西近江路 【3日目】

2014年11月8日

比良駅~安曇川駅
本日で3日目あらためて琵琶湖の大きさを実感する。まだ大津市を出ていない。
西近江路の歴史も古く、年月を経ることにより旧道も徐々に変化し、資料にない古道を見つけたりしたが、その分ルートが何本かに分かれているのでどの道を歩こうか迷う。

      比良駅  7時50分 スタート
    安曇川駅  16時30分 着
       46.135歩  27.6㎞

前回の161号線まで移動します

駅から西側への道を進みます

二日目終わった地点から161号線を進むと左に

樹下神社

 暫く進んだ信号交差点を真っ直ぐ横断するが、比良山登山口へ

比良山への登山道を見る

左の比良山系

信号交差点から200m程進むと五差路の交差点に出ます。道は分岐していて旧道は左の道です

150m程進みますが舗装の道は左にカーブして旧道は消失していますが、看板の右を進み161号線に出ます

 比良川に架かる側道橋に出て渡ります

歴史の道調査報告書では、161号線南比良交差点で右に折れて、南比良集落に入り、町立比良保育園の傍を通り、JR線を越えて本立寺の東側に出て、湖岸線を北に進み比良駅の東側で湖岸と離れ、北比良集落に入り西福寺の南側を抜け、北比良会館で西北に方向を変えて、JR線を越えやや北側に進路を変えて進が、そこから道は消失して、びわこ成蹊スポーツ大の西側辺りから、比良川に架かる比良川橋に出ていたと記されている。
時代によって旧道のルート変遷があるのでどちらも正解かも。歴史の道調査報告書は各県の専門家による調査だからできる限り踏襲したいと思っています

比良川橋から比良山系の山並み

橋を渡った国道比良山口交差点の角に、大きな比良山登山口の立て看板

小松地区の161号線を進む

南小松のサラダ館の所で道が分岐、左の旧道に入ります

 その左角に お地蔵さん が並んでいます

サラダ館の横の旧道

右に大きな 常夜灯

南小松集落内左に 灯籠と石造り物 すぐ先で旧道は右に大きくカーブして進む

街道より左に少し入る右に 灯籠三基

聞名寺への道(寄り道)

鐘楼の袂に 五猿の石彫刻

蓮如上人御休息の石

聞名寺

 街道に戻りすぐ左に 地蔵

右に少し入ると 浄土真宗徳浄寺

街道左には 天台真盛宗大仙寺

街道に戻り少し進むと左角に 常夜灯二基 街道は真っ直ぐ

常夜灯二基から左へは 八幡神社の参道

常夜灯のすぐに道は分岐しますが街道は左の道角に 白髪大明神の常夜灯

少し先、家棟川の手前左に 祠と小さな灯篭

祠の前から南小松の集落を振り返る
家棟川に架かる橋を渡ります

 250mほど歩いたところで右からの161号線に合流します

合流した信号交差点の左に 浄土真宗本願寺派浄叡山西方寺

交差点からの161号線は真っ直ぐに進んでいる。西方寺の交差点から100m程先で、歴史の道調査報告書では左に入るよう記載されているが、私は161号線を進んでしまった。左への道が旧道で、後日改めて歩きます。

今更仕方がないので161号線を進む161号線を進むと大堂川に架かる橋を渡ります川を渡ると北小松に入ります

さらに進んでいくと高橋川に架かる高橋橋を渡る

高橋川から200m程先で右の分岐を進むが、150m程で再び左からの161号線のバイパスに合流します

車が一気に多くなる、すぐに湖西線の高架を潜り、緩やかな坂を上ります。

滝川に架かる滝川橋を渡ります

右にセブンイレブンがありすぐ先に五差路の交差点があります。
ここでも間違い正しい旧道は161号線の交差点を真っ直ぐ進みます

私は間違って北に折れてしまった。正しい旧道は後日改めて歩くこととします。50m程進みます、左前方に樹下神社が見えます

左に比良山系の釈迦岳(1060.6m)が見えます

左に参道を100m程入ります

樹下神社

境内の 御神馬台座石

神社前の北への真っ直ぐ伸びた道を進みます

お寺の左に北小松駅があります

駅を左に見て少し進むと十字路に出ます。ここで左の湖西線の高架を潜り山麓にあるお寺に(寄ります

坂を上ると右に 浄土真宗徳勝寺

 薬師堂

西側に 臨済宗種徳禅寺

お寺より元の十字路まで戻り北を眺めると湖西線に沿って伸びている道は旧道でないようだ。何故かというと北小松は小さいながら宿場で港町であったので、古い街並みが少し残るはずだから

80m程東に進み162号線の北小松信号からも161号線が北に延びているが161号線は新道だ、
旧道はもう120m程東(琵琶湖より)に進むとありました。右(南)から旧道が北小松の街並みを通って北上してきたのと合流します。やはり161号線のセブンイレブンの交差点で違っていた。

東に歩く途中右に入ると小さな お地蔵さん が祀られている、北小松駅の東正面、161号線の次の東側の筋

近くにある 徳善寺

徳善寺のすぐ東側の旧道です北側の街並み

南側の街並みです。かつてこの辺りは
北小松宿  
昔の街並みの面影が残る 次の河原市宿まで4里(16㎞)

北小松の宿場跡も終わり、左からの161号線が合流します

合流した先から振りかえると、161号線を挟んで前述の3つの道が合流している。左が旧道

 右に琵琶湖を望みながら161号線を暫く歩きます

左に 石造り物・南無阿弥陀仏の題目碑 山石除地蔵尊・常夜灯 が並ぶ

振り返った景色

北小松の北の端で左に161号線を分け、右の戸p雁沿いの旧道に入ります

真っすぐ右の琵琶湖の際を進みます、右には植林された並木が600m程続き、やがて左斜めに向きを変えて進みます

 鵜川を渡るとやっと、大津市が終わり高島町に入ります。250m程先で161号線に合流

 左には比良山系が広がります

湖岸沿いの道を進みます

右に 白髪神社御旅所 があります

161号線より一筋左側の道です、わかりませんが、多分旧道は少し北側を161号線に平行してあったのではないだろうかと勝手に想像する

途中 鵜川を渡りますとにかく長い距離を右の琵琶湖に沿って単調な161号線を進む
とにかく琵琶湖想像以上に大きい、3日目でまだ琵琶湖が右に続いています

やがて立て看板のある分岐の狭い左の旧道を入る。角に白ひげ食堂が建つ

案内板「近江湖の辺の道」
この近くには、湖中の鮮やかな朱塗りの鳥居で知られる白髪神社をはじめ、鵜川四十八体石仏群、大溝城の外堀で歴史を秘めた乙女ヶ池、また当時を偲ばせる城下町、白砂青松の萩の浜など史跡や景勝地が残っている

分岐の左の旧道、雰囲気があります

白鬚神社の前に出ます

神社の前は161号線が走り、その前に琵琶湖の中に鳥居が琵琶湖が広がる。大阪道修町の薬問屋小西久兵衛(昭和12年)建立。延徳三年(1491)には既に建っていたという伝承がある。

白髭神社と鳥居
垂仁天皇二十五年に創建と伝わる。謡曲「白髭」で知られ、白髭明神の縁起を語って祝事を述べる曲である

白鬚神社はまた比良明神ともいう、近江最古の大社で、現在の本殿は慶長八年(1603)に豊臣秀頼・淀君が建立し、後に改装された拝殿と共に桃山建築の美しさを表している。背後に比良の連峰をひかえ、前方には、湖面に朱の大鳥居の湖面に浮かぶ美しさはいつしか時間の過ぎるのも忘れる

本殿(国重文)
慶長八年(1603)秀頼が片桐且元を奉行として再建。拝殿 寛永元年(1624)大溝藩主分部光信の創建

旧道は神社の前を通り細い道を抜ける。振り返ったところ

右下の161号線を平行して山裾の旧道を進む

旧道沿い左は石垣が部分的に残っています。振り返ったところで、右の道を歩いてきました

結構ウオーキングの人が通っているのか、旧道は結構踏み跡も残り歩きやすい

木の枝も取り除き整備されています

右は急斜面で161号線の崖になっている

右には防護柵、獣除けか続いている道が少し荒れてきました

右が急傾斜の崖が続きます

なかなか厳しい旧道跡です、樹林帯で少し薄暗い上に足元も悪くな。果たして先に進めるのか心配、元に戻るとなれば大変

樹林の中を抜けると、右が開けて、左には石垣が残り、かつては旧道沿いに民家が建っていたのだろう旧道の残骸が素晴らしい

この先は旧道が無くなっているの一旦国道に出ます。かつてはこのまま山裾を抜けていたのだろう、でもこれだけ歩けた旧道大満足

 右斜め後方に下る道がある、一旦161号線に出る

再び左旧道へ角の 石標「いにしえの街道 西近江路」と刻まれている。また上には、四十八体石仏の表

この先の旧道は整備されている

 旧道沿いの石垣が綺麗に残っている

少し薄暗くなった樹林に入る

鵜川四十八躰仏
石仏の大きさは大小いろいろあるが、地元の比良石で作られた花崗岩で、いずれも阿弥陀如来像です。現在三十三体となっている。伝承では、近江の守護で観音寺城主であった佐々木六角義賢が天文二十二年(1553)亡き母の菩提を弔うために建立したと伝わる
異説もあり、延徳三年(1491)冷泉為広が白鬚神社に参詣した折の記録に出ているので、この時期にすでに存在したともいわれる。さらにさかのぼり永享八年(1436)の記録にもすでに存在していたと記されており、確定されていないが、旧道沿いの目印としても利用されたのだろう。

傍には 高野素十と上原はるの師弟句碑が立つ

 樹林を抜けて坂を下って行きます

やがて右からの161号線が合流する手前左に 万葉歌碑

旧道が161号線に合流するところを振り返る

合流した先の道、右は琵琶湖

少し先左に 蓮如上人御遺跡碑 が立つ

すぐ先で左の旧道に入ります。右は白ひげ浜

150m程先左に 日吉神社

日吉神社の前、琵琶湖沿いの近世の旧道を進みます
実は後日、日吉神社の北側から西北に進む中世の古道が少し残っているので歩きました(後述します)

暫く進んだ左に 真宗最勝寺 蓮如上人御逗留の地碑 と刻まれている

打下の町並み

浄土真宗浄照寺

右に大きな看板が立ち、左の大木の袂に 

小さな川の橋を渡り右に松並木が続いてます。左には大きな乙女ヶ池が続きます

橋を渡った先左に 日吉神社御旅所と山王大権現常夜灯 が立っています

御旅所より西南を見ると、乙女ヶ池に架かる橋が見えます

161号線は琵琶湖に沿って大溝橋を渡りますが、街道は左に大きくカーブして、左の乙女ヶ池と右の大溝港を繋ぐ川を橋で渡ります。かつての高島城下に入ります

交差点手前左に 大溝城三の丸跡の石碑

 街道より左(南)乙女ヶ池の西側にある 大溝城跡

大溝城は、織田信長が甥の信澄に天正六年(1578)に築城させた城で、琵琶湖とその内湖を利用した水城。浅井三姉妹のお初が京極高次とこの城で過ごした。大坂冬の陣では徳川・豊臣の和睦に力を尽くした。慶長六年(1603)廃城となり、元和五年(1619)に分部光信が伊勢上野城より入封し三の丸跡地に陣屋を築き、大溝藩を置いた。

天守台からの乙女ヶ池

城内の一角にある 分部神社

神社の北側の元の街道に戻ります。近江高島駅口交差点に出ます、左に折れていくと高島駅で、街道は右にカーブします

交差点を少し左に入ると、JR高島駅で駅前広場に ガリバーの大きな像 が立つ

高島町は青少年に夢と冒険心を与える施設、ジョナサン・スウィストの「ガリバー旅行記」をヒントに「ガリバー青少年旅行村」を建設した

街道に戻り、信号交差点を右にカーブして、街並みの旧道を進みます

近江高島口駅交差点から150m程進むと大溝港口の信号に出ます、右角に滋賀BKこの交差点の先80m程で左に折れる右に折れると、琵琶湖の大溝港に出ます

今来た街道を振り返る

大溝港口交差点左角に 道標 指差で「近藤・・道 ・・・神社」
近藤重蔵墓への道標と思われる。後日に歩いた、中世の古道沿いにある

 【寄り道】交差点を左に折れると左50m程に、かつての 惣門 がありました

惣門跡
分部光信(1591~1643)は陣屋を大溝城の西に武家屋敷と共に構築、背戸川を境として石垣・土塁を巡らせ惣門を設けた。宝暦五年(1755)大改修して現在に至る

その前を真っ直ぐ西に250m程進みJRのガードを潜ると 笠井家の武家屋敷 がありこの辺りはかつて伊勢より入封してきた、分部氏の家臣たちの武家屋敷が集住していました。完全ではありませんが母屋他一部が残っています

ガードの手前に戻ると左に 真宗高田派實王山流泉寺

このお寺も伊勢より移されたものです

惣門の前を通り元の大溝港口交差点に戻ります。交差点を80m程北に進み右T字路を左に折れます。鍵の手になっているようです。

左に折れて70m程進むと左角に 浄土真宗勝安寺

お寺の角から、左に折れた旧道を振り返ったところ、昔ながらの道の中央に溝のある古い街並です。左に折れて歩いてきた右手には、小野組 の大きな旧家があります、中央に溝があり旧道の面影が残る

お寺の角で右に折れると、往時の街並み彷彿させる街道が続く

勝野の旧家が並ぶ街並みです

右に 真宗妙琳寺

街並みの北側から振り返る

ここで街並みも終わり分岐を真っ直ぐ進みます

 分岐の左に 

真っ直ぐ進んだすぐ先で鍵の手となり右に折れます

右に折れた細い道で、数十mで左に折れます

真っ直ぐ進むとすぐ信号交差点に出ますが、その手前で左に折れます

左に折れて小田川に架かる橋を渡ると、車道が合流してきます

車道に合流したところ横断して振り返ったところで、向かって右から橋を渡って出てきました

勝野の町並みを進みます

合流点から200m余り先、右の奥に 三嶋稲荷神社と祠

その先で、勝野信号交差点に出ます。交差点のすぐに和田打川に架かる和田打川橋を渡ります

橋を渡った交差点左川沿いに 供養塔碑 「大乗妙典六十六部日本廻国 供養塔」

 街道は真っ直ぐ進みます、左に旧家

高島市永田の町を進みます

 和田打川から400m程先の信号交差点を、左に150m程折れた湖西線の手前に 永田の郷碑 が立っています

 街道交差点に戻り真っ直ぐ進みます。この道は北に真っ直ぐ延びていて、一帯は綺麗に区画された田畑が広がり、その中に民家が散在して長閑な風景です

鯰川に架かる鯰川橋を渡る出鴨に入ります

小さな川の手前右に 祠と常夜灯

長い直線の街道を進みますが、車が少ないので助かる。また道幅も結構広く、両側には旧家も散在して気持ちよく歩ける

左に お堂と灯籠

やがて鴨交差点に出ます。交差点を左に500m程行くと、高島歴史民俗資料館があります、中世の古道歩きの時に通ります

かつての旧道は、交差点を真っ直ぐ進み安曇川駅の東に出ていくルートと、交差点を右斜めに進み藤樹橋のたもとに出て、道の駅藤樹の里あどがわの東側に出る道があったが(右斜めの近世の旧道は消失している)、藤樹の里に行きたいので、私は後者のルートを進みます。

鴨交差点を真っ直ぐ進むと、鴨川に架かる鴨川橋に出ます。その橋手前の交差点を右に堤防道路を進みます

橋の手前の交差点左に 

前者のルートはこの辺りを渡っていたようです。現在は鴨川橋が架かっています

橋の手前を右に折れたすぐ左、川を背景に 道標と常夜灯 「藤樹神社参拝道 右十丁 藤樹書院 右八丁」

鴨川橋より左(西)の景色

鴨川橋を渡ったところから安曇川町への前者のルート道

後者のルート
堤防道路を東に進み、300m程先で161号線の高架を潜り、さらに200m余り先で、安曇川に架かる藤樹橋を左に渡ります。藤樹橋を渡り振り返る、右斜めにかつての旧道が通っていたようです。(今は消失)

真っ直ぐの北への道を安曇川町に入ります

高島市安曇川

上小川集落に入ります青井川を渡ります

左に立派な 祠と石仏

藤樹書院跡
中江藤樹の屋敷跡で私塾を開いていた、慶安元年(1648)の春、門人たちによって創建された、近世における私塾の魁といえる。講堂は明治十三年(1880)に焼失したが、その二年後再建された。

三尺の泉 枯れることなく湧き出ている清水

藤樹書院講堂内部

熊沢蕃山入門懇願の跡

藤樹書院跡前の旧道を進む

旧道沿いの側溝の水はきれいで沢山の鯉が泳いでいます

左に 真宗大谷派妙専寺

灯籠と石仏

正面に鳥居があり道は分岐しますので、鳥居前を右に折れます 

日吉神社

鳥居内から街道を振り返る

 右に折れたすぐ先右に 天台真盛宗寶樹山玉林寺

中江藤樹墓所
慶安元年(1648)の藤樹死後、間もなく造営されたといわれる。左奥が藤樹先生の墓。右奥には母、右手前に三男の墓で儒式の墓で土盛りがあり、その前に墓碑が立っている

藤樹先生御木像が安置されている

小さな川を渡り進みます

100m程先で信号交差点に出ます

交差点を横断した左角に お堂

交差点を左に折れたすぐ右に 藤樹神社 立派な神社です

信号交差点を横断してさらに進んだ次の信号交差点の手前左に 中国風の近江聖人中江藤樹記念館

記念館敷地内に 王陽明石像

記念館の交差点を左に折れるのですが、そのまま真っ直ぐ交差点を北に400m程進み、また右に200m程入っていくと 神明神社

さらに北に入ると 青柳の里碑 が立っている

正面の森は 与呂伎神社

藤樹の里の散策もまだあるが時間的にもここで終わる。信号交差点に戻り左(西)に折れて進とすぐ右に、道の駅藤樹の里あどがわがあります

161号線の高島バイパスを横断して西へ歩いていくとJR安曇川駅に出ます

安曇川駅

 駅前広場に 藤樹の銅像 があります

傍に 藤樹神社への 道標

本日はここで終了して帰宅に着きます

次の日はコチラ

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