薩摩街道 【第3回 ⑱】

2024年11月7日

ホテル7時出発ホテルで自転車を借りて、午前中お城の周りと少し離れた妙見町の史跡を見学します。思いかけず妙見町の日蓮宗正覚寺のご住職さんが忙しいところ車で、行きたかった史跡を数か所ご案内していただいた感謝です。
そしておれんじ鉄道で佐敷駅へ移動。前回峠付近まで登ったが、何か中途半端でもやもやしているので、まだ正午なので、丁度佐敷駅前にタクシーがあったので、奮発して峠近くまで乗せてもらった。佐敷交流館の方も言っていたし道不安内の私一人あるきだし、また私有地の旧道でもあり、旧道の下り口と峠を見つけ、そこから前回のように間違わずに桟敷へ下りてきます

        ホテル 16時30分に入る
        27.374歩 16.42㎞ 873kl

松井神社
八代城北の丸跡で加藤正方や細川忠興の住まい跡で御茶室や庭園の整備をした。
車道から鳥居を入った右に、臥龍梅

臥龍梅

市役所の東側にある
シャルトル聖パウロ修道院記念館 は明治33年の木造洋風建築

城跡から自転車で東へ旭中央通りを東へ、八代市妙見町まで暫く走ります。かなりの距離がありますが
「妙見さん」と親しまれている、八代神社(妙見宮)がある

鳥居の正面に立つ社殿(本殿・拝殿・四脚門)は元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に修築された。入母屋造りで、正面に千鳥破風が設けられている

八代神社から県道158号線を南に、中宮川に架かる橋を渡ると右に 日蓮宗泉福山宗覚寺 に至る。加藤清正の嫡男で、9歳の若さで亡くなった 加藤忠正の墓 がある
橋の右手に宗覚寺

境内に 加藤忠正の墓の案内板

立派な 霊屋

霊屋の中の加藤忠正の墓

宗覚寺から川沿いに約150m進み、右折れして坂を上ると、
曹洞宗中宮山悟真寺

南北朝時代、九州南朝方の中心征西将軍兼良親王の菩提寺御霊殿には兼良親王の筆による後醍醐天皇の御霊牌が安置されている

山門脇にスギと銀杏の古木が立つ

本道の前のしだれ桜春咲くと見事だそうです

悟真寺の鐘

元の坂の入り口の戻り更に川沿いに100m程進むと、右手に森があります。
征西大将軍 懐良親王の御陵
後醍醐天皇第八皇子、南朝の征西大将軍として、肥後国隈府(熊本県菊池市)を根拠に勢力を広げ、九州における南朝方の全盛期を築いた。
弘和3年(1383)没、東西27.3m、南北20mの土居で玉垣で囲まれている。小円墳 傍に親王自筆の宝篋印塔が立つ

御陵の近くに八代市の 護神寺廃寺跡

見学が終わり宗覚寺の前で休んでいると、中から住職さんがみえられて、歩くと大変なので車で近くのとっておきの史跡を案内してあげると、いって頂きご親切に甘えてしまった。その中でもあまり知られていない史跡を先に行こうと、車に乗せて頂きお寺の前の古麓川を渡り、山手に登っていきました

高台の平坦な所の一角に目的の史跡が、マップにも載っていないので、得をした気持ちになりました。
懐良親王ご両親の墓 御小袖塚

親王の父君の御醍醐天皇、母君の霊照院禅定尼の御追福に建てられました・・・・・・・
ご住職さんや有志の方々によって綺麗に管理されています。清々しい気持ちになりました

御陵の前に戻り300m程南に走ったところに、石造鳥居の所、妙見中宮跡
永暦元年(1160)二条天皇の勅願により肥後守平貞能朝臣がこの地に創建したのが始まりと伝わる

次に、臨済宗 春光寺 少し離れた古麓町にある春光寺に案内していただきました。さすが宗派も違うし駐車場で待っていてくれました

お寺の前に元城下の本町に会った 実相院の庚申碑 がここに移されていますこの古麓町一帯は14~16世紀にかけ名和氏・相良氏の城下町として栄えたところで、背後の古麓山は両氏のお城跡であす。

春光寺
熊本細川藩筆頭家老で八代城代をつとめた 松井氏の菩提寺 境内には八代城から移築された薬医門と番所、裏山には 松井氏の墓所や殉死者の墓がある創建は天正11年(1583)

本堂

裏山には松井家歴代の古廟・新廟と、主君に殉じた家臣10名の墓があります
説明板がないから分かりませんが、古廟と殉死者の墓が並んでいます

さらに上に行くと

松井氏の墓所
が建物の中に並んでいます。さすが細川家の筆頭家老、徳川からすれば陪臣であるが大名並みの力があったのだろう

春光寺に向かって右に、古麓稲荷神社

参道はかつての古城跡に通じているそうです

ご住職さんが待っておられるので早々に戻らなければ。お寺の前に自転車置いているのでそこまで再びおくって頂き、丁重にお礼を言ってお別れしました。本当にご親切に有難うございました。有意義な時間を過ごせました。

自転車でホテルに戻り返却して、八代駅からおれんじ鉄道で、佐敷駅へ移動。

可愛らしいおれんじ鉄道
車内も色とりどりに飾っています、熊本県八代駅~鹿児島県川内駅間で28駅、元は鹿児島本線であったが第三セクター鉄道です。有人駅では地元のNPO等女性の方が運営されていて、皆さん元気で明るく楽しそうにされているので気持ちがいいです

乗客が楽しめるよう、四季折々と工夫されているそうです

佐敷駅に着いたのが12時、予定では今日は佐敷城跡と宿内を回る予定であったが、時間的に早く天気もいいので、このまま前回歩いている起点、佐敷峠地点に行くことにする。幸い駅前にタクシーが留まっていたので峠までお願いしました。
2024年3月4日佐敷峠越えに挑戦したが、峠付近で大迷走、結局峠を越えることが出来ず大失敗した経験。失敗したあと佐敷宿の芦北町交流会館により峠の位置を聞くも確固たる情報が得られなく、ただ、やはり数年前の豪雨災害で旧道が崩れているし、一部私有地なので許可も必要との事であった。
今までは案内人がいたのだが皆さん年をとって昨年会を解散しているとの事。まして一人では旧道がわかりにくいので無理だろうという話でした。
ということなので、思っていた通り今回は峠の位置と、その旧道の下り入口を確認して、迂回路の旧国道を下る予定です。自分の街道歩きルールとして、例え旧道でなくてもこの先の佐敷宿まで歩く道を繋げたい。抜けてしまったら後味が悪いので

検討をつけてここでタクシーを降りましたが峠がよく分からない、タクシーの運転手さんも地理がよくわかっていなかった、それは当たり前でタクシーに乗ってくる人はまずいないだろうし。走ってきてここで降りました幸い良いお天気で気持ちがよいです

想像すると左手に道があります、前回上ってきた道がすぐ左手(北側)にあるようなので行こうと思ったが、金網で完全に遮断しています。
私がが思い違いしているかも前回登ってきた旧道の道探しをあきらめて

少し戻ると平らになった広場がありました、この辺りから佐敷に下る旧街道があるのでないかと探しましたが見つけられません。もう歩く人もいないので雑草でわからなくなっているのかも、会の方がいればわかるのだが残念。

広場の所でみかん畑のなかを南に下る道があったので少し入るもわからない。第一案内標示見つけられないので違う道だろう

残念だがわからないし諦めるしかないので、峠の付近で旧道を繋ぐことが出来なかったのが、悔しいが努力をしたとして納得する。自宅から遠いので又来るという訳にはいかない。多分整備しなければ廃道になるのはそう遠い日でない。

もし、2回目と3回目の佐敷太郎峠のこの資料を見て頂いた方がおられて、何かアドバイスがありましたら、是非ともお教えいただけたらしあわせです。

旧国道を下って桟敷へ

かなりの距離を蛇行を繰り返し下ってきましたやがて正面に建物が見えてきました、この白い建物の下あたりを肥薩おれんじ鉄道と現国道の佐敷トンネルがが抜けていて、それに関連する施設のようです。
突きあたっつた右手を見ると佐敷太郎隧道の出入口です。隧道の中は電気もなく真っ暗でかすかに向こう側の口がかすかに小さく見えます。
前回来た時、佐敷太郎峠付近で今歩いてきた道の北側を下り、この佐敷隧道の北側の口にでて野添に下ったのでした。間違った道を下りまた元の登ってきたところに戻った嫌な思い出があります。
今回は建物の右に隧道を見て左に下ります。

佐敷太郎隧道(登録有形文化財)

突当り左に折れたすこし先から振り返る

その先の分岐を左の道を下る

この先は大きく蛇行しながら下るが間違わない

大きく蛇行しながら下っています

左に海が見えてきました

佐敷が近くなったところ坂の途中の 

ようやく道川内の集落がみえてきました

下りきると乙千屋川に架かる船津橋に出ました。右手は往ったところに桟敷小学校(芦北郡代詰所跡)があります。
乙千屋(おとじや)川に沿うて左へ300m程川沿いに行くと、旧道を下ってきた入り口があるはずと見てみようと行ったのですが、通り過ぎて乙千屋(おとじや)集落まで行って、左に入ってしまった。

集落を入っていきました

小川沿いに入っていきました

旧道らしい雰囲気の登り道です

道が狭くなってきました

段々道が怪しくなり倒木等があり進めません完全に廃道になっているようです

旧道の登り口を見つけたかったが諦めて戻りました

下る途中民家にいたご主人に尋ねたところ、旧道はここよりもう少し西に行ったところとに登り口があると教えてもらった。でも昔はこの道も今は完全に消失しているが佐敷峠に登る道聞いていると教えて頂き、間違ったが何か得をした感じがしました。

乙千屋橋に架かる船津橋の一つ手前(上流)の橋に出ると、何とこの角に 佐敷峠への登り口の案内標示 がありました。さっき通ってきているのに注意散漫でしたが、結果的によかった

案内標示の所、右の雑木の中に入る道です

しっかり旧道跡の道が残っているので、少し上ってみようと入りました

すぐ左にカーブすると、はや、倒木等で道がふさがれており、この先進めるかどうかわからないので、登り口だけでも確認できたので満足

すこし登り口を入ったところから出口を撮る

船津橋から峠の遠望

船津橋を渡り少し先で佐敷川に出ますが手前左に 明専寺

右に佐敷川に沿っている道

左に お大師さん

佐敷川沿いを振り返る右手前白い建物の隣 旧薩摩屋・本陣跡 
薩摩藩主が参勤交代時に泊まった本陣

白い建物の手前となり 照雲山蓮光寺

右への相逢橋を渡った橋の上から振り返る

佐敷川に架かる相逢橋を渡ります

佐敷城下の史跡を見学するので適当に歩きます。薩摩街道は真直ぐ進む街並みです。
相逢橋を渡った辺りが、高札場跡

町筋はのこぎりの家並みになっているそうですが

少し入って振り返った左に、創業明治42年の 岩永醤油 の重厚な建物

その隣に お地蔵さん火除け地蔵

佐敷宿の真直ぐの街並み

少し進んだ左に 恵比須さん

右奥の来迎寺に入るところに 来迎寺六地蔵塔

奥の 来迎寺

左に 芦北町交流館「桝屋」
2回目には峠の道がわからず何度も峠辺りから携帯電話をかけ迷惑かけたので再度ご訪問してお礼を言いました。その時の方が、みよださんとおっしゃっていたが何人かで交代しているようで本日はお休みでしたのでお礼を伝えました。そして今日の結果を話しました。やはり豪雨で旧道で崩れていて、とても道不安内の方が一人では無理と言われていました。結果判断は正解であった

佐敷城址への登り道沿いの 石造り物 が並んでいます

国史跡 佐敷城跡
古代から近代にかけて芦北郡の中心地で城山に築かれた。城は天正年間(1588~92)加藤清正の肥後と薩摩島津の国境「境目の城」として築城されたようです。元和元年の一国一城令により廃城となった。

城跡からの眺望

本丸表門址

城跡を後にします

この写真は数年前の豪雨により町全体が被害にあった状況

街道の街並みより一筋西側の道に 武徳殿

その横に 日本一の大瓦モニュメント 
佐敷城の鬼瓦(棟飾瓦)「天下泰平国土安穏」と書かれている。発掘調査で出土した全国唯一の文字瓦。慶長年間とされ、堂々たる筆跡から高僧の作と言われている。文字瓦を基に20倍の巨大モニュメントを作成したもの

武徳殿の前に 佐敷城代加藤重次縁者墓石二基

隣の建物は、社会教育センターの立派な建物この辺り 御番頭役宅跡

並びに 二尊寺

交流会館「枡屋」の街道を挟んだ向かいに 豊臣秀吉宿泊の地 高橋安兵衛屋敷跡の標柱

交流会館隣の建物

その東側の道を入っていったところに 勝延寺

街道を少し進んでいくと左に お薬師さん

すぐ先で街道は左にカーブしています

左に中学校のあるところで、本日は終了します

佐敷の見学も終わり、今晩の宿泊先は少し離れているが、佐敷駅から15分ほどの先の、AZホテル芦北店へ戻ります。
            27.374歩  16.42㎞  

次の日はコチラ

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