伊賀街道 【4日目】

2018年3月4日

汁付~長野峠~津(伊勢街道との合流点)
自宅を車で4時40分に出発、桜井駅近くに車を預けて、近鉄大阪線で伊賀神戸駅~伊賀鉄道に乗りかえ伊賀市駅前バスで約1時間乗り、汁付バス停に9時20分着、随分時間がかかり9時20分スタートする。
今日は難所であった、長野峠越で津に入るが、もしかすると道が廃道化されていないか心配であったが、整備された峠越で快適であった。ただ、峠に道案内標示がないので、資料持っていかなければ迷ったかも。
国道163号線を重複して歩く期間が多く、車が結構沢山で、とばしているし、歩道もないので危険な道です。伊賀街道全般には歩いた感想では、もう一度歩きたくない、特に車が危険である街道でした。

            汁付 9時20分 スタート
       伊勢街道合流点 17時00分 着
            44.629歩  32.13㎞  2.155kl

汁付けバス停から天王橋を渡り国道を暫く歩きます

国道に架かる橋塚橋を渡り、さらに180m程進むと右に船ヶ谷橋があります。そのすぐ先で道は分岐します。正面に国道の新しいトンネル、長野峠トンネルがあり、街道は42号線の左の道へ

42号線を左に入っていくと左手に 菊山九園句碑と松尾芭蕉句碑 があります

松尾芭蕉句碑

句碑を見てさらに緩やかな坂を上っていきますかつての旧道は資料では、この辺りから右の谷川を渡り東に真っ直ぐ進んでいたようですが、今は全くその痕跡はありません。
迂回するのにこのまま42号線を進みます

180m程登った先で、道は分岐しています真っ直ぐ進むのが42号線で、街道は右にューターンして不動橋を渡ります

不動橋から、上ってきた街道を振り返る
かつての旧道は、ここまで上って来ないで、右から左に谷川を渡っていた

綺麗に伐採された杉林を南に進みます

その先で、歩いてきた舗装道が右にカーブし長野峠へ地道の旧道が左に分けています。前述の消滅した旧道は、向かって右手辺りに出てきていました

左に入る旧道の左角に 道標「従是旧長野峠道大山田村」

峠近くの古道を上る

気持ちの良い長野峠への古道を一人占め

伐採整備がされているので杉林の中ですが明るいです

 足元の荒れている部分もありますが、全体的に素晴らしい。思っていたより急峻な厳しさがない峠道

木橋が谷川に架かっています。水はないです

旧道は分岐していますので右に進みます。 標示がないので資料がなければ迷います

分岐を右(南東)の大塚作業道です

伐採材が尾たるところに転がっています

ようやく 長野峠(標高530m)の切通 に到達しました天正九年(1579)織田信雄が松ヶ島城から、伊賀攻略に通った峠。伊勢国と伊賀国の国境
標高800mを越える経ヶ峰と笠取山との間の鞍部にある長野峠

切通の峠を越えると舗装道にでますが、旧道は横断して急な石段を下ります

石段を下った先から振り返ったところ

雑木の旧道の下りに入っていきます東に下っています

斜面の道でスベリに注意しながら進む

暫く下り道の写真です、説明が難しいので想像してください

よく手入れがされて雑草が茂っていないので助かる

急斜面の下りで、伊賀街道長野峠への看板を右に見ます

谷川に出たところ少し平坦で広くなっています

急斜面の道を下ってきたところで、左後方に方向を変える

谷沿いの道

 ようやく標識が立っています

途中、初めて自転車できている人に会いました

長々と同じような写真載せてしまいました

やっと下の登山道、旧国道163号線に出ました

登山口に立つ 伊賀街道長野峠越の標示

案内標識は上野方向になっています

国道163号線に合流した辻で、長野峠への登り口

合流したところで左に折れたところから振り返る。向かって右から降りてきました。正面の道は国道163号線で、今は新しい長野峠バイパスの道を車が通っているので車は少ない旧国道

合流して左に曲がる角に お堂 が立っています

供養塔・地蔵尊・犬塚(義犬塚)

犬塚は、よくなれていたはずの飼い犬が、吠え掛かったので、飼い主がその首を切り落としたところ、犬の首がその背後にいた大蛇に噛みつき、飼い主を救ったという義犬伝説が残る供養塔碑。
供養塔は、犬塚横 天保五年(1834)の銘。
地蔵尊は、犬塚横 天保五年(1834)の銘

犬塚地蔵の前を振り返る

津市美里町平木の国道163号線を下りますが、少し下ったところで、左へ少し迂回する旧道跡があります

旧道の左手に大きな岩が、その前を振り返ってみる

旧道跡を迂回したところこの先の道

振り返ったまま右を見ると、新長野峠トンネルの出入口が旧長野峠の下を抜けて、ここに出てきています

更に少し進んだところから振り返ったところです。向かって左が国道163号線で歩いてきました。トンネルの上部の山を右から左に長野峠を越してきました

この先暫くは美里町平木地区を長野川に沿って下っていきます。歩道がなく車が多く注意のいる下り道です。
そのうえ残念なのが、心無い車から捨てるゴミだろう、沢山あるので悲しくなった

下る途中旧道らしい左に分かれた杉林の道があるので入りました

快適な道なので一安心でしたが、先で道が消失していたので、また元のところに戻って国道を下る

下ること2㎞半程の所、平木口のバス停があります。左から長野川に流れる中出川に架かる三船橋を渡ります。橋のすぐ先で左に川に沿って進むと、平木バス停の終点で平木集落があり、平木神社・宝養寺 がある集落が望めます

三船橋から左の中出川に沿った平木集落

左角に 石碑 左の道を入っていくと平木集落で 三船の常夜灯(平木)遠いので諦めます

石碑

平木口から平木集落への道を振り返ったところ

その先で、鳥羽ノ尾川に架かる橋を渡り、長野川に沿って下っていきます

 平木口から1㎞程下ると、前方に集落が見えてきます

北長野地区に入り、左から長野川に流れる谷川に架かる中砂橋を渡ります

北長野に入り、国道はこの先で右にカーブして、長野川に架かる北長野橋を渡っていきますが、街道は橋を渡らず左に分岐している旧道を進みます左の道に入り120m程先で右にカーブします

ここから 長野宿 になります
伊勢国最初の宿で、長野宿の北西の端にあたります津宿まで約22㎞

右に折れてすぐ右角に

浄土宗高田派薬王山龍光寺
右に折れて50m程先で道路に突当り左に折れます

左に折れる右道路沿いに 馬頭観音

左の折れた長野宿の街並みを進みます

 宿の街並みを振り返る。古い屋号の旧家萬屋 が残る

右に美里郵便局があります

左に 火除土手、防火の役割を果たしていた火除土手の上に 石柱 「頌徳碑・供養塔・常夜灯」と刻まれている

火除土手 防火の役割

さらに進むと十字路左に 目無地蔵の案内標示 左(北)経ヶ峰の中腹にあります 寄れません

十字路を左に折れます

十字路の傍に長野バス停

十字路の右を見るとすぐ先の長野川対岸を163号線が通っています

左に折れた数十m先で右に折れる旧道

右に折れた先の街道

右に折れる前に少し真っ直ぐ坂を上る右手の山が 長野氏の西の城址

左奥に 真宗高田派常照寺

さらに北に入ると、地元豪族長野氏の菩提寺 天台真盛宗智永寺
細野集落をさらに北に進むと 長野神社 がありますが寄れません

元の辻に戻り右に100m程進むと右から道と合流して宿場の街並みを再び進みます

 連子格子の民家や趣のある旧家が並んでいます

長野宿も終わり、北長野地区に入ります

長野宿の東南の端で振り返ったところの標示津と伊賀上野結ぶ藤堂藩の官道であった、伊賀街道の中間の宿場で、藩士や旅人で賑わった。近くには、戦国時代まで長野氏の城が街道北側の峰に連なっていた

長野宿の東南の入り口、国道に合流する左に案内標示があります

国道に合流して横断したところから振り返る。正面の集落が長野宿です。

100m程進んだ左に 長野氏城跡の解説板 があります 長野氏城跡(東の城・中の城・西の城)

標高約520mの「城の台」に連なる三つの城からなる山城。長野氏が国人領主として南北朝時代から、ここを拠点に勢力を張った。一部土塁や堀切が階段状に残る。長野氏の居館もここにあったと伝わる

城跡への入口

少し入ったところ、時間がないので行けない

街道から振り返ったところです

この先の国道に沿った街道を望む

すぐ先左に 地蔵

美里町南長野地区を進む

美里町長野から振り返った先向かって右に東の城跡・中の城跡・西の城跡、その後方には長野氏城跡の山城が連なっています

すぐ左斜面に草で隠れるように 石仏

 少し進んだ先右から道路が合流する右角に案内板と南長野バス停

南長野地区から美里町三郷地区へ

三郷の集落に入るとすぐ、三郷バス停のところで右の旧道に入ります。この真っ直ぐの163号線に沿った道も旧道として会ったと思われる

右におれるとすぐに服部川に架かる橋を渡ります

橋を渡り道なりに100m程民家の中を進むと

十字路の辻に出ますので左(東南)に折れて、その先200m程進むと右から道が合流します

合流した辻から300m程右に弓なりにカーブしたところ、向かって正面の斜面が、旧道の名残です、消失しています。

迂回するため道なりに左斜めに進みます。この先少し迷走道です。100m程田畑の中の道を進むと十字路に出ます、右に折れます

 十字路を右に折れ60m程進み民家の所のT字路を左に折れる

T字路の所右に見たところで、前述の消失した旧道の跡の延長だろう出てきていました

道順の補足
T字路を左に折れて、すぐの分岐を真っ直ぐ左の道を進み40m先で、この先旧道が消失してるようではっきりわかりませんが、左の細い道を左に折れて、即右に折れます。
真っ直ぐの道はすぐ道なりに右に折れて離れていきますので注意。即右に折れた細い道を50m南東に進み、突当りを左に折れて30mで斜め右に(くの字型)に40m進むと民家のところで突き当たりますので右に折れます。
右に折れて緩やかに左に曲りながら80m程で民家を抜けると、長野川の手前の十字路の自動車が通れる道に出ます。

 (説明が難しいが歩いた道)

長野川手前の車道に出る狭い道。前述の国道163号線に沿った別の旧道は、橋の渡った左辺りに出てきていましたが消失しています

服部川に架かる新開橋を渡り右に折れたところから振り返る歩いてきた狭い道

右に折れて坂を上っていきます

坂の途中左に 石碑

碑のところから北側を見ると山裾に 真宗高田派大乗寺 が見えます

すぐ先の街道十字路左に 御神燈と供養塔 明治十年の銘

 十字路を振り返る

少し先で、163号線に合流して右へ

合流した先140m程でみさとの丘信号交差点に出ます。163号線を進む

信号交差点の右角に立つ案内マップ

右に大きくカーブしながら進むと、案内板から250m程先で右の旧道に入る分岐があります。

美里町足坂の集落に入ります。右手に 天台真盛宗永福寺

その先すぐ左に 御神燈と万度石
昔は、なかなかお伊勢参りに行けなかったので、集落の代表者がお参りして、頂いてきたお札をこの碑の中、一万度と彫られた石の裏が空洞になっているので納め、集落のだれもが拝めるようにとの目的で造られた。
地元では「まんどうさん」と呼ばれ、毎年七月二十四日に祭礼を行っています

更に少し先左に、御神燈と万度石
文政十年(1827)の銘。向かいに高宮郵便局があります

左の国道163号線の山際に 延命地蔵尊・供養塔・一石五輪塔 があります

さらにその先100m程で左に屈曲する十字路左角に下出集会所があります。十字路から140m程進むと163号線に合流して右に折れる

右に折れるすぐ手前に右に折れる細い道があり、道路を横断してまきのクリニックの前で国道163号線に合流する、150m程の道がありますが、旧道かどうか分かりませんので国道に出ました。
右に折れ国道の信号交差点、交差する道はグリーンロードです。横断して進みます。横断した先右に前述のまきのクリニックがあります

 交差点右の、グリーンロードの道路

交差点より国道を400m程進みます

美里町足坂地区です。国道を分け二階建ての会社の手前の道を右に折れる

右に折れたすぐ先右に、丸高コンクリート工場三重工場があります。遠望には鈴鹿山系だろうか

その先120m程で道は分岐しますので、左の道を入る

すぐまた道は分岐しているので、右の道を南に80m程進み右に折れると、すぐ分岐している ので左(南)の道を60m程集落の中を進みます。
小さな路地の民家の中の十字路を左(東)へ

左に折れて200m程東に進むと十字路に出ます。
その手前左手に 天台真盛宗見性山西方寺

十字路を横断します、数十m先の突当りを左に折れます

左に折れて数十mで民家に突き当るので右斜めに曲がります
その左角に 御神燈の台石

右斜めに折れると田畑が広がり真っ直ぐ160m程東に進む、途中十字路があります

正面の青い屋根の建物の突当りで左に折れると、すぐ先に国道163号線があります。
美里町五百野地区です。国道の北側にはJA津安芸美里の建物があります

街道は国道の極手前で右斜めに折れます。右に折れた街道はこの先緩やかに左にカーブします

左にカーブした街道は、再び同じように国道に接近していきます

 国道の手前で再びまた右鋭角に折れて進む

左にカーブしながら暫く集落を進む

やがて右の民家が過ぎたところで、右手の角に石の道標があります。また道標の手前右に入る旧道跡の地道が残っています

 道標 「右 さんぐう道 右 津道」

右に折れる前に、道標を右に見て真っ直ぐ進み南北の道路に出て左に折れた163号線との角にある  
滝川貳大龍神神社

元の道標のところに戻り旧道跡を入っていきます。距離は短いが、少し歩きながら左に緩やかにカーブしています

街道跡が微かに残り、左に沿った側溝の石垣があります。正面の2階の民家のあたりへ出ています

2階建ての前の車道が交差する角に出ます。交差する右には喫茶ジュンがあります。交差の道左に進みます

左に進む角、ガードレールの内側に 道標 「従是南一志郡」

そのすぐ先の車道ですが、途中で左の旧道を少し迂回する道が残っています

少し迂回して元の道路に合流したところで、いつぼ川に架かる茶屋橋を渡ります

茶屋橋から100m程車道を進むと、正面の常夜灯のところで、右への道路と左への道路に分岐します。稲葉町地区です 辻での右への道は 旧伊賀街道 の一つの道で松阪から伊勢に抜ける街道です
私は、左に折れて津城下へ抜ける伊賀街道の方を進みます

右へ進む 旧伊賀街道

左(北)に折れる、伊賀街道

正面の 常夜灯と茶屋の道標
常夜灯には、天保3年(1832)銘道標には、「右 さんぐう道 左 なら大さか道 すぐ 津みち」天明六年(1786)銘かつての旧道は、道標・常夜灯のところから東北に畑の中に通っていました。

江戸時代には旅籠があり宿場として栄えたとあるが、その形跡は残っていません

左に折れたところから振り返る

200m程進むと163号線に突き当り右に折れます

右に折れた163号線

暫く進むと右手に 道路改修碑 が立っています
この先、往時の難所の一つ 吹上坂 を越えていきます。

街道はやや左(東北)に方向を変える辺り、右に前述の消失した旧道が延びてきていたが、今はその痕跡がありません。

現在は国道163号線で難なく歩けるが、歩道がなく車が多いので危険
振り返ったところで、カーブしている左の白い辺りに旧道が出てきていたと思う

やがて吹上坂は下りにかかります暫くは車に注意しながら下っていきます

暫く坂を下りきったところ辺りで、右に入る旧道が残っています

右に入る旧道の地道、50m程先で左にカーブして(途中から舗装)国道に平行しながら蛇行しながら進む。250m程の区間です

この先で左の国道に合流

合流後300m程国道を進むと右に100m程迂回する旧道に入ります

 国道に合流したところ

国道に合流したところで、少し戻った片田久保町集会所の前に 常夜灯

さらに左に 道標

国道を数十m進むと国道より右に入る旧道があります

旧道を右に入り左にカーブした先で分岐していますので左の道を進む

すぐ先で岩田川に突当り渡れませんので、民家の手前を左に迂回し国道に出ます。国道を右に折れて、岩田川に架かる橋を渡ります

橋を渡ると 片田宿

橋を渡った国道沿い右に 旅籠「徳田屋」の連子格子の家、裏に土蔵が残りっています。現在は営業をされていません

国道を挟んだ向かいには 旅籠「野田屋」現在は廃業、このほか付近には、片田屋・伊賀屋・久保屋 町田屋 などが並んでいた。振り返ったところです

宿の街並みを進む

300m程進んだところで、岩田川に架かる橋があります。橋を渡った左には 土蔵・問屋場・札場 がありました

 宿を進んだ先から振りかえる

左にミラーのある少し先が広くなったところで、左の岩田川が接近します

左の岩田川に架かる橋の手前で163号線と分岐して、橋を渡ります。右斜めに進みます  

片田井戸町を進む

橋から300m程東北に進んだ先で、左手に

八乳合神社

神社の先で、163号線の片田郵便局前信号交差点に出ますので横断します。街道は真っ直ぐ東に163号線を横断し、右手に岩田川が沿います。セブンイレブンを左に見ることになります

横断したセブンイレブンの前から振り返る

街道は左に大きくカーブして北に進む片田田中町に入ります

小川に架かる橋を渡り真っ直ぐ、住宅整地の中を進む。この先年々この付近の景色は住宅で変わっていくことだろう。左国道の北側には片田幼稚園・片田小学校が見える。

街道は橋から300m程進むと、左から小川が接近して北にカーブします。街道も少し右にずれて小川を左にして北へ進む

120m程先で左からの163号線が合流、国道の左に丸岡医院があります。旧道は国道を斜め右に横断して、小川に沿って進んでいましたが消失していますので、国道を右に折れて150m程進むと、左から消失した旧道と小川が出てきます

(回り道)国道と合流する右手(東)160m程に岩田川を背にして、本光寺と岩田川の間の川沿いの道路に出ました。真宗高田派本光寺 が見えます

小川沿いの旧道の残骸跡本光寺前から右岩田川沿いに右にカーブして120m程進むと、前述の国道に、左から消失した旧道と小川が交差するところが正面の橋です。小川が手前に来ています、小川に沿って旧道跡が細い道で手前にあったようですが、お寺に回ってしまいました。

片田田中町地区右の岩田川に沿って旧道跡の地道の堤防を暫く進んでいきます

堤防の旧道跡を800m程進むと、民家でその先すこしの間、道は消失しています。すぐ前に見える道は旧道の続きですが、100m程堤防道を戻り車道との交差点に出て、交差点を右(北)に120m程進むと、国道163号線の忠盛塚東信号交差点に出ます。

堤防より忠盛塚東信号の西北の遠望の集落を見ると、こんもりとした山が見えるところが、 坂本山古墳公園 です
さらにその東(向かって右)に 平忠盛塚 があるようです
平忠盛誕生の地で石碑が立っています。寄ってみたいが時間的に無理なようです

堤防を戻った交差点より北に進む迂回路

国道163号線の忠盛塚東交差点に出ます。向かって左にファミリーマートがあります

交差点を右に折れ50m程進むと

 国道より右斜めに入る道があります

国道より140m程入ると分岐に出ますのでここから旧道が復活。
丁度この右手辺りに、前述の堤防の先の民家で消失した旧道が出てきていたところです。分岐の右はすぐ岩田川に架かる橋です

殿村地区です、分岐を左に折れて少し進むと、右の岩田川に流れる小川に架かる橋を渡る。すぐ左に国道が平行します。街道は右に緩やかにカーブする

すぐ先で伊勢自動車道の高架下を潜ります

 潜ったすぐ先の十字路を真っ直ぐ進む

100m程集落内を進んだ十字路、左にミラーがあります。この付近に、茶屋・もち屋という屋号の民家 があります

 十字路左角に 道標 「新四国霊場八十八ヶ所 此ヨリ三丁」

街道は方向をやや北に変えて真っ直ぐの道を進みます

100m程先で左からの国道163号線が合流します。合流点から650m程進むと、殿村北信号交差点に出ます。交差点左手前にファミリーマートがあります

殿村北交差点を右に折れます

右に折れた左に安濃川が接近します。右には岩田川の支流三泗川が、その間を国道163号線は東に進みます

さんし
国道右、この辺り堤防が一段低くなっている所で、城下を洪水から守るため造られたもので、大水の時はここを切って岩田川に水を流した

三泗川が南に離れていきます。街道は東へ中勢バイパス道路の高架下を潜ります

 高架を潜った先で、左手の安濃川が接近して堤防下の街道を進む

珍しい建物の民家、右手に 大円寺 があります

右の吉中歯科医院の先で、右から163号線の南河路バイパスが合流して信号交差点を横断して進む。安濃川は左に大きく山型に蛇行しています

神納町地区を進む

すぐ先左に新納南バス停があります。そこで163号線は右にカーブして離れ、街道はほぼ真っ直ぐの左の街筋を進む

左に進んだ右手に、街道名残の大木が目印です

右手に 日蓮正宗本善寺

本善寺のすぐ先左に、安濃川に架かる赤い欄干の納所橋があります。その手前左に
延命地蔵尊を祀るお堂

変則交差点にでます

その先120m程さきで安濃川に分かれ右に折れます。八町3です

八町3から2丁目1丁目と真っ直ぐ東南に進みます

すぐ右手に 谷川士清の旧宅

江戸時代中頃の国学者で、日本書紀の解説書である「日本書紀通証」や日本初の五十音順の国語辞典である「和訓栞」などを著しました。その旧宅が、復元・公開されて、書籍などが展示されています

右奥に新町小学校があります
すぐ先左に 六阿弥陀寺 堂内に六阿弥陀が祀られている

 すぐ先の信号交差点を横断します

交差点からすぐ先左奥に 慈眼院観音寺

観音寺境内の右側に 琴平大権現 左側に 子安地蔵尊

慈眼院観音寺の東側に 真宗高田派法林山光沢寺

信号交差点に出ますので横断、交差点を越えた左奥に、古河公園がある

やがてJR紀勢本線・近鉄名古屋線の踏切を渡ります。すぐ右方向に津新町駅が見えます

踏切りを越えて200m程行った、3つ目の十字路を左に入ります。西丸の内地区です

左(北)に折れて100m程進んだ先

一つ目の十字路、左角に三重県カトリック研宗館があるところを右に

右に折れて60m程進むと信号交差点に出ます。右角に津カトリックこども園があります。信号左(東北)一帯は、津城跡・津市役所等の公園や行政の中心地です。資料ではここが伊賀街道の終わりになっていますが、もう少し東に行ってみます

元来た道の西丸の内の辻に戻り東に進み、すぐ先の信号の無い交差点を横断したところから振り返った踏切り方向の街道

その先の道を東に

街道より左を見ると、お城跡 を中心にした官庁街です

右の岩田川に沿った道を進む

200m程先で23号線の広い道路、岩田橋北信号交差点に出ます。すぐ右手は岩田川に架かる岩田橋です

岩田橋から岩田川の東側を望む正面に見える 赤い橋が伊勢街道の観音橋

岩田橋北交叉点から170m程進んでいくと 伊勢街道と交差 して、右に伊勢への街道橋の岩田川に架かる観音橋があります

観音橋から伊勢街道との合流点を見る、角にはGS

 伊勢街道との合流点で、私は伊賀街道の起点はこの辻としました

伊賀街道完歩

17時完歩、ここから西へ800m程移動して近鉄津新町駅から近鉄戦で帰宅します

伊賀街道歩くにあたりまして、素晴らしい「三重県みえ歴史街道ウオーキングマップ」を参考させて頂きました。有難うございました

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする