2015年4月25日
東海道、関宿西の追分~上野市広小路、伊賀街道との合流点
自宅から遠いし交通の便が悪いので、4時に車で出発桜井駅前に預け、JRで奈良駅へ関西線に乗り換え関駅へ。関駅より少し歩き、起点の関宿西の追分よりスタート。天気が最高で暖かくも寒くもなくウォーキング日和となった。今日一日自動車道を歩かずゆっくり楽しみながら歩けて最高。距離は思っていたよりも長く、平坦な道が多かったので歩けたが、冬場なら無理だろう。加太越えは古代東海道で、鈴鹿峠の南約6㎞の加太を通る道で、奈良の都と東国を結ぶ主要道路であったが、仁和二年(886)京と東国を結ぶ道として新たに開かれたのが、鈴鹿越えの東海道で加太越えは脇街道に変わっていった。
関宿 8時20分 スタート
上野市広小路の追分 18時45分 着
56.932歩 34.15m 2560kl
JR関西本線関駅関駅の前(北側)は国道1号線が走っている

1号線を横断する歩道橋より西を見る山は鈴鹿山系

1号線の東を見る、亀山への国道1号線

関宿は、古代から交通の要衝として、古代三関の一つ「鈴鹿関」が置かれていたところで、東海道日本橋から47番目の宿場町として参勤交代や伊勢参詣の人々でにぎわった。また関宿は、伊賀上野への伊賀街道加太越え街道、伊勢参詣道の脇道として伊勢別街道が分岐している。
関宿は東の追分から西の追分の間1.8㎞余りがかつての宿場風景を色濃く残し、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。(時間をかけてゆっくり散策をお進めします)
駅から北に500mほど進むと、旧東海道関宿の中町の十字路に出ます。街並みに出ると左に折れます。東海道を歩いたときに通っていますので詳細散策は省きます。

東(右)の追分方向の街並み

西(左)の追分方向、まだ朝も速いのか店も開いてなく人通りもない

関宿の御木曳
関宿の東の追分にある「一の鳥居」は、伊勢神宮の遷宮で“昇殿”の柱に使われていたのを従来からここ関宿と桑名に払い下げられたもので、台車にのせ「御木曳」として街中を練り歩く伝統的行事が今回平成二十七年五月三十日に執り行われた、そのミニチュアです。

右に 高札場 が見えます

関宿高札場

高札場の先右に 天台真盛宗福蔵寺
織田信孝卿菩提所福蔵寺、境内には孝女の敵討ちで知られた 関の小万墓 がある。鈴鹿馬子唄にも歌われている。

その先左に 地蔵院
天平13年(741)行基菩薩の開創と伝わる。本堂・鐘楼・愛染堂(いずれも国の重文)

地蔵院門前の街並み、旅籠会津屋・洋館屋・川音・鍛冶屋・小万茶屋 など趣きのある町家が並ぶ

右手に 誓正寺


福生山長徳寺


関西山観音院 嵯峨天皇の御代(820)に開創されたと伝わる


関宿の西の追分

道標 「従是東 東海道関宿」

西の追分から関宿への道を振り返る

西の追分で国道1号線を歩道橋で渡る。
坂下宿から鈴鹿峠に向かう 東海道、ここで 加太越え伊賀街道起点は分岐 する。東海道の向かいの山は鈴鹿峠越

西の追分新所町交差点を渡る

新所町交差点で東海道より直角に左(南)に進む

交差点角に 法悦供養塔道標 「南無妙法蓮華経」

加太越えは南に進む道筋

左に折れて交差点を振り返る、左右は東海道

街道は大きく左にカーブ道は国道25号線を進む

カーブする左に 橋越地蔵堂二体の石の地蔵 が祀られている

すぐ先で鈴鹿川に架かる大和橋を渡る水が非常に透き通り綺麗、鈴鹿川は橋の南で加太川と合流して南へ

左の川は加太川に変わる、川の対岸には関西本線が走る



その先に分岐しますが、左に下る道を進みすぐのJR踏切を渡ります


踏切を渡り右にカーブして、右の線路近くを進むとその先で道は分岐しますが、右の道を進みます。左に分岐道は加太川を渡り南に進んでいきます

分岐角に 道標 「右 伊賀 左 越川」

左に数戸の集落があります、この辺りは関町金場地区

集落内を進みます、振り返ったところです

集落の西端で再びJRの踏切を渡ります

国道26号線に合流したところを振り返る。向かって右の道を上ってきた

街道は北に大きく加太川に沿って山型に回ります

円を描いた道の北の端から、歩いてきた街道と、加太川を見る

加太川の対岸正面は 平ノ沢城址 南平山の山麓に、土塁や石垣が残る

これから進む街道方向

途中右に 栗の木地蔵

その先暫く、加太川沿いにカーブを描きながら進む

やがて加太市場地区でJR踏切を渡ります踏切の先左に、下加太浄化センターがあり、右には鉄塔があります

少し先右に 端山の地蔵

地蔵の前の街道

前方が大きく開けました

右に 牛谷の地蔵

地蔵の前の街道

地蔵の先で道は分岐します、左の国道を分け右の集落に入っていきます

集落の中を進みますが間もなく左からの国道に合流します

右にJR関西本線の加太駅


国道沿いに 停車場の道標


加太駅前に入り線路に沿って少し進む

線路の向こう側に 臨済宗東福寺派神福禅寺
明徳五年(1394)創建 背後の山頂には、鹿伏兎城址 がある 鹿伏兎氏菩提所石碑


鹿伏兎氏の墓所

隣に 善光寺 現在は廃寺で、集落の人が本尊を祀っている

加太越え 加太宿
関宿の西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて伊賀・奈良に通じる街道です。明治時代には大和街道とも呼ばれたようです。鈴鹿峠が開かれるまでの「東海道」とする説があります。特に江戸時代には、藤堂家が津と伊賀上野を結ぶ重要な脇道として街道でした。
街道の里程は、三国地誌(宝暦13年(1763)によると、関~加太間が1里23町(約6.4㎞)、加太~柘植が2里8町(約8.7㎞)です。加太宿は加太越えの宿場の一つでが、本陣は板屋に、問屋場・高札場は市場にあってそれぞれ離れており、加太宿はそれらを含めたものです。
錫杖岳

ここ加太の地はまわりを山に囲まれた古里で、歴史にも出てきます。古くは壬申の乱(673)の大海人皇子、木曽義仲追討に京へ上った源義経(1184)、本能寺の変による徳川家康の逃避(1582)にともなう加太越えなどいくつかに歴史の舞台になってきました。
加太駅から南方、名阪国道に向こうに聳える三角形の錫杖岳(標高676m)は修験者の行場であったと伝わる。また古来より雨乞いの山としても信仰されてきた。現在は登山道も整備され、伊勢湾や中部の山々も眺望でき沢山の人が登る。(説明文より)
右にお寺を見ながらしばらく線路沿いに進む

右奥のお寺の背後に 鹿伏兎城址の山が見える


線路沿いに進んできた道が、左のヘアサロンの辻で左からの25号線に合流するところを振り返る

加太市場を進む

加太宿の静かな落ち着いた集落を進んでいく国道25号線ながら車も少なくあるくには楽だ。
また、しっかりと小まめに案内標識があり街道の認識が高く努力には頭が下がります

右に 問屋場跡の石柱

問屋場跡の少し先で、街道は左に折れます


左に折れる十字路


左に折れた50m程先で田に突き当たるので右に折れます

左に田を見ながら進んでいきます緩やかな下り道になった先右に

橋の手前に お地蔵さん

加太川に架かる細い橋を渡る、非常に心が休まる情景

橋より右(北)の加太川の眺望、前方には25号線と関西本線

左(南)側の眺望

橋を渡り振り返ったところ


橋を渡った少し先、十字路の右角に 鍛治坂城址の碑


十字路を渡り左斜めの旧道を進む。梶ヶ坂の登り口で旧道の面影を残す古道


旧道は左の道を進むが、右の道を少し入っていくと

禅宗常光寺 かつては 鍛治坂城 があった

坂から南方向を見ると、錫杖岳がよく望める

先の分岐地点に戻り左を上る

ここから古道の面影を残す地道の 梶ヶ坂へ

地蔵さん が祀られている

梶ヶ坂 の旧道

切通となっている 峠の頂

快適な下り坂を進む



左に亀山森林公園 「やまびこ」

公園の中の道を進む

公園を抜けると右から25号線が合流します

25号線と合流した地点、正面向かって旧道は右から来た

合流した先で加太川に架かる鈴原橋を渡る

水はさすがに綺麗

橋の渡った袂左に 道標 「・武道」


自然石の お地蔵さんが二基

加太の町並み


石地蔵 加太小学校前の街道沿い、天保四年(1833)


信号交差点に出る、左に行くと名阪道路に板屋ICに出る。街道は屈曲して右の道を進む


お地蔵さん が数体石組のうえに、左の加太郵便局の向かいにある、ここは昔には お茶屋があった



右に 本陣跡 現在空き家

本陣跡の少し先右に 街道名残松
本陣の西側の 庄屋屋敷跡の土塁 見えないがここに「音吉」と刻まれた上部の折れている 道標 があります

右奥に 臨済宗天平山浄専寺

すぐ先で道は鍵の手に曲がっています。正面に 川俣城址の碑と川俣神社碑 が立っています

碑の所の参道を入っていきますと 灯籠が二基


さらに森の入り口にも 灯篭二基

その先で鳥居をくぐり石段を上ると 川俣神社

境内に宮相撲の土俵があります拝殿の背後には杉のご神木が立つ

鍵の手のところから街道残り松を振り返る。左、庄屋跡と本陣跡

鍵の手の道を見て進む

加太北在家の集落を進む

暫く進んだ右に 臨済宗妙心寺派天祥寺

加太地区もこの辺りで集落も終わる

左から道が合流してきた先で、JR線踏切を超える

お地蔵さん
北在家集落のはずれにある、道に背を向けた地蔵

大和街道架道橋 関西本線の架道橋を潜る斜面に お地蔵さん

西への道を進む

暫く進んだ先右に お地蔵さん

すぐ先右にも お地蔵さん この街道沿いにはお地蔵さんが多い

その先の25号線車が相変わらず少ない左には加太川が沿う

緩やかな上り道が続く



左にイシバシ工業

旧道は真っ直ぐ谷を越えていたようだが、完全に消失しているので、右にカーブして迂回している

山を半分切り崩している

右に迂回して左にカーブする道沿いに、加太不動滝の案内板と 三界萬霊の石碑

不動の滝への道があるが寄りません

左に急カーブして

さらに右に急カーブする、急カーブする真っ直ぐの林が、先ほどの消失した道がこの辺りに出てきていた

全く跡形もないかつての旧道


暫く歩きますと伊賀市一ッ家に入ります

右の擁壁が無くなったところで、旧道は右に入るのですが、わずかに形跡が残っていますので、右に入っていきます

距離にしたら短いです、向こうに道が見えていますが、雑草が茂って旧道は消失歩けないようです

一旦25号線に戻り、少し先で平行した北側の道に出ます

北側(右)の旧道に入りましたが荒れているようですが歩けます

右にお地藏さんの 祠 中には自然石に二体が彫られています。
徳川家康が本能寺の変での伊賀越えのときこの前の道を抜けたといわれています


住んでいないようですが建物の所に出ますが旧道は残り快適になります


右に お地蔵さんの祠

稲荷社
がありますかつてこの一ッ家には旅人宿の伊賀屋、紅葉屋、酒屋など十数軒の宿が並んでいたようです。今はその様子を偲ぶべきもないですが、平坦で広くなっているので唯一想像ができます


獣除けの金網を開き中に入ります

一ッ家の集落に入るようです

人の気配もない静かな山間の集落を進むそういえば今日歩き出してから人と会っていない気がする。


集落を抜けると左からの25号線に合流するが、すぐの右への旧道を進む


少し先で25号線に合流したところから振り返る、正面右が池の堤。さらに道が分岐するので、右の道を200mほど進み25号線に合流

合流するところを振り返る、正面左から下ってきた旧道

その先の25号線を進みます、天気もいいし快適な街道歩き、広い25号線を一人占めしたような気分

やがて関西本線のガードを潜ります

左街道沿いに雅山池が見えてきます。綺麗な景色です。灌漑用の人工貯水池で街道は池に沿って北側沿いに300mほど進みます

左に貯水池の 記念碑 が立っています


池を過ぎ300m程先右を振り返ると、獣除けの金網で閉鎖された旧道らしき跡が残っていますが入れません。多分25号線に沿った旧道でしょう。

その先で道は分岐しますが右の道を進む。左の道は25号線で名阪方向へ出ます

右の旧道を進みます、左に沿う川は柘植川に変わります

分岐点から300m程先右にブロック塀の囲まれた 大神宮の祠と苔むした石灯籠


柘植町岡鼻の街道

その先道は分岐するので、左の旧道に入る

左に入り右にカーブした先左に 常夜灯

先ほど分岐した道が右から合流する

柘植町の街道はほぼ西へ真っ直ぐな道である。柘植川の支流の橋を渡ります

橋から川を見ると、疫病が集落に入るのを防ぐ 勧請縄

左に 曹洞宗玉林寺


その先で車道50号線に交差して横断する

交差点から200m余り先左に、元柘植病院の赤煉瓦塀、なかなか雰囲気がいい


歴史を感じさせる趣のある建物の横に昔の 雪隠

幼い頃山深い親類に行ったとき母屋から離れたこのような雪隠に行くのが怖くて付いて行ってもらったことを思い出した

すぐそばに 八幡社 近くの斎藤家一族の守り神らしい

小さな川を渡った先の街道
何処から 柘植宿 かよくわからないが

その先で車道の交差点に出る、真っ直ぐ進みます

進んできた交差点を振り返る

進んできた交差点手前右に、江戸時代に庶民の教育場として開設された 心学道場麗沢舎跡碑


すぐ先右に都美恵神社の参道入り口がある

街道より【寄り道】右に折れ参道に入る

石造りの鳥居 漢文12年(1672)に建てられた

都美恵神社 立派な拝殿が建つ

拝殿より望む神社の起源は古く二~三世紀頃といわれている古社

街道に戻り神社向かいには 敢都美恵宮跡碑(あえとみえのみや) が立つ

街道の情緒が残る街並み

街道は柘植宿の変則鍵型十字路に出る


十字路の正面角に 柘植宿元標

十字路より柘植宿内の町通りを振り返る

鍵の手になった十字路を左に折れる

すぐに右に折れた街道筋

ここで一旦中断して、十字路で右に折れて【寄り道】します。
浄土宗平庸山無量寿院徳永寺
藤堂藩祖藤堂高虎から元和元年(1615)に下付されたのをはじめとして歴代の藩主の寄進状十数通が残る

梵鐘と鐘楼 享保三年(1718)の銘がある

中央に南北朝後期の 石造宝篋印塔

柘植宿の図

十字路に戻り戻り、今度は右斜めの道に入り200m余り進む

天神社跡・柘植町役場跡の碑


少し北側に成田不動明王の参道があるので木の下の道を上る


成田山椎老木
樹齢750年と言われ、天正伊賀の乱にも戦火を免れ、天正十年(1582)六月、本能寺の変の折、家康は堺から河内を経て飯盛山(現四条畷)より伊賀を通って三河まで逃避行を行った。その道中で一行がこの寺山(現成田山)の山裾の徳永寺で休息をとったといわれている。
この時に、この椎の木に見張りを立てたと伝わる。(説明文より)

柘植公民館下の傍の お地蔵さん

柘植町歴史民俗資料館・公民館併設

変則鍵型十字路に戻り上柘植の集落街並みを進む

少し進んでいくと右に 石柱

史跡 小御堂跡

右に柘植中学校

その先に右への 横光公園への案内板が立つ

横光利一ゆかりの梅田竹次郎宅跡
文豪・横光利一は少年時代、母の実家のこの場所に母と姉の三人で梅田竹次郎宅の二階で住んでいた。東柘植小学校の一年生(明治三十七年六月から)に入り五年生の九月までの四年間住みました。昭和五十一年建物は取り壊されたが、石積みの井戸が残っている。



伊賀コリドールロードが南北に走る信号交差点に出るので、信号を左に折れてすぐまた右に折れて西に進む

交差点西奥に 曹洞宗極楽寺

交差点向かい左に 道標と大師堂

交差点を左に曲がる、すぐ先で右に折れる

右に折れた街道

左の側溝に沿って閑静な集落を進む、雰囲気は最高


やがて左斜めにカーブするところ、かつては右斜めに旧道は進んでいたが、今は廃道となっている

車道を道なりに進むと100m程先で、25号線の十字路に出るので右に折れる

25号線を右に折れたところ、すぐ先で橋を渡ります

橋の手前右袂に 石仏


橋を渡ったところから、右(北)を見る、廃道となった旧道は、この川の東側に沿って石仏の所で25号線に合流していた。最も当時は25号線はないから、この辺りを渡っていたと思われる写真では見えにくいが、150m程先に勧請縄が川を渡している。

橋を渡り25号線を横断して左川沿いに進み右(西)にカーブして進む

右に日本サンガリアベバレッジCO伊賀工場

この辺りは中柘植地区 左の川は柘植川

暫く歩いた先、上市場地区で道は分岐します左の旧道を進み南西に左に柘植川をつかず離れずに進んでいきます

上市場の街道

上市場集落内の十字路

十字路の右入ると 上市場のお地蔵さんがたくさん並ぶ

十字路を真っ直ぐ進む

100m程先で、左からの道が合流して右斜めに進みます。正面に大きな旧家が並ぶ

伊賀市下柘植の集落を進む


その先で十字路に出ます、左に折れて進み柘植川を渡った先右に 西光寺

柘植一族の墓所

境内のイチョウの大木天然記念物

下柘植町を過ぎて御代に入った街道

暫く長閑な街道を進みます、左に柘植川が迫ってきます。十字路です、左の柘植川に架かる愛田橋を渡るとすぐ名阪道路です

十字路から今来た街道を振り返る


暫く街道を進むと柘植川の支流の橋を渡ります。右に折れて堤沿いを500m程いくと関西本線の新堂駅に行けます


街道右に芭蕉の酒博物館、伊賀の里橋本酒造

その先で御代の集落に入るところの十字路手前右に 常夜灯

十字路の左は柘植川に架かる御代橋、街道は橋を左に見て西に真っ直ぐ進みます

十字路を右(北)に200mほど行くと、伊賀忍者の元締めの一つ 鈴木屋敷跡 伊賀市指定史跡なのに何も説明板がない


十字路に戻り西北角に 一心山専念寺


十字路に戻り西に進みます、すぐ柘植川に支流に架かる橋を渡ります

左に 常夜灯 この辺りの常夜灯の型は少し違う何型というのか

暫くまた長閑な街道を進みます


十字路の手前左に 祠と常夜灯 十字路左に行くと柏野橋

柏野地区の街道を進む

柘植川に沿った素晴らしい街道

十字路に出ます街道は真っ直ぐ、左に行くと西の沢橋

十字路から、来た街道を振り返る

十字路の先は柘植川沿いに続く並木道、地元の人たちの散歩道に最高

国道25号線が交差する交差点、旧道は交差点を横断して200m程先で左に折れて柘植川を渡っていたが、川を渡れないので、交差点を左に折れて円徳院橋を渡り対岸に迂回する

少し交差点を横断して旧道をたどります

少し進んだ左に 地蔵さんを祀る 祠

祠の裏側に大和街道(伊賀街道加太越え)の案内板があります

円徳院の集落に入ります、祠から100mほど進んだところ

かつてはこの辺りから柘植川を対岸に渡っていた 渡し場跡


交差点に戻り左に折れて橋を渡り円徳橋西詰信号交差点に出て右に折れます、真っ直ぐは25号線です

右に折れた道、左にマックスバリュー店

マックスバリューを過ぎたところの 佐那具町の集落

この辺りから右の柘植川を対岸に渡っていた 渡し場跡 何も痕跡はありません


佐那具地区を進みます

佐那具の街並みに入ると宿場らしい雰囲気になります
佐那具宿


右に旅館八百銀があります、そのすぐ先T字路を左に折れてまたすぐ、右に折れる宿場の鍵の手があります

左に折れてすぐ右に折れたすぐ先、左はかつての 本陣跡 です

左にこんにゃく屋さんがあります

素晴らしい街道宿場風景です

少し先左に 府中神社


真宗佛光寺派了源寺

境内にある史跡 了源上人墓

了源寺前の十字路を真っ直ぐ進む、佐那具の街並みが続きます。車も通らなくゆっくり楽しみながら歩けます。
十字路のを銀行の角を右に行き柘植川の対岸は関西本線佐那具駅です

なまこ壁の蔵を持つ旧家や大きな土壁の立派な大きな旧家が並びます。25号線は旧道に沿って左側を通っていますので、このように旧道と旧家の家が残っています

その先街道左側25号線沿いに 天台真盛宗金龍山西方寺



松原地区に入ります

右に 常夜灯

常夜灯の先で小さな橋を渡ります

左からの25号線を斜めに交差する手前右に

孝子留松之碑
安永四年(1775)上野市東条農家の次男として生まれた。父の佐吉は、難病の母や祖父、幼い留松を残し旅に出たまま帰らなかった。留松は物乞いをしながら生計を立てたが、九歳の時、母は他界した。これらの行いが藩主の耳に入り天明三年(1783)上野城に召されお褒めの言葉と米五俵を賜った。寛政元年十一月(1789)十五歳に達した留松に米十俵賜ったというが、一家の最後は明らかでない。この留松の孝行を顕彰するため、東条の人たちが明治41年碑を建立した


25号線を斜めに横断、南側に出て平行に進む

左に府中小学校、せがわ歯科クリニックがある

暫く進むと突当りで左に折れる、その右に 地蔵堂

その角は 恋の湊 古代の国府の湊跡といわれている

左にカーブして振り返る

南に真っ直ぐの道を地蔵堂より400mほど進む

途中小さな橋を渡る

400m程先での十字路を右(西)に折れます

西に折れると側溝沿いの田畑の中の道を一直線に進む。日もかなり傾いてきたので急がなければ

350m程先で右に小さな 祠

すぐ右に 清安寺

お寺境内の公民館前に 道標 「左 ならはせ山上・ 右 東海道せき・」

少し先から振り返ったところ

その先で25号線のT字路に出るので左(南)に折れる

25号線を暫く進みます


右にパチンコダイナム上野店

その先右に 香華山臺上寺

台上寺域に、服部六郎時定の屋敷 があったと伝わる。堀跡が残り中世土豪の屋敷跡と推定される。

左に 小宮神社


そのすぐ先の信号交差点を横断します

右に 祠と石碑 がきれいに整備されている

祠を過ぎて小さな橋を渡りその先で、右の細い旧道を進む。かつては、その先で服部川に突き当たり少し右に行ったところから服部川を渡っていたようだが、いまわ渡れないので、左の25号線の服部橋を渡り対岸に迂回する

服部橋の北詰より対岸を見る

服部橋

橋より北側の服部川を渡っていた 渡し場跡 あたり。木の向こうはアピタショッピングセンター

服部川の対岸南詰に出て、右に折れ堤防上の道を200m程進み渡しの対岸に出る。この辺りがかつての 渡し場跡

ここで堤防より左に下りるところ

新しい住宅地の中を進む

少し先で右に折れてすぐ又左に折れる(後でわかったがどうも真っ直ぐが旧道であったようです)


笠置木川に架かる樋ノ口橋を渡ります。旧道は橋の左辺りを渡っていたようです

川を渡り平野西町に入ります、信号交差点を越えます

橋より信号200m程先の信号交差点を渡ると道は狭くなります

交差点を越えて400m程南に真っ直ぐな道を進む

やがて旧道は突当りに出ますので、右の細い坂道を上りますが、その右角に

厄除け地蔵

厄除地蔵を右に見て坂を上る、坂を上ると上道に出るので左に折れるとすぐ左T字路を右に折れます

坂を上ったT字路の東側に 道標 「左 東海道せき道 右 ならはせ山上道」


T字路から100m程南に進むと東西に通る25号線に交差しますので横断する。その角に史跡 芭蕉翁誕生の地の碑 が立つ




25号線を越えた左に 妙華禅寺

芭蕉の門弟、木白の墓所

祠 があります

やがて十字路で東西に通る 伊賀街道 に合流します

伊賀街道の東への道

伊賀街道の西への道

十字路を西に重複しながら100m程進みます旧家が並んでいます。

十字路に出ます、角に 旧家の井本薬店

角に 道標 「京大坂 ならいせ道」「東海道」


この辻で、伊賀街道加太越は終了、伊賀街道と合流


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