伊賀街道 【1日目】

2018年3月4日 【完歩】

【1日目】  2014年4月13日
      JR桜井線上狛駅の西~関西本線大河原駅下  6時58分~15時20分  
        44.596歩 26.75㎞ 1992kl
【2日目】  2014年5月18日  
      大河原駅~上野市駅  6時30分~17時30分
        46.716歩 28.02㎞ 1982kl
【3日目】  2017年10月1日

      上野市駅~長野峠手前の汁付け  6時50分~15時20分
        47.001歩 28.02㎞
【4日目】  2018年3月4日
      汁付け~津 伊勢街道との合流点  9時20分~17時

       
 44.629歩 32.13㎞ 1043kl

伊賀街道 (1日目)

2014年4月13日

奈良街道の分岐点上狛~大河原
自宅を4時30分に車でJR桜井駅近くの駐車場に預け、JR桜井線で奈良駅へ、奈良駅からJR奈良線で上狛駅へ。上狛駅から少し歩いた奈良街道との分岐点へ。
この日は一部快適な街道もあったが、大半は国道163号線と重複、木津川沿いに歩く道であった。歩道がなく、車が多くスピードで抜けていく危険な道であった、二度と歩きたくない街道でした。
笠置に着き、(寄り道)して笠置山に登りました、3時間ほどの寄り道であったが一度登りたかった旧蹟です。まだ少し時間があったので、JR関西線のもう一駅先の大河原駅まで歩きました。
時間は15時20分と早かったのですが、自宅まで遠いのでここで終わります。
      上狛駅  6時58分 スタート
     大河原駅  15時20分  着
       44.596歩  26.75㎞  1.992kl

伊賀街道は、大和国の平城宮から伊賀国の城下町、上野を抜け、途中長野峠を経て、伊勢湾の港町を有する津までの道。現在のほぼ国道163ごプに沿っている。平城宮からここの地点まですでに奈良街道で歩いているのでここを起点とします(奈良街道をさんしょうにおしてください)

JR奈良線上狛駅

上狛駅前の西への道、旧家が並んでいる振り返ると正面は上狛駅。西へ250m程歩いて奈良街道に出ます。正面には法連寺が見えます、交差した辻は奈良街道で50m程南に折れると、奈良街道と分岐する伊賀街道の起点の交差点です

起点の交差点西南一帯は 環濠集落跡 で、今も旧家や環濠堀が残っているので、散策すると偲ぶことができます。交差点の少し西側の環濠堀跡から、東側の伊賀街道起点を見たところです

 左右(南北)の交差する道が 奈良街道 で 伊賀街道の起点 で真っ直ぐ東に進む右斜めにファミリマートが見えるところです

少し進んだところから、伊賀街道の起点附近を振り返ったところ

 東への旧道

道は右にカーブして左のJR奈良線の踏切を左に折れて渡ります

踏切りの越えると右には墓地があり、その先、左T字路の右に 圃場整備記念碑 が、街道は田畑の広がる真っ直ぐの道

左に 史蹟 高麗寺址碑(国史跡)

田園の広がる中にある、飛鳥時代(七世紀初頭)に創建された国内最古の寺院の一つとされる。高句麗からの渡来人、狛氏の氏寺と伝わり、法起式の寺で、四方200m程の規模であった

その先、左に池がある堤に 地蔵さん

少し進むと国道163号線に突き当ります右手方向には木津川橋があります

163号線を左に折れて国道を暫く重複する

国道を300m程進むと左に山城郷土資料館に入る道があります。右に木津川が接近します

少し坂を上り入ると 山城郷土資料館 があります少し寄ってみます

資料館の傍に 大坂城の残石
石材は、徳川幕府が元和六年(1620)大坂城の改築に伴い、津藩の藩主藤堂高虎が、現在の加茂町から切り出したものです。石材は木津川を下って大阪へ運ばれました。その時の備蓄された石材で歴史的貴重な資料です

資料館の先から国道には歩道がないうえ、車が頻繁にスピードを出して通り過ぎていくので危険です。写真撮るのもままならない。一方木津川の景色はいいのですが

1.9㎞程このような国道を進みます。右は木津川、左は山でそれて進む道はありません

加茂町西で木津川が右に離れていくすぐ先で、旧道が左に、国道と分岐して進む道があります

左の道を入って200m程先

左の雑木の中に 

祠の先で街道は右緩やかにカーブしています。すぐ十字路があります、十字路を左に120m程入ると 浄土宗鶯瀧寺(おうりゅうじ)本尊は薬師如来

境内の 地蔵石佛

鶯瀧寺の全景

鶯瀧寺参道前から静かな集落を振り返る

少し進むと左に恭仁神社の案内板が立っています

参道を山手に200m程入ると、昼なお暗い樹林の参道に入ります(寄り道)

鳥居と灯籠二基 が迎えてくれます。なかなか厳かな参道

参道に 心光庵跡の案内板

恭仁神社
菅原道真公を祀る天神社と御霊神社と合併して社号を変えた。社殿は奈良の春日大社から移されたもので立派な拝殿です

神社参道前の街道を振り返る

すぐ先で道は分岐していますが、道なりに東に進む

右角に 道標 刻まれた字が消えて読めない右に緩やかにカーブしています

左に東区公民館がある前に お地蔵さん

 左手に、懐かしい木造校舎の恭仁小学校が見えてきます

学校のすぐ東側に 恭仁宮大極殿跡・山城国分寺跡

天平十二年(740)十二月十五日に、聖武天皇が「恭仁宮に幸す」と宣言し、平城京から遷都してきたところで恭仁京と呼ばれた。
現在、小学校の裏に土居がある場所が大極殿跡です。恭仁京はわずか五年余りの短命な都でした。その宮跡が後に山城国分寺として利用されました。大極殿(国分寺金堂)跡の東側は国分寺の鎮守社、御霊神社の境内地でした。この跡地全体は今も歴史的な景観地として保存されています。

 大極殿跡

山城国分寺跡
大極殿を中心に、山城国分寺として再利用されることとなり、南北三町(約330m)東西二町半(約275m)の広大な寺域を持つ寺でした。現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が残されています。基壇から推定して七重塔であった

東南角に 道標 かが立っていますが、文字が消えて読めない

瓶原公民館を左に見て進む

163号線の信号交差点を横断して真っ直ぐ東へ

交差点から150m程先の交差点越えた左角に 大小二基の道標
小さい方は指差し道標ですが読めない

道標のすぐ先で、川に架かる橋を渡るその先50m程でT字路に出て左に折れます。正面には美容TATUYAMAという店

 左(北)に折れて加茂町岡崎地区を進む

250m程先左に、フードセンターやまもとがあり、すぎたところで右(東)にカーブして暫く進む。右に井久保酒食糧品店があります

すぐ先右手、井平尾区第三集会場、手前奥の高台に 東福寺

東福寺参道から100m程進むと突き当たります
旧道は右に折れて細い道を集落の中を進み150m程先で、左の和束川を渡っていたようですが消失しています

右に折れたすぐのところに 春日神社

春日神社の横の集落内の道を進む

50m細先の分岐の左袂の垣根の中に 道標 「右 いがいせ」 この道標で旧道と判断しました

道標の道を入っていく、数十軒かの集落があります、静かな集落の中情緒があります

神社から進んでいった民家が終わる先で、竹藪となり和束川で旧道は消失しています

多分かつてはこの辺りを対岸に渡っていたと思いますこれ以上は川で進めません。探索できたことに大満足

ここで終わり、元の神社に戻ります
神社の裏側にまわり、和束川との間の地道があります。先はすぐ消失していますが

入口左に 樫の井の案内板 が建てられています。左の和束川に下る道を行くと

ここは「二ッ井」と呼ばれる湧水の井戸が二つあります。「樫の井」「柏の井」、今なお湧き水が出ています。昔からこの井平尾の地域の人達の貴重な清水だった。現在も京都の自然200選に指定された、自然残る地域です

神社より前述のT字路に戻り、左に折れて163号線の信号交差点に出て右に国道を少し進みます

和束川に架かる菜切橋を渡ります。菜切橋を渡ると163号線の湾漂山トンネルの入り口が見えます。その手前に右に折れて川沿いに進むトンネル開通以前の道があります。
かつての旧道はその道を右に80m程進み、途中で左に坂を上り正面のトンネルの上に向って右から左に山越えをしていたようですが、かつての旧道は自然にかえっていて消失トンネルの上を越えることはできません

右に折れて旧国道を進みますが、右手の和束川を見たところで、対岸の竹藪の向こう側は井平尾集落でこのあたりに渡ってきていたと思います

対岸の川岸辺り竹藪の間に、かすかにそれらしき道跡が残っているようです。ほぼ完全に廃道化しています
正しいかどうか分かりませんが、自分なりに想像して歩くのが楽しいです。

また、左側の山際を見ると、雑木の間を山に入っていく登り道があるようですが、旧道の残骸なのか、少し上ってみたが先で消失しています。この辺りからトンネルの上の山越えをしていたと思われます。

旧国道を進みます左に回り込んでいます

右手和束川との間が広くなり、野球等のできるグランドがあります

資料によると、和束川を渡った道は山越えせず、川沿いを進み旧国道右の竹藪を通っていたという資料もあり、はっきり私にはわかりませんが、私は山越えを探索しました

やがて、左からの湾漂山トンネルを抜けてきた163号線が合流します。合流したところからトンネル方向を見る

合流して国道を少しだけ右に折れて左の坂道を鋭角に上ったところから見たところです。坂を上った右手に老人ホーム加茂きはだ園があります。その北西角で左斜めに上る細い道がありました

右手に お地蔵さん が祀られています

お地蔵さんの前を抜けて西に茶畑の中の道を進みました

茶畑から下を振り返ったところ

この先で道は消失しています、この先が湾漂山トンネルの上です。左下の方角に、川手前のグランドが見えます。果たしてどちらが旧道であったのか分かりませんが。(地元の人の話では川沿いが旧道といわれました)

下の国道に戻り先を進みます

地元の人の話では、向かって国道の左側の川沿いらしい、振り返ったところです

すぐ先で国道より右手に、旧道のような荒れた道跡があります。おそらく国道163号線の建設に伴い、かつての旧道をズタズタにした跡なのだろう

加茂町銭司の国道左の入る道があります。すぐ先右に 灯籠 その先の参道を山手に進むと 春日神社 があります

さらに東側山裾に見えるのが 真言宗智山派福田寺 国道に戻ると銭司バス停があります

すぐ先左に 和同開珎鋳造遺跡地
奈良時代(八世紀)から鋳造された皇朝十二銭のうち最初の貨幣鋳造地

さらに山手に銭司聖天が祀られている 真言宗醍醐派光明山聖法院

再び歩道のない危険な国道が1.5㎞程続きます

加茂町から相楽郡和束町に入ります木津川の流れ

和束町木屋集落に入り

左に 真言宗醍醐派真如寺

左石垣の袂に 道標 「右 和束 前 笠置 左 奈良道」

道標前の国道

木屋地区に入ります

 左に 木屋不動瀧の案内板

左に上っていく熊野神社への参道の石段があります

 登り口左に 道標 「左 ふどう道」

熊野神社
不動瀧がここを上っていきますが、どれだけ距離があるか分からないので寄りません

国道に戻り左に、木屋黄金瀧不動明王の看板 を見て進む

木津川のゆったりとした流れ

左にようこそ笠置の看板

右に、ドライブインリバーサイド大扇屋っと息が抜けた場所

 ドライブインより600m程進んだ先で、やっと前方に木津川に架かる橋と笠置の町、右には笠置山が見えてきました

木津川の対岸に 笠置山

対岸の笠置町と運動公園、桜も葉桜の様です

橋までの手前左高台に 三神宮

三神宮からの笠置の眺望と木津川に架かる笠置橋

 右手の木津川と河川敷の運動公園の雄大な景色

 【寄り道】
ここで街道歩きを一旦中断して、念願の 笠置山 に登ってみます。木津川に架かる笠置橋を渡り町に入ります。
橋の先突当りの右角に笠置郵便局を右に折れる。100m程で分岐の辻に出ます。笠置山自然公園の看板が掲げられています。笠置山へは左の看板を潜ります。
右の街筋を抜けていく道は 大柳生の里 にす。

左の看板の下を進むと笠置山への登山道

笠置山への登り口に、石碑が二基 立っています。右の登りは急斜面で厳しいですが、左は自動車の上れる舗装道です。「笠置山史蹟巡暦道」「史蹟名勝笠置山」

笠置山(標高288m)それほど高くないですが、とにかく急峻な山です

笠置の街の眺め

この先、左の山の先が柳生

桜も綺麗ですが、紅葉時も素晴らしいようです

蛇行しながら暫く上っていくと、左に料理旅館松本亭があります 
一の木戸跡
戦いの時にこの一の木戸を守っていたのは三河国足助次郎重範公で弓の達人でした。下から攻め上ってくる北条軍の敵将を弓で撃ち落とした場所である。重範公は現在愛知県足助町の足助神社に祀られています

七町の道標

上り沿いの 石仏

真言宗智山派鹿鷺山笠置山寺
歴史は古く、飛鳥時代にはすでに創建されていたと伝わる。歴史の舞台として、元弘元年(1331)八月倒幕計画に失敗した後醍醐天皇がここに行在所として、幕府との攻防を行ったが全山焼亡した。その後、室町時代に一部復興したものの、江戸末期に荒廃、明治初年無住寺となった。その後、明治二十年現在の姿に復興された。

境内にある 笠置型燈籠
平安時代、笠置寺参道に建てられていたと伝わるが、現存は一基もない、幻の笠置型燈籠といわれていた。
愛知県岡崎市の石材業者の組合が大正時代に発行した本に、形式や寸法が記載されていた、今回復元したものです

本尊仏香爐
奈良時代の我国最古最大御丈20m大摩崖仏宝前の香爐で、室町期のものであるが江戸期手洗鉢の転用した

笠置寺本坊
笠置寺山内四十九院の一子院旧福寿院。全盛期には四十九院あったが衰退。江戸末期には四子院が無住のまま残されていた。明治九年大倉丈英和尚により橎寿院を笠置寺本坊とし、多門院は本堂毘沙門堂として復興した。創建より明治に至るまで山内四十九院を総称して笠置寺と称し笠置寺なる建物は無かった

解脱鐘(国指定文化財)
鐘の基底部が六つに切り込まれた意匠は、日本に一つしかない。中国形式の鐘で、建久七年(1196)東大寺俊乗坊重源和尚の作である。和尚が解脱上人に、鐘と中国より持ち帰った大般若経600巻を寄進した。しかし戦乱により消失、幸い梵鐘だけ残った

毘沙門堂
笠置寺四十九院の一子院多聞院の本堂本尊は鎌倉期の木造毘沙門天、伝説では楠木正成公の御念持仏といわれる

 すぐ近くにある 椿本神社

木津川の眺望

大師堂 石仏弘法大師(室町期)を祀る

山頂の石仏巡りの道

正月堂
笠置寺本尊弥勒大摩崖仏の礼拝堂(正月堂)、創立の建物は元弘の戦いで焼失したが、室町時代に復興された建物

十三重石塔(重文鎌倉時代)

十三重石塔の後ろの笠置石
天武天皇の伝説がある石、笠置町の町名の発祥の石

本尊弥勒摩崖仏 笠置寺本尊仏

千乎窟 千二百年来の笠置寺の修行場

千乎窟の正面と横から

伝 虚空蔵摩崖仏

胎内くぐり石

太鼓石

 巨岩の下を通ります

ゆるぎ石
元弘元年(1331)9月28日、後醍醐天皇が鎌倉幕府軍の奇襲を受けたところす。この石は奇襲の備えるため武器としてここに運ばれたが使用されなかった。重心が中央にあり人の力で動くため「ゆるぎ石」といわれている

 二の丸跡の巨岩

二の丸からの眺望

これだけの大きな巨石が沢山あるものです

二の丸跡
太平記には「笠置」の城は山高くして・・・・
と書かれているが、後醍醐天皇の仮皇居であり、正式な築城はされなかった。しかし室町時代以降、山頂行在所跡を本丸とみたてたのが一段下のこの広場を二の丸と呼ぶようになった

貝吹き岩
元弘の戦いの折、勤王軍の武士の士気を高めるため、この岩上よりさかんにほら貝が吹かれたといわれている。また修験者もこの岩の上でほら貝を吹いたといわれている

石段を上ると 後醍醐天皇行在所跡

斜面の下を見ると広場になっていて、桜の木が散った後でしたが、満開時には見事で沢山の花見客が見えられることだろう

椿本護王宮

 笠置山からの下りは、急峻な方の道を下ります

下り道左の 町石

石畳の旧道を下る

庚申堂 があります

石段の途中右の 町石

坂の途中にある 石仏

左下に笠置の街が見えます

笠置型燈籠 の立つ登り口に来ました。前述の分岐していた右の急坂の登り口です
下りは笠置側に下ってきました

笠置の街並みを戻ります

 笠置郵便局を真っ直ぐ進みます

木津川のところに出ます

木津川に架かる笠置橋を渡り、元の街道に戻ります。橋から右を見たところです
この先進む伊賀街道です

橋を渡り163号線の北笠置信号交差点に出て右に折れます。すぐ先左に、笠置町役場があります

役場の前国道沿い左に 史蹟及名勝笠置山の石碑

役場に上がる道の右に 祠 役場の北東側に笠置小学校

150m程先で、国道は笠置トンネルに入ります。道はトンネルを挟んで、右と左の道に分かれます。
街道はトンネル手前の左の急な坂道を上ります

左に笠置小学校を見て、集落の中の道を進みます

急な坂道がしばらく続く、民家が点在しています

坂の途中左に 

この地区は、小字峠阪 という峠道です。峠の頂上で道は分岐していますが、左の道を下ります

頂上から振り返ったところですが、かなり厳しい坂でした

分岐したすぐ左に 地蔵堂と宝篋印塔と立派な祠

お堂の中

街道向かいに 笠置型燈籠

 少し下ったところで振り返る

下りもかなりきつい下り坂です

 左に 灯籠

下っていくと民家が沢山建っています。道が分岐しますので、右の下り道を進みます

右の道を下るとまた同じような分岐に出ますので、右の下りを進む

 ほぼ真っ直ぐの急傾斜の坂を下っていきます。街道両側には民家が並びます

坂の右手方向には 浄土真宗本願寺派法輪山長山寺 が見えます

坂を下ると右手の木津川に流れる横川に架かる橋を渡り、右に折れます

橋から左(北西)眺め

右にカーブする左手に 山神社と地蔵

お地蔵さんが三体 祀られています

 京都自然の自然200選の標柱

横に杉の古木の株

街道はすぐ先で左にカーブしています
カーブしたすぐ左高台に 住吉神社と青森神社 が隣り合わせにあります

神社の背後山手に 真言宗醍醐派勝楽寺

街道沿い集落の右手の民家は低くなっていて、道が二階近くになっています

でも旧家が沢山残り趣のある街道です。振り返ったところです

この先の山間の集落風景

 左に木の鳥居と小さな祀られた 

やがて街道は、小字正司で左にカーブして、小川を渡り、U字形に急カーブしています

カーブした先の街道で、小字尻枝です

その先左手に 真言宗豊山派法明寺茅葺の本堂と大きな宝篋印塔

法明寺の全景を振り返る

素晴らしい旧道を進んでいきます

 小字根台で十字路に出ます、正面の狭い道を進みます

右手に 灯籠 があります。すぐ先で右の木津川に流れる小川を渡ります

小川を渡ったすぐに、分岐がありますので右に下ります

右に下るとすぐ正面に国道163号線に突き当り国道を左に折れる

左に折れた先右に 国津神社

国道歩道がないので注意しながら歩きます

緩やかな坂を上りながら小字船頭の国道を進みます

坂の途中から右にJR関西線が並行して走ります。振り返ったところです。この先すぐに南山城村に入ります。丁度、国津神社から1㎞程です。

坂を下っていった先、右に緩やかにカーブするところで国道の左に分岐している旧道に入ります

左の旧道に入った先、90m程でJR線の高架を潜ります

再び国道163号線に突き当り左に折れます

この先暫く国道を進むことになります。右に木津川、左にJR関西線の間の国道です。
前方に木津川に架かる 大河原潜没橋 が見えます。水面近くの低いところですので水が出たらすぐ水面下になるようです

北大河原地区です 大河原潜没橋を右に見る

本日は切りの良い大河原で終了します。JR大河原駅は国道の左高台です

1日目終了

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