西近江路 【2日目】

2014年9月23日

おごと温泉駅~比良口
JRおごと駅7時30分に出発、距離としてはあまり伸びなかったが、堅田地区を2時間30分見学したので。今日は全体的に車の多い道でかつ単純な道だったので疲れた。
  自宅早朝1番の電車で おごと駅へ  7時30分 スタート
             比良駅   16時20分 着
              44.042  26.42㎞

おごと駅から500mほど歩いて、1日目の交差点に出ます。交差点を北に進み、すぐの雄琴川に架かる北雄琴橋を渡ります

すぐ左に 浄土真宗壽命寺

雄琴3丁目の町並み

右に 地蔵さん が沢山ならんでいます

暫く進んだ先で161号線に接近するが、合流せずに左の旧道に入ります

そこから600m程進むと御呂戸川に架かる斧石橋を渡ります

更に真っ直ぐな旧道、衣川地区に入ります
衣川宿

 左に 梅之宮神社
鎌倉時代、京の梅宮大社の分霊を勧請し創建された

神社より線路の高架下を潜り西側に出たところに 衣川廃寺跡(国史跡)飛鳥時代七世紀に建立された古代寺院。堅田丘陵の東端、琵琶湖の西約900mの標高約106mのところにあります。

廃寺の線路よりに 稲荷神社

街道より右に進み161号線沿いに 衣川寺衣川城主 山内駿河守宗綱菩提寺

衣川はかつては西近江路の衣川宿があったが今はその宿場の面影はない

左の湖西線に接近します。旧道は右の草に覆われた道を進みます

70m程進むと旧道は消失しています。止む無く右のガードを右に折れてすぐに左に折れて迂回します

左に折れて100m程進むと天神川の堤道に出ます

堤道を左に数十m折れて、消失した旧道の先に出て振り返ってみると

少し歩けそうだったので旧道の残骸を少し入っていきましたが、やはり途中で廃道化していましたので戻る

天神川の堤道から対岸を見ると、対岸の所に旧道が続いているので、この辺りを渡っていたようです

対岸に行く橋がないので天神川に沿って堤道を歩き130mほど先の天神川橋南詰信号交差点まで進みます

天神川橋南詰交差点の右(南)に 

左に橋を渡り、対岸の堤道を左に川を見てUターンしたところで、今来た対岸を見る

旧道が復活、堤道より下りて北に進みます。この辺りは衣川1丁目、100m程先で左からの道と合流

合流する手前左に 

祠のすぐ先で合流

合流した少し先から振りかえる、どちらの道が旧道なのかわからないが、多分左の道だろう。どちらも堤防道からの道

右の道を再度、堤防まで戻り確認するが、どちらの道が天神川を渡ってた旧道か確認できかった
何方でもいいのだが性格です

合流点から100m程北東に進みます

仰木道信号交差点に出ます交差点の広い道を真っ直ぐ横断しないで、左に入る旧道があり、そして右にカーブします

仰木道信号交差点で街道歩きを一旦中断して【寄り道】、東側の琵琶湖湖岸への史跡巡りをします。
堅田は比叡山の山麓を下り、琵琶湖の最狭い部分に位置し、近江八景「堅田の落雁」で知られる浮御堂を中心とした港町。堅田は本堅田・今堅田・衣川の三つの町を合わせて「堅田浦」と呼ばれ、そこの人々を「堅田衆(湖族)」と呼びました。堅田衆が最も活躍したのは中世で堅田千軒と呼ばれる自治都市を築きました。
戦国時代を迎えた堅田浦は、物流の要港として栄え、信長・秀吉は堅田衆を庇護しました。江戸時代に入り藩制により堅田浦は本堅田・衣川と今堅田との二村に分かれました。また多くの文人墨客が来遊し、江戸時代後期には、歌川広重が描く近江八景「堅田落雁」に登場、堅田浦の絶景が広く知られた。この堅田浦湖族の郷、千年余りの歴史を秘めた社寺、往時の掘割、船入り、屋敷、町屋など、また、おとせや勾当内侍の悲話、壬申の乱、堅田鮒の包み焼の伝説など、さらにそれぞれの町の伝統的な祭りも現在に伝わる、町歩きも飽きない。(パンフより)。仰木道交差点を右に折れてすぐに161号線の仰木口の交差点を横断します。

200m程先で、左に堅田高校・堅田小学校の前を通り真っ直ぐ進むと右に 天台宗妙盛寺 湖底から現れたという、本尊を観世音菩薩天正十七年の銘のある、天正の六地蔵

お寺の南側に 神田神社
中世には「西ノ切宮」と称し、京都の下賀茂神社とは縁が深い

さらに南に行くと 造り酒屋の「波の音」の建物

道を挟んだ東側には 

造り酒屋の西南角にも お堂

造り酒屋から東南に道を少し湖岸に進むと 寿寧寺 鎌倉時代の銘、夢見観音がある

琵琶湖の遠景 対岸のこんもりした山は、藤原秀郷の伝説ムカデ退治の三上山、別名近江富士

おとせの浜 平治の乱の際、源氏の旗を最後まで護り通した堅田おとせの片腕が流れついたという浜

壽寧寺から戻り、波の音の北側の筋を東へ右の藤田商店の横の 

さらに東の湖岸に進むと左湖上に見える
浮御堂(満月寺)

浮御堂よりの琵琶湖の景色

臨済宗大徳寺派満月寺
長徳年間(995~999)に叡山横川の僧都源信が開くが、その後荒廃して、元禄年間の大徳寺の僧によって修復され以後禅寺となった。

満月寺の前の道を北に進むと 伊豆神社 平安前期の創建、堅田地域の総社で自由都市堅田浦の本拠地

湖族の郷資料館(元雑貨商)

浄土真宗本願寺派本福寺
正和年間(1312~17)の創建、蓮如が一時ここを拠点とした

本福寺の東側に 室井角寓居乃跡碑 芭蕉十哲の一人

本福寺の東側に 真宗大谷派光徳寺 堅田源兵衛の頭骸骨が伝わる

堅田源兵衛の墓

 本堂前に、堅田源兵衛父子殉教之像

本福寺・光徳寺の北側には 臨済宗祥瑞寺
元弘二年(1332)の玉泉庵に始まるという。大徳寺の名僧華叟宗曇の弟子、一休宗純がここで修養したことでもしられる

門前に立つ 一休和尚修養地の碑

祥瑞寺より少し北東の老ヶ川の大橋を渡った川沿いに 琵琶湖哀歌顕彰碑
昭和16年(1941)4月6日旧制4高等学校(現金沢大学)ボート部が琵琶湖横断途中、突風の煽られ転覆11人全員が大溝沖で水死した琵琶湖遭難事故を悼んで作られた。

作詞 奥野椰子夫 作曲 菊池博東海林太郎と小笠原美都子のデユヱトで歌われた
2番
   瀬田の唐橋 漕(こ)ぎぬけて 夕陽の湖(うみ)に 出で行きし 
     雄々しき姿よ 今いずこ ああ青春の唄のこえ
   比良の白雪 溶けるとも 風また寒き 志賀の浦
     オールそろえて さらばぞと しぶきに消えし若人よ
   君の湖の子 かねてより 覚悟は旨の 波まくら
     小松ヶ原の 紅椿 御霊(みたま)を守れ 湖の上 

哀歌顕彰碑から200m程北に街並みを進むと右に 
居初氏庭園(天然図画亭)国指定名勝、天和元年(1681)頃に、千利休の孫にあたる千宗旦の門人、藤村庸軒と堅田郷士の北村幽庵との合作と伝わる。居初氏は堅田の誕生以来、支配者として活躍した、殿原衆の筆頭党首

さらに北に街並みを進むと左に 臨済宗福聚禅院 南北朝時代に創立

智鎮神社 漁師の守り神

さらに北に今堅田地区に歩いていくと 竹内家 今堅田の浦方・村方を差配していた船頭郷士の家柄

泉福寺
伝教大師の開山。比叡山三千坊の一つで、湖西随一の霊場といわれた。勾当内侍の菩提寺泉福寺伝教大師の開山。比叡山三千坊の一つで、湖西随一の霊場といわれた。

近くにある 愛宕神社

すぐ近くの  曹洞宗海蔵寺  江戸時代初期の創立

北に進みます 曹洞宗円成寺 海蔵寺と同じ江戸初期の創立

円成寺の北に 伊豆神田神社 平安時代前期の創建、稲の神様

さらに北に歩き琵琶湖大橋手前 勾当内侍御廟道の碑

野神神社の参道を進む

野神神社

境内にある 勾当内侍の墓
内侍は藤原行房の妹で、後醍醐天皇の女官として仕え新田義貞の妻となった。延元元年(1336)足利尊氏に敗れ、内侍をこの地に残し、延元三年越前国藤島で戦死した。それを聞いた内侍は哀しみのあまり、琴が浜(現東南方の湖岸)に身を投げたといわれています。
村人たちは哀れみ塚を築き、明応六年(1497)野神神社を建立、現在も10月の命日に例祭が行われている。

堅田をもっとゆっくり回りたいが時間がないのでこの辺りで終わるが、機会があればもう一度訪ねたい。
仰木道の交差点に戻る

交差点より北にカーブしながら進みます

左の角に と常夜灯

さらに続いて左に 石祠

旧道を進みます

 五差路の信号交差点に出る手前右角に

本堅田五丁目交差点を越えますその先右にアル・プラザがあります

小さな川を渡った左に

すぐ左にJR堅田駅が見えます

駅前から暫く旧道の面影がない車道を歩きます左にセブンイレブンを見ます

真野二丁目交差点を横断します、この交差点を右に進むと、琵琶湖大橋。先に記述した堅田史跡巡りはこの辺りの東まで来た

交差点を横断した先で、161号線から558号線になった道と合流します。右にイズミヤがあります

合流点すぐ先で、真野川に架かる真野川大橋を渡ります。すぐ右に琵琶湖大橋病院があります

暫く先左に 浄土真宗正源寺

お寺から100m程先で左に大きくカーブします。その右に 

 小さな川の須原橋を渡ります。右にすき家青山

左高台にJR小野駅があります

右後方の琵琶湖大橋を望む

小野駅を過ぎて300m程先で、旧道が車道より右に進んでいたようだが消失。
真っ直ぐ進み小野南交差点を横断した先で右から旧道が合流し、小野交差点信号の手前で左に横断して、右にカーブして小さな川に突当り、川沿いに右に折れ、再び車道を右に横断し、すぐ先で左に川を渡り、再び車道を右から左に横断して、この先歩く道の右辺りを平行してかつての旧道は進んでいたようですが、今はとぎれとぎれで旧道は消失しています。
止む無く、小野交差点で左に分岐して丹出川に架かる丹出川橋を渡ります

558号線と分かれ、橋を渡った左に お堂

暫く進んだ左民家の軒に 
かつての旧道は今歩いている道の、右辺りを並行してあった

更にその先左に 

JR湖西線のガードを潜ります,ガードの手前右に進み、湖岸の道もありますそのさきで合流します

ガードのすぐ先で新丹出川に架かる橋を渡ります

橋を渡った右に 文珠神社

小野の町並みを進んでいきます

橋より200m程先左に 比良山花遥院

 北側に 小野道風神社

平安初期の三蹟と称される、書道・学問の神本殿は重文

さらに200m程先左に坂田墨珠堂奥の手前を入ると 石上神社

街道左の 坂田墨珠堂の建物

150m程進むと左に入る道があります、その左角に 上品寺

街道沿い角に小野神社の 石碑、灯籠や道標 があります

道標 「左 小野 小町」 「右 小野・・・」

左に街道より150m程入ると 小野神社 延長五年(927)創建、現在の社殿は江戸時代に再建。お菓子の神様として信仰されている

神社は、小野妹子・小野篁・小野道風を生んだ古代の名族小野氏の氏神社です。推古天皇の時代に妹子が先祖を祀り創建したと伝わる。

 小野氏の系

小野篁神社 社殿は室町前期の創建、古墳上にあり(重文)

小野神社本殿(重文)暦応四年(1341)の創建

小野小町の五輪塔 平安前期の女流歌人

上品寺からすぐ先で和邇川に架かる和邇川橋を渡ります。小野から和邇に入ります

橋を渡り、和邇中の町並みを進む
和邇宿

街道から100m右に入ったところに 貴船神社

和邇の町並みかつては、和邇宿があった豪族、和爾氏が領した交通の要衝

和邇郵便局の手前交差点に 石碑平安時代には榎ともよばれ、和邇川に沿って通る、龍華越えと西近江路の交差するところにあった。

交差点を北に進むと右に 祠

 右に大津市和邇市民体育館・図書館がある。まだ大津市、合併後の大津市は広い。道は分岐しますが真っ直ぐの旧道を進む

分岐を右に折れて進む道

左に旧道を100m程進むと十字路の左角に 常夜灯・地藏・道標

常夜灯の足元に 地藏 が並ぶ

 ここで道を間違えたようです。私は真っ直ぐ進んでしまった。

旧道をすこし文書で説明すると
旧道は常夜灯の十字路を右に折れて、すぐのT字路を左に折れます、その先200m余り進み突当りを右に折れます。
右に折れ数十m先の突当りを左に、さらに20m程先の左T字路を右に(真っ直ぐの道は小川に突き当たる)、そして10m程で小川を渡り左に折れます。川に沿って20m程で分岐があるので右に曲ると、JR線に突当り、線路の向こう側に越えられないので、左に迂回して反対側の旧道に出ます。
すぐ右(南)に和邇駅があります。東に150m程進むと、五差路に出ますので、北への道に進みます。五差路で左から間違った道が合流します。

常夜灯の前の道を真っ直ぐ進む

やがてT字路に出ますので右に折れます

右に折れた先の道

JR湖西線の高架を潜ります
右50m程に前述の旧道が線路の高架に突当り、迂回してここに出てきて、高架の先すぐ右に折れて線路の反対側に出ていますが、私は真っ直ぐ進んでしまいました

高架を潜り150m程で、右から旧道が合流する五差路に出ます。左に折れます。
かつての旧道は、五差路を60m程真っ直ぐ進み558号線に出たところで左斜めに進むが、今は消失しているんで、点前を左に入る

左に折れて二筋目の左への道を曲がります。左を見ると静かな長閑な風景が広がる

右に 大将軍神社

神社のところで右に急カーブしいます左に 

和邇中浜の集落進む

 集落の中左に お堂と灯籠

お堂の傍にある説明板

すぐ先で558号線に合流、また前述の湖岸沿いの別ルート道が同じく合流します。左に折れて558号線を進みます。さすが琵琶湖岸の道路で車が多いが、歩道があるので助かる

喜撰川手前の右に 灯籠 喜撰川に架かる喜撰川橋を渡ります

更に200m程先左に 灯籠 灯籠の少し先の信号を左に少しはいると

北浜公民館横に 千手院  

信号から100m程左に 灯籠

和邇北浜地区 左にひる道の角に 住吉神社灯籠と石碑

道沿い右に 真光寺

 真光寺のすぐ先で、真光寺川を渡ります

その先に鎌田川にかかりますが、その右角に 石碑 があります

かつての旧道は石碑の少し手前を、右の湖岸に入り、鎌田川を渡り、湖岸に沿って進んでいたようですが、旧道は消失しているので、558号線を進みます。右の琵琶湖の浜は、蓬莱海水浴場です

暫く558号線を進みます、北浜から南船路に入ります

やがてJR高架を潜りますが、前述に鎌田川の手前でかつて分岐していた旧道はこの高架手前で右から合流していました

高架を潜ると 八所神社 が正面に見えます

その北側にも 八所神社 があります

船路の町を北に進みます

 右に湖西線の蓬莱駅が見えます

蓬莱駅の西側街道沿いに、登山口の案内板が立っています

八屋戸川に架かる八屋戸川橋を渡ります

橋を渡るとすぐ左に入る旧道があります

558号を迂回しています、八屋戸の集落

 旧道を入るとすぐ左に 地蔵、灯籠 があります

その先で右にカーブします

八屋戸の集落を進みます

少し進むと右からの558号線と合流します

 50m程先で再び左に入る旧道を進みます

旧道に入り130m程先の分岐を右にカーブしますが、左へは登山道です

右にカーブする右角に お堂と灯籠

右にカーブして八屋戸集落を少し進むと右に 灯籠

灯籠の前を西に少し入ると 西福寺書院

すぐ北側に 天台真盛宗西福寺

もとに戻りすぐ先で、右からの558号線が合流します、その右角に 地蔵と道標

地藏を背にした 道標 「左 かいとう」

 合流してすぐ先左に 地蔵 が並んで祀られてます

 合流点より200m程進んだ先で、また左に入る旧道があります

旧道の道

旧道に分岐して200m程進むと野路子川に架かる小さな橋を渡り、大津市木戸に入ります。まだ大津市が続いています

橋から200m程で、右の558号線のびわ湖バレイ口の信号交差点からの道路と交差します。街道は真っ直ぐ林の中に入ります

交差した道路の右方向を見ると、すぐ先に558号線の交差点です

林の中の旧道を進むと 志賀清林の墓 か吉田家の墓所か相撲行司の祖とされる人で、神亀年間(724~729)に宮中の相撲節会に、近江の国の志賀清林を召して行司を務め、その時に48手等の基礎を定めた

林の中を進むこと160m程で、右からの558号線に合流する

合流してすぐ先三階建ての民家の右側の旧道に入る

 150m程進み、再び左からの558号線と合流するが、558号線を進まず斜めに横断して今度は左側に旧道を入る

少し先で木戸川に突当るので、数十m右の558号線に架かる木戸川橋に迂回して対岸に出ます

橋より左の上流

橋より右の琵琶湖側の景色

木戸川を渡るとかつては 木戸宿 があった

集落に入ると十字路で右に 灯籠二基大神宮の銘

 木戸宿の入り口を振り返る

すぐ先の次の十字路で【寄り道】左へ入ります集落内の左への道、左角に民宿いかいがあります

 左に120m程先正面に鳥居が見えます

樹下神社
正平三年(1348)に木戸城主佐野左衛門尉豊賢により創建されたと伝わる。元亀の乱で焼失荒廃したが、天正六年(1578)に木戸城主佐野十乗坊秀方により再建された

灯籠と祠

隣に 浄土宗安養寺

その北側隣に 西方寺

街道に戻り進むと右に少し屈折した左角に 白髪大明神の石灯籠

 その先十字路左角に 愛宕大神の灯籠と祠・地藏

南側に 真宗正覚寺

木戸宿 に入ります

右に志賀駅が見えます

やがて木戸の集落も終わり、右からの558号線に合流しますが、558号線は志賀駅口交差点で終わり、交差点を越えると161号線になります。交差点を横断して161号線を進みます

志賀駅口交差点、右に行けば志賀駅、左は志賀ICに出ます、左には比良山系が連なります

すぐ先、大川に架かる橋を渡ります

大津市荒川地区に入ります、右に荒川公民館

荒川交差点右角に 湯島の里石碑と道標「蓮如上人御遺跡の碑、西へ百五十六萬福寺」

161号線を重複して進む

 大谷川に架かる大谷川橋を渡ります

橋より左の 比良山(標高1051)を遠望

川沿いに立つ、百間堤の案内板

橋から100m程先で右に入る細い道がありますが161号線を進みます

さらに50m程進むと左に分岐する旧道があり左に入る

左にはいった旧道

 250m程先分岐の左に赤いポストがあります、右の道を進む

緩やかな集落の下り坂を進みます

十字路の左角に大きな 常夜灯 十字路のすぐ右は161号線の大物交差点

十字路を100m程左に入っていくと 樹下神社の遥拝所 があります

街道に戻り真っ直ぐな静かな集落内を進む

 暫く歩くと右からの161号線に合流します

合流したところで、横断すると右に地道の旧道が残っています

左の民家の裏と、右の田の間の旧道を進みます、草が適当に茂っていて歩きやすいです

 100m余り先で161号線に合流します

61号線を重複してこの先真っ直ぐ進んでいきます。歩道があるので助かります

 右に比良駅の表示があります

右に湖西線比良駅が見えます。
時刻が16時20分、時間的にも良いので本日はここで終わります。比良駅17時50分のJRで大阪駅へ

西近江路 2日目終わり

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