若 狭(鯖)街 道

2015年7月12日  完歩


京都御所の北東、今出川通りの寺町交差点大原口~小浜城下に至る、約80㎞。
かつて朝まだ暗いうちに若狭の港で獲れた新鮮な魚類を京へ、鯖売りたちが通った街道。鯖街道と呼ばれる道は何本かのルートある中の最もよく知られている街道。
この街道の西側、琵琶湖に沿って並行して通る、西近江路とともに古代より日本海と都を結ぶ古い道であった。

【1日目】 2014年3月23日(日曜)
若狭街道起点大原口~大原バス停
自宅早朝に出て京阪で出町柳駅へ近くの若狭街道の大原口起点をスタート、街道沿いに史跡も 多くまたバスの便などを勘案して、1日目は大原バスセンターまでとする。
   出町柳駅    7時50分 スタート
  大原~花尻橋  16時57分 着
       41.789歩  25.07㎞  1.836kl

【2日目】 2015年5月31日(日曜)
大原バス停~朽木栃生バス停
例により朝一番に出て、京阪バスで大原へ、若狭街道随分久しぶりに歩く、この街道は冬時期はバスが無くなり便がなく止む無くこの季節となる。また帰りのバスが5時しかなく、まだ歩けるのだが止む無く切り上げる。

   大原バス停   8時20分 スタート
   栃生バス停  16時40分  着
       42.557歩  25.53㎞  1.889kl

【3日目】 2015年7月11日(土曜)
朽木栃生バス停~保坂分岐点~九里半街道~近江今津駅前ホテル泊まり
自宅早朝出発、出町柳からバス7時45分で栃生バス停まで、前回に引き続きここからスタート。朝から一部旧道もあるが、車の多い歩道のない区間の国道で危険なため注意が必要であった、その上、30度を超す暑さでまいった。今日は保坂まで歩いて、一旦、若狭街道を中断して九里半街道で琵琶湖の近江今津港へ下りここで1泊する。

   朽木栃生バス停  9時04分 スタート
       保坂  13時35分 着
        25.688歩  15.4㎞  1.180kl

九里半街道(街道詳細は別紙資料)
保坂~近江今津の西近江街道との合流点
    朽木保坂 13時55分 スタート
   近江今津 15時15分 完歩
      17.565歩  10.53㎞  718kl
   1日 トータル 7時間51分
       43.253歩  25.93㎞  1.898kl

【4日目】 2015年7月12日(日曜)
朽木保坂~小浜 完歩
ホテルを出て近江今津駅前からの小浜行バス(本数少ない)、6時35分発で昨日の若狭街道の保坂の続きへ。保坂からは快適な旧道を進む、念願の熊川宿を通ることができた。17時過ぎに小浜駅近くについて、大阪難波行高速バス6時02分で帰宅するが、1時間弱時間があるのでバス停そばの喫茶店にて朝コンビニでパンを食べて以来初めての夕食をとる。私は大体昼食はとらずに歩きとおしている。精々コンビニで何か立ち食いするぐらいです。一旦ゆっくり食事すると後歩くのが余計しんどいから。体に良くないとわかっているのだが少しでも先を進みたくなる悪い習慣です。

時間がなく小浜市街地の史跡を回れなかったのが残念です。自宅には23時着。
やはりこの2日間は疲れた。水だけはどれだけ飲んだか憶えていない。
よほど疲れていたのか、肝心の距離や歩数を測り忘れている。

若 狭(鯖)街 道 1日目

2014年3月23日

京都若狭街道起点出町柳大原口~大原バス停
若狭(鯖)街道の起点、今川通りにある寺町交差点、京七口の一つ大原口の辻

交差点南側から見たところ北側の東角に大きな道標が立つ

珍しい 道標 で洛中の22ヶ所の地名と距離が刻まれている。若狭方面から上ってきた旅人は、この道標の前で佇みしばし眺めたことだろう。
東「下かも 比ゑい山 吉田 黒谷 真如堂 坂本城」
南「かう堂 六角堂 六条 祇園 清水 三条大橋」
西「内裏 北野 金閣寺 御室 あたご」
北「上御霊 上加茂 くらま 大徳寺 今宮」

七口の起点を寺町通りの立本寺町を北に進む

北に進むこと100m余り、左T字路の一筋目を右に折れます

 右に折れるアーケードの桝形通りに入る

まだ時間が早いので人通りはない

アーケードの商店街通りを150m程進むと、河原町と通りに出て、交差点を横断して東へ

すぐ右に、妙音辯財天・川豊稲荷大明神 がある

妙音堂
本尊は弘法大師の筆といわれる青龍妙音辯財天で崇光院念持の霊像

川豊大明神

門前の傍にある 

まず賀茂川に架かる出町橋を渡る

橋に入り口左袂に 道標 「鯖街道口 従是洛中」と刻む 

賀茂川に架かる出町橋から左(北)の景観

続いて高野川に架かる河合橋を渡ります

河合橋から右(南)の高野川の景観
下流の賀茂大橋の手前で高野川と賀茂川が合流して鴨川になります

河合橋からの左(北)の景観

河合橋を渡り信号交差点の高野川に沿った川端通りを北に進む。河合橋を渡ったすぐ目に前に叡山電鉄叡山本線の起点叡山出町柳駅があります

川端通りを北上します

高野川に架かる左の御影橋の交差点を横断します

交差点の先100m程進む、途中右にローソンを見た先で右に折れる、右に折れる左には京都日産

 右に折れたすぐ先の十字路を左に曲がる

川端通りの一筋東側のこの通りも、街道旧道の風情を残す街並みです

200m弱進んだ交差点を横断すると左に

臨済宗相国寺派無礎光院 

その先200m程進むと、東鞍馬口通りの交差点を越えます

さらに進んだ交差点付近に東大路高野住宅が建ちます、その交差点の右角に 道標 「右 三条 左 大原」

 その先で中央分離帯のある北大路通りの交差点に出ます、右手前にはイズミヤ横断した左角に左京郵便局

更に200m程先の白川疎水通り交差点を横断すると 琵琶湖疎水分流 が流れています

疎水の傍に 賀茂波爾(はに)神社
下賀茂神社境外摂社で「延喜式」式内赤の宮神社

波爾井御神水

古代の山脊北部は鴨社の神領地として当神社をはじめ数多くの神奈備が所在した。この地から湧き出る清水を御供水として波爾井の御神水、御薬水として広く信仰されている

権九郎稲荷大神

街道をすすむと150m程で曼殊院通りの交差点に出ます

交差点右に 道標 「比叡山 無勤寺 第辯財天道」

左に障碍者スポーツセンターを見て北東に真っ直ぐ進むと、右手に趣のある料理屋の軒下に 

 一乗寺の街並みを進みます、長い真直ぐな道が続く

山端の街並みに入ると左に 石仏の祀るお堂

更にそこから200m程左に 祠 少し右に入っていくと叡山電鉄の修学院駅

その先、中央分離帯のある広い道路、北山通りの交差点を横断します

交差点を越えるとすぐ道は分岐します。右の道を進むと国際交流会館の北側を通り修学院離宮に至る、修学院離宮道。離宮の南側、音羽川に沿って雲母坂を登る比叡山への登山道が続きます。街道は左の道を入ります

左の道を進みすぐ先で音羽川に架かるやまばな橋を渡ります

 橋の手前右に 

橋を渡った右に 石仏

橋から右(東)の音羽川、その先に少し比叡山が見えます

 少し先左に 子安地藏の祠 さすが京都の街道、沢山の地蔵や石仏等があります

150m程進むと、左から高野川に沿っての川端通りの道が合流します

合流した街道左に二軒の老舗茶屋が並びます。鯰料理で有名な十一屋、寛永年間(1624~44)創業。そして麦飯とろろで名高い平八茶屋、永禄年間(1558~70)創業。

趣のある落ち着いた建物がひときわ目に映る

上高野宝ヶ池で道は分岐します、旧道は左への道。すぐ右に入ると叡山電鉄宝ヶ池駅

左の旧道を入るとすぐ左に 

左に少し入ると高野川が流れ、山端橋が架かる橋よりの南の景色

橋より北、この先の街道の景色

街道はこの先左の高野川に沿って大きく右にカーブして進みます。右にカーブするところで、左(西北)側から高野川に岩倉川が合流しています。右にカーブした先右、民家の軒に 祠

京都らしく民家に取り込まれた祠が多い

少し先で車道の105号線の花園橋交差点を横断します

100m程先で叡山電鉄線叡山本線の高架を潜ります。この先も高野川左岸に沿って九度を進んでいきます

高架の50m程先で道は分岐します、右の旧道を進みます、叡山電鉄が右に接近

暫く上高野の街並みを進んでいきます

右に 、 右に入ると叡山電鉄三宅八幡駅

祠のすぐ先で三宅八幡交差点に出ますので左に折れて、高野川に架かる三宅橋を渡ります

三宅橋の手前右に 愛宕大権現常夜灯

三宅橋を渡ります、橋を渡った左斜めに 三宅八幡宮び鳥居 が見えます

三宅橋から右を見ると正面に比叡山が聳えます。三宅橋を渡ると小野町で、小野の里、源氏物語の夕霧、柏木の未亡人一条の宮の母御息所の別荘等、平安貴族のあこの地

三宅八幡宮の鳥居
小野の里にある小野妹子が宇佐八幡宮を勧請け負したと伝わる。三宅八幡宮は北にかなり入りますので寄りません

三宅橋を渡り右に曲がった筋、この先40m三宅バス停の所を左に折れる道が旧道

この路地は私の想像道です。鳥居を潜り10m程進んだ右に入る細い畦道があり、ここを入ります。街道でないと思いますが、小野の里を味わうためあえて通ります

細い道の先でT字路となり左に折れますが、右から前述の三宅八幡バス停からの旧道と思われる道が合流します。T字路のところから路地を振り返る

左に折れてすぐ右に折れます右に折れて80m程先で、変則十字路に出ます、すぐ左に折れて20m程で左T字路で右に折れます。

左T字路で右に折れる左角に 

右に折れて東に200m程進みますと、道は狭くなります。道はその先で消失して進めません

その左に 臨済宗相国寺派竹林寺

その先道は消失しているが真っ直ぐかつてはあって蓮華寺の門前に出ていたのではないだろうか。右に折れて367号線に出て左に折れると、すぐ左に洛北蓮華寺があります

天台宗帰命山洛北蓮華寺 綺麗な庭

沢山の 石仏 が祀られています本尊は薬師如来、苔の美しい庭には六角形の笠を持つ蓮華寺型灯籠があり、江戸時代の名園の一つ。

蓮華寺の東側の参道を上っていくと 崇道神社

昼なお薄暗い参道奈良末期~平安時代初期の早良親王を祀る。光仁天皇の子で桓武天皇の弟。藤原種継暗殺事件の首謀者として嫌疑を受け、淡路に流される途中無実を主張して絶食死した。死後、延暦十九年崇道天皇の追号を贈られ霊を慰めた

崇道神社の拝殿の横を上っていくと、天武天皇時代の官僚小野毛人の墓がある、小野妹子の子供、天武六年(677)に没した

小野神社

蓮華寺に戻る途中左に入ると、小川添いの栖賢寺の案内、灯籠

臨済宗大徳寺派朝崇山栖賢寺(せんけんじ)創建は応永年間(1342~45)

十三重塔

金鳳閣(開山堂)と鐘楼
閑静ないいお寺です

少し時間を取りましたが、小野の里の一部を見て満足小川沿いに進んで367号線に出ます

367号線に合流して少し進むと左に 灯籠

その先暫く行くと、少しだけ左に迂回する道があり、その左に 

 左に大きなマンションがあります

右に入ると叡山電鉄八瀬比叡山駅終点比叡山への登山口

100m程先右に高野川に架かる西塔橋を渡ると、ケーブル八瀬駅乗り場八瀬は大海人皇子(天武天皇)の故事に載る

西塔橋より右、高野川の景色

ケーブル八瀬駅乗り場

八瀬の名物であった“かま風呂”平八茶屋

367号線をすこし進んだ左高台に 西山禅林寺派吉験養福寺

すぐ先で道は分岐、左に上っていくと

左の細い山麓の旧道

真言宗泉涌寺派真山がけ観音寺 源義朝公源家再興の発願所

右下に367号線

右の坂を下り車道に合流しますが、すぐに分岐しています。左の旧道に入ります。右車道に架かるのは駒飛橋

左の旧道を入ります

左に 

八瀬の町を進んでいきます

左に、九頭竜大社の赤い鳥居 入っていきます

斜面に  

九頭竜弁財天・九頭竜大社

旧本殿

新しく建てられた 九頭竜大社 

弁財天の使いであり、金運・福徳・人望を授ける巳(白蛇)の姿が出た 名石

大社の前の旧道を振り返る

少し先左に 灯籠と多数の石仏 が並ぶ

八瀬の街並みが続きます、道が広く車も走らない気持ち良い山里の旧道です

この辺り右の高野川を神子渕といわれています

高野川が右に大きく迂回する先で、左への旧道があります。八瀬甲賀小路バス停

 旧道沿い右に 灯籠

旧道は150m程で右から七瀬橋を渡ってきた車道に合流します

合流した信号交差点を横断します、宮の田バス停

横断した先の旧道、50m程先で分岐しますが真っ直ぐの左の道を進む

分岐した先すぐ左に 石仏 が並びます

その先50m程先左に 灯籠

分岐は右の道です、すぐ先で高野川に出ます

高の場輪に出たところで左にカーブして90m程進むと

右の高野川に架かる八瀬大橋を渡ると右に八瀬小学校があります

高野川の上流の景色

八瀬大橋を渡った左に 灯籠や石仏 がたくさん並びます

八瀬小学校の北の端の突当りを左に折れます高野川の東側に出た旧道で、集落の中の道も素晴らしい

八瀬大橋の先、150m程左に橋があり、その対岸にホテルふるさとがあります

 その一角に 古跡 竃風呂 があります

橋から北側の景色

橋から南側の景色

少し先、前方に新八瀬橋が見えます

八瀬秋元町の街並みを進むと

右に 八瀬天満宮社の鳥居と参道 があります

少し右の参道を進んでみます

参道を進んでいくと右に 弁慶の背くらべ石と灯籠

参道左には 石仏 が沢山並んでいる

八瀬天満宮

八瀬天満宮の境内に、八瀬の村人の窮状を救った老中秋元但馬守を祀る 秋元神社 が佇む

南無阿弥陀仏と刻まれた 石仏 を中心に沢山の石仏が並ぶ

元の参道入り口に戻り50m程先で、左からの車道に合流します、ふるさと前バス停です。
余談だが、少し気になったので左に折れて高野川に架かる新八瀬橋を渡ると、右に興元寺があり、お寺と高野川との間に今は廃道化しているが道があったようだ、高野川の西岸を沿って北に進む道だったようで、少し気になった

ふるさと前バス停の合流点

少し先左に 石標 「今日・・・・・」

その先すぐ右に 地蔵さん

200m程進んだ、左からの高野川が接近するところで道は分岐するので右の旧道に入ります

150m程旧道を進みます

 旧道は再び左からの車道と合流します。少し進んだ先から振り返ったところ、登山口バス停

高野川に合流する支流の橋を渡りますと、すぐ橋のたもと右に 道標 「国光大師旧蹟 元三大師」

傍に 灯籠と碑

道標の傍の信号交差点を少し左に入り先ほど少し気になった対岸の道を探ってみました。
高野川に架かる小さな八瀬林橋を渡ると、川沿いに地道が残っていました。橋を渡った右(北側)を見た堤道

橋を渡った左(南側)を見たすぐ先で廃道化していますが、堤を通っていた道がかすかにその残骸があります

北へ少し進んでいくと、川沿いに道の痕跡がありますが、やがて高野川で遮られています。対岸には西林寺が見えます。この辺で探索は終わりますが街道でないが旧道があったようだ

元の367号線の車道に戻り北に進みます、暫く歩くと左に高野川が接近します

接近したところで対岸を見ると、先ほどの延長線の道跡がかすかに見えます。満足しました

街道はそのまま367号線を進みますが、右への坂道が西林寺への道。ここでも高野川に流れる支流の橋を渡ります

 坂を上ると 西山禅林寺派江湖山西林寺

西林寺から振り返る

西林寺の参道入り口の向かい、高野川の対岸を見ると、先ほどの旧道と思う延長線の廃道化した道がここに出てきている。木々の間に見える旧道の残骸。旧道ですよ!て私に言っているようです。大満足です

そこから車の多い舗道のない367号線を150m程進むと、今度は山に入る道があります。資料には載っていませんが入ってみます。どう考えても、左の消失した道が川を渡ってそのまま国道を横断して山道に進んでいるのが自然と思います。これは今まで街道歩きした経験からして、

山道に入る入り口左に 地蔵さんが二体
一応縄で通行止めの印をしています。お地蔵さんが立っているぐらいだから旧道と思った

何か案内でもあればいいのだが、何といっても若狭街道はメジャーなのだから、でも京都市はいろいろすることが多いから無理もないか。見る限りでははっきり道跡のある旧道に思われる

木々も高くないので道は明るい

素晴らしい旧道です

左100m内に367号線が走っている

左に 自然石の石仏 が彫られている

少し道は荒れているが問題はないです

時々左の木々の間から高野川が下に見える

やがて左に金網の作をされたところに出て左側が広がり、367号線も左下に見えます
小屋がありその横を下って行きます

 振り返ったところです

この辺りがあれていますが、すぐ左に車道が見えるので安心です
通行止めの柵をしています

左からの367号線に合流します。700m程の道のりでしたが、快適な旧道でした。何時までも旧道として残してほしいものです。街道歩きの人はこの道を通ってください。367号線は車も多く歩道もないので危険です

合流して130m程先で高野川に架かる美濃瀬橋を渡ります

そして暫く進んだ先右に、土井志波漬ば漬本舗の工場兼販売店があります。八瀬花尻町です

土井志ば漬店をすぎた所の橋が、花尻橋

高野川の 石標

橋の手前に高野川の西を進む、道があります

高野川に架かる花尻橋を渡ります、花尻橋を渡ると大原に入ります

すぐ右に花尻の森があり、江文神社御旅所があります。
花尻の森
5月4日の江文神社と5日の梅宮神社の春の祭礼の御旅所。森には大蛇の伝説が残り、椿の名所でもあります

江文神社御旅所の碑

また、若狭の殿様とおつうと大蛇にまつわる大原の昔ばなしの伝説の 花尻の森 境内の祠と大木
花尻の森にはかつて頼朝が建礼門院を見張るための松田源太夫の屋敷跡があった

祠内の石仏

御旅所の前で道は分岐します。若狭街道は右の367号線ですが、左の道は大原寂光院や静原や鞍馬への旧道(すでに歩いている)です。若狭街道歩きなので右へ

分岐する角に 道標 「寂光院左へ十八丁」明治四十二年の大きな道標

367号線を200m程進みます。前方の山麓が寂光院方向

200m程先で分岐します。左の道は367号線で、旧道は右に入り古い街並みの続く戸寺町の旧道を進みます

少し入った左に 常夜灯

戸寺町の静かな街並み

旧道は少し細くなります、その左に 常夜灯

少し先右にも 常夜灯 いろいろな形をした常夜灯

亀田谷川に架かるそうだ橋を渡ります

やがて左にカーブして367号線に合流します合流する手前右に 

左には大原上野町や野村町の田園が広がる

すこし367号線を歩いていくと、左に喜津弥Hがあり、すぐ先で街道は367号線を左に分け右の旧道に入ります、左角に 道標 「惟喬親王御墓参道」

坂を数十m程上ると分岐しますが、街道は左の細い道を進み100m程先で、367号線に出ます

少し【寄り道】して右の道を150m程上ると石垣の角で分岐します

その角に建つ 道標 「右 惟喬親王御墓参道 左 浄楽堂参道」

右の道を150m程坂を蛇行して上ると昼なお暗い石段が見えます

石段を上ると 惟喬親王の墓
文徳天皇の第一皇子であったが母方が藤原氏の出身でないばかりに皇位に就けず世を避けて隠棲されたのがこの地と伝わる。また、隣の小社は親王の御霊を祀る 小野御霊神社 です

御墓より下ってきて先ほどの道標があった辻を右に折れると 浄楽堂 が見えます

上野の一本杉が立つ、浄楽堂

道標を下って367号線に出るまでの、右への旧道に入ります。130mほどの細い道を進むと、367号線に合流します、すぐ右に野村の別れのバス停の傍に出て交差点です

野村の別れ 交差点

交差点左への旧道は、この先で左に折れると 江文峠越の旧道 で静原から鞍馬へ出ます。右に折れると寂光院道になります

街道は交差点を越えて進みますが。その右角建物の横に 常夜灯と自然石に石仏 が彫られています

少し右の坂を上っていくと右に折れる左角に小さな 石仏 が祀られています

右に折れた先の分岐の角に 常夜灯 があります常夜灯の辻を左に折れていくか、右の真っ直ぐの道をもう少し上ると、右から先ほどの惟喬親王の下の道標から浄楽堂を通り、上野町の集落を抜けてきた道に出ます、そのあたりから寂光院への道に抜けますがはっきりわかりませんので元の野村の別れ交差点に戻ります

野村の別れ交差点から100m程先で右に入る寂光院への旧道を入ります。野村の別れのバス停左にファミリーマートがあります

右に入る旧道の辻から、野村の別れの交差点方向を振り返る

 緩やかな坂を上っていきます

途中右に石垣に組み込まれた 地蔵

すこし進んだ右に 横川元三大師道の道標
比叡山元三大師堂への参道前述した道はここに出てきます。若狭街道でないが叡山への登山旧道でした。
かつて、誕生会(9月3日)に大原の里人がこの旧道を登って、近江の里人の人たちと御堂で盆踊りを奉納した。赤いたすきのあでやかな大原女姿はひときわ人々の目を引いたとのことです。

 左が 元三大師堂道

 向かい街道の左民家の軒に 道標と小さな灯篭二 「左 寂光院 右 三千院」

民家の前庭に組み込まれたような自然の風景

高野川に合流する支流の小さな川に架かる橋を渡る

大長瀬町の街並みを進みます。かつて中世から近世にかけて大原女の頭に藁を巻き黒木や真柴を憧れの京都の町に売り歩く着物姿の大原女の姿は、建礼門院や阿波内侍の影響が始まりという

参道にひと際目立つ建物は、明治後期の旅館「ますや」で地域の有名な旅館であった。昭和の初期に廃業し、その後荒廃していた建物を、平成13年10月に大改修、地域の景観に配慮するとともに、往時の姿を再生された

街道はこの分岐を左に進みますが、三千院へ【寄り道】のため右の道を進みます

右に 灯籠が二基

右に 道標 「右 魚山是ヨリ六丁 左 敦賀街道 」魚山は三千院一帯の寺院をいう

 街道の道右、三千院への道にすれば左に 灯籠三基と道標 二基 「右 証拠阿弥陀如来円光大師二十五霊場 左古知谷わかさ道」

山桜ともみじ並木、左下に大長瀬川に沿って坂を魚山への参道を進む

この辺りは皆さんも知っているところであり、街道からがずれているので、どんどん進んでいきます

右に 灯籠

左に 出世稲荷神社

左に同志社大学の農緑館

少し先で左に折れますが、その左角に 道標と灯籠 「右 三千院 左 ・・みち」

左に折れたところの辻を振り返る

50m程先左に 大原念佛寺

やがて呂川に架かる魚山橋を渡ります橋手前右に 旅館魚山園絵になるような情景

橋を渡った右、石段の手前角に 道標 「右上三百米 来迎院」「・・・・・」

勝手神社と額に書かれた鳥居を潜り右に上っていきます

坂を上っていった途中左の律川に架かる朱色の橋を渡ると 勝手神社

橋に戻りさらに上っていくと右に 蓮成院

左に 天台宗浄蓮華院 そして一番東(奥)には、

天台宗来迎院

天台声明中興の祖、良忍上人ゆかりの寺仁寿年間(851~54)最澄の直弟子の円仁によって創建、衰退するが天仁二年(1109)、良忍が再興。円仁が没した後諸流に分かれていた声明を統一し、天台声明魚山派を大成した。
門前に 道標 「聖應大師良忍上人御廟 音無しの滝 右三百米」

時間がないのでさらに奥の、音無の滝 には寄れない良忍の修行の場であった、ひたすら声明を唱えて滝の音が同調して音が消えたという故

山を下ると右に三千院の塀が続く

前述の石段に戻り上っていきます

三千院の高石垣と塀の門前へと進む、前には京美茶店

城門を思わせるような表門 三千院

この辺りは誰しも知っているところで改めて説明を省略して進みます時間もないし門から見るだけとします

門前をすこし進んだ律川の手前左に

すぐ先、律川に架かる朱色の未明橋を渡ります

橋を渡った右に 後鳥羽天皇・順徳天皇の大原陵 があります

橋を渡った先左には 実光院 不断桜と紅葉が美しい

すぐ先左に折れて石段を上がります

後鳥羽天皇ご冥福のために建てられた 法華堂

石段を上り右に折れて進むと正面に 勝林寺
法然による大原問答の舞台承和二年(835)、円仁が創建、その後衰退したが、長和二年(1023)寂源が声明道場として再興。文治二年(1186)顕真僧正と法然が論議した舞台でも有名

西隣に 宝泉院   

三千院を中心とした魚山の寺院を簡単に歩き、山を下り元の街道の辻に戻ります。

若狭街道をこの分岐を左へすぐ先で律川を渡ります

右に前述の 道標や常夜灯

左に 灯籠 

右の斜面に 

祠をすこし進んだ左に休憩椅子と鯖街道案内板があります。すぐ左に趣のある、あじさい茶屋

茶屋より60m程進むと分岐しています、左の道を進み367号線の車道に出ます。右の道は、魚山寺院等、三千院への上り道です

367号線の信号交差点です

若狭街道の1日目はここで終了します

まだ時間もあるが、この先の交通の便が一変して悪くなるので十分時刻表バスの時刻表を検討して歩かなければいけません
この後、私の性格でただでは帰りません。交差点を渡り寂光院への旧道を進み、寂光院から野村町、井出町から花尻橋の寂光院道の旧道を戻ります。

 【寂光院道】

367号線を横断すると、手打蕎麦処声明庵呂律茶屋の横の細い道を西に進み150m程先で高野川を渡ります。“茶屋の名が面白い、声明・呂川・律川の頭字を入れている”
高野川を渡り突当りを左に折れた数十mの左T字路を右に折れます。その折れた左角に 道標 「右 寂光院 左 京道」

そして右に折れる右に 

草生町の集落に入ります集落内の 愛宕大神の常夜灯

朧(おぼろ)の清水平
家物語ゆかりの泉、建礼門院が寂光院に入る時この泉に姿を映したという

道標 「左 寂光院」 趣のある静かな寂光院への集落を進む

茶屋や土産物、山荘の建物が並ぶ

街並みの坂を上っていくと右に 高倉天皇皇后徳子(建礼門院)の大原西陵への参道

右に寂光院の参道を見てさらに奥の進むと 神明神社

建礼門院大原西陵

天台宗清香山玉泉寺寂光院
天台宗の尼寺、推古二年(594)聖徳太子により創建されたと伝わる。平清盛の娘、建礼門院徳子は壇ノ浦の合戦で平家滅亡とともに安徳天皇を亡くし、文治元年(1185)ここに隠棲した。
その後、後白河法皇が建礼門院を見舞った大原御幸が平家物語に記されている。また、しば漬けや大原女の発祥の地何度か散策しているので寄らなかった

寂光院より少し西に進んだところ左に入ると建礼門院に仕えた侍女たちの墓が並ぶ

美しい女性たちの墳墓

山に入っていく現在版道標が立っている

手前が寂光院へ、左の橋が墳墓へ、真っ直ぐが山深く入る道

寂光院道を下ります

行きの道は草生川の東側を進みましたが、帰りは川の西側を下っています

かなり下ってきた辻に 道標 「左 寂光院 右 朧の清水」

辻を振り返ったところです

さらに下っていくとT字路に出ます森前橋の旧橋の石柱があり、右に折れます。左に曲がるとすぐ行きに進んだ辻です

右に折れたすぐ先右の森が 乙が森(おつうが森) 寂光院の入り口にあって、傍に草生川が流れ、伝説では、退治した大蛇の霊を鎮めるために、この森に頭部を埋葬したと伝わる。今も、それにまつわる行事が受け継がれている

森の中に 灯籠や石碑 があります森を振り返る

 暫く寂光院道は車道を進みます

右の石垣の上に 

旧道の右の景色

暫く進んだ先で道は分岐しますが、旧道は右に入ります

 旧道を右に入ると 祖世野池
備前の刀鍛冶真守が斉藤別当実盛(源頼朝の部下)の刀を研いで鍛えたという石盤と池が今に残っています。若狭街道より、この道の方が古道のようだ

大原野村町に入ります右奥に 智蔵院

すぐ右に 灯籠 灯籠の横の細い道を少し上っていくと、飯導寺神社があります

飯導寺神社
野村町の鎮守の森で農耕神の飯導大権現を祀る。「はんどじさん」と呼ばれて親しまれ、毎年10月秋祭りが行われている

すぐ左に 灯籠

少し先道が分岐している左に 西徳寺
西徳寺の分岐を左に折れて100m程進むと十字路があります、右手前角が交番です

江文峠越道を歩いたときここで合流して、江文峠越え道 は十字路を東に折れて、高野川を渡り前述の野村の別れの辻に出て、若狭街道と合流しました。
寂光院道 はこの交番の十字路を右に折れます。500m程江文越え道と重複します。500m程進むと、高野川に東側で合流する宮川に架かる宮川一の橋に出ます

橋を渡った右袂に 道標が二基 あります大 「右 寂光院」 小 「右・・・・ 左 くらまてら」

宮川を遡る道で、江文峠越の旧道

宮川を渡って100m程進んだ左に 石仏と板碑

石仏の先で左にカーブして高野川の堤道に出ます、右にカーブして左の高野川に架かる橋を渡ります

橋から高野川の上流と下流の景色

右に高野川を見ながら南に進みます静かな風景の中気持ちがよい

やがて左に 花尻の森 が見えてきます。若狭街道が鳥居の前 で合流します

若狭(鯖)街道から大原の分岐で終わり。寂光院の古道を戻ってきた。
1日目は終わります
          京都出町柳  7時50分 スタート
 大原到着~寂光院(寂光道)~花尻橋  16時57分 着
        41.789歩 25.07㎞ 1836kl

次の日はコチラ

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