若狭(鯖)街道 【3日目】

2015年7月11日

朽木栃生~保坂分岐点~九里半街道~今津駅前泊まり
出町柳ばす7時45分発、前回の栃生バス停から3日目スタート、今日は途中九里半街道を下り今津駅前に泊まる。
一部旧道も歩けたが、多くは車の多い歩道のない国道で注意が必要のため気持ち的に疲れた。その上30度越えの厚さで少し参った。保坂まで行って宿泊先のこともあり、若狭街道を保坂で一旦中断します。保坂から九里半街道を歩き近江今津湊へ、今晩は駅前の可志登ホテルに宿泊。
前回の栃生バス停から,3日目9時04分スタート

 300m程進むと右に入る旧道がありま

旧朽木村腰越集落の旧道を進みます

途中右に 松泉寺

その先で左からの367号線に合流します

栃生口バス停付近

交番・栃生発電所の前を過ぎて進みますと右に旧道らしい道が上っている、間違いなく旧道と思われるが、先がわからないのでここから観察だけとする。何故かというと、367号線が浅い切通で道路がつくられている

そこから350m程367号線を進んでいくと、右に入る車道があります、角に村井フィッシングセンターの看板が掲げられています。私の想像ではここを50mほど入ったあたりを旧道は南北に通っていたのでは、

そこからさらに367号線を350m程進むと右から集落の中を細い道が鋭角に出てきます。そこの辻を振り返ったところですが、前述の分岐して坂を右に上っていた道が、ほぼ367号線の東側50m辺りを平行して通っていたと思われます。
ただこの道は集落に先で消失しているようですが、確認したいが、自宅より遠いし残念ですが、その時、気が付いていれば悔やまれる少し山手に 慶昌寺 があります前述の右への坂道を上っておけばよかったと

そこよりすぐ先に村井バス停、左には安曇川に架かるお井橋があります。橋の西方向を見た風景です。橋を渡っていけば村井集落です。宝泉寺や八幡神社があります

367号線を進んでいきます

700m程進むと、右に入る旧道がありますので右へ

旧道の朽木大野集落を通ります、数軒しか民家はありません

安曇川の支流の橋を渡りその先で367号線に合流します。合流する右手に市杵嶋神社があります

市杵嶋神社 と大木

合流して367号線を進んだ所から神社の前を振り返ったところです

神社から300m余り進むと右に標識が建っています。右の山に進む道が比良山系への植谷林道の蛇谷が道とこの先、桑野橋を渡り白倉岳登山口へ

右の蛇谷が道へ

すこし進むと道が分岐します、左にカーブする367号線を進みます

左にカーブしてその先で、安曇川に架かる桑野橋を渡津手前に、桑野橋バス停があります

桑野橋から安曇川の景色、この辺りの川幅は結構広い橋から右(北側)の景色で、この辺りがかつての 渡し跡 です

橋から左(南側)の景色

橋を渡って右に折れます、右側に森が続いてます

すぐ右に 桑野の渡し跡の案内板 が掲げられています

 川に下っていくと渡し跡

暫く367号線に重複して真っ直ぐの道を進みます

途中右に 灯籠

古川バス停左奥に石垣が組まれた 大通院

下古川バス停左には 広田神社

高島市朽木古川の街道を進みます、車も少なく快適です左に 灯籠

田園が広がり道路に広い舗道が沿い安心して景色を見ながら歩けて素晴らしい

やがて大彦谷川に架かるどうかん橋を渡っると上岩瀬バス停があります

右に 灯籠 があります

その先で道は分岐します、左の旧道に入ります朽木岩瀬の集落です

旧道を入るとすぐ左に、説明石碑がある江戸中期より平成十六年三月まで、二百七十余年間にわたり、興聖寺「門前地藏」がここに祀られていた

(寄り道)ここを左に入り興聖寺跡に寄ります

朽木名刹 興聖寺
鎌倉時代の嘉禎三年(1237)近江の守護佐々木信綱は一族の供養および佐々木家の菩提寺として建立、仁治元年(1240)七堂伽藍が完成、末寺は三十六ヶ寺を数えたという名刹。
その後、朽木氏と改め戦国を息抜き幕末まで続いた。

今は、本堂と庫裏、鐘楼が残るのみである

旧秀隣寺庭園(国指定名勝)
庭は、享禄元年(1528)朽木稙綱が将軍足利義晴が京都の三好松永の乱を避けるため、朽木氏を頼ってこの地に3年ほど避難した時、館を建てたその際、作庭されたと伝わる。
慶長十一年(1606)、朽木宣綱が亡き妻のために寺として秀隣寺と号したが、のち朽木村野尻へ移転、その跡地へ興聖寺が建てられた。その後、十三代将軍義輝は六年半ほど滞在された。また千利休も訪れたという。

少し先左に 志子渕神社

神社のすぐ先で道は分岐します、右の道で367号線に出ます

左の道は旧道のように見えますが、田畑のためにつけられた新道のようです

分岐した367号線に合流する手前右に 祠が二つ 祀られている

367号線が真っ直ぐ朽木宿へ伸びています

神社より500m程先の交差点、右にはくつき新本陣の道の駅があります。左にローソン

交差点より150m程先、正面角にGSがある分岐を左の旧道に入ります

その辻より367号線を振り返る、右にローソン、左にくつき新本陣道の駅が見えます

分岐を左に折れる旧道
若狭(鯖)街道の朽木宿 の南の入り口です
朽木は朽木氏の城下町

右に緩やかにカーブした左にJA西びわこ朽木があります。朽木宿の新町の街並みです

街並みを100m余り先の十字路を左に折れますそこに 天台真盛宗慶寶寺の石標 が立っています

十字路といっても右の道は、慶寶寺の参道で、鍵曲になっています

案内地図と説明板が建っています

鍵曲(かいまがり)
城下町特有の構造で、折れ曲がる街路を枡形と呼ばれていますが、ここでは「鍵曲」と呼ばれている。
かつて、市場の集落内には十三ヵ所以上の鍵曲が設けられていたといわれています。現在でもその大部分が残っています。
十字路を左に折れて数十m進むと、再び十字路に出ます、そこの辻も鍵曲りの一つです。

右に折れる左角に、昭和八年建築の三階建て洋館で百貨店のはしり、丸八百貨店 が目を引く、現在、喫茶店や鯖街道資料館となっている

右に折れた朽木市場(本町)の街並み宿場街並みに水路が残されており、洗い物や夏の涼しさを求めた打ち水や、冬の除雪、防火水等々に利用された知恵の水路。今も綺麗な水が流れており町では全く見ることができなくなった

街並み左に 旧商家 熊瀬家住宅
室町時代後期の(十六世紀の初め)記録に朽木市場には商家が十七軒存在し、問屋や馬借の業者もいて繁栄したことが残る。
江戸期から明治にかけてさらにいろいろな業者が集まり賑わったといわれてる。この、熊瀬両家(仁右衛門家・伊右衛門家)は酒造りや醤油造りを本業とし、藩の御用商人として繁盛していた。(説明文より) 

その先左に奥に 蛭子神社

すぐ左に新しい 道標 「左 京道 鯖の道」

神社前より朽木市場(本町)通りを振り返る

朽木村に通じる旧街道はいくつかあるが、それぞれ京都、北陸、琵琶湖へと通じている。元亀元年(1570)、織田信長が越前朝倉攻めの際、近江の浅井長政の裏切りにあい、朽木街道を京都へ逃げ返ったことはよく知られている。
この街道は、政治・経済的に重要な役割を果たしてきた。特に、鯖の道として日本海の海産物を京都の都に運ばれた。若狭と京都を結ぶ道はいくつかのルートがあったが、総称して「鯖の道」と呼ばれた。この道の歴史は古く平安時代に入って明治まで、湖西の道ができるまでの間、約1千年の長きにわたって使用された古道であった。(説明板より)

神社の前を進むと、鍵曲になっている。右に折れてすぐ左に折れます。右角に、造り酒屋 熊瀬本家「狛屋」住宅跡の標示がある

鍵曲を左に折れた殿町の街並み

鍵曲から100m程先、右に用水がある角を左に折れます。左に折れる右角に

旧造り酒屋の 松宮家住宅 があります、道なりに70m程進むと郵便局の前に突き当たりますが
ここで少し【寄り道】をします左に折れずに真っ直ぐ進みます、すぐ先で367号線の山神橋交差点に出て横断します。北側に架かる朱色の歩道橋をわたると

朱色の山神橋、北側に架かる橋を渡ると正面に 山神神社

橋から左(北)の景色

神社から250m程23号線を東(右)に進むと左の高島市立朽木資料館があります

かつての 朽木陣屋跡 明治維新と共に取り壊された

朽木氏陣屋跡
鎌倉時代前期より明治維新までの600年間、近江源氏、佐々木氏の庶流である朽木氏によって治められていました。関ヶ原の戦い後、江戸幕府より交代寄合(準大名)に格付けられ9595石を領有し、陣屋を構えましたが、明治維新後は建物全て取り壊され、現在では村民グランドや森林組合となっています。遺構として堀跡とともにわずかに土居や石垣や井戸が敷地内に部分的に残るのみです。(説明板より)

元の山神橋を戻り松宮家の辻へ戻る。

左に入っていくと、正面に朽木郵便局があり、突き当たるので左に折れます。ここも鍵曲りになっています。左に折れてすぐ右に折れて進みます

寄らなかったが左奥に 圓満寺 があります

朽木宿の北端の下市街並み

街並みの途中右に 織田信長の休憩地
元亀元年(1570)の朝倉攻めの折、湖北の浅井長政の裏切りにより、朽木谷を通って京都に逃れる折、領主の朽木基綱が、お茶とお菓子でもてなしたという 圓満堂の跡地

その先で、宿を抜け右からの367号線に合流する、その手前左に水車
合流する辻から振り返ったところ、宿入り口の案内モニュメントが立つ、向かって左が367号線で右が宿から出てきた街道

宿の出口より750m程先で北川に架かる三ッ石橋を渡る、橋の右側の北側の谷

橋を過ぎて朽木宿方向を振り返った民家はもうありません

道と川はその先で分岐します、右の367号線を進む

分岐から200m程先右に案内板があります 信長の隠れ岩 朽木元綱の敵意がないことを知るまでここ 三ッ石の岩窟に身をひそめて待機したと伝わる

横にこのような注意書きもあったので迷ったが止めました。
隠れ岩まで300歩だが、気を付けよう、ハチとマムシと山ヒル三悪

朽木荒川に入りますが

この先、延々と続く上り坂、歩道もなく車もスピードが出て注意が必要、唯一樹林の中の道路で気持ちはいいのだが

 ここで川が左側に変わります

説明版があります

やっと長い坂も終わり 檜峠(標高書いていないが400m余りか) につきました高島市今津に入り下ります

峠といっても舗装された綺麗な道です

坂を下っていきます、小浜まで28㎞の表示坂を下るとまた緩やかに坂を上ります

右に環境センターがあるところで右に入る旧道があります

旧道を進みます、その先で左にカーブしていく。今津町途中谷に入ります

少し進んでいくと分岐する道があり、左の細い旧道を進みました

250m程くの字カーブして元の戻りますすぐ先で左からの367号線に合流します

合流した後、すぐ先で、367号線の西側に平行して旧道がありますのでそちらを歩きます

367号線に合流して、暫く重複して安曇川町上古賀~今津町保坂へ進みます 以下その間の写真です

ひたすら歩くだけです

歩道がないが車が比較的少なく助かります

橋を渡るとその先に保坂の集落が見えてきました

左に自然石に南無阿弥陀仏と刻まれている 石碑

左に六地蔵を祀られている 地蔵堂 があります

少し歩いたところでT字路になります、街道はT字路の手前で左に入る旧道があります

T字路についたのが14時、本日はここで終了して、明日ここから続きを歩いて小浜まで進みす。この後、九里半街道で琵琶湖のほとりの今津まで歩きます。九里半街道は今津~小浜までの街道で保坂から小浜までは重複する道となります。(九里半街道は別資料を参照してください)

明日はここから旧道を入る左の道

T字路より今歩いてきた道を振り返る、家の手前を右に入るのが旧道

T字路に出て右に折れたところからのT字路の辻

引き続き 九里半街道

   栃生 9時04分 スタート
   保坂 13時35分  着
      25.688歩 15.4㎞ 1180k
l

   保坂  13時55分 スタート
 近江今津 17時15分
17.565日 10.53㎞ 718kl

2街道1日 トータル
     43.253歩 25.93㎞ 1898kl

次の日はコチラ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする