2024年3月3日
八代宿~赤松太郎峠~佐敷太郎峠~肥後田浦
いよいよ薩摩街道の難所である、三太郎峠に挑戦します
八代宿の史跡は後日見学します。ホテル7時出発
セレクトロイヤルホテル7時出発、幸い曇り空だが天候に恵まれている

テル横の 春日神社 に今日も一日無事であるよう祈ってスタート

ホテル正面を少し南に、昨日の起点本町のアーケード商店街の街道をスタート
街道左(南側)に 日蓮宗泉福山 本成寺
慶長13年(1608)に加藤清正が二男忠正(9歳没)の菩提を弔うため建てられたお寺。
高麗門 八代城より細川忠興が寄進


高麗門横の多くの石碑 傍に、代衛校発祥の地の標柱

標柱に並んで、一石一字三禮塔

山門

本町二丁目のアーケード商店街の街道

県道42号線の一筋手前本町三丁目の十字路を左に折れるが、右の筋は八代城跡への街筋

左(南)に200m程進むと前川に突き当たる

前川に突き当たる 徳渕の津 で右にカーブしている。この辻が、札ノ辻 宿場もこの辺りで終わる

右にカーブする辻から今来た道を振り返る

右に折れたところに、大きな 河童 仁徳天皇の時代に九千匹の河童が中国より泳いで渡ってきた上陸地の伝承

隣に、よく読めないが 石碑 「・・・・地」

同じ場所に、 十一里木跡の標柱

徳淵の津で河童渡来之石碑

徳淵の津
古代から近世にかけての港として発展し、大陸貿易の拠点となっていた。加藤・細川・松井氏の港として発展し、船の泊所や荷揚げ場、番所がありました、今では、大理石でできた石段や堤防裏の石垣が残るのみ。





橋が並行して前川に二本架かっている。手前の橋が前川橋で、その向こうに側に新前川橋が架かっています。
渡し跡 は、前川橋の近くです
前川橋を渡ります


右は新前川橋

前川橋を渡って堤防を左に折れる。左対岸は八代城下

対岸の大きな工場の日本製紙八代工場を望む

橋の袂の堤防を左に折れ、数十m先で右に折れる。(迎町)前川を背にした旧道

右に折れる左角に 恵比寿の祠

すぐ先で、先ほどの前川橋の延長の道路と合流します。そして真直ぐ南に千反町を通る

前川橋から600m程、千反町を進むみ栴檀町でまたもや球磨川の堤防に突き当たる
かつてはここから対岸に渡河していた

突き当りの堤防から、今来た旧道を振り返る旧道らしい雰囲気

右の県道42号線を球磨川に架かる植柳(うやなぎ)橋を渡る

橋から見た球磨川

植柳橋の歩道は非常に幅が広く車も走れるぐらいでゆっくり歩けて良い

橋を渡って街道は堤防沿いを左にいくが、(寄り道)で堤防沿いを右に行く、目的の 球磨仮屋跡:人吉の相良藩の参勤交代時球磨仮屋で一泊した跡を捜したが結果わからなかった。真っ赤な鳥居と神殿の天龍海神宮・天之御中主神 があった

植柳橋に戻り堤防を左に折れた。この辺りで球磨川を渡河していたのだろう

球磨川を背に右に下りて進む

左に少し入ると植柳小学校があり、その西北の隣接したところに公園がある。 裁柳園 細川古流の茶庭・書院庭で9代八代城代松井章之が造園。西南の役では薩摩軍の本陣 となった

裁柳園の跡の一部か公園のような広場になっています

前述の球磨川の堤防から南に下り、一筋左にある、公園・植柳小学校をみて街道を進むと、
スッタン橋 と呼ばれる橋があり、惨殺された人の血が小川に落ちる音が橋の名前になったという

学校の一筋西の街道を少し右斜めに道なりに進むと、右後方から、植柳橋からの延長の道と合流する交差点に出ます
交差点を左に折れる

大福寺町に入り、左に郵便局を見て東に進みます

500m程歩いた先、右に八代工業高校の西端の国道3号の高下西町信号交差点を右に折れます

右に折れた国道3号の道、門司まで231㎞の表示。ただ坦々と真直ぐな国道を1㎞ほど続く


短大高専前バス停前を過ぎ、小さな川を渡る

バス停の少し先で国道を右に分け左に入る分岐があり、左斜めに入ります

その先で左からの車道が合流します。この道は昨日八代城下を避けて分岐した 萩原道 です。
自宅から遠いのでまた来て歩くのは出来ないが収獲です

合流したすぐ左は肥薩おれんじ鉄道、肥後高田(こうだ)駅。肥薩おれんじ鉄道は鹿児島本線が熊本県八代駅~鹿児島県川内までの間は第三セクター鉄道会社が2019年7月から運航

合流点を振り返ったところ。正面二階建ての家の左の道をきた。旧道は高田駅の裏側の鉄道の反対側に出ていたが。今は消失しているので、無人改札を抜けていくか、少し先の平山踏切で左に折れて迂回するかです。私は後者をとりました。300m程歩いて左に入って駅の向こう側に出ました

高田駅の線路を挟んだ消失した旧道跡に、観音堂と十二里木跡の標柱があります

観音堂

観音堂の傍、線路を背に 十二里木跡 の標柱 熊本城下の新町の札ノ辻からここ十二里木まで約48㎞です

線路を左に細い道が観音堂までありますが、旧道は殆ど消失しています

先ほどの道を戻る、線路沿いを進むと右に平山踏切がありそれを渡ります

踏切を渡り左の線路に沿って少し進む

そして右に折れて国道3号に出ます。この先、国道3号を歩きますが、旧道は国道や線路で失われていて、ただもくもくと数㎞歩きます。

やがて南九州自動車道の高架を潜る

車が走るし、長い真直ぐの国道でうんざりする。

左手に敷川内郵便局

国道沿い左に、八代市立金剛小学校敷川内分校跡

明治7年創立、平成29年(2017、3,31)143年の歴史に幕を閉じ、卒業生約300名出席のもと3月18日閉校記念式典が行われたそうです。出席者は143年の歴史とは感無量だっただろう

やがて左におれんじ鉄道の線路が接近

その先 日奈久大坪町信号の手前左に 薩摩街道十三里木の標柱と石の祠の地蔵



日奈久大坪町信号と国道3号

その先、左に緩やかにカーブする左手に 日奈久阿蘇神社


日奈久山下町に入る、山下バス停の傍に

お堂

その先大きく右にカーブしたところで、左に日奈久温泉駅前を通る


駅前から200m程進むと、国道に架かる歩道橋があります。その袂に看板があるように、国道を右に分け左側の旧道を進み温泉街に入る
歩道橋に隠れて、日露戦争従軍記念碑 が建つ

右手に日奈久温泉の由来説明板

日奈久温泉への街並みに入る

左手奥に、 足手荒神を祀るお堂 お堂内には、薬師如来・足手荒神・恵比須大神が並ぶ

お堂の手前、街道沿いに歴史ある 八代焼の店



日奈久の街並み

重厚な歴史ある旧家の建物

道幅の狭い町並みが続く

右手に、ひらやという看板の旅館に予約を入れたが、どうも一人ではダメなようで断られた

そのさき左に、ばんぺい湯

左手奥に真っ白い、鳥居と温泉神社


少し右に入った筋に、 金波楼 (国登録有形文化財)


金波楼本館は、明治42年(1909)に建てられた県内最大級の木造3階建て建造物で、屋根は寄棟・切妻様式を複雑に組み合わせ、各階に庇(ひさし)を付け、大きな窓とガラス戸で開放的で美しい外観をなしています。
大広間棟(木造2階建て)は、昭和13年(1938)に建てられ、弐階の80畳の大広間は竹を精巧に編み込んだ船底天井や自然木の銘木を用いた欄間や床の間が風情を感じさせます。
欄間を設けた切妻造りの正門と、上部を上壁、下部を板張りにした長い塀とともに、日奈久温泉街の伝統的景観を代表しています。(案内文より)



金波楼全景

左にも 温泉湯

街道左奥に、浄土真宗大谷派 西寶寺

温泉街筋の端に来ました。右手から国道3号が合流します

少し先国道を右に、左への旧道に入り、すぐの下塩屋踏切を渡ります

右にカーブしながら、少し入っていくと怪しくなり、その先で線路により旧道は行き止まりになっている。元の国道に戻る

その先、道はややこしいが国道3号に沿って緩やかな坂を上る
右手は南九州自動車道

国道3号は坂を登りながら左に大きくカーブする

カーブするところで振り返ったところ、正面右の屋根のある右前に旧道が出ていたようで、線路で遮断され通行できず戻った地点

国道は坂を上り切り右斜めに下る。右手におれんじ鉄道の線路、その向こうに高速道の高架、更に向こうに海が見えてきた

下り坂の途中左に、 祠

祠の手前で左への旧道か分からないが、集落があるので、国道を歩くよりいいので、左に入る。(日奈久馬越町)

集落の中の細い旧道

民家の前におばあさんがいたので道を聞くと、すぐ先真っすぐ行くとダメなので、そこを右に折れてと教えて頂いた。やはり旧道でなかったかも。右に折れる

前方の高速道は二見トンネルを南方向に入っています

右手に 馬越阿蘇宮 があります。地元の集落のお宮さんだろう

その先で、高速道を潜り国道3号に合流しました

国道は歩道もないし間違った道としても正解でした。右に海を見ながら緩やかな坂を上るようです。正面右の海に突き出た小さな山は、鳩山(標高41m)と呼ばれている

少し先左に、くまモン

その先、分岐がありますので左の旧道に入る

坂を上りながら、数軒の集落です。暫く進むと、国道の峠手前で合流する

右に鳩山を見て国道は坂の頂上に着く。この先は下り

右に 有明海と天草諸島 が見えます

坂を下っていく途中左に 薩摩街道 十四里木跡の標柱君が渕 の景観まで2.7㎞と記されています


坂を下ったところから振り返ると、左に鳩山

白鳥バス停

すぐ先右に、白鳥公民館があります。角を右に折れると踏切です
明治10年3月19日風雨のなか政府軍がこの地に上陸。薩摩軍は敗走する

公民館の角に隠れるように、西南戦争衝背軍上陸地の標柱


二見洲口町の国道3号

二見駅前バス停と国道3号

国道3号は、おれんじ鉄道二見駅を右に見て大きく左にカーブします。

左にカーブすると一気に山が険しくなり、右に海が迫り、左は急峻な崖で今でこそ国道が走るが、昔の旧道は大変であったことだろうと想像する

二見みづつきバス停。以前、レストランがあったようですが現在は廃業中のようです。

バス停の左の山の崖は、二見断層 で地層がはっきりと見えます。右に二見川が接近してきます
海は後方に左の二見川に沿って山手に入っています

国道は右の二見川に沿って大きく右にカーブします 才野地区

左手に 二体の地蔵尊と祠

地蔵尊の所で、国道を右に分け、左への荒れた旧道が残っているようなので左に入る

地道ですが道として残っていて、奥に建物があります

道が少し荒れて怪しくなってきました

鶏舎か牛かの建物のようです。道がふさがれこれ以上入れない。今では廃棄物が山のように残っています
止む無く諦めて元に戻り国道を進んできました。入り口から150m程先で、その旧道跡が合流しています。振り返り見て、少し入っていくとやはりすぐ先で藪がひどく入れなかった。
折角の旧道が建物で台無し、多分不法投棄と、不法建物だろう


その先で、左に国道に並行して旧道跡があります

やがて君ヶ渕駐車場バス停がある

二見川の 君が渕 水が少なく余り実感がわかない


二見下大野町交差点の右手にかつて 君ヶ渕眼鏡橋 があった
国道を進み二見川に架かる橋を渡ると、日奈久馬越町からの長い二見トンネルを抜けてきた自動車道の高架を潜ります

鹿児島147㎞、水俣35㎞、葦北15㎞の交通標示

少し先に右てT字路の信号がある。左に入ると二見小、二見中がありその周辺には、岡の城跡・今村城跡・二見城(園田城)跡・二見南城跡 があり、二見川の上流の山奥には平家落人伝説もあるという。とても街道歩きでは回れない

その先左に、道の駅があったので、この先の道を聞こうと思いながら、簡単な弁当を買って食べた。お店に女性の方が一人だったので話をすると、和歌山に親しいお友達がいるとのことで話が弾んだ

道の駅から見たこの先の峠越えの街道を教えていただいた。なるほど山に入っていく旧道がよく見える

100m程車道を歩くと右に折れる道がある

右に折れる左手方向に、森と 神社 が見えます


向かって右手の道の駅を振り返る

右に折れるところに、八代学園とかんねさこ荘の看板

右に折れて100m程先、左の二見川に架かる橋を渡る。堂園眼鏡橋跡

前方に見えるのが旧道

橋より振り返ると左の山裾を高速道が走っています

橋を渡って手前に歩いてきたところで、道が分岐しています。右に折れず真直ぐ手前に歩きます

分岐したすぐ、また分岐していますが、旧道は左の道です、右の道とは100m余り先で合流する

前述の道が右から合流した先、左にカーブしながら進みます

曲がりくねりながら山裾を進むが。人と全く合わない


暫く繰り返し進み、やがて左に急カーブします

そして二見川に突き当たり右に折れます。堂園橋から1㎞余り進んできた

二見川に100m程沿い、左に折れて二見川を渡りますと古い 新免眼鏡橋 です。
長さ14.4m・幅3.8m・高さ4.6m、嘉永6年(1853)頃。眼鏡橋はいいですね


新免眼鏡橋を渡り、右にカーブして国道3号に合流します

国道に合流したすぐ先、左に 薩摩街道十五里木跡の標柱 標柱の方向がおかしいと思ったが私の間違いでした。
二見城跡へ2.5㎞と書かれている。目指す赤松太郎峠へは国道を進む

標柱の赤松太郎峠へ500mは地図を見てもおかしい5㎞の間違いでないかと思う。難所の三太郎峠はこんなもんではないだろう

緩やかな上り坂、上赤松バス停

坂を上っていきます、歩道がついてしっかりガードされているので助かります

右に入る道があり、間違って入りました間違わないように、ここではありません私間違いました

もう少し坂を上ったところを右に下る道が街道です

右に折れるところから振り返る。国道3号と、向かって左の山裾辺りを歩いてきた

国道より右に下りて、赤松の集落を通る。名前のと通り、難所の三太郎峠の最初の一つ、赤松太郎峠の登り口の集落です

気持ち良い坂を下っていくと、右に二見川が接近して

やがて、二見川に架かる 赤松第一号眼鏡橋 を渡る。長さ12.32m・橋幅3.12m・径間8.15m・拱矢3.46m
橋の両側の欄干には扇型やひょうたん等の色々な彫刻が施されていて、石工たちの技術の高さと遊び心を今に伝えている。と説明されている

上りの静かな道を進む

上り切ると右からの道と合流する。そこから今来た坂道を振り返ると、山間に囲まれた静かな村里の原風景が蘇ってくる。また先ほど渡った赤松第一号眼鏡橋も下に見える


右からの道が合流、左に折れるところで分岐しているので、左への下りみちを進む

林間の道を下っていくと

畑作業している車の傍に 大平眼鏡橋
長さ—説明字が消えている・幅2.5m・高さ3.7、時代は 嘉永5年(1852)頃。草で綺麗に形が見えない

右手に民家がありますが、若い人は殆ど町出ているようで、人の気配はない

下りかけたところで、右への細い道がありますが、真直ぐです。左に屋根が見えます

旧道はこの分岐を右に進む、左の道はすぐ見える橋を渡り国道3号に出ます。右、前面通行止めの看板がありますが、先ほど農作業の方に教えて頂き、今日は休日だから作業していないし、国道に迂回したら遠回りですと

右の道を進んでいったこの辺りに、参勤交代時に駕籠を休ませる 御籠据所跡 があったそうです

民家の先、坂の途中の全面通行止めの看板を無視して坂を右に上ると、すぐまた下りになります。工事中で綺麗に道路改修されています

坂を上りながら右にカーブしている旧道を進む。確かに休日で作業員がいないようです。
坂を上り切ると再び下ります。ここが今工事中の場所ですが通れます。下りきると左から、国道3号からの道が合流します。工事で旧道が通れなければ、ここに迂回しなければならなかった。
下って合流した旧道は真直ぐ進むがその先で分岐、左に下る道がある。

下ったところから、今下ってきた道を振り返る。作業していたら重機もあり危険で休日でラッキーだった

街道は下ってきて真直ぐ進むが、少し(寄り道)左に鋭角に折れて国道の方に進むと、二見川に架かる、 新大平眼鏡橋 による
大平眼鏡橋之碑 が建つ


かなり傍が荒れています


元の起点に戻る、散歩している人がいました

左の旧道を下ります

下っていくと、二見川に架かる 小藪眼鏡橋


この橋も藪で横から撮るにもいい場所が無い


小藪眼鏡橋を渡り、二見川を右に少し坂を上り国道に出る途中に 八代市立二見小学校小藪分校の跡があります。昭和57年本校に統合されている。民家も少なく子供が少なくなっていくのは、何処も同じ
国道3号に合流した先で振り返る

少し進んだところで高速自動車道の高架を潜る

高架を潜り200m程緩やかな国道を上っていくと、右に入る道があったので下っていきました

旧道らしい道であったので200mほど左に曲がると、二見川にでて道は消失。昔の旧道跡かよくわかりません

元の国道に戻り
国道をさらに300m程進むと、上小藪バス停があります。その手前に右に下る道があるので下っていきます。


また 国道左手に大きな立派な家があるのが目印になります
上小藪旧道の入口です。右へ下る

右への下り道。その先で右にゆるやかにカーブし、正面の住宅に向かって右側に出ます

住宅をまいて左にカーブした先で二見川に出ると須田眼鏡橋が見えます

須田眼鏡橋を横から見る。街道は向かって右からきて橋を渡り左へ進む


少し先から眼鏡橋を振り返る

街道は山道に入っていきます。熊本の大豪雨で道が無くなっていないか心配だが行けるところまで行く。
ダメなら小藪眼鏡橋の所まで戻らなければならない大変です。
最悪の場合斜面をよじ登って右上の旧々国道に出なければならない。それ以外は迂回道がないようです。
一人だし心細く祈るような気持ちで歩いています

右の小屋を見てその先で、右の森林の中の斜面を上ります。距離にしては短いのだが。踏み跡があるので大丈夫と思う気持ちになって来た

この程度の旧道は今までいくらでも経験しているので平気です

狭い旧道なので、右の急な斜面に落ちないように十分な注意

距離にして短かった、右上にかすかに見えていた旧々国道に出ました、左への峠を目指す。
なんとも言えないほっとした気持ちと同時に、この旧道は整備していなければ数年のうちに亡くなっていただろうと思うと。整備していただいている地元の方への感謝で一杯です。

旧国道に上って出てきたところ(向かって左)
高速道、国道3号が通っているので、この道は車がなく静かです

旧道を進んだ右手に 地蔵尊

この先左右にカーブしながら峠を目指す
採石場なのかそこから、二匹の犬が吠えてびっくり、幸い長い鎖だが繋いでいたので安心したが綱が長すぎる

坂を上っていきます、でもかつての刻同でもあり道は結構幅があります

左右に岩山が切り立ち見事な景観。旧国道(明治国道)を造るため切通にしたのか、それとも自然の切通しなのか

この辺りには、蛇紋岩(じゃもんがん)アスベストが含まれる黒い石で表面が蛇のような模様があることからこの名前が付いた

赤松太郎峠(標高138m)
三太郎峠の一つで、薩摩街道の厳しい峠道であったが、旧国道の開削で想像していた峠道でなかった

峠より少し下る道

峠より200m程下ると旧国道を右に分け、左に斜めに入る山道があります。この旧道が歩けなければ、長い蛇行した旧国道を迂回しなければいけないので大変

入口の所に、薩摩街道 ←江戸:薩摩→の標柱が立っていますが、見落としたら大変注意を要します

左の下る所に立つ案内板。正面上は赤松太郎峠


旧道山道の入り口。明治国道が造られるまでは、このような道が続いていたのだろう

踏み跡もしっかりしている、落ち葉を踏みしめ快適に下っていきます。石畳が落ち葉で隠れています


赤松川の砂防の堤があります

薩摩街道の標柱、一部の表示板が朽ちて落ちています

左に、 二体地蔵尊


下っていくと丸太の橋が架かっています。かなり年期が入っているようで、苔むしていますが、この橋がなければ向こうに渡るのが大変だろう。丸太をかけるのも大変であったことでしょう

藪を取り払い道も整備されていて、年に何回か地元の方たちが整理されているようです。有難うございます
そういえば毎年か分からないが、ウオーキングがあるようです

足元はゴロ石がありますが、歩く人も少なくなった今、このように整備していただいていることに感謝です。樹木が比較的低く明るいので助かる

薩摩街道の標柱

近くにある、 地蔵尊


左下に砂防ダム

道は砂防ダムで遮られているので、右側を迂回する

畑があるのでかなり下ってきたようです

道がコンクリートに変わりました。峠からほぼ南西に真直ぐ下っている旧道


右手に壊れかかった、 石の祠に二体の地蔵尊

山道の快適な旧道の先に、左からの道と合流します

赤松の集落が見えてきた

正面の山を下ってきた、振り返ると厳しい山道でなかったが間違わずよく歩いてきたと思う

甘夏柑の木の下に 合戦上の首塚の標柱
文禄年間(1592)の初め秀吉軍の加藤清正・小西行長らが朝鮮出兵時に島津の武将梅北宮内左衛門が佐敷城を襲った「梅北の乱」その乱に乗じて、梅北側の武将、東郷甚右衛門迫と矢崎内蔵助常時が赤松太郎峠を降りて来た時、田浦城主檜前助兵衛・大仁田玄番らに討取られ、この背後の密柑の山中に埋められたという。

新しい薩摩街道の案内板が建てられています


この辺りには多くの甘夏柑が植えられています

右手に 観音堂

その先で、右手から旧国道(明治国道)が合流します。万一山中の旧道が歩けなければここで合流しました
よかった、それでなければいつまでも公開が残ってしまう

その先にも、薩摩街道の新しい標柱が右手に、前方に海が見えています

暫く進んでいくと右手に、 明治10年之役 官軍戦死者の墓石碑 石碑の背後の墓地は樹木が茂り行けない
田浦官軍墓地の説明板


その先暫く進みます

旧道はやがて突き当たるので、左に折れます

左に折れる右手に 浜町八幡宮 参勤交代時、相良藩の休憩場所であった

石段と拝殿

鳥居の左手に、田浦町の宮浦川に架かっていた 塩屋眼鏡橋 ここに移設されています

鳥居の前、道を挟んだ赤松川の畔に、薩摩街道の標柱。矢印の表示は赤松川を指しているのは、ここに橋が架かっていたそうです

赤松川に架かる橋を渡る、赤松川の流れ。川沿を右に進むと、肥薩おれんじ鉄道御立岬公園駅

橋を渡った御立岬入口交差点で正面の旧道に入る

旧道を真直ぐ進むと、正面に高速道の高架の手前T字路で右に折れます。残念ながら、ここを左に行けば 赤松館 があったのを見逃してしまった

T字路手前右手に 真宗大谷派西音寺 鐘楼門


T字路を右に折れて100m程先で、小さな田浦川に架かる野坂野浦橋を渡り、川に沿って右折れ左岸を進む。川に沿って左に大きくカーブして進みま

左手に お堂 傍に 霊木荒神楠址の石碑

舟江信号交差点で右からの国道3号と合流し左へ折れる。

左に折れたすぐのところから舟江信号を振り返る。向かって右から来ました

信号から200mほど先、水道(みっとう)地区で、左に少しだけ旧道が残るので左の道に入ります

すぐに右にカーブして国道に合流します。手前左の山裾に 地蔵尊

左角に、 薩摩街道の表示

その先、馬越地区の塩屋バス停と国道

直ぐの宮浦川に架かる塩屋橋を渡り、左の川に沿って進む。先ほど、浜町八幡宮に移設されていた塩屋眼鏡橋はここに架かっていた

国道を右に分け宮浦川に沿って進む

少し先、左に緩やかにカーブする川沿いの道

川から離れ右に下る

直ぐ右手近くにある、おれんじ鉄道肥後田浦駅へ

本日はここで終了します。
八代 7時スタートして、16時30分肥後田浦駅着。17時13分発の電車で佐敷駅へ。今晩の宿は佐敷駅より歩いて15分の、ホテルAZ熊本芦北に泊まります。
当初予定では、八代から日奈久までであったが、泊る宿がダメだったので、三太郎峠の一つ、赤松太郎峠を完歩、結果的には正解であった。あす、佐敷太郎峠に集中できる。
50.102歩 30㎞ 1631kl 峠道をよく歩きました。


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