薩摩街道(補充)【第4回3日目】

2025年10月14日

鹿児島市内見学し~姶良市へJRで移動
垂水港発6時50分発~鴨池港に戻る。港からバスで鹿児島中央駅へ。
この日レンタカーで知覧への予定だったが、眼鏡紛失しているのがわかり、心当たりを連絡したがわからなかった。仕方がないのでレンタルサイクルでまわる
変更して午前中鹿児島市内を廻り、その後JRで、姶良市へ怗佐のホテルへ

【鹿児島市内】
幾島の墓 招魂墓
鹿児島中央駅の南西 唐湊2丁目の唐湊墓地 墓地の西端にありました
薩摩藩士の娘 名字は朝倉糸 文化5年(1808)~明治3年(1870)没62歳
島津斉興の養女郁姫に仕え文政8年(1825)、近衛忠熙に嫁いだので京都でお付き女房となる。嘉永3年(1856)に郁姫が亡くなると。その後、島津斉彬に立っての依頼により、13代将軍家定に輿入れする篤姫のため、教育係に抜擢され、そのまま篤姫付きの老女として江戸城大奥に入ります。

広い墓地ですが比較的わかりやすいです。ここを入っていく両側に船倉家と南家の墓の間

朝倉氏先祖代々の墓

朝倉糸女の墓(幾島招魂墓) 

唐湊から南東の郡元駅の南、新川沿い、志學館大が北側に見える 郡元町9 露重(つゆしげ)墓地
奈良原繁、喜左衛門(兄)の墓

石段を上ると直ぐあります

正面 奈良原繁の墓 
政治家 大正7年(1918)84歳没
文久2年(1862)奈良原や大山綱良ら9人が島津久光の命により、同じく同志の有馬新七らを鎮撫した寺田屋事件の中心人物。向かって右は喜左衛門向かって右は妻の墓

 西郷南洲野屋敷跡
西別府町2790 流通業務団地の西側で鹿児島実業高校の北側、細い道を入る
西郷が青年時代に開墾して、里芋や甘藷等植えていたという。質素な住まいであった。明治10年西南の役には妻イトが11人の家族と生活をしていた

車道から案内板の所を右の細い道を入っていきます

100m程奥です

東屋が広場に建っている

明治6年(1873)11月、鹿児島に帰ってきた西郷は「武村の吉」と名のり農業を始めましたが、ここ西別府にも屋敷があり、瓦葺きの家を建て、耕作にいそしんだということです。
この地にある碑には「藩政時代、城下小禄の士に対し藩庁より郊外に抱地(かけち)と称して、山野耕地を与え、自作開墾させ、即ち古の半農半士遺法なり。西郷南洲翁も郊外西別府に抱地を有し、余暇にこの地来りて自ら耕作に従えり」とある。

前回も来ましたが、もう一度来ました
西郷家の墓所

妻 イトの墓 はここにはありません、東京青山霊園
墓所入り口 車道沿いにあります

おもだった墓
西郷吉兵衛と妻、隆盛の曾祖父
西郷龍右衛門と妻、祖父
西郷吉兵衛、父
西郷満佐、母
西郷吉二郎、実弟
西郷マス、吉二郎の先妻
西郷園、吉二郎の後妻
西郷松子と幸吉、実弟小兵衛の妻と長男
西郷菊次郎と子孫、奄美大島龍郷の愛加那との間の長男
琉仲祐、親族でないが徳之島での役人琉仲為の子で、西郷を慕って同行して鹿児島へ、すぐ病死している。

墓所より南に 薩英戦争の時の本陣跡(千眼寺跡) 南側の道の向かいに西田小学校がある花壇の中

天保山町へ
松林の中に 調所広郷の像
薩摩藩家老 嘉永元年(1849)73歳 財政の改革を成す

公園の近く太陽橋傍に、慶応2年(1866)3月の来鹿を記念したもの
坂本龍馬新婚の旅碑

天保山公園砲台跡
公園の沿岸近くには薩英戦争の砲撃の火ぶたを切った砲台跡の一部が残っているようです

公園の西 島津斉彬公御陣屋跡
天保山中学校敷地内に

幕末第一英主(斉彬)の調練場の説明

甲突川の天保山大橋を渡り北に暫く行った 南林寺町
南林寺由緒墓
元この付近には南林寺墓地で非常に広大な墓地であったが、市街地の開発により大正8年(1919)整理されてなくなったが、墓はそれぞれ他の墓に改葬されたが、残った由緒ある墓をここに集めて由緒墓となった。
(主な墓には)
薬丸示現流の開祖 薬丸兼陳、その子兼福
薬丸兼義  時代は下って、薬丸示現流の達人で幕末明治の武人  多くの門人を育てる。明治11年(1878)没74歳
柏木源藤(供養墓)  関ケ原の戦いで、井伊直政を狙撃した武士と言われている。狙撃のもとで1602年直政は死亡。それを聞いた柏木は出家廻国修行に出て行方不明
赤塚源六  函館戦争で軍艦春日の艦長。病気により明治6年(1873)没40歳
森山新五左衛門(遺髪)  寺田屋事件で傷を負い、翌日伏見藩邸で切腹 20歳
森山新蔵  新五座衛門の父で豪商から武士になった、息子が亡くなった後、鹿児島で切腹
迫田利済  若き日の西郷隆盛が郡方書役助の時の上司、郡奉行であった。西郷の農税の意見を聞いて藩に具申をするが聞き入れられる辞職する。安政2年(1855)69歳
橋口伝蔵  寺田屋事件で追捕使に切られ死亡31歳
美玉三平 生野の変で戦死
岩下半之助 上の戦争で戦死
橋口与助 戊辰戦争で戦死
河野浄介 戊辰戦争で戦死
伊地知季寿 戊辰戦争で戦死
久永龍介 戊辰戦争で戦死
篠崎彦十郎 江戸藩邸焼き討ち事件の犠牲者
ほかにもたくさんあります敷地内にまとめられた墓

南林寺由緒墓の隣に 
臨済宗南州寺月照は京都清水寺の住職、勤王僧として有名。安政の大獄で追われ、西郷とともに鹿児島湾に入水したが西郷は蘇生し、月照は亡くなった。墓は元西郷家の旧墓地にあったが、1882年この地に移る。

月照上人の墓

3日目はこれで終了、自転車を返し、鹿児島駅からJR日豊本線で姶良市の帖佐駅へ移動します

次の日はコチラ

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