2024年3月4日
日田田浦~佐敷
今日1日大迷走の佐敷太郎峠越え
薩摩街道歩き今日で一旦中断して、後日3回目を歩く
9時15分 肥後田浦駅前出発、ホテル18時着
3時間の予定コースが、何と1日がかりと山の中で大迷走
40.447歩 25㎞ 1306kl
今日は余裕があると思ったので出発が少し遅い、
佐敷駅8時57分発で、昨日の肥後たのうら駅へ。駅前9時15分スタート

駅から北に歩いて昨日の塩屋橋起点へ

宮浦川沿いに進みます

昨日の起点で、左の川を離れ右に下ります。その先で十字路を渡った先、右に行くと国道3号で郵便局があります

真直ぐ進むと左に、天子宮 景行天皇を祀る。


宮浦の地名は、景行天皇巡行のとき上陸された場所で、後に宮浦との名前が付いたと伝わる。
景行天皇行幸船泊地跡の碑

天子宮の前に、江戸・薩摩の表示をした薩摩街道の案内

左、天子宮を見て十字路を横断

十字路を横断して振り返る、向かって右に天子宮

道がさらに狭くなる、資料では正面の山越えになります

ここでまず 迷走
狭い道を進むと、斜面に突き当たります。車庫の向こう側に手摺の付いた石段があるので、それが山越の道と思い込んでいくと

石段の上る入り口が完全に扉が閉じられ、おまけに鍵がかかっている。資料ではここだと思っていたが

止む得ず他にあるかもと思って、左の擁壁に沿って狭い道を行きます

防御壁を左に、右に民家の間の道を、正面の民家の手前を右にカーブし、すぐ左に回り込む。

民家と民家の間の細い道を抜けていきます

やがて国道3号に出て左はトンネル。旧道はこのトンネルの上を越えていたのだが?国道の向かいに細い延長の道があるので、横断してこの先に上り口があるのか行ってみる

結果的には上り口はありませんでした。でも持っている資料には山越えの道があると載っているので、考えた末、余り山越えの道は長くないと思い、反対側の下り口から上ってみようと思い暫く歩いて下り口に出て登りました。山の途中に立派なお墓を清掃している、おばあさんがいたので話を聞いたら、この山越えの道は民家の間にあると教えて頂いた。それにしても立派な墓、話を聞くと年をとってここまで登ってくるのが大変で管理も大変なので何時か整理しなければと言って嘆いていた。お別れして坂を上って足場の悪い斜面を下って行くと確かに登り口に出ました。
再び元の入り口の防御擁壁まで戻り、再挑戦。

民家と民家の間の狭い路地を抜けたところ、左に民家がありました。丁度国道3号に出る手前、10m程の左

民家の正面軒に架かるような、極狭い道が山手に向かってありました

村下急傾斜地崩壊危険区域の看板がある左に石段がありました。迷走の末、見つかりました

石段が一旦平らなところに、左に継の石段を上ります

石段を上ると、右に向かって滑り落ちそうな斜面を登っていきます。雨でも降っていたら大変

距離は短いがようやく頂上、そこの右に建物があります

建物の前から登ってきた斜面を振り返る

建物の横に 二体の地蔵尊

下り坂となり、途中右手に先ほど話をしたおばさんのお墓があります

右手が開け、急な斜面の道で右手に小田浦の集落

下った右手に立派な大きな民家

右手角に 石の祠 右から道が合流してきます。この辺り、十七里木跡 らしいが何も表示がありません

結果、国道でトンネルを左に見て、大きく迂回して、この辻に出てここから逆に登り、前述の石段の所に下り確認しました。再度石段から登ってここの辻に出てきたので。大変な時間ロスでしたが、迷走も解消できて満足です。
旧道は合流して真直ぐ進みますが、今来た山越の旧道を振り返ったところです

小田浦信号交差点に出ます。右から国道3号が合流

この先、河原川の付近で左に入り民家の間を何度も曲がる複雑な旧道があるようですが、一人では見逃しそうな旧道で、よく知った人の案内でなければ難しいようなので通よました。短い区間です

小田浦バス停と国道

右手に 水害復興の碑 が建っています。昭和57年7月12日の田浦町を襲った集中豪雨の水害の復旧記念碑。

左に、 小田浦阿蘇神社
神武天皇の孫で阿蘇地方を開拓したといわれる健盤龍命を祀っています。小田浦地区の氏神です

志水バス停と国道3号

志水バス停の先、国道から別れ左の旧道に入る

短い距離ですが、左に迂回して再び国道に

右からの国道に合流します

流する右角に、薩摩街道の案内標柱

左、佐敷太郎の案内標示

その先、300m程国道を進むと、左に薩摩街道の表示があります。国道から分岐して左への旧道に入る。いよいよ三太郎峠の最大の難所、佐敷太郎峠へ気を引き締めて歩きます(この後大迷走が起こるとは夢にも思わなかった)

前回、佐敷の宿での案内所で聞いたが、道案内人がいなければ一人では峠越えは難しいかもと、いっていたが、昨年道案内の会も皆年がいって解散したそうです。やむなく一人で歩く、資料は持っているが心細い。峠から下る江戸時代の旧道は、私有地もあり、それよりも最近歩く人もなく会の方も廃道化してるかも、よくわからないと言っていた。今回は一人なので無理せず峠からの江戸時代の下りは歩かず、明治の旧道を歩く予定。
佐敷太郎峠越え大迷走の始まり

右下方向に国道3号を見ながら、暫く曲がりくねりながら上る。

甘夏蜜柑の木が多い
緩やかに上っていきます

右手、野添地区の集落が見える。山崩れ跡か集落を見ながら左にカーブ

カーブ地点から200m程進むと左にカーブしています。カーブの地点で、右への下る道がある

カーブ右に、薩摩街道の標柱、右江戸、左坂の下る方向に薩摩と案内標示を右に下って行きます。野添眼鏡橋があります。

右に折れて下って行きます

下って行くと山間の間を旧道は伸びている、素晴らしい景観です

下って行くと、小田浦川に架かる、 野添眼鏡橋 街道は谷間を上っていくようでした


薩摩街道の新しい案内標柱と案内板。
案内標柱は新しく建てられたものと思われる。工事車も入り谷の下を改修しています


案内標示に従って上っていきました

やがて新道の高架の下に出ます。これ以上進むことができない、工事車等々で河川の改修工事をしているのと、おそらく土石流の防護をしているのだと思いました


眼鏡橋の新しい案内標柱は昔ここが旧道ということがよくわかりますが。
できれば現時点では先で道が消失しているので元の分岐に戻るよう。と一言書いてほしいとも思いました。それともこの先の標識を見ていないのか
仕方ないが元の分岐まで戻ります

資料整理しているとき、この高架の擁壁に沿ってあるかないかの上の道に出る隙間が何年か前に歩いたという資料に載っていました。でもここまで歩けたので大満足
新道を右下にみながら進んでいきます。ほんとうに山間の谷を旧道は登っていたのだとよくわかります。

振り返ったところで、右下の野添眼鏡橋辺りがよく見えます

手前の橋が小田浦川に架かる滝の上橋です。下の旧道がこの下です。滝の上橋を渡ると突き当る。
左の高架の先は広域農道の海浦トンネルです。
手前の橋を渡ります、この下まで先ほど登ってきました

突当りを左に折れます。擁壁に沿って子の突き当り辺りに登れる道があればいいのですが

そして左に折れてすぐの広域農道を潜る

右に曲がり緩やかな坂を上り滝の上集落に入る

(迷走)ここでまた右の標識を逸して真直ぐ登って行った、集落の一番上あたりに来ておかしいと思ったが、人がいないしやむなく民家に入り訪ねたところ、きすぎているといわれ旧道を教えて頂いた。おばさんの話ではよく以前は、間違ってここまで歩いてくる人が多かったといっていました。
上からの道を下って行くと、ガードレールのある手前の橋を渡るとの事でした、下って行く右手に集会所があるとの事で

右手(下から上ってくると左手)に、滝の上集落の滝の上地区ふれあいセンターがあるところ

下から上ってきたところで、左にふれあいセンター、一番上の民家でおばさんに聞いた場所。
右にガードレールが切れたところの橋を右に折れる。案内板が右にああります、何故見落としたのだろう、多分左のふれあいセンターを見ていたか下を見ていたかと思う。往々にして坂の上りの時は案外歩く姿勢が下向きになっていて見落とすことが多々ある。(言い訳です)

右に 薩摩往還石畳の説明
江戸時代中頃にはこの付近に 往還番所が置かれていたそうです。
勝手なお願いですが、この右に大きめの右に入る案内板があれば助かると思います

いよいよ薩摩街道の最大の難所、三太郎峠の中でも一番の佐敷太郎峠へ登ります。一人での歩きですので、楽しみと不安が交錯しています。
(大迷走の始まりです)
ここの上り口が、薩摩街道最大の難関、佐敷太郎峠へ、いよいよ不安をよぎるが勇気を出してスタート。過去には何度もこのような場面に出くわしている。九州は熊もいないし、この時期蛇も冬眠中で何より。
右に入り橋を渡って右手の急な坂を上ってきました
坂を振り返る

上ったところ、細い道が右の民家の軒近くを抜けています。
案内標示もないしここで、この先どのように行くのか迷っていました。
その時、人の声が聞こえてきました、気が付かず何度も声が聞こえるので、ふと右の声の方に振り向くと、何と下の道を挟んだふれあいセンターの上の民家の二階からおじさんが、私に大声で声をかけていてくれたのだ。ビックリ。
その方はそこ左の荷物運搬用のレールをまたがり、左上に登っていくのが旧道とおっしゃっていたのだ。有難うと聞こえないが何度もお辞儀をした。親切な方がいらして助かった。これが素朴な田舎のいいところだといつも思う。
後で思ったのだが、この先のことを考えると、この方の家の近くに行って、この先の道をご教授して頂いたら良かったかと終わってから思った。まさかこの先の大変なハプニングが起こるとは予想もしていなかった。
普通なら3時間ほどのコース。
左の運搬用レールを跨ぎ足場の悪い道に入る
熊本大震災ころの資料とは随分道も荒れているようです。仕方ないことです


するとすぐ先で、ロープにつかまりながら、ロッククライミングのようによじ登ります。ロープ、これはもう道でない

もう写真を撮るどころでない。案内所で言われた通りで、殆ど歩かれる方がいないのだろう。以前は案内標柱があったようですが、今は少なくなっていて、老朽化しているので方向が正しいかどうか迷う。
数年前に歩いた、四国の坂本龍馬脱藩の道もこのような山道が続いたが、資料なしでも案内板が数十m毎にあり、あるけたことをおもいだした。もう数年前だし歩く人も少なくなったと言っていたからどうなっているか

この辺りは明るくなり、踏み跡しっかりもあります


快適な旧道を登っていきます

薩摩街道の標柱がありましたので、間違っていない
この案内標識までは間違っていなかった

(ここから間違った)ところで、この案内標柱の先で、どのように間違ったのか右(西)上にコースを進んでいた、暫く、右(写真)のような斜面を搔き分けてやがて尾根のようなところに出たが、回りには道らしきところもなくパニックになりそう。

少し落ち着くために休み、うろうろして体力を消耗してはいけないので、元の標柱の所に戻ろうと下り苦労してやっと案内標柱(下の写真)に着いた。別の案内標柱であったが一安心。
やはり下から上ってきて、何時の間にか右方向に無理に進んでいたようです。

右手が明るい斜面


かなり登ってきたところで少し尾根のような平坦な所があったので、がむしゃらに歩いていてもいけないと思い、ここで一旦休んで落ち着く。
少し落ち着いたところで、現在どの辺りかもわからず、思い出したのが、道がわからない時は、「芦北町薩摩街道佐敷宿交流館」の佐敷ななうら会の方へ電話してくださいと聞いていたので、スマホで電話したところ応対していただいた、親切に応対して説明を受けたが山のなかで自分もどの辺りか分かっていなくて苦労しました。
何とか今登ってきた斜面を思い出しながら下って行きました。
間違って上ってきた溝に沿って下ると、溝が分岐しているところに出ました、写真の標識が建っていました。下から向かって右方向に登っていたようです。左への溝に沿って登り道は荒れているが歩ける。登っていきます

石畳道跡か、石がゴロゴロしています。案内標識が朽ちて字が全く読めない。

道案内のロープがあります。足元が悪く、ロープに頼ろうとするが切れたらと思うと不安

文字の消えているが案内標識、色が褪せているが案内リボンがありました

「佐敷ななうら会」の方もおっしゃっておられたがコロナ禍以前は結構人も登り、佐敷太郎峠越ウオーキングも毎年行っていたそうで、また案内人の人々も元気で待機していた、ところがコロナで峠越えの歩く人も来なくなり、案内の方も年々年を経て、昨年ついに案内人の佐敷ななうら会も解散したと言っておられた。
だから余計旧道は手入れも行き届かず荒れてきていると、言っておられたが、以前はよく案内して旧道(1部私有地)を歩いたが、最近殆ど歩いていないとおっしゃっていた。
よく知った案内の方がいなければ、佐敷太郎峠越えは難しく、特に峠からの下りの旧道は1部私有地で許可も必要で1人では無理のようです。
綱とリボンを頼りに登っていきます

江戸時代には街道はもっと整備されていたのだろうけど、それにしても、馬や駕籠、荷駄、着物姿の女性は大変だ。篤姫 も江戸へ下るときこの峠を行ったのだろうか。

佐敷太郎石畳跡


赤いリボンが結構沢山あります。急坂の石畳を上っていきます

前がようやく開けてたようで



道は平たんな細い道になりました。左は急斜面で危険

先に左右に道があるところに出たようです

コンクリート道に出たのはいいが、ここから大迷走の始まり始まり
ようやく舗装道路に出ました。薩摩街道の標識 があります。標識の方向に歩きました
結果間違いでした、標識の方向が左方向を向いていたように思います

向かって右の下から来ました

舗装を標識に沿って左に進んで行きました。100m程で正面が少し広くなり、右手に小さな廃家がありました。広くなったその先には道は分かりません

(注)
申し訳なかったが何度も何度も、佐敷の「ななうら会」の方に携帯で聞くも要領が得ず、結局、この後も付近をあちこち歩き大迷走となって時間が立つばかり、多分佐敷太郎峠の峠近くまで来ていたと思うが、峠への案内標示と、ここが峠という所もなく仕方なく諦めて下ろうとしました。
落ち着いていたつもりだが、気持ちがパニックになっていたのかと思います。この後も大勘違いで、農道の尾根道(舗装した車の走れる)を東へ歩いていました、かなりの距離(片道30分程、遥左下遠方に海が見えていました、佐敷と反対方向に歩いていた)を歩いて一向に下らないことに気が付き再び同じ場所に戻る途中。作業している若い方が二人おられたので、旧トンネルの佐敷隧道に出て佐敷に下りたいと言って道を聞くと、スマホのGPSで今の地点はここなので反対の舗装した道を下るように教えて頂いた、右手にガードレールがあり下りが続きました。
かなりの距離を歩くと、佐敷峠を貫く佐敷隧道の入り口に出ましたので、ほっとして(何故かと帰ってよく地図を見ると、その佐敷隧道トンネルの入口は北側の入口であったと分かりました)。歩いていると、それからというものは一向に佐敷に着かなく、結局、滝の上の集落を下に見て、野添眼鏡橋の所に戻ってきてしまった。何という間抜けか元に戻ってしまった。
トンネルの北口でトンネルを潜り反対側に出て下って行くと佐敷宿に出ていた。
今日はおかげで収穫も沢山あったが、反対に大迷走の1日でもあり、3時間程の所1日かかってしまった。
笑い話ですみません。馬鹿というしかありません
そのまま国道に出て、志水バス停でバスがあったので、佐敷まで乗り、佐敷のホテルAZ熊本に宿泊。
間違って東方向からの舗装道を戻ってきて、若い作業員さんに聞いた後、峠が諦めきれず下る前にもう一度そこから峠を探しました。その中で、薩摩街道の案内標示を何か所か見つけたのですが、みかん畑と峠の位置どうしてもわからなかった(最も、これだけの峠だから、ここが佐敷太郎峠という表示があると思ったが見当たらなかった、後で見たら表示はないらしい)
これから写真は標識も含め峠と旧道の下りの入り口だけでもと、思って探したときの映した写真です
多分コンクリート道です










NTT鉄塔が右に見えます

分岐している左の道がどちらが正しいか

左みかん畑

薩摩街道の標識がありますが、今ではどこにあった標識かも分かりません

結局、うろうろするだけで時間が過ぎるばかりで、峠と下り口を諦めました
変則に交差している辻の戻りました。東へ数㎞歩いてしまった尾根道です。
作業していた方に教えて頂いた反対方向への下り道です
結果的には歩きたかった桟敷への下りでなかった

(注)
もし上の訳の分からない並べている写真等もみて、峠や江戸期の旧道の下り口のヒントがあるようでしたら、是非教えてください。
下って行きます

坂を下って行ったところで 佐敷隧道 の入り口前に突き当たる


トンネルの中は明かりもなく真っ黒で気味が悪い
実はこの時点でもわからなかったのですが、(ここはトンネルの北の口で滝ノ上集落方向であった)。佐敷宿に下るにはこのトンネルを潜っていかなければいけない。
それとも知らずどんどん舗装道を蛇行しながら進みました

トンネルの前に下ってきた道

途中夏蜜柑の木に沢山なっていたので、悪いと思いながら喉がかわき、お腹も何も食べていないので2個頂きました、ごめんなさい。でも酸っぱいが最高に美味しい御馳走でした。気合を入れて下って行きます

左には海が見えていますやっとこの辺りでおかしいことに気が付きましたが下るしかなくどうすることもできません。第一何処を歩いているかもわからないし、とにかく左に下る舗装道があれば下るしかない


やっと気が付きました、朝登ってきた道に戻ってしまった


野添眼鏡橋の入り口の辻

このままもと来た道を戻り、おれんじ鉄道で桟敷駅へ昨日泊まったホテルへ
やはり佐敷太郎峠越えの道はわからず残念。消化不良。今日一日大変な日でもあったが、苦しいというより楽しかった。これが街道一人旅です。
9時15分、肥後田浦駅前出発、ホテル18時着。
3時間で峠越えの予定がの予定が何と1日がかりと山の中で大迷走したが疲れはない
40.447歩 25㎞ 1306kl
薩摩街道 【第2回 ⑯】
2024年3月5日
予定では、今日は三太郎峠の3つ目の、津奈木太郎峠越えを歩き、水俣から帰宅予定でした。
昨夜からの雨、峠越え一人で昨日のこともあるし無理をせず次回、3回目挑戦する。
佐敷太郎峠の峠付近で迷ったが、峠付近を再度資料を調べできれば次回には、タクシーで峠付近まで行って、そこからスタートを計画したい。
それでなければ、佐敷太郎峠から佐敷の町まで歩いてないから、薩摩街道完歩しても悔いが残ってしまう。
佐敷のホテル9時に出て、熊本駅へ、熊本駅から新幹線で帰宅。


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