2026年9月25日
脇町拝原~阿波池田駅前
ホテル 6時出発
池田駅前ホテル 18時15分着
62.307歩 37.38㎞ 2048kl
それにしても本日は実によく歩いた、最近では珍しい。前日までの暑さと好天と違って、少し曇っていて温度も低かったからだろう。この歳で、まだこれだけ歩ける体力があるのかと思うとうれしくなった。
宿泊した稲田苑

ホテルから300m程歩いた車道の信号交差点の一筋手前を西に入ります

祠が有ります

やがて突き当たるので左に折れて車道にでて右に折れます

直ぐ右に 大王宮

高い急な石段です、早々に疲れてはいけないので、下から拝礼して置きます

更に500m程先右に八幡神社ここも高い石段です

八幡神社の杜

大谷川に架かる橋を渡ります

大谷川

脇町に入ります うだつの上がる内田風雲堂薬局

脇町のうだつの上がる古い街並みは、この北町筋より一筋南ですと教えて頂きました

この筋を南に入っていきました

かつては、大谷川を渡り北町から本町に進む筋の一筋南の中町の筋。 北町・中町はかや葺き、わら葺きの家が多く
吉野川に近い南町はうだつの町並みで、本瓦葺きで白壁の家や蔵が多い。
元は大谷川には橋が架かっていなかったそうです。
文政12年(1829)12月晦日昼時に出火、火は強風にあおわれてたちまち燃え広がり、北町、中町一帯を焼き尽くす大火があった。169軒の家が消失した。
それからうだつ(袖壁うだつ)を設けるところが増えたそうです。
「うだつ街並み」江戸時代から 藍 の集散地として栄え商家町である、江戸時代中期から昭和初期にかけての歴史的建造物が立ち並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。(うだつの町並み散歩地図)より。
幕末、この脇町に新しい時代、「日本の夜明け」を信じる、明治維新を切り開いていった、稲田家が生んだ勤王の志士達。(主な志士に)
南 薫風(みなみくんぷう)1836~1879
尾方長栄(おがたちょうえい)1843~1925
工藤剛太郎(くどうごうたろう)1833~1868
竹沢寛三郎(たけざわかんざぶろう)1829~1902

東の大谷川に架かる南橋から西に進みます
大谷川に架かる南橋

大谷川の東側に建つ美馬市地域交流センターミライズ美馬市市立図書館(稲田猪尻侍歴史資料館)等他

橋を渡り街並みに入ると左に甘酒・こうじ販売の西野商店江戸末期の商家の建物

むしこ窓(虫籠窓)二階の窓が格子のようにしている窓のこと

うだつ(卯建) 隣からの火の粉を防ぐ、富の証として競った。ことわざ「うだつが上がる」


この辺りの二階の高さが低い建物は明治以前の建物。明治以降になると高くなる

正木酒店(地酒)
土産物を売っています。丁度おばさんがいて、お家に案内していただき説明を受けながらお茶と菓子パンを頂き、朝から何も口にしていなかったので嬉しかった。
この建物も200年以上たつもので二階も低い。
気さくなおばさんで一刻の安らぎをたのしませていただきまして、ありがとうございました。
また表に 書状集箱 このポストは明治4年4月20日新式郵便制度が創始された時に使用していたものと同じ製のものです。このポストはうだつの城下町脇町の町並みに合わせて装置したものです。
このポストは他のポストと同様に取り集めを行いますのでご利用ください。と書かれている。


おばさんところの建物で今は接待処として酒やお土産を売っています

正面白壁の袂に古井戸がありました。振り返った街並み

素晴らしい街並みです

蔀戸(しとみど)


吉田家 寛政4年(1792)の創業の藍商で屋号「佐直」脇町で最も大きな敷地を有し、背後には舟着場があった

2階が低い明治以前の建物が並ぶ

森家 写真がうまく撮れていないが鳥ぶすま、鬼瓦、むくり屋根、うだつ、虫籠窓のれん掛け、出格子、持ち送り、すべて備わった旧家


平田家



うだつ街並みの西の橋から振りかえる

西の端がT字路となっていて、右に折れて山近くに(寄り道)をします。
街並みをもっと時間をかけてゆっくり見学したいが時間がないので進みます。
北山には脇城跡があります。脇城(阿波九城)の一つで、天正13年(1585)四国平定の功績により、秀吉から蜂須賀正勝・家政に阿波の国1国を与えられ、筆頭家老稲田植元が脇城に入り、城下町を形成した。その山麓に、稲田家墓所・秋葉神社・脇入神社・貞真寺・東林寺・安楽寺・真福寺・本覚寺がありますが、一部を除き見学の時間がありません。
田畑の中の山麓に目立つ赤色の山門があります、貞真寺の山門で建物はありません


その奥に 稲田家の墓所があります稲田家は二代より淡路城代として明治維新まで続く。ここには初代植元とその家族の墓です脇町の繁栄の基礎を作ったので、その後も丁重に祀られているのだろう




向かって右に神社の鳥居が見えますこの背後が脇城跡と思われます


見学も簡単に終わり、うだつの町並みより北側の撫養街道交差点に戻る途中 浄土真宗本願寺派安楽寺が赤い山門もあでやかにあります

西への撫養街道を進むと 脇城跡等の案内標柱が立っています

北を見たところです

少し進み交差点の分岐を右に入ります

湧き町新町を進む角に石の祠

吉野川に流れる支流の橋を渡る

見ただけでもぞっとする長い車道を進みます脇町馬木

脇町岩倉で右に神社

岩倉小学校を右に見て坦々と距離を稼ぐ

脇町別所に入り、左広い車道のあるみぎT字路に出ますが、横断します、左に行くと吉野川に架かる小島橋に至る、すぐさきで川の手前を左に入る道を右の川に沿って300m余り南に進みます。

この辻を右に折れます

右に井口谷川に架かる橋を渡る

脇町木ノ内に入ります、祠と石仏群があります。まわりに自雁花が咲いています

車道と離れ旧道らしい道を進む

右手車道の向こうに八幡宮の鳥居

かなり離れて、急な石段と拝殿が見えます

相変わらず石仏群


奉供養光明真言一石・・・・・ 高い石碑

野村谷川に架かる橋を渡る

橋を渡ったすぐ右に祠 脇町川原町

少し蛇行しながら道なりに集落を進みます

右から車道が合流してきます.車道合流後200m程先で左への車道は、吉野川に架かる美馬中央橋に至る。街道は真直ぐ

暫く進むと分岐があります、左への道。この先右に段の塚穴史跡があるようです。

その先の分岐を左の道を下ります。右上に車道が300m程並行していました

集落に入る右に石碑と祠

東宗重大師庵

用水に架かる橋を渡る

右手に神社があります


年季の入った石造りの立派なお地蔵さん

左に大きくカーブしながら進みます

郡里廃寺跡の案内標識が右に立っているので(寄り道)してみます

広々とよく整備された公園の廃寺跡国史跡郡里廃寺跡(こおざとはいじあと)

中心辺りに大木と大木の袂に新しい祠




徳島県美馬市 国指定史跡法起寺式伽藍 配置今から1300年ほど前の白鳳時代に創建された県内最古の寺院跡


この近くに大きな寺院が4つあります
一つ 浄土真宗本願寺派西教寺(国登録有形文化財)江戸時代の初期1609年に創建した格式あるお寺。本堂・薬医門・経堂と石庭




浄土真宗安楽寺
平安時代の天台宗真如寺を鎌倉時代の1259年安楽寺に改められた。歴代守護の保護のもとに、最盛期には四国各地に八十余りの末寺を有した。
国登録有形文化財の丹塗りの二重門・本堂・鐘楼・書院・能舞台を有している。



浄土真宗林照寺
室町時代の1520年に開基、総欅造りの向唐門を入ると銀杏の大木が映える。


真言宗願勝寺
平安時代、崇徳上皇に仕えた、阿波の内侍が上皇の菩提を弔うために創建された。歴代守護や藩主の庇護を受け、郡内を代表する真言宗の寺院。国登録有形文化財の八脚門、天竜寺と同一様式の願勝寺庭園、県最古の美馬博物館を有する。





郡里廃寺跡の一角を振り返る

吉野川の堤防に出て右に折れます

お地蔵さんが二基並んでいます

右に船王神社 本当の旧道は神社の北側にあったが、何処で間違ったか

堤防下に吉野川の対岸への喜来の渡し跡碑

吉野川の対岸を見る

神社の所で右の道

すこし先交差点の近くに支援学校、交差点を左に行くと、吉野川に架かる美馬橋に出ます

碑が建っていますが「・・・・三十番」小さな碑も並んでいる


その先川に架かる橋を渡る

車道が合流して斜めに横断して旧道を進む

その先の東原の街道

静かな街道を進み、2つの川を渡り沼田の町並みに入ります

左に、石碑が2基

やがて先ほど分岐した車道が左から合流

合流する左に 名馬池月の母親の墓 しあわせな馬なんだ



すこし進むと分岐します、車道を左に真直ぐ、右の旧道で旧橋を渡ります

橋の先の真直ぐな谷口の集落を進みます

600m程先で、左から分岐した車道が接しますが再び右の旧道を300m余り進みます

接した右に神社への参道が非常に長い

300m余り進んだ旧道は左からの車道と合流し、斜めに横断して左側(南)に進む


静かな集落の街道を抜けていきます

集落の街道を1㎞程進むと

高瀬谷川に架かる橋を渡り西へ進んでいきます

静かで車も走らなくていいが、歩くのみでかえって疲れる

三野町清水

右に変電所 加茂野宮遺跡の標柱

その先右車道沿いの神社の鳥居

吉野川に注ぐ滝谷川の橋を渡る

奉唱回数町内最多の光明真言塔と石塔が並ぶ


右に神社

直ぐ先で高架道路を潜ります、道路を左に行くと東三好橋

三野町芝生の街道を進む

左に祠

右に石塔と常夜灯


駐車場の片隅に 徳島藩高札場跡標柱

左の旧道

左に神社

三好市に入っています、河内谷川に架かる橋を渡る

東川原を進む 右に石柱があるがわからない多分右の奥にある神社のだろう

田園風景を見ながら進みます。

とにかく今日は池田駅までいかなければ、途中で終わると明日戻らなければいけないし、天気は雨となっているので、必死です。
十字路を横断します、左に池が吉野川に架かる角の浦大橋

十字路から150m程先で右に折れて車道を横断して旧道に入ります.左に灯篭があり、珍しい田岡家と刻んでいます奥の家は大きな敷地の家です

100m弱先で左に折れる

右に常夜灯

更に右奥に神社の鳥居があります神社の鳥居を見るばかりで、名前を調べる時間もなく歩いていますが、私にしては珍しい

さらに小さな川を渡る

西ノ久保を進んでいきます

更に神社の鳥居が見えます


やがて左下に道の駅があります左からの車道が合流します

合流したところから道の駅を振り返る

この先車道に沿って、大きく左に円を描きます。左は吉野川1.5㎞ほどあるようです。ただ歩道がないので注意が必要


吉野川に離れるところの伊月で高速道の上の高架をわたる

右の山が城跡に標識

神社の杜

直ぐ先の十字路、左に行くと吉野川に架かる三三大橋に至る

右から道路が合流してきます

その少し先で分岐しますが右に分岐しますが右の道を進む 下ノ段集落

右に学校があります

吉野川に注ぎ支流の橋を渡る

直ぐ先で右からの車道を横断斜め右に入ります

右に入った行安集落を進む

再び分岐した車道と合流します

左に神社があります

600m余り進んだ中屋で道は分岐するので右の旧道を進む

松岡の集落を進む

立派なお堂があります



また右手奥に出雲大社

直ぐ先で土讃線の高架を越えます


石造り物が沢山並んでいます

光明寺集落に入り右に神社

川手前の新しい道を横断します

左の吉野川に注ぐ支流の橋を渡ります

右手に史跡案内が建ってます東山城址、大木戸跡、田ノ岡城跡


石仏群

古い石垣塀の一角に回国碑

右手辺りに箸蔵山ロープウエイの登山口駅がある

その先緩やかに左にカーブしながら進んでいきます


右に神社があり、前を右にカーブしながら進んでいくと吉野川に架かる三好大橋に至る

T字路を右に進みます

左の道を進みます

緩やかな坂道を下って行きます


石造り物

やがて下ったところでT字路の出ます、左に折れて右にカーブしていくと吉野川に架かる三好大橋に至る

振り返ったところ

あっているかよく分かりませんが、一応 撫養街道(川北街道)の池田の起点と思う、この南に吉野川を渡る、州津の渡し跡 があって、撫養街道と伊予街道を結んでいた
ここで 撫養街道(伊予街道)完歩
この後、阿波池田駅前のホテルまで歩かないけないので、少し西に進んでいきます

やがて吉野川に架かる四国中央橋の北の袂にでて橋を渡る


橋を渡り右袂の信号交差点で伊予街道に出ます。右におれて、伊予街道を吉野川沿いを進みます

川沿いに碑

結構歩いた先で左の旧道に入ります

池田町の市街地を進んでいくと、左手に阿波池田駅があり、丁度駅前に今夜のホテルイレブンがあります。ホテルは素晴らしく、今までの疲れが吹っ飛んでしまいそうです。
でも、2日間の距離のしわ寄せが3日目に来て、久し振りによく歩けた。私にもまだこれだけ歩ける体力が残っていたと思うと嬉しい。朝菓子パン2つで昼は食べていなく水ばかりでお腹もすいた。
6時出発して、18時15分着、62.307歩、37.38km、2048kl
撫養街道完歩の補足
2026年9月26日 4日目
ホテル 7時45分出発 7時52分発~ 徳島駅着 9時51分
4時25分のフェリーまで時間があるので、徳島駅からタクシーで眉山の北西の山腹にある、万年山の蜂須賀家の墓所を見学。
明和3年(1766)、蜂須賀重喜が新たに徳島藩蜂須賀家墓所として国の史跡に指定された。
蜂須賀家墓所は淡路街道沿いの興源寺にもある。
万年山の墓所は、山全体にあり、それぞれ見て回るのは大変で、興源寺の整備に較べると、少し荒れていて、昨日までの疲れも加え、一番行きたかった、蜂須賀正勝の新たな改葬墓が頂上付近の台地にあることを知らず、辿り着けず断念したのが心残りとなった。


墓所上り口

このような墓所が山に所在している一つ一つまわりましたが資料が多くなるので省略します



11代藩主治昭の墓


阿淡二州太守族葬墓域の碑


何とか頂上までと





頂上と思ったが、一族墓でした



結局頂上の蜂須賀正勝の墓所碑まで至らず、諦め最初の登り口まで戻りました。




徳島駅までかなりの距離を歩くと、まもなく雨が降ってきて助かりました。この後南海フェリーでj帰宅の途に就く

