2013年3月10日
余野~亀岡
朝、寝過ごしあわてて自宅5時30分に出る、いつもより1時間遅くなる。千里中央駅からバスで結果このバスの時刻が1番で丁度よかったことになる。約1時間バスに乗り2回目までの余野交差点から亀岡城下まで歩く。
今日はスタートして1時間ほどすると雨が降り出し結構強く降ったがなんとか完歩できた。
亀岡に着いた辺りで雨もやむ。
この街道の一番の見どころであった、明智の戻り岩の渓流沿いの急俊な谷沿い下りの旧道をもう少し楽しみながら歩きたかったが残念ながら雨でゆっくり楽しめなかった。
余野交差点スタート 9時
33.791歩 20.27km 1.521kl
亀岡城跡 3時45分 完歩
亀岡街道も3回目となる、途中、時間交通の都合で1日目は福井街道、2日目は余野街道を折り返し歩いたので、3日目となった。
余野交差点を渡り北西に100m程進むと、余野川に架かる小泉橋を渡ると右にカーブする。左にJA大阪北部豊能

右に折れて北に進む街道左に大きな立派な旧家が建つ

謂れがありそうな重厚な旧家

その先で、余野川に架かる城之越橋を渡る 橋の手前右に 道標

橋の先、切畑口の交差点で左折れして国道423号線を進む

左に余野川が接岸する手前右で、右に入る旧道の道があるのでそこを右に進む

右に

旧道の中、数軒の集落の道を進む

右にヤマザキ電気商会の角で、左からの国道が合流する

ここで疑問を持った、右の国道を進めばなんて言うことは無いのだが、国道を横断して真っ直ぐ進める畦道が付いている、地形的に見てもこの道が旧道でないかと思って、間違っていてもいい、あくまで可能性を捜すのも街道歩き。
100m程先で余野川を渡り旧道は左の山裾を、この先進んでいたのだから正しいと思ったが

畦道に入っていく途中で旧道が分からなく国道に戻ってしまった

国道に戻ったところ

諦めきれなかったが、次歩いた妙見街道でそれがほぼ解明できた(妙見街道参照してください)
国道より左斜め前方向を見る


前方に野間口(妙見口)の交差点が見える、その手前に左へ下る道がある。国道を来てここが旧道という資料もあるが。私はあくまで、先ほどの道と思う。分からない場合はあくまで未知だから自分が納得すれば間違っていてもいい

左の道を下り、その先で余野川に架かる橋を渡る。余野川はここから下流で、すぐ右で、野間口川と宮浦川とが合流して余野川がはじまる

橋を渡り真っ直ぐ民家に向かって進む右の新道は妙見口交差点からの108号線

民家の所から左の余野方向の遠景を振り返る

民家の所で突き当たるので右に折れると、右から前述の妙見口信号交差点からの道のT字路に出るので左へ
民家の所左からくる道が全需との旧道です(旧道が2回歩いたので大体解明できた)

T字路を左に折れて50mほど先で、右に分岐するのが 亀岡街道旧道

108号線より北方向の遠景、右に国道が走る、この先の亀岡街道は左山裾を進む。山間の田園風景が気持ち良い

右に入る分岐辻

分岐する角に大きな 石碑 「瀧本訓導殉職の地」と刻まれている

右に折れて20m程先で、道が再び分岐真っ直ぐの道は、妙見街道の清滝道 でここまで重複してきたが分岐。
亀岡街道は右に折れる

分岐する左に 道標 「右 妙見山 開運講」野間口妙見山道標は文政11年(1828)に京都の開運講によって建てられた。
右に折れる 亀岡街道

妙見街道への道筋

亀岡街道を右に折れてT字路を振り返る

三階建ての民家の角で右に折れる

その先で左にカーブ、田畑の向こうは国道

旧道は宮川に架かる橋を渡り右からの道と合流する、川の東側(左岸)を少し進んですぐまた左に折れて橋を渡る

左に折れて橋を渡り緩やかに坂を上る

坂を上りながら右に大きくカーブして、山裾の道を進む



蛇行しながら右にカーブしながら下っていくと、再び宮川に架かる橋を渡る

田畑の広がる道を進んでいきます

長閑です


左山裾に 大歳神社


その前の土手に小さな お地蔵さん

鳥居の向こうに二本の大木の間に、不気味にひかる、その先

思った以上に綺麗な気持ち良い参道

参道の奥は立派な拝殿、参道入口からはとても想像が出来ない


天保三年の古い 灯籠

細い旧道を進むと、左を見ると牧集落が見える

牧集落を左に見て、街道は423号線に突当り左に折れる

左に折れたすぐ右に 玉川墓 と刻まれた 自然石の石碑

左り、坂の上に 梅相院 がある

街道に戻り信号を越えた先で、左に少し迂回する旧道がある

梅相院を過ぎると、京都府亀岡市西別院町に入る。ここが京都府と大阪府の府境



左に 府界碑

大正元年の石碑 袂に小さな お地蔵さん

能勢妙見山御供田が二基


石碑の所を振り返る


すぐ先で右へ入る旧道を進む

西別院町神地 旧道から左の423号線に合流する、右側に

市杵島姫神社
御手洗弁天ともいわれ、湧き出る清水の出口が二つあり「乳の泉」といわれている

地元の人のみならず遠方の人達が水を汲みに来ており人が絶えない

亀岡の名木 弁財天社のカゴノキ・オオモミジが境内に立つ
北側に 白髭神社



雲ゆきがあやしかったがついに雨が降り出した。かなり降ってきたので、しばし雨宿りするも止みそうもないので暫く休憩して歩くこととする。亀岡城下につくまで降り続いた最悪。
暫くは423号線に沿って坦々と進む、歩道もあり周囲の景色を見ながら歩けるので退屈はしない

大きく右にカーブしながら進むとやがて西別院町柚原 正面に 鴻応山(678.94)道はこの山裾を巻くように進み柚原に至る

右には大きな民家


やがて右に亀岡病院別院診療所の辻で、左から新道が合流してくる。辻の左角に 西別院村道路元標

辻から423号線を振り返る

辻の右側に入る細い道があるが旧道ではないようだ、西別院小学校への通学路かも、右に小学校が見える

西別院の集落にはいる

左のバス停の手前に 祠

柚原信号交差点の左に 常楽寺

交差点の左り西別院町自治会館隣に大きな 忠魂碑

街道左奥に進むと 多吉神社
多吉神社には鳥居は無論、鐘楼、お寺のような庫裡も、神仏習合の名残がそのまま残っている。
明治の神仏分離令を逆らってまで西別院村の人たちの信仰が勝った神社

祭神の高御産霊神を祀る神社は全国でも式内社では五社しかなく、亀岡市内ではここだけとのこと


写真に撮れていないが境内には 一石一字法華経塔と青面金剛 があった

柚原の町を過ぎて423号線を進む

右は関西GC、423号線は立派な歩道があるので歩くには非常に助かる

奥野バス停を過ぎる

左に妙見山の近道を示す 道標「能勢妙見山 右ちか道 左本街道」


道標の前を振り返る

道標のすぐ先で、右に423号線を分け、左に入る旧道を進む

小さな峠を越える




西別院町笑路地区 左に 素戔嗚神社


その先 左高台に 曹洞宗西光寺


境内に 三千佛石塔鐘と鐘楼



西光寺のすぐ先左に 祠

旧道は左の山裾、右の段々畑の間をおおきく右にカーブしながら下る

カーブ途中の右に小さな お地蔵さん

その先で突き当たりとなり、道が分岐している。本来の旧道は左斜めに下り423号線に出ているが、道が柵で閉鎖され消失しているので。止む無く右の道を進み迂回します


左への旧道、柵で消失

右に折れて迂回する

下っていって423号線に出るまで逆方向に戻る道となる


423号線に出る

423号線を少し進んだところで、右への細い道の下りがるのでそちらに入る。消失していたところから延長線上である

右に入る

423号線は左の上に通り、旧道は地道で谷間の道


右からの道が合流してくる

一段低い旧道、全く静寂の山間の昔の儘のような感じ。雨が降り続いてます

やがてまた左から423号線が合流して現実に戻る

合流した地点から振り返る。こうしてみると国道の右側の谷間をかつての旧道は抜けていたようです

423号線を進むと、犬甘野口で左から新道が合流してくる辻の手前



左に 一石一字法華経塔の道標 「右のせ犬甘野道 左大坂いけだ道」

犬甘野口のT字路手前のバス停の所で右の道に入る

23号線を左に見ながら、右の山裾を進む田畑の畦道のような旧道

少し先の犬甘野口のT字路、左から105号線、亀岡能勢線が合流してくる

その辻の手前左 能勢妙見山御供物碑

辻の角には 道標 「左 能勢妙見山道」

右の旧道を入り 左(東)方向を見る

旧道を進んでいく


能勢妙見宮御供米田の碑 結構このような御供碑が多い

423号線に出て進むと右に 鳥居が見えてくる。鳥居の右側の地道は、亀岡へ新道が開かれるまでは、右の法貴谷沿いの道と、万寿越とがあり、万寿越は右の山を巻いて進む道で、源義仲が開いた道。

423号線より左に分かれる道

鳥居の真っ直ぐの道が、法貴谷沿いの旧道、鳥居の右側が万寿越えの山道

鳥居と灯籠

ここにも 能勢妙見山御供米田地碑

新しい亀岡街道を進む、この辺りから歩道は無くなり、雨も降っており車に注意しながら進む。暫く先右に、皿谷池がある


皿谷池の先で左にカーブして、峠食堂の所で423号線に沿って右のカーブする。この辺り 小峠 峠というが平坦



右にカーブしたすぐ先

暫く樹林の間の423号線を進む、比較的車が少なくて助かる


明智橋を渡りすぐに左の法貴谷川沿いの旧道に下る

入り口左に 明智の戻り岩(屏風岩)の案内板がある


本格的な旧道への道 右の423号線の左に下っていくが、旧道はかなり荒れているようだ


谷川に沿って下る

雨が降っているので滑らないよう細心の注意をはらう

明智の戻り岩

摂津と丹波を結ぶ峠道に大きく立ちはだかるこの大岩は 屏風岩 と呼ばれた。
天正十年(1582)六月一日、明智光秀が織田信長より豊臣秀吉の中国攻めの援軍を命ぜられて、丹波亀山を出発し、先鉾が屏風岩に達したところで急遽京都本能寺へその進路を変え後戻りしたところから、後世「明智戻り岩」と呼ばれるようになった。
また一説には光秀が丹波攻めに際して、この岩まで進軍し駒を止めて斥候を出したところ、この先には討つべき敵はいないとのこと報告を受けたので、引き返したことによる説もある。
この谷には、屏風岩の他に天狗岩・駒繋石・法華岩といったように、名付けられた巨岩が多くみられる。この法華岩は享徳三年(1454)に、南無妙法蓮華経南無法主日蓮大聖人、の題目が彫られている(説明文より)
人一人歩けるほどの道


急な細道を下ります


岩がゴロゴロ転がっている

右の急な崖に落ちたら終わりだ


谷はかなり深い


瀧が見える

かなり下ったところで左に

國狭槌神社(くにさづちじんじゃ)

神社前から振り返る


神社前から下る道、道はよくなった


旧道の谷の出口

一旦川を渡り、右に天王寺を見て、北東の斜めの道を進み423号線に出る 曽我部町法貴

旧道の出口を振り返る


斜めの道に入ると法貴の集落にはいる

423号線に出たところに 鳥居

萬歳山天王禅寺

この辺り雪が深いので、本堂の屋根も急傾斜

鳥居の袂に 道標「北辰 妙見大菩薩 右の瀬妙見山ちか道」

鳥居の前の道は423号線、鳥居の背後の左の谷を越えて来た

鳥居の前から423号線は真っ直ぐ北に続いているが、423号線を歩かず左に入り川沿いへ進む

鳥居の傍に法貴バス停,423号線は新道で面白くないので、旧道を捜すのに西に集落の中に入り、法貴川の西側に出る

鳥居を10m程入り、すぐの右への道を折れる

数十m先で、法貴川の茶屋又二の下橋を渡り少し細い道を進むと突き当たるので右に折れる。左に曲がると先ほどの谷の出口に行くので、この道が旧道だろう

茶屋又二の下橋より左の法貴谷方向を見る

橋より右の法貴川に沿った集落,素晴らしい景色

橋を渡りすぐに右への道がある、地道で旧道跡の道が残っているのか分からないので

すぐ先のT字路を右へ

左に建物は新しいが、長屋門の持つ立派な建物


(注意)
この付近の写真、先ほどの地道の道筋も入り交えて、写しており分からなくなってしまった。とにかく二つの道は並行して北に進み、やがて左(西)側の道が右にカーブして合流して、北に進むこととなる。
この付近大きな旧家が結構多く残っている


並行している右に畦道のような地道があり、これが旧道なのか迷う所だが資料もないので、写真だけ撮っている。地道沿いの 灯籠 いかにも旧道らしい雰囲気

西側の道の左高台に 臨済宗妙心寺派慈雲禅寺




元に戻り北へ

田園の広がる長閑な風景

立派な大きな屋敷

道が真っ直ぐと、右に折れる道に分岐するので、右へ折れる

その左角に 霊仙ヶ岳案内
石群といいふるされた岩山のある高峯。霊仙は急峻な山容に祖霊か、はたまた仙人のすまうところかと想像した。先人の名付けし山名か、山腹には大小数多の古墳が点在している。
霊仙ヶ岳までここから片道約1時間、標高536.3m(亀岡ライオンズクラブの説明より)
背後の少ししか写っていないが山このT字路、左から来て手前に折れる

少し歩いて振り返ると今歩いてきた旧道と旧家が並ぶ集落

T字路を右に折れて50mほど進み、小さな橋を渡り左へ、川に沿って北から東へカーブ、その間100m程、十字路の右の道は、前述の地道の畦道か旧道かここで合流する

十字路の右の地道を見る,正面の丸い山と手前の山の谷川を越えて来た

十字路から振り返ると、T字路から歩いてきた道がよくわかる、背後の山が 霊仙ヶ岳

合流して十字路を左に折れる、左に溝が沿う。結果的に地道と合流して北に進む

暫く進んでいくと右に 灯籠 やはり旧道と確信する

燈籠の袂に沢山の小さな 石仏 が並ぶ

振り返った景色

曽我部町犬飼の集落にはいると白壁の塀の続く間の道を進む、タイムスリップしたよう、大きな旧家

その先の十字路角の大きな旧家,十字路を右に折れる

右に折れる左角に 道標


この十字路を右(東)に折れる..こぶりですが雨が降り続いています

十字路右に折れる手前左に 善應寺

善應寺境内の 石造り物

十字路の歩いてきた道を振り返る、相変わらず雨はしとしと降っている

十字路を右に折れて進む

100mほど先で、道が分岐するので左の道へ

分岐する右側に 道標 犬飼公民館の前

分岐した先で合流、そこを振り返る

合流点から50mほど先で

423号線の交差点に出る

交差点を10mほど左に折れると右に旧道が分岐するので右斜めに進む。
左角に 道標 「右 ・・山 左 妙見道」


右に入った左に 大栄山東光禅寺の石碑



旧道は東に集落内を進んでいく

左に 石仏

東への田畑の間の道を進むお寺から300mほど先でT字路となるので、左に曲がる

左に曲がり50mほど先右に小さな お地蔵さん 大雨が降れば流されそう

更にまたお地蔵さんの先の、十字路を右に曲がる

十字路を右に折れて50mほど行くと右からの川が迫り、川の左側の堤防を進む。右の住宅地は夫婦池団地

振り返る

川と共に左にカーブしながら、やがて左からの423号線の信号交差点にでて右に折れる

右に折れすぐの橋を渡る

423号線の側道を進む

左に曽我部小学校をみて、その過ぎた角の交差点を左に折れる

交差点を左に折れた学校の前に忠魂碑その先、小学校が切れたところの交差点を右に折れる

交差点を左に折れたすぐ左小学校の校舎に沿って 若宮神社


交差点を右に折れた左角に 地蔵堂

地蔵堂の前には 道標が二基
「右 かめやま 左 あなふと寺 左 妙見」「曽我部村道路元標」道標の横に沢山の お地蔵さん

地蔵堂の背後に 浄土宗晴明寺

右から来た交差点を右(西)に折れて進む お堂 の横の道真っ直ぐ

交差点の先から振り返る

静かな住宅の中の道を進む


やがて423号線の交差点に出る。左角に南條郵便局交差点を左斜めの道に横断するが

交差点手前の左の道に入ったところに 灯籠 背後に大きな蔵を持つ建物

燈籠の先の道を右に行くと民家のような 正福寺

北側に隣接して 瑠璃光寺

交差点を渡り南條地区を東へ

交差点の先から振り返ったところ

その先で、曽我谷川に架かる久保橋を渡る

橋から左の景色、亀岡市街地を見る、まだ少しあるようです

橋のすぐ先で道が分岐しているので左の道を進む

その先進むとT字路となり、街道は左に曲がるその前に、T字路を右に折れると

左の森に

厄済神社


T字路に戻り左に折れて曽我部町南条地区を進む


長閑な街道が真っ直ぐ伸びている

右のブロックに囲まれた 石仏

そのすぐ先左に 二基の道標 大 「能勢妙見大菩薩」 小 「左 石田」

道標と街道


その先で道が分岐、どちらが旧道かわからないので、まず左の道を進む

正面に京都縦貫自動車道の高架。このまま間直ぐ進み高架を潜るのもいいが、高架の手前で

右の道を鋭角に折れて右に進むと地道で、いかにも旧道らしい

少し進むと地道が突当り分岐するので左へ、その角に 石塔 「広令流布使不断絶」妙法蓮華経の一節

傍に 道標 「右 よしみね道 左 あなう寺」

石塔と道標の道を挟んだ向かいにも 道標 「右 よしみね道」


左に高速道

高速道の高架下の地下道を潜り、道なりに左にカーブして423号線の重利交差点手前の、先ほどの分岐した道に合流します

潜ったところで左へ高速道を左にして

左から全需との分岐した車道と合流する手前右へ

右に折れて暫く進む

その先で、左の423号線に合流します右へ

合流して少し先で振り返る、振返った左の建物は、京都真生福祉会

右は広大な平和台公園

安町に入る

安町で右の旧道に入る

右に入ると安町幼稚園が右にあり、左に、ヤマシロマンションがあり、その先で左からの423号線が再び合流して右へ

右に入った旧道を暫く進みます


再び合流

沢山の 石仏 が綺麗に並べられ、屋根に収まっている


新山陰道の加塚交差点を越える

その先右に亀岡市役所、何んと立派な庁舎

市役所の前に 石田先生誕生地碑

石田梅岩と亀岡
生涯学習の先駆者、貞享二年(1685)九月十五日、亀岡市東別院町東掛に生まれた。「石門心学」として受け継がれ、全国的な広がりを見せた。亀岡市の郷土の誇る先人

市役所のすぐ先で広い道路と川に架かる中央橋を渡り東に真っ直ぐ進む


少し左にカーブした交差点、右角に市立図書館

北町の交差点に出るこの交差点で 旧山陰道・篠山街道 が交差する。
交差点で 亀岡街道は完歩(起点)

山陰道・篠山街道 が北西に進む北町商店街

亀岡駅方向への新道

右角が市立図書館、山陰道・篠山街道の南東への道

亀岡街道 完歩


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