2025年10月13日
加治木町史跡~船で垂水へ、心翁寺跡の垂水島津家墓所、垂水城跡、垂水麓(麓)
午前中は鹿児島中央駅近くの加治木町の史跡回りを歩く。
午後鹿児島中央駅前からバスで鴨池港へ、そこから船で垂水港へ港から歩いて心翁寺跡の垂水島津家墓所、垂水城跡、垂水麓(ふもと)の史跡を回る。今夜は港より少し離れていたがAZホテル宿泊。今日は1日よく歩いた
鹿児島中央駅西口より九州新幹線の南側に沿って歩いて7分、武2丁目 西郷公園へ。西郷は明治6年(1873)から西南の役までの4年すごした、敷地は広いが質素な建物だったようです

西郷隆盛と菅実秀の交わりの像
公園内の 西郷と菅実秀(山形県庄内藩の元家老)両翁の「徳の交わり」を記念して造られた

菅実秀(すがさねひで)
幕末明治の武士 戊辰戦争で西郷に恩義を感じて、その後親しく交わる。文政13年(1830)~明治36年(1903)73歳没。墓は鶴岡市の井岡寺


公園内に唯一残る 南洲翁使用の井戸


西郷屋敷跡の碑




西郷南洲翁宅地跡と公園




鹿児島中央駅前に戻り中央駅より東の甲突川を渡る。沢山の偉人が出ている地区

甲突川に架かる高見橋の手前左に 海軍大将大勲位伯爵樺山資紀邸跡碑(かばやますけなり)
天保8年(1837)~大正11年(1922)85歳没海軍大将、陸軍少将、警視総監、海軍大臣、台湾総督、内務大臣、文部大臣歴任



甲突川に架かる高見橋

橋の手摺に沿った彫刻


橋を渡った左に立つ 大久保利通の像

川を左に次の橋は西田橋 旧五大石橋の西田橋
西田橋は参勤交代の道として重要な橋であったまた 西田橋御門 が建てられていた


近くに8,6豪雨災害の碑が建つ橋は西田橋


西田橋から更に一つ北の平田橋へ

橋を北東に行くと平田公園があります

薩摩義士平田靱負(ゆきえ)屋敷跡碑 平田公園内の一角に 平田靱負の銅像



美濃、伊勢、尾張300ヶ村の救世主

幕命により薩摩藩に、宝暦の木曽川治水工事(1753~55)を命じた。総奉行として指揮し、難行の末、完成したが、そのため多くの犠牲者を出したこと、また工事費が莫大でかさんだことの責任をとって自刃。屋敷跡に公園が建てられた



平田公園

公園の近くに 調所広郷邸跡碑
調所は茶坊主出身であったが、島津重豪に認められ、才能を発揮、貧窮していた藩財政を立て直した功労者であったが、幕府から密貿易の嫌疑をかけられ、江戸で自害した。
嘉永元年(1849)73歳没 墓所福昌寺



南東へ西田橋から東への筋 戦国馬場通りの南東、天神馬場通りの筋 示現流兵法所


少し西に日本近代絵画の牽引者 黒田清輝誕生地




加冶屋町に戻ります

加冶屋町は倒幕も明治維新もここから始まったともいわれるほど、この一帯から輩出した維新の功労者、明治の偉人が綺羅星の如く多い。加治屋町一帯は決して広くないが、どうしてこの町から生まれたのだろう。「維新ふるさと館」が建設され、史跡が整備されている。時間がないので全てといかないが午前中回りました。

山本権兵衛、山本英輔誕生地



近くに 池上四郎誕生地 を見逃しました。
加治屋町16番 薩摩藩の侍医の子として生まれるが、西郷の薫陶を受け勤王の志を持つ。西郷の下野の後を追って職を辞し鹿児島へ、西南の役では薩摩軍の五番大隊長として10個小隊約2000名を率いる。城山で西郷の最後を見届けた後、桐野、村田らと岩崎谷の戦で自刃 享年36歳 薩摩軍はとにかく若い人が多い
東郷平八郎誕生地



この地区の偉人の人たちの誕生地一部のマップ

黒木為楨(くろきためもと)誕生地
軍人陸軍大将 大正12年(1923)78歳没



交叉点から今見てきた誕生地全景

村田新八誕生地
加治屋町10
西郷隆盛を敬慕、西南の役城山で戦死、優秀な人財で政府軍からも惜しまれた。
息子岩隈も明治5年西郷菊次郎とアメリカ留学、明治10年植木の戦いで戦死18歳




井上良馨(いのうえよしか)誕生地



篠原国幹誕生地
西郷に慕われた軍人、西南の役戦死40歳没 一番大隊長で西郷の右腕



甲突川堤防沿い近くに 西郷隆盛誕生地


同じ敷地に 西郷従道誕生地 隆盛の弟 政治家、軍人大将 明治35年(1902)59歳


西郷隆盛誕生地、大久保利通 生い立ちの地記念碑









西郷隆盛誕生の地碑

甲突川に架かる高麗橋

名前の刻まれた共建碑

大久保利通生い立ちの地、牧野伸顕誕生の地
牧野伸顕 大久保利通の次男 政治家昭和24年(1449)80歳没






維新の偉人を生んだまち、隣に建つ 維新ふるさと館。幕末から維新へを分かりやすく勉強ができる

ふるさと館の前の甲突川の堤防道

伊地知正治誕生地碑
西郷隆盛や従道が慕った薩摩武士。西南戦争後鹿児島に帰る。明治19年(1886)没58歳


大山巌元帥誕生地碑
軍人、政治家 いとこに西郷隆盛、従道 大正5年(1916)74歳没



吉井友実誕生地碑
西郷や大久保と親しく、明治の官僚明治天皇に仕え宮内次官明治24年(1891)64歳没



甲突川沿いや偉人たちの加治屋町は歴史ロードとして整備されています



高麗橋

高麗橋を渡り右手に 大久保利通誕生地碑



一般的な下加治町の武士の暮らし家




維新ふるさと館を見学
昌平丸の模型


天璋院




村田新八

篠原国幹

小松帯刀

西郷の弟 従道

維新ふるさと館の全景

加治屋町の見学、まだ残って後ろ髪惹かれるが、次の予定があるので切り上げます
鹿児島中央駅前13時43分発のバスで鴨池フェリーターミナル行に乗り~鴨池港発14時35分~垂水港15時15分着で移動
フェリーからの 桜島が綺麗

フェリー内 約40分の乗船



垂水港フェリー乗り場

垂水は 島津氏一門家の垂水島津家は、宗家は別格として、越前(重富)家、加治木家、今和泉家、垂水家、四家が家臣団最上位で、いずれも1万石以上領していた。
垂水島津家は、忠良の次男、宗家貴久を兄とする忠将を祖とする家柄で明治維新まで続きます。
初代忠将は永禄4年(1561)41歳で戦死。父や兄を助け各地の戦役に出た勇猛な武将であったようです。
鴨池港から暫く東南に1.5㎞ほど歩きます

途中に 林之城跡



現在垂水小学校 垂水島津家の屋敷跡

鹿児島の「麓」の説明

島津家の鹿児島県内の 麓

お長屋
下級武士の詰所であったと言われている石垣も残り往時のまま残っている


垂水麓は、現在の垂水小学校の林之城跡を中心に整然と区画されています。町に組み込まれていますが、石垣がその跡を物語っています
武家屋敷の道筋

武家屋敷跡

美しい城下町、薩摩藩には鶴丸城を中心に 藩内に103外城 があり、麓(ふもと)と呼ばれていた。武家の屋敷には門があり生垣にはゆすなどで囲まれていた。今もその様相がよくわかります。
藩政時代にも江戸から遠く藩内の防備の意味もあったのだろう

武家屋敷門

真直ぐ進んでいくと、左奥に垂水島津家の墓所があります
成就院跡の標柱と石碑垂水島津家祈願所真言宗成就院跡

すぐの所で左に入っていくとあります
垂水島津家墓所:曹洞宗心翁寺跡

六面地蔵塔

垂水島津家のの歴史的背景と墓石の特徴








それぞれ一基ごとに名前が表示されてよくわかります。また 室の方 や、殉死者の墓 も並びます



背後の斜面が崩れたようです




墓所を後に麓を戻り220号線に出ます


垂水の地名発祥の地 垂水城跡 はこの220号線を北に進んで河崎川をわたり、元垂水地区の北東の山の上に山城があった。ホテルと反対方向なのでチョット寄ることができないが、城跡の西側に綺麗な水が湧くところがあったそうで「殿様水」と呼ばれた。垂水城は林之城が出来るまでの城です
元に戻ってきました、右に垂水港フェリー乗り場を見て南へ

今夜の宿泊は、反対の南に木城川に架かる垂水大橋を渡り暫く南に行ったところのホテルAZ垂水店。
何故垂水で泊まったかというと、大隅町小根占村(こねじめむら)で 西郷隆盛が猟の時に時折宿泊したという建物で、西南戦争の発端を聞いた場所。直筆の掛け軸や愛用の火鉢、急須、風呂、手水鉢 などが残り、屋敷内に「南洲翁宿泊の碑」が建てられている。ここに行く予定でした
また大隅半島の 鹿屋特別航空基地跡や記念館、そして鹿屋城跡、麓 に行きたかったのと。
でも時間的に交通の便が悪くもあり諦めた。今思ったらここでレンタカーを借りてもう1日延長すればよかった。
悔いが残ります。


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