伊勢街道 【2日目】

2018年12月24日

白子~津の塔世橋
ホテル7時20分に出て、昨日の起点まで少し移動。
      白子   7時34分 スタート
   津の塔世橋  15時08分 着 
          36.583歩  23.77㎞
   少し市街地を回り、津駅 18時40分着
    トータル  43.378歩  28.89㎞

津駅より近鉄で帰宅

宿泊した白子駅近くの白子ストーリアホテルホテル7時20分出発

近鉄白子駅

白子駅の北東近くにある 勝早日神社

昨日の起点、左角にある郵便局のところから街道7時35分スタート。朝から素晴らしい青空が広がっています

右に折れた 鍵の辻 で左に折れます。右に 高札場跡の説明板

高札場跡の前で左に折れた白子の街並み

左に折れる辻を真っ直ぐ数十m進んだ二階建て民家の前庭に、海岸兵舎にあった 海軍用地標柱 があります

左に折れて数十m先左の小公園に 旧河芸郡役所址の碑

旧河芸郡役所跡の碑

白子本町の街並みが続く

 左に、創業享保元年の老舗本舗 大徳屋長久小原木

その先で交差点に出ます、左に進むと白子港街道は横断して真っ直ぐ

交差点を左に100m程折れて進むと、白子港
江戸時代紀州徳川家の領地で、江戸への荷物を運ぶ船港の母港として、伊勢湾岸で最もにぎわった港

交差点を真っ直ぐ100m程進む、その間右手には、街道情緒のある懐かしい旧家が並ぶ。小さな川に架かる和田橋を渡り突当りを右に折れます

小さな川は左の白子港に流れる。右に折れる道、数十mで左に折れる 鈎の辻 です

左に折れた先の街道

すぐ右に 久留真神社 くるま神社とも読む

神社前を進むと突当りに 真宗高田派山中山唯信寺

右に折れた先の街道を50m程進み

突当りを左に、鉤の手 になった辻

 左に折れる角に 指差し道標 「神戸四日市道 さんぐう道」 昭和十二年建立

白子2の旧家の残る街並み

街並みのこの付近 目付役所跡 暫く進むと釜屋川に架かる橋を渡ります

釜屋川から100m程先で左T字路に出ます。旧道は真っ直ぐ進むのか、右に折れるのかはっきりわかりませんが私は、ここの辻を右に折れました

 右に折れた辻を西へ200m程進む

その間右に、立派な旧家

街道右手に 正方寺

すぐ先右手奥に 真宗高田派泰平山正因寺 

200m程進んだ先で、子安観音寺に突き当ります 安産霊場 子安観音寺

仁王門 元禄十六年(1703)に建立され正面両脇に金剛力士を配す

銅燈籠 辻越後守玄種の作、寛文六年の銘

智慧の塔
塔内には、金剛界大日如来・文殊菩薩・普賢菩薩の三尊を祀られている

天然記念物 不断桜
四季を通じて葉が絶えず、開花期も12月~4月に及ぶのが特徴。

子安観音寺の突当りで左に折れる、その前からの街道を西南へ

180m程狭い街道を進んでいきます

やがてT字路に出て右に折れます

T字路を右に折れる手前左のブロック塀のところに道標 伊勢参宮と子安観音寺の参詣道標 「左 くわんおん道 右 さんぐう道」 弘化四年(1847)六月吉日の銘

 T字路正面の説明板

右に折れて80m程先の十字路を再び左に折れる鈎の手

左に折れた右角電柱の袂に 道標 「左 いせみち 右 くわんおん道」

左に折れる南への街道

 左に折れたところから振り返ったところ

左に折れて240m程先で十字路に出ます。十字路から少し左斜めに向きを変えます

 200m程先で、前述の左T字路の道がここで左から合流します。街道は正面の合流したT字路を右に折れます。

T字路を少し左に数十m程進むと

楳荘翁碑 儒者別府梅荘翁の碑で幕末から明治にかけての人

街道に戻りT字路を右に折れて進む

少し進むと左の堀切川に合流して流れる支流に架かる橋を渡り、さらにすぐ堀切川に架かる蓬莱橋の手前左に 
道標 「右 いせみち」

宝来橋を渡らず街道は右に折れます。左に堀切川に沿った堤防道を進みます
橋の手前の右に折れる堤防道

200m程進んだ先で近鉄名古屋線の踏切を渡ります

更に200m程で23号線に架かる堀切橋に出ます

23号線を渡るために、右の寺家地下道を潜り反対側に出ます

反対側に出て堀切川に架かる堀切橋を渡ります

堀切橋の右辺りをかつて渡河していた
堀切橋から進む対岸の街道

200m程堤防道を進むと23号線と堤防道との角に、小さな  があります

左に中村建築やドンキホーテ―があります

堤防道路より対岸の堀切橋方向(右斜め)を見る。かつて何処を街道は渡っていたか分からない

そこで堤防道より左斜めに下っていきます磯山4丁目です

すぐ先で十字路を横断して磯山の町を進んでいきます

磯山3丁目、右にJAがあります。真っ直ぐの街並み連子格子も旧家も見受けられます

 右に 村社八幡神社

街道左に、連子格子の旧家
左手方向に近鉄名古屋線磯山駅

右に大きな旧家の建物

その奥に 真宗高田派光磯山専照寺

磯山1丁目で少し左にカーブして直ぐ先で、23号線の磯山2号地下道を潜り。23号線の東側に出ます

地下道を潜り23号線を右に折れて、中ノ川に架かる中ノ川橋を渡ります。伊勢48㎞・津12㎞の標示 中ノ橋を渡ると津市

中ノ川橋から23号線の左側の側道を進み

一つ目の信号に出て横断する。その先の近鉄の踏切を左に渡ります

数十m先で道が分岐しているので右の道を進む

すぐ右手に 甕釜冠地蔵堂(かめかまかぶりじぞうどう)
参宮参りの人の無事と茶の接待をした休憩所。屋根の部分が面白い

河芸町を進みます

すぐ先左奥に 真宗高田派信光寺 聖徳大師の草創と伝わる

さらに続いて左に 真宗大谷派八葉山本福寺 親鸞の弟子西念房の創設

本福寺の前の街道

街道を左(海側)に200m程入ると 尾前神社

無形文化財の 獅子舞神楽 が有名雨乞いのかんこ踊りが行われていた

その先暫く進んだ左に 尾前神社の道標

その先左に 丹羽君碑 この辺りの、円応寺組一五ヶ村の大庄屋跡

碑の前からの河芸町の街道

左に、真宗高田派潮音山正法寺の道標 参道を入っていくと

真宗高田派潮音山正法寺

街道に戻り進むと分岐していますので、右に折れます

右に折れるとすぐ先に、近鉄線の踏切があります。左に千里駅です

踏切りを越えた右に 

その先道なりに左にカーブします

少し先右に 田中地藏

その先右からの道路と合流して左へ

田中川に架かる大蔵橋を渡ります。大蔵橋の袂に道標がありましたが、今は河芸中央公民館の庭に保存されているそうです

大蔵橋を渡り少し右にずれて真っ直ぐ西南の街道を進みます

左に歴史を感じさせる、橋本酒店

大蔵橋を渡った先は【上野宿】にはいります

上野小学校北信号交差点を横断して進む

交差点の先には、見ごたえのある旧家

その先右手に上野小学校いい感じです

すぐ先右には、切妻蓮子格子の家

右の高台には 上野神社

高台に上ると鳥居が左右に並んでいます

鳥居と鳥居の間に 八幡稲荷神社 奥の拝殿には、八幡伊奈利社と掲げられています

鳥居の前を右に雑木の中の道を進んでいくと円光寺の裏手に出ます

臨済宗東福寺派萬松山圓光寺
南北朝時代の延文三年(1358)後光厳天皇の勅願寺として創建。その後、足利将軍家の帰依を受けた禅宗寺院でした。その後、分部氏の菩提寺として、分部氏が元和五年(1619)近江大溝(現高島市)に天封により当寺も移りましたが、その後紀州藩の領地となり旧伽藍を存続した。現在も分部氏の墓碑や分部光嘉公の木像、紀州藩主の位牌等祀られている。往時の繁栄が偲ばれる古刹

 圓光寺境内の 海山道稲荷

本堂裏にある 分部氏の墓

圓光寺全景
分部氏は戦国の乱世の中、信長・秀吉・家康に仕え、大溝(高島市)に転封するが明治まで続く

圓光寺正門

圓光寺より少し東に降りると 真宗高田派金光山最勝寺
元亀年間に分部光嘉が中山に城を築く時中山からこの地移した

境内の 辻越後守種茂鋳造の梵鐘

最勝寺の正門

街道に戻り、最勝寺の参道

街道を進んだ左に、虫籠窓・連子格子の旧家

その先左に 弘法井戸

元和年間(1615~1623)頃からあると伝わり、この辺り中町といい、宿場の中心街で、
西側に本陣、東側に 高札場・問屋・脇本陣 があったが遺構は残っていない

弘法井戸の前から上野の宿場街道を振り返る

弘法大師井戸の街道右に 道路改修記念碑
伊賀街道上野宿には戦国時代には戦術上、三か所の枡形があった跡現在では宿場内街道を歩いていても三か所とも其の跡がない

上野宿の街並みを進んでいきます

少し進んだ右に、上野城跡の標示 があります

右手竹林から左にかけてかつての 上野城跡

 少し進むと左に 道路元標

その先右に 真宗高田派満流寺

暫く進んでいくと右手に光勝寺の参道入り口があります

臨済宗妙心寺派輝雲山光勝寺
伊勢上野城主、分部光嘉嫡男光勝菩提寺慶長六年(1601)分部光嘉が長子光勝の菩提を弔うため創建。当寺の境内は広く、光勝寺山と称して、西国三十三所観音を祀っている

本堂の本尊は宝冠釈迦如来本堂南側の、観音堂には聖観世音菩薩と馬頭観世音菩薩を祀っている

街道に戻り少し先から右後方の光勝寺、上野城址を望む。上野城は徳川幕府時に入り分部氏の転封に伴い廃城となり、変わってこの地は紀州藩領となる

左にセブンイレブンを見て交差点を真っ直ぐ進む

交差点から街道を振り返る

交差点から200m程進んだ先、一色南信号交差点で左の23号線を横断して東側に出ます

23号線を渡る手前右の朝陽中学校の角に 三重県安芸郡河芸町役場跡の碑

右の23号線に沿って170m程進み【寄り道】をします。右の23号線の朝陽中学校前信号交差点を横断して

暫く進んで広大な町民の森公園へ行きます。その中に、グランド・保健センター・図書館・体育館・河芸中央公民館等々があります

私の目的地は、河芸中央公民館です

道標 「右 しろこかいたう 左 かんへみち」と刻む元禄三年(1690)のもので。津市河芸中央公民館の裏庭に保管されている
街道歩きしていると、時折道標が、折れたまま放置されているのが見受けたが。ここでは大切の保存されている、行政の市政が伝わります

もう一基の道標を探したが見つからず、日曜だったが幸い職員さんが一人いたので聞いてみると、館内に保管されていた。上野村元標 大正二年に三重県が建てた。公民館に保管されている
たかが道標、されど貴重な道標

街道に戻って400m程進んでいくと右手に 高山地蔵尊 この付近は上野城時代、罪人の処刑場 と伝わり、その霊を慰めた地蔵といわれる

河芸町中瀬の街並み

街道より300m程西に行くと近鉄河芸駅

少し先左に 天台真盛宗松林寺

すぐ傍には 中瀬八幡神社 明治四十一年、上野神社に合祀され、昭和二十六年に上野神社より分祀。中瀬全域の守護神

さらに400m程進むと右からの23号線と合流する中瀬信号交差点に出て合流します

合流した左奥に ぢ神神社 もとは地の神を祀っていたが、今では痔の神です

暫く23号線の歩道を進みます

やがて23号線を左に分岐する右への旧道があります

右の旧道、栗真小川の街並み

集落内右に 

祠の先右奥に 真宗高田派栗真山善行寺

鐘楼の袂にある道標 「是より□しい志んてん道」または「是よりにしい志んてん辺」 と刻まれている

その南に 権現山観音寺 十一面観音を祀る

観音寺の境内に 地蔵堂

観音寺の前に 常夜灯 「金比羅大権現太神宮 権現」と刻まれている。文化三年(1806)の銘

さらに南に進んでいくと、近鉄名古屋線の踏切に出ます。       

栗真小川の南の端に当たり 逆川神社

神社のすぐ先で小さな川を渡ります

右に栗真小学校があります。そのすぐ先に「五酒」酒屋さんの前から、街道を振り返る

酒屋のところを少し右に入ると 大円寺
大円寺の入り口少し南に 高札場 があった

寒紅梅酒造「酒五」 寒紅梅地酒博物館

 この付近に、分部光嘉が中山城を築いたところで、地名が残る

少し先を進むと、信号交差点の車道に突当り、左に折れます。左に折れた数十m先で、分岐があり右に渡ります

右の道を100m程進むと

23号線の車の多い車道に出るので、街道は斜め右、フャミマの左横を入るのですが、23号線を少し戻り栗真中山町の信号交差点で横断して迂回します

横断して23号線を南に進み、旧道の延長線上に出ます。右にフャミマがあります

 左に大きな旧家がひときわ目を引きます

少し進んでいくと左から 巡礼道 が合流してくる追分に出ます

左から巡礼道が合流する追分
常夜灯・道標・名残松 常夜灯には、「両宮常夜燈」と刻まれ、天保十年(1839)建二は道標には 「右 白塚豊津道 左 上野神戸白子四日市道」

碑と道標 巡礼道との追分

向かって 左が伊勢街道、右が巡礼道

栗真町屋を進む街道

栗真町屋を進む街道を振り返る

追分より400m程進むと左に 常夜燈「両宮 常夜燈 五穀成就」裏面に「嘉永四年(1851)卒亥孟夏 津領」と刻まれている。自然石が使われた常夜燈

 常夜燈の前から街道を振り返る

常夜燈のところで右斜めに方向を変えると、23号線に出ます。三重大学前信号交差点です

途中、栗真町屋町信号交差点、暫く23号線を歩きます

左に三重大学の校舎

 やがて23号線は志登茂川に架かる新江戸橋を渡りますが。旧道は信号交差点を右斜めに進みます

右斜めに進むと道の改修中です、そこから振り返ったところです

改修以前、志登茂川に木造の江戸橋が架かっていたのですが撤去され、新しい橋に変わろうとしています。残念ながら左(南)側の23号線の新江戸橋を渡ります

かつての木造の江戸橋が架かっていたところで、新しい橋ができつつある

新江戸橋を渡り、堤防を右に折れ旧道の延長線上の対岸に出ます

対岸の旧道もかつての面影がなくなりつつあります。工事中の江戸橋西詰に出て左に下ります

左に下りすぐ右に、伊勢別街道との合流辻 の角に 江戸橋常夜燈
伊勢街道と伊勢別街道の分岐点に建ち古くから交通の要衝であった。安永六年(1777)の銘。

北に分岐する 伊勢別街道

 伊勢街道は常夜燈を右に見て左(南)に折れて進みます

右手に蔵のある大きな旧家、その奥には 託継寺

右手に 真宗大谷派東本願寺託緑寺

続いて右手奥に 真宗高田派恵光山深正寺

続いて右に並ぶ,老舗味噌醤油醸造元 阿部喜兵衛商店の看板を掲げる。江戸時代後期に建てられた典型的な商家建築であり、屋根の両端には「卯建」があがってい

 酢屋・阿部家 醸造業の大店の老舗

阿倍の街道を挟んだ向かい奥に 真宗本願寺派八葉山宝池院光蓮寺

少し先右に 小丹神社 もとは海岸付近にあった、中世の志登茂川の河口では製塩が盛んで、この神社は塩田の神であった

小丹神社の前近くから街道を振り返る

その先で街道は広くカラーの道になります。振り返ったところです。右の金網の囲いの中に(向かって左)

 鶴之宮遺蹟碑
寛永年間(1624~44)に二代津藩主の藤堂高次がこの辺りで狩りをして見事な鶴を射止めた。ちょうどそのころ朝廷から官位昇進の知らせがあったので、記念に鶴を埋めて社殿を造った。この社は明治40年の小丹神社に合祀されたので、その跡にこの碑を建てたそうです

右手一筋奥に 積善寺

街道に戻り右手に、伊勢街道、津の宿場町の図と見ながら街道を進む。信号の無い交差点を横断、左は23号線の栄町3交差信号交差点

広い信号交差点に出ます、右前方に津駅前郵便局

交差点の右はJR紀勢本線・近鉄名古屋線の津駅

交差点を横断して少し先右に 真宗高田派壽福山善徳寺

善徳寺の横の道を右に入ると正面に 聖徳太子厄除祈願所 重要文化財 大日如来 阿弥陀如来奉安
三重四国第六十四番 伊勢西国観音第十七番 霊場
真言宗馬宝山蓮光院初馬寺

大日如来坐像・阿弥陀如来坐像(各重文)

街道を進みます左に裏門の 真宗高田派心覚寺

やがて栄町2で県庁通りの広い交差点に出ますので横断

栄町1丁目に入り一筋右の通に 曹洞宗塔世山四天王寺
1000年の歴史、推古天皇の勅願で聖徳太子の建立と伝わる名刹
境内に薬師堂や太子堂がある

門前横の道沿い 目洗地蔵

また 北向地蔵、回りに多数の風化した地蔵がある

四天王寺山門

瑠璃光と刻まれた 燈籠

境内の墓地に

織田信長生母 花屋寿栄禅尼の墓
本能寺の変の折、織田信長の母土田御前は安土城にいたが脱出。日野城にかくまわれ、次いで清州城の信雄の庇護を受けた。天正十八年(1590)に改易。土田御前はその後、安濃津城の信包を頼ったものと思われ、文禄三年(1594)亡くなるまでの最晩年を温暖の地、津で暮らし、亡骸は四天王寺葬られた。

久芳院殿桂月貞昌大禅定尼の墓所
藤堂高虎の正室であった久芳夫人は大坂夏の陣、翌元和二年(1616)四月の家康他界に続き、八月二十日、高虎の留守を守る津城で亡くなる、四天王寺に葬られた。内助に徹したその生涯を偲び、肖像画とともに、菩提供養に思い籠った高虎の文書が四天王寺に残されている

 街道に戻り南に少し進むと、安濃川の突き当ります。かつてはそのまま少し左斜めに渡っていたようです

安濃川は往時は塔世川と呼ばれ、当初は橋は架けられていなかったが、延宝三年(1675)に架けられた。幕末まで土橋で河原に下りて渡っていた

左の迂回路である23号線に架かる塔世橋を渡ります

戦災の傷跡を残す 塔世橋高欄、昭和九年に架けられた橋で、欄干に戦時中の空襲の傷跡があり新しい橋の南詰に一部保存されています

塔世橋を渡り塔世橋南詰信号交差点で23号線を東に横断して、少し川沿いに入ると、
左に 真宗本願寺派箕手山善福寺

善福寺より塔世橋方向に戻ったところに 青木延命地蔵尊
約七百年前、楠木正成と共に足利尊氏軍と戦った、青木氏の由来の地蔵

2日目は塔世橋で終了します

津駅まで戻りますが、少し時間が早いので(寄り道)をして帰ります。  
現時点の時間 15時08分 36.583歩 23.77km まだまだ余裕があるが丁度区切が良い

23号線の県庁前信号交差点まで戻り、西へ新しい道を上っていきます。JR・近鉄線を高架道路で越えて、右に三重県庁の建物を見ながら、県庁西信号交差点に出て、津偕楽公園に入ります

津偕楽公園
もとは「下部田山」「御殿山」と呼ばれ、藩主の鷹狩場の休憩所が建てられていた。その後、眺望が良いため、山荘や別荘が建てられた。十一代津藩主が山荘を建設。安政六年(1859)完成。
現在は市民の憩いの場となっている。サクラとツツジの名勝。

公園内は沢山の碑等が立っている中で

旧塔世橋常夜燈
もと旧塔世橋南詰にあったもので、部田の常夜燈と呼ばれた。旅人の安全、神宮への感謝などを願って建てられたもので、現在地に移された。天保元年(1830)の銘。
龍燈籠
龍の形をした珍しい燈籠で、頭上に火袋と獣口のついた笠石をのせ、身をよじっている。藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったとも、二代藩主高次が江戸で作らせたとも伝わる。
孝女登勢碑
天明八年(1788)、員弁郡の農家に生まれすぐ養女となる。さらに6歳の時、別の養女に出され母が病弱で野良仕事ができず極貧であった。登勢は養父母を養うため、昼夜とわず働き孝養を尽くした。津藩主10代高兌はそれを聞き、米20俵を与え賞し、田1反余りも授けた。
その他

部田の常夜燈

龍燈籠

公園正面入口

公園を出て津駅方向に下っていった左に 白山真言宗密蔵院

白山妙理大権現は、津藩主二代目藤堂高次を祀る

津駅に戻る、16時40分 43.378歩 28.89㎞ 2日目終了

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