薩摩街道【第3回 ⑲】

2024年11月8日 

佐敷~津奈木太郎峠~津奈木駅~新水俣駅前
佐敷のホテル7時に出て、昨日の佐敷宿の起点7時30分出発、今日は三太郎峠の一つ津奈木太郎峠越、峠の頂上で道がよくわからなく迷走、またまた佐敷の交流館に何度か携帯電話してご迷惑をかけました。大丈夫かなと思っているだろう
迷走で時間をとってしまって水俣駅まで行けず、新水俣駅で終わった。
完全といかないまでも、三太郎峠を完歩。ほっとしました

        ホテル 17時10分着
        40.196歩 24.11㎞ 1242kl

昨日の起点よりスタート

すぐ左手に佐敷中学校がある。中学校の裏側には 古城 であったようです

中学校の街道挟んだ向かいに 実照寺

仁王像 元、平等寺(現在の杉本院)の仁王門であったが、廃寺になったため移築された。定朝や運慶の作ともいわれている

その先真直ぐの道を進む

やがて南九州自動車道の芦北IC高架を潜ります

高架の所に五本松バス停があり、湯治川に架かる五本松橋があるところ、橋の袂を右に川に沿います

反対側北への道の旧道は高速道で遮断されているが 人吉街道 と分岐していた追分

左の湯治川に少し並行して歩きます

薩摩街道の案内が気になっていたが、薩摩の表示は分かるが、今までも間違っているわけでないが、江戸になっています。

かつての旧道は、右から下ってくる道が旧道跡で、今はその先は雑木林で消失しています
薩摩街道の案内標識も上を向いています。

案内標識の所に、勝手に思ったのだが、右斜め鋭角に山手に入る登り口があり、かつてのここから山越えをして高速道の向こう側に出ていたのでないかと想像しました。
間違っていても是も又楽しみの一つ。坂を上っていくと道は無くなっています

五本松の集落を進んでいく、左から新道が合流

合流する角に 十九里木跡の標柱 が立っています

振り返ったところ、向かって左から来ました、角に標柱があった

まもなく 湯治坂 の登りです右に左に急カーブしながら登っていくと

坂の途中に 湯治坂板碑
昭和49年に発見された、安山岩の自然石。地蔵像が錫杖を持ち立ち姿が石に線刻されている。文明12年(1480)建立、芦北地方最古の板碑

板碑の付近を少し整理すると、板碑の少し手前、右の清掃センター手前から右に入る旧道があったようですが、今は完全に消失しています。かつての旧道はこの坂の清掃センターの右手を下っていたようです

やがて右手下に、廃道化した清掃センターからの旧道の道が見えます

湯治坂を下って行くとこの辻に出てきていました、少しだけ旧道跡が残っているようです向かって左が廃道化した旧道か
旧道跡か入って行ってもいいのですが、この先、津奈木太郎峠越があるので時間的に余裕を持ちたので諦めます。

そのすぐ先で湯治トンネルを抜けてきた高架道路を潜る

高架道路を潜った先でおれんじ鉄道に突き当たるところで振り返っところで

かつての旧道は突き当りを左に、おれんじ鉄道と並行して進んでいたが、旧道は消失していますので右に折れます

右に折れます

すぐ先で左に折れて、肥薩おれんじ鉄道の、そとひら踏切を渡ります

湯治坂方向をふり返って見る

そとひら踏切

踏切を渡り左に折れるところで、右の国道に合流せず線路に沿った道を進みます

400m程先で、再び高速道の高架道路を潜る

潜ったすぐ先、左手の石垣の上に 小さな地蔵尊2体

更に左手に 男女の道祖神の祠

左手のおれんじ鉄道に沿って進みます

左手線路の向こう側に下ってくる坂道があり、その途中に 二体の地蔵 が祀られている祠

左のむこう線路に沿って下りてきている道、祠の前を抜けて踏切に出てきています

前述のT字路で左の消失した旧道が山越をしてここに下ってきていた旧道跡だろう、少し急坂を逆に上ってみます

二階建ての民家の手前の道

登っていったとところで、旧道は雑木林で消失しているようです、ここで引き返します

右下におれんじ鉄道と400m程前方の湯浦駅と周辺の町を見ながら下る

前述の二体の地蔵尊、何か包帯のように全身を覆っています、痛々しい

その先右の踏切を渡り元に戻ります

線路を左に分け右にカーブして湯浦川に架かる湯浦橋を渡ります橋の袂に案内標柱があります

すぐ先で国道3号を横断します。前を近くの男女の方がウオーキングをしているようです

横断した先、50m程の十字路を左に折れます。右手の駐車場辺りが 高札場跡 男女の方は真直ぐの狭い道に入っていきました

左に折れた先、右手に 稲荷神社 その前に 三体の地蔵尊 湯町の街並みを進んでいきます

やがて十字路の右手に 大河内往還改修記念碑 が立っています。近くに星野美術館があります

十字路の先100m程で真直ぐ進まず、右の橋を渡ります

橋を渡り道なりに100m程進むとT字路に出ますので右に折れる

右に折れて坂を100m程下ると分岐しているので左の道を進む直ぐ右手に湯浦小学校が見えます
小学校の背後の山が、湯浦城跡ということです

学校を右に見て道園地区を進む

左手に 聖観音堂 

道園から山川地区に入る

右に入る細い旧道があります

150m程先で、先ほど分岐した道が左から合流します

合流する手前民家の傍に お地蔵さん が祀られている

その先、高速道路の擁壁に突き当たります。ここで間違ってしまった、真直ぐ右の擁壁に沿って300m程行ってしまった。旧道は後で資料を見ると、かつては高速道を右斜めに横切っていたと思われるが高速道で消失
結果この右に戻ってきます

後で戻ってきたら、右の擁壁の下に小さな案内標識がありました
とにかく標識を見落として真直ぐ進みました(間違った道)

300m程入ったところの突き当りですここでUターンします
金網で通行止め、左は雑木で道がない

出来るものなら勝手ですが、もう少し大きな案内標示が出来ないだろうかと思った
一人で歩いていたらどうしてもすべて拾って進めないから
擁壁に表示があったところに戻ってきました。もちろんこの左の道は、高速道で一緒につけられた登り口への迂回路です

100m余り右鋭角に戻り高速道、湯浦トンネル出入り口の上を歩道橋で渡る

歩道橋の上部で下は高速道。この歩道橋の前後付近民家もありません。多分旧道を歩く人のためか、山に入るに地元の方のために造った歩道橋のようですそんなことないか何か計画を考えてのことだろう

陸橋を渡り再びUターンして緩やかに左の高速道を見ながら進んでいきます

左下に高速道を見ながら300m程改修した道を進んできました。行きどまりで少し広場になっています

右に標識がありここを右の急峻な斜面を上ります。ということは前述の高速道の反対側から旧来は街道があったということになります。先ほど間違ったと思って右の高速の擁壁に沿って歩いたが正しかったということになります
三太郎峠の3つ目の津奈木太郎峠の登り口です。迷わず越すことが出来るか心配ですが

急斜面なので綱によって誘導していただいてます綱がなければ道かどうか分からないかも

綱を頼りに山中に登っていきます。自分ながら一人でよく歩けると感心します。夏場なら無理かも11月だからマムシもいないかも

綱もかなり弱ってきているようですが張るのも大変だと思います感謝

同じような写真ばかりですが、実は一人歩きをしていると、このようにとりとめもない写真を撮りながら歩いていると気がまぎらうのです

どんどん登っていきます

ここへきて赤い紐で目印が木につけられています
でも気を付けて登っていたのですが、案内標識がないのが寂しいですね

少し広くなった平坦な所に出ましたここで迷ってしまった、何でもないと思うのだがわからなくなって、また「佐敷の交流館」にお電話して聞いたところ、津奈木峠に詳しい方の連絡先を教えて頂き、仕事中であったがその方に携帯連絡をして聞いて解決しました、その折は大変お世話になりました。有難うございました
この広場で90度に右に折れます。勝手言いますが、この曲がる正面に標識が欲しいところです

右に折れたところに標識があった、歴史ふれあいウオーク右へ

右に折れて標識をみつけ安心して進むことができた

その先で整備された、石畳道に変わった街道

石畳道はすぐ無くなりまた元のような道になりました。とにかく注意しながらここまで来たら標識を外さずそれを頼りに歩くしかない

すこし道は荒れているようです

薩摩街道町境の案内標識と歴史ふれあいウオークの案内板が隠れるように立っていました

よくわからないが多分この地点が 津奈木太郎峠三太郎峠の最後の峠。標高278m、決して高くはないが山深いかつてはここに 峠の茶屋 がありました。この近くの地蔵脇から清水が湧き出ていたそうです。
正直三太郎峠について、ここが峠というはっきりした標示があれば助かるのだが。余り歩く人もいないのかな、でも時折ウオーキングを開催されているようですが。今までお世話をされていた方々も歳をいってきたから勝手なことを言ったら叱られる。

もう本当に、綱や踏み跡・標識を頼りしか、持っている資料も役に立たず、どこを歩いているかよくわからなくなってきた。綱を頼りに急斜面を下ると舗装道に出ました

標識と赤い紐

舗装道路に出ました、本来の旧道は峠辺りより下り舗装道へ出へ出てさらに真直ぐ南に下っていたようです。部分的に旧道の標識もあるのでそれに沿って歩きます

すこし舗装道路を上ると左への急斜面を下る

標識があります

急斜面の下る谷道にロープがあります。旧道はほぼ真直ぐ谷道を下り、舗装道はそれを迂回しています。

下って行くとまた舗装道路に出ます前述に説明したように、蛇行して下っている舗装道の最短を旧道は真直ぐ下っています

藪で旧道が消失して下れないところは舗装道を下ります
この辺りの地下は、新津奈木トンネルが抜けています

この辺りの地下は、新津奈木トンネルが抜けています

標識を頼りに進みます、幸い天気が良くて良かった、雨であるととても一人では注意散漫となり歩けないだろう

舗装道より標識のあるところの旧道を下ると

すぐの所に、水呑場の案内板と地蔵の祠

地蔵さんの先

地蔵の先、旧道の下り道のようですが、藪が深くとても下りながら藪を搔き分けながら歩ける状態でないです。11月でこのような状態ですから、夏場は無理だし歩く人もいないだろうから、ほぼ廃道化の状況です。
無理をせず折角赤い紐をつけて頂いている舗装道を下ります赤い紐が下れませんよと言っています

舗装道が急カーブしたロータリーになっています

舗装道が蛇行した下に道が見えます。また赤い紐もありますので短い距離だから真直ぐ藪を搔き分けながら旧道跡を下ります正面の木に赤い紐

舗装道に下ったところ、また右の真ん中の木に赤い紐があり、右に下ります

草で道が隠れる程ですが、棒で道筋を導いているので草を分け下って行きます

案内標識が左にあり、その先急カーブの舗装が見えます前の視界が広がりました

左の標識と、舗装道から振りかえった草道の下ってきた旧道

津奈木太郎峠が無事越えれたようです
何時ものことですが、ほっとした瞬間と満足感で嬉しさひとしおです。これは実際歩いているものにしか実感が分からないと思います

舗装道を下って行きます

貯水槽があります

右手に案内標示その左に千代塚

千代塚沢山の墓碑・顕彰碑が建っています
千代は今からおよそ300年前(1668年寛文8年)千代が7歳の時、病気がちの養子の父は百姓が出来ず実家に戻り、父と分かれ、その2年後母が亡くなり、千代はその時9歳、60歳を超えた祖父母に孝養をつくした。その孝心は大きくなるにつれて益々厚くなっていった。その後も筆舌に尽くせぬ孝養をしたのを、藩校の耳に入り貞享2年(1786)から毎年米10俵賜った。千代が18歳であった。77歳で千代が亡くなるまで続けられたという。
素晴らしい良い話を目にした。

下って行くと案内標識が立つ

その先で、国道3号のトンネルを潜る

ガード下を潜り標識に沿って進む

右からの車道と合流します

200m程先で高速道の高架を潜る

その先右にカーブしながら長閑な街道を進む

やがて千代川に架かる 内野眼鏡橋

標識を左に見て、農道竣工記念碑が立っています辻を右へ

内野地区を振り返る

分岐を右に進みます

T字路の辻から200m程の先で千代川に架かる 寺前眼鏡橋 を渡る案内標示の傍に 二十一里木跡の標柱 

暫く歩いた先で国道3号に突き当たり左に折れる

左に折れたすぐ先左に、案内標示と 石の祠案内標示の江戸が道のない山を指している。かつては旧道が通っていたのだろうが、かえって紛らわしいと思うが

右にカーブする左に 亀萬醸造元 の建物

亀萬醸造元の建物の北側に山は 舞鶴城跡公園

国道を左に分け右に入ります 暫く大手地区の集落を進んでいきます

右手山裾に 稲荷神社の鳥居 その背後にうまく撮れていないが

奇岩重盤(ちょうはん)岩

すぐ先左に何だろうと驚いた、左のつなぎ美術館から右手の重盤岩にケーブルが繋がっている

振り返ったところ

右手山裾の 阿蘇神社

左に 重盤岩眼鏡橋
津奈木川に架かる石橋は、北側に聳える奇岩重盤岩にちなんで名がつけられた。嘉永2年(1849)津奈木総庄屋江藤三郎左衛門為経の尽力で架けられた橋。石材は凝灰岩で、全長18m、幅4.5m、アーチの頂上18m。アーチそのものの機能的な美しさ、堅牢さ、軽快さを感じさせる美しい石橋(説明文より)

重盤岩眼鏡橋の石橋を右にみて、少し先右に津奈木中学校がある、左の津奈木川に架かる津南橋を左折れ

すぐ先の国道3号の岩城信号を横断して、ガソリンスタンドの裏側の細い道を右に進む。
そしてGSの裏側でT字路を左に折れると直ぐまたT字路となり右に折れます。右に折れた左手に善樹院があります。その手前左角に 石碑 右に折れた左に 善樹院

右に折れる左に、自然石の記念碑 か建っています

右に折れた先、左の白い民家の向かいに
孝女千代の馬の引いた

分岐を白い民家の左の坂を上る

上っていくとおれんじ鉄道を越える塔ノ峯橋を渡ります。塔ノ峯橋を渡ると右にカーブします

旧道は塔ノ峯橋手前を線路の北側を津奈木駅まで進み、駅中央辺りを左に折れていたようですが消失しています

すぐ高速自動車道を、続いて九州新幹線の高架を潜ります

高架を潜った先、右のおれんじ鉄道線路沿いを進みます

左にカーブする右下に、おれんじ鉄道の津奈木駅が見えます。かつての旧道は駅の北側から左に折れてこの辺りに合流していたようです

右手標識のあるところ右の津奈木駅への消失した旧道が上ってきていたようです

下って行くと右手に津南保育園ががみえます、その手前右手に細い道に少し入ると
津奈木町指定文化財  浜崎貝塚遺跡の白い標柱 が立っています元の道に戻り

すこし先で十字路に出ました、この十字路の正面の細い道が 歌坂の登り口

登り口に 歌坂の案内板

標識案内に沿って細い道を登っていきます

直ぐの所左手に 祠

一気に急斜面を登る

薩摩街道の案内標柱

危険な箇所落ちないようロープが張られている

石畳の跡なのかゴロゴロした石が転がり少し歩きにくい

かなり登ってきたようです

薩摩街道左への標示

左に折れて進んでいきます

突然鉄条網で通行できなく標示案内もなく先に進めません。ここでどうしたらいいか迷いました
どうしたらいいのかこの地点に案内標示があればいいのだが鉄条網の傍の茂みを搔き分け何とか抜けると

右手に石の祠が壊れたのがあり、傍に案内板 歌坂の大日如来線刻 とある

内板もある貴重な遺跡であるようですが、資料を見る限りではもう随分以前からそのままのようだ

歌坂のはどの辺りだろうか

その先は下りになります

案内標識があるので間違っていないだろう

案内標識の先で、分岐があったのか下る道を間違えたようです。真直ぐおれんじ鉄道の上部の山を越えるところ、どうも左に下ったようです

その先急坂の足元の悪い道なき道を下りました

もう道はありません、下って行って国道3号に出るはずなのですが幸い藪でなく下ることが出来ました

おれんじ鉄道の線路に下ってしまった。もちろん道でありません踏切もありません。旧道の下りは線路に出ないので、最後の標識のあとかなり左に下ったようです

右に歌坂の下を抜けているトンネル
ここで線路沿いに柵を越えるにあたり、足が疲れたのか足が上がらず、股の内側、ズボンひっかけ敗れてしまった。
歌坂の峠よりの下り大失敗元に戻ることもできず仕方がないが、一人で歩いているといろいろなことが起こります

線路を越えて民家の軒を抜け国道3号に出ました。国道を左に折れてすぐ先の南九州自動車道の高架を潜る

この先のかつての旧道は消失している部分が多く国道を進む

小津奈木バス停を過ぎると、国道を左に入る旧道を入ったところに 小津奈木神社 があります国道に戻ります

この先、消失した旧道沿い、国道の右奥に 前田眼鏡橋 がありますが見つけられなかった

水俣市に入ると旧道は国道の左を進んでいたようですが消失しています

九州新幹線の高架が見えています
高架の所で国道を注意して横断して右側に出ます。新幹線の新水俣駅・おれんじ鉄道の新水俣駅の少し先まで旧道は国道の右を通っていましたが、消失しているので国道を進む

高架の手前辺り左に 瀬戸眼鏡橋 があるはずだが見つけられません(翌日見つけました)

高架を潜ったすぐ左のおれんじ鉄道石木田踏切の角に 
追分地蔵道標 が立っています「右 みやざき 左 江戸をらい」

暫く緩やかな坂の国道を進むと、再び新幹線の高架を潜ります

右に入る細い道、標識もある。すぐ先で左の国道に合流

新水俣駅が見えた手前右に 隈迫眼鏡橋 がある 

新水俣駅

今日は本来なら水俣駅まで行きたかったが、少し疲れてしまったのでここで終了
新水俣駅発16時35分で今晩のホテル、出水駅前のロイヤルインステーションプラザに宿泊、今晩と明日と2連泊。ホテル17時10分着

          40.196歩  24.11㎞  1242kl

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