薩摩街道 【第2回目 ⑨】

2024年2月27日~3月4日

 2024年2月27日
自宅5時47分発JRで新大阪駅へ、新大阪発九州新幹線8時4分発で久留米駅11時着1回目回れなかった史跡を見学。
 久留米城下ーー長洲ーー玉名の史跡

JR久留米駅にほど近い東側に 日吉神社

石造青面金剛像

暗くてよく見えないが

日吉神社より北へ、久留米城二の丸跡の石柱 を見て進む。約1㎞ほどの筑後川に近い篠山町の久留米城跡へ

小高い丘の上にある 久留米城跡
1621(元和7)年有馬豊氏が久留米藩21万石で入封して以来250年間有馬氏の居城として栄えた。現在本丸跡のみ残る。

本丸跡の中央に 篠山神社 初代豊氏はじめ、7代・10代・11代・14代の5柱を祀っている

社殿東側に建てられている、 小早川神社 小さな祠、毛利元就の末子で小早川隆景の養子となった毛利秀包を祀ったもの

神社本殿

石人首級碑

周辺に数多くの 石碑や歌碑 が建てられている

久留米城跡より南へ下り、前述の日吉神社の北側を西にJR線を越えた九州新幹線沿い近くに
古刹 臨済宗妙心寺派梅林寺 久留米藩主有馬氏の菩提寺

梅林寺外苑の梅

方丈南正面の 唐門

八十八ヶ所墓地 が見事に並ぶ

八十八ヶ所墓地前の 地蔵尊

境内裏手には 久留米藩主有馬家墓所

有馬則維(のりふさ)公の墓

有馬豊氏廟(重文)

有馬豊氏室、有馬頼徳室廟(重文)

春林院霊屋(重文)

梅林寺の南、車道を挟んだ向かいに 臨済宗法泉寺
5mの高さの 石造宝篋印塔

更に南側に 臨済宗妙心寺派海東山日輪寺 
山門は城内の 乾門 を移築、本堂南側に日輪寺古墳がある 

日輪寺古墳への案内傍の(古墳には寄りません)

日輪寺より南西に少し行くと、長い綺麗な塀の 水天宮
安産の神として崇められている

水天宮の鳥居

祭神は「古事記」に出てくる、日本初の神、天御中主(あめのみなかぬし)で、安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院徳子)・二位の尼(清盛の正室時子)が祀られている。1190(建久元)年、建礼門院に仕えた按察使局(あぜちのつぼね)が筑後川のほとり、鷺野ヶ原に創建したのが始まりと伝わる。現在の社殿は、1650(慶安3)年久留米藩2代の有馬忠頼がこの地に創建した。

真木和泉守保臣の像
鳥居をくぐり左に進むと像が建っています。禁門の変で敗れ、天王山で同志十六人と共に自刃

真木和泉守保臣

山梔寓(くちなしのや)

境内の 真木神社

水天宮拝殿

水天宮背後の筑後川堤に立つ巨木、古刹だけあって巨木が多く立っている

水天宮の東に京町小学校があり近くに、明治時代の画家 坂本繁二郎の生家 藁葺の生家が残る

生家の横に、土塀基礎跡が保存されている

東のJR線を越えて久留米駅から700m程暫く南東に進むと、若くして(28歳)亡くなった、画家の青木繁旧居が残っているよですが寄れえない。まだ多くの回りたいところがあるが、時間的に無理なのでもう一ヶ所、少し離れているが寺町界隈にある、遍照院へタクシーにて回る。東に走り西鉄久留米駅の北500m程の所の寺町の中に

真言宗光明山遍照院

境内に 高山彦九郎の墓
林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」と称された

付近に沢山お寺がありますが、時間の都合で終わります。久留米城下の史跡回りを一応終了しました。


次に、JR鹿児島本線で約1時間、熊本県の長洲駅に移動します
駅から目的地の立花誾千代の墓に約2㎞となっていますが、実際にはもっと遠いようでした。駅から西南にあります。まず菜切川を渡り、更に宮崎川を渡り長州町腹赤746を目指すも、なかなか分かりにくく地元の人に聞くと分かります、腹栄中学校の南側、雑木に囲まれた広場にあります。長閑な場所です。

目的の史跡は柳川藩主、立花宗茂の正室誾千代の墓(供養塔)
墓の頭部がぼたもちの型に似ているので、地元の人々からは 「ぼたもちさん」 の愛称で呼ばれています。
資料があっても、分からない場所で、迷っていた時丁度二人の御婦人がおられたので、訪ねたところ近くまで案内して頂き辿り着くことが出来ました。最後はこの地で過ごされたとの事でした

墓の入り口まで来ないと案内板がありません

立花誾千代の墓
墓石の表面には慶長7年壬寅十月十七日没、光照院殿泉譽良清大姉霊儀 と刻む34歳の若さ
誾千代の父、戸次道雪と宗茂の祖父吉弘鑑理、子は宗茂の父紹運で大友宗麟の有力な武将(家老)で宗茂は誾千代の養子に入り立花に改名

立花誾千代の墓が見つけることが出来て、途中下車した甲斐がありました。


次にさらにJR鹿児島線で玉名駅へ乗り継ぎました
熊本県玉名市 西南戦争で西郷隆盛の弟、西郷小兵衛が戦死 した地を訪ねます。
玉名駅より線路近くを東に歩いて15分程、繁根木川を渡り、東側の堤防沿いを南に進むと堤防沿いにありました。
やはり案内板がなく地元の人に聞きながらやっと見つけることが出来ました。西郷隆盛フアンとして是非行きたかった史跡です。

繁根木川の西側の対岸から戦死地を望む。
場所は当初川の西側と思っていて、回りを捜したが結局見つからず、諦めかけたがよく資料を見ると、東側かもわからないと思って、かなり疲れていたが、橋がないので北側に大きく迂回して地元の人に聞きながら辿り着くことができた

川の東側に出て民家を抜けて堤防に近づく

繁根木川の東側の堤防 西郷小兵衛戦死の地 の案内板がありました

繁根木八幡宮近くに建つ、戦死の地に碑

戦死の地より北へ鹿児島本線を越えて、700m程進んだところの願行寺を見学 高瀬地区

願行寺手前左奥のお寺入口に立つ 官軍墓地之道道標

浄土宗願行寺

龍造寺隆信の墓
戦国時代から安土桃山時代の肥前の武将。「九州三強の一人」「肥前の熊」「五洲二島の大守」などの異名を持つ。大友氏を破り、島津氏と並ぶ勢力となったが、島津・有馬連合軍と沖田畷の戦いに敗れ戦死。1584(天正12)年55歳。隆信の公式の墓所は、鍋島氏と同じ佐賀県の高伝寺にある。

 1日目見学ばかりで街道歩きでなかったが ここで終了。17時50分玉名駅前の玉名ビジネスホテル鈴鹿着。
       31.644歩  18.98㎞     

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