西近江路:中世の古道西近江路 【5日目】

2014年12月30日

近江高島駅~海津(中世の西近江街道ルート)
西近江路 中世の古道が一部残っている資料、歴史の道調査報告書を参考に歩きました。
石垣も一部残り古道らしい道を歩けたので満足。

前回歩いている近世の西近江路、高島市の乙女ヶ池の南に戻ってスタート
2014年の最終締めくくりとして、昼少し弱い雨が降ったが、左手の比良山系は雪で真っ白。
      高島駅  8時 スタート
     マキノ駅  15時50分
        43.527歩  26.11㎞  

高島駅8時に出発、少し遠いが歩いて乙女ヶ池の南の 打下の分岐に移動 します
また前回の西浜までは、このルートをあるいてからとします

移動途中にある 乙女ヶ池 この内湖は、天平宝字八年(764)恵美押勝乱(藤原仲麻呂)・壬申の乱(672)、古代史上二大戦乱の場所。またこの水域は、古代、琵琶湖舟運に欠くことのできない天然の良津であった。

前回の時はこの先で左の道を入りましたが、中世の古道 はこの辺りから左に入っていたようですが、今では完全に道は消失していますので、そのまま進みます。

左に上り、打下浄水場の横に出て、消失した道を少し入りました

打下浄水場の横

完全に雑木林になっていますよく今まで子も様な状態でも残っていたと思います

浄水場横から抜けて少し北に進む

左に、日吉神社が見えてきます日吉神社の前の道を右に折れると、前回歩いたすぐ近世の西近江路に出ます

日吉神社

日吉神社の横の道を上ります、かつては日吉神社の中を通っていたようです

数十m上ったところで鎖で通行止めとなっています。その先で道は無くなっています。古道は右斜めにあったようです。これ以上はいけないので右下の道に迂回します

下の道沿い右に 最勝寺

最勝寺のところから左を見る、この山の中を古道が抜けていたようです

お寺から100m程進むと十字路に出ますので、左に折れてみます

左に折れると田畑の間の畦道に石垣が残っています。山麓に進んでいきます
当時の琵琶湖は現在よりも広く、山裾まであったので、道や集落は山裾にあった

畦道は突当り右に折れますが、左に 打下摩崖仏

左を見たところで、かつての古道に沿った石垣がはっきり残っています。山裾を右に進んでいた

右に折れて山裾の道を進んでいきます左は山、右は田畑です

すぐ左にも 石仏 地元の方がお祀りしていただいて綺麗にしているようです

古道沿いには石垣がよく残っています、遠い昔を思いながら歩ける素晴らしい道です。でも歩くなら、雑草の茂らない冬場の良いお天気の日がお薦めです

古道はこの先でJR湖西線を越えますが、線路で遮られていますので、止む無く少し下の道に下り、線路のガードを潜り向こう側に出ます

ここで古道は消失していますが、線路の反対側に古道は残っています

高島トンネルの出入り口です

右下のガードトンネル、一般的には利用されていない道です、地元の人の田畑用でしょう

ガードを潜った先の古道、山裾を進む

小さな谷川を渡ります

 左側に石垣が続きます。素晴らしい古道ですね、足に優しくもちろん車もないし疲れない

石仏が持たれています

石垣の間に隠れるように 石仏 今の季節だからいいが、多分雑草の茂る頃は隠れるだろう。

かろうじて残る古道を振り返る

 谷川に突き当たるところに案内表示があるということは、歩く人がいる少し右に下り対岸に出ます

その角に 万葉集の石碑 もあります

古代には、この付近まで琵琶湖がせまっていて船が交わる風景かな、やはり古道なのがよくわかる

少し右に下り谷川を渡ります、正面はJR線とその向こうは乙女が池。近世の旧道は乙女が池の向こう側を歩いていた

橋を渡って左の山裾を古道があったようですが田畑で消失しています

 橋から谷川の上流を見ます、橋の上流を古道が渡っていました

山裾の古道跡の少し下側の道を進みます右に新しい住宅が建っています。城山台住宅地です

住宅地の一段高い山裾の消失しかけている古道を進む

山裾の獣除けの鉄条網の傍を進みます
枝切や古道に整備された跡、先に残していくご苦労は大変ですが、何時までも大切な過去の遺跡を残してください

獣除けの金網柵が終わったところです

右の城山台2で下の住宅地の道に出ます

分岐は左の山裾の道を進む、右に曲がれば住宅地

進んだ先で振り返る。右の山裾や林の中を進んできました

その先で小さな谷川に出ます。ここを真っ直ぐ古道が進んでいたが、樹林となり古道は消失しています

左の溝沿いの道を見ると石垣跡がよく残っているのが見えます、左は深い樹林に入っていきます

溝沿いに少し右に下り住宅地の中を進みます

小さな谷川の先左山裾に 日吉神社 嘉祥二年(849)創立

 長い石段をのぼります立派な神社です

日吉神社の前の古道 右に 常夜灯

左に 大善寺不動堂(元願應寺)
元、伊勢国上野にあったのを、分部光信(初代大溝藩主)がここに移した。当初は「勝不動」として信奉されていたが、戦後、大善寺に併合された。寺宝に十二天画像がある

旧道沿い少し北側奥に西教寺末寺 天台真盛宗紫芝林山大善寺 本尊は安土桃山時代の

立派な構えのお寺です

その先志子氏左にカーブするところ

左に圓光禅寺への参道があります入り口右に

圓光寺の石碑と高松大明神宮の石碑 が立つ

左に圓光禅寺が見えます

臨済宗東福寺派萬松山圓光禅寺
本尊は釈迦牟尼佛、延文三年(1358)伊勢中山にて創建された名刹であった、元和五年(1619)分部光信により当地に建立された

圓光禅寺の塀際に、整然と沢山の地蔵 が並んでいる

円光禅寺の横をさらに西に入る

大溝藩分部家墓所

近くにある 輝雲山瑞雪禅院
本尊は薬師如来、圓光禅寺の塔頭。分部光嘉夫人の菩提寺で伊勢より移る

瑞雪禅院の裏山にある 近藤重蔵の墓所

街道に戻ります

街道に戻った左に 高松大明神宮

高松大明神宮の前、T字路を真っ直ぐ進みます。右に、高島小学校・中学校が続きます。古道はこの先、右の学校より少し斜め左に進んでいたようですが、今は改修工事等で消失しています。

工事中の細い道を進みました、数年後は様相は変わっていると思います

もちろんこれは古道ではありません、無理に歩いていった道ですが

突当りの土手を上がると、案内表示板 が立っています旧西近江路:大津40㎞・敦賀45㎞となっていますので、ほぼ真ん中あたりまで来ました
一応旧道はありませんでしたが、方向は間違っていませんでした

音羽古墳公園万葉歌碑 は左(西)にあります。だから、今歩いてきた道は古道跡とみればいいようです。三尾山の裾野には、旧近江路が通り、北国への旅の重要な街道として、旅人の往来が激しかったところです

案内表示板のところから、今歩いてきた細い道を振り返る。わからないが、改修しているには、古道の復元工事かも、それであれば嬉しいのだが

左右の道路を横断します。左は関西電力高島変電所の敷地に建物が広がります。その奥(西)に音羽古城公園です。この辺りには音羽古墳群として沢山の古墳遺跡があります

鉄塔の袂を進んでいきますが、正面に墓地が見えてきました。

墓地の裏に出て、ここで少しの間の古道は消失しています

右に墓地を迂回して墓地の入り口正面に出ます。正面に出たところ振り返ったところです

墓地の正面左右に車道があり、古道は車道を横断して北に進んでいたようですが、道は消失しています。
左右の車道を左に少し行くと、大炊神社・妙正寺・蓮台寺・長谷寺 が集中しているようですが、雨模様なので寄れませんでした。 真っ直ぐいけないので右に進みます

すぐ左にJAびわこがあります、その数十m先の信号交差点を左に折れます

三差路信号交差点を左に折れて、100m近く進むと、小田川に架かる小田切橋があるので渡ります

小田切橋から左を見たところ橋より100m程先を古道が渡っていたようです

暫く新道の車道を進みます。かつての古道は左、数十mの所を平行して通っていたようです

車道より左を見ると音羽の集落があり、前述の神社・お寺があります。背後の遠景の山は、岳山(標高562.m)だろうか

暫く進みますと、音羽の信号交差点に出ます。古道はまだ左、数十mの田畑の中並行していました

 交差点左手前角に 音羽郷の石碑

交差点から振り返ったところこの辺りから真っすぐ田の中を、古道が通っていたと想像すると楽しい

更に交差点の先も、右の車道と並行して進んでいたが今は田畑で失われているので、車道を歩きます

交差点左を見ると、うっすら雪化粧の蛇谷ヶ峰(標高901.7)だろうか

交差点を横断してすぐ右に 万葉歌碑 古道は少し左の畑の中だが、このような碑があるということはほぞ踏襲しているということだ

 旅なれば夜中を指して照る月の高島山に隠らく惜しも  (万葉集)

音羽の交差点から200m程先で和田打川に架かる長田橋に出ます

長田橋から振り返ったところで、車道と並行してあった古道がこの橋の南詰に合流してきていたようです。

橋を渡り古道が森の手前の川に沿って車道より右に入る道があります

左の森は、長田神社の森 でした、前には壊れかかった祠の中に 石仏

長田神社

長田神社の少し先で道が分岐しています、左側の倉庫の横の細い道を入ります

50m程進むと左右の道がありT字路となり、真っ直ぐ進んでいた古道が消失しています。古道は一面田んぼで、その中を真っ直ぐ北に通っていたようです。止む得ないので右に折れます

右に折れて100m程行くと

右に(寄り道)入っていくと 浄土真宗浄勝寺

その北側道沿いに 長盛寺
法界地蔵石仏:地蔵菩薩立像鎌倉~室町時代の作

元に戻り 長盛寺の前の道より一筋北側の車道まで行くと、車道沿い南側にある
石碑:石仏

石碑のすぐ西側のT字路を北に進む。道は田畑の中を一直線に北に延びています消失した古道でないが並行しています

古道はそれより西100m余りの所を、真っ直ぐ北に通っていました。今は田畑が広がって全く面影を残していません。でも町の中の道跡と違って、古道の想像ができます。 150m程車道を西に進み交差点に出ます

交差点を右に折れて進みます。400m程進んだところ、左に木材置場、右に倉庫がある交差点を右に折れます。

右に折れて150m程進みますと交差点に出ます少し右に迂回路があります

 迂回路から右(南)の方向を見ると、田畑が広がり、前述の古道がここに通ってきていたと思います

迂回路から左(北)、ここから一応古道が復活しています。

鴨集落を進みます南鴨バス停があります

静かな集落

やがて宿鴨の交差点に出ます、交差点を横断した左角に 
日吉神社

交差点を少し左に折れた先左手に 慈敬寺

庭に 道標 「右 鴨御堂跡」慈敬寺と貴船神社の近くにあったようです

お寺の南側に 貴船神社

交差点に戻り今度は右に少し進むと左手に 高島民俗資料館 館内に入り見学しまし歴史・民俗・考古資料を見学しました

再び交差点に戻り北に進みます

直ぐ先左に お堂

お堂の少し先で、少しだけ右にカーブし、そして左にカーブして、正面に見える森の志呂志神社の横にでます

志呂志神社

神社の北西の角で、鴨川の堤防に上りますが、かつての古道は、真っ直ぐ進み鴨川と八田川を渡って対岸に進んでいたようですが、今は堤防を右に折れて70m程先で車道に出ます

堤防に上がったところから振りかえる。左の道を上ってきました、森は神社です。

鴨川・八田川に架かる天皇橋を渡ります

天皇橋の石碑
この辺りにはこの橋のほかにも「てんのう」と名の付く、田や川や坂があります。これは、近くに継体天皇に関係の深い鴨稲荷山古墳や明治の始めまで天王社とも称した志呂志神社などあるため、この名前で呼ばれてきたと思われる

橋より八田川を見る、円錐の木の左の堤防をすすむ

八田川の堤防道を進んでいきます、150m程進むと左の八田川に架かる天皇橋があります

橋の袂から対岸を遠望すると 鴨稲荷山古墳が見えます。またこの辺りに、志呂志神社からの古道が渡ってきていたと思われます

橋の袂絵尾を左に折れてさらに堤防を進みます

すぐ先右に、雑木が切れている右への下る道があるのが古道です。ここで左に堤防道を分けます

 竹藪の間の古道

その先も地道で、畦道を少し広くしたような、田園の中の古道です見渡す限り広い農地が広がる、気もちがいいです

真っ直ぐです

安曇川町三尾里地区です、小さな川に架かる橋を渡り真っ直ぐ北に進んでいきます。何もないですが気持ち良い道です

 右の安曇川町の三尾里の集落内に 信光寺 が見えます

北出集落を通ります舗装道に変わります

暫く歩いた右に 安閑神社

神社のすぐ先、右に北出区集会所があり、そのすぐ先左に 
鶴塚
鎌倉時代の重厚な石造り宝塔です。伝承では一羽の雄鶴を射たところ、頭がなかったといいます。翌年同じところで雌鶴を射たところ、その翼の下に雄の頭を抱いているのを見て、供養塚を築いたと伝わる

その先で右からの車道と合流します

 少し先で信号交差点を横断します交差点を右に300m程行くと、JR湖西線安曇川駅へ行きます

安曇川町中央を進みます

 右に 祠

 その先右に 惣社神社

南市信号交差点を横断します

交差点左手前角の 石敢当
道路の突当りや村の辻々に、この三文字を刻んで建てられた石柱のことで、集落の守護や魔除けの願いがこめられています。
石柱の正面には「石敢当」、右側面には、「すぐ北国街道」、左側面には、「すぐ京大津道」、また裏面には、「天保十三年壬寅春正月安原氏建之」と、それぞれ陰刻されており、道標の役目も兼ねています。なお、これは滋賀県でも唯一のもので、非常に珍しいものです(説明文より)

左に安曇川小学校・中学校を見て進みます

十字路を越えた左奥に 真宗勝満寺

更に少し先左奥に見える 真宗真光寺

街道沿い次の十字路右、横井食品店のそばに 祠

安曇川町五番領を進む、街道沿いには旧家の建物がな残っている趣のある街筋

蔵付きの立派な建物

左に 天満宮

神社のすぐ次の十字路の左奥には 真宗信広寺

十字路の角右に 石仏 に花が添えられている

少し進んだ先で広い五番領信号交差点に出て横断します

300m近く進むと道が分岐して、左の細い方の旧道に入ります

150m程進むと集落内で道は分岐していますが、右の真っ直ぐな旧道を進みます

集落内の道、雨も大したことなく助かる

 十字路を左に折れた先、左に 正福寺

正福寺の西側の十字路を右に折れた先左に 常覚寺

十字路の旧道に戻り100m余り進んだ先の十字路から集落内の古道を振り返る

十字路で集落を抜けます、数十mで小さな川を渡り

少し右斜めにカーブします

安曇川の堤への道を進みますが、かつての古道はこの道の途中で左の堤防に出て安曇川を渡っていたようですが、今は道は消失しているので、真っ直ぐ進み堤防に出ます

堤防に出てきたところを振り返る、

堤防に出てきたところから20m程西に河川に下る旧道が残っています。河川に下りて右に見える橋と並行して、安曇川を渡っていた

 堤防からかつての 渡河跡 を見る

 堤防を数十m東に進み、安曇川に架かる常安橋を渡ります

橋より右の琵琶湖の川口方向を見る

橋より左(西)の安曇川の景色

橋を渡り北側の袂から、対岸の 渡し跡

橋を渡ると右斜めに進み、堤防道を左に下ります。高島市新旭安井川に入ります。正面には湖西自動車教習所があり、その東側に沿って進みます

湖西自動車教習所の東側の道

教習所の過ぎた少し先で、右からの車道が合流します。

右からの道は前回歩いた藩政期の西近江路で合流、ここで古代近江路を終わります

前回にも載せていますが合流する辻を振り返ったところです。右の道が古代西近江路

安井川の交差点から、平井交差点へ進み右に折れて新旭駅に移動します

近世の西近江路はここを少し入ったところ左右の道です

 安井川交差点、安井川信号交差点でここから新旭駅まで約20分歩いて移動する

新旭駅からJRで今津駅へ、新旭駅着11時50分。今津駅12時20分スタート
今津駅で降りて15分ほど歩き、前回歩いた西近江路の分岐点である、住吉神社の辻に来ました。
前回は住吉神社の前を湖岸沿い、西近江路間道の浦海道を歩きましたが、今回は、西近江路と七里半街道が重複する起点の合流点を出発する。

住吉神社の前の西近江路

この分岐点、右の道が湖岸の浦海道で、左の道を進む。

この分岐は、九里半街道の起点で重複、若狭街道と合流して小浜に通じる道。少し先まで重複します

すぐ右に 法慶寺

 すぐ先で広い交差点を横断します

信号交差点右に 今津ウォーリズ資料館 大正十二年(1923)、旧百卅三銀行(現滋賀銀行)今津支店として建てられた。

西近江路の辻川通りを進みます

かつての通り

湖西線のガードを潜ります

 ガード手前右には 旧今津郵便局 が残っています。昭和十一年(1936)の建築。昭和53年まで使用されていました

西への辻川通りを進みますが、建物は新しいが何か趣のある街通りです

「辻川通り」の名称は、かつてこの通りに沿って、辻川が流れていたことから名付けられた。付近一帯は湧き水地で知られ、ほとんどの家に井戸がありました。ただカナケという鉄分が多く含まれていたので飲料水にはできませんでしたが、近くに軟水があったので各家庭はこの水を引いていたとのことです。

 暫く歩くと、栄町信号交差点に出て、横断して緩やかな坂を上ります

栄町交差点から200m程坂を上ります

坂を上ると交差点に出ます、西近江路は交差点を右に折れます。九里半街道はほぼ真っ直ぐの道を進みます

右に公園を見ながら、九里半街道は進んでいます

西近江路が右に折れた筋

100m程先で道は分岐します、旧道は右の真っ直ぐの道です。左角に 天満宮の常夜灯
左は今津宮の森公園です

旧道沿い左、公園の一角に 阿志都弥神社

続いて左に 白山神社

今熊明神

やがて広い弘川口信号交差点に出ます、横断して真っ直ぐ北に進む

今津川に架かる橋を渡り、今津町弘川を進む

左に  曹洞宗保壽院

 さらにその先左に 真宗明厳寺

 弘川北交差点を横断して進みます、12月30日ともなれば、北国の山には雪化粧で真っ白

石田川に架かる石田川橋を渡ります、真っ直ぐの道が続きます、比較的車も少なく広い歩道があるので快適です

 橋から左(西)の景色

橋より100m程先で少し左に入っていくと 井口神社

さらに神社の西には 曹洞宗井福禅寺

街道に戻り北への道を進みます-左にノシバ商店の看板があります

その先150m程進むと小さな川に架かる橋を渡ります。橋を越えた左に、今津北小学校が見えます

左には雪の、箱館山が雄大に聳えています

 日置前平ケ埼交差点に出ます

170m程先左に、今津桂郵便局があります

進んでいくと左前方に楳原神社の森が見えます 楳原神社

すぐ先の十字路を越えると、道は分岐して右に入る旧道があります

旧道から右に 芳春院 が見えます

 今津町桂の集落を進みます

右に 石柱 「郷社 日置神社」

境川に架かる橋を渡ります。日置神社 は左の上流にあります。橋を渡って数十mで左からの車道に合流します

80m程先で分岐を、左の旧道に入ります

旧道に入り50m程で分岐にでますが、右の旧道を進みます

 その先100m程で十字路に出ますが真っ直ぐ進みます。高島市今津町深清水の集落です

その先の十字路を越えたところで右斜めに進み右からの車道と合流します。雰囲気のある旧道の街並みです

合流する手前左に 日吉神社

右からの車道に合流するところで右角に 常夜灯

マキノ町大沼の町筋を500m程進む

街道は五差路に出ます。左斜めの旧道に入ります。右直角に東への道を入ると左に立派な蔵二つ並んでいる

五差路の辻少し右を見ると蔵が並んでいる

その道を東に200m程入ると左に 慶徳寺

北側には 日吉神社

五差路の戻り左の旧道に入ります、右の車道に平行して進んでいきます

 150m程歩くと車道を横断します、右すぐ大沼の信号交差点が見えます

 さらに150m程先で、右からの車道(335号線)に合流します。マキノ町中庄地区

合流してさらに150m程先の5差路に出たところで、右(東)の道を少し入ると

日枝神社と仁和寺 が並んでいます

交差点に戻り北に進みます

左にマキノ病院があります 

その向かいに 

さらに進みます、いかにも冬空の様な景色です

新保バス停の左に 天満宮の森 があります

 天満宮

新保地区に入ります、歴史は古く平安時代には古文書に載ってきます、新保バス停の傍には、その説明板があります

左にマキノ南小学校があります。道は広々とした中を進んでいきます、かつてはおそらく琵琶湖の湿地帯でなかったのだろうか

 正面に161号線の湖北バイパスの高架です

高架下の沢交差点を潜ると、すぐ先で天井川になっている、百瀬川の下のトンネルを潜ります

トンネルは車道でトンネルの横の歩道を潜ります

水路と歩道のトンネル内だが、水が多いときは少し怖いだろう真ん中が水路

100m程進むと生来川に架かる生来橋を渡ります。左、マキノスキー場の表示、左の山は真っ白です。

橋を渡ってすぐの交差点で左のマキノ高原の眺め
次回最終日はあの辺りを越えていきます

すぐに分岐していて細い旧道が右にあるので右にすすみます

右の旧道に入り100m余りでT字路となり左に折れて車道に合流します

T字路の正面には 真宗長法寺

車道に出て少し進んだ左に小さな地蔵の 

マキノ町沢に入ります、分岐を右にカーブします

 左にJAマキノ町があります

右に滋賀BK、左にマキノ西保育園、その先NTTと通っていきます

NTTのすぐのところで、左に 祠 があります。そこの分岐を右にカーブします、左は小さな緑地です

右にカーブして200m近く東に進むと左に 真宗栄敬寺

栄敬寺の前を東へ進む

直ぐ先に小さな川に架かる橋を渡りますが、かつての旧道は、川のところから左斜めに田畑の中を進み、マキノ中学校の横に出て、学校の中を通っていたが、今は消失しています

車道を進み100m程で学校の西南の角、十字路を少し左に入り、マキノ中学校のグランド、かつての旧道の軌跡を見る

車道に戻り、今度は学校の東南の角の十字路を左に入り

グランドの金網越しにグランド内の旧道の軌跡を見る

グランドを背に反対側(東側)を見ると、残っている旧道が南東にのびている

100m余り先で車道に合流して左へ進むと正面左に、市立郷土文化保存伝習施設マキノ資料館

左に折れて車道すぐ先で、知内川に架かる知内川橋を渡ります

橋より左を見た景色

橋を渡り車道を進む

その先真っ直ぐ進むと161号線に合流するが、その手前50m程で、左の小川に架かる橋を渡り左の旧道に入ります

左に入った道は車も殆んどは知らないよい道です

マキノ町西浜地区です。雪が残る十字路を左に曲り、そのすぐ先

一面田畑が広がります。旧道は田畑の中を北から東に大きく半円を描いて通っていたようですが、消失しています。止む無く東に真っ直ぐ進むと

左に、溜池と福祉法人藤波園があります旧道はその間を通り、出てきて向かって、もう少し右から南に来ていました

藤波園の前に行くと、小川に沿って100m程、畦道のような旧道が残っています

そして小川がTになっているので、左へ小川に沿って東へ進みます。素晴らしい探索です。どこまで正しいかわかりませんが想像するだけでも楽しい

Tのところから振り返る

Tの所を左に折れた、小川に沿って東への旧道と想像

小川に沿って100m程進むと右に橋が架かっていてT字路になっていますので、橋を右に見て左(北)に折れます。

橋から小川に沿った旧道を振り返る(本当の旧道は消失していると思うが、その軌跡をたどり歩いています)

左(北)に折れた道は小川沿いでなく、舗装もされて少し広くなっています、やがて100m余り進んだところ山裾に進みます。この先、前方に見える小屋のところで、山裾に沿って右に進むことになります

旧道は獣除けの金網で山裾をガードされています

金網の田畑側の溝に沿った狭い畦道を注意しながら進むこととなります

冬場だから歩けるが、藪の茂った時期はチョット足元の溝も分からなくて無理でしょう

小屋からこのような状況の中を、400m程進むこととなります

やがて湖西線の高架下に出ます。 この高架下から右に行くとマキノ駅です

高架下から今来た山裾の旧道を見る

高架を潜った先で、すぐ小川に出ます
真っ直ぐ進むと車道に出ますが

旧道は小川に沿って左に折れます

小川に沿って進むと、右に車道が接近します

車道に合流しないで、方向を北向き斜めに変えて小川の右側の畦を進みます

小川の沿った畔を100m程進むと、畦が分岐する正面角に  が建っています。碑の所を旧道は右に折れます

碑文は人の名前ですが分かりませんが顕彰碑と思います

右に折れて真っ直ぐ車道に向かっています

 西浜の交差点に出て横断します

横断して真っ直ぐの右側の道を入る

100m程先の住宅内の十字路を左に曲がる

そしてすぐ先の十字路を右に折れます。又はそのまま真っ直ぐ進み100m程先で右に折れても同じです

右に折れると、湖岸の西近江路で前回歩いた西浜の石積みの残る浦海道 と合流します

合流点の湖岸より振り返る

突当り左に折れた湖岸の西近江路前回の歩いた起点に着きました

往時を彷彿させる 石積みの遺構

 ここの先、湖岸に沿って海津への進む眺め

ここで本日は終了します、高島市の乙女ヶ池の南から、前回は近世の西近江路・浦海道ルート、本日は中世の西近江路ルートを歩きました。次回はいよいよ最終の敦賀まで歩きます。ここからマキノ駅に戻り帰宅します。15時50分

次の日はコチラ

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