみよう

Uカーブの道に出た、左へ進む、正解だった

この先何回か分岐があるが、右側の道を進む。案内標識は能勢街道にはほとんどないので地図を辿っています

快適な静かな雑木林の旧道を進む


この分岐は右

左が雑木林で、右が開けた

その先で、獣柵がしてあり、錠を開けて抜ける


その先で今度は左が開ける

この分岐も右へ

右に進んだ突当りに、トイレ小屋か物置か、それにしてはよくわからない

旧道はトイレ/物置の先で、道は失われている、
右側に、国道477号線の表示があるので、その道へ進む


多分、かつてはここを真っ直ぐ進み、大樋峠 に上っていたのだろう
右に坂を上っていく


途中から、上の車道に出るのに道のような道でない崖道を上り国道に出る、雨とか、秋ごろの雑草の茂るときはかなり、藪を掻き分け乍らのことになるだろう

国道に迫ると階段になっている

国道の標識 黒川・桜の森、能勢妙見口

旧道から、上ってきた崖道

国道の坂を上る方向

国道に出たところからの下り道方向旧道は、国道の右下を進んできた。国道には立派な歩道がついています

この下が旧道で這い上がってきたところ

ここから兵庫県川西市から大阪府能勢町に入ります

振り返ったところで、かつてはこの辺りに、前述の消失した旧道が右の谷間を進んできて峠に出てきていたのだろうと思う。正面のこんもりしたのが 高代寺山(標高488.5m)かな

大樋峠 に到着車が少なく快適に歩ける

峠からの下り

下る途中、道は野間稲地で右に折れる

分岐点には右の表示がある、能勢妙見山の奥の院への道 左の新道はバイパス
妙見山から奥の院への 今谷道 を歩いた時ここに出てきた。今振り返るとここから妙見口駅まで随分道のりがあったんだと思う。真如寺もその時行っているので寄りません

分岐の右の角にある 祠と石碑


分岐の交差点を右に折れる真如寺/奥の院への道

50m程先で左斜めの道を進む

左斜めの道

左斜めに進まず少し真っ直ぐ進んだところで左に曲がっても同じところに出る

前の左斜めに進んだ先から振り返る

十字路で後述の右からの道と合流して、左に折れる

その先で国道バイパスの高架下を潜る

潜ってすぐ、右にバイパスを見ながら北に進む

国道を右に並行した気持ちの良い旧道


野間川に架かる蟻無橋を渡る

蟻無橋から右の、野間川とバイパス橋

橋を渡るとすぐ右に、国の天然記念物 野間の大けやき
高さ27.37m・幹回り13.01m・最大枝張は39.3m×36.2mの巨樹。樹齢1000年と言われている。
ケヤキとしては西日本最大。

とにかく圧倒される見事なケヤキ

ケヤキの傍に 蟻無神社


ケヤキの先の交差点を横断真っ直ぐ進む

交差点から振り返ったところ

交差点野先左に お堂と石仏

お堂の傍に石仏が並ぶ

更に進み木野川の田子橋を渡る

橋を渡ったすぐ先で、右に折れる道を進み野間西山の集落をかすめる

左からの道と合流して右へカーブし、すぐまた左にカーブする

右の木野川の対岸の477号線・木野川と並行して北へ進む

左の土手に小さな お地蔵さんが二つ

木野町集会所・枚岡表具店を左に見ながら北へ

その先で旧道が無くなるので右に折れる

右に折れて木野川に架かる盆橋を渡り・477号バイパスを渡り真っ直ぐ東に進む


左に 野間神社
推古13年(605)大和石上神宮の分祀を受けて創始された。


毎年10月の行われるだんじり祭りは圧巻らしい


神社の前を過ぎて、地黄の集落にはいる
地黄の名は地黄草(薬草)を栽培して生業としたため地黄村という。大和の国から伝わる

野間神社の鳥居
集落に入り鳥居の前で交差点になっているので、左に折れる

左に折れた道筋、右に地黄郵便局

郵便局の先で、車道を右に分け左に入る(真っ直ぐ)旧道があるので進む


左の南町集会所をすぎると、更に左に萱葺の大きな住宅

更に左に大きな 題目碑


地黄集落の素晴らしい街並み豪壮な住宅が並ぶ

ここの辻は、以前、能勢妙見山の登山道を上った時、山上より新滝寺から妙見山奥の院・真如寺の古道を歩いて、この辻で能勢街道に合流した分岐点。 ここからバスの便がなく能勢妙見口駅まで歩いた記憶がよみがえる。よく見ると、妙見山へ登のも大変なのに、そこから能勢街道の右、高い山の尾根を上ったり下ったりしながら奥の院へ結構あったのだ

右に町立東中学校が建つがその校地が 地黄城址
地黄陣屋とも地黄新城ともいわれ、徳川の旗本、能勢頼次が慶長7年~元和元年(1602~1615)にかけ築城し、幕末まで能勢氏の居館として続いた。明治維新に壊され、現在町立東中学校の校地となっているが一部石垣が残る。

地黄城下町は大きな民家も沢山残り、懐かしい街並みの風情がある素晴らしい街道沿いである


小さな川を渡り左の角に 祠

祠の所で前方に477号線の高架が見える、左への道を10m程進み、すぐ右に曲がる道があるので、その道を右に曲がる

右に曲がった坂道の細い道

すぐ先でT字路になるので、右からの道と合流して左に進む

右に 報恩寺

報恩寺の先、左に地黄児童館をみて、その過ぎたところで、左からの477号線に合流して暫く進む


左に乗阪池

池の過ぎた左の三菱電線工業の工場の手前で、右の山道に入る道を進むが、うっかりすると通りすぎる

でも、もったいない短い区間だが、地道でこの様な旧道が残っているのだから、歩かなければ街道歩きの意味がない

また左の国道に出て、左には、かめたに歌垣店食事処

この先は歌垣地区で落ち着いた静かな歌垣の集落に入る

右の土手に 石仏

やがて732号線と交差する倉垣橋交差点。倉垣バス停

倉垣橋交差点を左に折れたすぐ右に 若宮神社と本緑寺

入口参道右に大きな 石碑 「日乾聖人遺跡」


天然記念物若宮神社のしい

交差点に戻り少し街道を北に進んだ右に 祠

街道より右を見ると 妙法寺

倉垣の集落を進む

少し北に進んだ十字路を右に(寄り道) 日蓮宗永昌山妙法寺 本尊 首題宝塔




街道に戻りすぐ右に池

池を過ぎて進んでいくと右手に大きな、新旧の民家が建つ

左にも大きな旧家国道沿いだが車も少なく、雰囲気の良い街並

更に進んだ先で小さな川の手前右に 摂津歌垣山登り口の道標

道標の右の道を登っていくと、日本三大歌垣の「歌垣山」

「歌垣」
歌垣とは、古代では人々が春には豊作を祈り、秋には収穫を感謝する行事であったが、次第に若い男女が自分の思いを歌に詠んで相手に伝え、求婚の意志をする場に変わっていった。
歌垣が確認できるのは、茨木県の筑波山・佐賀県白石町杵鳥山・大阪府能勢町の歌垣山で、日本三大歌垣の歌垣山と言われている
街道は小さな池を右に見て更に進む
池を越えた辻、歌垣宗学校の手前の道を右に入っていくと
倉垣天満宮
天満天神社のイチョウ、当社が歌垣山からこの地に創建された、天正12年(1584)にはすでにイチョウは立っていた。樹齢450年以上、幹回り9m・高さ22mの巨木大阪府天然記念物






小学校の傍の大きな 灯籠

小学校のすぐ先左に、能勢の酒「秋鹿」秋鹿酒造


秋鹿酒造を少し進んだ中川材木店の所を、右に少し坂を上る旧道に入る

旧道は短いが旧道らしい坂を上る

左少し下には国道、その向こう側に 正林寺


左に曲がり国道に出る

暫く進むと国道右に 本行院日運上人墓所



やがて左から、田尻川と106号線が合流してくる

川沿いを緩やかに左にカーブしながら進んでいくと

合流手前で田尻川に架かる奥田橋を渡る

交差点の少し左側で106号線を横断して、向かいの旧道に入る

旧道に入ったすぐ右に 題目碑と傍らに石仏 が並ぶ


能勢町吉野地区に入る、集落は西側の山麓沿いの旧道に並ぶ

田畑の広がる吉野付近の長閑な気持ち良い風景で疲れも吹っ飛ぶ、街道歩きなら出の景色が続く

素晴らしい山里の原風景

このような環境の中では、人々の心も穏やかで嫌な事件も起こらないだろうと思う

大きな旧家の傍に 灯籠


五差路の左角の古びた大きな 燈籠 一段と旧街道気分を味わせてくれる


五差呂の右角には 能勢酒造

五差路のすぐ先左に読めないが 石碑 「征清征・・・・・・」


車道から離れているので車も地元の人以外は走らないし急道を振り返る

左に小さな お地蔵さん


素晴らしい吉野の集落も通り、やがてひいらぎ峠の手前で国道に合流する

国道に合流して左に曲がるとすぐ左に 題目碑

ひいらぎ峠
ここは摂津と丹波の国境であった、ここ吉野タワ(峠)は、「吉野の関」・「関の明神」・「ひいらぎ峠」・「一本松」と、多くの呼び名が残されている。
摂津から京・亀山(岡)道、丹波からは池田・妙見道として、摂丹を結ぶ最短路であった。能勢地方の古代・中世には都の皇・公家の荘園があり、また戦国時代には摂津と丹波の攻防が激しく、必定的に軍道としての関所の機能が存在したと考えられる。
近世にいたっては、天領が多い当地域では二条城への年貢納め、その道みち「吉野の関」が行き交う人々の里程の目安になったといわれている。(峠の説明文の一部)
関所跡 ひうらぎ峠の石碑


国境碑

道標 「能勢妙見山御本殿迄是ヨリ・・・・」

関所跡と歩いてきた旧道

峠と言っても今は難なく越えることができる峠より亀岡市に入る


亀岡市本梅町地区を緩やかに下っていく



国道を暫く下ったところで、道が国道を真中に三本に分岐するので、左の道を入る


少しの間だが東加舎の静かな集落を通る

左に 道標 読めない

道標の前の旧道を見る

東加舎公民館のところ左に 灯籠二基

集落を振り返る

右からの国道に合流

国道と合流した先から振り返る

国道を進む、国道であるが車も少なく歩きよいし、ゆっくり風景を見ながら歩ける南川の青井橋を渡る

左に折れて進むと、何かあるようだが、看板


その先で、五条川に架かる五坪橋を渡る

右斜め奥を見ると神社の杜が見えるので寄ってみる

神社に上る細い石段

屋麿内神社 長徳元年(1008)創建と古社

たびたびの戦火により焼けたが、それを乗り越え現在に至る立派な神社だ


その先で左への国道と分かれ、731号線を右に進む



左から道が合流してくる

田園風景を見ながら進む


左にコジママートの青空市

その先で、右に731号線を分け左に入る

亀岡友愛園の建物

再び右から731号線が合流

合流した先少し進むと、再び左への旧道の道があるのでそちらに入る

川沿いに入る道を進む

右の川に沿って旧道を進む

右手に並行して国道が走る


旧道を暫く進んだ先で、T字路に突き当たるので右へ
この突き当たる東西の道が 篠山街道

これから亀岡城下の起点まで、篠山街道と重複して車道を進む


先ほど分岐した、右から731号線が合流してくる

731号線を合流点から振り返る。右の山裾の道が今歩いてきた旧道

ほんめ橋を渡り、合流して左にカーブ

交差点の湯の花温泉の看板、すぐ先で湯の花温泉の交差点に出る


右に芦の山荘、ここから湯の山温泉郷に入る

芦の山荘の前に 道標 「チョット読めない」


道標・燈籠を振り返る

ここの交差点で迷った、真っ直ぐ372号線を進むべきか、右に折れて温泉街のなかを進むべきか、結局右に折れることとし、交差点を鋭角に細い道に入る。資料では372号線になっているが、車道で変化のない道なので
右に折れる車道に出る


車道に出てきたところを振り返る

暫く温泉街の車道を進む

一般的な浴衣着て温泉街を散策するという雰囲気はない右に、松園荘

左に 石仏



車道にそって旧道が並行して残っている

左に民宿つつじ荘


つつじ荘の東前から、車道に平行して旧道跡の道があるので進んでいきます

右下に車道この道は間違いなく旧道跡と確信

右の車道は掘り下げられたのだろう

素晴らしい旧道が残っていた。でも歩かれているようで荒れていない

この先で旧道は消失するのでここを右に下る。おそらく真っ直ぐ道は進んでいた

右に有楽荘ホテル

下ってきた旧道を振り返る

その先左に大きなホテル深山閣 先ほどの旧道は、このホテルの裏側を通っていたようだ


深山閣が過ぎたところの、茶屋バス停がある

バス停の所でまた左に入る旧道らしき道があるので進む

この辺りに、深山閣の裏を通った旧道が出てきていたと想像がつく

深山閣の従業員駐車場に出る

一旦車道に出て、深山閣方向の旧道を見る

旧道を進みます

旧道が車道に合流したところを振り返る

右に池を見て100mほど先、湯の花温泉の看板のある所で左に入る


すぐ先で車道に合流

右からの車道に合流


湯の花温泉の入口の分岐で別れた372号線はこの交差点の左に出てくる

今では少なくなった大きな鯉のぼりが泳いでいる

次の交差点を右に折れる

左に稗田野小学校

流川に架かる御輿橋を渡る

左斜め前方に稗田野神社の杜

左に佐伯郵便局

左に 稗田野神社の鳥居 が建つ

鳥居の袂に 道標 鳥居を左に折れて神社へ寄る

稗田野神社
和銅二年(709)創建された古社、平安朝以来の奇祭り・大祭として、毎年八月十四日「丹波佐伯の灯籠祭り」として今に伝わる



必勝願掛石
この石に両手をあてて自分の達成したい思いを一心に念じることにより産霊神の御神徳を戴き願い事をかなえる新たな力を授かろうとする願掛石
白蛇の親子
またこの石は「蛇紋石」と呼ばれ、石の各所に蛇の姿が現れている。特にこの石には「白蛇の親子」が見られ人気を呼んでいる。「気力と幸運」を戴こうと撫でていく人が後を絶たない、「青い蛇もいる」と紋様をたどる人もあります。(説明文より)


石の環くぐり

神社の鳥居に戻り街道に進む前方左に 大石酒造酒の館

大石酒造の前の街道

丹波の地酒「翁鶴」創業元禄年間の老舗



街道すぐ先の豪壮な古民家凄い建物だ

更にその先、それぞれ形の違った 灯籠三基


真っ直ぐな街道を東に進むそれにしても立派な大きな旧家が建ち並ぶ街並み

分岐を真っ直ぐ

左角に 浄土真宗本願寺派春光山浄光寺

その先で橋を渡る

橋の手前、川の畔に 灯籠

静かな街道を真っ直ぐ進む 吉川町吉田


犬飼川に架かる吉川橋を渡る、空は澄み渡り最高の街道歩き。犬飼川の右(南)に行けば、総合運動公園が広がる

吉川橋から振り返る


前方に京都縦貫自動車道の高架が見える

高架手前左に 祠

高架手前右に 浄土真宗本願寺派光専寺

高架を潜った右に 愛宕山燈籠

更に真っ直ぐ進んだ右に 蛭子神社



どれだけ続くのかほぼ真っ直ぐの道が続く田園が一面に広がる

国道九号線の新山陰道の余部交差点を越える

余部町上条交差点の先右に 愛宕山燈籠・石仏・道標


余部町中条、この辺りから亀岡城下 天王山長興禅寺

長興禅寺には明智光秀に敗れた、福井因幡守貞正の墓所

余部町下条

右に余部公民館を見て進んでいく余部町古城に入る

余部公民館前に 北村龍象先生講学遺跡の碑

盈科義塾跡


古城に入ると、街道より左に上る階段で一段高い段丘へ 丸岡城跡の碑 がある坂の左は 西岸寺



丸岡城(余部城)城跡
この辺りは、古城と呼ばれる小高い平地で城跡である。現在でも、古城・古城浦・政所などの地名、城跡周辺に寺院などの跡地が点在し、兵庫寺跡・宝藏寺跡・庚申堂跡・城の東麓に元西岸寺が残る。
丸岡城は、十五世紀の応仁・文明の乱の時東軍の軍事的拠点として登場する。戦国時代に入ると、天正年間(1573~92)、八上の波多野氏が丹波を平定し、その傘下にあった福井因幡守貞政がこの城を守っていた。しかし、天正六年六月三日、織田信長の命を受けて丹波に進攻した明智光秀の軍勢が宇津根・雑水川・安行山の三方から丸岡城を攻めて落城。さらに勢いに乗じて八上城も攻め落城させ丹波を手中に治めた。そして、荒塚山に亀山城を築いた。
丸岡城の大手門は、この坂道あたりで天守閣は、西岸寺の辺りとされている。(説明文より)
坂の右には 本門佛立宗宥信寺

坂の左の、丸岡城天守閣辺りと西岸寺



石段を下ったところから振り返る

坂を下っていって右からの道と合流する。坂を下ったところの交差点
左への道が 山陰道 前方の亀岡から来て、この交差点で右に折れる 篠山街道・能勢街道 と分岐する。
篠山街道は湯の山温泉で合流してここまで重複してきた

街道を真っ直ぐ進み曽我谷川に架かる常盤橋を渡る

常盤橋を渡った左側に、山陰道の立札


常盤橋から振り返る

その先を進むと、車道のみゆき通りの交差点に出るので横断真っ直ぐ進む


横断した右に 浄土宗安行山西光寺
天平勝宝元年(749)行基が庵を建立、基行院と称したのが始まり。
その後、治承元年(1177)に藤原成血親や僧俊寛等、後白河院の近臣が平家追討を謀議した事件として知られる鹿ヶ谷事件に関わり死罪となった、藤原師光入道西光法師の遺骨を、後白河院の命により同庵に埋葬し、西光寺として建立して、開山を西光法師とした。


お寺の近くに 石田先生誕生地の碑 石田梅岩心学の教え


その先を進むと403号線の交差点に出て横断小さな川橋を渡った右に

亀岡町道路元標と道標 「すぐ穴太寺」

左が道標、右の小さい方が元標

橋を渡った先の町筋

橋より振り返る

亀岡城址も間もなく

銀札会所跡
江戸時代中頃、亀山藩では松平(杉原)信岑が藩主となったころから、本格的に銀納が導入され、亀山藩にとっても現金収入が不可欠となる。この付近に銀札の取引所である銀札会所があった

その先403号線の交差点に出るので、更に横断して真っ直ぐ進む。交差点を横断した右は、市立図書館

交差点から北町商店街筋を振り返る。北町商店街の石評標


交差点を越えて、右の市立図書館の所で右にカーブしている。
重複してきた 篠山街道 が京都まで続く。

ここで 能勢街道完歩
左の濠端を進み、亀山駅に出る

丹波亀山城跡 宗教法人大本・天恩郷の敷地として城内には入れない

堀跡

堀際の 祠と灯籠


祠の傍の お地蔵さん

亀岡の名木 南郷池畔のエノキ 幹根にある 南郷地蔵


亀山城跡の水をたっぷり溜めた堀堀の外側を、南郷公園として景観を保っている

山陰街道・篠山街道が通り、城下町が広がる、亀山城の南側は、内堀、外堀、惣堀の三重の堀と御土居がめぐり、堅牢な構え。一方、南郷公園の北側の搦め手は、外堀が一重のみとなっていた。これは、有事の際、保津川の流れを堰き止めると、北側の水田は一気に大きな堀となるように考案されているためです。南郷公園は今は、桜を中心にし四季折々の花を楽しむことが出来る都市公園として整備されている。(説明文より)

JR亀岡駅はすぐ北側にありそこから帰宅につく


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