西近江路

 2015年7月26日 完歩

滋賀県大津市京町1丁目交差点の東海道との分岐点~敦賀市

琵琶湖の西岸と北陸を結んだ二十七里(約106㎞)の古道。国道161号線に沿う、穴太、坂本、堅田、木戸、今津、海津へ、ここから日本海に抜ける山道の峠に入る。
琵琶湖西岸の旧道には、延暦寺の門前町として栄えた坂本や今津・海津の湊町で、海津からは七里半越えと呼ばれる峠道(西近江路と重複)で敦賀へ、今津から九里半越え(保坂から若狭街道と重複)で小浜へ通じていた。元禄六年(1693)の記録では、大津・塩津・今津・海津の港だけでも丸子舟が400船を越えたといわれる。

1日目】 2014年4月20日
      JR大津駅~おごと温泉駅
      大津   7時15分 スタート
      おごと  16時20分 着
         42.226歩  25.33㎞  1.849kl
2日目】 2014年9月23日
      おごと温泉駅~JR比良駅
      おごと  7時30分 スタート
      比良   16時20分 着
         44.042歩  26.42㎞
3日目】 2014年11月8日
      比良駅~安曇川駅
      比良   7時50分 スタート
      安曇川  16時30分 着
         40.896歩  24.53㎞
4日目】 2014年11月24日
      安曇川駅~マキノ駅
      安曇川  8時00分 スタート
      マキノ  16時10分 着
         43.565歩  26.13㎞
5日目】 2014年12月30日
      近江高島駅~マキノ駅  中世の街道を歩く
      近江高島  8時00分 スタート
      マキノ   15時50分 着
         43.527歩  26.11㎞  1.980kl
6日目】 2015年7月26日
      マキノ駅~敦賀駅
      マキノ   8時30分 スタート
      敦賀    17時10分 完歩
         46.924歩  28.15㎞  2.121kl 

【1日目】2014年4月20日

自宅を4時40分に出て電車で乗り継ぎJR大津駅に7時15分着。
札ノ辻まで移動して東海道と分岐、西近江路スタート。60歳で街道歩きを初めて、69歳の今では気力は益々衰えていないが、体力がやはり衰えているのがわかる。今までは30㎞以上歩くのが当たり前であったが、最近は歩く時間は同じでもスピードが落ちているようだ。欲が出て少しでも史跡回りをしたくて、寄り道が多くなったのも原因もあるが。本日は一日琵琶湖を右に見て歩いた。昼過ぎから小雨がバラつき早めに切り上げる。この旧道沿いには神社・お寺・祠が非常に多いには驚いた。

JR大津駅

駅前の北への中央分離帯のある広い道路を北へ進み一つ目の京町三丁目交差点を越えると、70m程で旧東海道と交差する交差点に出ます、そこを左に折れます

左に折れて旧東海道を北西に進みます

 左に 真宗大谷派唯泉寺 があります

中央二丁目交差点手前の十字路の左角に ロシア皇太子遭難の碑 が立っています
「此附近露國皇太子遭難地」

そこから振り返ると、旧東海道の両側に旧家の建物が目を引く

京町一丁目交差点に出ます。京阪電気鉄道京津線が走っています。またここは 西近江路の起点 でもあり、
東海道 が左に折れる分岐の 札ノ辻と呼ばれている。西近江路は横断して真っ直ぐ進みます

左に折れた筋はかつての 東海道大津宿 です

右の浜大津駅方向

交差点を横断した左角に 大津市道路元標

交差点を越えた町筋

蓮如上人遺跡跡

左に 長楽寺

右に西友があります 街道左に 浄土宗傳光寺 

寺の多い街並みを進んでいきます

左に 浄土真宗本願寺派光西寺

左に 曹洞宗青龍寺

続いて左に 浄土宗観念寺

曹洞宗宗満禅寺 おみあし地蔵尊

観念寺の前、街道右奥に 日蓮宗蓮光山本要寺

境内に 北辰妙見大菩薩のお堂

少し先で突当りを右に折れます

右に折れて10m程で左に入る道があります。小関越街道 で東海道の逢坂山峠を回避した脇街道、四宮で東海道と合流する。西近江路は真っ直ぐ進みます

100m余り進んだ先、左正面に長等神社参道があるので少し(寄り道)をします

200m程入ると大きな 鳥居と朱塗りの楼門 室町時代頃の様式にのっとった明治時代に再建された秀作

長等神社

境内の カツラの大木 樹高約13.7m、樹齢約300年

もとの街道に戻ります。近年までこの通りは、上北国町・中北国町・下北国町の町名が残っていました

旧北国町の旧道を進みます

右に 真宗大谷派徳圓寺

その先で道路が広くなりますその左に 道標 「左 いし山てら」
全体的に非常に綺麗な街です

左に 

左街道より一筋西側に 曹洞宗大練寺
さすが三井寺のお膝元だけあってお寺が多い、とても回りきれない街道沿いだけ

少し先で琵琶湖からの第一疎水に架かる北国橋を渡ります
琵琶湖疎水 琵琶湖から京都への水を運ぶ琵琶湖疎水。文化庁が「日本遺産」に認定

橋から左の方向

橋からの右の方向、すぐ先に京阪電気鉄道石山坂本線の三井寺駅が見えます

橋を渡って100m程先の長等小学校通学路交差点を右に折れます

交差点左山裾一帯には 三井寺(園城寺)が広がる
写真には撮っていないが、何回か行っているし広大で今回は寄りません

右に折れて東に少し進んで石山線の踏切を越えます

踏切の先で観音寺西交差点の五差路に出ます。右の広い道は琵琶湖疎水に架かる三保埼橋を渡って、浜大津駅に出ます

 交差点の左への広い道を進みます

交差点の左角に 道標 「右 山王唐崎道」

すぐ近くにも 道標 「右 三井寺観音道」
そのすぐ先で道が分岐します、その正面角に大津観音寺郵便局、向かって左側の真っ直ぐな道を進む

 少し先で左奥に 

左に 蛭子神社

すぐ先左に清風地蔵を祀る 

小さな川の熊野川橋を渡ります,左に広大な皇子山総合運動公園が見えます

ここで【寄り道】をします。左に入り皇子山公園の西,別所駅の東側に出ます。別所駅の前は広い道路で大津市役所が向かいにあります。
大津市役所から山の手に上る道沿いに立つ  地蔵尊の碑

弘文天皇陵の石碑  があります

市役所の西側山裾に 弘文天皇陵(大友皇子)
天智天皇の第一皇子の大友皇子と、天智天皇の弟大海人皇子が皇位を争い、大友皇子は敗れて25歳で自害した壬申の乱。明治政府は皇子を正式に天皇と認め、弘文天皇と追号した。

弘文天皇陵の近くにある 新羅善神堂

本堂 は三間四方の流れ造り、屋根は桧皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。暦応三年(1339)足利尊氏が再建した。新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。源頼義の子義光がここで元服し新羅三郎義光と名乗った。(説明文より)

新羅三郎の墓への標識

墓への道

西に山へ入っていくと 新羅三郎義光の墓

兄に八幡太郎源義家、賀茂二郎義綱がいます。義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083~87)には奥州に出向き、清原氏の乱を兄に協力して治めている。義光は1127年に没し、この墓が義光の墓といわれている。(説明文より)

 街道に戻り小さな熊野川に架かる熊野川橋を渡ると左に 長泉寺

200m程進んだ先で信号交差点に出ます。交差点右角に 説明柱

町の南を流れる尾花川(現在の熊野川)から名付けられた町名で、古くは茨川とも言いました。尾花とはすすきの別称で、かつてこのあたりには、尾花川の川筋に沿って、すすきが一面に生い茂っていたことからこの川名・地名が起こったとも伝わる

交差点を渡ってすぐ左に 
祠の西側には、市立皇子山中学校があります.

少し先で、不動川に架かる不動橋を渡ります

不動橋から広い道路を100m余り進み信号交差点を横断します

信号交差点の左に進むとJR湖西線の大津京へ街道は真っ直ぐ横断します

その先、右にGS左にイオンの間を進み、右からの161号線に皇子が丘東交差点で合流します161号線を500m近く進むと左にマクド、GSと続いて柳が埼交差点に出ます

ここで一旦中断して【寄り道】をします。左に進みJR大津京駅のさらに西の、京阪の近江神宮前駅までかなりあったが歩きました

近江神宮前駅から駅前の道を100m弱西に進むとバス通りに出ます、左に折れるとすぐ錦織のバス停があり、バス停から右のすこし高台になっている一帯がかつての 御所之内遺跡「大津宮跡」(国史跡)右の大木の所、何も形跡がないです

途中何処であったかわからないが(大津京内) 蓮如上人御遺跡の碑

反対側から見た天智天皇が白村江の戦い(663年)の後、難波の宮から大津に遷都した。この地がその後の、壬申の乱(672年)の舞台となる

道路を北に400m程進むと、小さな川の手前で道路が分岐します。その左角の広大な森が近江神宮で、左に折れた神宮の西側の山が 宇佐山(標高335m)で宇佐山城址 があります。またその山腹には 宇佐八幡宮 があります。宇佐八幡宮は治暦元年(1065)、源頼義が創建。近くに頼義の屋敷があったと伝わる。八幡宮から宇佐山山頂に上ると、宇佐山城跡(志賀城)があり、石段と石垣が残っているという、元亀元年(1570)森可成が築城。

この分岐を左に行くと、宇佐八幡宮や宇佐山城跡に行ける川の手前左に 
道標 大「むし八まん」 小「宇佐八幡宮まで七00米」 まわるには時間的に無理なので寄れませんでしたが、近江神宮へは橋を渡りすぐ左への道をとり寄りました

近江神宮

天智天皇を祀るが創建は、昭和15年と新しい

神宮通りの広い車道を通り京阪・JRの踏切を渡り、元の街道柳が埼交差点に戻り再スタートとなる。かなり時間を要してしまった

神宮と通りを振り返る、正面が宇佐山城跡

左に近江神宮外苑公園を見ながら進みます公園の切れたところで小さな川を渡ります。左にケースデンキ、右にTSUTAYAを見る

すぐ先で再び小さな川の橋を渡り、すぐ先で右のビルの前を通る旧道に入ります

しかしすぐ先で、自衛隊敷地で道は閉鎖されており、止む無く左に回り161号線に出ます。
おそらく旧道は敷地内を真っ直ぐ進んでいたと思います

暫く右に陸上自衛隊大津駐屯地を見ながら、変化のない161号線を進む

暫く歩いた信号の左に 地主神社

自衛隊北信号を越えた200m程先で。ようやく敷地が終り、右から消失していた旧道の道と合流する。

合流した辻を右に旧道を入っていくと

自衛隊の敷地北側には建物が立っていて、完全に旧道は無くなっている国道の右はびわこマリーナ―

先を進むと唐崎に入りますがその間1㎞ほどは単調な道です。やがて右にミニストップがあり信号のところで分岐しますので、右の旧道に入ります

旧道に入り60m程で右に埋もれた 石標 があります 「白・・・・・・」天保七年・・・の銘

石標の角を右に行くとすぐ琵琶湖を背景にした 唐崎神社

唐崎は古くから景勝の地として知られ、数々の古歌に詠まれている。日吉大社の摂社で、また「近江八景」の一つ「唐崎の夜雨」の老松との景観は、天下の名勝として安藤広重らの浮世絵などにもとりあげられている。現在の松は三代目で樹齢150~200年と推定されている。一代目の松は、天正九年(1581)台風で倒れた。
二代目の松は、天正十九年に植えられ幹回り11m枝も多数張り出し東西72m、南北86m、高さ27mと威容を誇ったが、大正10年(1921)大樹も枯れ死した

唐崎神社の前を通り旧道は真っ直ぐ進み、161号線に合流する。右は湖岸緑地唐崎苑

合流視点から振り返る、左が唐崎苑

合流して161号線を暫く進みますと、右の小さな川の傍に 藤川地蔵

さらに進み、右にKKRホテルびわこを右に小さな川を渡った少し先の四ッ谷信号交差点で道は分岐するので左の旧道に入る

ここを左に下阪本に入ります

左に入った旧道一筋目を左に折れたところに 大将軍神社 下阪本では大将軍社を大地護または大乗護と呼んでいる。

下阪本の町並みを進みます

左に 志津若宮神社 弘仁七年(816)に創立と伝わる

下阪本の町を流れる四ッ谷川に架かる四ッ谷橋を渡る

すぐ右に並んで 祠二つ 一つは鳥居と灯籠二基があります

 その先で下阪本一丁目交差点を横断します

交差点を左に150m程入ると
天台真盛宗正法寺 西教寺の末寺で、開基は伝教大師で立派なお寺 本尊は 阿弥陀如来

街道を挟んだ右に本瓦の 

さらに左にも薬師如来堂を祀る お堂 阪本の街並みも旧家が点在して街道情緒が漂う

旧柳町の石柱

少し進むと左に 真宗大谷派長善寺 本尊 阿弥陀如来像、創立 長禄~寛政年間(1450~1465)、蓮如上人の道場であったが、慶長年間に長善寺と称した

お寺に西側にある 
阪本も比叡山の山麓ということもあって、お寺や祠が多い

素晴らしい街並みが続きます、慌てずゆっくり楽しみながら歩く、車では味わえない

長善寺より60m程先右に 真宗大谷派立専寺 本尊本尊 阿弥陀如来 創立 延文三年(1358)

立専寺の南隣に 小唐崎神社

街道を100m程先左に お堂

北側隣に 浄土真宗本願寺派順照寺 本尊阿弥陀如来像 創立応永二十六年(1419)頃

すぐ先の交差点左角に 道標 「三十番神守護」「すぐ・・・・」

道標の十字路を右に折れると、坂本城址があるので【寄り道】
坂本城址の石標

右に折れた正面に 天台宗東南寺 延暦年間(782~806)に伝教大師が創建した寺、比叡山の東南、戸津ヶ浜にあったので東南寺という。本尊は釈迦如来

坂本城落城(1582)の時討死した、明智一族とその家来たちの 首塚 がある

明智塚 東南寺の北側に、落城の際に光秀脇差名刀の郷義弘並びに宝器物を埋めた跡で 明智塚 という

 街道に戻るとすぐ左に 

道標のある十字路まで少し戻り、西に200m程入り西大津バイパス(161号線)の手前に 日蓮宗蓮聖寺 本尊は日蓮大菩薩、創立は弘安十年(1287)小堂を建立したところから始まる。元亀の兵火で消失したが、慶長十年(1605)に再建された

街道に戻ると左に 地藏堂と灯籠と石碑 西近江路・浜坂本のが立つ

下阪本の街並み

この辺り 旧大道町の石標
天正十四、十五年(1586~7)ころ、坂本城が廃され大津へ移転。その跡地の堀を埋めて北国へ通じる大道をつくったことからきた町名と伝わる。なお、町は南北二町からなって、江戸時代には西近江路となり交通の要衝であった。

右に 真宗大谷派蓮瑞寺 本尊は阿弥陀如来像で、創建は延暦七年(788)

お寺より東に進み161号線を横断した先、琵琶湖湖畔に 坂本城跡の石垣 が残る

 坂本城
坂本城は元亀二年(1571)九月比叡山焼き討ちのあと、明智光秀がここに築城。琵琶湖の水を引き入れた琵琶湖に浮かぶ水城のような豪壮な城であったという。天正十年(1582)六月の本能寺の変で戦死後、娘婿の明智秀満が坂本城で豊臣方の堀秀政を迎え撃ち、城に火を放ち妻女・家臣とともに討死した。その後、丹羽長秀が再建し、杉原・浅野氏に城主が変わったが、1586年廃城となった。

街道を進むと 地蔵堂

その先で信号交差点に出ます

交差点を左に少し入ると 酒井神社 創建は弘仁二年(810)と伝わる。現在の本殿は元和六年広島藩主の浅野長晟によって建立された

琵琶湖洪水石標
琵琶湖の沿岸は瀬田川洗堰の完成(1905)まで、毎年のように洪水や冠水の被害を受けていた。明治に入っても何回か洪水の被害にあい、特に、明治二十九年(1896)お大水害で、この付近の水位は十三尺に及んだ、この石標には、その最高水位線が明示されている。琵琶湖治水史にとっても貴重な歴史的記念物として保存されている。

酒井神社本殿

酒井神社の南向かいに 両社神社
創立は元仁年間(1224~25)、現在の本殿は元和六年(1620)酒井神社の本殿と共に浅野長晟によって建立された

街道に戻り、東側(琵琶湖側)に入ると 川下り地蔵

街道に戻り先を進みますまだ下阪本の街並みが続いています

地蔵と沢山の石仏 が並んでいます

旧酒井町の石標
下阪本に酒の泉が湧き出し、村人はこれを吉例と喜び、泉の神を祀る酒井神社を建て、その前の町を酒井町と改めたと伝えられている。町は南北二町からなっていた

すぐ先にも 

下阪本4丁目右に 題目石「南無阿弥陀仏」

すぐそば右に立派な  本当に至る所に祠があります、それも立派なものばかり

さらにまた続いて立派な 祠 旧家とよくマッチしています

少し歩いた左に 真宗木辺派専念寺 本尊は阿弥陀如来、元和二年(1616)建立と伝わる。その後火災により、昭和三十八年に再建

そのすぐ先、藤ノ木川の手前左に 幸神神社

創立は延暦二十年、その後、兵火で焼けたが・小祠 を建てて再興現在に至る。鳥居の前の 石灯籠二基 は江戸時代の銘

藤ノ木川に架かる橋を渡ります 下阪本5丁目

左に 

橋を渡った右には 厳島神社
創立は延暦年間、琵琶湖の湖上交通の安全を守って祀られた

境内には最澄の作と伝わる、弁財天及び十五童子を祀った小祠 があり近江三弁天の一つ。また樹齢三百年と推定される大銀杏

打具先左に 祠

旧道はこの先、下阪本5丁目の161号線の交差点を歩道橋で横断して、西側の旧道に入ります

 歩道橋より今歩いてきた旧道

歩道橋よりこの先の右側の下阪本の旧道

200m程進んだ左に 磯成神社 創立は弘仁二年(811)と伝わる、この社の周辺は富ヶ埼と呼ばれ、中世には、馬借や車借が集まっていた集落

境内の ムクロジの木

神社のすぐで 磯成橋を渡る

右の琵琶湖には北大津湖岸緑地、新唐崎水泳場が続く

その先150m程進むと左に 天台宗観福寺
本尊は 如意輪観世音菩薩、延暦年間における伝教大師最澄の草創。境内にある地蔵堂には、大師自作の六体地藏の一つと伝わる比叡辻地蔵を祀っている

境内の地蔵度

お寺のすぐのところで大宮川橋を渡ります下坂本の街並みは素晴らしい

橋を渡ると下阪本6丁目 この街筋も素晴らしい、電柱がなければ昔の街道にタイムスリップした雰囲気

左に 

橋から100m程先右に 若宮神社
創立は白鳳二年と伝わる。比叡山焼き討ちで焼失したが、天正年間に再建された。毎年四月の山王祭では、七本柳を出て唐崎までの船渡御を終えた神輿が、若宮神社を下船場として、ここから真っすぐ日吉大社へ還御する

正面の西への道は県道比叡山線

 鳥居の道の向かいの角に立つ 旧比叡辻の石標

神社の鳥居の並びにある 

鳥居より100m程先右には 天台宗尊勝庵
聖衆来迎寺の末寺で、本尊は地蔵菩薩(千体地蔵尊)。寛永十四年(1637)慈眼大師(天海)による草創と伝わる。
境内には寛保や安永の銘を刻む宝塔があり江戸時代には信仰を集めた。今も地蔵盆には賑やかの祀られている

前には 二基の祠

 さらに100m程先の左に

大崎神社 創立弘仁二年(811)元比叡辻村の存社

街道右に  祠の向こう隣には比叡辻町自治会館

 相変わらず素晴らしい街並みが続く

その先で左に入ると 供所神社
創立は弘仁二年。元亀の乱で焼失したが、天正に再興された後、慶長九年に社殿が大破し片桐貞隆が再建したと伝わる

下阪本6丁目で、ここからは比叡辻に入る。下阪本地区は「下阪本学区 まちづくり推進協議会」により、神社仏閣他史跡についてほとんど説明板を立てかけわかりやすく説明されていたので大変助かりました。これだけ郷土の史跡を保存していこうと思う皆様の気持ちには、歩いていても感動です。大変でしょうがこれからもよろしくお願いします。全国の街道を歩いていますがここまでは少ないです。ありがとうございました。

少し先で、右にカネカ滋賀工場があります左に石碑が立っています

【寄り道】左の道を入り161号線の比叡辻交差点を横断します

左に折れる道の左に  右に 道標 「右 経・・・・・・・・」

61号線を渡ったところ右にある 天台宗紫雲山聖衆来迎寺

延暦九年(790)伝教大師の開創。お寺の表門は旧坂本城の表門最澄が開いた、地蔵教院を後に長保三年(1001)恵心僧都源信がこの地で紫雲の中に弥陀の来迎を感得したことから阿弥陀如来を祀り寺号を紫雲山聖衆来迎寺と改めた名刹

開山堂 恵心僧都源信が祀られ、寛永十五・十六年(1658・39)に建てられた

客殿(重文)
江戸時代初期の代表的な客殿で創建は寛永十六年(1639)頃

境内には宇佐山城主であった 森 可成の墓 織田信長が信頼する武将

当寺には21もの国宝・重文がある名刹。比叡山焼き討ちの時、当寺が焼失を免れたのは、森蘭丸の父森可成(姉川の戦いで戦死)の墓があるためといわれている。

もとの街道に戻り、すぐ先で161号線の比叡辻2丁目東交差点で合流します

比叡辻14時35分で雨が降ってきたがもう少し頑張る。100m程先で大宮川に架かる新大宮橋を渡ります

その先暫く161号線を歩きます、やがて高橋川に架かる橋と苗鹿三丁目南交差点を渡ると左にセブンイレブンの前を過ぎていきます

次の信号苗鹿三丁目交差点の分岐で、左の旧道に入ります

分岐を左に入った右角に大きな 常夜灯

 真っ直ぐ150m程進みます

左に 邦波加荒魂神社の参道碑 が立っています

那波加荒魂神社(上社)平城天皇大同二年(807)に創建
両社とも延暦寺とも関係が深かったため、元亀二年(1571)の兵火により社殿等焼失、慶長十二年(1607)再建された

向かいの街道右には 那波加神社(下社) 天智天皇七年(668)に創建

右に 苗鹿の石標 が立っています

那波加荒魂神社のケヤキ

神社のすぐ先で大正寺川の橋を渡ると左に 常夜灯

苗鹿二丁目の苗鹿集落の街並み

暫く住宅地を進んでいくと右からの161号線に沿った左の旧道を平行して進みます。雄琴地区に入ります。100m程進んで、左に分かれて旧道を進む

大津おごと郵便局が右に立つ旧道を進む

200m程進んだ先左に 道標 大小二基 「日蓮上人 御旧蹟 横川定光院道 大津十二丁」

すぐ隣に左に 

左の奥に 普門院

雄琴2丁目の町並みを進む

右に入る細い道を少し入ると お堂

さらに街道を暫く進むと、左に 雄琴神社の石碑 が立っているので入ってみます

神社までの途中左に  浄土宗福領寺

その先突当りに  村社雄琴神社

 神社からの坂を下ります、正面に琵琶湖湖岸の雄琴温泉街が見えます

街道に戻り200m余り進むと

信号交差点に出ますので、本日はここで終了します。
2日目は真っ直ぐ街道を進みます。交差点を右に行くと雄琴の温泉街で左に行くと、JRおごと駅です。おごと駅へ移動してJR湖西線で帰ります。

1日目 西近江路 終了

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