2015年7月12日
朽木保坂~熊川~小浜 完歩
ホホテルを出て近江今津駅前からの小浜行バス(本数少ない)、6時35分発で昨日の若狭街道の保坂の続きへ。
保坂からは快適な旧道を進む、念願の熊川宿を通ることができた。17時過ぎに小浜駅近くについて、大阪難波行高速バス6時02分で帰宅するが、1時間弱時間があるのでバス停傍の喫茶店にて朝コンビニでパンを食べて以来初めての夕食をとる。私は大体昼食はとらずに歩きとおしていることが大半。精々コンビニで何か立ち食いするぐらいです。一旦ゆっくり食事すると後歩くのが余計しんどいから。体に良くないとわかっているのだが少しでも先を進みたくなる悪い習慣です。
時間がなく小浜市街地の史跡を回れなかったのが残念です。自宅には23時着。
7月のやはりこの2日間は疲れた。水だけはどれだけ飲んだか憶えていない。
よほど疲れていたのか、肝心の距離や歩数を測り忘れている残念。
保坂バス停で下りて、昨日歩いた九里半街道を300m程西北に歩く、途中右に保坂郵便局があります。正面のT字路に向かって右から出てくるので、ここ左に下ってきます

昨日の起点です。
若狭街道を歩いてきて、この辻を左へ入る。スタート時間 7時00分 小浜迄結構な距離があります

左に折れた保坂集落への道

少し先で小さな川の橋を渡ります.
保坂は、古代より日本海と畿内を結ぶ輸送路に位置し、室町時代には 関 も置かれていた。湖北の今津から保坂を経由して小浜に向かう旧道が「九里半(約三十八㎞)街道」この時代からよばれていた古道。

橋から左の保坂集落を見る

橋の袂に建つ 道標 「左 志ゅんれいみち 今津海道」 「右 京道 左 わかさ道」


向かって右から若狭街道を歩いてきました、左の道は九里半街道の旧道で、この橋で合流して(あるいは分岐して)、手前の道へと進みます

中の川沿いの保坂集落の旧道を進みますと左にお寺があります。お寺の付近が集落の中心のようです


保坂の集落は中の川に沿って坂に並んで建ち並んでいますが、それほど戸数は多くない、でも歴史を感じさせます


中の川沿いを上っていくと集落も北の端となり左に祠があります

祠 の中に地蔵さんが綺麗に祀られています

祠の前の街道から振り返るとその情景は、山と山の間を中の川が流れ、それに沿って長い坂道が続き、その両側に民家が建っているという保坂の集落、長きにわたり旅人の歴史を見てきたと思うと感無量である

民家も無くなりかなり上ってきた旧道、すぐ右の高台を新道が通っている

やがて右に中の川に架かる小さな橋を渡ります。かつては旧道が真っ直ぐ中の川に沿って樹林の間を上っていたのだろうが、この先旧道は消失しています

橋を渡り右に坂を上ります、旧道は消失しているので新道にしているので

川から右に坂を上る途中左に村の鎮守社 弁天宮 集落の人々には「小宮さん」と呼ばれている

境内の 灯籠 は天保二年(1831)刻む

弁天宮の横の細い道を上ると新道に出ます


新道に出て峠に向かいます

気持ち良い快適な坂道を上っていきます、車も殆んど出会いません

坂を上っていくと左に説明板立っていますので、左の細い急な坂を下ってみます


人一人通れるかという細い道に注意しながら進み、中の川まで下るようです

下まで降りると中の川に小さな橋が架かり対岸に鳥居が見えます 金比羅宮と庚申塚灯籠が二基 は文政五年(1822)の銘

保坂は、室町時代の後半から江戸時代にかけて、九里半街道と若狭(鯖)街道の合流点として繁栄してきた。2つの街道は中の川に沿って、弁天宮、金毘羅宮、庚申塚、水坂峠と進み、山中の関を抜けて若狭国に達していた。
金比羅宮から150mほど上流に、庚申塚があり、塚石の隣には、七庚申の年ごと立て替えられる供養塔がある。供養塔の基部には街道のヤスミトがあり、旅人が一息ついた、腰掛け石が今も残っている。 (説明板文より)
この街道を想像してみると、保坂集落から中の川に沿って上ってきて、右に弁天宮のところで旧道は消失していたので、右上の新道に出たが、やはりそのまま中の川に沿って上流の進んでて、ここの金比羅宮に旧道は通じていたことが容易に想像できる。
さらにここから上流は、今下りてきた新道に出るのでなく、おそらく中の川沿いに上る道があると思うので、勇気を出して左に金毘羅宮を見て、横の草道を進んでみる。

草が茂り脛辺りまであるが、かすかに道らしき残骸が残っている


数十m左に上っていくと、農道のような道に出ました、旧道かどうか分かりません。とにかくこの先の水坂峠に向かって進みます。右下は中の川、その対岸に新道が見えます

その先から振り返ったところです。今歩いている道はよく見るとやはり山道のようです、先で右に上がっています、旧道は川に沿って左に下っていて、金毘羅宮に出ていたようです。おそらく旧道は消失しているが微かに山道に沿ってあったような形跡が見えます。あくまで私個人の創造です。間違っていたらすみません。

中の川に沿って上ってきましたが、残念ながら庚申塚は見つけられなかったが少し検証ができたので満足。
でもこの先、峠への道は消失しているので元の道まで戻ります。おそらくこのまま真っ直ぐ山を上り、水坂峠に出ていたのだろうと思う

もとの案内板があった現在の若狭街道に戻り坂を上ります。左下に金比羅宮が見えます。でも今資料を整備しながら思っています、一人でよく歩けたと、7月であり、この辺りには熊も出るだろうしマムシも山ヒル、ハチもいるだろう環境の中と思うと少し背筋が寒くなる。

坂を上って進みます、まもなく峠につきますが、この辺り左に旧道が合流してきていたのだろうと想像します

峠はまもなくです

水坂峠 に着きました、舗装もされ道幅も広い快適な峠道

峠より下っていきます

街道の名残の石垣跡が残っています

右(東)にカーブして左が開ける

丁度、303号線の水坂トンネル口の上になり、左下に道路が見える。この先トンネル上を越えて左にカーブしながら下ります


左にカーブしながら下っていくところを下から振り返る

左後方には水坂トンネルを抜けてきた303号線


303号線に合流する手前右に、かつての旧道への道のようなので右へ入ってみます

左下に303号線を見ながら進みますが、人も通らないのでかなり荒れています、果たして下まで歩けるか疑問ですが、やはり途中まで行ったが消失していましたので、もとの合流点まで戻りました。でも303号線以前はこの道であったことは間違いないと思います。川沿いを新道を開削したようです。きょうは旧道見つけて進んで消失また戻るの繰り返しです

舗道を下っていきますが、右少し上に今は消失した旧道跡の痕跡が残ります

その先下っていった右に、旧道が出てきていたようです

諦めの悪い私のこと、少し逆に入っていきましたが、やはり途中で道は消失というより、藪や倒木で通れなくなっているのが本当です

303号線を上がってきたところを戻らず、旧道が残っていたのでその道を下りました

右にカーブしながら下ると、その先で左に大きくカーブして、やがて左の303号線に合流するようです

しかしやがて左にカーブするところで、道が怪しくなってきた、草が生い茂り、そのうえ湿地帯です


この谷を右から大きくカーブを描いて、対岸で左の303号線に出ているのが見えます

対対岸に見えていた旧道跡を入りました、少し先で谷を右に見て、右にカーブした先でやはり道は完全に藪や草におおわれて歩けません

冬場ならわかりませんが、今のこの時期はこれ以上無理です。距離にして少しの区間だと思いますが、満足しました。(資料にはすでに旧道は消えている)。この道をゆっくり探索しながら歩く場合は雪のない冬場から春先ですね

旧道の延長と思われる道が、すぐ303号線を右に分け、左に入る細い道があります。かつての杉山集落への入り口です

杉山集落の民家が見えてきました

左に 石仏 が並んでいます

そのすぐ先で小さな橋を渡る、かつては40数軒もの旅籠が並んでいたというが、今はその当時の面影はない

右の川の袂、石垣の上に沢山の 石仏 が並んでいる。かつての集落跡が偲ぶことができる

茅葺の家は住人はいないようで、数軒建物があるが空き家が多く人影がないです

街道歩きで人里離れた風景の中でよく見かける情景ですが、時代の流れといってもいかにも寂しいですね
かやの材料も少なくなるし、かけ替えの人でもなく、費用、それなら町へと時代ですね

でもいろいろな喧騒から逃れた素晴らしい街道歩きならではのこと



杉山集落を抜けると、右からの303号線が合流します

暫く303号線を進みます

右にGSがあります

その先左に砕石場があります303号線を進みます

寒風トンネル入り口手前右に武奈ヶ嶽(標高865m)登山口の表示案内が立っています


前方に寒風トンネルが見えてきました

トンネル入り口手前左に旧道があるのですが、通行止めになっています

その先を見ると荒れているが、旧道跡が残っていますので入ってみます。がけ崩れなどがあったようです


左の川に道が大きく削られていますが、旧道が残っているので歩けます



かなり進んできたところでがけ崩れのため完全に道は無くなって、左の川にそのまま崩れています。十分確認もできたし、これ以上は危険なので元に戻ります

元に戻り、寒風トンネルを抜けます、やや広い歩道がついているので注意しながら抜けました


トンネルを抜けた先で、今度は反対側から旧道を確認のため入りました、しぶといですね。
当然ここの入り口もガードレールで通行止めにしています

左に川の谷に沿って進みます、長らく放置されているようで、もとの旧道の3分の2は崩れたりしています

川に架かる廃道の寒風橋もこのような情景です

注意しながら橋を渡った先で、道は完全に崩れて通れません、先ほどの歩いてきた先が少し前方に見えます

ここで引き返します、でも少しの短い区間を除き、旧道を歩いたようなもので大満足です。
でもおそらくそう長い先でない間にこの道も完全に無くなってしまいそうです。
元に戻り寒風橋を渡ります

橋からの景色、良い天気だからここまでこれたが雨とか、その後は危険ですからお勧めできません

橋からの景色です

鯖街道は江戸時代の最盛期には1日約1000頭もの牛馬が行き交ったといわれている。この道も今は廃道化されているが歴史の道の残骸と思うと感慨深い。
元に復旧はしなくても、地道でいいから細い道で残せるものなら改修して残してほしい旧道です。
トンネルを抜けて少し進むと

右に入る旧道があります大杉集落へ

数軒の大杉集落があります



一ノ井堰建設記念碑 が建っています

福井県です

左に石仏が祀られた 祠

旧道の集落を振り返る

再び左からの303号線に合流します

合流してから150m程で熊川宿の入り口に入ります宿入り口で道が3つに分岐します。真っ直ぐの道は303号線で左の道も新道です。その間の旧道を進みます

旧道に入ると、右に 若狭熊川宿道の駅 があります

熊川宿
熊川宿の東の入り口には道の駅「若狭熊川宿」があり、宿場町は長く「上ノ町」「中ノ町」「下ノ町」に分かれ、街並みの特徴は街道に面した建物が、それぞれ多様な形式で建ち並びそれがうまく街道風景をかもしだしている。熊川は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、見ごたえのある宿場であるからの楽しみの一つでもあった。
宿は豊臣秀吉の時代、若狭の領主であった浅野長政が、天正17年(1589)に交通・軍事面で重要な地であるところから宿場町を形成しました。
道の駅を右に見て宿内に入っていきます

宿場内には電柱線も埋められています

熊川番所跡
入り鉄砲に出女の統制と物資の課税が行われていた番所が復元されました。明治三年まで機能していた小浜に四里の新しい 道標 がたつ


すこし進んだ左奥に 権現神社 上ノ町にある、火防・水雨神社

宿内を流れる川は平成の名水百選に選ばれている 前川 です

宿内の通り右にびっくりするような 大岩(子守り岩) 子供たちがよく遊んだ岩で、けがをしたことがないそうです

街並みを維持していくのは町ぐるみで大変な努力をされているのでしょう。有難いですね


上ノ町から中ノ町を結ぶ重要な、河内川に架かる中条橋を渡ると左に 旧逸見兵衛勘兵衛家住宅 伊藤忠商事の社長になった伊藤竹之助の生家で、熊川を代表する町屋の一つ

左奥に 宿場館(若狭鯖街道資料館)昭和15年 伊藤竹之助翁が熊川村役場として建てた、平成10年に歴史資料館として生まれ変わった


宿場館のすぐ先左に 熊川陣屋跡


陣屋跡の前、街道を挟んで向かい右の路地を 長屋道 という街道から国道を出るまでの路地を長屋道といわれていた。この路地の奥に 町奉行配下のの足軽長屋 があったことからこの名がついた


旧問屋の菱屋(勢馬清兵衛家)屋号を「ひしや」といい繁盛した、
宿場の町役人として藩の御用や町の自治にも貢献した問屋

街道沿いに泣かれる前川 この用水路は天正年間、熊川宿が設けられた頃に造られたもので、四百年来区民にとって恩恵と愛着の深い用水路。今も綺麗な水が流れている

そのすぐ先左に 浄土真宗清成山覚成寺


続いて左に 白石神社の参道に鳥居 が建っています、長い参道を入ってみます




白石神社 熊川地区の氏神


街道に戻り少し進むと右に路地があります
御蔵道 江戸時代の初期、陸路と共に小浜から熊川まで北側を川舟で荷物の運送をしていた時期、この路地のおくの舟着場から松木神社の境内にあった蔵屋敷までの重要な道路であった

路地を入っていくと303号線に出ます、その横断したところの 舟着場。遺構は何もない

御蔵道を戻り街道左側には 浄土真宗本願寺派庵谷山得法寺 門前に蓮如上人潘蹟地の碑


北条義時の子、比叡山西塔慈円房須智が嘉禄二年(1226)阿弥陀仏を本尊として庵を結んだのが始まりと伝わる。本堂は宝暦六年(1756)改築。
境内に元亀元年(1570)四月、織田信長に従い、朝倉氏との戦いの時、当寺に宿泊したと伝わる、その時、家康は境内の松の木に腰を掛けたという枯れた幹の「腰かけ松の跡」が残っている。また、沼田氏の供養塔、当寺の墓地に室町時代末に建てられたと思われる、熊川城主の沼田氏の層塔があります。(説明文より)

蓮如上人と船路の名号
上人は、文明七年(1475)八月越前吉崎坊を退去され、海路小浜に向かわれたが、途中大しけに遭遇したが無事小浜につき、小浜滞在中、熊川にも数日寄られ当寺に逗留した、その際、この名号を賜り、当寺は天台宗より浄土宗に改宗した。「船路の名号」と名付けられ、当寺に保存されている

熊川城主沼田氏の供養塔


御蔵道に入る辻の旧家

宿の街並みを進む

さらにすぐ先左に松木神社の参道がある

松木神社
江戸時代初期、厳しい年貢の取り立てに苦しむ農民の代表として、領主に一命を捨てて直訴した松木庄左衛門を祀る神社


直訴する若狭の義民 松木庄左衛門の像近くに義民館がある

この神社の辺りに 小浜藩の御蔵屋敷 があったという。神社からの熊川宿と御蔵屋敷跡


小浜藩の上中郡四十三ヶ村、三方郡十八ヶ村の年貢米三万俵を収納するための土蔵十二棟を建設、二人の蔵奉行が常駐した。この蔵米は背負人夫により木津(高島市)より船で大津へ送られた。蔵跡が松木神社の境内地となっている

街道に戻った左に熊川郵便局の前の宿の街並み。郵便局の向かいには
荻野家屋号「倉見屋」住宅(国重文)
熊川宿内の町家で最も古い、人馬の継ぎ立てなどを担っていた。問屋としての形式がよく残っている。表には2ヶ所馬繋ぎ環がついています。主屋は文化八年(1811)の建築で熊川では最も古い

その先、右の交番のところで303号線の交差点に接近するが、左に折れる

この辻は 「まがり」 と呼ばれる鍵の辻で、左に曲り右に折れている宿場や城下町の防護用の辻
ここより下ノ町に入る




下ノ町に入ると、道の駅からも遠くなるので人通りも少なく寂しくなる

宿場の西の背後に 熊川城の山城址

素晴らしいタイムスリップしたような宿場風景



下ノ町の左の山の中腹にある 西山稲荷神社 伏見のお稲荷さんを勧請したといわれ創建は江戸中期

街道に戻りその先左に 孝子与七の碑



すぐ先で右からの303号線に合流して、宿を出ます、1300m程の長い宿場の街並み、合流するところを振り返る
蕪村の詠んだ 夏山や 通ひなれたる 若狭人

合流した辻に碑が建つ、合流した北側に北川に架かる新道大橋を渡ると、義民の里 新造区の碑 京まで十六里


松木庄左衛門生誕地の碑 十六歳で嘆願九年、投獄数年、二十八歳にて磔刑になったとは驚きに耐えない



ここで少し【寄り道】をして新道大橋を渡り北の集落に行ってみます
新堂口バス停の所を右に北川を渡ります、この先の左の風景

300m程言った新堂集落内にある 浄土真宗永平山宣覚寺

お寺の南側の角に 松木家跡(庄左エ門生誕地)


新堂口の街道に戻り西に進みます

250m程進むと道が分岐、右の道を進み国道と並行する

右、新堂集落内の立派な民家の角に 祠

気持ち良い短いが集落内の旧道を進む

左に 灯籠 があるところで左からの303号線に合流

合流した先から集落を振り返る

303号線沿い右に一本、街道名残松のように立っている

このような看板が出てきた

只今の気温 30度 11時30分暑い

瓜生口バス停があり、新迫緑地公園角信号交差点を横断します

交差点から200m程進むと右の駐車場のところで左に入る旧道があります

左の旧道

150m程先で小さな川の橋を渡ります

左の山裾沿いには獣除けの金網がしっかりされています

右は遮るもののない広々と遠くまで見渡せます


車も通らないしのんびりと景色を楽しみんながら歩きます

左に軍人の立派な顕彰碑


続いて左に 祠

仮屋集落に入ります

集落内を進んでいきます


左角に 祠


左に道なりに進むと、右に折れていけば303号線で途中に仮屋集落開発センターがある若王子地区に入る

すぐ左に 石仏 が多数並ぶ

石仏のすぐ先で少し右にカーブ



しょうづ川に架かる清水川橋を渡ります

若王子集落の静かな街道

右に 信主神社



すぐ先十字路手前左に 道標 「すくちくふ志満道 右 村道 左 吉田」 文久二年(1862)の銘

十字路を越えた左角に大きな 常夜灯

街道沿いに 護国塔とお堂

右に バレア若狭

左に かみなか農村運動公園テニスコートが見えます

左T字路を真っ直ぐ進みます

右に町役場上中庁舎を見て過ぎたところから振り返る

すぐ先で左T字路に出ます、右の広い道路を見るとその先に303号線が終わり上中からは27号線となる、突当りがJR小浜線の上中駅が見えます

すぐ先左に 毘沙門天

祠や地蔵 が祀られている


暫く歩いた右の大木の袂に 祠

熊野神社
街道を挟んだ左側に熊野神社の長い参道715年紀ノ國より勧請され、正保三年(1646)小浜藩主酒井忠勝より社殿の寄進を受けたと伝わる



街道を進みます

左に 祠

続いて左に三宅小学校


小学校のすぐ先左にも小さな 祠

右からの27号線が接近したところで、左から右にカーブして27号線の天徳寺交差点を横断して北側に出ますこの27号線が敦賀から宮津までの 丹後街道 で、ここで合流して小浜の市街地迄暫く重複します

横断した旧道

十善の森古墳 があります 古墳時代後期の前方後円墳で全長67m

少し進むと瓜破の滝の案内表示が立つ、ここで左に【寄り道】をします

左に折れて400m程南に進むと 高野山真言宗宝篋山天徳寺 1300年ほど前の養老年間に泰澄大師の開基と伝わり、平安時代の村上天皇の勅願寺の名刹

本尊は 馬頭観世音 境内には江戸初期作庭の方丈庭園がある




四国八十八ヵ所石仏霊場があり、文化年間(1804~1818)に佐渡でつくられた、88体の石仏が祀られている


さらに坂を上っていくと 名勝水の森瓜割の滝 があります



もとの街道に戻り進むと、天徳寺川に架かる小さな橋を渡ります

集落を抜けて進と、左に27号線が並行します

やがて左の27号線に合流して少し重複して歩きます

左の高台に 祠 が鎮座しています、国道が改修されて移動したのでしょう


その先で分岐します、27号線は真っ直ぐ、旧道は左斜めに入ります

旧道の道を入ったところ


大きな民家があります


左T字路の所左に 道標 「曹福寺・・・・」

左に 曹洞宗曹福寺


石造九重塔婆 南北朝時代の応安の一揆、犠牲者の供養塔と伝わる


27号線と並行した側道を進みます

やがて27号線を左に分け、右の白い建物の右側を進む


右にJR小浜線が接近

その接近したところ、右は第一日笠踏切、振り返ったところ、線路沿いに来た

旧道右に 道標 「右 志ゆん蓮以みち 左 北國ゑちせん道」文化十三年(1816)の銘

左にカーブして27号線に接近、並行して右にカーブします

再び27号線を左に分け、旧道右に進む

右線路の向こう側に大きな碑が建っているが何かわからない

日笠集落を進んでいきます

振り返った景色


右線路の向こう側に

大きな 義民松木長操遺跡の碑 が建っています。前述の熊川宿の義民の話です、ここにも遺跡があります。凄いですね

右を見ながら集落をすこし進むと右に案内板の表示が立っています。線路を潜りそのお先右に行けば碑に出ます

熊川宿で説明をしていますので省略しますが、若干16歳の若き庄屋が農民を救済しようと、9年も嘆願を続け、願いを聞き届けられる変わり磔刑に処せられた凄い精神力だと思う。慶安五年(1652)の処刑はあの碑の辺りで行われたと伝わる。知らない隠れた哀しい話が沢山あるのだ、でも若い。

日笠集落内の小さな川の橋を渡ります



下船塚古墳(国指定史跡)
街道を挟んで右(北)に下船塚古墳と左(南)に上船塚古墳があります。下船塚古墳は全長八十mの前方後円墳6世紀中ごろの築造と推定されている


長閑な旧道をさらに進んでいきます

小浜市に入りました

街道右奥の森に鳥居が見えます 白鬚古墳と白髭神社

古墳の上に建つ神社古墳は前方後円墳で全長60m


旧道を進んでいきますと、左に新平野郵便局があります

すぐ先右の十字路で右に折れて100m程の所に質素なJRお小浜線の新平野駅があります

郵便局から300m程進むとT字路の車道に出ます

T字路を左に数十mで27号線の信号平野交差点のT字路を右に折れます

27号線を100m余り重複して進むと

右斜めに入る旧道と分岐しますので右に進む

平野地区の旧道を進む

旧道を入って400m余り進むと、左からの27号線に合流するが、すぐ先の大興寺信号交差点で分岐した旧道を左に進みます


旧道を左に折れたすぐ左に 栄松寺とその門前に鳥居とお堂

松永小学校発祥の地
明治六年(1873)九月二十七日、ここ 栄松寺 を借りて松永地区八カ村の公立学校として松永小学校の前身である啓心校が発足しました。明治十四年独自の校舎が建設されるまでの八年間、子供たちの学びの舎でした。(説明文より)

すぐ先左に大興寺ふれあい会館のところを左に少し入ると

日枝神社の鳥居があります
日枝神社


境内の広場でゲートボールを楽しんでいます。かつては 大伽藍の大興寺 があったそうですが、今は廃寺跡となり礎石が残り手洗い場に使っている

暫く進むと車道の交差点を越えます、この辺り江戸時代は松永地区の市場


交差点を越えて松永の集落を抜けていきます

左に本屋根瓦の 地蔵堂

松永川に架かる東市場橋を渡ります

橋を渡った右大木の袂に沢山の 石仏 が並んでいる

その先左に 鳥居とお堂

街道を150m程先左に 地蔵さん

暫く町筋を進みます

十字路手前左に沢山の小さな 石仏 が斜面に並んでいます

十字路を右に折れて27号線を越えて進んでいくと「若狭国分寺」がありました、残念ながら見落としました。県下最大の釈迦如来坐像が祀られているようです
街道を進みます、遠敷川の手前右に 地蔵堂と経堂 が並んでいます。経堂には元国分寺の大般若経、六百巻が収納されています


お堂の隣に 祠

遠敷川に架かる遠敷橋

橋より今歩いてきた街道を振り返る

橋より右(北)側の景色

橋より左(南)の景色

橋より先の街道を進みます

100m程先左に 若狭彦神社・若狭姫神社の一の鳥居 が立っています

ここで【寄り道】 鳥居を潜り参道を進みます


突き当たると 若狭姫神社 境内入り口から見返りの鳥居を潜り

随身門

拝殿


御神木の千年杉上社、下社からなり上社を「若狭彦神社」でここから南に1.5㎞のところにある。上社迄少し離れているので寄れなかった

この辺りには「ふくい伝統的民家」が残る


左に 妙行寺

左にカーブした先で交差点に出ます

交差点を横断します

交差点を左に曲り進む道は、針畑越えで京都鞍馬への鞍馬街道 鯖街道の一つ道 であったようで

交差点右への道をすこし進むと27号線の東小浜駅口交差点に出ます

交差点から街道を振り返る

街道地図



遠敷は、昭和26年まで遠敷村とあいて若狭の中心として栄えた。交通の要衝として若狭街道、北陸と丹後を結ぶ丹後街道が通り、市が開かれ賑わった街でした。
この集落の街道筋にも「ふくい伝統的民家」が数軒残っています

街道風景の残る街並みを進んでいきます

見飽きない雰囲気

小さな川の橋を渡る手前左に神通寺への参道の入り口があります

神通寺参道、150m程、川に沿って山手に歩いて寄ってみます

参道より少し東側になるが 天龍神社

龍雲山神通寺
和銅年間に僧行基が開き、延暦年間に空海が創建したと伝わる古刹

内藤下総守の菩提寺であった

橋を渡って進んでいきます

橋より100m程先右に 二つ祠

緩やかな坂ですが 検見坂 と呼ばれていました

大きく右にカーブする左に

その先民家の軒に 祠 この検見坂の区間に多くの祠があります

更に左に 祠

右からの27号線が接近しますが、合流せず道なりに左へ平行して進む27号線の検見坂交差点が右に


左の斜面に 祠

220m程先で右からの27号線に合流します

真っ直ぐの27号線(現在の道路地図名は丹後街道)

前方に舞鶴若狭自動車道の高架が見える手前に木崎交差点があります、その数十m先で川沿いに左に折れる道があります


多田薬師の表示があり、左に折れていくと 多田神社 があります

そのそばに立つ 道標 「多田薬師如来 是ヨリ八丁 新四国八十八番」と刻む、時間的に無理なので寄りませんでした

高速道の高架を潜り、すぐ先の小浜IC口の交差点を横断します

道路は広くなり多田川に架かる橋を渡ります

27号線を200m程進んだ交差点を左に折れます

左に折れて旧道を進みます


十字路を右に折れて110m程進むと、突当り左に折れます

左に折れて50m程進んだ先の変則十字路を右鋭角に折れて、堤防道に出ます。かつてはこの辺りに南川を渡る 渡し跡があったようです。

右鋭角に折れた堤防上への道、50m程で堤防に上がります

堤防上の道も良い道です、前方に27号線の湯岡橋が見えます、この左は南川です。南川に沿って反対(南西)に進む道は、堀越街道~堀越峠=周山街道に繋ぎ、美山、周山から京都市御室に至る古道 でいくつもの峠を越える厳しい道で、かつての鯖街道の一つでもあった

南川に架かる湯岡橋を渡ります

湯岡橋より左の南川に沿って進む堀越街道を見る

橋を渡り左に折れて堤防を南西進みます

100m余り進んだところで堤防より右に下る旧道があります。対岸よりこの辺りに川を渡っていたのでないかと想像します

南川の対岸を望む、渡し跡 を想像します

堤防を下り西に進む湯岡の集落

200m程進んだ先、左に湯岡会館があります

さらに100m程先で右からの27号線より分岐してきた道が合流してきます

すぐ先右に 熊野神社 左に大きな 常夜灯



この辺りは小浜市街中心地の南に当たり、北側には27号線、さらに北側にはJR小浜線で小浜駅もすぐです。伏原地区です

左に 祠


祠より150m程先で27号線に接近した呂頃で左に折れます

左に折れて200m程先での突当りを右に折れます

右に折れた旧道

右に折れて150m程先で27号線の交差点に出ますので横断します

27号線の交差点に出て、左の後瀬山トンネル側を見る(27号線の新丹後街道).

27号線の交差点を横断して北西に進みます。右300mほどで小浜駅です

交差点のすぐ先左に 霊松山発心寺の石柱 が立っている発心寺まではここから左後方に400m程ありよれません

青井地区を進んでいきます

その先進むと左に 心光寺 があります 藩主酒井忠勝の室心光院の菩提所

JR小浜線の踏切を越えます、小浜大宮地区に入ります

右に 浄土真宗本願寺派立光寺

その北側隣に 連興寺
門前に 蓮如上人御建立地の石碑が立っている。文明年間(1469~1487)に蓮如が創建したと伝わる


西側の旧道に戻るとすぐT字路に突き当たります。街道は右の城下町に入りますが、この左右の道は 丹後街道 で敦賀~宮津までの街道です

角に 後瀬山歴史街道の標柱 が立っています

T字路の西側には 誓願寺


更にその西には 八幡神社



八幡神社の北側で 丹後街道 は北西に折れてます、その角に「こころ」という旧家のお店があります。
ここよりもう少し西に行ったところに 空印寺 がありますが時間的に寄れなく残念。
空印寺境内には 小浜藩主酒井家の墓所 や ハ百比丘尼の洞窟 があるそうです

T字路の戻り右に折れてすぐ先で広い道路の交差点を横断します

小浜神田の町並みを進む

T字路より200m程先で右奥に 本境寺 境内に廻船問屋の豪商組屋六郎左衛門家歴代の墓所があるという。

その先真っ直ぐ進むと、右の小浜駅からの道路に出ました


街道起点ではないようですが、このごく近くにあることは間違いないが、起点には、鯖街道資料館があり、「いづみ町商店街」のアーケードの中の路面に「さば街道起点」の碑 があるそうですが。バスの帰宅の時間もあり確認できませんでした。ここで完歩とします。
駅方向にアーケードを進みます



JR小浜駅に着きました 時刻は17時20分 駅前から高速バスで大坂へ

若狭(鯖)街道 完歩


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