2019年9月29日 完歩
【1日目】2018年12月23日
【2日目】2018年12月24日
【3日目】2019年 9月28日
【4日目】2019年 9月29日
伊勢街道は、東海道を下ってきた先の四日市宿の日永追分で東海道と分岐して、伊勢湾沿いの南への街道です。街道距離は約十九里十八町(約77㎞)日永の追分~白子~津~六軒~松坂~斎宮~外宮~内宮と続く、街道は中世の参宮路よりやや内陸部によりで、近世に入り江戸幕府の重要脇街道として、五街道に次ぐ伊勢への街道として整備され「伊勢参り」で賑わった。
【1日目】2018年12月23日
四日市日永追分~白子
近鉄桜井駅から電車で桑名まで、午前中、銀行勤務時代御指導を受け、その後も親しくさせていただいている先輩が病気で、かなり厳しい時期にきていると聞いたので自宅に見舞うが不在であったのが残念。その後まもなく亡くなり会うことがありませんでした。悔いが残っています。
桑名駅から四日市の追分駅まで戻り伊勢街道をスタートします。
朝から一日曇り空で今にも雨が降り出しそうで、時折小雨がぱらついた。
追分スタート 11時45分
白子駅前着 17時00分
35.297歩 22.94㎞
スタート近くの内部線の追分駅、追分駅より北側の道路を北東に200m程進みます

線路踏切りから見た追分駅

日永の追分分岐
右への道は 東海道(街道歩きをはじめて最初に歩いた街道)。
左真っ直ぐの道は広く103号線の 伊勢街道
日永の追分は【間の宿】であった

日永の追分に立つ 神宮遥拝鳥居・道標
「右 京大坂道 左 いせ参宮道 すぐ江戸道」嘉永二年(1849)の銘


神宮遥拝鳥居
東海道を進み、伊勢に行かない旅人のために立てられた。安政三年(1774)以来、伊勢神宮式年遷宮ごとに古材を使って建て替えられる。かつてはこの鳥居を潜って伊勢に進んだ

神宮遥拝鳥居の碑



追分の東海道の道を見る

追分より350m程進むと大治田一信号交差点で高架道路を潜る

高架を潜ってすぐ左に、旧家が見える

少し進んだ左に 道標四基
字が見にくいが、新大治田道の角にあり蟹築山密蔵院を案内している
道標の間に小さな欠落した 地蔵尊像

「大治田密蔵院」
「子安□□密蔵院」
「新四国・・・・」
「三重四国八十八ヶ所十二番札所」

左に寄り道して入ると右に 大治田神明社

高架を潜って1㎞程進むと分岐しているので、右の旧道に進みます

伊勢に向かって左側、元帥大山巌の書


すぐに内部川の堤に突き当ります,かつては真っ直ぐ橋が架かっていた

堤に上り旧道(北)を振り返る

堤より内部川の橋の跡の対岸

堤を左に折れてすぐ先の、河原田橋北詰信号交差点に出て橋を渡ります

橋を渡り南詰の堤防道を右に100m程進みます

100m程先で堤防より左に狭い石段を下ります

堤防から内部川の北側の対岸を見る

堤防を下ると小さな石橋、謂れのあるような又兵衛橋を渡り真っ直ぐ、河原田集落を進みます
ここより【河原田宿】に入る

又兵衛橋より200m程集落を進むと、くい違いの十字路に出ます

十字路左への道は 内堀道

十字路右に折れる道、街道は真直ぐです

十字路右への道は 采女道 100m程入ってみます

小さな川の手前左に 常夜灯 天保四年(1843)の銘。元内部川橋にあったのを采女道沿いに移設された


さらに傍には同じく 庚申塔・役の行者像・山ノ神 が祀られている

街道に戻り十字路の左角に明治中頃のもので、距離標石
「名古屋市十五里十一町 守山町十七里十五町」 津市六里三十二町 海蔵村二里八町」 「宇治山田市十七里・・・ 久居町八里・・・」

距離標より380m程進むと右手に 河原田神社
神社の傍街道沿いの民家からおじさんが出てこられて、神社の案内をしてもらいながら少し話をしました。親切にありがとうございました


橋を渡った鳥居の袂に 忘帰處(ぼうきしょ)の案内板。
由来は、明治の元勲田中光顕伯爵が、この地を訪れ標高41mの山上から伊勢湾一帯を見渡せる景色の美しさに帰るのも忘れたということからこの名前が付けられた。左に坂を上っていきます


坂を上る途中左にある 毘沙門天堂

河原田神社の拝殿を更に拝殿横の坂を上ると

山上の忘帰處、今はまわりの木が大きくなって、展望がきかなくなっています

かつてのここからの景色、案内図が立っています

街道に戻り、神社・忘帰處を望む

すぐ先で左に折れる道があります 貝塚道 です

貝塚道

貝塚道の反対、右手奥の斜面に 庚申塔八基 向かって右から六基は自然石

斜面上の土手から見た庚申塔

少し先左に 真宗高田派光明山常超院

河原田宿の街並みを振り返る

河原田宿の街並みを進みます

やがて103号線との交差点を横断します

横断した200m程先でJR関西本線の河原田踏切を渡ります

踏切りを渡り右に折れ千里に沿って少し進むと、103号線の高架下のトンネルを潜ります

高架を潜ったところ左手に、延喜式内高岡神社の石標

少し歩いて振り返る

すぐ先右手奥、線路と街道の間に 常夜灯 寛政十一年(1799)建立。ここに移設された

高架下を潜り150m程緩やかな坂を上ると左の鈴鹿川の堤防に出ます。堤防から振り返ったところです

堤防から先を見ると、鈴鹿川に架かる高岡橋が見えます。この橋を左に渡りますが、かつての街道は、堤防に上ってきた旧道の延長線を河川敷きに下り斜め左(西南)に進み、高岡橋の下を進み対岸に出ていたようです。
嘉永六年(1853)木橋が完成。それ以前は橋なくすぐ増水して渡るのに不便であったという。橋は現在の高岡橋より少し西側にあった

現在の鈴鹿川に架かる高岡橋

高岡橋より右をみる、木橋があった

高岡橋より左の景色で、遠望に鈴鹿橋

橋を渡り突当りを右に折れます、突当り正面の集落の中に、真宗高田派念声寺 が見えます

さらに堤防から左に 真宗高田派寶珠寺 が見えます

堤防を300m程進みます

堤防に大木と、堤防下には旧家が

やがて正面に常夜灯があり、その左側を堤防から下ります。
常夜灯
文化四年(1807)の建立点灯するための石の階段が取り付けられています。川の船の目印と街道の目印であろう。太神宮常夜灯と刻まれている

常夜灯の堤防から、高岡橋ほうこうの対岸を見る。
この辺りから橋の対岸たもとを越えたところに渡っていた

左に下ると、高岡の集落が真っ直ぐ延びています 古代条里制 の街道遺蹟の面影が残る

真っ直ぐの道が1㎞程続きます。左右には田畑が広がる

直線が終わる手前右に 常夜灯
文化十四年(1817)建立。大正九年に再建された

ここから十宮村三軒屋です、その先で右斜めに少し方向を変えます

十宮2丁目で小さな川の橋を渡ります

さらにその先で左斜め(南)に進み

すぐに小さな川に架かる常盤橋を渡ります常盤橋を渡ったすぐ右に 神戸の見付案内板が立ってます

ここからは【神戸宿】に入ります
神戸の見付番所跡

街道の両側に石垣と土塁が築かれ番所が置かれた。石垣の傍に 式内阿自賀神社の社標 明治二年(1869)の銘

木戸跡を抜けたところから振り返ったところ

木戸跡のすぐ先右に 旅籠屋「かみ亭」今も営業を続けている

いくつかの連子格子の旧家がいくつか残る宿の街並み


やがて近鉄鈴鹿線の踏切を越えます。左手200m程先に鈴鹿市駅があります

踏切りを越え、神戸八信号交差点を渡ると六郷川に架かる大橋が見えてきます

少し右により大橋を見る。かつて神戸藩士の水練場であった

大橋を渡り川沿いに少し左に進むと、六郷川に架かる寿橋の南側にある 宝珠山地蔵院 もとは街道沿いにあったのを移転

寿橋の川向い(北側)には 毘沙門天神


大橋の街道に戻りすぐ先で、道は分岐している、元ここには 高札場 があった 札ノ辻分岐の正面の旧家は
旅籠「油伊」街道は左を進みます


角に背の高い 神戸道路元標 「日永村へ 壹里貳拾町拾六間 白子町へ 壹里貳拾貳町四拾四間」 「津市元標五里参拾四町参拾六間・・・」 以前には道標もあったが移されたそうです

左に折れて進むとすぐ先で、寿橋からの道に出て右に折れます

右に折れた先で栄橋西信号交差点に出ます。街道は真っ直ぐ進む

信号交差点を横断したすぐ左には 真宗高田派専修寺神戸別院

門前に、明治天皇行在所跡碑

この栄橋西信号交差点で少し右に入り寺町を【寄り道】します。道路沿いの旧家

まず道路沿い左(南)側に集中しています、神戸宗社(神館神明社)

臨済宗東福寺派天澤山龍光源寺 神戸の寝釈迦で有名

龍光源寺の境内

龍光寺本堂北側に江戸時代中期(1700年代)の 数寄屋風書院「坐忘亭」

龍光源寺は大きなお寺です 山門


龍光寺の南側に 真言宗豊山派東王山慎福寺 三重四国八十八ヶ所第十四番札所

龍光寺・慎福寺の東側にある 真宗高田派願行寺 南北朝時代の、光明本尊を祀る

南側には 真宗大谷派荒木山萬福寺

栄橋西交差点に戻り南への街道を進む

交差点より270m程神戸の街並みを進むと、神戸2丁目の十字路で街道は左に折れます

交差点より270m程神戸の街並みを進むと、神戸2丁目の十字路で街道は左に折れます。

学校校舎の正面に、旧制神戸中学校正門 神戸高校の前身で大正十一年に建立された

残念ながら時間的に寄れないが、神戸高校の西南に、神戸城址があります
神戸城址
神戸具盛が天文年間(1532~1555)に築城
養子に入った織田信長の三男信孝が強固な城に修築。その後、城主は度々変わったが、享保十七年(1732)に本多忠統が二万石で入城そ、明治維新まで本多氏が居城とした。 石垣・堀・移築櫓・門が遺構として残る。城の中心部は神戸公園として天守台が残り築城当時には天守があったことを偲ばせるという。二の丸跡は、現在神戸高校が建てられている

街道に戻り十字路を左に折れて進む神戸3丁目の街並み

すぐ右に 浄土宗終南山善導寺

続いて右に 真宗大谷派浄願寺

東側に 真宗高田派善昌寺

地子町公園南信号交差点を横断します。この街筋はかつての神戸城の東側に位置する城下町です

さいわい橋を渡った左に大きな 常夜灯 昭和五年地子町の人達により建立


すぐ先、103号線と交差する信号交差点を横断する、左角にセブンイレブン

交差点のすぐ先左に 矢持神社

右手に、「大日如来道」と刻む 道標 嘉永四年(1851)建立

道標の向かい奥に 誓休寺

その先で伊勢鉄道線の高架を潜ります、すぐ左は鈴鹿駅

高架を潜り信号交差点を左に(南)に車道と分岐して進みます

分岐したすぐ左に 鳥居・山の神・燈籠 があります

200m程先左に 真言宗滝谷山不動院

さらに300m程進んだ右に 鳥居・山の神・燈籠

金沢川に架かる肥田橋を渡ります

橋から200m程先で23号線の肥田町信号交差点で

右の23号線の下のトンネルを潜り反対側(東)に出ます

東側に出た先から信号交差点を振り返るトンネルを出て右に折れ、23号線を右に150m程進むと

北玉垣町 川に架かるしま橋を渡ります

しま橋を渡るとすぐ右に 天白神社、表忠碑・山の神・鳥居・燈籠

少し進んだ左奥に、玉垣幼稚園があり、そのすぐ先の十字路を横断します

さらに進むと右手に 宇気比神社

宇気比神社の前の街道は狭い、振り返る

その先を進むと十字路に出ます、左角に 真宗高田派正信寺 お寺の東南角を右に折れます

右に折れる角のミラーと電柱の間に 道標 「右 さんぐう道」 文化四年(1807)の銘で自然石のもの

お寺の角を右に折れた細い道を数十m進み、突当りを左に折れます

左に折れて真っ直ぐの街道の集落を南に進みます

途中右手にある旧家

その先で23号線に突き当りますが、合流しないで左に折れます。(正面の黒い車のところ左に)

左に折れる右角に 指差し道標 「左 さんぐう道」 元治二年(1865)の銘

道標を右に見て左に折れる街道

200m程進むと道は分岐しています。右の道を南に進みます。東玉垣町

右の道の街道筋

右に折れる辻の左手に 式内弥都加伎神社


分岐した先200m程先左に 道標 明治二年(1869)の銘、「式内弥都加伎神社」への自然石の道標

道標の前からの街道

さらに180m程進んだ先右に 赤い鳥居・山の神・燈籠

すぐ先、東玉垣信号交差点を横断します

信号交差点を横断したすぐ先で、田吉知川に架かる橋を渡ります

その先南へ、左に大きな敷地のフジクラ鈴鹿工場、右は新しい住宅の緩やかな坂道を1㎞余り進んでいきます

途中左に 菅原社の碑

下りに入り住宅地の中を進んでいきます

さらに下っていくと右に 老農水原政次翁彰功碑


碑の過ぎたすぐ先から振りかえる

下りきったあたりで変則な十字路を横断して真っ直ぐ進みます

やがて近鉄名古屋線に突当り、少し右に移動したところの踏切を渡ります

踏切りを渡った左手に、北の端の地蔵、役行者神変大菩薩があります


北の端の地蔵堂(六体地蔵大菩薩)
800年前の鎌倉時代(1192~1333)の作で人々の信仰を集めてきた。周囲に六体の菩薩を拝する(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に迷う衆生を救うべき六つの分身をあらわす六体地蔵菩薩。

役行者神変大菩薩 北の端の地蔵堂の東側にある


右に折れて進むとすぐ左に郵便局がある前を真っ直ぐ進みます。曇っているので少し暗くなってきた、目的地の白子駅までもう少し

暫く進んだ点滅信号で道は左へ右へと屈曲しています

江島本町信号交差点に出て街道は真っ直ぐ進みます。白子の街に入ってきました。少し左(海側)に(寄り道)をします

海近くに、江島若宮八幡神社の杜 が見えます

杜の一角に 若宮稲荷大明神

江島若宮八幡神社 絵馬が七十一面飾られています

交差点を横断して少し進んだ左の左に入る入り口に 江島神社の社標 大正十五年建立

社標近くの街道右奥に 壽善寺 が見えます

江島本町の街並みに入ると旧家の建物がところどころに残っていて、街道風情があります

右手奥に 浄土真宗體用山青龍寺

左手には旧家が並ぶ


少し進んでいくと交差点に出ます。この交差点を右に行けば近鉄白子駅で駅前のホテルで今晩泊まります。街道は真っ直ぐ進みます。数十mで突当り右に折れる

右に折れる左角に鈴鹿白子本町郵便局があります

さらに数十mで左に折れる、鍵の辻 です

左に折れる右側に 高札場跡の標示


左に折れて街道は進みますが、日が落ちて暗くなってきました

本日はここで終わり、白子駅前のホテルへ
1日目終了


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