薩摩街道 【第3回 ⑳】

2024年11月9日

新水俣~水俣~冷水~袋~出水駅
出水駅6時48分発で新水俣駅7時13分着
昨日の起点を7時20分スタートするが、昨日少し消化不良の所があり、1㎞ほど戻りスタートしました。
また「土の瀬戸」越手前で道を間違え戻る、陣の坂もきつかった。今日は足の疲れがピークであったようです。終盤で雨が降り始めたが何とかまに合いホテルへ
          ホテル 16時34分
         46.471歩 27.88㎞ 1508kl

昨日の新幹線高架の先、小津奈木川に架かる橋まで戻る。
昨夜資料で確認したところ、川沿いの道をおれんじ鉄道の陸橋まで歩きすぐ先に眼鏡橋があるようでした

見つけることが出来ました 瀬戸眼鏡橋 普通に歩いていたら分からない

瀬戸眼鏡橋より国道に戻ります

その先国道3号を進み新幹線の高架を潜った左に、昨日見た追分地蔵の道標が国道沿いにあります
右手に新幹線のトンネル口があります、かつての旧道が通っていた辺りの山裾。国道を進みます

少し進むと国道を左に分ける山裾を進む右への細い道があり標識も立っています

左に川、右が山裾の道、右手に新幹線のトンネルの口のすぐ下の高架を潜って反対側に出ます

すぐ先で左に折れて小さな橋を渡ります

やがて左からの国道に合流しますが、その左に小振りながら  隈迫眼鏡橋

反対側から見ると水面に影が映って綺麗

新水俣駅に戻ってきました
一つ残念なのが、折角瀬戸眼鏡橋に戻りながら、国道を挟んだ西側付近に前田眼鏡橋があったのをすっかり逸してしまいました

隈迫眼鏡橋の所で国道に合流しないで、右の旧道が少し残っていたので国道に沿って歩く、再び昨日の起点からスタート

直ぐ国道に出ます、右を通っていたかつての旧道は消失しています

信号交差点の辻右の旧道に入りますこの先で道路改修で間違ったところ

旧道を入るとこの先、道路改修が進み参考資料等で確認するも随分道が変わり歩くのは難しい。
旧道を入っていくと、ひばりヶ丘住宅で国道渡るには新しい高架道路なので少し街道から離れます、結局またこの信号に戻り国道3号を横断して左側を進むことになった

国道の左側を200m程進みます

前述の旧道が国道に出てきたところの反対側が広くなっていて、中古車自動車センターがあります

中古車センターの角に南西に進む細い道があるので左に折れ真直ぐな道を進みました

景色がいっぺんに変わりました古城3丁目地区 この先の雑木の中を抜けていくようです

突然雑木に突き当たります。薄暗い雑木のトンネルです

切通の狭い道の急斜面の坂を下るようです

土の瀬戸 という短い区間のようですが、足元が悪く滑らないように注意

急なので手摺がつけられています

下るすぐ下には集落が見えています

下から振り返ったところ、標高は大したことないし距離も短く、とにかく薄暗くて特異でした

やがて水俣川に突き当たり右に折れますが突当りに 地蔵尊

右に折れた道を少し進む

直ぐ分岐を右に入った道で、右手に水俣第一中学校があります

続いて右手に 陣内阿蘇神社
祭神は健盤龍彦命は神武天皇の皇孫になる、大和朝廷の時代、南九州鎮守使として統治していた。阿蘇地方の外輪山の開拓に努め、住民の生活に貢献された。その功績をもって、第7代孝霊天皇9年(前821年)阿蘇郡一宮町に阿蘇神社としてまつられた。

神社の角に立つ標識

交差点となり、ここで少し(寄り道)右の高台の 水俣城跡 を見学します

古城丁目 公園になっています

石碑が建っているが確認していません

公園の坂を上っていくと左に 妙勝寺(現加藤神社)

この辺り一帯は 水俣城跡 肥後最南端の中近世の城郭慶長17年(1612)肥後一国一城令により廃城となる

水俣城跡の石碑

西南の役 薩軍慰霊の碑

激動する日本に新時代の息吹きを興し新日本の原動力となった、西南の役百年を歴史的に有意義あらしめ西南の役当時水俣の山野で戦没し異郷の空の下に眠る 薩軍の有縁無縁の墳墓 を発掘整理してこれを合祀し戦没者の霊を慰めるためここに慰霊碑を建立する。地下の霊よ安らかに眠りたまえ
昭和53年3月11日 水俣市教育委員会
70基の墓が発掘された場所、墓石が並ぶ

城跡に立つ 清正公を祀る加藤神社 
当時加藤氏の城代であった、中村将監が清正の冥福を祈って建てた妙勝寺が明治になり神社となる。清正公の木像が安置されている

隣にある 稲荷神社 

城跡に 東福寺

城内の一角に 古井戸跡 が当時の名残

城跡を後にして進み直ぐの交差点を過ぎた右に旧家の 深水家 前の細い道を更に坂を登っていけば

陣内官軍墓地
城跡に 墓石42基の官軍墓地 が整然と並んでいるのが浮かびます。
墓を見ると勝てば官軍負ければ賊軍の伝えが、墓を見るたびに思うので寄っていません

すぐ先が変則五差路になっています、左手奥に 眼鏡橋 

陣内の街並みを進みます

陣内の町筋を進むと国道3号の交差点にでる左に新水俣橋手前辺りに 細川藩の代官所跡 という何も遺構はない
交差点を横断した右手角に 徳富蘇峰記念館 で直ぐ隣が市役所

記念館の前に 徳富蘇峰像

徳富蘇峰・蘆花は兄弟は、水俣の偉人です。明治3年(1870)熊本に移るまで7歳、2歳まで過ごした。
記念館は国の登録文化財。また記念館敷地内に2本の銀杏の木は蘇峰から贈られた木で「愛郷・望郷」と命名されている。蘇峰が晩年過ごした熱海市の晩晴草堂から贈られた

この後、徳富蘇峰夫妻の墓や、生家、源光寺を見学予定していたが少し時間的に無理かもしれないので諦める

水俣川に架かる新水俣橋を渡らないで、橋の袂を左に堤防を上流に進みます

暫く堤防を進んでいくと、水俣川と湯出川が分岐します。ここから水俣という地名の由来という。

また分岐するところが、かつての渡河場所であった
今は渡河できないので上流に300m程進み、右の鶴田橋を渡り迂回します

鶴田橋から下流の分流sる渡河方向を見る

橋の少し先で肥薩おれんじ鉄道の踏切を渡ります

踏切の100mほどさき、右斜め後方からの道が線路まで伸びています、この地点に線路を越えた旧道が水俣川の堤防にとりつき少し堤防を左に進んだ辺りが渡河地点です
寄れないが右斜め後方を見る
そしてその地点で、右斜めに小川沿って旧道があるようですが少し先で消失しているのを確かめてから街道を進む
更に右斜めからきた旧道は、車道に合流する手前でくの字に左斜めに進み、これから進む字廻り通りの湯出川に架かる江南橋の下流に出ていたようです

その先 南福寺貝塚入口の石碑 がある

字廻通りの湯出川に架かる江南橋を渡る

江南橋の右、水俣川との合流方向で、湯出川の渡河地点は200m程下流です

江南橋程下流に永坊沿いを進み見ます、渡河地点と対岸辺り

江南橋を渡り右に折れ200m程先の渡河地点で、左に折れるT字路です

少し入って車道を横断して正面の狭い道に入ります、そして民家を抜けていきます

陣の坂への登り口 に着きます

民家の跡なのか石垣が旧道沿いに積まれています

真直ぐで結構急な登りです。でもいかにも旧道と言った道です

何とも言えない雰囲気の登り道

苔むした足元がゴロゴロと石がある道で舗装道に出ました

道路の向かいに 薩摩街道の標識 からふたたび旧道に入る
舗装された道は蛇行して登っているが、陣の坂はほぼ真直ぐ上っています

直ぐまたUターンしてきた自動車道に出ます、自動車道は蛇行を繰り返し通っています。旧道はそこをほぼ真直ぐ登っている

自動車道を横断してみると手摺のある石段があります。急で結構長いようです

上から見た階段

石段が終わり急坂を登ります

石垣の積まれた感じのいい坂道

すると再び自動車道に出ます

自動車道を左に折れるが、右に自動車道を200m程行ったところに(寄り道)

石段の上に 山王神社

元の所に戻り左に折れます、自動車道を右に分け左の山道に入る

結構広い旧道があります

峠の頂上辺りに 高山彦九郎ゆかりの公徳之碑鬼の歯型石 がある
この辺り表示がないが のようです

なんとも言えない素晴らしい木のトンネル道夏場であったらチョット引けますね

左に変わった形の石組をした石垣 蟹積み というのだそうです

素晴らしい江南町の峠越の旧道が終わり、坂を下り自動車道に合流して左に右手角にハゼの大木の根元から伐採しています。かなりの年輪ものですが、多分枯れたか、大きくなりすぎて旧道を覆って、なかにはハゼアレルギーの方もいるから切ったのかも

合流した先200mで分岐を右の道を進み、その先道なりに400m程進む、この旧道は藩政時代には細川藩がハゼの木を奨励し両側に植えられていた。はぜのき街道 と呼ばれた。
途中右に枦集会所があります。

やがて道は分岐、左の道の方が広く、小川を渡り右に大きくカーブして街道と交差して右に離れていきます。
街道は右の道を斜めに進み、小さな橋を渡り、少し進むと五差路に出ます、先ほど分岐した道がこの辻で交差します。

更に街道は五差路に出るので、五差路のほぼ真直ぐの道を下る

この十字路左辺りに、侍茶屋・三本松跡 があったようです。
また十字路を右に折れて左にカーブした先右手に、秀吉の肥前陣屋跡 その背後の山に 殿様石 があるようです

十字路を越えると急坂を真直ぐ街道は下ります

朽ちた標識が倒れている

急坂を下る途中左に 侍街道はぜのき館

はぜの木の大木が各所に見かける。ハゼは和蝋燭の原料で少し高価

はぜの木街道を進む、民家の傍にも植えられています

暫く進んだ右に 薩摩街道二十四里木跡の標柱

坂口川に架かる前平橋を渡る

坂口川

前平橋の右手に 眼鏡橋

前平橋の先の十字路で建物のあいだの旧道

石垣の積まれた気持ち良い旧道を緩やかな坂を上る

右手に大きな石に 薩摩街道と刻む石碑 蘇峰七十八の漢詩 を刻む大きな石 

その傍に 観音さん が彫られた石

石碑の前の街道を振り返る

水俣市営陣原団地を通ります

その先の十字路は急に狭くなる街道

少しわかりにくいが左角に 史跡 佛石の石碑

十字路を左に折れて直ぐさきの民家の傍に草に隠れて見失いそうな 佛石 関ケ原の戦いで島津軍と水俣軍とたたかい、島津の将が自刃した地で祀っている。悲しいかな草でよくわからなくなっている

十字路に戻って真直ぐ進む道、標識があります

十字路を真直ぐ進む前に右に行くと、やはり関ケ原に戦いのとき、島津と水俣軍が戦った戦死者の霊を祀った石碑があったが逸した 千人塚

十字路の先を進んでいくと、おれんじ鉄道で街道は消失しており、鉄道を越える路線橋で越える

路線橋からのおれんじ鉄道

冷水(ひやすじ)地区に入る

街道より少し左に入ります(寄り道)

下の谷川に下りていくと 

冷水水源地 があります、ここが正しいのかは案内標識がないので分かりませんが

それらしき溜り場になっています 冷水水源地 すこしの水が落ちています

街道に戻ります

冷水眼鏡橋

やがて右からの国道3号に合流します

すぐ左の車庫の横の旧道に入ります

すぐ先左石垣、右からの道のT字路のに沿って
袋御番所跡の石碑

滑り台のある遊園地に 地蔵堂

そのすぐ先の道は非常に狭く街道かと思うようです

すこし先小川に突き当たり、小川に沿って右に折れ国道3号に出て迂回します。国道を左に折れて数十m程先の信号で左に折れます

再び細い旧道を入っていく

50m程先の十字路の手前右に、白い標柱の、袋天満宮入口の案内がありますが寄れません

この辺り旧道がよく分かりませんので、右の国道3号に出る
国道に出ると右手に袋天満宮があり、その奥の西側に袋小学校・中学校が見えます。
この先、おれんじ鉄道の踏切までかつての旧道は、国道に沿って右を通っていたようですが、一部を残して消失しています。

南袋バス停があります。直ぐの所のガードレールの切れ目に右に下る細い道があるので、旧道の残っている道か入ってみます。道らしきところもあるがよくわからない、下って行ったがよくわからないので国道に戻ります。

国道を進みます

右下の集落の中を旧道は通っていたようですが、何方にしても地図では集落の先で、旧道は歩けないようです

緩やかだが国道の坂を上っていきます

やがておれんじ鉄道の高架下を潜ります。この辺りまで右の山手を消失した旧道が上ってきて、国道に合流して、国道の左側に沿っていた

高架の先400m程国道を歩くと信号交差点に出ます、すぐ右手が袋駅

袋駅前の信号を越えて直ぐ右に入る道があります国道3号は左に分かれます

小さな川を渡り石垣を背にした標識を見て進む

緩やかな上りの雑木林の道

快適な静かな旧道を進みます

頂上辺りか、右手に標識を見て下りに入る

下りきると国道3号に出ます

国道を数十m先でおれんじ鉄道高架の手前で、左に入る道があります

左に入る右に 乙女塚の標示 があります

乙女塚の案内標示があるが塚らしきものがない

その先歩いていると右鋭角に下る道を通り越したようで、少し戻りました

途中水俣病で亡くなった方の慰霊碑を見落とした。手を合わせたかったが(先輩の写真お借りします)

間違って戻る道途中に、気が付かなかったが右に一軒民家があるところ、鋭角に右に下る細い道を進む。
案内標示がなかったような気がします私が見落としたのか、もしないならこのような要所にはほしいものです

鋭角の民家の前を下って行きます

坂を下って行きます左は境川です

少し草で荒れた道を進む

前方におれんじ鉄道の高架が見えてきました

境川に架かる 境橋(眼鏡橋)肥後と薩摩の国境、藩政期は防衛上橋は付けられていなかった。明治16年(1883)肥後の石工によって建造された。アーチ型の石橋

橋を渡った先少し荒れています

小さな橋を渡って進んでいくと、舗装道路に出ます

道路を挟んだ向かいに 竹藪に隠れるように 白い標柱笹原の茶屋跡

茶屋跡辺りから旧道は真直ぐあったようだが完全に消失しているので、右に折れてガードを潜り国道3号まで直進する

合流地点に 薩摩街道出水筋の標識 この辺りの街道は出水筋が付く

国道に出て左に折れる切通(きずし)バス停暫くは国道を進みます

右手に八代湾が見えます

門司から287㎞の表示

左に切通小学校先の神社まで左に少し国道に並行して旧道が迂回している

左に 金毘羅宮

その先で前田川に架かる前田橋を渡る

前田信号交差点で右の海側に折れます。国道の信号を越えた先に昔から旅人に重宝された湧き水 御前水があったが逸した

前田信号を右に折れて新しい道を進む、道は大きく左に半円を描いて国道を高架で越えています右手には海が広がり、その向こうには天草諸島が見えます

左に大きくカーブした先でオレンジロードで国道・おれんじ鉄道を高架橋で越える

オレンジロードを下って行くと右に旧道が残っているので右に入る

短い区間でしたが旧道跡です

暫くオレンジロードをひたすら歩く

やがて櫓木川に架かる櫓木橋を渡る

針原地区に入る

右手高台に大きな木と 神社

更に平凡な道を下って行きます。車が少なくていいが、真直ぐの先が見える長い道はすこし辛い

やがて関外バス停がありその先の右に分岐している旧道に入ります

ガードレールが切れたところ右へオレンジロードは真直ぐ

左高くなったところに 有村雄助首実験の地の石碑

振り返ったところ

緩やかな坂を上っていきます

右T字路の左角に 野間之関址の石碑 東郷平八郎揮毫

薩摩藩と肥後藩の国境の要地で関ケ原の戦い前後の設置。藩政時代の領外への主要陸路で、出水筋・大口筋・高岡筋の三筋であったが特に出水筋が特に重要視された。関周辺には六ヶ所の番所もあり厳しかったという。

関址の唯一の遺構 野間の関の古井戸

関址の広場

関址の過ぎた角右T字路を左折れする

左折れして道なりに右斜めに暫く進みます 米ノ津東地区

道なりに進み下錆町から平松地区に入った十字路で街道は右に折れますが、少し左に(寄り道)入っていくと
加紫久利神社の赤い鳥

薩摩二の宮
式内社で延喜式には代々朝廷の崇高厚かった。本殿には立派な鶴と亀の彫刻があるところから鶴亀神社ともいわれている

元の十字路を右に進む

やがておれんじ鉄道の山王様踏切に出ます。踏み切りの台座に乗せられている上半身の仁王像この辺りが加紫久利神社の山門で古くは参道が延び賑わったという

左右 二体の仁王像

踏切の先直ぐの十字路を左に折れます

そして250m程先の分岐を右に折れます

そして高柳川に架かる高柳橋を渡ります

長閑な田園風景が広がります。六月田町・黄金町と続く、この辺り菜の花が咲き乱れ鶴の姿が見られる普通の景色だそうです

結構広い道で車も通らなく最高

これは何だったのだろう お地蔵さん か

出水市の沖田地区に入りりま、左は沖田工業団地

右手に出水市役所庁舎

その先、昭和町に入ると左に出水駅

今晩のとまり昨晩と2連泊で駅前のホテル移動時間が少なくて助かる

新水俣駅 7時20分スタート 出水駅前着 16時34分 1時間ほど前から雨が降りだしたが丁度良かった
          46.471歩  27.88㎞  1508kl

次の日はコチラ

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