薩摩街道 【第1回目 ⑥】

 2023年12月8日
  山鹿宿~植木~熊本城

〖山鹿宿〗
ホテル青山荘 7時35分出発、
ホテル前の国道433号の街道

ホテルより昨日の湯町橋方向を見る

国道を進むと豊前街道の大きな標識の所を右に折れる

山鹿宿の街並みに入る

左手に 西南の役官軍墓地と地蔵堂

標柱
西南戦争山鹿口の戦いにおいて鍋田や岩村(現:和水町)などで戦死した政府兵士、その後菊池郡(現:菊池市・合志市等)で戦死した政府軍将兵153人を葬った。上の段にあった墓地を明治百年に当たる昭和43年、山鹿市老人福祉センターの人たちが整理し、荒廃していた墓石は現在地に改装されました。(標柱に刻む)

東からの朝日が眩しく振り返った写真が多い

山鹿宿の街並み、朝が早いのか人が見かけない

豊前街道未来創造の看板と旧池田屋質店 江戸時代末期の建物

何屋さんだろう看板が読めない

左に八千代座の看板少し左に入っていく

看板の角を左に入ると、タイムスリップしたような街並み

すぐ右手に山鹿お土産・古美術商 桟敷茶屋の看板

奥に入っていくと左手に八千代座の案内板

現:八千代座管理資料館「夢小蔵」として開館その奥隣に八千代座

八千代座
江戸時代の芝居小屋の姿を残し、人力でまわす廻り舞台や花道、すっぽんと呼ばれる舞台機構は日本の伝統的様式を今に伝えている。昭和48年まで使われていたが、その後13年余り閉鎖されていたが再興。昭和63年国重文に指定された。

左手に 木製の灯篭

甘木屋

山鹿灯篭屋「なかしま」

高野山真言宗護国密山佛性院金剛乗寺
参道に珍しい形の 石の山門、文化元年(1804)建てられた。

右に、旧安田銀行山鹿支店:伝統工芸資料館

伝統工芸資料館の傍の 

日田屋角田家跡 角田包教生家跡隣の空地

すぐ先、県道との交差点左に湯ノ端公園の足湯山鹿温泉の由来説明板歴史が古い

足湯のある湯ノ端公園広場

山鹿温泉の由来説明板歴史が古い

交差点を渡った左に 山鹿温泉さくら湯宿場にマッチした建物
さくら湯の歴史も古く、明治初年より始まる

さくら湯の傍の 徳富蘆花の紀行文

柳の下に 灯篭娘の像

西南の役山鹿口の戦い 薩軍本陣の跡

さくらの湯温泉プラザの近くに 薬師堂
温泉の守り神として薬師如来を本尊として、脇侍に日光、月光菩薩とその守護神十二神将を祀っている

近くに 宮本武蔵の像
熊本細川藩主の細川忠利が山鹿温泉に御茶屋を新築して宮本武蔵を招待したそうです。
この辺りに 御茶屋 があったのか

交差点から宿場を振り返る

交差点の先の商店街、逆光になるので振り替ええたところ、商店街の建物は建て替えられたものが多いが、雰囲気が残る街並み

左手に重厚な建物、よく覚えていないが酒屋さんであったか

左手に 火除け地蔵 古い歴史のある地蔵さん

千年の昔この地に 真言律宗舞鶴山像成寺 という大寺院があった。この地に惣門と火除け地蔵が祀られ地蔵口と呼ばれていた。

素晴らしい宿場の街並みが続く地元の方たちの努力が想像できる。有難うございます。

左手に 浄土真宗光専寺
400年前の熊本城築城にともない、余った材木で作られた楼門が建つ。天正6年(1578)創建の歴史ある寺。
明治10年(1877)西南の役では 薩摩軍の野戦病院 として使用した

光専寺の街道を挟んだ右手に、江戸時代山鹿宿を支えた 江上家跡にの案内板 があったのを見逃した。江上家は御客屋と呼ばれ、豊臣秀吉や細川忠利が宿泊している山鹿宿屈指の豪商であった。

その先、右手の 本田邸 は江戸時代から続く豊前街道有数の豪商であった。風格のある建物が残っているが。写真にうまく撮れていない。

菊池川に突き当たる手前に 千代の園酒造所 の豪壮な建物

千代の園事務所 の建物

木屋本店の建物
本店の陳列の多くの船が飾られている。山鹿宿も菊池川に突き当たるが、大きな宿場であったようです。
現在も多くの建物が残り見ごたえのある街です。時間的制約があったので、街筋を歩くだけでしたが一日かけてゆっくり見学したいところです。いい宿場でした

本店の前の陳列内に飾られている帆船の模型

宿場の南端の菊池川水運と山鹿宿について 惣門跡にある説明板

惣門跡から見る宿場の街並み

菊池川の 山鹿宿南の惣門跡

平安時代から知られた温泉町で、菊池川の右岸の温泉町、藩主の宿泊する御客屋はじめ、多くの商家や旅籠、寺院が軒を並べた。宝暦13年(1763)500戸以上の家並みがあったのもうなづける。有明海にそそぐ菊池川のこの町は、交通の要衝であり、江戸時代には菊池川舟運の物質積み出し地として賑わった。また大坂の堂島米市場でも、一、二を争う肥後米による繁栄を支えた。豊かな水と良質な土地に恵まれ「天下一の米」と称された肥後米は、将軍家でも食された。堂島相場でも毎年のように最高値を付けていたという。
また山鹿周辺では古代から発展した証拠チブサン・オブサン古墳が代表され、沢山の古墳が出ている。

菊池川に突き当たり、今は渡河できないので右手の3号に架かる山鹿大橋を渡ります。惣門跡を振り返る

菊池川の対岸を見る、水運で繁盛した港と渡河地点

右の山鹿大橋かつての渡河地点と水運の港、菊池川

山鹿大橋より山鹿を見る

山鹿大橋を渡り南へ街道を進む

左手の民家辺りに 一里木(六里木)があるのだが見つけられなかった

3号線に架かる米田歩道橋で横断、左に国道を分け右の旧道を進む

歩道橋手前左に 南嶋菅原神社

何か祀られています

右手に 郡境の碑「是ヨリ北山鹿郡」

城ヶ花バス停の傍の 豊前街道標柱

山鹿市鹿央町岩屋に入る、岩原川に架かる左の瀬萩橋を渡る。ここで道が分岐、川と離れていく左の旧道を進む

右手国道の向こう側に 赤い鳥居 が見えます

真直ぐの道、右手に米野岳中学校。街道は正面左方向から浦山坂で山越えです

左に豊前街道の標柱が建つところの旧道を入る 浦山坂 上り口

竹林に囲まれた快適な歴史を感じる道です

浦山坂

 上りつめたところから振り返る

少し農地が広がる

 右にカーブして右からの道に合流

合流地点右に 道路改修記念碑

郷原八幡宮

合流した道を進んでいく鹿央町郷原地

右に 聖観音菩薩のお堂

少し先左木の下に、南無地蔵尊の石碑

暫く田園風景を見ながら静かな街道を歩く途中右手に 持松塚原古墳入口の標柱

山鹿市向原地区の大木の林の間の坂道 比丘尼坂

坂を下る街道

右手に、浦大間古墳入口の標柱 多くの古墳、古墳研究の方は喜ぶだろう

古墳への道

そのさきの街道、車が少なく助かる

山鹿市元広地区に入ると右手に、案内板と標柱が見える
元広の 豊前街道里数木跡(五里木)で 珍しい 両塚が残る

振り返ると両塚跡がよくわかります

 暫くまた静かな元広集落の街道を進む

やがて街道は集落を下る

十字路の角に 恵比寿像の祠

右手の道を少し入ると右に 真宗小谷派善行寺
門前に豊前街道善行寺、参勤交代の時の休憩所として利用されたいまもなごりを残すと書かれた標柱島津の篤姫も休憩したことが残っている

境内の巨木の イヌマキ は有名らしい

集落の中の緩やかな坂を下ったところから振り返ると右手に 豊前街道広町の標柱

江戸時代に記された資料によると、ここ広町は二十軒余りの商店があって賑わいを見せていたそうです。また、ここから約150m北西にある善行寺は、幕末参勤交代の休憩所となっていた。この標柱の角を左に折れるのが街道だが、誤ってまっすぐ進んでしまった

真直ぐ進んだ先から街並みを振り返る静かな集落

石仏 が並んでいる

右手に 宮地獄神社(二所大神宮)

ここで間違ったとわかったので、神社前から引き返し四辻を歩いてきた道から左に折れる

左に折れて坂を上ったところから集落を振り返る

ビニールハウスの間の道を進む、ハウスの栽培はスイカだそうです熊本産のスイカ早く関西でも店に並びます

ガードレールのあるT字路に突き当たり右に折れる

直ぐ左にカーブする道で、二股になっていて左の下る道が街道

分岐の下る右に、豊前街道:乙貝坂 かつての難所であると書かれた標柱が建つ

結構急な坂で、今は整備されているが、かつては言葉通り難所であったの様です

自動車道のガードを潜ります

蛇行をしながらその先下ります

田畑が広がるところに出る

千田川に架かる橋を渡る、その正面前方に大きな旧家にビックリ

県道119号の十字路に出て横断します

 県道を横断して、右にカーブ大きな家の東側を進んできた旧道を振り返る

上り坂になり林にはいつ左に、豊前街道(三十六の御茶屋跡)の標柱
ここから千田川に下る道は切り通し道であった。加藤清正が軍事的目的で凹道を作り、熊本城下から五里程は、殆ど凹道だったそうです、この付近に 御茶屋 があったようです。

分岐を左の地道に入る

竹林の少し荒れた道ですが、旧道らしい情緒があって素晴らしい

赤い紐で目印をして頂いてます

縛らく山道を進んできますと熊本市北区植木町に入っていきます

豊前街道(三十六のお茶屋跡)前と同じ標柱、ここのも御茶屋があったということかな

ようやく快適な山道を抜けたようです

左手に 祠と一対の灯篭

畑が広がる、真直ぐ進みます

道が広がり右から道が合流してきます。旧道なのか迷いましたが人がいません

真直ぐの道で当たり一帯ビニールハウスが並ぶ。丁度軽トラの所に二人の方が作業していたので、ハウスの作っているのはと聞くと、やはりスイカでした、今から準備するそうで、スイカ日本一を自負することはあると思った

道を聞くと街道に間違いなくほっとした

真直ぐな広々とした道だが、当然旧道は改修道路で消えているので面影がないが。町の中の騒々しい道よりよっぽどいい

左手ビニールハウスの袂に、天然記念物一本榎跡の標柱が建っていっるが、遺跡らしきもの何もない

標柱の先200m程で目標の九州自動車道の跨道橋を渡る。跨道橋の先も綺麗に道が整備されているので、完全に旧道は失われています

跨道橋より300m程改修道路を進むと左に公民館、右に山本小学校があります。公民館の角、左への下る分岐道があります。その道を左へ下る

分岐から振り返ると、右角に公民館。左手に山本小学校があります

公民館の角を下っていく道です。途中で二股になるが左の真直ぐの道を下る

下りきるとガードレールのT字路に突き当たります、北井川(きたいご)のT字路です右に折れる
そして北井川に架かる左の小さな橋を渡り右に折れます。すぐその先で右から下ってくる道に分かれる二股があり、分岐を左に折れる

左に折れた坂道です

右手崖の麓に 放牛地蔵 とその説明板が立っています。北井川の湧水が出ていたようで、旅人や地元の方たちに利用されていたのだろう

この箇所は谷となっていて、上の整備された造成地や道路と違い、時代に取り残された旧道沿いの一角で、街道歩きしている者にとっては素晴らしい空間で、何時までも残してほしいと思う。
ここ北井川(きたいご)の湧き水で昔は人々の喉を潤したことでしょう。今では地元の人でも、忘れられている場所のようです

風情のある急坂を上っていくと、右の県道3号に接するが左の旧道に入る。熊本市植木町内地区

道は狭くなります

右手にお寺があるが無住のようです

閑静な街道が続きます

蛇行しながら下ってきた道は、やがてガードレールのある道に突き当たります。道は途切れて真直ぐ進めないので、左に下り迂回し、この道の延長線上に見える道に出ます

正面の山は多分平尾山(215m)だと思います。左に下る、下の道に出て右に折れ少し進むと、左に折れる先ほどの延長線上の上から見えていた農道の道を南へ歩きます

豊田川に架かる平田橋を渡る。正面峠越えのようです

少し上っていくと車道に出ます、正面の細い旧道のような道を少し入りましたが、どうも平尾山への登山道のようなので、右に折れて車道を進む

すぐ左に 石の標柱 が建っているが老化していて文字が読めない

直進して進んでいきます

北区植木町味取地区に入る

左奥に行くと国道3号に出ます。その手前に 味取観音・瑞泉寺 があります。敷地入口に関係の深い 種田山頭火の説明板と像 があります

平尾山の麓に建つ 曹洞宗瑞泉寺:味取観音 種田山頭火と縁は深く、大正14年かた1年ヵ月堂守をつとめています。石段と境内  松はみな枝垂れて南無観世音 山頭火句碑

山頭火の像の場所に戻り右に折れると、すぐ右手に味取町についてという案内板が建つ

〖味取新町宿〗 熊本市北区植木町植木

その先すぐ左折れ、味取の街並みに入る

往時は約150戸の民家や商家が軒を並べたというがその面影はない

右手に 浄土真宗本願寺派光勝寺 があります

左に3号線が沿っているお寺の先で分岐しているが、左の道は3号に出るので右の真直ぐの道を進む

ほたて坂

上り坂を上りつめると、左後方道が合流してくるところを振り返る
上りつめたところに、豊前街道:ほたて坂入り口の標柱

 少し進むと右手後方から県道3号が合流 合流点に 石の祠

合流した右に植木消防署があり、すぐ先右手に 真宗大谷派専福寺
門前に、山本高等小学校記念碑 入口の石碑 ここは植木町五両の表示

その先、植木町一木で左手を並行していた国道3号に合流する

国道をしばらく進むがさすがに車が多い途中ドラッグストアの手前に 豊前街道:里数木(三里木がこの付近にあった)跡の標柱 を逸した。車が多く注意散漫となる、残念

その先国道が右に進むところの分岐を左の道を進む。植木町総合支所前信号交差点

左消防車庫の横に小さな 鳥居と祠 がある 恵比寿神社

二股を過ぎた先から植木町並みを振り返る

 左に 豊前街道の標柱と導引地蔵菩薩

植木から当初、是非行きたい田原坂の見学はゆっくり回りたいので、今回時間的に無理なので、次回二回目に来る時寄ることにしました。

暫く進むと左手に 植木天満宮

入口の所に、官薩両軍緒戦之地:明治十年二月二十二日と書かれた標柱

天満宮の所で道は二股になり、左の緩やかな道を下る

すぐ左手に 浄土真宗本願寺派佛巌

小糸山町の町筋で加藤清正の築いた切通道が残る

右手高台に 西南の役 河原林少尉戦死の地の標柱

右の高台へ狭い急な階段を上る少し怖い。
第十四連隊旗手 河原林雄太少尉の戦死の地 明治十年二月二十二日と刻む石碑がある。
乃木少佐の部下で、軍旗を薩摩軍に奪われたことでよく知られている。乃木少佐は、軍旗を奪われたことを一生の恥として戦争後も悩み続けたという。軍旗も大切だが少尉の死を悼まなかったのかな

十字路に出て街道は真直ぐの道を下るが、左の墓地へ、十字路手前左右に、県警交通機動隊がある。
左に入ると、明徳官軍墓地、またも官軍の墓地122名の墓石勝てば官軍

官軍墓地ばかりで、薩摩郡の墓地はどうなったのか。生き方が違っただけで悪くないのに
元の十字路に戻って旧道を直進します

その先で右からの国道3号が合流

暫く進むと左に入る二股があり、角正面に 豊前街道旧道 の標柱が建つところを左へ入る

すぐ先で再び右からの国道に合流

合流した先直ぐ右に、菅原神社

すぐ先右手に、浄土真宗西福寺

西福寺の前に、豊前街道二里木跡の標柱 の標柱鹿子木地区

左に川上小学校この辺りに、御馬下の角小屋、阿蘇宮 豊前街道標柱と六地蔵付庚申塔 見逃した

高架道路を抜ける、北区四方町地区

高架下より400m程進む大窪2丁目交差点で国道3号と分け右の道を進む

県道303号を進む

大窪・徳王にかけ加藤清正が軍事上の目的で造った凹状の切り通しの道の残っている部分。清正の壮大な構想。今は車道となり、高台は住宅地に変わっている

右手徳王バス停の傍に、一里木跡の標柱いよいよ熊本城札の辻から一里

国道303号を南に進んでいく

山伏塚(やまぼしづか)前バス停のすぐ先右に 山伏塚の大きな石碑 高台に塚がある

熊本城完成時、依頼され祈祷をした他国の山伏たちが帰途、城の秘密を知られたという理由で殺されたという伝説

出町3丁目バス停前の街道

池田町に入る、角の店は寿司屋さん

本日はここで終了とします

この後は余談
この道が正しいと思って歩いていたが、この寿司屋の所から1㎞ほど下っていったところで不安になり、道を聞くのに池田駅を聞いてしまった。最初ご婦人に聞くと通り過ぎているとの事で同じ道を戻る途中、中年の男性に聞くと、その近くに帰るから一緒に行こうと案内していただいた。
結果的には、歩いていた道が正しかったとホテルに戻り調べた結果でした)。
男性の方にホテルの名前を言えば、先ほどの下っていった少し先に今晩のホテルKKRホテル熊本があったのだ。男性の方はよく知っていた。でも非常に親切な方でありがたかった。
この下に、熊本電気鉄道菊池線池田駅があるので案内しましょうと言っていただき行きました。
寿司屋の角を曲がり急な坂道を下る。下りきったところで、左に折れ細い急な坂道を下って行きます

上から見たかなり下に小さな池田駅が見えます。住宅も広がっている。案内していただいた男性の方はこの駅付近にお住まいとおっしゃっていた

可愛らしい一両電車がタイミングよく駅に着いた

池田駅とトンネル

下って駅の横の道で、駅のすぐそばにトンネルがあり、男性の方の話では、ここは撮り鉄の方たちの撮影スポットと教えて頂いた。確かに道に迷わなければ、ここのスポットも知らないし、親切な男性にもお会い出来なかった。得をしたような気持ちになった。
この後、男性の方の家はこの近くと言っていたが、ここで今晩のホテルKKRに泊まるというと、驚かれて、道を聞かれた場所から29分程下っていった先にあったと言われたがでもよかった。そこからJR上熊本駅近くのタクシー乗り場まで一緒に案内していただいた。
なにもお礼が出来なかったが丁重にお礼を言って別れました。本当に有難うございました。歩いてホテルまででは時間がかかるので、タクシーで今晩のホテルへ。

ホテルは熊本城が見える傍でした。
      山鹿宿 7時35分出発~KKRホテル着 16時50分
        53.472歩 35㎞   

よく歩いた一日、かなり疲れたがお城に近く環境もよいホテルでよかった

次の日はコチラ

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