初瀬街道 【5日目】完歩

2015年4月11日

川合高岡駅~松阪市六軒町伊勢街道合流点
初瀬街道もいよいよ最終日となった
今回は山に入らず、街中の街道でした。昨夜から朝まで雨が降り心配したが天気も良くなりました。
伊勢街道合流後、約1時間伊勢街道を歩き、松坂の城下に入りました。城下の史跡を散策して、初瀬街道を完歩終了します。
    近鉄川合高岡駅      8時10分 スタート
  伊勢街道との合流点六軒町  12時49分 着
       23.632歩  14.17㎞  1040kl
  松阪までと史跡散策終了   16時22分
       46.773歩  24.46㎞  1774kl

 
近鉄大阪線川合高岡駅8時10分スタートする.
駅前の道を左に進み

前回の起点、浪瀬川の八太橋へ

JR名松線で消失した川沿いの街道を見る

八太橋を渡り振り返る、左はJR名松線の鉄橋かつての八太橋は板橋であった

八太宿 に入ります

落ち着いた静かな宿場の街並み 宿の入り口辺り左に土塀の大きな旧家

雨の後で道は濡れていますので余計静かに見る、200m程先で左に折れます

左に折れた宿場の道筋

宿の中は八太の七曲りといわれ屈曲しています

70m程で分岐を右に折れます

 分岐の左の道を少し入っていくと 天台真盛宗宝善寺と斑光寺

 大きな 宝筐院塔 が並ぶ横に 地蔵さんの祠

分岐を右に進む宿の街並み

 100m余り先で突き当たります、正面は川合小学校のグランドです

グランドの網の傍に立つ 波多神社の案内板 

突当りを右に折れて10m程で左に曲がりますその左角に道標と石柱があります

道標 「右 さんぐう 左 はせ」 頭部のみ残る。横に 斑光寺跡石柱

小学校のグランドを左に数十m進みます、50m程先三階建てビルの飯田医院の手前を右に折れます

150m程宿の街並みを南に進みます

再び突き当たりますので右に折れます

右に折れて数十mでまた左に折れます

左に折れ80m程宿を進みます

右から先ほど分岐した道が合流してきます。
八太宿の七曲り もここで終わり宿を出ます。宿場には 武蔵屋・朝日屋・まる屋 などあって今も屋号が残っています

ここで一旦街道歩きを中断して【寄り道】をします。宿を戻り川合小学校の東側の道を北に進み、近鉄線を越えて浪瀬川の手前にある波多神社へ
波多神社の森が見えます

波多神社

多太神社の 秋葉山大権現と稲荷大明神

元の街道に戻り進みます。雨は傘がいるほどでないがしとしとと降っている。右に津市川合文化会館や見える伊勢八太駅が見える

伊勢自動車道の高架を潜ります

一志町新沢田地区を進む

建物は立っているが新しいものばかりで、昔はおそらく一面田畑であったと思われる

暫く進むと六差路に出ます

左(北)に入っていくと 片野新明神社

神社の回りに茶畑があります、明治頃まで茶の生産が盛んで江戸まで出荷されたという

六差路より150m程進みますと変則な交差点に出ます。分岐する道がありますが、ほぼ真っ直ぐの道を進みます。すぐ信号交差点に出ます

信号交差点から少し先右に、無阿弥陀仏と刻まれた 題目碑

その先の街道も真っ直ぐ進んでいます

南北に通る地方道と小さな川を信号交差点で横断します

広々した見晴らしのよくきく風景の中を進みます

更にしばらく進むと、嬉野高架橋の地方道路を潜ります。左になにわ寿司の店があります。川が右に沿っています

高架を潜るとすぐ川が左右(南北)に分かれますので、右の川沿いの道を進みます

その先で左にカーブします

更に100m程集落内を進むと十字路に出ます、正面のやや左斜めの道を進みます

十字路右角に 道標 「斎宮御道蹟 忘井 従是 右凡二丁 左参宮道」

十字路で【寄り道】十字路を右に進みます、進んだところから振り返って十字路を写す

100m程入った十字路角に 道標 「右 忘れ井道凡1丁」

南方向に 忘れ井
今は水が無く横に石碑が立つ
平安時代末期、鳥羽天皇の皇女、姁子内親王は四十六代斎王となり、三年後の天永元年九月伊勢へ向かう途中、この地で井戸水を求められ自分の心の迷いを鎮め二度と都の方を振り返ることなく一首を詠み「忘れ井」と名づけられたと伝わる。
       わかれゆく都のかたの恋しきに
       いざむすび見む忘れ井の水

斎王は新しく天皇が即位されると神に仕える未婚の皇女として三年間の厳しい斎戒の生活を送られた。

元の十字路に戻り進みます、やがて近鉄線の線路に出ます。左から高架を越えた道が合流します

合流した辻の右、民家奥に 石造り物

合流したところで近鉄線にの手前を右にカーブします。そこから集落を振りかえりました

この合流する地点より、500mほどの線路沿いに戻ると、 宮古市彦兵衛の碑 があります
文明二年(1479)国司北畠材親により宗教問題で非業の打ち首となった

合流地点に戻り右に曲がるその角に 初瀬街道の表示板   

右に折れて南に進みます。100mほど進んだ右道奥に

秋葉山大権現常夜灯・石柱 があります。石柱には嘉永4年の銘

その隣 常楽寺廃寺
応永二十年(1314)建立、明治4年廃寺となった。現在公会堂で中に常楽寺の本尊木造聖観音立像があります。

少し先で振り返り、宮古集落方向を見る

田畑の間の道を進みます。やがて中村川の堤に突き当たります

かつてはそのまま真っ直ぐに中村川に架かる小川橋が架かっていた。今は右200m程の所に新しい道が出来たので、そちらに移った

歩いてきた旧道を振り返る

中村川の堤道を右に進み、小川橋へ回る

小川橋を渡る、左方向の風景かつての小川橋があった

橋より右の風景

小川橋を渡り堤防を左に100m程進みます

左に旧小川橋がありました

中村川に架かっていた旧小川橋の対岸を見る

堤防より右に曲がります、小さな橋を渡ります

信号交差点手前で左斜めに入る旧道がありますので左に入る

少し進んだところで、信号交差点の左の十字路を横断して旧道に入ります

嬉野中川町に入ります

 右に 常夜灯 が立ちます 昭和7年の銘

すこし進むと右からの道が合流します

合流してすぐ小さな川の橋を渡り暫く真っ直ぐ進みます

常念寺前交差点に出ますので横断、

交差点右角に 小泉山常念寺

石碑  門前に 「真盛上人御旧蹟」

街道を挟んだ向かい側に 式内社小川神社
平安時代ごろで古い神社、明治41年、村内の31社を合祀

境内にある 常夜灯 年代が読めないが古いもの

 小川集落を進みます

集落内左に 小川山西方寺
門前に壇ノ浦に敗れた平家伝説の五六橋がある

集落を進みます

道は分岐しますので左の道を進みます

分岐した先150mほどで左に 常夜灯 昭和6年(1931)

暫く南に歩きます、左に大木とグランドの左先に須賀神社の森が見えます

右からの道路が合流する少し先の左への道を入ると須賀神社です(寄り道)

延喜式 須賀神社 須賀の産土神で須賀権現とも呼ばれる古社

須賀神社の参道

927年の記録にも残る、明治41年旧豊田全域の神社が合祀されている。境内の石段横には「天の真名井」と呼ばれる井戸がある

石標 境内にあり「式内須賀神社権現前居邑権現社境内」と刻まれている

須賀神社境内の 道標 「式内 須加神社 是より壱丁」

嬉野町権現前町を進む

左に 曹洞宗悦野山萬福寺

左に緩やかにカーブしながら須賀領交差点を横断します右に折れるとJR名松線権現前駅

左に宇陀鍼灸院、嬉野津屋城町に入ります

 左に中原神社の森が見えてきます

神社の角で十字路となります 左の 中原神社 竜燈の森、鶴の宮とも呼ばれている、大晦日には付近の神々が集まり夜中に大小の火の玉が舞うという伝説がある

境内の 常夜灯

神社の前の十字路右(南)への町筋。右でも真っ直ぐの道でもいいようです
右に進む道は、暫く真っ直ぐ南に歩きますと三渡川に出ます、川の北岸の道を東に進み、近鉄山田線を越えて巡見橋へ至る道。車が多い道のようですので真っ直ぐの道を進みます。

 真っ直ぐの町筋

すぐ左に明治時代銘の 常夜灯

近鉄山田線の踏切を越えます。右側に伊勢中原駅がありますが小さな駅です

踏切を越えて右側の田畑の中、伊勢中原駅の東側に 長宮塚
津屋城主別府九郎左衛門武綱の墓。田んぼの中に小さなが残る盛り土

嬉野津屋城町地区 200m程進みます、途中小さな川を渡ります
左に小林酒店があるすぐ先の十字路を街道は右に曲がります

左角に 常夜灯 明治28年の銘で頭部が欠落しています

十字路を右に折れますが、100m程真っ直ぐ進むと左角にも 常夜灯

常夜灯の辻を左に入ると 常蓮寺

浄蓮寺の北隣に 善勝寺

十字路に戻り右の常夜灯を見て南に折れて進みます。正面の道は伊勢中原の踏切から進んできた旧道を振り返る

十字路の南への細い道を入ります

そこから150m余り先で十字路に出ますので真っ直ぐ進みます

 十字路から200m程先で、変則十字路に出ますので、左の道に折れます

左に折れた道は緩やかに右にカーブしています

すぐ先でT字路となり旧道は完全に田畑となり消失しています。かつての旧道は左斜めに進み三渡川の出て渡しで対岸に渡っていました

左斜めに旧道はあった

左に折れて迂回道を進みます300m程真っ直ぐ進むとT字路となり右に折れて100m程進むと

三渡川に架かる巡見橋に出ます。この橋の袂で前述の分岐したルートの道が合流します。(かつて別ルートの旧道はこの橋の対岸で合流していた)

橋の袂から消失した田畑の中の旧道を見る左端の堤防道は別ルート道

橋の左側(東)三渡川の景色、前方に紀勢本線の鉄橋

橋を渡り南袂辺りが 渡し跡 

巡見橋を渡り左に折れます、川沿いに堤防を進む

JR紀勢本線の踏切を越える

 前方に見える橋が三渡川に架かる三渡橋で、初瀬街道の終点(起点)です。まもなく初瀬街道も完歩となります

左、三渡橋
涙川とも呼ばれた、中世には渡しが三ヶ所あったため、三渡の名がつけられた

左、三渡橋 から 伊勢街道 が南(右)へ合流します

 橋のたもとに大きな 道標
「いがごへ追分」 「右 いせみち」 「やまとめぐりかうや道」

常夜灯
伊勢街道を挟んで道標の向かい側に立つ

この辻は、三渡橋を渡ってくる伊勢街道と川の南岸を進んでくる初瀬街道との合流点である

北から三渡橋への伊勢街道

南への六軒町を進む伊勢街道

正面の道は 初瀬街道
左右の道が 伊勢街道

少し伊勢街道を進んで振り返ったところ

初瀬街道 完歩

初瀬街道を歩くにあたり、三重県みえ歴史街道ウオーキングマップ「初瀬街道」を参照させていただきました。非常に貴重な資料であり事細かく、おかげで無事歩くことが出来ました。このマップがなければどこまで歩けてかと思います。三重県環境生活部文化振興課のご努力に合わせてお礼申し上げます。

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