初瀬街道 【4日目】 

2015年2月28日

西青山駅~青山峠~川合高岡駅
今日は青山峠越、厳しい道筋で山道も結構あれていた。冬場歩いて正しかった、夏場であると雑草も茂り、少し薄気味悪い旧道であった、一人歩きはお勧めできない。
初瀬街道松坂までもう一日
        西青山駅   7時50分 スタート
      川合高岡駅  17時00分 着
        45.732歩  27.43㎞  2023kl

西青山駅スタート近鉄線は西青山駅北側に国道を横切ってすぐ先で、新青山トンネルに入ります

国道の川を挟んだ対岸に道らしきのがあるが国道を進みます

国道300m程坂を上っていくと,国道は青山川に架かる橋を渡るが、その手前で旧道は川を渡らず川を右に迂回します

 旧道の名残道 一部途切れて残る

左に 石仏群 明治三十二年に地元の大師講が設置した四国八十八ヶ所霊場のミニチュア、石仏が並ぶ

右からの国道に合流します

合流辻から250m程先で右への道ですぐ又川の対岸に沿って進みますが、旧道は多分国道に改修されていると思いますが、雨の後で道が湿っているので、車がスリップしたら怖いので、対岸の道を平行して歩きます。国道は桜橋を渡ります

左の青山川に沿って緩やかな坂を上りながら歩きます。旧道でないかと思ってしまいます。資料がないのでわかりません。

川沿いには桜が植えられています

前方に乗馬クラブクレイン三重が見えてきます

その手前で左に折れて駅前橋を渡り、国道に合流して右に進みます。少しの間でも車から解放されました

青山川と右、乗馬クラブ

乗馬クラブの北側国道沿いに、かつて 伊賀茶屋 があったそうです。

右に大きくカーブしている左一段低い下に 青山地蔵 岸壁に彫られた摩崖仏。境内には 樹齢数百年の杉や宝篋印塔がある

地蔵の向かい川沿いに、かつて 青山茶屋 があったといわれている

その先で左にカーブします。右に 滑石林道 があります

林道は津市白山町大広への道で、青山峠越えは平安時代以降の道で、それ以前はこの道が伊勢への主要道であったと伝わる。斎王のみちでもあった、青山高原ハイキングコースとなっています

登り口には小さな橋が架かっています

道路温度計は0度を指しています

この辺り歩道があるので助かります、少し雪の跡が残っています、長い坂を上ります

右にカーブするところで、左に少しだけ旧道が大回りしています

左に大回りするところが少し広くなっています

すぐ先右への道が東海自然歩道の標示が立っています青山高原のみち

国道をまたぐ陸橋がありますので潜った先から振り返りました

右の橋を渡って少し東海自然歩道を入ります、標示も立っていて気持ちよさそうな山道に入っていきます

国道に戻り400m程坂を上っていくと道が右に分岐していて、国道は真っ直ぐ200m程進み青山トンネルに入ります。
右の旧道に入ります、いよいよ青山峠ですが、現在、国道であまり感じないが往時は今までの上りを山道を進んできたと思うと、凄い難所であったことが想像できます

旧道も舗装されたいい道です

暫く歩くと右への道が分岐しますが、右は青山高原保健休養地への道です。旧道は左に急カーブします。分岐から道なりに250m程進みますが、途中緩やかに右にカーブする。地下を青山トンネルが通っています

この辺りが 青山峠の頂上標高約500m です。左の道は青山高原道路線で久居に通じています。旧道は右の地道に入ります

旧道は右の道で山の中に下っていきます。本格的に山中で少し心細い感じ。地道の旧道から分岐の入り口を振り返りました。すこし後ろ髪がひかれる感じです

伊賀市から津市にはいります

急に雪が残っています

早速右に 地蔵道標 「みや川迄十二り半津水端八丁 はせ迄十一り半津岡大次郎」

このようなところで見る地蔵さんは決して気持ちのいいものでない

入り口から想像していたより、明るい道で快適な旧道が残っています

峠の頂上から600m程で右から青山トンネルを抜けてきた国道に合流します。
滑石林道入り口から2250m程です。かつての旧道は、国道に沿った左を下っていたようで国道改修工事で吸収されています

旧道を出てきたところを振り返りました
この辺りから白山町垣内に入ります国道に沿って垣内川が流れます

国道左側の旧道形跡を追いながら下っていきます
素直に国道を下るといいです。これは私の癖ですので

歩道のない国道を下っていきます、幸い雨も上がり晴れ間が出てきましたのでたすかります

青山川にそっった真直ぐな長い下り。

この辺りに 伊勢茶屋 があったそうです

国道右の垣内川が国道左に変わるところ、左に入る旧道が残っているようで入ってみます

右に垣内川、その対岸に国道と並行して旧道が下っています

材木で道を塞いでいますが何とか通れます

 右に垣内川が沿っています、旧道の痕跡が十分残っています

250m程川沿いに下りましたが、垣内川が左にカーブするところで旧道は完全に廃道化しています。
かつての旧道はここで右に川を渡り数十m上の国道に上っていました。止む得ず元の分岐まで戻り国道を下ります

 元の分岐に戻り真っ直ぐ国道を下っていきます

右に入る道があったのでこの道が旧道かと思って入りました

すぐ地道になって左にカーブして坂道を上っていきます

かなり登りましたが林道のようで戻りました

元の国道に戻りました
そこより少し国道下ると見落とすような右への山道に入る道跡があるのでここを右に上ります
前報に白山トンネルが見えます

旧道の軌跡がわかりました、丁度国道左側の崖下が先ほど川向かいの旧道を歩いてきて廃道化していたところです。
川が左にカーブしているところです、川を右に渡って下からここへ上ってきて、国道を横断して右の山道へ繋いでいたようです

また一部の資料には、別のルートの旧道として、消失していたところでここに出てこないで、垣内川に沿って、左(北)に迂回し垣内に出る旧道もあったようです。

国道右の山道に入ります

白山トンネルの手前100mで右に入り坂を上り、上から振り返ったところ。

左下に国道を見て旧道を進みます。国道はすぐ白山トンネルに消えます

 足を滑らすと大変きつい崖斜面です

白山トンネルの上部の旧道です

トンネルの上部の 小峠の切通の旧道、人がほとんど歩かないのでしょう荒れています

微かに石垣跡が残っているのがわかります
この辺りはマムシが多いと聞いています。まあ今は冬場だから安心ですが

道を補修しているのか一部鉄板が敷かれています

峠の頂上より右下に白山トンネルを抜けてきた国道が真っ直ぐ下っています。恐いような絶壁です

右に 役の行者碑と石柱 宝暦四年(1754)のもので「大神宮 役行者」と刻まれている。丁度、白山トンネルの東の入り口の上

役行者碑前から振り返ったところ

杉林の中を下っていきます、快適な陽の入る道

やがて右に空き地が見えてきます、その広場を右に巻いて国道に合流します
多分かつては右に曲がらず真っ直ぐ下っていたのでしょうが、旧道は完全に消失しています

 国道に合流したと思えばすぐまた左に入る道がありますが、閉鎖しています。

垣内自治会長宅へ鍵をと書かれていますが、それは少し無理だと思います。集落までかなり離れているしわからない。でもこのように書かれているのだから歩けるのだろうと判断歩いてみます

八重坂 への街道舗装がされている真っ直ぐ下る道です

右の国道は南にカーブして離れていきます。250m程下った先で少し左にカーブしてすぐ右にカーブし、東に進みます。旧道は歩く人もないようで荒れています

目印もなく何処あたり歩いているかの説明もできないので写真で進めていきます

国道から分岐して1㎞近く山道を東に進んでいくと、一つ目のヘアピンカーブに出ます
数百m東に進んだ先で、Uターンして南西に下り、100m余りでまたUターンして東にカーブするヘアピンカーブを越えていきます

これから四枚の写真が1回目の一番大きなヘアピンカーブの写真です

ヘアピンの終わった先の道

数百m進むと二つ目の小さなヘアピンカーブです  
4枚の写真です

ヘアピンの終わった先の道

さらにその先150m程で、三つ目のヘアピンカーブです、二つ目と同じぐらいです。
4枚の写真  道が荒れています

ヘアピン終りさらに300m程東に進みます

四つ目のヘアピンカーブです。同じような大きさです。
4枚の写真

ヘアピンの先の道を進みます

ヘアピン4つ終わった先で、旧道左斜面に 石仏 安永四年(1775)「西国供養塔」と刻まれている。雪倒れになって祀られたのか

その先の旧道

状況はわからないが、すでに完全廃道化されているが、かつての旧道は石仏の前から、ほぼ真っ直ぐ東に進み垣内川を越えて北からの林道に出て右に下っていた。
今は林道で北、南、北で右に折れ垣内川を渡り北からの林道に合流して南に下っています。 現在の林道に沿って蛇行しながら進みます

ここで左に急カーブしますが、この右辺りを旧道はほぼ真っ直ぐ進んでいたと思います廃道化しています

道の説明むつかしいので写真で進みます適当に想像してください

 倒木が至る所に見受けられます

蛇行道も終わり、垣内川に架かる花山橋に下ってきました。かつての旧道はこの橋の右10m程の下流に出てきてました
橋の手前に柵

 花山橋の手前にも西の入り口と同じ看板が掲げられていました

花山橋を渡ったところから振り返りました

花山橋を渡ると左からの林道と合流するT字路に出ますので、右に折れます

 橋より下流10m程先、川を見ますが全く旧道の痕跡が残っていません

橋を渡って右に曲がった左に 井筒屋跡 の表示

下っていくと左に 灯籠
垣内宿の入り口

 灯籠の前の街道を振り返る

旧道は左に建物のある手前を左弓型に、今の林道の左上を迂回していたようです
旧道を探索してみます

その痕跡がないか細い道を左上に出てみます

細い道を上ると右の溝に橋が架かっていて、その先の林の中に旧道跡があります。

左を見ると、建物がありその上を旧道は左にカーブして灯籠手前の道に出でていたようだ
右下を舗装道と並行した、旧道の残骸跡を歩いています

しっかり旧道が残っている。大発見で嬉しく満足です。街道歩きの楽しみの一つです

畑の間の細い旧道が下っている

下る途中で振り返る

短い区間でしたが旧道を探し当てました。現在の林道に出ました

旧道を下って合流したところを振り返る
途中から廃道化した旧道に入り、ここに下ってきた。そのまま歩いていると、向かって左の道に出てきます

合流して左に 初瀬街道垣内宿「ながはしや」の暖簾 が架かっています。改修がされていますが旧家

街道は宿内で左にカーブします白山町垣内地区

なかなか趣のある垣内宿跡

左に 乗渓寺の石碑と木製の元標
「上津村大字伊勢地へ参里二拾町四拾貳間」「津市元標へ六里七町九間」 大正三年

乗渓寺の参道に入ってみます

天台宗真盛派乗渓寺 整然とした石段を上ります宿場内で行き倒れる旅人も多く境内には無縁仏が多い

お寺からの垣内集落(旧垣内宿)

元の街道に戻り少し進んで振り返る

旧垣内宿集落の素晴らしい街並み

垣内川に沿って進みます

 垣内の集落を振り返る

山の神・奥山大権現 川沿いの大木の袂に三体があります

垣内宿
初瀬街道は、峠や地名の名を取って、地域によっては「青山越え」「阿保越え」「小倭越え」と呼ばれた。この垣内宿は、峠を越える人、越えてきた人のため欠くことのできない宿場であった。
江戸時代末には戸数70戸以上あり、旅籠は30数戸、常時300人以上の宿泊ができた。文化五年(1808)十二月、伊能忠敬がこの街道を測量し、垣内に宿泊して、後に「初瀬街道図」を完成しています。現在に往来記録が残り賑わった宿場様子が知ることができる。

垣内宿図

左に 案内板と常夜灯 宿場もこの辺りが終わりとなる

宿場の東の端で右からの国道165号線が垣内交差点で合流します

国道に沿ってしばらく進み、振り返ったところです

国道は左に大きくカーブします

右の斜面中腹に隠れるように 虫歯地蔵 
文化六年(1809)の銘、行き倒れになった四国の尼僧の墓と伝わる。虫歯に聞くと信仰されている。元はこの場所でない

左のこの斜面の中腹にありました

道は大きく右にカーブしています、この辺りの国道はガードレールで保護された歩道で安心

国道左側に少し旧道が残る

天気も良くなり気持ちがよい、大村川に架かる川久保橋を渡ります

渡った大村川が右から大きく迂回してきて、国道の右に沿います

白山町上ノ村に入り、国道を左に分け、右の旧道に入ります

分岐する手前右に 山の神・石造り物 が並んでいます

分岐した旧道を進みます

分岐から100m余り進んだ左に 石仏

左に 慈願寺 境内に山の神が沢山あります

川沿いを進んでいきます

静かな上ノ村の旧道を進みます、暫く歩いた先で国道と交差して国道を横断します

横断してすぐ大村川に架かる慧命橋を渡ります

左対岸に 天台真盛宗中本山慧命山成願寺
明応三年(1494)創建と伝わる、現在の建物は、大正十年(1921)の再建

 絹本着色仏涅槃図・木造阿弥陀如来倚像(重文)がある

木造薬師如来立像を安置(東明寺の本尊)当寺で保管している

立派なお寺でした

左に 常夜灯 天保十五年(1844)の銘

常夜灯と前の街道,この街筋には、油屋、鉄砲屋、加賀屋の屋号のある家が残る

集落の中を進みます

左に服部商店があり、その裏側の川が左に離れて、街道は右にカーブして進みます

すぐ先左T字路を右に折れます

 さらに数十mで道なりに左の集落に入っていきます

150m程進むと右からの国道に合流します。左に国道を折れます

信号手前関谷バス停、交差点右手前は倭小学校。交差点で旧道は右斜めに弓なりにあったが、民家が建って消失している。国道を200m程進むと右に入る旧道に出ます。消失した道は途中、国道に合流していた

 国道を左に分け右に入る旧道

少し先で振りかえ右斜めに入る旧道を見る(左手前への道)

 右に入りすぐ先で分岐する道があるので左を進み、東(左)に折れる

左に折れて100m余り進むと左から国道が合流します

国道を200m程進むと左に常夜灯があるのでその角を国道と分かれ左に曲がります。常夜灯 慶応四年(1868)のもの

ここを左に入ります

左に折れた筋

100m程進むと右角に木造の建物があるところを右に折れる

すぐ先で交差点に出ます、左角に 津市白山郷土資料館 があったので少し見学しました

 戦時中の興味深い出来事

展示品の講札 旅籠「村田屋」のもので、ここに展示されている

郷土館から100m程進むと十字路に出ます

 十字路左に 山の神碑 が並ぶ

右に迂回している 旧道の残骸 細い街道が少し残る

白山町中ノ村 旧道は集落の中を蛇行しながら進んでいたが、今は消失している

集落を過ぎて左に大きく膨らみ、右にカーブしながら大村川に接近して、左に沿います

左の大村川に沿い、その先で国道に合流して左に折れます

左に折れて、大村川に架かる高樋橋を渡ります

橋を渡ったところで、旧道は右の広くなっているところ、右斜めに進んでいましたが、街道は消失しています

国道を真っ直ぐ150mほど迂回します、右に折れます

右に折れて50m程で右T字路に出ますので左に折れます。この辻右に、前述の橋から斜めの消失した旧道が来ていました

左に曲がる角に 倭白山比咩神社の石柱
昭和12年よりこのT字路に立っている。白山神社の一の鳥居がここに建っていた。高樋橋方向、旧道は正面の田畑で消失している

左に折れた田園の中の狭い道

左に 常夜灯 慶応三年(1867)の銘

すぐ先左高台に 天台宗真盛派智光院称名寺

 称名寺の入り口に 地蔵堂

称名寺の前の街道を進んでいきます十字路を越えます

左、165号線の向こうに 延壽寺と浄芳寺 が遠望できます

左に 山の神

暫く歩くとT字路に出て左に折れます。T字路正面に 道標 があります

道標 「上 いせみち」

T字路を左に折れて、数十mで右に入る狭い道がりますのでそこを曲がる

100m弱進むと右手に 地蔵堂 があります少し広場になっています

地藏堂を見て左に折れます、右は大村川に流れている支流の川に沿います

すぐ先左に、現在は廃寺となっている  天台真盛宗東明寺

木造薬師如来立像 寺宝の寒山拾得図、また境内には馬頭観音像を安置する お堂 がある

東明寺を左に見て、支流の橋を渡り右に折れる

そして70m程進むと小さな川に出ます

橋を渡り川の対岸を左に折れて川に沿いながら少し進みます。数十mで十字路を横断した先で、右に大きく山なりにカーブします

 そして十字路を越えた道が右から合流してきます

合流した先150m程で右角に 常夜灯 があります天保四年(1833)の銘。太一と刻まれているここから街道は東に真っ直ぐ二本木宿に入ります

二本木宿 に入ります

この辺りの筋に、上角屋・徳田屋・増田屋・枡屋などの旅籠 が並んでいました。

そして十字路を越えると、丁子屋・下角屋 その先、宿の東には 末広屋・紅葉屋の旅籠 が並んでいました
二本木宿も昔に面影を残す旧家が残り、情緒ある宿場町の街並みです

旅籠「下角屋」 昔の面影を残している

宿場の東の端で道は分岐しています。かつての旧道は左の道ですが、少し進んでいくと近鉄線の線路で消失、線路を越えて北側に沿っていたが線路に踏襲されています。

150m程行ってみます

線路に突当り旧道は左側で並行していましたが、完全に草で覆われ消失痕跡は残っていない

前述の分岐点の戻り右の道を進みます、途中左を見たところです

700m程進むと右に雲出川が接近した左に 地蔵

川と共に右にカーブします。かつての旧道も近鉄線を越えてきて歩いている道の左の藪を平行してきていました。

150m程進むと左にカーブします

左にカーブして数十mの所
左に旧道の残骸がありました、探求心があるというのか物好きというのか私のいいところ。左の藪の中に入っていきましたでも道跡がはっきりあります

入り口に初瀬街道の立て札があります。なので旧道の痕跡が残っているのだどこまでけるか入っていきました

 雑木や藪のトンネル

荒れているが竹藪に変わりました

少しsレ手道が怪しくなったが歩けます

逆光でわからないが、100m余り先で線路の土手近くに出ました。ここまでは旧道の残骸が残っています。すぐ前の線路の北側には道らしきものはありません完全に消失しています満足

もとの街道に戻り進みます、大堂川に架かる楠木橋を渡ります

県道を進んでいくと、桜の堤に出ます

亀ヶ広桜並木の名所 として親しまれています。右は雲出川

この地は白山町の東南端で、古代から大和朝廷と伊勢神宮とを結ぶ交通の要衝としての初瀬街道当時の旅人もこの桜で心を癒されたことだろう

雲出川の支流の三ヶ野川に架かる小川橋を渡ります、車の危険もないし気持ち良い景色を堪能しながら歩けます。春の桜の季節ならもっといいだろうな

 振り返る

左に 真盛上人御雀遺跡

此の淵は天台真盛宗の宗祖真盛上人ゆかりの地で、誕生寺の境内で出生された(1443)。上人の幼名を宝珠丸といい、宝徳二年(1450)御年七歳にして出家された。宝珠丸と此の淵にまつわる伝説が残り、笠着地蔵、逆着地蔵と呼ばれ今に残っている。

笠着地蔵
急な崖の巨岩に刻まれた摩崖仏。上人が幼児の時、故あって雲出川に捨てられた、上人が乗せた笠が流れを遡ってこの淵に流れ着いたという。その奇蹟にちなんで刻まれたもの。道中安全を祈る地蔵で「笠着き」「逆着き」地蔵と呼ばれる

逆さ地藏
前の川岸の巨岩の下。安政の大地震の時、道路わきの巨岩が二つに割れて転げ落ち、刻まれていた地蔵が逆さまになったのだという、上からは見えていない

雲出川の景観

先を進みます

その先で道は分岐していますが右の真っ直ぐの道を進みます

街道より左山裾に誕生寺が見えますが少し遠いので寄れません

誕生寺
天台真盛宗の開祖・新盛上人の生誕地。産湯井戸館が残る。その後ろの山は大池 大仰城址

気持ち良い街道を進みます

やがて右の雲出川に架かる大仰橋を渡ります、そのまま少しまっすぐ進みます。また戻ってこの橋を渡りますが

右に 常夜灯 天明三年(1783)銘。左の清福寺近くにあり対岸にかつて板橋が架かっていた
かつては、対岸へ板橋がかかり 渡河していた跡
常夜灯の横 大仰の有料板橋跡碑

対岸の集落

成福寺

境内の 真盛上人慈父母菩提所

成福寺の北側に見える 浄泉寺

現上出公民館の 華香寺跡

浄泉寺の北側に山裾にある 大井神社

誕生寺に寄らなかったのが悔いが残るが、元に戻り雲出川に架かる大仰橋を渡ります
明治以前はこの大仰橋から約200m下流に前述の板橋がかかっていた

橋から対岸の向川原の集落

 橋を渡った袂から、対岸の成福寺方面の景色。川が増水したときは、板橋を上げて、舟渡しに変えたという

橋を渡り左に折れます、一つ目の信号で分岐するので、右斜めに入る旧道を進む

分岐する手前、右に大井小学校があります。左にJA資材倉庫の所あたりに、対岸から板橋が渡っていた

その先で交差点に出ます、その手前角に

堰跡 川の流れを緩くするためであったのか

交差点を横断、其の先の町筋

左から先ほど分岐した道が合流してきます。
かつての旧道は正面民家の所を真っ直ぐ坂を上っていたが、今は旧道は完全に失われています。右に折れて迂回道を進みます

その先で左に大きくカーブして進む

左にカーブしながら坂を上っていきます。峠のようです

ガードレールが切れた辺り左り背後に、かすかに消失した前述の旧道が上ってきていたのだろうと思われる跡がありますが、すぐ完全に消失しています

ほぼ峠の頂上に達したとき道は分岐します。左の旧道に入り坂を上っていきます
ボタン峠

坂は 谷戸坂 とよばれ、付近ではボタン石が採れるところから 「ボタン峠」 ともいわれた。
明治頃まで沢蟹焼の店が並んでいたという谷戸坂左に 唐戸石・根基石

 谷戸坂の途中左に 薬師地藏

地蔵の前の街道

左に整備された 石造り物(山の神かな)

石造り物の少し先の右に折れる道を下り15号線を信号で渡った右に(少し寄り道) 万燈さんと常夜灯 常夜灯は明治時代の物

元の街道に戻り右からの道と合流する手前右角に 常夜灯とお宮さん 常夜灯は明治三十二年の銘

常夜灯とお宮さんを振り返る、右が出てきた旧道

少し先で右からの前述で分岐した道路に合流します

合流して暫く進みます、すぐ先で左に山型になった旧道があったようですが見逃しました

この井関交差点の少し先に出ていたようです

多気往還
右にフアミリーマートがあります。街道は真っ直ぐ行きますが、右斜め後方、ファミリーマートの背後、浪瀬川に沿って行く道があります。浪瀬から矢頭峠を越えて津市美杉町多気に通じる多気往還です。

振り返ると左の道が多気往還です

街道を進みますとすぐ右に入る旧道があります

右に入った町並みを進みます

広くなっていて左に行けば近鉄川合高岡駅方面へ行けますが、真っ直ぐ進みます

やがて右にJR名松線が沿いま、旧道は瀬川沿いを進んでいたので、注意をしながら線路を渡り川岸へ出ました。よくないの十分承知すぐ左先にJR一志駅

線路を渡ったところです、正面の道を来ました

右の川沿いを進みます

 暫く旧道の堤防道を進んでいくと、JR名松線で旧道は消失しています

ここはとても渡ることはできません

次回は前方の八太橋を渡ります。
本日は丁度時間的によく、左の線路手前の道を左に進み、500m程先の近鉄川合高岡駅へ移動して帰宅の途につきます。自宅までかなりの時間を要します。

4日目終了

次の日はコチラ

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