2014年1月13日
妙見口駅~妙見ケーブル黒川駅~新滝道~妙見山上~本瀧道~今谷道~妙見奥の院~真如寺~能勢口駅
自宅4時40分にでて阪急梅田駅から能勢電鉄で能勢妙見口駅へ、
暫く、能勢街道と重複しながら、妙見ケーブル黒川駅まで歩く。
新滝道は約3.6㎞の山上までは他のコースに比べ最短距離。修行者の滝やかつての表参道であった名残の丁石が見られる。黒川ケーブル駅の右側を山道に登っていく、妙見山山上駐車場までは急な登り道ばかりであったが、旧表参道というだけあって快適な旧道であった。登ってしまっても疲れたという気がしない。残念なことに、この旧道を歩く人が少なくなったそうだ、今回も誰も会うことはなかった。
一般的には先日下った、上杉尾根道コースで登るらしい。
本日は新滝道に引き続き、本瀧道、今谷道と歩く
妙見口駅 7時40分 スタート
山上駐車場 8時55分 到着
6.279歩 3.76㎞
妙見口駅
何度も来るのでパンフレットには、大正12年の開通時に、能勢妙見宮の入り口であるところから「妙見」と名付けられたが、駅で参拝者が降りられても妙見宮まで相当の距離があることから、昭和40年に「妙見口」に改称された。
妙見口駅より北に、上杉尾根道を下ってきた道の反対に進みます、この旧道は能勢街道で暫く重複して進むと、前に上杉尾根道の降りてきた交差点で右からの417号線に合流し左に折れます

交差点のある標示

左に曲がると、右は池で100mほど先右手に鳥居が見える新滝道の旧道参詣口道はここであった、鳥居から左にカーブしています、

新滝道の妙見山鳥居と道標
この鳥居の池を挟んだ右手にも同じように鳥居があり上杉尾根道の参詣道だろう、この鳥居は新滝道の入口であった、ここから山に入りケーブル駅の右に出ていたようだ。
少し上まで入って行ったが、よく参道道がわからず諦めましたが、冬場だったのでもう少し調査すれば抜けれたかもしれないと後で思いました。
安全のため黒川ケーブル駅に回りました。

「御山二十一丁の道標」

新滝道は鳥居より200mほど下ったところで、黒川ケーブル駅が右にそこを右へ折れる、結構広い道となっている、ここで能勢街道は真直ぐ進みます

黒川駅ケーブルへの曲がり角、先の道は能勢街道

妙見ケーブル黒川駅
妙見ケーブルは、1925年に妙見鋼索鉄道として開業した。開業当初は上部線と下部線が存在し、黒川駅は下部線の瀧谷駅という名前であったが、しかし、1944年に一度廃止され、1960年に下部線のみが再開業された際、駅名が黒川駅に変更された。上部線は同年、リフトとなって開業されている。能勢妙見山への参拝客にとっては貴重な足となっている。

これから歩く、表参道であった新滝道は、ケーブルや車で山頂までいけるため、歩いて登る人は少ない。
妙見山のブナ林
日本の西南地方のブナ林は、通常1000m以上の山に生育しているが、妙見山のブナ林は660mと比較的低い山に生育していることから、貴重とされている。また幹回り2m以上のものが約100本もある。妙見山頂から西南の斜面にかけて観察することができる。大阪府の天然記念物に指定されている。
台場クヌギ(ケーブル線と新滝道の間に台場クヌギの小径がある)
北摂地域では、クヌギを地上1~2mのところで伐って新しい幹を仕立てる「台場」という独特の方法が見られる。台場クヌギは多くの昆虫のすみかになることが知られており、オオクワガタなどの大型昆虫は台場のなかで暮らしやすいと言われている。
またこの台場クヌギの森は、7割以上がクヌギ・コナラ林で、かつては、シイタケほだ木や、炭の生産林として活用された。周辺では、現在も池田炭(菊炭)と呼ばれる高級な茶道用の炭の生産が行われている。 (案内板より)
ケーブル駅の右の道を進む

登山口左に日本建ての立派な民家の横を登っていく。これからは山頂までの間、登り坂ばかりである。
この辺りに右から前述の鳥居の旧道が出てきていが、よくわからない

小川を渡り緩やかな坂を登る

大きな 妙見大菩薩の石碑・鳥居・燈籠2基 がどっしりと待ち構えている。さすが参道らしい。


右に谷川に沿って上っていくが、所々、石垣が積まれていて、往時の面影を残している

石垣の袂に 十七丁石 下の国道沿いの鳥居の下に二十一丁石があり、参道に何か所か丁石が残っている

古い参道だけあって沢山の 地蔵や石仏 が並んでいる。


この辺りはまだ道はコンクリートが敷かれているので歩きやすい


十六丁石



かなり登ってきた、右手に神社が見えてくる

右手に 白瀧稲荷神社





神社を抜けていきます

神社の近く旧道沿い右手に 長吉大明神


旧道を挟んだ向かい、左崖の上にも神社が祀られている、今にも崩れそうな急な階段を登る
何れも説明ができないが、歴史を感じさせる石造り物ばかり




再び山に入っていく、旧道は平坦な所はなく登りばかり、道はコンクリートでなくなり石玉の道に変わる


右側上に 修行場 が見えてくる





修行場の傍の 鳥居、参道は一気に様変わり、ごろ石が並ぶ道を登る

さらに谷川を右に登っていく、人とも全く合わなく一人舞台で気持ちがよい

道は石で少し歩きにくい、石垣の跡もあり、昔は建物でもあったのだろう



かなり上まで来たようだ


何丁石かわからないが、倒れたまま

石組みの階段を上ります

六丁石


石段を登り切ったところから下を見る


もう頂上が近い、谷川の水も少ない


またも石段、かつては下から石段を敷いていたのかな

頂上まで300mの案内


三丁石


頂上まで最終の 鳥居 か建っています

やっと山上駐車場が見えてきた

二丁石

最終の石段をあがると駐車場

一丁石

山上駐車場から石段下を振り返る


登ってきたところと山上駐車場

表参道入口鳥居

妙見山本殿への石段

石段を上がりきると 星嶺 横を通って展望台から山門へ

大きな常夜灯と山門


山門

展望台からの素晴らしい景色


経堂・絵馬堂


読経堂

開運殿(本殿)

絵馬堂

石段を下り前回登ってきた、清滝道起点(終点)との合流点へ雪のあとで滑るので注意が必要

石段を降りたところの右手に お堂

新滝道終点(起点)

清滝道との合流点

合流点から本殿への石畳み

新滝道 完歩
引き続き 本瀧道を下る
妙見山・本瀧道
2014年1月13日
新滝道に引き続き、奥の院に行くのに本瀧道を進む。山頂の新滝道・清滝道の辻からスタート
山上 9時25分 スタート
本瀧道完歩 10時35分
7.143歩 4.28㎞
山上より下りばかりだが、ブナ林や年輪のある杉等大木が林立している中を下っていく。途中左には料理旅館の建物が朽ち果て廃屋となっている。さらに下ると、「本滝寺」という立派なお寺がある。聞くところによると、このお寺は元、地元の資産家が個人で建てたと茶房のおばさんに聞いた。「表参道」の素晴らしい旧道が残る。本滝道が新道に出たところの茶房でぜんざいを食べる美味しかった。
本滝道 起点
ここは 本滝道・清滝道・新滝道 の起点

スタート地点から石段を下る

石段下る所右にある 道標と町石

道標 「左 京 かめ山、 左そのべ 笹山」
町石 は「妙見山是ヨリ御山迄壱丁」

道標 「左 奥の院迄四拾五町 本滝迄拾丁 神力橋迄拾五丁」

石段の下より振り返る


杉の古木が林立する昼なお薄暗い地道の急坂を下っていく。左側には、杉の巨木に交じって、ブナの巨木もみえる。

ブナは大阪府下では、金剛山・和泉葛城山とここ妙見山の三ケ所しか生育していないので貴重。妙見山は標高660mとその中でも最も低い

つづら折りの道を下っていく


チョット意味が解らない


古道の面影をそのまま残す、素晴らしい道

坂の途中に祀られている 杉森大明神


白龍大神


沢山の 石仏 が並ぶ


途中に「まるや」料理旅館が今にも崩れそうな廃屋となっている、不気味だ、話では当初、茶屋があったらしい、その後、戦前からの建物で、参詣人の多かった昔はよく利用されていたらしい、平成の初めごろまで細々と営業をされていたらしいが、今は見る影もない。


荒れていて建物の前の広場の一角にある 祠 何かどちらも近寄りがたい雰囲気だった。早々に前を通って下る

自然石の石仏 が並ぶ

此処までに、九町、八町、七町の町石 があるはずなのだが見つけられなかった
この辺りに来ると、ますます 自然石の石仏や石碑 が立ち並ぶ



どうしてこのように沢山の石が並ぶのかわからないが、一つ一つそれぞれの磐余があるのだろう



丸木組の階段を下る


先に建物が見えてきた

妙見宮御供水所

ここから水を山頂の妙見宮までお供え水を運んでいたのだろう


正面の暗いところを下ってきた。この前は結構広場になっている

斜面にまだまだ 石仏や碑 が続く


参道を下っていく







やっと本滝寺がみえてきた

本瀧寺
大阪府豊能郡能勢町にある妙見宗総本山仏教寺院。山号は「能勢妙見山」。本瀧寺は妙見山の中腹にあるので、山頂の日蓮宗寺院の能勢妙見堂と同じ一連のお寺と間違われるが、このお寺は天台宗系の妙見宗総本山の寺院である。
749~757年行基菩薩が開山し、後に日乾上人が開基したといわれる。その後、新たに1921年、天台宗修験道の僧侶野間日照上人が古くからの行場である地に寺を建立した。1946年には天台宗から独立し、妙見宗を創立総本山として現在に至る。
立派な寺院で境内も広く信者も多く参詣者も多い。山中にこのような立派なお寺があるとは知らなかったのでびっくり大発見であった。





青銅の竜の口からは湧水が落下している。本瀧寺が建立される以前は、能勢妙見堂への寄進として天保12年に丹波の日の出講の発願で法華経の一字一石が滝壺に埋められるなど行場としての歴史は古い。また瀧周辺には沢山の石仏が祀られている

境内の石段を下っていく

大鳥居 があり左の坂道は墓地へ

鳥居からみる、城壁を思わせるような高い石垣

本瀧寺を後にして、鳥居の前の道を挟んだ向かいの急な階段を下るが。初めは一瞬、ここに旧道があるのかためらった

巨木の中の旧道を真っ直ぐ下っていく


坂を下っていくと、途中に鳥居がある
鳥居の横に 道標 「右 能勢街道、 右 𠮷川街道、左 能勢街道」
野間中にあった街道交差の所の道標を道路改修工事にともないここへ移転したのだろう。

更に鳥居からもう一度急な石段を下る。降りたところから見上げる

沢山の標識があるので間違うことはないが、下りでいいが、逆に登るとすると結構大変です
石段を下りてすぐ前の、谷川のはしを渡る暫く山間の道を進むと


野間川 更に橋を渡り左にカーブ、暫く谷川を左に沿って進む

この辺り 野間峠 の様だが峠の実感がない、すでに険しい旧道を歩いてきたので、何のことはない


やがて、野間峠から車道に出る。車道の向こうに茶屋があったので、休憩がてら“ぜんざい”を食べる

旧道から出て,約200mほど車道を下る

車道から今出てきた旧道を見る

車道を下ると、右手に 奥の院道(今谷道)への鳥居 が現れる。


本瀧道の終点(起点)・今谷道(奥の院道)の起点の鳥居と道標
鳥居の下に残る 道標と町石道標 「是ヨリ左奥ノ院妙見山近道」
町石「従是奥ノ院妙見山へ二十二丁」



本滝道 完歩
引き続き、奥の院への 今谷道 を野間駅まで歩きます
今谷道 妙見宮奥の院への道
2014年1月13日
今谷道の鳥居と道標~奥の院~真如院/持経寺~野間口駅
新滝道、本滝道、を歩いて今谷道(奥の院への道)に進みます。
本滝道の新道に出て、ぜんざいを食べた茶房より、新道を100mほど下ると、右手に鳥居と道標がある、そこから鳥居を潜り山道に入る。この道も素晴らしい旧道だ。途中、奥の院・真如院・持経寺により能勢街道との合流点にて終わる。
12時50分 今谷道 完歩
20.059歩 12.03㎞
能勢街道との合流点、奥の院バス停からはバスが1日数本しかなく、時間もまだ早いので、 妙見口駅まで1時間30分かけて戻る。
妙見口駅 14時25分 着
思ったより早く自宅に着く今日の1日
1日トータル歩数 35.960歩 と少なく疲れた感じが全然ない。
鳥居を潜り細い山道を登っていく

直ぐ左に 自然石の題目石

綺麗に伐採もされ気持ちの良い道、左に能勢の山里の風景が広がり心が和らぐ



いくらでも歩いていたい旧道、独り占めするのがもったいない


谷川を渡る



四辻に出る。右手に道標真っ直ぐ進む

道標「左 奥ノ院道」


四辻を振り返る、正面地道から出てきたところ

すぐ先左に 十七丁石

突当り半鐘のところで右に折れる

左の川の向こう側に 興徳寺


右に折れて50mほど進み、小川を渡る

20mほど緩やかな坂を上ると五ッ辻に出る

五ッ辻を90度右に曲がる。鋭角に右に折れる道があるので注意 野間大原地区

田園の中の道を進む

田園の中、少し左斜めに折れる

更に進むと、四ッ辻を超えて、小川を渡り、山道に入る

少し荒れた部分もあるが、雑木林の中を緩やかにのぼっていく


途中、四ッ辻に出るが真っ直ぐ山道に入る

100mほど進むと右手に 九丁石


すぐ先左に川を堰き止めて造られた溜池今谷池がある

そのすぐさきで、左に建物があり、右への道と、左への道に分かれるが、左の建物の前の広い道を進む


参道は次第に登りがきつくなり、峠への道となる

車も通れるような道である


左に分かれる道があるが、真っ直ぐ進む。その左側に、案内地図があり、道標もある

案内地図と道標

道標 「右 能勢妙見山道」

更に200mほど進んだ、右に 5丁石「是から奥ノ院へ五丁」


途中に柵が設けられている

柵から振り返る、石積みもありかつては参道筋の建物跡か

柵の先少し先に 3丁石 「是ヨリ奥ノ院へ三丁」

小さな 石の祠

更に緩やかに登っていく


「・・・大明神」の 自然石の道標

急な石段を登ると、峠に着く

峠 名は分かりませんが

峠の右に 道標 「右 能勢妙見山道」

峠へ登ってきた道を振り返る、かなりきつい登り坂、でも歩く前に思っていた以上に素晴らしい参道(今谷道)であった

峠の辻は十字路になっています。奥の院へは左に折れます、左に折れたところ右に 道標「左 奥ノ院妙見道」



峠の辻で左に折れず、真っ直ぐ下り進んでいくと、堀越峠(標高385m)から歌垣山へ登る道です

峠の辻を振り返る、左に下るのが、堀越峠へ。右の山道は解らない。
柵の所、右に下るのが参道

峠を左に折れて暫く登る



左が明るく開けていますが急斜面です、右上り口に祠が石段があり、そこが 奥ノ院 です

石段の袂に古びた 祠 が

石碑 も建っている

今登ってきたところ、前は崖

奥ノ院への入り口と右に 題目石

石段を上がると、社務所と住まい

もう一つ石段を登ると本殿 狭い境内には正面に 妙見大菩薩を祀ったお堂 とその後ろに 神馬 が控える

本殿は思ったより、質素で小ぶり

奥ノ院本殿

本殿の裏側を回ると裏山に沢山の 石仏や石碑 が建つ

お堂と題目石と鐘楼


大変静かな神域でした。奥ノ院をお参りし上の石段を見たところ

下の石段を見る、石段を降りたところの平地の道幅は1m余りしかなく、その前は急斜面であり沢山の人では危険だろう。向かって左から登ってきたので、右に下山していく。雑木で前の景色は見えづらい

妙見山を3日間かけて5つの旧道や参道を歩きとおした満足。
石段そばの案内板

今谷道の下山を始める

こちらの参道はスタート地点が少し狭く荒れている感じであったが、大半はよく整備された参道

少し下ったところに 1丁石

尾根道なので鎖が張られていた

でもよく踏み慣らされた参道で歩きやすい

丁石と思うが読めない

丁石の所在も冬場だからわかるが、雑草が茂ってくると解らないだろう


本当によく整備されている、道に間違うこともない。この参道も一人歩きで、この間人と全く合わなかった


つづら折りの道を下る途中左にちいさな 祠

右に鋭角に曲がっています

左に、水行場 が現れた、ほぼ下山したようだ

鳥居に白糸の滝と書かれている


金高龍王

鳥居の奥に白糸の滝があり水行場となっている、タオルが干してあり、今も修行を行っているのだろう

白糸の滝(行場)



行場から少し下っていくと、真如寺、持経寺の立派な伽藍のお寺がある。

真如寺に入る裏境内右手に、七面大天女堂

常富大菩薩



参道沿いに沢山の お堂 が建ち並ぶ


一字一石塔

長い石段を下ると、境内が広くなり、堂塔が並ぶ

鬼子母神

ここにも、金高龍王


かなり古い石鳥居を潜る、今までの境内を七面山というのか、案内がないのでわからないが

大きな 石塔

更に下っていく、大変広い敷地を持つ

真如寺本堂

立派な伽藍が建ち並ぶ

日蓮宗無漏山真如寺
旗本能勢頼次は関ヶ原後旧領に復すると、深く帰依した日乾上人(後、見延山二十一世)を招いて本寺の開山とし、自ら開基となって能勢法華寺院弘・・の基関とした。さらに上人は檀信徒による見延山参詣の困難を憂えて、ここに宗祖日蓮上人の御真骨を分置し、「関西見延」として、宗祖・・霊山とし、もっぱら宗門の興隆につくし、今日に至っている。(案内板より)
真如寺銅鐘 1319年作府指定文化財



表山門

奥之院から下ってきて、裏側から表門に出てきました。参道沿いには沢山の建物や石造り物が並び荘厳でした。
見応えのある立派な名刹

真如寺を出て少し下った所右手に 地蔵さん

鳥居と地蔵

鳥居のバックが奥ノ院の山

真如寺の下った隣に、また立派なお寺がある。
法華宗宝林山持経寺本尊
首題宝塔 当寺の前身は永持庵で、1436年に始まるといい、その後、丸山山麓で智海坊と称していたが、土居ノ内へ移転し、法華宗に改宗して現寺名となる。その後、1667年現在地に移転。

本堂

上から見た境内

下からの本堂と庭、整備も行き届き綺麗です

圭頭題目板碑
お寺の前参道沿いに建つ


お寺を後に少し下っていくと、小さな橋を渡る

橋を渡った左に上地黄集会所の隣に名前が解らないが 神社があります

境内に 燈籠、祠、碑

更に坂を下っていく

途中左に大きな 石碑

信号の交差点に出る手前に、 題目碑


信号交差点、すぐ右に折れると、奥ノ院バス停

登り口に能勢地黄城の幟が沢山立っている


交差点の少し左から、細い地道があるので下っていく(少し解りにくいが参道の延長可)

落ち葉の敷き詰めた道を50mほど行くと

能勢街道 との辻にでて合流。一応ここが 今谷道 の終わりとする

細い道を降りてきた方向を振り返る

能勢街道の北方向 旧家の残る街道風景

能勢街道の南方向

真如寺宝塔・・石柱

妙見山・今谷道 完歩
ここから妙見口駅までのバスが一日数本しかなく非常に不便。どちらにしても時間が早いので妙見口駅まで歩くことにする。約1時間30分の移動。
能勢街道を南方向(能勢妙見口駅)に戻る。 左の山は妙見山 ですよく歩きました(この能勢街道は歩いていますので簡単に詳細は能勢街道を公開したときに参照してください)


山と山の谷間方向の先が駅

国道477号線の 大槌峠

台場クヌギ、台場クヌギは炭焼きの中で生まれた

妙見山へのケーブルが左に見えて来ました

𠮷川旧妙見山道の鳥居(登った参道)
𠮷川集落の中心部から能勢妙見宮までの旧参道は25丁(2.7㎞)である。鳥居はその途中に建てられたものである。ここから急勾配の山道となる。この鳥居の左柱に(表)「大阪開眼講」(裏)「施主伊勢屋利兵衛」、右柱に(表)「奉献」(裏)「百寛政歳舎発丑仲夏吉辰施主堺屋善蔵」と刻まれている。「寛政・・・」は寛政5年(1793年)のことである。右柱の近くの碑は、弘化3年に開講によって石段、敷石が造られたという建設記念碑である。
鳥居の左右3基の燈籠のうち2基は天保4年(1833)、1基は嘉永7(1854)の建立である。2基の燈籠には「世話人𠮷川村津国屋善助」の刻字がある。また、左の池は上杉池といい周囲400mあり、正徳2年(1712)に造立されたといわれている。
今は鳥居の下を通らず、下の比較的いい山道を登り口としている。道理で鳥居周辺は歩いた形跡もなく荒れている

上杉池
新滝道はこの池の向こう側で、上杉尾根道は池の手前側に

少し道をそれて東の山裾の神社へ



𠮷川八幡神社


この後ろの山に 吉川城跡 がある。寄ってみたいがチョット遠いし山道ばかりで少し疲れたので寄りません


能勢妙見口駅到着、能勢妙見山今谷道は終了完歩
妙見山の参道は一応全部歩きました


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