2014年6月1日
室生口大野駅~名張~近鉄青山駅
大野駅6時30分スタート、熱い一日で熱中症に注意する必要がある。旧道が多く楽しい一日であった。今日はさすがに暑いので休憩がてら珍しく昼食を食べる。
大野駅 6時30分 スタート
青山駅 16時40分 着
49.706歩 29.82㎞
1回目の起点、近鉄大阪線室生口大野駅前

駅の東側の高架を潜り北側に出ます

潜って道なりに東方向へ

大木が聳えている

室生大野を進んでいきます



右にカーブする左高台に 神社 があります




早朝の気持ち良い樹林の中を進みます


やがて南北の新道の高架を潜ります、室生三本松地区に入ります

左に ・・・翁碑 字が読めないが、地区に貢献した人の碑だろう

高架下から150m程進むと道は分岐します、正面に相馬醤油の看板があり、右の道を進みます

右に 大神宮常夜灯 嘉永三年の銘

室生三本松の旧街道を彷彿できる集落に入ります

振り返ったところ

元旅籠「ますや」


ますやの西端に 二基の道標 があります、 道標「従是西萩原迄二里二丁」 「従是東名張迄三里十二丁」 明治五年の銘。もう一つの 道標は 「三本松村道路元標」

三本松は
三本松村の役場が置かれた元三の地区は、伊勢参りの盛んな時代には髭無と呼ばれ、初瀬に泊まった旅人が、翌日の昼食をとるところとして賑わった。また、大和高原の伊勢講の参宮者が帰る際、講の人々が出迎えて、祝宴など開く「道迎え」に場でもあった。鉄道の開通により旅籠も廃業宿場の機能が昭和に入り失われた。


素晴らしい街道風景、今もこのような古民家の街道が残っている。維持が大変と思いますが大切に保存していってほしいと思います。勝手なお願い

三本松の集落を抜けた先

暫く歩くと右に下る道があります、近鉄線の向こう側に 長瀬山琴引院 があります。街道は真っ直ぐ進みます

左に室生小学校があり、東角を左に曲がります。小学校が切れるところで右に折れます。そこから右手を見ると棚田が綺麗に田植えが終わったところです

左に 白鳥神社 その前で右にカーブします


右に折れて100m程先で街道は分岐します、右の真っ直ぐの道を進み、近鉄線の高架を潜ります。

高架を潜り道なりに左にカーブしてすぐ先で、頓光寺があります

融通念仏宗頓光寺

門前横の石垣の上に 大聖歓喜天尊安置 碑

振り返ったところ

右に 常夜灯と海毎神社道標

右の山裾に 海毎神社 が見えます

その先右に 碑 が立っているが読めない


その先70m程で道が分岐するが、左の真っ直ぐの坂を上り三本松駅方向に進む

坂の途中から振り返ると、ずうと高台を進んできたのがわかる。左国道沿いに宇陀路室生の道の駅があります

坂を上りきると左に、近鉄三本松駅があります

坂を下りながら緩やかに右にカーブします

坂を下り右にカーブするところで、右からの国道に合流します。合流するところを振り返ったところです

国道に合流しますが、歩道も信号もないので、車に注意しながら横断して、反対側正面の旧道に入ります

旧道は宇陀川沿いに進みます

長瀬の集落を進みます

集落内右民家の軒に 道標 「女人高野室生山」文政二年の銘 是より五十丁


街道情緒のある街並みで素晴らしい

長瀬の集落の東端で分岐しますが、旧道は左斜めに進みます

60m程で国道に合流します

国道に合流して進みますが、この先歩道もなく車が多いので、特に注意が必要です

近鉄の高架を潜りますがその手前右に 自然石の道標 「これよりみやがハへ十八里」 安永十年の銘

高架の先150m程で、左山手に 日蓮宗妙験山青葉寺

この奥に登っていけば、青葉の滝があるようですが寄りませんお寺と滝方向を見る


三重県に入ります
暫く右の宇陀川に沿って国道を進みます名張市阿部田に入ります

左に 牛飼地蔵(ムカイ地蔵) 天文5年(1740)の銘

暫く右の宇陀川に沿って進みます

左に 摩崖脩路碑(唐崖)
明治14年建立、背後の絶壁は現在擁壁されているが、かつて岩も張り出し非常に危険な場所であったという

碑の先、右に阿清水橋が架かり、橋を渡ると右に古民家風の三太夫という肉のレストランがあります。
この道を奥に進んでいくと、伊賀忍者の元締めの一人、百地三太夫の屋敷 があったという、滝口地区への道

橋のすぐ先で、国道を右に分かれ、左の旧道の坂を上ります

左に入った道から振り返った所

分岐した左に 石碑
慶応三年(1867)建立の 水神碑・鹿高渠水碑・孝女碑 が建っていたが見落としたようです
この辺り左に、川口屋という旅籠があった

集落の中ほど右、民家の庭のような中に 秋葉大神 神社の前の下り坂は 権現坂 と呼ばれている

権現坂を下り国道に合流する手前左に、比較的新しい お地蔵さん

国道に合流した右手に 鹿高智護神社跡(鹿高権現と呼ばれていた) 初瀬街道を通る人は皆、一礼したという

旧道に入った左に 庚申堂 元禄2年(1689)の銘 国道を横断した左角

静かな鹿高の集落を進みます

連子格子の旧家、この付近に 「あぶら屋」「はな屋」という旅籠があった

右に矢川橋が架かります橋からの宇陀川の 兵頭瀬(ひよどせ)川底が巨大な岩盤になっている

集落を振りかええる

左に 石碑 大峯山参拝記念碑・地蔵・供養碑・阿部田村義民碑



左に集落が並び、右に川が沿う景観

やがて左の鳥居の手前に 菅笠日記の碑

鹿高神社の鳥居
壬申の乱の戦いで大海人皇子が宇陀川が大雨で水かさが多く渡れなく困っていたところ、白鹿が現れ皇子を乗せて渡ったという伝説があり、乱が終わったのち、白鹿を祀る神社を建てたのが、鹿高神社で、地名の由来にもなっている

鳥居を潜り両側に灯篭が並ぶ参道を真っ直ぐ進むと、国道165号線を横断した先に神社があります

鹿高神社


神社の境内には 前方後円墳一基と円墳二基の古墳 があります。丘陵の 頂上部に神社


拝殿より参道を見る

神社の北側の国道沿いに 念佛寺

再び街道に戻り進みます、前方に見えるのが宇陀川に架かる高橋です

高橋を右に渡り進む道も、初瀬街道のようですが、とりあえず先に真っ直ぐ川を右に沿って進みます

少し橋を渡り見てみます【寄り道】高橋を渡った左袂に 水神碑 慶応三年(1867)の銘

すぐに道は五差路に出ます、正面真っ直ぐの道を進みます.阿部田地区です

五差路の右に 道標 「左 赤目滝」と刻まれている

五差路から150m程先の田畑の中の十字路に出ますので左に折れます。この道は後日歩くこととします


高橋に戻り、橋から上流の景色

街道沿いの大きな木

少し宇陀川に沿って進むと 沈橋 宇陀川に架かる猪尻橋があります。車は通れません

猪尻橋の北詰に 水神碑 享保二年(1802)の銘

沈橋を右に見て150m程進むと、左からの165号線の合流します

165号線を200m余り進みます

坂之下の信号交差点に出ます。街道は真っ直ぐの道、もしくは右に折れて坂之下橋を渡り進むルートがありますが、とりあえず右に折れるルートを進みます

交差点の北の角にある 地藏道標 「右 ならみち」交差点の左に折れる道は 笠間峠 を越える古道で奈良時代には奈良から名張への重要な道であった

東大寺二月堂お水取松明調達の道の木柱の碑 が建つ

笠間峠への道側から交差点、坂之下橋を見る、左電柱の袂の地蔵道標

笠間峠への道を数十m上った右に 自然石卵型の道標 「やくし道 是より二丁」 文久二年(1862)の銘

笠間峠への道の道標

交差点の南角に 五輪塔

坂之下橋から交差点を見る。正面二階立ての大きな建物は 天下錦地酒博物館 交差点正面は 笠間峠から奈良への古道

国道に沿って真っ直ぐ進む道は初瀬街道の一つのルート、先で合流するがとりあえず右に進む。高橋を渡った道と、坂之下橋で渡った道はこの先で合流する

宇陀川に架かる坂之下橋を渡ります

坂之下橋からの宇陀川

坂之下橋を渡り真っ直ぐ南東に、田の中の道を進みます

暫く歩いたところで左からの滝川の堤に出ますので、そこを道なりに滝川に沿って少し進みます

坂之下橋から500m程で十字路に出ます。右からは前述の高橋からの道がここで合流します

十字路に赤目四十八滝の案内板がたっています。川に沿って真っ直ぐ進む道です


街道は十字路を左に折れます、滝川に架かる丈六橋を渡ります。赤目町丈六地区に入ります

丈六橋より右(南)の景色で、赤目の方向です

橋より北側の景色

橋から西方向を見る(後)

丈六橋を渡った東詰に 水神碑や石碑

水神碑
安政六年(1858)九月二日滝川の堤防が決壊し丈六地区内を濁流が飲み込んだ。この水神碑は堤防の復旧工事が完成した記念と今後二度と起こらぬよう祈りを込めて作られた。
たき水の いくたび川を あらうとも
こわしとせじな 水神の神
毎年七月の夜「祇園さん」と呼ばれる珍しいお祀りが行われている。

水神碑の近くに 川原石の道標 「右 はせミチ是より五里、 南無阿弥陀仏 左 「ふどうくちみち」明和六年(1769)の銘

赤目町丈六に入ります

静かな落ち着いた町並

丈六の街並みも結構雰囲気が良いです、写りが悪いが集落内右の八幡神社入り口参道に 常夜灯二基

参道を少し右に入っていくと、丈六地区の氏神として古くから祀られている 八幡神社 観応元年(1350)に鎮座したと伝わる


街道に戻り集落の街並みを進みます

滝川郵便局を過ぎる

少し先左に 真言宗東寺派丈六寺
室生四門の一つで北門の霊地と伝わる。
本尊は釈迦如来、大宝二年(702)創建と伝わる。寺域も塔頭十二坊を要する大きな寺であったが、天正伊賀の乱(1581)により全て焼失した。現本堂は寛政四年(1792)の建立。境内に鎌倉時代の作、石造り五輪塔がある
北門から室生寺への道だけわからなかった、後の三門の旧道は歩けました。


丈六寺の入り口近くに 道標 「右 一ノ井大師道 十三丁」

境内の 石造五輪塔 良弁僧正の供養塔と伝わる、1289年と刻まれており鎌倉時代の作

傍に 福地延命緑結地蔵

丈六寺の前の街道を振り返る

100m余り先で右からの道が合流せてくる右に

道標 「右 はせ むろふ道 左 あめがたき従是五十丁」 天保十四年の銘

正面の大きな木の所で、やくよけ阿弥陀如来 現在は廃寺(阿弥陀寺)での入り口



廃寺 阿弥陀寺

すぐ先に赤目町丈六信号交差点を横断します。右は赤目口駅から赤目の滝への新道

左に行くと国道165号線に出ます

横断した先の道

静かで落ち着いた長屋集落に入ります。和紙作りが大正時代ごろまで盛んにおこなわれていた

集落内の右奥に入ると相楽神社と大日堂が並んでいます

その前面に 石碑 が沢山並んでいます

相楽神社

大日堂

集落左側には 浄土真宗本願寺派光明寺 本尊 阿弥陀如来


少し先で新川橋を渡り進みます

赤目町相楽の街道右に素麺の森井食品の工場、赤目中学校を過ぎていきます

赤目中学校の先で、左に宇陀川が沿い錦滝橋を左に見ます

その先100m程で支流も釜石川に架かる新橋を渡ります

右にお菓子司さわ田があります

やがて道は分岐します、宇陀川に沿って進む左の真っ直ぐの道が初瀬街道本道で、500m程進むと宇陀川に架かる左の黒田橋に出ます、前述の坂之下橋で分岐した道が合流してきます。どちらも先で合流しますが、
分岐を右の旧道を先に進みます。

左の道が初瀬街道の本道です150m程先に真っ直ぐ進み見てみます(本道寄り道)
真っ直ぐな道の先に165号線の箕曲中村の交差点が見えます

国道まで進み振り返ったところで右が宇陀川

元の分岐に戻り右の道を進みます、分岐を右に折れる左角に 藤光大神社

右の道を進み緩やかに左にカーブしながら進みます


暫く進むと国道165号線の瀬古口交差点に交差して横断して右斜めの旧道に入ります

瀬古口交差点から瀬古口の集落の狭い道を進みます


瀬古口交差点から400m程進むと、名張川の堤に出ます。その手前右に 稲荷神社


境内の 庚申塔や灯籠 神宮宮城遥拝所碑

神社の南側には 西福寺

名張川に架かる鍛冶町橋を渡ります

鍛冶町橋から左(西)の名張川の景色

川沿いに建つ民家、今は殆んど建て替えられています

橋を渡ると堤防の十字路の次の十字路を左に折れて、名張市街地に入ります。名張はかつて藤堂藩の支藩の陣屋がありその城下町です。まだかつての旧道の雰囲気や旧家の残る街並みがあります。私はかつて2年弱の銀行支店勤務は名張でしたので懐かしい町です

十字路を左に折れて少し進んだところから振り返る。
左に文人ゆかりの館 老舗料理旅館清風亭
名張支店勤務時代は親しくしていただき、何度か美味しい名物の鰻料理を食べました。懐かしいです


すぐ先左に 蛭子神社


鍛冶町筋を進んでいくとやがてT字路に突き当たります。左右の道が初瀬街道の本道です。突当りを右に折れます

この辻で初瀬街道の本道の街道に戻ります。前述の国道165号線の箕曲中村交差点まで
藤光大神社の分岐点から左の宇陀川に沿って、国道165号線の箕曲中村交差点を横断して400m弱進んできたところで、左の黒田橋のある交差点に出ます。その交差点より南を見たところです。遠方に箕曲交差点が見えます

少し交差点を越えたところでもう一度交差点を振り返りました。この交差点へ前方から来たら、大きな木の手前を向かって右に黒田橋を渡り坂之下橋からの道が合流します。(後日歩きます)

左の宇陀川に架かる黒田橋を見る

橋の袂の大きな木の傍に 道標 「右 はせ なら道 左 あめがたき是より六十丁」
天保十五年(1844)の銘

隣にも 川原石の道標と供養碑 「右 はせ 大峯山山上三十三度供養 左あめが滝」

黒田橋を左に見て交差点を横断すると、名張川に架かる新町橋を渡ります。新町橋の左(西)側、黒田橋の北側で名張川と宇陀川が合流して名張川が一本になっています

黒田大橋から名張川の北側、川沿いの初瀬街道沿いの民家。また先に鍛冶町橋が見えます

新町橋から左(西)側の名張川と名張大橋の景色。新町橋を渡り堤防沿いを左に150mほど進みます

資料によると、150m程先でかつては名張川を黒田橋の西詰近くで 渡河 していたようです。
今歩いてきた旧道はどこで名張川を渡っていたのかよくわかりません
向かって左が新町橋、右が黒田橋を見る新町橋に橋が架かっていて、黒田橋がなく渡しであったかも

渡し跡 は何も表示はありません、少し戻ると堤防から右に下りる道がありその左に
愛宕神社

本殿は建て替え中のようです、旧新町橋袂北から移設された、境内入り口に 常夜灯 文化二年(1805)の銘、同じく移設されたもの

境内にある 水神碑 黒田橋詰めにあったのを移設された

神社の鳥居の前の道を右に折れて、50m程進むと交差点に出ます。初瀬街道は真っ直ぐ進みます
右角に 旭金時地酒・地ビール館 があったようですが空き地になっています。この通りは新町通り

交差点の右が、新町橋からの道です。多分、新町橋を渡り真っ直ぐ進んできてこの交差点に出てきたと思います。
また黒田橋の西詰から名張川を渡しで渡り、堤防沿いに新町橋の北詰に出て合流して、この交差点に出ていたと想像します(前述の愛宕神社や水神、常夜灯は移設されたから)

初瀬街道の案内標識は新町橋を向いています

少し進んで交差点を振り返ったところ

その先で新町通りの街並みを振り返る

街道風情の残る街並みの右に 旧細川邸やなせ宿
江戸時代末から明治初年に、薬商細川家(宇陀市大宇陀)の支店として建てられた。細川家は藤沢薬品の創始者、藤沢友吉の母方の実家。典型的な町屋の風情の残す建物です

左に 江戸川乱歩先生誕生地碑
ここを少し奥に入っていくとあった、後日歩いたとき分かりました


街筋を進むとやがてT字路となり左に折れます。右に折れたところからの写真

左に折れた街筋は本町通りです

左に折れた左手に 旧家の酒屋 前述の鍛冶町橋からの道がここで合流します
この建物に向かって右橋の路地に入るところにも 江戸川乱歩生誕の地の石標 があります

合流する少し手前左に 浄土宗栄林寺 境内に 薬師堂・観音堂・道標二基

本堂

薬師堂

観音堂と松の袂に 道標 「東海道 槌屋清兵衛」と刻まれている

境内宝筐院塔の傍にある 道標 「右 はせみち」 文化元年(1804)の銘、札ノ辻から移設


本町通りを進むと左に 酒屋「木屋正」 の旧家の建物

すぐ先右に 栗羊羹博物館 「大和屋」 旧家の建物があります。

大和屋の正面の道を左に入り【寄り道】を少しします。
融通念仏宗宗泰寺

日蓮宗妙典寺


真宗大谷派専稱寺 寛永二年(1749)銘の梵鐘

梁瀬稲荷神社

もとの大和屋の前の街道に戻ります
大和屋から街道を100m余り進むと十字路に出ます。
街道は十字路を左に折れます。左角には老舗の呉服屋「辻の丁子屋」があります。かつてここに道標があったそうです.
この通りは中町通りです

ここでまた街道より外れて【寄り道】をします
十字路を曲がらず真っ直ぐ少し進み、城下川に架かる大手橋を渡り交差点に出ます

交差点に出て左の筋を見たところです

新しい 道標 が立っています


十字路の右角は総合福祉センターがあり、その前の柳の木の袂に 道標 「ひだり いせミチ 右 はせ 多武峯 山上高野 みち」と刻まれた、文政十年(1827)の銘

道標を右に交差点真っ直ぐの坂道を上ります
坂を上っていくと左に 壽栄神社
名張藤堂家伝来の具足 が保存されている。
備前長船則光の戦国時代の刀剣 も家来の寄進により保存されている

神社の北側に 名張藤堂家旧邸跡 旧正面の太鼓門

邸内からの太鼓門

正面玄関




現在の正面入り口

名張藤堂家は、藤堂高虎の養子高吉が初代。高吉は織田信長の重臣丹羽長秀の三男として生まれ信長亡き後、羽柴秀吉が養子とした、その後、羽柴秀長の家来で藤堂高虎の養子となり、名を高吉と改めた。
関ケ原の戦いでは高虎、高吉とも徳川家康に味方して戦功をあげ。高虎は今治城主として20万石の大名となったが、その後高虎は伊勢の国へ替地となるも、高吉は2万石を領し27年間今治で過ごしている。その間、大阪の陣も起こっている。高虎死後、高次が二代藩主となったため、今治より名張へ替地となり5千石で藤堂家の家臣となった。
名張に城下町を形成し、名張の街の発展に寄与した。名張にて92歳の生涯を終える。子供三名に各5千石が与えられ一万五千石として明治維新まで続いた。
現在残される屋敷は一部であるが、当時の上級武家屋敷の遺構として貴重であります。
元の街道、辻の丁子屋の交差点に戻ります

丁子屋の角を北西の中町通りを進みます

150m程進むと大きな一の鳥居のある交差点に出ます。安永7年(1778)に建てられた
字流冨志禰神社の一の鳥居。おかげ参りの盛んな時には名物の焼餅やお茶などを鳥居の袂で接待していたという

鳥居の袂の 祠

鳥居の横に 街道名残松 が一本街道風情を漂わせている

鳥居の交差点で右に折れ街並みを進みます

右に折れて街道を進みます、松崎町へ入りすぐ先で、右に折れて緩やかな坂と街並みがあります、藤堂邸方向への道です

松崎町の街並み
この付近にかつて 名張宿の 脇本陣小竹屋 があった

右の近鉄名張駅からの道路と交差します

左の建物の一角に 秋葉愛宕神社 珍しい神社の形


神社の先の街並み

上八町に入ります 梅田家、山口家の旧家 の住宅があります

東町に入ります、広い道路を横断します

交差点から150m程先で、左からの57号線が合流して右に折れます

両宮八幡宮

57号線をすこし進みます

左、名張川に接近してすぐ先の分岐を右斜めの道に入ります

右の旧道を真っ直ぐ200m余り進みます

左に茶色のエリートハイツ伊賀があります。ここで左への道と真っ直ぐの道が分岐します。
左が 新田回りコース、真っ直ぐの道が 南回りコース で分かれますが、先で合流します。
とりあえず南回りコースを行きます。後日、新田回りコースを行きます

左に曲がる新田回りコースの道を見る

真っ直ぐの南回りコースの道を進む。右にイトキングループアイ・エヌ・エス名張センターの白い大きな建物の北側を進みます

北側を見ると風景がガラリと変わり田畑が広がります。新田回りコースはこの田畑中を進んでいきます


蔵持町里の町並み左に 常夜灯 右に近鉄線が接近してきます

近鉄大阪線の高架を潜ります

高架を潜ったすぐ先で道は分岐しますので左の道を進みます。右には、マックスバリュ、ヤマダ電機など大手量販店が並ぶ裏側の道

蔵持町原出に入ります

右の網の囲いの中に 常夜灯 明治29年の銘

信号交差点を横断します、右角にサークルK

信号の先で小さな川の橋を渡ります

やがて田園の中の道を真っ直ぐ進んでいきます

シャックリ川の川北橋を渡ります

すぐ先で368号線の信号交差点を横断します

少し先左に 延命地藏 安政五年(1858)のもの

正面にホテル-トインが見えます

国道165号線に出ますが、その先国道で遮られており、横断歩道も信号もないので、車に注意して向こう側に出ます

国道を横断して、かつての旧道はルートインの南の川沿いに進み、150m程先で左に折れていたようですが、今は川沿いの道が少し残っているだけで、桔梗が丘五番町辺りに抜けていましたは、旧道は桔梗が丘住宅の開発により完全に消失しています。
止む無くルートインの前の165号線を進みます

桔梗が丘1信号交差点です。165号線を真っ直ぐ進みます。旧道はこの信号の右(東)100m程の所を南北に通っていたようですが、今は区画住宅地で新しい住宅が建ち並んでいます

交差点右の道筋です

桔梗が丘2丁目交差点を越える

歩道橋からの国道


左に焼き肉レストラン金剛がある

左にマックスバリュがあります
この辺り手前右に前述の消失した旧道が出てきて、国道を斜めに横断して、マックスバリュの前で弓なりに曲り、前方の桔梗が丘3丁目交差点に出ていたようです。とにかく桔梗が丘は開発により旧道は殆んどなくなっている

その先の桔梗が丘3丁目交差点を右に折れます

右に折れて数十m左にフラワーラッドがあります、その角を左に折れます

正面フラワーラッドで、右の道を下ります。右角は小さな公園です

すぐ先で左の地道を進みます


道なりに進んでいきます、左に 祠 が有ります



左に 岩ごさん
岩ばかりの山、石を持ち帰ったところの家人が病気になったという伝えがある

田畑が広がる気持ち良い道となった

道はT字路となって、かつての真っ直ぐの旧道は消失していますので、右に迂回します。フラワーラッドからこのT字路まで500m程です
角に 地蔵


旧道が消失しているので、数十m右側に折れて左の十字路を真っ直ぐ進みます

旧道は左、数十mを平行して進んでいたが、途中で左にカーブして、165号線に交差した先で右に折れていた(この旧道も消失)

迂回道は小波田川に突当り堤防に沿って左にカーブ、100m程進んだ先で、右の小波田川に架かる橋を渡り、川の対岸の堤防道を進みます

150m程堤道を進むと、165号線の小波田交差点を横断します

途中左堤沿いに記念碑が建っています

少し先右奥に、南観阿弥ふるさと公園があります。
福田神社跡で観阿弥創座之地記念碑や能舞台 があります


美旗古墳群と周辺の歴史
古墳群のある小波田川右岸の台地は、ミノ原または小波田野と呼ばれた原野であった。この地に県下最大の馬塚古墳他4基の前方後円墳っと方墳が築かれた。北から、殿塚・女良塚・毘沙門塚・馬塚・貴人塚があり原型を残している。
室町時代には、能の大成者観阿弥が小波田で創座じた、児童公園になっている滝川氏の城は、天正伊賀の乱で築かれた城で空堀が残る。江戸時代前期、青山町出合から用水路がひかれ新田が開発された。新田村は初瀬表街道の宿駅として賑わった。
福田神社跡碑

観阿弥創座之地記念碑

能舞台


公園の先で国道を横断します

小波田交差点から100m余りで左の橋を渡ってくる国道と並行してきた旧道が合流して、川から離れ右斜めの旧道を進みます

左 橋を渡ってくる旧道を見る

分岐する右の旧道を進みます。50m余り先で右にカーブして東に進みます

左(北)400mあたりに 桜町中将城跡や滝川氏城跡 があります


旧道は分岐するが左の道を進む

素晴らしい疲れを感じない道です


右に姥ヶ芝池の北沿いを進む

真っ直ぐ道なりに進みます

続いて右に新田池、池の途中で左に折れます

暫く道なりに進むと上野市に入ります


さらに右に馬場池、左に伊賀GC

馬場池が切れたところで、正面は伊賀GC、右にカーブします

右に折れて、左にゴルフ場、右に馬場池の間の道を進みます


左ゴルフ場

林の中の街道を進みます


左に大きくカーブする道沿い左に青山町の表示

気持ち良い道を進みます、全く車も人も会いません

林をん抜けるとやっと民家が見えてきました

青山羽根地区で右下に国道165号線が見えます

三谷川に架かる三谷橋を渡ります

三谷橋から80m程で右からの国道に合流します

暫く国道を歩きます

やがて前深瀬川に出ますが、旧道は右に緩い坂を下ります。国道左角に、名賀繊維工業があり、その北側に国道に合流してくる道があります。この道が、名張で分岐した新田回りコースで、ここで合流することになります

左、新田回りの旧道です。左この先 七見峠越え となり急な坂道が続くようです、十七曲りという呼び名を持っていた。現在はゴルフ場の敷地となり、街道は残っていない。
ゴルフ場で良い街道を失ってしまった

元の国道に戻り、右側を下ります。すぐに行きどまりとなり右に折れます。その左角に 八町坂改修功碑が建つ

右に折れて、左に前深瀬川に沿って進みます

少し先左に 常夜灯と水神

初瀬街道の新しい標識

よくわからないがこのような看板が立っていることは、峠まで行けるようで、向こう側へはいけないということか
常夜灯と水神の傍から真っすぐ畦道が、前述の七見峠に伸びているようで、これが案内看板の表示だろう。確認したいが本日無理です。
ここが新田・南回りの合流点かも

畦道を少し入って振り返ったところ。未練を残しながら元に戻り先を進む

常夜灯の所より200m程進むと十字路があります。

照皇宮神明社の看板と常夜灯 が、この奥に入るとあるのかも、

十字路を左に折れて前深瀬川に架かる羽根橋を渡ります。橋からの左右の景色


橋を渡って右に道なりに大きくカーブしながら進みます

集落を進んだ左に 真言宗安楽寺 境内に 石造仏と十三重の塔 があります

分岐を右に曲がります

右にカーブするところに 常夜灯・地藏群

その先100m程左にも 常夜灯


その先100m程の左にも 庚申碑
羽根の集落入り口にある 青面金剛像 等々


青山羽根集落を出ます
庚申塔より左にカーブ100m余り進んで広い道路の交差点に出ます。その右角道路わきに 石碑

交差点を横断します

阿保地区に入ります

交差点から300m程進むと左T字路に出ます

T字路左に 道標 「一光三尊如来道 是与南三十丁 兼好法師塚江 四十六丁」
大きな 常夜灯 安政七年(1860)の銘、西町のはずれ 八知街道が分岐 するところに建つ
常夜灯の横に 延命地蔵尊

初瀬街道 阿保宿 の入り口にあたり
阿呆宿は、上野街道と八知街道が分岐する交通の要衝で。上野、名張とともに藤堂藩から伊賀の地で3か所だけゆるされた、商業の街として栄えた。
この常夜灯は、村の安全を祈りお伊勢参りの道しるべとして建てられた。


延命地蔵の隣 石碑

T字路を街道は真っ直ぐ進むが、(寄り道)右に少し入って行った左に、阿保頓宮跡の案内板 が立っている

上に登っていくと 祠

上は広くなっていて 阿保頓宮跡碑 が建つ

道路に出て右に入ると

垂仁天皇皇子 息速別命の墓(阿保親王墓)平城天皇の第一皇子で藤原の行平、業平の父


もとのT字路の街道に戻り、阿保宿の集落を進みます

少し先左奥に 慈福寺

阿保西町交差点を越えます

阿保宿の静かな佇まいの街道

宿内で左に入っていくと 恵比須神社

神社の西側に 浄土宗金性寺

街道に戻り、宿の町並みを進みます

旧家の家並みが続きます

左に 浄土宗安養寺

その先十字路の右角に白い新しい建物の 青山地酒博物館若えびす吟醸館 があります
この十字路を越えてさらに100m弱進むと、十字路がありますそこを左に折れます

十字路を左に折れる前に右の道に【寄り道】をします
右に 縣社大村神社の参道入り口の石碑

神社の参道を進みます

大村神社


入母屋づくり、檜皮葺きの 宝殿(重要文化財)。境内には日本三大奇鐘のひとつ「虫くい鐘」や、地震除けの守り神といわれる「要石」があります。

宝殿

大きな森の博物館

参道途中の 祠


十字路手前の街筋で非常に宿場風景のある景色です

十字路の左角に、老舗の旅籠たわらや清右衛門 がありましたが今は空き地になり、下の案内板が立てられています。300年前から昭和中頃まで旅籠を営業していました。


十字路をすこし真っ直ぐ進んだところ青山郵便局前から振り返り宿場を見る

十字路に戻り、左に折れた街筋

左に折れ少し進んで右の道を見たところで、右角にも大きな建物の旧家が残っています

十字路から150m程先で、木津川に架かる阿保橋があります。宿場はここで終わりです

橋の手前右の堤防上の 菅笠日記抄の碑 本居宣長がここを通った記念碑


橋の手前から宿入り口を振り返る

木津川に架かる阿保橋を渡ります

橋から右の景色を見る、青山方面

橋から左の景色

橋を渡ると青山町駅前の国道165号線の交差点に出ますので、街道は右に国道を重複して進みます

右に折れたすぐ左に 道標 「左 うゑの 右 いせ道」


近鉄青山駅を背に交差点を振り返る。街道は向かって左に国道を進む

正面に近鉄青山駅が見えます、本日はここで終了して帰宅の途につきます。ここから自宅までは時間がかかります

初瀬街道 2日目終わり


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