伊賀街道 【2日目】

2014年5月18日

大河原~月ヶ瀬駅口駅前~島ヶ原駅前~上の鍵屋の辻~上野城下
自宅4時15分に出てJR奈良駅前に車を預け、5時44分で大河原駅へ。
全回に続き大河原駅前の街道を6時30分出発。今回は前回と違って、殆んど国道を歩くことがなく快適でした。上野城まで歩いたが、もう少し先まで歩く時間的余裕があったが、城下を見学して終了する。自宅21時30分着 1か月ぶりの街道歩き少し疲れた
      大河原駅前   6時30分 スタート
       上野市駅   17時30分 着
         28.02㎞ 46.716歩 1.982kl 

JR大河原駅

駅下の街道より400m程国道を進んでいくと南山城村の中心となり、国道を挟んで、やまなみホール・南山城郵便局・南山城村図書室・南山城村役場が続いています

役場を過ぎて小字久保に入り右の木津川に流れる小川に架かるやましろたに橋を渡ります。橋を渡ったところで振り返る

すぐの信号交差点で左に折れます。左に折れた筋、その先右にカーブしていきます

右手に 

祠のところの十字路を左に折れて【寄り道】100m程、さらにJR関西線の踏切を渡り100m程北に歩くと

真言宗智山派春光寺 本尊は薬師如来像(重文)

お寺の北西側には 国津神社

街道に戻り、東に大河原の集落を進む

民家は建て替えられているものの雰囲気が良い

やがて北大河原で右からの国道163号線に合流します

 国道を暫く進みます。途中でJR関西線の高架下を潜ります

高架を潜った先も車の多い国道を暫く進みますが、途中、旧道らしき残骸がありますが、よくわからないので国道を進みます

国道が右にカーブしながら、木津川の支流渋久川を渡ります

国道の左側の歩道で渡るところを振り返る

緩やかな上り坂です。歩道がありますので大丈夫です

坂の途中左に、東海自然歩道のたて案内標示、北への道は野殿方向へ

野殿へは蛇行を繰り返す山道で、案内説明板では、六所神社・弁天池・福常寺があるようです

六所神社は、平安時代初期からの古社、六つの神殿があり茅葺の建物
弁天池は、農業用ため池で、池の中の島に市杵島社が祀られています  
福常寺は、真言宗のお寺です

東海自然歩道野殿への道で、案内標示があります

 近くに、交通安全祈願碑 と刻まれた碑

右(南)に入った道、国道より街道らしい道

300m程田畑の広がる道を進むと左にカーブして100m程で国道に出ることとなります

国道に突当りまた国道を右に折れて進む

突き当ったところから左(北)方向、前述の分岐した方向を見る

右に旧道跡か、でもすぐ先で消失

国道を150m程進むと道が広くなっている所右にJA京都山城南山城村ライスセンター

右リカー&ギフトショップの辻で右に入っていくと、大きな月ヶ瀬ニュータウンです

そこから120m程国道を進むと左に入る分岐辻があります。左の道に入ります

 左に入り数十m先の十字路を右に折れます

右手に平行して国道が通っています

少し進んでいくと左に、南山城村里山散歩道の案内板

十字路に出ますので横断していきます左手方向に、南山城小学校・村立南山城保育園・保健福祉センターが見えます。南山城村は合併せず独自色を出しているようで、財政面も豊かそうです

 右からの国道163号線が合流します。正面高台に、近鉄大阪線の月ヶ瀬口駅が見えます

 月ヶ瀬口駅のすぐ東側の高架を潜ります

高架を潜ると道は分岐していますので左の狭い方の旧道に入る。80m程先で右からの道と合流します

合流したところから月ヶ瀬口駅方向(右)を振り返る。合流して左(手前)に進むと

 50m程で再び分岐がありますので、右側の道を道なりに東へ進みます

分岐を左に折れたすぐ右に 津島神社

分岐に戻り右に進んでいくと左に みんぐ無量館 があります

坂を上っていきます、静かな里の街道です

 南山城村今山公民館の前を進む

坂を上り切ると県境の二本杭

 道標 「従是東伊賀国」「従是西山城国」

二本杭とは俗称で、旧大和街道の藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境として、元禄十二年(1699)藩府検使の指示により、それぞれの杭を合わせて設置された箇所と伝承されている。
江戸時代には二本杭が建てられていたのを、平成十五年に石柱で再現した。また、伊賀街道を歩いていますが、大和街道ともいわれた

境界よりは三重県伊賀市島ケ原となる

街道を真っ直ぐ進みます

街道沿い右に巨石、何か刻まれているようにも見えますが分かりません

 道は分岐しています真っ直ぐの道を進む。バス停があります。この先80m程先で街道は大きく右にカーブします

カーブする手前左に入る道がありますが道なりに右に、のようです。その手前左に、大和街道の石柱

その隣に 大和街道関所跡の碑と説明碑

ここ大和街道は江戸時代には加太越奈良道と呼ばれ、現亀山市関の西の追分で東海道から分岐して、加太峠を越え、伊賀国島ケ原宿に入り山城国加茂宿を経て奈良に出、さらに生駒山を越え、河内に至る道であった。ここに文久年間(1861~1864)藤堂藩が関所を設けた跡 です

関所跡の前の街道を振り返る

ここより少し進むと

街道右に 北向地蔵

その街道を挟んだ向かいに 石碑 「関門大師 旧関所跡 大和街道奈良笠置鍵屋え辻伊勢二至ル 北向の不動明王 観世音菩薩」

関門大師 が祀られているお堂

島ヶ原村公民館山菅分館の横に

石観音堂
「十九夜観音」十一面観音石仏が祀られています。明和二年(1765)銘

石観音堂の向かいには、八幡宮遥拝所の碑、明治四十一年までこの地にあった

島ヶ原宿
島ヶ原村は藩政時代には街道の宿場町として、伊賀・大和・山城の往還の要衝であり、今も関所跡は昔日の面影を偲ばせている

関所跡から右にカーブしてさらに左にカーブする下り道です。関所跡を振り返ったところ

山菅の集落を街道は進みます

集落内の重厚な旧家のたたずまいが並んでいます

暫く蛇行しながら東に進んでいく 峠坂 です。

峠坂を下り始めた右の土手の上に 行者堂への道標 「右□谷山役行者」字が読みづらい

少し道が広くなり蛇行しながら下っていきます右に入る道が分岐している角に、三社石の案内標示 が立っている右の道を入るとすぐ左に

三社石 峠坂の途中にあり、享保16年(1731)の銘

分岐の左・右どちらの道も先で合流しますが、私は右の道を入りました。100m程で正面の下に先ほど分岐した道が見えていますが、急斜面で合流することができません、さらに柵がしているので柵に沿って右に下っていきます

柵に沿って右へ進み、左にカーブした先で、国道を歩道橋で渡っています。分岐した左の道を進むと、柵の下側を通り前方の163号線の町信号交差点に出ます。どちらが正しいのかよくわかりません
道路改修工事で変わったと思います

柵に沿って左にカーブした道を進んできました。すぐ国道に架かる歩道橋を渡ります。振り返ったところで、状況がよくわかります

歩道橋を渡り右に折れて国道に下ります

国道を100m程進むと小山川に架かる小山川橋を渡ります

小山川橋を渡るとすぐ変則な辻があります。向かって国道の左側に入る道があります

入るとすぐ右に行者堂への 道標 「左 岩谷山役行者」

道標の傍に立つ案内板

変則交差の辻から振り返ったところです。向かって右の道を来ました

街道は右に道標を見てこの辻で、真っ直ぐ(手前)に進みますが。正面左の国道下を抜けて木津川の畔に出ます

高架下を潜るとすぐに、左の木津川に流れる小山川があり熊橋が架けられています。熊橋は昭和二十年頃までは丸太橋で渡っていました

熊橋を渡らず右の小山川に沿って左に折れると、行者籠堂跡 で今は岩の上に地域交流センターが立っています。その南側(背後)が木津川です。まず、橋を渡っていくと

木津川の清流の袂、この山一帯を岩谷山と呼ぶ。木津川に合流している小さな川を小山川といい、小津川との合流点付近を岩谷峡と呼ぶ。
小山川の上流を標高600mの北山蓮峰に進むと和銅三年(710)に山城と伊賀を結ぶ道、和銅の古道 があるという。熊橋を渡ると行者堂・大師堂・不動明王像があり。小山川を挟んだ東側に行者籠堂跡(現集会所)と阿弥陀摩崖仏があります。

行者堂
行者堂は自然石岩窟の中には200年ほど前に大峯山からもらい受けた石刻役行者像が祀られている。左には石刻不動明王が祀られています

行者堂の隣に 岩谷大師堂 
岩谷山大師堂には、多福寺本尊及び来迎寺の本尊弘法大師が安置されています

熊橋に戻り手前を左に入ります

現在地区センターになっている建物は、以前行者籠堂(こもりどう)跡 で、大岩盤の上に建てられた籠り堂がこの場所にあったが、平成十二年十一月に老朽により取り壊された

センターに並んで 阿弥陀摩崖佛を祀る祠 阿弥陀仏は南北朝から室町時代の作と伝わる

山の神 阿弥陀佛の隣ある巨石

寄り道の見学も終わり元の辻の戻る、真っ直ぐの道を進みます

島ケ原の静かな街道を進む

左下にも旧道のような道が集落に向かっています。下が旧道か分かりませんがこのまま進みました。この先で右にカーブして数十mで再び右に道なりに折れています

島ヶ原町の集落です

 旧道の雰囲気のある街並み、この辺りで先ほど下に見えていた道が合流してきています

左に、木造の懐かしい町区公民館があります

公民館の傍の街道沿いに案内板この辺りがかつての 島ケ原宿の中心地 あったようです

旧本陣跡
島ケ原宿は、大和街道(伊賀街道)の要衝にあって宿場町として賑わった。本陣・問屋場・旅籠 があり賑わった。公民館の向かいが旧本陣で、寛文二年から寛政五年(1662~1793)の間、多くの大名が利用した本陣

公民館の辻を左に入っていくと、立派な塀の旧家

 少し入っていった右垣根越しに 男山八幡宮

元の辻に戻り街並みを進み、振り返った島ケ原宿の街並み

やがて右から木津川沿いを進んできた道と合流します。合流した右の木津川辺りで川を渡っていたようです

合流したところを振り返る。向って右の道が街道で、左の木津川を渡っていた。

 対岸の川南集落

東西両岸に川に下る道があります 木津川渡し跡

合流地点から100m程先左に、木造建ての 島ケ原資料館

資料館前に移転保存されている 道標 「右月ケ瀬 左上野 道」

資料館前庭

資料館よりすぐ先の、島ケ原大橋西詰信号交差点で右に折れて木津川に架かる島ケ原大橋を歩道橋で渡ります

橋の袂に沢山記載されて立つ案内表示板

橋から左(北)の景色橋を渡った袂に立つ案内標示

橋を渡ったところからの島ケ原大橋

橋の東詰を右に折れて130m程進み、前述の渡し跡の延長線上の対岸に出る

川沿いの道から左に分かれる旧道に入ります

すぐ左に木造の川南区公民館があります

川南の集落

分岐から100m程進むと右角に案内標示があるところで左の 与右衛門坂 へ進む

与右衛門坂の旧道

急坂を上っていきます、両側には大きな旧家が並びます

やがて十字路に出ます、そこから振り返ったところ

十字路を左50m程入り分岐を右に80m程集落を進むと十字路にでます、その左角の民家が、荒木又右エ門が鍵屋の辻での敵討の前夜、宿泊した民家と伝わる、当時は 庄屋

十字路に戻り進みます、50m程先で分岐してますので右側の下り道です

急坂を下ります

下ったところで小川に架かる橋を渡ります

橋から道なりに集落内の旧道を上っていきます。左に石垣塀の立派な民家があります

この付近の島ケ原集落の中は、新しい家に建て替えられていますが、昔の面影を残し、旧道も良く残っています。少し記憶が飛んでいて、写真と文章が少し曖昧なところがあります。それだけ古道が良く残っている素晴らしい地域です

与右衛門坂の途中から振り返ったところ坂も間もなく終わる

与右衛門坂碑

街道沿いの右に 道標 刻まれている字は読めないが資料では 「右 いしうち 左 志らかせ」

すぐ先右、木に隠れるように、案内標示峰の六地蔵への右(南)への道を入って見ます

右の道を入っていきます

峰の六地蔵・苔の道の石碑

六地蔵から西に真っ直ぐの畦の様な草道が先ほど渡った小川に向けて下っています。今歩いた以前の古道なのかよくわかりません

 島ケ原の宿場を見下ろす

 民家の庭に保存されている 道標 「右 なら道 ひだりならみち」

角に案内板があります、右に折れましたこの下の写真がよくわかりません

角右に案内板のあるところの辻、古道らしい道がありますが、記憶が曖昧でどこを歩いたのか整理しながら分からなくなりました。また一度機会を見つけて再訪してちゃんと整理してみたい

集落も過ぎて急な坂道を下っていきます

分岐していところで左の真っ直ぐな道、右の道と先で合流します

途中案内板があります。街道は大きく円を描きながら、方向を東から南に変えていきます

暫く下り坂で三本坂と呼ばれています

やがて坂の途中右に案内板 芭蕉の尻もち坂 松尾芭蕉がこの坂道で尻もちをついたのでこの名前が付いた。貞享二年(1685)に上野から奈良へ向かう途次のこと

素晴らしい旧道で歩いていても飽きない

 坂の途中の案内板 街道沿いに案内標識や説明がされているので間違うことがない

やがて右から舗装された前述の分岐した道が合流します。向かって右か歩いてきた旧道振り返ったところです。

合流点から少し歩いたところで振り返る

少し先で、与右衛門坂・三本松坂の長い急坂も終わります。三本松池の北西の角に街道は出ますので、街道は左に折れます。(車の駐車している所)

左に折れる角にある 案内標示と説明石碑

三本松の池
ここより東は三本松峰で旧長田村三軒家地内で、与右衛門坂の頂上である与右衛門坂は、三本松坂・長坂・与右衛門坂を含めた総称ということがここの説明でわかりました。ここより東上野の方に400m坂を進むと三本松峰の頂上である。そこから坂を下ると三軒家に至る。
江戸時代には峰の頂上に旅人の一休み所のお茶屋があった。そこに大神宮万人講燈籠跡の石碑が立てられている。そこより少し下るとお茶屋の井戸跡がある。
この池の西側の道は平坦な直線コースで、かつては、ここで草競馬が行われた。娯楽の少ない時代であり、島ケ原の人々の楽しみであった。
この池に沿って南に進むと国道163号線に出る。国道を横断し、少し行くと東の滝があります。

三本松池の北側の沿う堤の旧道を東へ進む

 右(南)三本松池を見る

三本松池の東側の橋から振り返る

池を過ぎたすぐ右に 朱色の鳥居 が立つ鳥居を潜り少し入っていきますと

奥に 鳥居と祠 があります

日の差し込む雑木の中の快適な旧道を進む

人も殆んど歩かないのでしょう、少し荒れています。

この辺りが 峠の頂上 です。大神宮万人講燈籠跡の石柱 があるのですが見つけられませんでした。また城主認可の お茶屋跡 です

少し分かりにくいですが、分岐していますので、街道は右(南)に下ります。少し広場になっています

 右に折れて少しだけ下ったところに、お茶屋の井戸跡の標示 があります。特に何も残っていません

峠の道を暫く下っていきます。この辺りの旧道はよかったのですが、

下っていくほど道はだんだん荒れてきました

この様子では夏場はチョット一人では厳しい

最悪になりました、完全に道は塞がれています。道に這うようにして何とか潜りましたが、この辺りは整備されていないようです。竹が倒れて数年たっていうようです

これは大変です最悪の時は三本松池まで引き返すことになります。もし歩かれる方がいましたら、よく調査してください
折角素晴らしい標識が間断なく建てて頂いているのに少し残念です

どうして反対側に行ったかよく覚えていません、無我夢中でなんとか超えました。案内表示板 が立っています

三軒窯の標示がありますがよくわかりませが、多分焼いていた跡でしょう

自然石が4個並んでいますが石仏なのだろう

やっと舗装道に降りてきた辻です

街道が峠から下ってきたところで、右から道が合流して東に方向が変わります。80m程先で分岐しますが左の道を進む。右への道は島ケ原バイパスへ通じているので違います。左の道はさらに東北に方向が変わります。

暫く歩くと左に 芭蕉句碑 があります
         春なれや 名もなき山の薄霞

長田の集落に下りてきました

 前方に三軒家川に沿った道路に突き当ります

三軒家川を渡り突当りの道路に出たところから歩いてきた西の方向を振り返る。山の峠道を抜けてきました

角に案内標示が立っています

突当りを右に折れて150m程先で、分岐した道を左の旧道に少しの区間入ります

すぐ先でまた右の分岐した道路に合流します

合流する手前右に三軒家公民館があります。また角に、見とどけ地蔵の錆びた案内標示がありますが、途中見つけることができませんでした

 合流する地点、向かって右の旧道を来ました

その先も少しの区間並行して旧道があります

やがて島ケ原バイパスの国道163号線の三軒家信号交差点に出ます。右からの国道と合流して東へ、右角にファミリマートがあります

国道の先右に、伊賀焼の店の看板が、緩やかな坂を上っていきます

三軒家交差点から国道を500m程進むと右から道路が合流してきます。丁度右に平野川も接近してきます

少し進んでいきますと国道の右平野川に 勧請縄 が架けられています

 続いて 五輪塔断片・お紋地蔵

掘出地藏(お紋地蔵)、三体の地蔵が彫られいる。回りに地藏が沢山あります

国道163号線の右、平野川の川沿いにかつての旧道が残っているようで入ってみます

草道の旧道です、右に石仏が沢山並んでいる

大峯三十三度の供養塔 安永二年(1773)と刻まれている、隣に 石碑

 夏場は厳しいかも、でも今なら歩けます

かなり荒れています

再び古道らしい道になりました

 左の国道に出てきました

望遠で撮っています、遥か先に上野城が見えてきました

国道に出て少し先で、国道を右に分け(寄り道)左斜めに入る道を進み射手神社へ 射手神社

鳥居の右に 射手神社石造十三重塔 高さ5.2m、鎌倉時代から室町時代の作

元の国道に戻りすぐ先で、赤い屋根の手前を右に折れます

右に折れるとすぐに平野川を渡りますがその橋の手前左に 橋本地蔵の祠と石仏 が並ぶ

道なりに左にカーブします

左にカーブして直ぐ右の常住寺へ寄ります

入口右角に 祠と道標 もあります。移設された道標 「みぎなら道是より二丁南慈心坊冥途中・・・」

天台宗平野山常住寺

江戸時代初期の万治三年(1660)藤堂藩二代藩主高次により生母松寿院の十三回忌に建立された

閻魔堂 木造厨子三基が安置されています

常住寺からの 上野城の遠望

 常住寺の背後に 芭蕉の森公園 があり、沢山の句碑があります。

句碑   雲とへだつ 友かや雁の 生きわかれ

公園の南に 金毘羅神社

鳥居と大きな常夜灯の袂に 芭蕉句碑
うぐひすの笠おとしたる椿哉

街道に戻り東へ、すぐ先左に平尾公民館・ があります

長田のバス停前の長田集落の町街並み

少し進むと、伊賀コリドールロードと交差する信号交差点を越えます

交差点を越えるところで、左の長田市場集落へ入る旧道を進む

すぐ先で右にカーブしています

右にカーブする分岐の左角に 道標二基
大きい方 「郷社射手神社」
小さい方 「左 ならミち 射手八幡宮道是ヨリ三丁」

長田市場の雰囲気の残す家並み

虫籠窓の旧家が残ります

やがて集落の先で、木津川の堤防に突き当ります。かつてはここから木津川を渡っていましたが、右の長田橋に迂回します

堤防の 渡船場跡 から西の長田市場集落の街道を振り返る。新しく建て替えられていますが街並みの風景が偲ばれます

 渡船場跡から木津川のかつての渡っていた対岸方向

150m程堤防を南に進むと木津川に架かる長田橋です

長田橋から左(北)の眺め、かつて渡っていた当たり

長田橋から右(南)の眺め

長田橋を進むと左に緩やかにカーブしています

左にカーブしながら木津川の支流の川を渡ります

川を渡ると左が広く、その一角に碑がある 
淀川遡航終碑
淀川水系改修記念百年碑。近世に入り、京都京都角倉家の普請により、上野城下に近いこのあたりまで、高瀬舟が上れる舟路が開かれた。文化十二年頃と伝わる。長田橋東詰の下流右岸に掘り込み式の川の港と船積荷物の改所や問屋があり、この地点が上方と伊賀を結ぶ淀川河川交通の終点であった。碑文に刻まれている

右に折れて西に進みますがすぐ右に

大神神社

左に豊国工業見え紺場があり、その前から振り返る

西に400m程真っ直ぐの道を進んでいきます
左に新しい 石碑 が立っています 「いがの久みひも」と刻まれている
正面の街道沿いに森が見えます。鍵屋の辻で上野城下 に入ります

鍵屋の辻の手前右に 道標 「左 月瀬道 右 奈良大阪」明治27年の銘

 鍵屋の辻
すぐ街道左に 道標 「みぎいせみち ひだりなら道」 文政十三年(1830)の銘

右に 史蹟鍵屋の辻碑

鍵屋の辻公園内にある 万屋(数馬茶屋)
元は鍵屋の辻の西隣にあった、鍵屋の辻は伊賀越の仇討ちでよく知られている追分。寛永11年11月6日、渡辺数馬の助太刀として荒木又右衛門らが河合又五郎一行を待ち受け仇討ちをした場所

 河合又五郎首洗地蔵池

 伊賀越資料館

鍵屋の辻の北側(数馬茶屋の北側)で右に折れますが、道が分岐していますので、右の公園に沿った道を進みます

公園に沿ったところから振り返ったところ

分岐から200m程南に進んだところで、分岐に突き当りますので左(東)へ

鍵屋の辻公園の南に坂を上る石段があります

 安倍神社

真言宗金龍山幸福寺址
江戸時代栄え、明治に入って廃寺となった。現存の一部建物、地蔵堂 が残る。本尊は永禄三年(1560)室町時代末期の銘の地蔵石仏。地蔵堂は江戸時代寛永元年(1624)頃と伝わり、その後、再興、修理を経て現在に至る。当時の全盛期を偲ぶことができない

街道は安倍神社の東側の街道を南に進みます。すぐ先で、左の坂道は 塔西坂 右の道は 幸坂 と呼ばれています。坂の上には

真宗大谷派浄蓮寺

真言宗豊山派金傳寺 があります

塔西坂の上から見たところ、向かって左が安倍神社の森

分岐から真っすぐ100m程進むと、突き当たりますので左へ折れる

左に折れて真っ直ぐの道を進むところで、幸坂が続いています

左民家の庭、ブロックの袂に、分かりにくいが

道標 「右 京なら道 左 山上はせ道」

その先左の 黒門跡、現向島町集会所の前に 頼山陽の詠詩碑

集会所の隣に だんじり蔵

すぐ先で、向島信号交差点を渡りますと三筋町通りの街並み

慶長十六年(1611)からの藤堂高虎の城下町の普請により、外濠に平行する東西三筋の通り を本町通り・二の町通り・三の町通りと呼び、この通りと交差する、東の立町通り・中の立町通り・西の立町通りを等間隔に南北に通し町区画を行った。

交差点から100m程三筋通りを進んだ左に 日蓮宗法音寺支院安立寺

安立寺のすぐ先右に 旧家の商家

すぐ先の信号交差点を越えた左角に本町筋西之立町通りの辻碑

だんじり蔵  西町

交差点を右に入ると 浄土真宗明覚寺

交差点を越えた右に 砂糖問屋の田中商店 の立派な看板の掲げられた商家

だんじり蔵中町

 蔵の横には 万吉稲荷社

歴史を感じさせる商家

街道沿いの 上野町元標

左の上の本町郵便局前から振り返る

加太越奈良道の看板

この通りは藤堂藩に商家が保護されていたため、政商が多く建ち並んでいた

 広い道路の信号交差点に出ます。左に行くと伊賀鉄道の上野市駅に出ます。交差点を横断して真っ直ぐ進む

交差点を右に折れて少し行くと、相生町文化会館があり 鬼蔵相生町

武家屋敷 入交家住宅

長屋門を入ると茅葺の主屋がある

街道に戻り交差点を越えてさらに進むこと110m程で、上野天神宮に突き当ります。街道は少し右に折れてすぐ左に折れて神社を迂回することとなります。迂回した西側で同じように左に折れて、すぐ右に折れて進む 鍵の辻です。左に菅原神社があり、上野天神宮と背中合わせです。

西の正面 上野天神宮
菅原神社は、上野天神宮(通称お天神さん)と呼ばれ、菅原道真を祀る。旧上野町六千戸の産生神です。10月には盛大なお祭りが繰り広げられる

すぐ横に だんじり蔵 東町

拝殿

境内の 美加多神社

楼門

鐘楼

上野天神宮の東側の迂回した道筋

迂回した東側の入り口、ここで右に折れます

右に折れたすぐ右側に酒屋さんのなべ彦の商家の建物

前の道西への街道、すぐ先で伊賀線の踏切を渡ります。左に広小路駅があります

2日目はまだ少し時間あるのですが、キリの良いところのここで終了します。 もう少し時間があるので、右(南)の寺町を回ってみます

寺町筋を南へ、お寺が固まっています

日蓮宗上行寺
藤堂家の菩提寺、天正十六年(1588)高虎によって紀州粉河に創建、伊予国を経てここに移転。
寺宝 紙本著色藤堂高虎像

墓所

藤堂高虎の墓

法華宗護法山妙昌寺
紀州粉河から延宝八年(1680)に移されたと伝わる。境内の 小詞 は鬼子母神・三十番神を祀る

真言宗豊山派上堅山萬福寺 
伊賀越仇討の河合又五郎の墓所
河合又五郎に墓 寛永十一年十一月七日没、24歳

 本門佛立宗妙典寺

真言宗豊山派善福院

浄土宗念佛寺
木造阿弥陀如来坐像(国指定文化財)

浄土真宗佛生山報土院大超寺

真言宗豊山派上野山薬師寺

白壁の綺麗な寺町

寺町の見学も終わり、伊賀鉄道の上野市駅へ戻る途中、駅近くの56号線沿いに、伊賀上野城東大手門跡碑

2日目終了、上野市駅から帰ります

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