2024年11月16日
13日の払山バス停の起点五差路~東市来駅~美山~伊集院
宿泊ホテルAZ近くのJR中明駅 6時06分発で鹿児島中央駅、鹿児島中央駅7時発で湯之元駅へ、駅からタクシーで13日の起点へ、移動時間が少しかかった
五差路 7時40分 スタート
伊集院駅 14時30分 着
41.847歩 25.10㎞ 1308kl
朝から1日雨で疲れたが、伊集院まで歩き、行きたかった史跡も回れた。
伊集院駅から鹿児島中央駅経由で、入明駅のAZホテルに連泊。明日最終日、予定より2日遅れの完歩となる
思案橋跡の五差路 を建物の右側の旧道を進む
13日はここの辻を左に折れて、来迎寺跡 に行きました


山道に入っていく旧道、左に弓なりにカーブします

やがて左からの270号線が合流するが、車に注意しながら横断

堀の集落を東に進む

辻に出ます、右から広い道が合流して進みます

少し下りになり270号線を横断します。270号線が二本あるようです、堀西口バス停横断してすぐに右にカーブして、左にカーブします

中原(なかばる)治水溝 が右手にあります。案内板が立っています、分岐は右へ



治水溝の角に 石碑 字が読めないが

中原(なかばる)治水溝
右手下が深くなっていて、下に治水溝があるようですが、とても藪と足元が悪く下に降りるのは危険

中原治水溝の角の前からの旧道を振り返る

森へ向かって進んでいきます真直ぐ進んだ先で分岐しています

真直ぐの少し坂道の森に入る道を進む

山道は少し掘り下げられた古道のような感じの道だが、祠のあるところから先はかつての旧道は廃道化していて進めなかった

集落の人々がこの 祠 を祀るためのここまでは整備しているようです

止む無く前述の中原治水溝の所に戻り、左へ進みます

右手を見る。多分あの山の間の山越が旧道と想像します。先ほど小屋の所の右を少し入ると祠が有ったところです

舗装道を200m余り進んだところの右にカーブミラーが立っている傍に、薩摩街道右への案内標識が立っていました

迷うことなく右への薩摩街道を進みます

右に入った先の、薩摩街道を探したが、今は藪で恐らく廃道となっているようです。治水溝近くで地元の方に道を訪ねたとき、今は通れなく迂回するようにと言っていた。
前述の祠の先の廃道化したところでなく、この道が薩摩街道のようです

この草道がおそらく旧道跡でないかと思う

とてもこの先進めない地元の方が言っていた通りです。でもここまで探索できたので満足

この先の山越の遠景


雨も降っているし無理しないで迂回することにします。元の標識のある所に戻りました

迂回路はかなりの遠回りで、東に舗装道を進み、標識から300m程で分岐する道を右へ、250m程先で高速道の手前に出る,右に道なりに折れて、高速道を左に沿って暫く進むと交差点に出ます。堀内地区。ここを左に折れて100m弱進むと、山越えをして来た旧道と思われる道が右に下ってきています。その手前10m程の辻を左に折れるのが旧道の続きです。
その前に、右から下ってきた旧道と思われる山道を逆に少し探索してみます。幸い雨もあまり強くないし下から登って行ったが、この先で道が無くなっている、想像だが旧道はここに出てきていたのだろうか

下って行く道は道幅もありいい道です


下って行くと民家が建っています

下から登って車道に出ました

左に折れて50m程先で復活した旧道を右に折れます

建物の向こう側右から下ってきたところを振り返る

県道より旧道に入ります

直ぐ先70m程でT字路を左に折れる

直ぐの分岐(電柱の手前)を右に折れます

右に折れるとまたすぐ、高速道手前の車道に突き当たるので右に折れる更にすぐ車道を左に分け、右斜め道に入ります

200m程先で先ほど分岐した車道が左から合流します

300m程車道を進むと十字路に出ますので、左に折れて高速道を越えます

左に折れる辻で、右手を見ると 遠見番山(179.9m)の遠望で、手前は東市来総合運動公園が見えます

十字路に立つ薩摩街道出水筋の標識


左に折れて直ぐ南九州西回り自動車道を高架車道で横断して東側に出ます

横断した100m程の一つ目の筋を右に折れます。右に折れたすぐの分岐道を左への道を進む

坂之上下集落を進みます

200m程集落内を進むと分岐に出ます。かつての旧道は真直ぐ進んでいたが途中で行きどまりになっているので、この辻を右に折れます

分岐を右に折れた道で、さきほど分岐した道に合流して左に折れます

その前にチョット気になるので、少しどうなっているか真直ぐ行ってみました。やはり前の山越えは出来ない、距離は短いが完全に谷があり廃道とかしている(寄り道)

元に戻り進む。車道を暫く進んでいくと、江口川手前で左への舗装道が合流してきます。
前述の廃道化した山越えの道がここに出てきていたようですが、雨も降っているし逆に廃道化したところまで歩くの今回止めました

江口川に架かる橋を渡ると、左右に分岐しているので左の道を進みます

橋を渡り左に折れるところ右手高台に 鶴城寺 があります

車道の左、城之町地区の中を短い旧道があるようですがよくわからなかった。
下の写真の所左に折れて、旧道は城之町集落を進んでいたようですが、私は真直ぐ進んだ
資料が雨で滲んできて少し不住しています

真直ぐ400m程進むと、左から集落を抜けてきた旧道が車道横断して右へ、車道の右側を曲がりながら東市来駅の南側に至っていた。私は間違ってこの区間残念ながら旧道は歩いていません
車道と旧道への交差点だと思う、旧道は正面から交叉点に出てきて手前に進む(私は車道を左から進んできて手前右へ)

十字路にある 地蔵さん

左に大きくカーブすると、JR市来駅に出ます

旧道は市来駅で無くなっているので、市来駅の北側の旧道復活起点まで迂回します
(寄り道)東市来駅の北側から小川を渡り、車道が北へ伸びています。城之町上の住宅地を進んでいった十字路、駅から約400mを左に折れて江ノ口川を渡り少し先で車道に突き当たります。
建物の遺構は残っていませんが、堀跡と等が当時の姿を残しています。
整備されて、鶴丸城跡への登り口 右の小学校横の鶴丸城登り道

標高100m程の所に位置する山城。市来氏の居城で、南北朝時代から戦国時代にかけて、島津氏との戦いが度々行われた。江戸時代は薩摩島津氏の外城の一つとして地頭が置かれていた。

正面 春日神社 の真っ赤な鳥居 護国寺神社があります

大きな 記念碑 が建つ 宣教師ザビエルやアルメイダが訪れ布教を行った

鶴丸城のザビエル像
天文19年(1550)滞在して布教活動を行う城主は新納康久で家老ミゲル、康久の妻の他17人が洗礼を受けた

ザビエルと家老ミゲルの像

鶴丸城

登っていないので写真をお借りました 鶴丸城跡の堀跡

鶴丸城本丸跡

鶴丸城登り道

鶴丸小学校と、その裏山が 鶴丸城跡

市来鶴丸城は、1601年築城の鹿児島鶴丸城に較べ歴史は古く、13世紀初頭市来家房が築城したと伝わる。14世紀の南北朝時代には南朝方に付き、北朝方の島津5代当主の貞久と対立。その後幾度も戦いを行われた。市来氏は寛正3年(1462)島津立久にお攻められ落城する。
その後、市来鶴丸城は島津宗家、分家の島津薩州家と続き、その後、天文8年(1539)に島津忠良・貴久(島津15代)が市来城を攻め、城主の新納忠苗は籠城の末降伏。貴久は家老の伊集院忠郎が城代となり、更にその後、新納康久が地頭として入る。(非常に複雑な関係である)
小学校の正面

小学校の東に 龍雲寺跡(日置市東市来町長里3281)があり 島津10代立久の墓 があるが、立久は市来氏と戦い勝利し龍雲寺を建てた、文明6年(1474)に没。遺言により龍雲寺に埋葬。昭和3年改葬され、現在は墓の祠が残っているが、雨も降り少し離れているので寄れなかった
島津立久の墓跡の祠(寄っていません)

鶴丸城跡の見学を終わり、東市来駅の北側の山道の街道に戻り(駅の南側から先日歩いたように、ここまで廃道となっている)、坂を下り右の国道に出ます、右に国道を見て少し側道を下っていきます 案内標柱が立っています

200m程下ったところで、右の国道を横断して、更に鹿児島本線のトンネルを潜り南側に出ます。
私は間違って国道を横断してしまった。この道を下って右のJR線を潜ります

JR線を潜り出てきたところを振り返る

トンネルを潜り道なりに南東への舗装道を300m程上っていくと、左からの舗装道が合流します

合流して200m余り山道の舗装車道を上っていったところで分岐しますので右の道を進みます
そして300m程坂を上りながら左に大きくカーブして進んでいきます

すると左T字路で右への分岐があるので、この辻で(寄り道)右へ坂を上ります。街道は真直ぐ美山の街並みに入ります
右への曲がりの所に 調所笑左衛門広郷招墓の案内標識 があります


右に細い道を上っていくと 玉山神社の鳥居

鳥居の近くに 水神

鳥居をくぐり上っていきます

鳥居の袂にある 石造り物

坂を上る途中左に 調所笑左衛門広郷・村田堂元甫阿弥の招墓
薩摩藩の500万両の借金を、50万両の蓄えにした、これが、薩摩藩の明治維新の原動力となっている、嘉永元年12月19日(1849,1,13没)



薩摩焼の保護奨励に力を注いだ二人には地元でも大いに感謝されています

更に坂を上ると平坦地となり 玉山神社の鳥居 が建つ。この先の神社に寄らず元の分岐に戻る


元の標識のあったところに戻り真直ぐ進んでいくと、東市来町美山の町に入る、街並みは一直線の道が続きます
薩摩焼創造 朴平意記念碑と墓



現在修行している陶芸家たちの車や見学者の車

美山の真直ぐな緩やかな下り

左に 沈寿官屋敷の門
江戸時代のこの近くにあった 藩主の御仮屋門を映した門。
展示館には白薩摩や黒薩摩の薩摩焼の作品が並んでいる

石敢当

内部の一部と展示館

雨の中庭もしっとりしていいものです

沢山のマキが保管されています

庭の奥に 登り窯 があります


沈寿官邸を後にして街道を進む
この付近に 苗代川お仮屋跡 藩主の参勤交代時に利用された



左手に 元外相東郷茂徳先生生誕地入口の石碑


雨で写真の写りが悪いが像


屋敷跡

美山上の街道

この分岐は右の道を進む

信号の交差点を真直ぐ下ります

暫く両側には木が茂り気持ちがいい、雨が降っていなければ笠もささなくてよくさらに良かっただろう

でも車が時折走るので注意が必要


どんどん下って行きます

右にカーブミラーがある辻で左に入ります。真直ぐ行っても先で合流します

右にミラー、左角に薩摩街道の案内が立っている、左に折れた先の街道

250m程先で車道に出ます、ミラーがある辻に出たところで右に折れる

右に折れて南へ真直ぐの旧道

先ほど分岐した車道がこの十字路に右から合流するので左に折れる

すこし先、大渡橋手前左に 田の神の双体像

神之川に架かる大渡橋を渡ります、橋の手前は寺脇バス停

大渡橋を渡った左に 大渡橋記念碑西郷隆盛 の文字と伝わる


大渡橋の橋の袂を右に少しの区間山型に旧道が残る

橋からの旧道を振り返る

左にカーブして、橋の袂で分岐した車道に合流します

大田下地区の県道を暫く進みます

右手に郵便局がありすぐ先で左からの車道が合流します。合流したすぐ先で左T字路がありますので右に折れます
案内標柱があります

更に直ぐ、薩摩街道出水筋の標柱の案内がある左への道を下る旧道
蛇行しながら太田中の集落を進みます

剣道の南を大きく円を描きながら集落の中を迂回します


途中左への県道への道がありますが入らず、真直ぐ進み左に大きくカーブしていく

薩摩街道出水筋の標柱に沿って

県道に出て右へ

右に折れた左手に太田上公民館前に 小峯之尾陣営跡の標柱


天文5年(1536)島津忠良父子が一宇治城を攻めるにあたり陣を敷いたところ

直ぐ先民家の手前を左に折れる旧道

左に折れた先の旧道、正面は 城山一宇治城跡 T字路民家の前を右に折れます

T字路に立つ 石碑

右に折れて300m程進むと再びT字路で左に折れます

左に折れて200m程進むと右にカーブして下りました。カーブするとこで左に城山に入っていく道がありますが。この左の道を入っていくのが城山に行くには正しかったようです。また旧道であったようです

右に折れ200m程下ると広い車道のT字路に出ます。
左にゆるやかな坂を400m程進むと十字路に出ますので、この辻で街道歩きを一旦中断して左の城山を見学します

400m程先の十字路を左に折れて(寄り道)真直ぐ進みます。広場になった城山公園に着きます。よく整備された公園で綺麗です。城山に上る石段の左に
史蹟 一宇治城跡の石柱

石碑の横の石段を上ります

左高台に ザビエル像 ここは十五代島津貴久とザビエルが面会し布教を許した場所と言われる

城山の歴史、公園の概要の説明案内板
島津貴久の母、雪窓夫人が1544年8月15日この地で没したと伝わる。後福昌寺に改葬された。


城山(標高143.9m)にはそれ以外にも古いお城がああっようです


いろいろの城跡の名前がありますがよくわかりません

古い井戸跡の案内板




ザビエル会見の地跡案内標識

ザビエル碑


神明城の説明案内

一宇治城の案内 山の頂はかなり広くなってよく綺麗に手入れされています

蔵跡




上から見た上り口の駐車場広場

石段を下ってきました

この広場の下の広い車道より上ってきましたが、この下を旧道はどこを通っていたのかはよく分かりません。
標柱があります、薩摩街道の標柱で、多分太田上からのこの道が旧道であったのだろう、

標柱より真直ぐ下る道

城山の広場から真直ぐ下って行く

左奥に えびす神社 が見えます

下る道左に 碑 が建つ

奥の墓地に 本田兄弟の墓
よれなかったのですが、戊辰戦役で戦死した、伊集院の郷士本田親正・親直の墓碑があるようで、兄弟の父と、兄弟を可愛がった、西郷隆盛が明治2年建立した。碑面には西郷の直筆の追悼文が刻まれている。
残念っだが途中まで行ったが訪問しなかったのが悔いが残る

この上に墓地があるようです

下って行ったところで広い車道の十字路に出ますそして左へ(この下ってきた道が旧道の様です)

十字路より右の道

十字路より左の道、この道を進む(街道)

150m程進むと信号交差点に出ます、街道は右に折れます 伊集院市街地

右に折れた先の街道

本日の薩摩街道はこの十字路で終わります
(寄り道)ここから北の神之川を渡りJR線を越えたところにある、
徳重神社(妙円寺跡)へ、まだ時間があるので明日のために寄っておきます
徳重神社裏参道の標柱

坂を上っていきます

徳重神社・妙円寺跡
妙円寺は大内義弘の息女・法智妙円大姉の菩提寺として明徳元年(1390)に開いた古刹。
その後、島津義弘が自分の木像を納め菩提寺としました。明治二年、廃仏毀釈により寺は取り壊されその跡地に徳重神社が建立されました。妙円寺も明治13年に神社近くに復興された。
妙円寺詣り
島津義弘の死後、関ケ原の戦いの辛苦を偲び合戦前夜の旧暦9月14日に城下士が約20㎞を歩いて「夜詣り」するようになった。これが現在にも伝わる「妙円寺詣り」の始まりです。


石段の参道を進む 本殿とその前の狛犬



社殿脇に多くの 灯篭 が並ぶ


島津義弘公の殉死者13名の地蔵塔
義弘公(85歳)が亡くなり、家臣たちがあとを慕って殉死しました。殉死は、薩摩藩としては禁制であったが、義弘の子17代藩主家久がその志を哀れんで、13年たった寛永9年(1632)に妙円寺境内のこの地に蔵塔を建立した。


境内に造られている、弓道場と土俵

御神木の大楠

参道入口に建つ 明神鳥居

伊集院駅

鹿児島中央駅に移動して更に入明駅に移動、AZホテルに連泊します。少し時間的ロスが大きい


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